2019-05-28

my fv 01.23.2019

"後悔しないとね"と言ったxxがいた.意味がわからない、後悔するようなxxは嫌で無視したい存在だけれど…好みの女性が嫌な事を述べる嫌なxxが誤解をして接近するいずれも嫌なものだ.


   
   






 

マキャベリストにとって情況を決定するのは現実であるはずである.現実が情況を決定するとなると情況も現実であるので、現実が現実を決定するとなる.



         






 

男の主体をダメにして快感を得る--とにかくゲーテ曰く悪魔は諦めろと囁くから、主体をダメにしたがるのは諦めの誘いに繋がり悪魔のようなものだと言える.実際悪魔のようにしつこいxxと思った存在がいた.石女かと思える教条感xxに呪われているかも、他者xyがxxがこのxxと無謀にも誤解勘違いをして


   
   





 

最大値の原理--歴史事実からは横のn-は縦であると見れるけれど.但し法の支配が成立していないとして、法の支配が成立すれば未然形がn-になる.横つまりモラルに対して権力志向が啓蒙をするのはおかしいのであるが、そうしたがる縦型は矛盾している.この辺に詭弁や陰謀とか出てくると考える



         






 

あと科学の帰納は未然を予定しているので、そこから疑似科学として詭弁や陰謀的な偽満性も登場するかな…


   
   






 

不条理を盲信ではなく合理的に考えた人物はいないと解釈すると関係は論理的に合理的超不条理の事になる.単に無神論からくる超不条理を不条理を超えた理性を関係としたのだろう.そこでは盲信は欺瞞か偽満か虚偽かに思われるだろうと推定できる.



         






 

条作成時のエピソードの死中に活は法の支配に依存するを予定するに期待するの意味合いと解釈した.まさかの法の支配を念頭にとは考えなかったな.しかし今までの歴史の流れからは権力の装置に向かってしまう.墨家の消滅やバチカンの成立とかの例のように.



         






 

政府無き経済無き世界は理想的な法の支配的と思えるけれど、それには世界の人々は全て聖人であるが悟った人間のみで無いと成立しないだろう.


   
   






 

諸行無常の消極的自由が通底しているのに積極的自由に日々直面しなければならないの事態か.あるエピソードの社会では決断の連続であるは行動論的か現象学的な実証だけの意見のようでもある.


   
   





 

空間が曲がるのなら時間も曲がる.空間が曲がるのはわかるけれど、時間が曲がるは盲点だった.時間重力か時間ダークもある事になりそうだ.


   
   





 

RNAはNAより先にできた?.利己的な遺伝子は遺伝子は利己的に束縛されるされていると見えるという事?.もし心身症が確実ならミームはあり得る可能性があるが、子は親を裏切る超克して進んでいく姿勢のケースは遺伝子にプログラムされている?、そうではなく子は親と協調する場合のプログラムは?


   
   





 

思考外にあった散逸構造論と利己的な遺伝子が視野に入ってきたなはいつだったかな.以前であるけれど昔ではないな、利己的と散逸性の関係はどうなのかなぁ.利己的な遺伝子はエントロピー因子とか


   
   





 

神の決定則はエントロピーと考えてしまう.決定の先にあるものはエントロピー変化性になる.利己的な遺伝子も自然淘汰もエントロピー変化に即しているはずになる.ダークマターはエントロピーを保証する可能性があるかとか色々アイデア出してみる.


   
   





 

仮想アイデアは経験則か科学的証明を必要とするけれど、詭弁意識者には科学的証明は不快なものとなりそう.詭弁や虚偽等論理不当は盲信への可能性または盲信の保証に支えられている盲信の劣化因子ではないか.わかりずらい反証可能性は例えば盲信に対しての位相なのか、また反証は何処から、弁証法故に?



         






 

狂信は思想に関与しているな


   
   






 

表参道のシャネルに行って例の所に行く予定の店は東急プラザだった.何かエントランスのTVシーンを見て行って見ようと思って.スターバックスは客が一杯だったけれど、川越は特別で別にスターバックスに行こうとは思わないな.木造風な階差テラスにかかっていた曲が酔えるトロピカル幻想感覚で良かった


   
   





 

いざ記憶を辿ろうとすると何とも不快に思い出せない心情になる.どこか愚かな但し自然だからのxxにより乱れているかも.しかしその自然はこちらには別に自然ではなくこちらの自然を乱すことが多いので、こちらの自然を認めずまるで権力の横暴のようなxxの自然生理意識に多く遭遇し過ぎている



         






 

特に叙事的xx達はその固有性が権力思考なのでもう処置無しは前提になっているが、にもかかわらず押し売りの記憶が悩ます.その心理は未発達であるとまた一生足りない可能性高いと思っていてである.


   
   






 

叙事的又はA的優位なxxは今では一杯いる事を思っている.このような存在にとっては母性がわからないという表現を見た事を考えるとそれはあると見るのは単純自然な直感である.全くxxは全てG期存在と思っていた昔から不快な存在が登場してきて、そう今では観察してA期性優位が多いのはわかっている.


   
   





 

次元を手に負えないと考えた昔を良く思い出してみると、領域があってそこの片側というか次元の底に当たるまで体積を剥ぎ取るたか考えたはずで、その領域の次元である現実のこちら側は残したままにだったな.剥ぎ取るのとポテンシャルのリダクション操作は似た形のような



         






 

そもそも次元などとは大仰なと思い馬鹿げた考えだとその導出方法を知らぬままに思って…今次元が虚数に消える形を取っているとしり、それならなんとなく次元もあるかなとは思った.



         






 

帰り道の崖の崩れの地層色の変化部分から、層状を人間に当てはめた小学生の時から、ネットの階層を何となく想定気味だったけれど、これも今物理サイズの階層考えを知り、そんな事は当然に考えていたのに全体が見えずこちらの物理からを層状組織に当てはめるのが趣味に合うとすると


   
   






 

昔黒い場の中により黒い場がありその中に水平的に天の川的写真に似た形の領域の線を浮かべた裏の家の階.これはかなり確実に言えるシビアな映像と思ったのにこの意味は何かいまだにわからない.インスタントンではないかとした無明の時でもそれと違いアクシオンの凝集でもなさそうな凝集だけれど


   
   





 

A期を尊重するためには位相をO期付近に持っていかないとならず、G期をO期に実際に冗談的に内的声に沿って行う羽目になった実際は過去xxと認識していたけれど気がつかなかったxxでするはめになり、理不尽な蒸し返しか再度の人生=生存過程を送るとかありえない現実遊びに直面している記憶はある.



         






 

これの正当な解決方法はA期xxがG期に進む事を促進する事であるけれど、一生G期に進めない不可能な存在の現実感が確定的にある.それでそんな存在を生まない事と言ってしまうのである.G→O
は不快な無駄で不自由な屈辱感もある故に.



         






 

甘えからそんなOとしての演技をするケースのあるxyがいる話は事実だろうとは思うけれど、昔はxxが科学は子供なのよと聞いた話なのに帰納的性xxの多さは何とするか


   
   






 

とにかく叙事的存在は蒸し返しを行使してきて知力を劣化させる存在が出てくる.端的には叙事的存在はそもそも単細胞的に見え現行ロボット的に見えるので、そんな時存在に取り憑かれると頭は麻痺して考えられなくなる経験多いことからそう思う.



         






 

反知性主義とか愚民とか何となくわかるけれと、歴史的には権力が-その多くはA期が誘う-幅を利かすようになるのはG期のマイナス次元の位相であるA期は最大値の原理に従っている故かなとしか今のところ考えられない.


   
   






 

地平線のドーリアを思い出し、ドーリアというと女性の名前の響きがしてロマンがあるなと思っていたけれど、ギリシャ旋法ではなくきようかいせんぼうから取ったようである.古代ギリシャ人やジェノバの貴族名や料理の名前などが登場.旋法に関しての知識知らずわからないけれど、ムードがなくなって来た


   
   





 

ミルナーで地平線というか水平線というかエビラの接続的かなを考えて結構いいかなから地平線のドーリアを思い出したのだけれど、ミルナーからの地平はまだ早計かも知れない.まあまあはあるかな…ノヴェンバーステップスは感性が他者だったように聴いた記憶がある.汚れた濁った神聖メロディーだったので


   
   





 

自滅者の押し売りの犠牲になっている感がある間主観性の面白くなさ.自分を気にしないとまずい事になるのに、逆を当然の如くに行うxx達はそれを許可していないのに自然とかいう暴力的な所作を行うけれど、こちら側には不自然な事であるの認識がないという不快さがあるのである.


   
   





 

日本がおかしい?、別におかしくはないだろう.それは正規分布的思考者達が立ちいかなくなるだけの状況の境界時間に日本が位置している話なのである.正規分布思考は当たり前で専らではなくそれの比重が下がっている複雑系化の時代という事であるだろうに.個人的には昔からそうで漸くそうなったかである


   
   





 

去年の大晦日近くに遂に貨幣の存在理由的なものを考えついて、数多ある経済理論にいずれぼちぼちと適用して見ようと思っている.


   
   





 

昔にもう混沌を想起するのは嫌だとは思った事はあるとは言うものの、マイナス整数域は混沌的とグリーン式のように無限遠で収束するとは繰り込み式に有用な平行線の交わり関連となるけれど、無限遠カオスも想定していて


   
   






 

カオス哲学はハイデッガーの原点の先と同じかな、原点の脱構築かも.ハイデッガーの未完の箇所の構想を知らないのと頭が動かず判断できない.万骨が枯れるようにカオスから判断の数多で真理に到達するのは正規分布的にはいいとして、この混沌自体を複雑系として展開するとしか対象を想定でき得ず



         






 

理解不明なわからぬはずはないものと思える対象はどうやら独断断定または偏見閉鎖に気がつかないか誘う世界の狭さを強調している可能性が高い.勿論明瞭に解けない問題は明瞭に過去とならない将来にある.


   
   






 

高名な人物が死去したそうだけれど、最近学問に関して文献が無いと太刀打ちできない様相らしいので、古代史とはいえそれも文献にタッチ可能なところまでだろうと.ただ視点のユニークさとかはそれでも持てるか.アニミズムも当然文献史料の時間からでしかない筈で、考古者はともかく縄文論を知らない


   
   






 

もう覚えていないACだけれど、先程"ブラックスワンを発見した"のツイート部分を見て発見とは違うのでは無いか、単に複雑系または非線形現象の事と思っていてので、別に発見では無く壮大な詐欺のベルカーブ=正規分布というやや極端を申したのでタレブはACを避けてのでは無いか.



         






 

単に非線形ならブラックスワンはそこにあると思うので.ちなみに正規分布は当たり前過ぎてと昔から思っていて、もうその思惟形式がなんだかわからななくなっているけれど.


   
   






 

京都の街での乱舞シーンのひとつひとつのひとつで正規分布思考を内蔵している形かも知れない."正規分布は地球に特有現象で宇宙はそうでは無い"とした文章に昔に接して良く記憶している.ブラックスワンはこの宇宙はそうではないの中に入る現象と捉えているので別にタレブの発見ではないだろう.



         






 

"ブラックスワンは科学哲学に衝撃を与えた"なる文章に接したけれど、そうなのか.科学に哲学とは考え難いけれど、そんな科学哲学はくだらないと視点を持つ事ができるな…



         






 

中学生の時にrtyのthの発音で苦い不快な思い出があり、最近ネイティブでも発音は難しいらしくthはそのうちに廃れる可能性があるとか知る


   
   





 

無風の厚い曇り空に太陽が鈍く透過してのこの温かみに包まれた冬の太陽が好みで、論理哲学論考が冬の太陽と言われるけれどこのイメージの冬の太陽とは異なるかな.そもそもTLPな冬の太陽のイメージは別段ない.


   
   





 

それにしても逆というかもはや既に模倣するしか能が無い無知存在に間主観性を使われて逆認識されると乗っ取り的で、そんな存在の逆になっても無知である存在の押し売りを受けるという馬鹿げた現象に付き合う形で、こんな存在達を排除しようにもバイタリティありしつこく無知を行うので疲れるものだ.



         






 

xx一般は乗っ取り的存在に見えないこともなく、また主体の阻害疎外を強要する馬鹿げた存在が登場かと無駄をまたしないと思う事に辟易はしている.畢竟xx一般は無自覚な卑劣性を行使する事に気がつかないかな.


   
   






 

嫌悪存在生理体質者に押し売りを受けてつまらない主体疎外を今も要らぬというのにしつこく受けている.宿命が嫌いなのにそんな宿命的権力志向存在などどうにもならん叙事的縦型人間で、無機的で味気ない思考しかできずのつまらんマンネリを当人達は無知故に自覚しないかしてもその劣性から欺瞞をしがち



         






 

またはそのタナトス志向を他者に押し付ける圧迫か、自らの資質に気がつかないか誤魔化しているか.元々そんな資質なら自ら別に自己責任を取ればとは思うと考えれば良いのか


   
   






 

創世記章節からヒント得てそうするとそうなるとかくかくしかじかと考えること思いついた事ありて


   
   





 

eloquenでtiaはつかないな.どこで間違えたかnemoはいいとしてparでは意味がつながらずその時何を考えていたのかわからなくなる.inSBulaは良いとしてpulcher etだったのかな.概観として美しい島国を表すのにで、瑞穂ばかりではなく自然の山々も入れて何だけれど、それで豊葦原は妥協的な気分だったかな


   
   






 

"誤差作用素と保存量の間の不確定性関係から一般測定相互作用の誤差の下限が得られることを示した."プローブの存在を考えずに想像しただけなのと、不確定性は全く考えずのつのものの区別に悩みどうしてもうまくいかないとしたまま…下限とは確かに不確定ならばはあるなそれと保存則か


   
   





 

彼女たちに遭遇したのは偶然が必然的な事態で奇跡的なんだけれど、だがしかし…この解析根拠を納得できるように説明する機会が訪れるかどうか



         






 

実存は本質に先立つ-世界が先にあると矛盾に対して孤独の自己思索は実存かなとも思えるけれど、本質から見ると実存は地獄的な混沌に見える蒸し返し的なもの.ではその本質はどうなのかとなると秘匿にあるが記憶にあらず.構造主義とか歴史の話中で本題への前提条件なのか


   
   





 

"今と言った時今はない"名言だなと思ったのはポスト構造なのか.差延か人々は差分的だからなと簡易な直感の頃は脱的な位相も持っていた.経験上幽霊の概念は時間的差異にあると認識してあるから、霊がそこにあるにも結びつきそうなんだけれど.


   
   





 

ローカルの重なりがあって良いは多世界的解釈になる.全体を見渡しても神の視点を持つことはできないはハイデッガーの現存在地平線に戻ると同様なので、解釈の視点として新実在なのか.ハイデッガーの原点を昔に設けたはいいけれど何十年経っても何にもアイデアが浮かばずただモデル対象を考えた事はある


   
   





 

昔はエビデンスとマニフェストのどちらを取って明白の意味合いとするか迷った事がある.語感からマニフェストにしたのだったかまたは使い分けの意識だったようなで、最近エビデンスの言葉を見て現実に使われているのかと、マニフェストも政党の公約で使われているけれど.意味上からエビデントにしたかな


   
   





 

社会が根拠無き共同幻想と見るならば冗談や虚偽無理解誤解が現実とはなり得るな.実際にはそうなって困っている.鏡像段階の自己おざなりの互いの反映ばかり社会でもそうなるので誠につまらないものだ.



         






 

幽霊は死者に関係しているように人々は見るけれど、過去の死者から見ればその後の現実に生きている存在は幽霊のように見えるだろう.


   
   





 

皇帝教信者を考えれるケースにおいて複数の皇帝存在からシステム的とすると、宗教の教祖もひとりのみのあるべき皇帝教の皇帝位相になっている敷衍を浮かべてみる


   
   





 

"自然的存在ばかりではなく人間的存在である"の場合叙情感を想定できるのだけれど、唯物と言い出すとどう見ても唯物は無機的で自然的存在ではあるが、非人間的存在と思えてくる.


   
   





 

阿弥陀は解脱を助けるもので六道の誰でも可能とするとまた個的六道を除去できるものの位置あるもので、実在性はとは思う.そう思えば宗教一般は非実在性があるけれど翻ってそれも人が考えた事なのである.



         






 

仏教の無始無終は諸行無常より強いな.諸行無常はバンのみに生きる欲望の生理感覚から見た視点の要素強いように見える.虚無は物理視点から見た場合かな


   
   






 

多様性が分離公理的にあると不愉快さはほぼ無くなるのではとは思うけれど.しかし好み存在が分離的ではあまり面白い事ではないな、普通分離的にはならないか.しかし嫌悪存在が分離的にならずの多様感はどうにも無駄ばかりで意味を無くすような形になりアドラーの自己満足感を阻害してくるので頂けない


   
   





 

叙事的存在と権威者のひとつの側面と権力志向者と権力者存在には、自己の叙情感が無いために、叙情他者達の叙情感を考慮する事ができず無視する見解しか持っていないとおおよそは考えることができる.で叙情者は不愉快な理不尽で憤慨する事になる


   
   





 

バッハは線描のフェルミ的かなと思いつき、ノヴェンバーステップスもフェルミ的な画像曲線イメージがある.揺らぐフェルミ線複数はレイノルズを超えると現れる山荘のもみの木の詩的木立の趣にて思う兜町勤めの女性達と会った夏の日の独りの部屋


   
   





 

最近話に聞く引きこもりの若者も良く引きこもっていられるなと思うような次第で、その心理解析困難.集団圧力は引きこもり要素の一つにもなるような気もする、むしろ第原因かもと思いついたけれど


   
   






 

シーケンス連続の切断もしくは離散の繰り返しに矛盾が入る空間時間性がある


   
   





 

マルクスは論理的には整合性があるかなと思っていたけれど、色気がないと思ったので多少齟齬のある関係がありそうになった昔の事がある.色気というか感情というか倫理であるという事か


   
   





 

まああるがままは塞翁が馬よりエントロピーに乗った森羅万象気分だろうけれど、ここで胡蝶夢を描くとボートを漕ぐので、捉え方に差異を設けないとは想う.


   
   





 

ともかくある人物昔に述べた事に対して他の意味がある事を知らず.知ってから暫くして漸くその述べた事に対しての応用ができたので、問題となっている社会現象が緩和傾向になる筈とは確信している.その点での他者を変えよう意識はあるけれど、個的他者への心理は保留だった…


   
   





 

他人の心理を操ると思える心理学を認めたくはないとした昔の意図が、他者の模倣による無理解な逆による主体歪めを不快に思うのと他者は操りたくないと思う心性の逆を弁証法対立的に面白がって快感としてしたかったのかもしたがるのかも知れないので、これは他者の心理を操らざるを得ないか……


   
   





 

過剰な無意味を擁護した事・その時になぜ過剰な曲解無理解をするのかわからなかった事また対象が愚かしい存在で主体を歪める歪めたがるとは信じられなかった事や他がある.周囲すべてのxx&xyがそうで多大な無理解圧力に囲まれている感覚があり主体の諦めを要請しているきらいがある.



         






 

何故自己偽造して他者の主体を横取りのような所為をして気づかないのかまたは意図的なのかまたは矜持がないのかまたはその矜持自体偏見を持っているのか、こちらが模倣しているたか述べたxxや曲解した無茶苦茶xxはいつのまにか消えたな.自己把握は他者を歪める事によっては成立しないのでは?



         






 

なんらかの権威権力意識の征服意識で無駄に劣化を要求したする恥知らずまたはみっともない恥さらし達のように見えるけれど.往生際の悪いくだらない価値引き出しのできない才能存在達の逆が自己だと思う不自然な反自然は自然が認めない筈なんだけれど、それに気づかないまま消えた人物もいるかな…


   
   






 

バブみとはさっぱりわからぬ.なんとそういう意味か、やり手の中年男がバブみオギャるをしたがるという話は聞いたことがあるその情態はオーラルなんだけれど、A期である存在に謙虚な態度を示すまたは横暴な権力圧力パワーでO期などをせねばの形を受けるのは理不尽以外のなにものでもなく



         






 

やはりA期の生理質を変えるべきかA期までしか行けない一生者も疲れて話もできかねるのでかなり困難なことだけれど発生に問題意識を考える.思いつくのはライ麦の崖物語もまたやや理不尽なのを考えつく.それに続いて越後の僧侶も浮かぶ/


   
   






 

実質を意図してくるだけれど、それは君の意見ではなく私の内部実質なんだけれどと言わなくても当たり前すぎると思ってそのままだと勘違いされたままになる.異様に変な人々がいるものだ.私とは他人ではないである.特にわけのわからん感性生理のタナトスフェルミ型の自己勘違い押し売りには閉口する



         






 

錬金術を否定しきれないと思った小学生の時を思えばユングは意味があるかな."空想的想像力ではなく真の想像力によって"の文言はそうであるとは思っている.


   
   





 

ところがそう限定志向を行う存在達の内実にはろくなものがないという不公平さがあるのが不快になるのだった.とにかく潜在化の可能性を評価しようにも無意味な不利益ばかり考えさせるxxやxyに遭遇した結果が今に不快ツイートとなっている


   
   






 

⁈単にミルグラムではなく積極的ミルグラムとかもあるのかなと考えさせるフラクタル感時間も加担してパーコレーションを想定したかな


   
   





 

ミネルバの梟に邪魔になる帰納の現実だけれど、出した結論は暫定的なものでまさに未決定の無責任さを示しているかのよう.しかしミネルバの梟性も個々人を考慮すれば個人差はあり中間存在梟の場合もあるので中途半端な未決定性未完成を持ち、切羽詰まると暴言を発揮せざるを得なくなるという経験がある


   
   





 

朝長振一郎の超多時間はどんなのかが必要になりパスしてきたけれど…教育大の朝長振一郎のイメージがあり、今し写真を見て頭いい人相をしていると思った.作用が光速以上で伝わらないはハッとや無限小まで行かないのではないかから接続示唆はあるけれど、ランダウの批判重力場はどうなっているのかな



         






 

塞翁が馬は具体的実践で諸行無常は帰納の未決定性をマスターしたものと解釈できるのだけれど、元の仏教の色即是空空即是色や輪廻転生と『万物は流転するはある意味において』とした時の何を考えたのか分からん昔があり、結びつけようにも頭動かずのその辺.



         






 

拗らせると言えば共同幻想論を傍に抱えて現れた女子大生にも参ってしまう記憶がある.連関したあるしつこいどうでもいいxxの意図外れの他者対自を即自と思い込んだような意味なき発言も意味なきに気がつかずまるで悪魔のようにしつこいと思えばそうなりて、拗れた女子大生の記憶も今では悪魔的かなと


   
   





 

それにしてもその発語発言は意味がないという事に気がつかない不快な存在が多いもので.無駄を構築している蒸し返しに過ぎない事に気がつかないか、過剰に疲弊を齎す非建設的な意味無い人にとっては明らかに損失でしかない非建設的要請を投射してきたかのような愚劣な不快達としか言いようがない気分


   
   






 

代々木体育館と言えばなんだかその近くでmリレーの遠望を、代々木ではなく東京体育館だったようで、代々木体育館は知らない.それより、東京カテドラル関口教会は昔何回も散歩に出かけて、パイプオルガンの練習中をひとりで聞いたりしていた丹下健三設計か、デザインセンスは全く見当つかずだった.


   
   





 

生け花・盆栽・庭園と流れる繋がるけれど、盆栽・庭園でこれはと思うもののはないかな.生け花もいいなと思うはあるけれど、儚美の瞬間的が念頭にありそれだけのものとなってしまう.ただし植物の有機継続となるとまた違うけれど.プラントハンター感もあり崑崙のメドゥーサもカシミールの花も見たいが


   
   





 

"花のある有能で美しい女性"の表現は職場では気持ち悪い表現なのか⁈.自然にそう思う心性を不自然に歪める必要はないと思うけれど、気持ち悪いものは気持ち悪く苦痛な忍耐を強制されても疲れてしょうがない思いはあるので、恐らく欲望視点からポリコレ感覚何だろうなと推定する.


   
         






 

何しろ民法規定のxxとxyはひとりだけで、なぜそのひとりを選別選定できたのかとは思う美を美と見せず気待ち悪いものを気持ち悪いと見せない方向の人たちにとっては区別しているのだけれど-もう少し強いと差別で選ぶ事が出来ないことになるのだが.


   
   






 

なぜそんな存在がいるんだで前提になく、またハイネなど読める生理特質のxxではなく誠にエロイカも奏でられないタナトス的存在では無機体が消えるまで通底するだけで無機物が待っているだけのつまらなさすぎる楽しさのない存在でもある



         






 

深淵もまた余帰納を覗く


   
   





 

中学生の時に書物の感想文を描くという命題を聞いて、感想文を書くとは何のことかとても書けそうにないと思ったけれど、随筆的になら書けそうだとは思ったな.今ツイートで感想的な表現が多いなと以前をチェックしながら、しかし離散的随筆の方があっているなとも想う.


   
   





 

人の究極知はまだ不明でAIが勝つようだと判明するか?.またソビエトなど現実が国家&経済無き社会を追いかけた形の歴史があるのだけれど


   
   






 

ヘーゲルの梟だけれど、絶対知は究極知極限知とするとミネルバの梟は過去に飛び立っている.またマルクスの経済&国家無きも梟は過去に飛び立っている.多く理想は現実より先に立つので、現実を捉えた時に既に現実は先に進んでいるのは序文には当てはまるけれど、絶対知には当てはまらないと考えてみた



         






 

覆水時間生理に返らず-濃密な苦悩時間も生理時間経過には返らずが実感だろう.


   
   





 

まずかったかないややはりまずかったようなだけれど気がついたのでその点はかなりまたは非常に?良かったけれどその間のこぼれた時間自体は元には戻らない不可逆性がある.心理的に経過時間の苦悩苦労は一挙に報われたはあるけれど、物理時間自体は冷酷に経過している生理感はあるのである.


   
   






 

ある時ある人物に猿の腰掛けと述べたことがある.最近に猿の腰掛けの幾何図を見たことがあり、少し意味合いが一方的だったかも知れないと気がついた事には意味があるはずだ.



         






 

哲学的支配の知性のよるものの他に宗教的支配というものもある事になる.


   
   






 

不老不死の薬を求めたとされる皇帝は有限の生理体継続に逆らった意識を持っていたことになる.あと宗教の創始者の教義も有限生理体継続的ではなくほぼ不変的性である.伝統もややその傾向はあるな.これらは個人の生理有限継続時間を無視した時間設定的なもので、そんな個人時間一般が無いと成立しないが



         






 

遺伝子操作による双子の話もここに絡んで来そうな


   
   






 

宇宙の摂理、人間の有機営み最も有機物一般はそうだけれど、有限の生理を繰り返していくことに対して何ら考えない人は甲斐性を持って子を鎹にしている.それが当然自然の周りも世界もそうで義務的だから何ら迷うことは無いと判断しているかのように.まあ考えてもそうする人もいるか…



         






 

まさか関係は脊髄反射の事では無いだろうな.脊髄反射が情況を決定する事は多いにあり得るし、矛盾が解けなくてヤケクソで脊髄反射に任せると思った可能性も最大値の原理を海馬に与えるとするとn-的にあるな.てんやわんやならありそうな可能性は高いが


   
   





 

やはり宗教の問責など脊髄反射には感じられず痛くもかゆくもないのではないか.確かに人はそこに存在しているだけで脊髄反射を持ってはいて、捨てる時間にはなっていないかな.それにしてもまさかとは思うけれど、理屈は成立する脊髄反射位相.思考しないことは考えられないのでほんと信じ難いけれど…



         






 

twistやperverseとかだけれど、他自覚はagainstやcontrary natureで倒錯弁証法とも.しかし世の中には不自然を自然と認知している存在もいて、自然を不自然と思い込む変な経験があるな.非常に不愉快な存在でもあるが.観念を生理的にperverseとして生理的認識してしまう変なのもいて、誠に厄介ではある.


   
   





 

ある昔のxに『時流に乗った気楽な遊旅行』の表現をしてあったのを思い出した.意図はなんだったか思い出せない今だけれど、そのxによる判断を一応はしている.なんだか見知らぬ他者もしているようなことがあり、少し注意をしているけれど.人々はそのxの内容を知らない知るはずないのに……


   
   






 

積極的自由でなんらかの制約倫理に基づく目的意識がある場合には、罪とか反省とか他者を無視または利用の形を持つかな.普通には消極的自由を思想識者達は優位に持つものなんだけれど.例えば叙事的思考者は積極的自由存在傾向明らかで、反省など無し若さもいいけれど、それ自体存在価値的には低い観点が


   
   





 

ムンクの叫びである作家の幼少の頃だったかな、黒雲が湧いてきての文章を見た事を思い出した.虚無の絶望感明瞭と思うけれど、ムンクのばあいは神経質的な実存の影だろうなので虚無手前かな.確かに背景に黒影があるのをいつの頃か知ったか記憶に無いけれど.その作家に同調しても意味はなく疲れるだけで


   
   





 

ロックに革命許容があったのは知らなかった.市民的不服従は非暴力ではある.抵抗権が自然ならば不快な記憶にある理不尽へ抵抗すべきだったわけとなるけれど、そんな理不尽を行う存在達とは全く思っていず、前提になく理解力ある存在達と設定していたため、許容できないが抵抗もせずだったのを今に修正を


   
   





 

マナを食べれば死ぬまで病気をしない事を保証できるものだったけれど


   
   





 

本居宣長・平田篤胤は日本はどこの国よりも優秀と設定していたのか、知らなかった.独自性志向を出すとそのようになるかも.幽冥界が離れた場所にあるのではなく、現世に遍在している考え方は驚きの霊論.御民から問題の英霊化が出てくるのかな.問題は一様と度合論の差になるのか.



         






 

模倣とか逆に気がつかない不快な存在達表現を他自覚の言葉で表現する事を思いついた.全く他自覚に気がつかない無自覚者達でそもそもの汝達自身の固有は模倣する事にあるのか、分からんてんやわんやのミルグラム無責任スノッブなのかも知れぬ.個人的に他自覚には余計なお世話と無自覚の愚劣さを感じる.


   
   





 

ハイデッガーは一般人とは言わないで現存在一般はほとんど未完の中途半端に終わると述べているのが壁で、未完完成で壁を超えられたかどうかはどうかに関しては、否定的な思考限界を持っていたと言える


   
   






 

一般人は自由を好まないんだは確かドストエフスキーの兄弟の中の話で、あるところで大審問官はそれらの人々の犠牲になっているんだを読み、この犠牲意識が確かならこれはノブリスオブリージュ要素あるなと思っている.一般人を中間存在とすると自由がわからない事になり、てんやわんやであることになる



         






 

感主観→間主観だけれど、ミスった感主観も使えるな.その間主観性により云々は現象学なはずで、現象学はまあスノッブ的と思っていてタッチしなかったからな.間主観性の顕著な例は恋愛中の男女で、別に哲学的に分析してもしらけるだけと思う.



         






 

未来へ依存した現在のミルグラム無責任所為はあるのか?.短期的利益による長期的視点の欠如の言葉を見て、ラプス時間は長期的視点だったと我田引水可能でもあると思いつく.


   
   





 

極端に言って良ければ日本陣社会は間主観性を皆マスターしている…かな.まあそうでないミクロケースも多くあるのは否めない個々人固有性の差異多様感はある事はある.外国生活をしたことないので差異多様に対する発言優位社会はよくわからないとこらがある.



         






 

ハードボイルド神聖型タイプの実在を思いつく.


   
   





 

女性は男性の主体を蔑ろにするのが快感であると昔の外国人の箴言を見たことあるけれど、それを受けると頭がおかしくなり対自観が乱れてくるので、過少要求のパワハラとほぼ明らかと思う.そんなxxもまた多いと思うので、女性権利も裏腹の面があるかな.主体を蔑ろにするとやはり蔑ろの報復があるのでは



         






 

まあ記憶に残っている不快はxxに限らずxyもで、一言で言えばパワハラというやつで、当然モラハラも含んでいるもので、その不快の除去志向が強いツイートの数々は現在様心理傾向でもある事になるなと考えつく


   
   






 

縮退・人間だから開放縮退あるか、いわゆる過飽和というやつとか超臨界とか、固有値は孤独の単体位相でしょうがない先天だけれど押し付けて貰っても困るな.どうも無自覚単体者にしか合わなかった記憶があるが、最近ズレたクーパーではなくみえるカップルを見た事がある.弁証法を励起としているのかな


   
   





 

象徴儀式と考えられなくはない.天皇家独自のもの的と考えたことはあるけれど、象徴性が欠けるかと今思いつく.そもそも現人神の時間が特異的でそれでも権力的ではなく権威的だったようなだけれど、昔から権力的容貌のあった時もあったかもだけれど、権威的存在として通底しているのではないか.



         






 

どうもそれで図太いやや発育遅滞xxを思い出す.なんとも疲れすぎるきあくがあり、名状しがたい不快に冗談から味わい、そのような状況に何度も直面しているが、麻痺ゆえにしかと認知できない愚劣感が多すぎる事態を味わう羽目に.やはり過去xxが不都合すぎる示唆を齎し、無自覚な棚上げの妨害者が勘違いを


   
   






 

加害されないケニヤの町は国の事情もあると思うけれど、嫌なxxが何を勘違いするのかより絡んでくるのには閉口する.逆に好みのxxが無駄に距離を置く発語にも閉口するけれど.どうもロゴス内容を重視する傾向にある.訳のわからないことを擁護するのは非常に疲れて無駄な時の浪費だけの無意味しか無く


   
   





 

好みのxxだけの街に住みたいね.まあ記憶に好みだけ残るのがいいのだけれど、嫌悪xxの記憶がしつこ過ぎて辟易している.好感xx達の記憶はおそらく無意識に十全していると思うけれど.この嫌悪が記憶に現前する構造は何なのか、全く徒労に呪われていると昔に思ってもそんな事はしたくないに決まっている



         






 

世の中徒労を齎す存在が多いかその強度が強いかだな.まあxyもそうだが現行F粒子vB粒子が自然な対立的とエロスvタナトスや抒情v叙事や縦v横や美v醜や快v不快と好感v嫌悪などがある事はあり、それらの絡み合い構造になっているからな.


   
   






 

現実は虚構ならば冗談が現実になってしまう理屈にはなるけれど、存在自体が虚構詭弁人間にとってはそれがそもそも現実存在となっているが、どうも現実はそんなものでは無いと思う.虚構詭弁人間は冗談虚偽的で真実がない存在で、むしろ真実がわからないか真実を歪めるしかしない辟易する存在なんだが


   
   





 

カントの誤解とは定言に対して仮言が厳しいと思う、つまりカルマはさとりを得るのに修行苦行を必要としないと無理の念が生じるからだろう.そこで他力依存観を出す人物がいるわけだ



         






 

例えば親鸞が悟っていたかどうかは不明だけれど、その辺に親鸞の悪人に対して単純に罪道徳としての判断からかあるいは他の視点からか親鸞も悟ってはいない悪徳を保有している意見がカルマ位相から出るケースがあるものだと解釈してみる文章を見た事がある


   
   






 

個人の記憶判断内の比重によるけれど、無意味無駄を齎す度合いが強いxxは-xyもだけれど-それだけ価値の低い存在と付随必然的になる.埴谷雄高から名状しがたい不快の言葉を覚えてそれに当てはまる不快窮まりない心情の表現に使っている.埴谷雄高も相当愚劣な事を味わっていたなはわかる.



         






 

行動主義に対してくだらないと思ったのも名状しがたいにより近づいた心情である.ゲーテの行動するバカは始末に悪いも少し絡まるように思えて


   
   






 

となると仰向けで見ていた雲ノ平の推定個の星の視野面には時間なく擬似空間のみで、距離感無いようなものと思いつく.サイズ差があるから空間距離はあるのだけれど一様面として見ることができて…もちろん光速度不変から潜在的時間差は充分にあるのだけれど


   
   





 

キロ先まで見渡せて目印が無いので遠近感がわからなくなるとは、フェルメールの透視図もまたロバチェフスキーの交点も現実の或る場所によっては意味がなくなるものと推定した.


   
   





 

時間に関して絶対空間に人々特に中間存在は依存しているけれど、絶対空間自体としての視点から見ると、時間自体になるのとそのような視点を量子視点を加味してできるはず若しくはアフィン空間的としても


   
   





 

どうも金閣寺の写真は趣味が違う.まるで義満の文字どおりをイメージさせる円錐台形式の比率が…


   
   





 

世界的にインパクトを与えた事象だからフランス人にとっては自慢の事だろうと推察するけれど、遅かれ早かれ絶対王政は変わる歴史時間の流れがあったと思う.国歌になった経緯は知らないが


   
   






 

万国の労働者諸君はロングテール的かなと浮かぶ.まあ万国のヘッドも結びつくかもはある.そんな思い付きの中で、日本の戦前現人神の時間は絶対王政的だったのではと浮かべると日本は仏革命より時間的に遅れていたかとなるとか思ったりして、鎖国時代の反動の体制のずれた相似形のまだの時間だったかと


   
   





 

三内丸山遺跡にしろパロールが無いと出来なかったと推定して、パロールの痕跡は何処かに無いのか…火焔土器から図を描くのもできたと思うのにそこから文字まで行かなかったのもやや納得できかねるけれど、証左は依然見つかってはいない.


   
   





 

権力の横暴とは言っても普通にあるミクロの四方山なんだけれど、受容したというかこんなxxのいるところはさっさと引き上げるに限るで、記憶にあるそのxxの言葉は全く頼りなくなんら暖簾に腕押しのようで、ほんと叙事的な横暴xxから意味を取り出すのは困難な浅さがある.明らかに死ぬまで進歩しないし



         






 

しつこく足を引っ張るだけの全くその存在を理解できない横暴なxxも記憶にあり、なんというか無意味な憤懣を発揮しても無駄だある事に気がつかない無知な自惚れ傲慢者で、やはりその先天的固有性は法の支配的に進歩しない事は明瞭な直感を育むので、荷物か…荷物とは今まで考えなかった退行者がいて


   
   






 

それにしても頭がなまくらになっていてシャキッとしない.頭を使ってはダメの昔のxx対峙時に浮かぶ言葉にもはやゆとりないのに従ってもしようがない.とにかく優越感を持ちたいために過少要求で多大な無駄をさせる存在が多くいるものだ.ジタバタ騒がず素直になればとは思うがなかなかのカルマ拘り者達で


   
   






 

森村桂の天国に番近い島は知っているけれども、なんとも微妙な南太平洋メラネシア空間の位置付けで、行くに行けずで、タヒチは考えたけれどカレドニアは思いつかなかった記憶がある.思いつけば行ったかもなのに思いつかせない存在では…卒業旅行やハネムーナーの島か.


   
   





 

個人的な見解では代が終わるともうおしまいで、なんとか我慢できるのが代までで、代になるともう他の年代と同じくらいの気分であったけれど、最近は何かもう開けてしまい余り区別しないな.無意識では区別しているかも


   
   





 

やはり縄文の遺伝子+旧石器の遺伝子が作用しているとしか


   
   






 

極夜のカ月は何故かと思えば咄嗟に小学生の時の漆黒の中からしばらくすると遠い高いところに小さな明るい円が見えあそこまで行かないとの心理状態を擬える.単純にはトンネルでもがいて向こう側の出口に出る意向の事で普通の事でもあると気付く.


   
   





 

嫌いな存在に無理して避ける為に忍耐していると、いつのまにか主体の内容を剽窃模倣されてしまう.嫌いな存在に真似されても不快でしょうか無いのだけれど、この状態は地獄的と記している文章を見た事がある.地獄的存在はしつこく常に苛立出せて記憶に絡まるものだ.いつまでも続くとは考えもしなかった


   
   





 

本末転倒もあるな、しかし唖然とするなそんな現象に出くわすと頭が麻痺してしまう、優越保持の為に思考低下要請をする存在はさほどの優越性を持ち得ていない図式がある


   
   





 

流れに従ってカサブランカのラストシーンを見たけれどボガードのイメージが違うな.次いで名作砂の器が登場、中身は忌まわしいけれど持って行き方はさすがの奥出雲の方言から…昭和年の映画だったのか.八つ墓村が流れて祟りじゃには吹き出してしまった.



         






 

生類憐みの令とバタイユの宗教の理論を思い出す.生類は詳しくは知らずバタイユはよく覚えていないけれど、動物論はややこじつけ的な記憶がある.


   
   





 

どうもデザインのこれはいいセンスだと思うものはあるけれど機能主義的なイメージが強く、デザイン経営からは余り説得力を感じない言葉で理解が足りないのかも.他に言葉は無いのかな.しかしMETIが大変革と述べるのなら、もう間違いなくラプスの時間は終わりで、かといってエンジンがかからない…


   
   





 

まあ昔に残された土地はもはや宇宙しか無いと短絡的に考えた事もあるので.今日宇宙への機運は高まっている…


   
   





 

ある宗教の勧誘者につかまって全くしつこく話をしだすものだ.既存宗教は一切邪魔意識を持っているので煩わしすぎる.また話しをするとかしつこいのはパワハラモラハラストーカーのようなものだな.信仰は死なないと治らないほどのものだが、他者依存だから自己思考と異なるので.そもそも無神論ではない.



         






 

八百万の神にはなんでもありとかあったけれど、別のところで貧乏神や疫病神もいると読み実際どうなのか.憑依神や依存神・甘え神や醜悪神とかその他不快神も多く存在してなんでも神になってしまいそうだけれど…貧乏神や甘え神などに憑依位相を感じるけれど、何か神も無理解誤解間が抜けた無駄をするな


   
   





 

考えてみると模倣した人間は模倣を嫌がっているトートロジーを歪めを嫌がっているところまで自然に模倣をする事になる自然がある筈と思いつく.その後どうなったかわからないけれど、模倣を嫌がっているそれ自体を模倣する事になるのではと、ちょっと実証データを知りたいものだ.引っ張った存在もいるが


   
   





 

どうも日常においてザリスキはザリスキであるとなるかな


   
   





 

宗教の信者に何か特別な思いをさせた場合、やはり信仰しているからだと思われるケースを想定して不快になる.非常に知らずに馬鹿げた思いをした事があり忘れない.一種の集団圧力共想うとまだイライラしているしつこいxxに勘違いされたようないつもの習慣事象によりて.折角落ち着ける難題を片付けたのに



         






 

直ぐに邪魔が入るなんとも不自由な存在がいて別に優越感など持つ権利はないのに、つまり他人の優越感を無視している事に気がつかないか無謀にも蹂躙する事に当然くらいに想う点がどうにも不快で.そんな存在がいるのに被害者思想ではなんともとは思う次第.まあ道徳感は無いモラハラタイプなんだが


   
   






 

相変わらず対処困難なのに接線スレスレの境界事象に遭遇しすぎというか外に出かけると日に一度はあるのに些かうんざり気味なんだけれど、なぜか生じてしまう.もう境界域は止めにすべきな体力情況ではあるな.複雑系もあるけれどある不快な作家とは異なってのなんらかの示唆はありなような…


   
   






 

雪を食べると深部体温が下がり熱量を必要とする⁈-ディスカバリー北極圏より.ある時の正月空きっ腹にガレ沢を急いで下り雪ばかり食べていて、今は無き小屋に着いて仰向けに休憩したら部屋が回っている不思議な現象に遭遇した.めまいを知った時.雪のせいでは無く急いでガレ沢を下ったからなんだけれど


   
   





 

そういえば利用されているなと感じた事があり、親切心で忍耐をすると他者を利用したがる志向者には御誂え向き存在に映っているようであると推定した.こちらはそんな存在はモラル的に価値がなくどうでもいい係りを持ちたく無い存在と思っているだけなのに、悪あがきをするのかしつこいものである.


   
   





 

深い思想は道徳や正義を嫌うものと述べる存在から非常識を受けた事があり、非常識理不尽などは深い考えになるというイライラし過ぎて、どうにも無茶苦茶では無いかと思っているが、どうにもよく分からない.実際はその人物は正義や道徳を知らないのでは無いかとも思う.或いは剥き出しをして配慮が無い?


   
   





 

HPを知る、その要素はあるな.しかし日常で悩んでいるのは何かが間違っているという感覚もある.間主観性で価値のない他者と思っている・どうでもいい他者と思っていると、その他者が逆に価値のない自己を投射してどうでもいい存在と認識してくる馬鹿馬鹿しすぎる間の抜けた他者を見る間主観性の不快さ



         






 

特にxx.この女は別そこにいるだけやさほど魅力が無いとか思った時に、自己を棚上げして、だめとか挫けとか言って来て、そこにいるだけな存在は関心的にダメで、さほど魅力がないから中途半端で切り上げているのに主体を無視して、図々しい所作をするので卑劣や卑怯なxx達と思う存在が多いのは…


   
   






 

恋人でもないのに煩わしい主体無視する存在や他者の妻である存在はどうでもいいに決まっている.仮に人妻を気にしても相手の男が非常にうるさい筈で煩わしさを十分予感させる為に距離を置くのは当然だけれど、押し売り的に干渉してくる人妻も多いかな.一応そんな存在は邪魔でしかない.


   
   





 

アンビバレンツ、アンビバレンス.アンビバレント視点を時間の過去未来に対して持つ矛盾を見る方法意識の複眼的文章を見た.なるほど分かりやすい文章で、体力も関係しているかなであの頃の設定であるアンビバレンツ視点を最近はほとんど意図しない・出来ない形となっている…又はシーケンス的に思考かな


   
   





 

均衡が平衡かとにかくそんな視点はあるとした中学生の時



         






 

ミネルバのフクロウが黄昏に飛び立つのは、現実的な事象を説明するのに時間がかかり、既に現実を説明可能な時には現実は他の側面を見せているとの意図説明らしいのだけれど、現実の帰納事象が纏まる時は帰納の結果であるはずなのに、ヘーゲルの絶対知は帰納結果より演繹の想定視点を示していると見える


   
   





 

アンビバレンツを見る視点にプラトンのイデアがあるとは…


   
   





 

塾考を要する問題・塾考しても解けない問題が世にはあり、脳幹が太いと塾考以前の問題に対処するだけに傾くような気がするのだけれど.なんだか閉鎖優越感に良く遭遇して過少要求のリアルさを味わい股くぐりを要求される位相に多く遭遇するけれど、意味が価値がないなと思い主張を取ると反発反感が来る


   
   





 

反証可能性は帰納の未決定性に繋がる


   
   





 

カントの物自体はプラトンのイデアと同意義的なものか.物自体の文字から観念より現象的に捉えて現象の背後のもの的に考えていた.カントの動向ならば確かにプラトン的要素は高い.この位相はニイチェのディオアポで明暗であり陰陽的でもある.陰陽はアンビバレンツで大虚はそれを見る視点ともなる


   
   





 

常識を平均値であると仮想して、常識未満の存在は非常識存在で常識を志向する傾向があり、常識以上の存在もまた非常識的であり、常識は足を引っ張る不快なものになりがちとなる.常識未満からは常識以上の存在は信じ難い現象でありまず想定外となろう.常識以上から常識未満は地獄のようなものと考える



         






 

この考えを図式で表すとあるギリシャ文字で表現できるとした日があった.ただゼロ文字の回転を想起した夏の河原の小さな砂場もある…その文字の大文字の記号にまたある定理も当てはめて


   
   






 

経営デザインとしての鉄分要素が何になるか思いつかないけれど、宇宙は複雑系であるはずと以前から地球の正規分布性は特殊と読んでいて、大変革は宇宙同調性的と想定できるので、鉄が多い宇宙からキーになる可能性を想う.


   
   






 

絶対空間への依存は自由より無責任では無いのか.絶対空間的ミルグラムとか考えてみる


   
   





 

カントの定言は正義や道徳的と思うけれど、仮言はカルマ的と考えるとやはり理不尽者非常識はカルマ的で定言を知らないのではないかと思ってしまう.定言をカルマとして考えるのは意味合いが違ってしまう定言なんだけれど


   
   





 

ヒステリーを起こすxxは所詮は非芸術品で自由の障害を行うのが当たり前な自然と思っているものである.思うようにならないで癇癪を起こすか最初から癇癪を起こす自らを下らないxxと思えない意味なき傲慢な存在がまた数的には多いのは有限生理を基準にしているからだけれど.発作の可能性は躊躇いを生じる


   
   





 

科学的に説明のつかない超常現象に取り憑かれている若しくは自らがそうなるのも可能だと妄想を生きがいにする信仰者は科学のモルモットになるか.科学自体謎を抱えているので過負荷にはなるかな…帰納は未決定ならば帰納はいつまでもトンネル中とも言える.


   
   





 

お世話になったある開業医で媒体的な事を昔考えて、媒介カタリストがふさわしい事に思い当たる.浄化も考えた筈で、その時に何故か鉄分が必要重要だと思った.その後貧血には鉄分が不足していると何かで読んだけれど、意味合いは違う気がしている.ここでデザイン経営のキーに鉄分としたい誘惑があるが…


   
   





 

主客転倒なる言葉があったけれどそれであるな.窮屈な転倒者たちで自由を歪めるのをなんとも思わない傲慢者であると同時に間の抜けた存在でもあるとは思う.実際現実はまたも逆転者の図々しい存在の出現かでいつまで続く辟易うんざりさか.本末転倒は別線


   
   






 

だいたい不快な存在に要求するのは個人的に不満だからで、不満な存在が不満者の模倣をして不満者に自己投射するという形ばかりを受けているのは、理不尽でしかない形で、そのような世界は一体なんなんだでしかない.そこには欺瞞があり不自然なのだけれど、不快な存在達は気がついていないのかな?



         






 

その頃或る文庫本を読んだ後論理的思考はそのようになるが感情が無い点が気になる想いをしたな


   
   





 

対他を変えようと要求した内的思考をその対象者から要求していると思われるのは全く心外でこれが問題の種なんだけれど、何故そうなるのか…非常に傲慢に見える対象者だけれど、少し考えればそんな要求をする事など考えられないはずで、短絡したか無自覚の自己無知存在であるようである.



         






 

行動する◯◯ほど始末にわるいものはないと述べた人がいたらしいが、自惚れた◯◯ほど始末に悪いものはないと置き換えたりして見たりする


   
   






 

スキナーの名前を知らなかったけれど、昔に行動主義の名称を見た途端に名状しがたい愚劣感を覚えた事があるのを思い出して、AIが如何にその答えを出したのかわからないという話を思い出した.最近はそんな話も聞かなくなったのは解明したのかな?.



         






 

その頃思惟の法則があれば悩まなくても住むのにと冗談で思った事はある.但しそうなれば誠につまらない生存過程になるとも思ったけれど.他人達の発語がわからなくて悩むのは思惟の法則的思考か脊髄反射思考か他人の模倣思考か


   
   






 

しかし年になって、政治的な区別判断アロー的な事を考えていた時に、志向性の言葉を思い浮かべ現象学思考が発生した.その以前にする必要のないエポケーなど冗談でトライしたら現象学の混沌・その根源的と思う所に剥き出し的に移行して、頭おかしくなるというまたしても冗談が束縛という始末に


   
   
 





 

逆とか模倣とか主体の歪めとか無知ゆえの才能なさゆえの非認識性能力もあるかも知らないけれど、ともかく当人はそういう事をするなと思っているのにそうする事は当人を無視していることになり、無視されている方からは何にもなしようがない.なぜなら何か反応し"後悔しないとね"と言ったxxがいた.意味がわからない、後悔するようなxxは嫌で無視したい存在だけれど…好みの女性が嫌な事を述べる嫌なxxが誤解をして接近するいずれも嫌なものだ.


   
   






 

マキャベリストにとって情況を決定するのは現実であるはずである.現実が情況を決定するとなると情況も現実であるので、現実が現実を決定するとなる.



         






 

男の主体をダメにして快感を得る--とにかくゲーテ曰く悪魔は諦めろと囁くから、主体をダメにしたがるのは諦めの誘いに繋がり悪魔のようなものだと言える.実際悪魔のようにしつこいxxと思った存在がいた.石女かと思える教条感xxに呪われているかも、他者xyがxxがこのxxと無謀にも誤解勘違いをして


   
   





 

最大値の原理--歴史事実からは横のn-は縦であると見れるけれど.但し法の支配が成立していないとして、法の支配が成立すれば未然形がn-になる.横つまりモラルに対して権力志向が啓蒙をするのはおかしいのであるが、そうしたがる縦型は矛盾している.この辺に詭弁や陰謀とか出てくると考える



         






 

あと科学の帰納は未然を予定しているので、そこから疑似科学として詭弁や陰謀的な偽満性も登場するかな…


   
   






 

不条理を盲信ではなく合理的に考えた人物はいないと解釈すると関係は論理的に合理的超不条理の事になる.単に無神論からくる超不条理を不条理を超えた理性を関係としたのだろう.そこでは盲信は欺瞞か偽満か虚偽かに思われるだろうと推定できる.



         






 

条作成時のエピソードの死中に活は法の支配に依存するを予定するに期待するの意味合いと解釈した.まさかの法の支配を念頭にとは考えなかったな.しかし今までの歴史の流れからは権力の装置に向かってしまう.墨家の消滅やバチカンの成立とかの例のように.



         






 

政府無き経済無き世界は理想的な法の支配的と思えるけれど、それには世界の人々は全て聖人であるが悟った人間のみで無いと成立しないだろう.


   
   






 

諸行無常の消極的自由が通底しているのに積極的自由に日々直面しなければならないの事態か.あるエピソードの社会では決断の連続であるは行動論的か現象学的な実証だけの意見のようでもある.


   
   





 

空間が曲がるのなら時間も曲がる.空間が曲がるのはわかるけれど、時間が曲がるは盲点だった.時間重力か時間ダークもある事になりそうだ.


   
   





 

RNAはNAより先にできた?.利己的な遺伝子は遺伝子は利己的に束縛されるされていると見えるという事?.もし心身症が確実ならミームはあり得る可能性があるが、子は親を裏切る超克して進んでいく姿勢のケースは遺伝子にプログラムされている?、そうではなく子は親と協調する場合のプログラムは?


   
   





 

思考外にあった散逸構造論と利己的な遺伝子が視野に入ってきたなはいつだったかな.以前であるけれど昔ではないな、利己的と散逸性の関係はどうなのかなぁ.利己的な遺伝子はエントロピー因子とか


   
   





 

神の決定則はエントロピーと考えてしまう.決定の先にあるものはエントロピー変化性になる.利己的な遺伝子も自然淘汰もエントロピー変化に即しているはずになる.ダークマターはエントロピーを保証する可能性があるかとか色々アイデア出してみる.


   
   





 

仮想アイデアは経験則か科学的証明を必要とするけれど、詭弁意識者には科学的証明は不快なものとなりそう.詭弁や虚偽等論理不当は盲信への可能性または盲信の保証に支えられている盲信の劣化因子ではないか.わかりずらい反証可能性は例えば盲信に対しての位相なのか、また反証は何処から、弁証法故に?



         






 

狂信は思想に関与しているな


   
   






 

表参道のシャネルに行って例の所に行く予定の店は東急プラザだった.何かエントランスのTVシーンを見て行って見ようと思って.スターバックスは客が一杯だったけれど、川越は特別で別にスターバックスに行こうとは思わないな.木造風な階差テラスにかかっていた曲が酔えるトロピカル幻想感覚で良かった


   
   





 

いざ記憶を辿ろうとすると何とも不快に思い出せない心情になる.どこか愚かな但し自然だからのxxにより乱れているかも.しかしその自然はこちらには別に自然ではなくこちらの自然を乱すことが多いので、こちらの自然を認めずまるで権力の横暴のようなxxの自然生理意識に多く遭遇し過ぎている



         






 

特に叙事的xx達はその固有性が権力思考なのでもう処置無しは前提になっているが、にもかかわらず押し売りの記憶が悩ます.その心理は未発達であるとまた一生足りない可能性高いと思っていてである.


   
   






 

叙事的又はA的優位なxxは今では一杯いる事を思っている.このような存在にとっては母性がわからないという表現を見た事を考えるとそれはあると見るのは単純自然な直感である.全くxxは全てG期存在と思っていた昔から不快な存在が登場してきて、そう今では観察してA期性優位が多いのはわかっている.


   
   





 

次元を手に負えないと考えた昔を良く思い出してみると、領域があってそこの片側というか次元の底に当たるまで体積を剥ぎ取るたか考えたはずで、その領域の次元である現実のこちら側は残したままにだったな.剥ぎ取るのとポテンシャルのリダクション操作は似た形のような



         






 

そもそも次元などとは大仰なと思い馬鹿げた考えだとその導出方法を知らぬままに思って…今次元が虚数に消える形を取っているとしり、それならなんとなく次元もあるかなとは思った.



         






 

帰り道の崖の崩れの地層色の変化部分から、層状を人間に当てはめた小学生の時から、ネットの階層を何となく想定気味だったけれど、これも今物理サイズの階層考えを知り、そんな事は当然に考えていたのに全体が見えずこちらの物理からを層状組織に当てはめるのが趣味に合うとすると


   
   






 

昔黒い場の中により黒い場がありその中に水平的に天の川的写真に似た形の領域の線を浮かべた裏の家の階.これはかなり確実に言えるシビアな映像と思ったのにこの意味は何かいまだにわからない.インスタントンではないかとした無明の時でもそれと違いアクシオンの凝集でもなさそうな凝集だけれど


   
   





 

A期を尊重するためには位相をO期付近に持っていかないとならず、G期をO期に実際に冗談的に内的声に沿って行う羽目になった実際は過去xxと認識していたけれど気がつかなかったxxでするはめになり、理不尽な蒸し返しか再度の人生=生存過程を送るとかありえない現実遊びに直面している記憶はある.



         






 

これの正当な解決方法はA期xxがG期に進む事を促進する事であるけれど、一生G期に進めない不可能な存在の現実感が確定的にある.それでそんな存在を生まない事と言ってしまうのである.G→O
は不快な無駄で不自由な屈辱感もある故に.



         






 

甘えからそんなOとしての演技をするケースのあるxyがいる話は事実だろうとは思うけれど、昔はxxが科学は子供なのよと聞いた話なのに帰納的性xxの多さは何とするか


   
   






 

とにかく叙事的存在は蒸し返しを行使してきて知力を劣化させる存在が出てくる.端的には叙事的存在はそもそも単細胞的に見え現行ロボット的に見えるので、そんな時存在に取り憑かれると頭は麻痺して考えられなくなる経験多いことからそう思う.



         






 

反知性主義とか愚民とか何となくわかるけれと、歴史的には権力が-その多くはA期が誘う-幅を利かすようになるのはG期のマイナス次元の位相であるA期は最大値の原理に従っている故かなとしか今のところ考えられない.


   
   






 

地平線のドーリアを思い出し、ドーリアというと女性の名前の響きがしてロマンがあるなと思っていたけれど、ギリシャ旋法ではなくきようかいせんぼうから取ったようである.古代ギリシャ人やジェノバの貴族名や料理の名前などが登場.旋法に関しての知識知らずわからないけれど、ムードがなくなって来た


   
   





 

ミルナーで地平線というか水平線というかエビラの接続的かなを考えて結構いいかなから地平線のドーリアを思い出したのだけれど、ミルナーからの地平はまだ早計かも知れない.まあまあはあるかな…ノヴェンバーステップスは感性が他者だったように聴いた記憶がある.汚れた濁った神聖メロディーだったので


   
   





 

自滅者の押し売りの犠牲になっている感がある間主観性の面白くなさ.自分を気にしないとまずい事になるのに、逆を当然の如くに行うxx達はそれを許可していないのに自然とかいう暴力的な所作を行うけれど、こちら側には不自然な事であるの認識がないという不快さがあるのである.


   
   





 

日本がおかしい?、別におかしくはないだろう.それは正規分布的思考者達が立ちいかなくなるだけの状況の境界時間に日本が位置している話なのである.正規分布思考は当たり前で専らではなくそれの比重が下がっている複雑系化の時代という事であるだろうに.個人的には昔からそうで漸くそうなったかである


   
   





 

去年の大晦日近くに遂に貨幣の存在理由的なものを考えついて、数多ある経済理論にいずれぼちぼちと適用して見ようと思っている.


   
   





 

昔にもう混沌を想起するのは嫌だとは思った事はあるとは言うものの、マイナス整数域は混沌的とグリーン式のように無限遠で収束するとは繰り込み式に有用な平行線の交わり関連となるけれど、無限遠カオスも想定していて


   
   






 

カオス哲学はハイデッガーの原点の先と同じかな、原点の脱構築かも.ハイデッガーの未完の箇所の構想を知らないのと頭が動かず判断できない.万骨が枯れるようにカオスから判断の数多で真理に到達するのは正規分布的にはいいとして、この混沌自体を複雑系として展開するとしか対象を想定でき得ず



         






 

理解不明なわからぬはずはないものと思える対象はどうやら独断断定または偏見閉鎖に気がつかないか誘う世界の狭さを強調している可能性が高い.勿論明瞭に解けない問題は明瞭に過去とならない将来にある.


   
   






 

高名な人物が死去したそうだけれど、最近学問に関して文献が無いと太刀打ちできない様相らしいので、古代史とはいえそれも文献にタッチ可能なところまでだろうと.ただ視点のユニークさとかはそれでも持てるか.アニミズムも当然文献史料の時間からでしかない筈で、考古者はともかく縄文論を知らない


   
   






 

もう覚えていないACだけれど、先程"ブラックスワンを発見した"のツイート部分を見て発見とは違うのでは無いか、単に複雑系または非線形現象の事と思っていてので、別に発見では無く壮大な詐欺のベルカーブ=正規分布というやや極端を申したのでタレブはACを避けてのでは無いか.



         






 

単に非線形ならブラックスワンはそこにあると思うので.ちなみに正規分布は当たり前過ぎてと昔から思っていて、もうその思惟形式がなんだかわからななくなっているけれど.


   
   






 

京都の街での乱舞シーンのひとつひとつのひとつで正規分布思考を内蔵している形かも知れない."正規分布は地球に特有現象で宇宙はそうでは無い"とした文章に昔に接して良く記憶している.ブラックスワンはこの宇宙はそうではないの中に入る現象と捉えているので別にタレブの発見ではないだろう.



         






 

"ブラックスワンは科学哲学に衝撃を与えた"なる文章に接したけれど、そうなのか.科学に哲学とは考え難いけれど、そんな科学哲学はくだらないと視点を持つ事ができるな…



         






 

中学生の時にrtyのthの発音で苦い不快な思い出があり、最近ネイティブでも発音は難しいらしくthはそのうちに廃れる可能性があるとか知る


   
   





 

無風の厚い曇り空に太陽が鈍く透過してのこの温かみに包まれた冬の太陽が好みで、論理哲学論考が冬の太陽と言われるけれどこのイメージの冬の太陽とは異なるかな.そもそもTLPな冬の太陽のイメージは別段ない.


   
   





 

それにしても逆というかもはや既に模倣するしか能が無い無知存在に間主観性を使われて逆認識されると乗っ取り的で、そんな存在の逆になっても無知である存在の押し売りを受けるという馬鹿げた現象に付き合う形で、こんな存在達を排除しようにもバイタリティありしつこく無知を行うので疲れるものだ.



         






 

xx一般は乗っ取り的存在に見えないこともなく、また主体の阻害疎外を強要する馬鹿げた存在が登場かと無駄をまたしないと思う事に辟易はしている.畢竟xx一般は無自覚な卑劣性を行使する事に気がつかないかな.


   
   






 

嫌悪存在生理体質者に押し売りを受けてつまらない主体疎外を今も要らぬというのにしつこく受けている.宿命が嫌いなのにそんな宿命的権力志向存在などどうにもならん叙事的縦型人間で、無機的で味気ない思考しかできずのつまらんマンネリを当人達は無知故に自覚しないかしてもその劣性から欺瞞をしがち



         






 

またはそのタナトス志向を他者に押し付ける圧迫か、自らの資質に気がつかないか誤魔化しているか.元々そんな資質なら自ら別に自己責任を取ればとは思うと考えれば良いのか


   
   






 

創世記章節からヒント得てそうするとそうなるとかくかくしかじかと考えること思いついた事ありて


   
   





 

eloquenでtiaはつかないな.どこで間違えたかnemoはいいとしてparでは意味がつながらずその時何を考えていたのかわからなくなる.inSBulaは良いとしてpulcher etだったのかな.概観として美しい島国を表すのにで、瑞穂ばかりではなく自然の山々も入れて何だけれど、それで豊葦原は妥協的な気分だったかな


   
   






 

"誤差作用素と保存量の間の不確定性関係から一般測定相互作用の誤差の下限が得られることを示した."プローブの存在を考えずに想像しただけなのと、不確定性は全く考えずのつのものの区別に悩みどうしてもうまくいかないとしたまま…下限とは確かに不確定ならばはあるなそれと保存則か


   
   





 

彼女たちに遭遇したのは偶然が必然的な事態で奇跡的なんだけれど、だがしかし…この解析根拠を納得できるように説明する機会が訪れるかどうか



         






 

実存は本質に先立つ-世界が先にあると矛盾に対して孤独の自己思索は実存かなとも思えるけれど、本質から見ると実存は地獄的な混沌に見える蒸し返し的なもの.ではその本質はどうなのかとなると秘匿にあるが記憶にあらず.構造主義とか歴史の話中で本題への前提条件なのか


   
   





 

"今と言った時今はない"名言だなと思ったのはポスト構造なのか.差延か人々は差分的だからなと簡易な直感の頃は脱的な位相も持っていた.経験上幽霊の概念は時間的差異にあると認識してあるから、霊がそこにあるにも結びつきそうなんだけれど.


   
   





 

ローカルの重なりがあって良いは多世界的解釈になる.全体を見渡しても神の視点を持つことはできないはハイデッガーの現存在地平線に戻ると同様なので、解釈の視点として新実在なのか.ハイデッガーの原点を昔に設けたはいいけれど何十年経っても何にもアイデアが浮かばずただモデル対象を考えた事はある


   
   





 

昔はエビデンスとマニフェストのどちらを取って明白の意味合いとするか迷った事がある.語感からマニフェストにしたのだったかまたは使い分けの意識だったようなで、最近エビデンスの言葉を見て現実に使われているのかと、マニフェストも政党の公約で使われているけれど.意味上からエビデントにしたかな


   
   





 

社会が根拠無き共同幻想と見るならば冗談や虚偽無理解誤解が現実とはなり得るな.実際にはそうなって困っている.鏡像段階の自己おざなりの互いの反映ばかり社会でもそうなるので誠につまらないものだ.



         






 

幽霊は死者に関係しているように人々は見るけれど、過去の死者から見ればその後の現実に生きている存在は幽霊のように見えるだろう.


   
   





 

皇帝教信者を考えれるケースにおいて複数の皇帝存在からシステム的とすると、宗教の教祖もひとりのみのあるべき皇帝教の皇帝位相になっている敷衍を浮かべてみる


   
   





 

"自然的存在ばかりではなく人間的存在である"の場合叙情感を想定できるのだけれど、唯物と言い出すとどう見ても唯物は無機的で自然的存在ではあるが、非人間的存在と思えてくる.


   
   





 

阿弥陀は解脱を助けるもので六道の誰でも可能とするとまた個的六道を除去できるものの位置あるもので、実在性はとは思う.そう思えば宗教一般は非実在性があるけれど翻ってそれも人が考えた事なのである.



         






 

仏教の無始無終は諸行無常より強いな.諸行無常はバンのみに生きる欲望の生理感覚から見た視点の要素強いように見える.虚無は物理視点から見た場合かな


   
   






 

多様性が分離公理的にあると不愉快さはほぼ無くなるのではとは思うけれど.しかし好み存在が分離的ではあまり面白い事ではないな、普通分離的にはならないか.しかし嫌悪存在が分離的にならずの多様感はどうにも無駄ばかりで意味を無くすような形になりアドラーの自己満足感を阻害してくるので頂けない


   
   





 

叙事的存在と権威者のひとつの側面と権力志向者と権力者存在には、自己の叙情感が無いために、叙情他者達の叙情感を考慮する事ができず無視する見解しか持っていないとおおよそは考えることができる.で叙情者は不愉快な理不尽で憤慨する事になる


   
   





 

バッハは線描のフェルミ的かなと思いつき、ノヴェンバーステップスもフェルミ的な画像曲線イメージがある.揺らぐフェルミ線複数はレイノルズを超えると現れる山荘のもみの木の詩的木立の趣にて思う兜町勤めの女性達と会った夏の日の独りの部屋


   
   





 

最近話に聞く引きこもりの若者も良く引きこもっていられるなと思うような次第で、その心理解析困難.集団圧力は引きこもり要素の一つにもなるような気もする、むしろ第原因かもと思いついたけれど


   
   






 

シーケンス連続の切断もしくは離散の繰り返しに矛盾が入る空間時間性がある


   
   





 

マルクスは論理的には整合性があるかなと思っていたけれど、色気がないと思ったので多少齟齬のある関係がありそうになった昔の事がある.色気というか感情というか倫理であるという事か


   
   





 

まああるがままは塞翁が馬よりエントロピーに乗った森羅万象気分だろうけれど、ここで胡蝶夢を描くとボートを漕ぐので、捉え方に差異を設けないとは想う.


   
   





 

ともかくある人物昔に述べた事に対して他の意味がある事を知らず.知ってから暫くして漸くその述べた事に対しての応用ができたので、問題となっている社会現象が緩和傾向になる筈とは確信している.その点での他者を変えよう意識はあるけれど、個的他者への心理は保留だった…


   
   





 

他人の心理を操ると思える心理学を認めたくはないとした昔の意図が、他者の模倣による無理解な逆による主体歪めを不快に思うのと他者は操りたくないと思う心性の逆を弁証法対立的に面白がって快感としてしたかったのかもしたがるのかも知れないので、これは他者の心理を操らざるを得ないか……


   
   





 

過剰な無意味を擁護した事・その時になぜ過剰な曲解無理解をするのかわからなかった事また対象が愚かしい存在で主体を歪める歪めたがるとは信じられなかった事や他がある.周囲すべてのxx&xyがそうで多大な無理解圧力に囲まれている感覚があり主体の諦めを要請しているきらいがある.



         






 

何故自己偽造して他者の主体を横取りのような所為をして気づかないのかまたは意図的なのかまたは矜持がないのかまたはその矜持自体偏見を持っているのか、こちらが模倣しているたか述べたxxや曲解した無茶苦茶xxはいつのまにか消えたな.自己把握は他者を歪める事によっては成立しないのでは?



         






 

なんらかの権威権力意識の征服意識で無駄に劣化を要求したする恥知らずまたはみっともない恥さらし達のように見えるけれど.往生際の悪いくだらない価値引き出しのできない才能存在達の逆が自己だと思う不自然な反自然は自然が認めない筈なんだけれど、それに気づかないまま消えた人物もいるかな…


   
   






 

バブみとはさっぱりわからぬ.なんとそういう意味か、やり手の中年男がバブみオギャるをしたがるという話は聞いたことがあるその情態はオーラルなんだけれど、A期である存在に謙虚な態度を示すまたは横暴な権力圧力パワーでO期などをせねばの形を受けるのは理不尽以外のなにものでもなく



         






 

やはりA期の生理質を変えるべきかA期までしか行けない一生者も疲れて話もできかねるのでかなり困難なことだけれど発生に問題意識を考える.思いつくのはライ麦の崖物語もまたやや理不尽なのを考えつく.それに続いて越後の僧侶も浮かぶ/


   
   






 

実質を意図してくるだけれど、それは君の意見ではなく私の内部実質なんだけれどと言わなくても当たり前すぎると思ってそのままだと勘違いされたままになる.異様に変な人々がいるものだ.私とは他人ではないである.特にわけのわからん感性生理のタナトスフェルミ型の自己勘違い押し売りには閉口する



         






 

錬金術を否定しきれないと思った小学生の時を思えばユングは意味があるかな."空想的想像力ではなく真の想像力によって"の文言はそうであるとは思っている.


   
   





 

ところがそう限定志向を行う存在達の内実にはろくなものがないという不公平さがあるのが不快になるのだった.とにかく潜在化の可能性を評価しようにも無意味な不利益ばかり考えさせるxxやxyに遭遇した結果が今に不快ツイートとなっている


   
   






 

⁈単にミルグラムではなく積極的ミルグラムとかもあるのかなと考えさせるフラクタル感時間も加担してパーコレーションを想定したかな


   
   





 

ミネルバの梟に邪魔になる帰納の現実だけれど、出した結論は暫定的なものでまさに未決定の無責任さを示しているかのよう.しかしミネルバの梟性も個々人を考慮すれば個人差はあり中間存在梟の場合もあるので中途半端な未決定性未完成を持ち、切羽詰まると暴言を発揮せざるを得なくなるという経験がある


   
   





 

朝長振一郎の超多時間はどんなのかが必要になりパスしてきたけれど…教育大の朝長振一郎のイメージがあり、今し写真を見て頭いい人相をしていると思った.作用が光速以上で伝わらないはハッとや無限小まで行かないのではないかから接続示唆はあるけれど、ランダウの批判重力場はどうなっているのかな



         






 

塞翁が馬は具体的実践で諸行無常は帰納の未決定性をマスターしたものと解釈できるのだけれど、元の仏教の色即是空空即是色や輪廻転生と『万物は流転するはある意味において』とした時の何を考えたのか分からん昔があり、結びつけようにも頭動かずのその辺.



         






 

拗らせると言えば共同幻想論を傍に抱えて現れた女子大生にも参ってしまう記憶がある.連関したあるしつこいどうでもいいxxの意図外れの他者対自を即自と思い込んだような意味なき発言も意味なきに気がつかずまるで悪魔のようにしつこいと思えばそうなりて、拗れた女子大生の記憶も今では悪魔的かなと


   
   





 

それにしてもその発語発言は意味がないという事に気がつかない不快な存在が多いもので.無駄を構築している蒸し返しに過ぎない事に気がつかないか、過剰に疲弊を齎す非建設的な意味無い人にとっては明らかに損失でしかない非建設的要請を投射してきたかのような愚劣な不快達としか言いようがない気分


   
   






 

代々木体育館と言えばなんだかその近くでmリレーの遠望を、代々木ではなく東京体育館だったようで、代々木体育館は知らない.それより、東京カテドラル関口教会は昔何回も散歩に出かけて、パイプオルガンの練習中をひとりで聞いたりしていた丹下健三設計か、デザインセンスは全く見当つかずだった.


   
   





 

生け花・盆栽・庭園と流れる繋がるけれど、盆栽・庭園でこれはと思うもののはないかな.生け花もいいなと思うはあるけれど、儚美の瞬間的が念頭にありそれだけのものとなってしまう.ただし植物の有機継続となるとまた違うけれど.プラントハンター感もあり崑崙のメドゥーサもカシミールの花も見たいが


   
   





 

"花のある有能で美しい女性"の表現は職場では気持ち悪い表現なのか⁈.自然にそう思う心性を不自然に歪める必要はないと思うけれど、気持ち悪いものは気持ち悪く苦痛な忍耐を強制されても疲れてしょうがない思いはあるので、恐らく欲望視点からポリコレ感覚何だろうなと推定する.


   
         






 

何しろ民法規定のxxとxyはひとりだけで、なぜそのひとりを選別選定できたのかとは思う美を美と見せず気待ち悪いものを気持ち悪いと見せない方向の人たちにとっては区別しているのだけれど-もう少し強いと差別で選ぶ事が出来ないことになるのだが.


   
   






 

なぜそんな存在がいるんだで前提になく、またハイネなど読める生理特質のxxではなく誠にエロイカも奏でられないタナトス的存在では無機体が消えるまで通底するだけで無機物が待っているだけのつまらなさすぎる楽しさのない存在でもある



         






 

深淵もまた余帰納を覗く


   
   





 

中学生の時に書物の感想文を描くという命題を聞いて、感想文を書くとは何のことかとても書けそうにないと思ったけれど、随筆的になら書けそうだとは思ったな.今ツイートで感想的な表現が多いなと以前をチェックしながら、しかし離散的随筆の方があっているなとも想う.


   
   





 

人の究極知はまだ不明でAIが勝つようだと判明するか?.またソビエトなど現実が国家&経済無き社会を追いかけた形の歴史があるのだけれど


   
   






 

ヘーゲルの梟だけれど、絶対知は究極知極限知とするとミネルバの梟は過去に飛び立っている.またマルクスの経済&国家無きも梟は過去に飛び立っている.多く理想は現実より先に立つので、現実を捉えた時に既に現実は先に進んでいるのは序文には当てはまるけれど、絶対知には当てはまらないと考えてみた



         






 

覆水時間生理に返らず-濃密な苦悩時間も生理時間経過には返らずが実感だろう.


   
   





 

まずかったかないややはりまずかったようなだけれど気がついたのでその点はかなりまたは非常に?良かったけれどその間のこぼれた時間自体は元には戻らない不可逆性がある.心理的に経過時間の苦悩苦労は一挙に報われたはあるけれど、物理時間自体は冷酷に経過している生理感はあるのである.


   
   






 

ある時ある人物に猿の腰掛けと述べたことがある.最近に猿の腰掛けの幾何図を見たことがあり、少し意味合いが一方的だったかも知れないと気がついた事には意味があるはずだ.



         






 

哲学的支配の知性のよるものの他に宗教的支配というものもある事になる.


   
   






 

不老不死の薬を求めたとされる皇帝は有限の生理体継続に逆らった意識を持っていたことになる.あと宗教の創始者の教義も有限生理体継続的ではなくほぼ不変的性である.伝統もややその傾向はあるな.これらは個人の生理有限継続時間を無視した時間設定的なもので、そんな個人時間一般が無いと成立しないが



         






 

遺伝子操作による双子の話もここに絡んで来そうな


   
   






 

宇宙の摂理、人間の有機営み最も有機物一般はそうだけれど、有限の生理を繰り返していくことに対して何ら考えない人は甲斐性を持って子を鎹にしている.それが当然自然の周りも世界もそうで義務的だから何ら迷うことは無いと判断しているかのように.まあ考えてもそうする人もいるか…



         






 

まさか関係は脊髄反射の事では無いだろうな.脊髄反射が情況を決定する事は多いにあり得るし、矛盾が解けなくてヤケクソで脊髄反射に任せると思った可能性も最大値の原理を海馬に与えるとするとn-的にあるな.てんやわんやならありそうな可能性は高いが


   
   





 

やはり宗教の問責など脊髄反射には感じられず痛くもかゆくもないのではないか.確かに人はそこに存在しているだけで脊髄反射を持ってはいて、捨てる時間にはなっていないかな.それにしてもまさかとは思うけれど、理屈は成立する脊髄反射位相.思考しないことは考えられないのでほんと信じ難いけれど…



         






 

twistやperverseとかだけれど、他自覚はagainstやcontrary natureで倒錯弁証法とも.しかし世の中には不自然を自然と認知している存在もいて、自然を不自然と思い込む変な経験があるな.非常に不愉快な存在でもあるが.観念を生理的にperverseとして生理的認識してしまう変なのもいて、誠に厄介ではある.


   
   





 

ある昔のxに『時流に乗った気楽な遊旅行』の表現をしてあったのを思い出した.意図はなんだったか思い出せない今だけれど、そのxによる判断を一応はしている.なんだか見知らぬ他者もしているようなことがあり、少し注意をしているけれど.人々はそのxの内容を知らない知るはずないのに……


   
   






 

積極的自由でなんらかの制約倫理に基づく目的意識がある場合には、罪とか反省とか他者を無視または利用の形を持つかな.普通には消極的自由を思想識者達は優位に持つものなんだけれど.例えば叙事的思考者は積極的自由存在傾向明らかで、反省など無し若さもいいけれど、それ自体存在価値的には低い観点が


   
   





 

ムンクの叫びである作家の幼少の頃だったかな、黒雲が湧いてきての文章を見た事を思い出した.虚無の絶望感明瞭と思うけれど、ムンクのばあいは神経質的な実存の影だろうなので虚無手前かな.確かに背景に黒影があるのをいつの頃か知ったか記憶に無いけれど.その作家に同調しても意味はなく疲れるだけで


   
   





 

ロックに革命許容があったのは知らなかった.市民的不服従は非暴力ではある.抵抗権が自然ならば不快な記憶にある理不尽へ抵抗すべきだったわけとなるけれど、そんな理不尽を行う存在達とは全く思っていず、前提になく理解力ある存在達と設定していたため、許容できないが抵抗もせずだったのを今に修正を


   
   





 

マナを食べれば死ぬまで病気をしない事を保証できるものだったけれど


   
   





 

本居宣長・平田篤胤は日本はどこの国よりも優秀と設定していたのか、知らなかった.独自性志向を出すとそのようになるかも.幽冥界が離れた場所にあるのではなく、現世に遍在している考え方は驚きの霊論.御民から問題の英霊化が出てくるのかな.問題は一様と度合論の差になるのか.



         






 

模倣とか逆に気がつかない不快な存在達表現を他自覚の言葉で表現する事を思いついた.全く他自覚に気がつかない無自覚者達でそもそもの汝達自身の固有は模倣する事にあるのか、分からんてんやわんやのミルグラム無責任スノッブなのかも知れぬ.個人的に他自覚には余計なお世話と無自覚の愚劣さを感じる.


   
   





 

ハイデッガーは一般人とは言わないで現存在一般はほとんど未完の中途半端に終わると述べているのが壁で、未完完成で壁を超えられたかどうかはどうかに関しては、否定的な思考限界を持っていたと言える


   
   






 

一般人は自由を好まないんだは確かドストエフスキーの兄弟の中の話で、あるところで大審問官はそれらの人々の犠牲になっているんだを読み、この犠牲意識が確かならこれはノブリスオブリージュ要素あるなと思っている.一般人を中間存在とすると自由がわからない事になり、てんやわんやであることになる



         






 

感主観→間主観だけれど、ミスった感主観も使えるな.その間主観性により云々は現象学なはずで、現象学はまあスノッブ的と思っていてタッチしなかったからな.間主観性の顕著な例は恋愛中の男女で、別に哲学的に分析してもしらけるだけと思う.



         






 

未来へ依存した現在のミルグラム無責任所為はあるのか?.短期的利益による長期的視点の欠如の言葉を見て、ラプス時間は長期的視点だったと我田引水可能でもあると思いつく.


   
   





 

極端に言って良ければ日本陣社会は間主観性を皆マスターしている…かな.まあそうでないミクロケースも多くあるのは否めない個々人固有性の差異多様感はある事はある.外国生活をしたことないので差異多様に対する発言優位社会はよくわからないとこらがある.



         






 

ハードボイルド神聖型タイプの実在を思いつく.


   
   





 

女性は男性の主体を蔑ろにするのが快感であると昔の外国人の箴言を見たことあるけれど、それを受けると頭がおかしくなり対自観が乱れてくるので、過少要求のパワハラとほぼ明らかと思う.そんなxxもまた多いと思うので、女性権利も裏腹の面があるかな.主体を蔑ろにするとやはり蔑ろの報復があるのでは



         






 

まあ記憶に残っている不快はxxに限らずxyもで、一言で言えばパワハラというやつで、当然モラハラも含んでいるもので、その不快の除去志向が強いツイートの数々は現在様心理傾向でもある事になるなと考えつく


   
   






 

縮退・人間だから開放縮退あるか、いわゆる過飽和というやつとか超臨界とか、固有値は孤独の単体位相でしょうがない先天だけれど押し付けて貰っても困るな.どうも無自覚単体者にしか合わなかった記憶があるが、最近ズレたクーパーではなくみえるカップルを見た事がある.弁証法を励起としているのかな


   
   





 

象徴儀式と考えられなくはない.天皇家独自のもの的と考えたことはあるけれど、象徴性が欠けるかと今思いつく.そもそも現人神の時間が特異的でそれでも権力的ではなく権威的だったようなだけれど、昔から権力的容貌のあった時もあったかもだけれど、権威的存在として通底しているのではないか.



         






 

どうもそれで図太いやや発育遅滞xxを思い出す.なんとも疲れすぎるきあくがあり、名状しがたい不快に冗談から味わい、そのような状況に何度も直面しているが、麻痺ゆえにしかと認知できない愚劣感が多すぎる事態を味わう羽目に.やはり過去xxが不都合すぎる示唆を齎し、無自覚な棚上げの妨害者が勘違いを


   
   






 

加害されないケニヤの町は国の事情もあると思うけれど、嫌なxxが何を勘違いするのかより絡んでくるのには閉口する.逆に好みのxxが無駄に距離を置く発語にも閉口するけれど.どうもロゴス内容を重視する傾向にある.訳のわからないことを擁護するのは非常に疲れて無駄な時の浪費だけの無意味しか無く


   
   





 

好みのxxだけの街に住みたいね.まあ記憶に好みだけ残るのがいいのだけれど、嫌悪xxの記憶がしつこ過ぎて辟易している.好感xx達の記憶はおそらく無意識に十全していると思うけれど.この嫌悪が記憶に現前する構造は何なのか、全く徒労に呪われていると昔に思ってもそんな事はしたくないに決まっている



         






 

世の中徒労を齎す存在が多いかその強度が強いかだな.まあxyもそうだが現行F粒子vB粒子が自然な対立的とエロスvタナトスや抒情v叙事や縦v横や美v醜や快v不快と好感v嫌悪などがある事はあり、それらの絡み合い構造になっているからな.


   
   






 

現実は虚構ならば冗談が現実になってしまう理屈にはなるけれど、存在自体が虚構詭弁人間にとってはそれがそもそも現実存在となっているが、どうも現実はそんなものでは無いと思う.虚構詭弁人間は冗談虚偽的で真実がない存在で、むしろ真実がわからないか真実を歪めるしかしない辟易する存在なんだが


   
   





 

カントの誤解とは定言に対して仮言が厳しいと思う、つまりカルマはさとりを得るのに修行苦行を必要としないと無理の念が生じるからだろう.そこで他力依存観を出す人物がいるわけだ



         






 

例えば親鸞が悟っていたかどうかは不明だけれど、その辺に親鸞の悪人に対して単純に罪道徳としての判断からかあるいは他の視点からか親鸞も悟ってはいない悪徳を保有している意見がカルマ位相から出るケースがあるものだと解釈してみる文章を見た事がある


   
   






 

個人の記憶判断内の比重によるけれど、無意味無駄を齎す度合いが強いxxは-xyもだけれど-それだけ価値の低い存在と付随必然的になる.埴谷雄高から名状しがたい不快の言葉を覚えてそれに当てはまる不快窮まりない心情の表現に使っている.埴谷雄高も相当愚劣な事を味わっていたなはわかる.



         






 

行動主義に対してくだらないと思ったのも名状しがたいにより近づいた心情である.ゲーテの行動するバカは始末に悪いも少し絡まるように思えて


   
   






 

となると仰向けで見ていた雲ノ平の推定個の星の視野面には時間なく擬似空間のみで、距離感無いようなものと思いつく.サイズ差があるから空間距離はあるのだけれど一様面として見ることができて…もちろん光速度不変から潜在的時間差は充分にあるのだけれど


   
   





 

キロ先まで見渡せて目印が無いので遠近感がわからなくなるとは、フェルメールの透視図もまたロバチェフスキーの交点も現実の或る場所によっては意味がなくなるものと推定した.


   
   





 

時間に関して絶対空間に人々特に中間存在は依存しているけれど、絶対空間自体としての視点から見ると、時間自体になるのとそのような視点を量子視点を加味してできるはず若しくはアフィン空間的としても


   
   





 

どうも金閣寺の写真は趣味が違う.まるで義満の文字どおりをイメージさせる円錐台形式の比率が…


   
   





 

世界的にインパクトを与えた事象だからフランス人にとっては自慢の事だろうと推察するけれど、遅かれ早かれ絶対王政は変わる歴史時間の流れがあったと思う.国歌になった経緯は知らないが


   
   






 

万国の労働者諸君はロングテール的かなと浮かぶ.まあ万国のヘッドも結びつくかもはある.そんな思い付きの中で、日本の戦前現人神の時間は絶対王政的だったのではと浮かべると日本は仏革命より時間的に遅れていたかとなるとか思ったりして、鎖国時代の反動の体制のずれた相似形のまだの時間だったかと


   
   





 

三内丸山遺跡にしろパロールが無いと出来なかったと推定して、パロールの痕跡は何処かに無いのか…火焔土器から図を描くのもできたと思うのにそこから文字まで行かなかったのもやや納得できかねるけれど、証左は依然見つかってはいない.


   
   





 

権力の横暴とは言っても普通にあるミクロの四方山なんだけれど、受容したというかこんなxxのいるところはさっさと引き上げるに限るで、記憶にあるそのxxの言葉は全く頼りなくなんら暖簾に腕押しのようで、ほんと叙事的な横暴xxから意味を取り出すのは困難な浅さがある.明らかに死ぬまで進歩しないし



         






 

しつこく足を引っ張るだけの全くその存在を理解できない横暴なxxも記憶にあり、なんというか無意味な憤懣を発揮しても無駄だある事に気がつかない無知な自惚れ傲慢者で、やはりその先天的固有性は法の支配的に進歩しない事は明瞭な直感を育むので、荷物か…荷物とは今まで考えなかった退行者がいて


   
   






 

それにしても頭がなまくらになっていてシャキッとしない.頭を使ってはダメの昔のxx対峙時に浮かぶ言葉にもはやゆとりないのに従ってもしようがない.とにかく優越感を持ちたいために過少要求で多大な無駄をさせる存在が多くいるものだ.ジタバタ騒がず素直になればとは思うがなかなかのカルマ拘り者達で


   
   






 

森村桂の天国に番近い島は知っているけれども、なんとも微妙な南太平洋メラネシア空間の位置付けで、行くに行けずで、タヒチは考えたけれどカレドニアは思いつかなかった記憶がある.思いつけば行ったかもなのに思いつかせない存在では…卒業旅行やハネムーナーの島か.


   
   





 

個人的な見解では代が終わるともうおしまいで、なんとか我慢できるのが代までで、代になるともう他の年代と同じくらいの気分であったけれど、最近は何かもう開けてしまい余り区別しないな.無意識では区別しているかも


   
   





 

やはり縄文の遺伝子+旧石器の遺伝子が作用しているとしか


   
   






 

極夜のカ月は何故かと思えば咄嗟に小学生の時の漆黒の中からしばらくすると遠い高いところに小さな明るい円が見えあそこまで行かないとの心理状態を擬える.単純にはトンネルでもがいて向こう側の出口に出る意向の事で普通の事でもあると気付く.


   
   





 

嫌いな存在に無理して避ける為に忍耐していると、いつのまにか主体の内容を剽窃模倣されてしまう.嫌いな存在に真似されても不快でしょうか無いのだけれど、この状態は地獄的と記している文章を見た事がある.地獄的存在はしつこく常に苛立出せて記憶に絡まるものだ.いつまでも続くとは考えもしなかった


   
   





 

本末転倒もあるな、しかし唖然とするなそんな現象に出くわすと頭が麻痺してしまう、優越保持の為に思考低下要請をする存在はさほどの優越性を持ち得ていない図式がある


   
   





 

流れに従ってカサブランカのラストシーンを見たけれどボガードのイメージが違うな.次いで名作砂の器が登場、中身は忌まわしいけれど持って行き方はさすがの奥出雲の方言から…昭和年の映画だったのか.八つ墓村が流れて祟りじゃには吹き出してしまった.



         






 

生類憐みの令とバタイユの宗教の理論を思い出す.生類は詳しくは知らずバタイユはよく覚えていないけれど、動物論はややこじつけ的な記憶がある.


   
   





 

どうもデザインのこれはいいセンスだと思うものはあるけれど機能主義的なイメージが強く、デザイン経営からは余り説得力を感じない言葉で理解が足りないのかも.他に言葉は無いのかな.しかしMETIが大変革と述べるのなら、もう間違いなくラプスの時間は終わりで、かといってエンジンがかからない…


   
   





 

まあ昔に残された土地はもはや宇宙しか無いと短絡的に考えた事もあるので.今日宇宙への機運は高まっている…


   
   





 

ある宗教の勧誘者につかまって全くしつこく話をしだすものだ.既存宗教は一切邪魔意識を持っているので煩わしすぎる.また話しをするとかしつこいのはパワハラモラハラストーカーのようなものだな.信仰は死なないと治らないほどのものだが、他者依存だから自己思考と異なるので.そもそも無神論ではない.



         






 

八百万の神にはなんでもありとかあったけれど、別のところで貧乏神や疫病神もいると読み実際どうなのか.憑依神や依存神・甘え神や醜悪神とかその他不快神も多く存在してなんでも神になってしまいそうだけれど…貧乏神や甘え神などに憑依位相を感じるけれど、何か神も無理解誤解間が抜けた無駄をするな


   
   





 

考えてみると模倣した人間は模倣を嫌がっているトートロジーを歪めを嫌がっているところまで自然に模倣をする事になる自然がある筈と思いつく.その後どうなったかわからないけれど、模倣を嫌がっているそれ自体を模倣する事になるのではと、ちょっと実証データを知りたいものだ.引っ張った存在もいるが


   
   





 

どうも日常においてザリスキはザリスキであるとなるかな


   
   





 

宗教の信者に何か特別な思いをさせた場合、やはり信仰しているからだと思われるケースを想定して不快になる.非常に知らずに馬鹿げた思いをした事があり忘れない.一種の集団圧力共想うとまだイライラしているしつこいxxに勘違いされたようないつもの習慣事象によりて.折角落ち着ける難題を片付けたのに



         






 

直ぐに邪魔が入るなんとも不自由な存在がいて別に優越感など持つ権利はないのに、つまり他人の優越感を無視している事に気がつかないか無謀にも蹂躙する事に当然くらいに想う点がどうにも不快で.そんな存在がいるのに被害者思想ではなんともとは思う次第.まあ道徳感は無いモラハラタイプなんだが


   
   






 

相変わらず対処困難なのに接線スレスレの境界事象に遭遇しすぎというか外に出かけると日に一度はあるのに些かうんざり気味なんだけれど、なぜか生じてしまう.もう境界域は止めにすべきな体力情況ではあるな.複雑系もあるけれどある不快な作家とは異なってのなんらかの示唆はありなような…


   
   






 

雪を食べると深部体温が下がり熱量を必要とする⁈-ディスカバリー北極圏より.ある時の正月空きっ腹にガレ沢を急いで下り雪ばかり食べていて、今は無き小屋に着いて仰向けに休憩したら部屋が回っている不思議な現象に遭遇した.めまいを知った時.雪のせいでは無く急いでガレ沢を下ったからなんだけれど


   
   





 

そういえば利用されているなと感じた事があり、親切心で忍耐をすると他者を利用したがる志向者には御誂え向き存在に映っているようであると推定した.こちらはそんな存在はモラル的に価値がなくどうでもいい係りを持ちたく無い存在と思っているだけなのに、悪あがきをするのかしつこいものである.


   
   





 

深い思想は道徳や正義を嫌うものと述べる存在から非常識を受けた事があり、非常識理不尽などは深い考えになるというイライラし過ぎて、どうにも無茶苦茶では無いかと思っているが、どうにもよく分からない.実際はその人物は正義や道徳を知らないのでは無いかとも思う.或いは剥き出しをして配慮が無い?


   
   





 

HPを知る、その要素はあるな.しかし日常で悩んでいるのは何かが間違っているという感覚もある.間主観性で価値のない他者と思っている・どうでもいい他者と思っていると、その他者が逆に価値のない自己を投射してどうでもいい存在と認識してくる馬鹿馬鹿しすぎる間の抜けた他者を見る間主観性の不快さ



         






 

特にxx.この女は別そこにいるだけやさほど魅力が無いとか思った時に、自己を棚上げして、だめとか挫けとか言って来て、そこにいるだけな存在は関心的にダメで、さほど魅力がないから中途半端で切り上げているのに主体を無視して、図々しい所作をするので卑劣や卑怯なxx達と思う存在が多いのは…


   
   






 

恋人でもないのに煩わしい主体無視する存在や他者の妻である存在はどうでもいいに決まっている.仮に人妻を気にしても相手の男が非常にうるさい筈で煩わしさを十分予感させる為に距離を置くのは当然だけれど、押し売り的に干渉してくる人妻も多いかな.一応そんな存在は邪魔でしかない.


   
   





 

アンビバレンツ、アンビバレンス.アンビバレント視点を時間の過去未来に対して持つ矛盾を見る方法意識の複眼的文章を見た.なるほど分かりやすい文章で、体力も関係しているかなであの頃の設定であるアンビバレンツ視点を最近はほとんど意図しない・出来ない形となっている…又はシーケンス的に思考かな


   
   





 

均衡が平衡かとにかくそんな視点はあるとした中学生の時



         






 

ミネルバのフクロウが黄昏に飛び立つのは、現実的な事象を説明するのに時間がかかり、既に現実を説明可能な時には現実は他の側面を見せているとの意図説明らしいのだけれど、現実の帰納事象が纏まる時は帰納の結果であるはずなのに、ヘーゲルの絶対知は帰納結果より演繹の想定視点を示していると見える


   
   





 

アンビバレンツを見る視点にプラトンのイデアがあるとは…


   
   





 

塾考を要する問題・塾考しても解けない問題が世にはあり、脳幹が太いと塾考以前の問題に対処するだけに傾くような気がするのだけれど.なんだか閉鎖優越感に良く遭遇して過少要求のリアルさを味わい股くぐりを要求される位相に多く遭遇するけれど、意味が価値がないなと思い主張を取ると反発反感が来る


   
   





 

反証可能性は帰納の未決定性に繋がる


   
   





 

カントの物自体はプラトンのイデアと同意義的なものか.物自体の文字から観念より現象的に捉えて現象の背後のもの的に考えていた.カントの動向ならば確かにプラトン的要素は高い.この位相はニイチェのディオアポで明暗であり陰陽的でもある.陰陽はアンビバレンツで大虚はそれを見る視点ともなる


   
   





 

常識を平均値であると仮想して、常識未満の存在は非常識存在で常識を志向する傾向があり、常識以上の存在もまた非常識的であり、常識は足を引っ張る不快なものになりがちとなる.常識未満からは常識以上の存在は信じ難い現象でありまず想定外となろう.常識以上から常識未満は地獄のようなものと考える



         






 

この考えを図式で表すとあるギリシャ文字で表現できるとした日があった.ただゼロ文字の回転を想起した夏の河原の小さな砂場もある…その文字の大文字の記号にまたある定理も当てはめて


   
   






 

経営デザインとしての鉄分要素が何になるか思いつかないけれど、宇宙は複雑系であるはずと以前から地球の正規分布性は特殊と読んでいて、大変革は宇宙同調性的と想定できるので、鉄が多い宇宙からキーになる可能性を想う.


   
   






 

絶対空間への依存は自由より無責任では無いのか.絶対空間的ミルグラムとか考えてみる


   
   





 

カントの定言は正義や道徳的と思うけれど、仮言はカルマ的と考えるとやはり理不尽者非常識はカルマ的で定言を知らないのではないかと思ってしまう.定言をカルマとして考えるのは意味合いが違ってしまう定言なんだけれど


   
   





 

ヒステリーを起こすxxは所詮は非芸術品で自由の障害を行うのが当たり前な自然と思っているものである.思うようにならないで癇癪を起こすか最初から癇癪を起こす自らを下らないxxと思えない意味なき傲慢な存在がまた数的には多いのは有限生理を基準にしているからだけれど.発作の可能性は躊躇いを生じる


   
   





 

科学的に説明のつかない超常現象に取り憑かれている若しくは自らがそうなるのも可能だと妄想を生きがいにする信仰者は科学のモルモットになるか.科学自体謎を抱えているので過負荷にはなるかな…帰納は未決定ならば帰納はいつまでもトンネル中とも言える.


   
   





 

お世話になったある開業医で媒体的な事を昔考えて、媒介カタリストがふさわしい事に思い当たる.浄化も考えた筈で、その時に何故か鉄分が必要重要だと思った.その後貧血には鉄分が不足していると何かで読んだけれど、意味合いは違う気がしている.ここでデザイン経営のキーに鉄分としたい誘惑があるが…


   
   





 

主客転倒なる言葉があったけれどそれであるな.窮屈な転倒者たちで自由を歪めるのをなんとも思わない傲慢者であると同時に間の抜けた存在でもあるとは思う.実際現実はまたも逆転者の図々しい存在の出現かでいつまで続く辟易うんざりさか.本末転倒は別線


   
   






 

だいたい不快な存在に要求するのは個人的に不満だからで、不満な存在が不満者の模倣をして不満者に自己投射するという形ばかりを受けているのは、理不尽でしかない形で、そのような世界は一体なんなんだでしかない.そこには欺瞞があり不自然なのだけれど、不快な存在達は気がついていないのかな?



         






 

その頃或る文庫本を読んだ後論理的思考はそのようになるが感情が無い点が気になる想いをしたな


   
   





 

対他を変えようと要求した内的思考をその対象者から要求していると思われるのは全く心外でこれが問題の種なんだけれど、何故そうなるのか…非常に傲慢に見える対象者だけれど、少し考えればそんな要求をする事など考えられないはずで、短絡したか無自覚の自己無知存在であるようである.



         






 

行動する◯◯ほど始末にわるいものはないと述べた人がいたらしいが、自惚れた◯◯ほど始末に悪いものはないと置き換えたりして見たりする


   
   






 

スキナーの名前を知らなかったけれど、昔に行動主義の名称を見た途端に名状しがたい愚劣感を覚えた事があるのを思い出して、AIが如何にその答えを出したのかわからないという話を思い出した.最近はそんな話も聞かなくなったのは解明したのかな?.



         






 

その頃思惟の法則があれば悩まなくても住むのにと冗談で思った事はある.但しそうなれば誠につまらない生存過程になるとも思ったけれど.他人達の発語がわからなくて悩むのは思惟の法則的思考か脊髄反射思考か他人の模倣思考か


   
   






 

しかし年になって、政治的な区別判断アロー的な事を考えていた時に、志向性の言葉を思い浮かべ現象学思考が発生した.その以前にする必要のないエポケーなど冗談でトライしたら現象学の混沌・その根源的と思う所に剥き出し的に移行して、頭おかしくなるというまたしても冗談が束縛という始末に


   
   
 





 

逆とか模倣とか主体の歪めとか無知ゆえの才能なさゆえの非認識性能力もあるかも知らないけれど、ともかく当人はそういう事をするなと思っているのにそうする事は当人を無視していることになり、無視されている方からは何にもなしようがない.なぜなら何か反応しようにも主体の使いようがないから、



         






 

それが狙い?、まさかそれができるくらいなら独自の何かを行使するだろう.とてもそうとは思えない逆者達
ようにも主体の使いようがないから、



         






 

それが狙い?、まさかそれができるくらいなら独自の何かを行使するだろう.とてもそうとは思えない逆者達