2014-08-14

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不老不死の薬をなぜある権力者は求めたのか.肉体をもつ生にその場所で強力な権力者といえど自由はなかったからである.

肉体に自由はない.

ブラケットとエルゴードは視野と前提である.

(経験不足・初心者だから長い目で見てみようという対象存在において自然科学・工学的見地を政治者が判断できるか..専門家に任せて自分達は飾りを行うという壇上者達)

「接線の影に隠された無数の曲線を見よ!.」-Θより.スキーム.ちょっとこれを匂わせたところがある.匂わせただけではだめか.その発展があればなんとかうまく・・どうなのか.コンヌをどうするか--覚えていない.考えていなかったかな..

紀伊国屋だったと思うけれど、無限彼方での意識動向において、複雑さは如何ともしがたく自然の成り行きに任せると思った時に、それではだめという内部の声は周囲の圧力ではなく、自らの無知識に対する判断制御力の声だったかもしれない.平滑作用という言葉を知ってその可能性を考えついた.

科学といえばまず自然科学を指す.自然科学といえば地球上どこへ行っても共通であり、なおかつその法則の成立するものといえる.その他科学と名前がつけばこれに準ずると認識している

クリシュナ-執着あるところに愛なく、依存は恐怖ゆえ・・親鸞は依存性故にではないか.親鸞に恐怖があるか.クリシュナの恐怖とは主体のそうでなければ埋没の不安か.

余韻-客去りし後の主人の会心を想定連想した.

減衰が滑らかさを持つとき平滑化作用という.イメージでは複雑になってしまうので滑らかさは使えそうだけれど、ちょっと曖昧の時間をまだ有する.さまざまなケースを一度に見ると・・・

寿命ボディを射影で見ると時空の塊の同一物・固有時からはソリトン的なものとして辟易する場合がある.しかし脊髄反射がワンパターンで常優位性を持つという実在は成立するのか.これも辟易する.

野生のニホンザルにはリーダーはいない.ではボス猿はどうやら動物園などで囲まれると出現するらしい.となるとピラミッド型というのは閉鎖空間が必要なのか.-単純にピラミッドには閉鎖段階が成立するもの.

摩擦と粘性の境界・同境は現実的に有効でそれが通時と共時の同境となる時と波面集合の比較.そうか変容も有限である.簡単には無限粘性などというものがあるか.最も無限に有効な摩擦もあるのか.

諦念の取り方で虚無生活を送るようになるメランコリー・そこに情熱があるとニーチェ的となる.
斜陽に出てくるお母様のような女性に会ってみたいもの.作者のセンスの観点から私的に見た場合でそのように見えただけということはないか.衝動や脊髄反射はどうなのか.-謎の形にして曖昧なままその作品の記憶時間を長くさせようというテクニックの一つ.

(今の財務省は大蔵省と比べて小物なのか.小物でも中身はスケールが大きいということあるのが人間だと思う.しかし日常必需品考慮もしない増税はどうなのか.欧米の物品別軽減税率は本の物品税をまねしたものとは.そんな税対象曖昧の経緯があると一律はそのままで変化しそうにない.-マクロの皮相で他人任せという考えを変化させて.)

中学年生の頃入院中にヘッセの春の嵐を読んだ気もする.そんな作品あったかな.デミアンはカインとアベルの話か.聖書もリアルすぎる話である.ユングのカインコンプレックスか・・.ならば引っかかっているモーゼとアロンの話はパターンが延々と蔓延して続いていることだろう.

(ゼータ関数のイメージに当てはまりそうなことが出現してきた.なんということか..)

まあ関係の絶対性に関しては、関係の絶対性・準関係の絶対性・擬関係の絶対性などを設定したいが、引用なので例証に留まる...中学校のトイレで若きウェルテルの悩みはまだ読まないでよそうと思ったことに多少は関与している.結局あらすじチェックで読むことは多分ないだろう.-柵

パリサイ人というのはサドカイ・エッセネの中で残った律法者ということを漸く知る.

洞穴の前でらい病を治したイメージの記憶あるが、映画を見たのか文章を読んで想像したのかさだかではない.

マタイ伝福音書-第二十七章-ユダは首をくくったとある.

同一性・護送船団は風土・地理的な要素を考えるけれど、ミラーニューロンがあるのならコーポラにせよ表現しやすい.それに関してDとOの差異・動向に当然関心が向く.中国人と日本人.

ミラーニューロンの発見は1996年というのを昨日知った.全然アンテナに引っかからず.逆ミラーは実際の話なのかどうも不明になっている.逆転写酵素があるのだからありそうな話だけれど.あるにしてもスケーリングは予定されるものにしている.

(とにかく知らなかった.オラクルも今はどうなっているのか.八重洲ブックのコーナーにはオラクル関係書物はほとんどなかったのは何時だったか--サン・マイクロシステムズ-2010年にオラクルにより吸収合併され、企業・法人としては解散した.)

無人島に一人いればそれは独裁的、最も他者複数がいないと独裁とはいわないのだろう他者には法律・規則を守らせて自らはその法律・規則から自由である場合、絶対的なので責任も絶対的に有することになぜならないのか.無人島に一人いるようなものになるからだろう.

レヴィナスにとって全ての他者という考えは到来しなかったのかな.ふと倫理の他者という言葉から演繹してみるとそうなるけれど.著作を読んだ事はないので知らない.-よく言って芸術視点からの考察は明らか過ぎる.

形而上学はニヒリズムとハイデッガーが言う.形而上学のスパンが虚無の地平をカバーするとは考えられない.集合の無限を持ってくれば可能かも知れないが、それでも論理と虚無の感情は位相が異なると思う.

いや、母音の色とか紫の夜風なども念頭にあったかもしれないと思い出す.

そう考えるとツイッターの文章はメビウスが語っているというように画像としてひねりを加えて見ているとか.

多分、ヴィトゲンシュタインの寄与があるとすれば「言語とは口に描写された画像である」という私的論理のある部分の言明かな.パロールとは意識していないつもりで、擬似画像を見ているといった場合.

あれれラムゼイの論理帰着は命題云々から離れていた.”「限界づけられた全体としての世界、という感情は、神秘的である」(.)とも言う.-神秘的感情とは、世界は全てではないという感情、世界の外に何かが、世界の「意義」や「意味」が存在するという感情なのである。 ”

また処理困難なところに出現していることもある.個人的な関係の絶対性の内の一人なのでどこで何をしていようと差し支えない存在なのであるが .

現実世界と何かひとつの形式を共有しなければならない--妥協と軽い冗談的な意味合いで考えたことがある女性に対しての錯視?と重なって、ナンセンスに近い悩みの時間を齎している.すなわち徒労・・予期できた徒労や退行のイメージとも重なる可能性があるとまさに無駄になるが、気がつかずに時を過ごし.”「世界は物の総体ではなく、事実の総体」(.)であり、「明らかなことだが、現実世界からどれほど異なる世界として思考された世界にしても、何かを―― 一つの形式を――現実世界と共有しなければならない。この確固たる形式は諸対象から成っている」(., .)”論考-タイヒュミラー

発明者はイギリス人とは知らなかった.中学生のときに点滴を毎してさすがに腕の注射跡がかわいそうと思った記憶も薄れてきたこの頃.生理学者シドニー・リンガー伝 

論理形式とシステムの存在性は関係ありそうだ.

多様性の根拠は多元論でその反対はコーポラティズム.「疲れたら交替する」という考え方なので多様性は認める.

双曲では位置が良くわからない.射影で楕円を設定しているので双対最大値を対称的には可能である.でもどうやらミンコフスキーの世界線の移動なんだよな.

どうにも駆け込み訴えのルサンチマンは狂気的に見える.なぜこんな恨み多きものを平然と書いた心理は?.ともかく太宰治はユダであるわけはない.ユダ型の人間とは言えるだろう.世俗的なのか権力へ依存する功利主義者なのかそれともてんやわんやなのか.目茶苦茶的.どこかに筋があるはずが不明.これがなぜばかなことなのか?「-パリサイ人よ、汝らは酒杯さかずきと皿との外を潔くす、然れども内は貪慾と放縦とにて満つるなり。-、然されど、汝らは好まざりき」馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。

これは命題云々とは位相が異なることであると理解している.ラムゼイの興味はいいが.”さて今度は、ウィトゲンシュタイン氏の理論の中でも最も興味深いものの一つへ向かわねばならない。それは、語りえずただ示されるだけの何かが存在し、それが神秘的なものを構成するという理論である.・・”

ひょっとして地上に生きているけれど、核融合存在である宇宙の星々の圧力が人間存在にしているか

セガール辺りが核の冬を考えたのは1983年辺りではなかったか、その後、原発とはいえ(核兵器もそうだけれど)進展・増大している数.核兵器削減条約や非拡散はあるが、原発条約は確かない.その数が増していることは人々の存続に関してどのような作用ゆえか.

そうか論理形式はトートロジーであるので語ることは出来ない--ではないか.意識価値物象の一致と生理体存続の必然必要物もあるがその基底的なものを考察する時間が取れないということで離散的思考対象の出現のみに留まりそうである.今のところ.

FB関係において縮退と最大値の関係はどうも似ているように見える.もともとヒッグスはどのような根拠から粒子を出してきたのかは知らない.

静的分析だけではなくて過程にその性向が示されること自体を考慮する必要がある.変分は場がおよそ一定なのでホモトピーに場変を位置づけるようなこと・・

写像は事物の状況を含むというのはいい.色排除問題で要素命題の独立性を排除したのは有名と・・・そんなモナドのようなことは全く最初から対象にならないはずだろうに.もっとも論理形式優位で思考しているのでそこに陥穽気味となったか.ともかく赤にもいろいろな種類があることから赤を特定する分析思考は昔止めたと思ったことがある.偶然見つけた.昔から興味あったもの.経済理論は捨象批判があるが、さてTLPに関してはと読み始めたが、簡単なものではなかった.論理形式は選択公理像に関してヒントを得ようとしている.フランク・ラムゼイ『論理哲学論考』の書評

あるときのなぜか種々の教育的存在と話をする展開になって、そのうちの一人が地下室の手記を読んで衝撃を受けたといまだに記憶している.なんと幸福な人生を過ごしている人物かくだらないと.地下室の手記

その反面で超音波検査とか何がしかの行為が必須気味になる可能性もある

そうなるとO型の民族は増大していてD型の民族数は減少していることに関して、逆転ミラーニューロンはどのくらいの寄与力があるのかといったことが、多少対象になる.

丘の上の愚者は何を見たか-ビートルズを思い出す.その曲の意図・意味が全くわからず.-ガリレオモデルだった.

胎児が生命の歴史なら、反抗期・青春期は今の社会現前性に追いつく境界時間という人間歴史過程辿りの最終段階であるので、ここをどのように経過するかということはその後の人生に重要であると考える.若いという対象だけではない.

大体剽窃を得意とする存在であるのはわかっていた.駆け込み訴えはその証拠作品.斜陽も所詮はそういうものであることは今では知っている.強靭な共時的実存者で強靭のタフさが苦手.その精神レベルと共に.しつこく束縛を要請してくる読書感.まあ読みたくはないが駆け込み訴えは諸々が騒いでいるので読んでみた.走れメロスは中学校の教科書にあった.ただ簡単に王が翻意する記述は納得できない思いをしたことがある.潤色物だったとは・・どうにも素質は明らかに優れているのにその当人は気がついていない思考言論がかけ離れてでてくることには閉口を余儀なくされる.太宰治は直感でしつこく蛇のようでまた根雪のような不快な存在と思っている存在なのに.まったく嫌いなタイプである.「ある女性とさる時電車内で夜話をして、太宰治じゃないといわれた.君がそういうのならその通りと内的発言をしてしまったことが、いまだに悩ませている.ミストレスにここの中でその忍耐力に太宰治じゃないんかと冗談で思ったことを他の女性に言われる主体の歪み要請」・・後に気がついたことなのだけれど

ああハニカム構造で蜂の巣があった.空間充填は2元のみではなく3次元双曲・球面空間でも考えるというのは盲点だった.そんな窮屈を考えることは自由の抑圧でもあるから.最もロアール渓谷を的確に進むトマホークは地形をモデルインプットしてある.-トマホークには日本の技術が入っているらしい.

(私的論理と人々との思考現実の差分を見ている.それに時間を取られていること.人々の順を追った思考現実もかなり奇ではある.但しそれは常識なのである.)

事実は小説よりも奇なりとはいうが、確かにそれはあるなと最近は感じている.最も卑近な例では気象予報にある.後、予想外である東本震災もそうなるかな.

マンダ教などというものが2000年の時を持続している..

(エントロピー増大に期待する国債、しかし散逸構造の圧力強い国)

1/∞とコルニュの螺旋.へ近づく関係.

混血・今でもO要素は持っているけれど、顕示的に多様な遺伝子になることは自然なのか?.中国は実際に使える農地は少なく、また1億人移住してくれれば万々歳と政府は思っているという文を見た.Oハプロの増加理由が説明できないのでなんとも言えず.あまり日本に中国人が増えてもとは思う.何しろDハプロの国だから.

Θは関数・温度表現・店の名前・発音上アニメ・叙事詩の姫の名前・脳波などいろいろ使われているな.これらは一切関係なくただ単にあるイメージがギリシャ文字に最も似ているところから用いている.」

武田泰淳に精肉という概念のでてくる小説があるはずなのにタイトルがわからない.一度眺めてこの精肉という感じのイメージが難解でわかない.妖精の肉体のようなもの?.神聖な肉体ではなさそうで知的な肉体でもなく心的対象としての肉体?.密度の濃い肉体のことかな.-精神的肉体のことのようである

アイヒマン裁判における責任は・・命令に従った依存というファシストはアーレントのたまねぎで責任を持つということは不可能ではと極端に・・目には目をの相互性からは責任なき人に積極的自由をしても責任を問われないというこれまた極端をいらだって考えてしまう.

ゴート族は自由と野蛮さのイメージは確かにある.この辺は見え張り虚栄秩序狂から見るとやはり野蛮人か.あるいは依存秩序狂から見るとどうかな.依存引き換えに得ている自由という無責任は野蛮といえなくないし..

情熱を用いた分というのは、特に失恋上において使われるものではないのか.母性にも用いるとは自己エネルギーに対する未練を母性というのはエゴイズム的に思える.コンビニで母性は子育てに情熱を使って発生するものという小冊子の一文を見た.生まれた子供を乳母にやってしまうという時代の研究者の記録だそうだ.母性は先天的なものであると思っている.ただ母性にもスケール・度合いというものは現行ある.

スターウォーズという映画は、なんとなく暗黒面のシスが白く塗りたる墓の位相にいるようで、潜在的モデルとして無意識にあったのではと想いつつ、では白く塗りたる墓に異議を自動記述的に述べたらしい人物は?.

石もて打つ人々よが好きな評論家は前衛の自負心か偽善への抵抗だったのか.らくだが針の穴を通るより難しいとそこにはあるのだけれど.どうにもいまだにそうであるように見える.

そう経済に道徳はないという人いるとき、その人は非道徳的存在ということを表明している.

ある作家の偽善者パリサイ人・・はとんでもないことを言い出したとは、とんでもなく見えるのだが.この作家は道徳に関してその地平を低くすることが目標なのかとも思う.確かにキリスト教の理想像はちょっときついものがあるが、かといって非道徳というのもどんなものか.-リアリストのわりに--なんだかどうでもいい

神の代理人とはルネサンス期のローマ法王名の物語らしい.何十年目にして知った.ちょっとタイトルだけでは想像できなかった.

中学生のときに魔の大陸アムンゼンとスコットの悲劇を読んだ.将来まだ冒険域が残っているだろうかとは思った・・だけ

ピンクフロイドに関しては劇団スカウトを断った店で聞いた曲名を知りたいものがひとつある.それにしても原子心母の着想センスにはうなる.

(ディープパープル? ユーライアヒープ?新宿西口駅近のユーyouという喫茶店がなぜかたまり連絡場所となっていた頃.サンタナ 哀愁のヨーロッパを聞きながら.ブラックマジックウーマンは黒魔術の女だったのか.黒い制服の淑女ではなくて..)

夜と霧はいとこから借りてその存在を知り歳のときに目を通した記憶あるだけ-実存分析に対処仕様がない想いは持っている.第三章 極限状態を生き抜く方法

叙事的・叙情的人間共に通時・共時とその同境部位を持っている設定になる.そうしてそれらが調和している・偏倚している人間も実在することになる.となると叙事的と叙情的の間にも境界があることになる.いわゆる自然的存在と人間的存在の間のようなもの.中間存在に関しても完備圧力が有限化を齎している場合も自然に強い人間も多くいるので、ここにも無限理解可能な存在との間に境界を持ってくることが出来そうである.通時と共時の端的な相転移的変換ではなくてどうも間に境界位相がある.同境とも言ってもいいか.

まあ難しいか.三国志の登場人物も三様であることで.とにかく曹操は処理能力が優れているというか叙事的人間で叙情の躊躇い感がない分対象を速く片付けることは出来るだろう.その時の対象は人間であるならばむしろ動物か物体にしか曹操には見えないはずである.e・・これで悩みと無駄な時間を過ごしているけれど. ”「自分の好みのタイプとは正反対のタイプの人に惹かれてしまう」というのは、エコノミー論的にも裏付けられていて、これをkat'oikonomiaと言います。つまり、一見すると逆のことが結果的にうまくいくということです。”

どうも何時までたっても物語りは、宇宙空間自由自在航行可能になっても、覇者と王者の戦いで大体試練を受けるのは王者型の方の設定.当然悪役は覇者型になっている.帝国という言葉には確かに性悪型のイメージがあるな.まあ設定時間自体が今かちょっとそれ以前なのであるが.

サーストンの幾何化予想は1982年でペレルマンは-に公表.次元でさえもの思いはこの強烈な説得力を離散的に膾炙させるものとなっている.

(宇宙戦艦ヤマトはしょうがなく歌をTVで何回か聴いた.イスカンダルは例の曰くを考えさせるアレキサンダーのペルシャ語読み(?)らしい.ストーリを漸く知った.(ウォーズとも似ている.).ブラックホールに閉じ込められて何百年というのは何の物語だったか.地球脱出速度を昼に考えていた・・)

ハイゼンベルクではなくシュレーディンガー的に見ていた.演算子は理性.人々は空間をどのように見ているのか.類推で心像で波動空間を見ることが出来るとは実感している.この心像を方程式化するとウィックの定理とか用いたり、朝永云々などというその他多数があることになっている.

「我が心像のディラックの海にはさすがに理性追跡が困難で、情けなく女になった方がましという自虐心を冗談的に思った20歳の時.リアルなイメージは混沌が生起している暗黒流の複雑すぎる蠢きに対処するのに困難を感じたということ.混沌の暗黒流の自在な動きを逐一チェックするのは難しかった.」-混沌といえばまさに混沌のイメージでしばらく後に、混沌は避けるようになった.しかし、混沌ならば混沌をそのときに想起すればよかったのに、そうならない脳の動きのズレ.思えばズレばかり.ランダム制御といえなくもないが、無意味に傾きすぎているズレ現象.

アフィンリー環というならばディラックの海はわかりやすいが、流行のアフィンLie環の表現論を眺めてみてその踏襲すらなかなか.Campbell-Hausdorfの公式などは初めて見た.ディンキン意識は強かったがルート系に全くタッチしなかった時間の圧力をまさに感じている.

ワンパターン的存在は、わが心石にあらずの心性を持っていると判断.ゆえにその動かない肉体が重く荷物に見えると思った.石にない心の度合いは人それぞれだろうけれど、とにかくうんざりする存在がいるのである.肉体優位の有限性は明らかなので、無限の自由をわからないものという閉鎖感を持っている

「思い出した義務教育時代の励起意識・ここでは妥協しなかった.(大体小学生で量子意識を持ったことがあるので、ここから小学生でも量子力学を教育しても良いとは思っている.このときはさすがにまだ早いという意識を持った.)」ゆえにクレイのマスギャップが気になるのである.

芸術はどちらかといえば権力は避ける・無関係の方向にある.ゆえに権力に依存する功利的存在の小説は芸術ではなくなる.但しその人物が芸術ではなく宗教的存在という場合もある.

チャマーズの意識する心がターニングポイントとは全くのナンセンス時間を人々はしていたものよ.
義務と功利の対立が倫理という膾炙なのか.

人生悩まないに越したことはないのだろうがあまりにもつまらないのでないか.良寛曰く、薪がなくて寒い(?)思いをしたとしても、薪が手に入ったときの喜びは幸福なものがある.ものが多くあればそこに何らかのちょっとの+をしてもさほどの効用はない.

極論・罪の意識のない人に対して罪という積極的自由を与えても罪にはならない--では警察の存在理由がなくなる.罪の意識のない人に罪の意識を持たせるのにはどうしたらよいのだろう.反省意識の浅い人を深くするのもどうしたら..

現実の最大値の深淵はどうも権力のバックボーンのようでもある.もしバックではないとするともう量子力学しかない.因みにGPSは相対性理論を用いている.

(岩田規久男という人しらない.もっとも一応アンテナに引っかかった人は小宮隆太郎・宇沢弘文だけ.最近では池尾・高橋・竹中・池田とか諸々の人々.)(市中銀行が信用創造できかねる状態か.補完国債はBISとの兼ね合いで止められそうにもなく、マネー傾向強い.マネーは地上の財産を置き換えるまで増え続けそう.そうなるとマネー自体が需要になる?)

現象学と行動主義を同じものとしていた感が今まである.でた結果から解釈しやすいものとするのは実用上の時間有効性からは人々が判断用に用いるだろう.行動がどんどん変化していく理由は先天的なもの悖るとする?.いろんな意味で行動主義は結果論と見る.必然=自由を説明しているフッサールの現象学は行動主義とはちょっと違うことを知った.行動主義はどうもハードボイルド的にただ直面する対象を処理していくだけの感じを受ける.ハードボイルド的なものなら外部観察によって心の過程を推し量れるとする可能性はあるが、これは人間を物体的存在と見る叙事的側面で、叙情性を観察することはむずかしい.

(ある国の首相をヘリで海に落とすと脅す-のないところに煙はたたないのでそんなことが実際にあったのかも.これではやりづらいだろう...ポチという言葉も良く見たが.)

ソリトン型の人間は疲れを知らないワンパターンのスピーディな処理能力を持っている.このときのワンパターンをがむしゃらと考えるか早い処理速度ととらえるか.ソリトン速度を多彩に変化させるのは普通体力的に困難か.「地震」現象から津波の多彩さ結果は対象条件次第だが.

事実として女性の寿命が本では男性より長いことは、男性の方が犠牲になっていないか.これから女性も働くようになるとイーブンに近づいていくだろうけれど.

(日本がローマ帝国に対するカルタゴのようになってはたまらない.ところが太平洋戦争でその例は一応一旦成立したのではないか.ハンニバルは誰かといえば連合艦隊司令長官の例の人物かな.)
で現在はq展開で回る?-アウトラインのみから.ディラックの海(南部の海らしい)-ボルツマンウェイトとなると´Θの登場につながる.ここの所をルーカス批判に持っていくのは大変.むしろルーカスが安易過ぎる嫌いがある.”アフィン・リー環と 量子群とをつなぐDrinfeld の圏同値がこれに対応”や”共形場はモンスター群のムーンシャイン現象とも深 く関わり・・”まず時間的にこの辺は必要なので.で現在はどうなっている?.

(愛と悲しみのボレロのDVDを買ってジェラルディン・チャップリンの名を知った.ひょっとしてチャップリンの子供か.そうだった.顔つきからはちょっとなぜという思いを持ったが..)(岩槻図書館で見た"Doctor Zhivago”ララのテーマが一番いいかな.ダムサイトのシーンがなぜか強く印象に残っている.ひまわりは知らないな.エデンの東も知らず.ジェームズ・ディーンのファンと言っていたのはだれだったか・・・.亜麻色の髪の乙女を聞き始めて延々と映画音楽まで..)

(スマホはフルブラウザ可能なのか.どのくらいのものか.もっともフルで見たかったのはもう何年前のことか忘れてしまったくらいなので、いまさらそんなに興味はない.)

心理学は偏見かこころを制御するものなので避けていたが、宗教という存在は無神的位相と個人的位相から考えなかった.宗教があれば心理学は思考範疇に入る.

(洋画見ながらリストのひとつを整理した.リストからはずすのも疲れる.よくアップする情熱が以前はあったと思う.)

(体感治安という言葉を始めて知った.割れ窓は知っていた.普通に体感は昔からしている.)

クラスター代数から進化経済学まで渡る.

すでにある現実の重さは圧力になる.むしろ現実は苦手.過ぎ行く現実.

イデアならわかるけれど、個人的にイデアに幾何学は登場しない.もしそれが出て来るのならそれは論理現象学というようなものであろう.プラトンは正多面体が5種類しかないことを宇宙の基本原理とした--それで幾何学を知らないものは哲学を行う権利はないとしたのか.種類しかないというのはまずわからない.ディンキンとは全く結合しなかった.モンスターに意識がこれは今は一応の解決済み.空間充填は美的には見るべきものがある

安寿と厨子王のような悲劇は耐え難い思いを中学生のときにしたことがある.森鴎外は所詮森林太郎であることにうすうす気がつきながらその死まで延ばした存在と認識.諦念できない何かが重要であるというようなことはない完結的存在でむしろ幽霊か荷物のような人材ではなかったか.反動の結果も生き方.

機能で処理が可能なら原発事故などは起こらない.ここには機能処理の限界がある.個々の機能成立は必要だけれど個々の機能には全体機能が見えない・または処理には個々の機能が見えない.思考の仕方を変える・・

人々は普通その優越感によって生きているから、傍観者として優越意識を持っても構わない.また風刺をして何も産まないのも差し支えない.それらはエントロピーが変化すればまた変わるものとしてある.

そんなわけで東大話法はヘーゲルの悟性に似ていると思ったので、その位相は直面している困難を避けている機能主義的にも思える.ただその困難さを知っているがゆえにという面もある可能性もある.ともかく知的劣化か進まない知性ともいえるもの.思考困難直面を避けられては困る位相にある存在者達.ヘーゲルの悟性は矛盾をいとわないならそれは混沌の心性である.夢のようなリビドー力的な性的人間の特徴でもある.この場合の混沌は非可換時間的に蛮性としてみる.カオス理論も混沌だけれど理性が対処するものとている.でヘーゲルの悟性なんだけれど、矛盾を考えずにデータを放り込んで引き出しを多くして対処するその知的能力は、理性的とはいえない.しかしなれど明らかに悟性的身体のみとして生きている人々がいて、理性判断を歪めるものがいる.理性者も悟性は持っているがその場合・悟性者に直面すると退行になる.

ポストモダンでポリシーがなくなって機能主義が蔓延していることは推測可能である.それはしかし知力の退行ともいえる.機能主義は入力と出力の間に過程がないようにとらえるらしい.となると行為・行動における脊髄反射は機能的なものとなる.何しろ頭脳を使わずに端的に結果をもってくる.脊髄反射を繰り返せる人間は自動器械・ロボット・アンドロイド・サイボーグのようなものである.あるいは動物に近い.機能主義という主義も主義の名がつくとどうか.機能を単純還元してフォルムを単体的に見ると機能美・デザイン美は確かに感じることが出来る.定性・質的なものとして.その反面、機能は道具や機械・システムに付随しているもので物体的もの.ハイデッガーが固執している道具論はあるけれど.心理主義を最近知った(機能主義もそうだが).心理学ならいい加減なものあるいは卑怯なものとして使わないという思いはずっと持っている.主義までいくとそれはないという思いである.フッサールの批判に端緒があるらしいが、感情主観論でしょう.

最近見るようになった東大話法とは、なんとなくパリサイ人やヘーゲルの悟性に似ているなというのが感想-陰謀的という事は覇者的で幼稚であることになるのはつまらない.

黒潮がとからの間を流れているなら、九州基準に例の諸島を通過可能だった.最も目的地がどうかというのはある.黒潮の北側を通ればと地理面を思いついた.遣唐使の頃はなんら問題なく-航海通常上はあったろうが-それでも多少の理屈難点があるか.与那国島は問題になっていない..

括弧積を手動で展開のために筆記してみた.すると確かにその通りだった.昔の勉強時代を思い出した.新鮮だ.頭の中だけで思考していても判明しないので.もちろんノイマンのような計算能力はないからでもある.

ロープの縛り方と結び目理論では、実際問題として明らかに交錯する心理を持つので、ここに論理と現実・理論と実践の違いを感じることが出来る.-4次元では成立せず.

大体において、権力が退化を要請する傾向にある.

「そう論理・記号では生殖的な面から判断している.つまり純粋な笑いは胎児の記憶から来ると.」ベルグソンの笑いの哲学が先だったか後だったか記念碑にはその現象自体の発生確実は述べてある・レッシングはしらなかった.ハンブルク・ドラマトゥルギーを当然しらない.ベルグソンの笑いの哲学を読んだことがあるけれど全く中身の記憶がない.笑いは矛盾を克服するというのは現実的でもありそうだ.すなわち笑いの以前には矛盾がそれ相応に発生しているという現実的なことからの最近の帰結可能感.

(個人的にメイの定理に遭遇しているような..中村ナンバー的だから個人的選好は心理的に妥協かコンドルセの敗者が勝利の形である気もするのでその点は面白くないことになる.ただまだしこりと自己主体の捩れ回復が必要なことはわかっている..ちょっとした現実の説明に困難さを覚えるこの頃)

事実は小説よりも奇なりとは、現実の実際に難しい局面に遭遇しているということである.未解決現象は多数存在している.そのような現象が不意に出現すれば・・

世間知らずという言葉を見かけて気にしている.IQが低いのも高いのも社会にはその存在理由を主張しながら生きているということでしょう.もちろんEQがそこには介在している.

本質とはその対象に対する不変・固有なものを意味している.思い出の本質論思考前準備中の冗談がなんとなく現実になっている.不思議なことに冗談が現実になるのは、喜劇的な雰囲気が現実に漂っているのかもしれん.意味に欠けるので軽薄がつまらなく感じる.

ガロア-相変わらず生き生きした粘性説得力ある名前.絶対ガロア群Autに注目が集まっているそうだ.ゼータが絡んでいる-スピンは関係ないかな.コンヌがヒッグス辺りかららしいのだが、不変があると不変上では可換自由を考える.

セレンデピティにもホワイトとブラックがあるはずの想いがある.

太陽との描像のような建築構造物があると確かな見学価値がありそうだ.オイラーとゼータ関数

 クレイではマスギャップに関心がある.ポアンカレ予想でさえあのペレルマン騒動.BSDにしろマスギャップにしろまだ世界の専門従事者の解明記事を見たことがないほどのものだろうに、なんとなくの要請も早合点であったろうと処理しておく.実際であったならばであるが.いまだに覚えている楕円曲線暗号にただの流行関心があったころ、ツイッターでなんとなく要請を受けた感覚を持ったことを.BSD予想には全く関心がなかった.いまは絡んで来そうである.-いらだつけれどまだ良く覚えている.

ノージックの国家論は面白い.最小国家は結局、功利から始まる・但し自然に.またユートピアには多種多様な共同体が存在しなければならないと.このユートピア論はユニーク--一様なものをユートピアと思っていたので.

有限限定身体-有限に固執するあまり心の自由が想定できない頑固さを持つもの.普遍性もわからないのだろうか.物事の強制は有限固執に始まる.もっとも諸行無常として普遍感覚はわかっている民族の存在がある.

ユーゴの自主管理社会主義は逆ピラミッド型だった.アナルコサンドの変容的な形式が実際にあったんだ.リバタリアニズムには拘束感が付きまとい、リベラルには急進的で当事者には良いもので自由=必然をイメージする.リベラルが積極的自由でリバタリが消極的自由とは.感覚的に逆のように思っていた.経済観点から可能性として判断していたか.

1918年のシベリア出兵によってシオンの議定書が翌年から本で流布されていくことになる.この流れからスターリンではなくガガノビッチであるという考え方は直ぐに出てくる捉え方となる...

駆け込み訴えはルサンチマンの小説と見て良さそうだ.ユダヤ陰謀論とは思えない.転化形式か引用形式・なぞらえ応用と見る.ところが*年間を読んでみると今度はクリスチャンのようでもある.参ったね.こんな手記的文面はしらなかった.

ボキャブラリーは明らかに異なるけれど.名詞・人名など許容ではそうなのか.フラクタルは随分前からある.

何年か前に鬼押し出しの帰りに小諸の懐古園に始めて行った.古い匂いのするようなの門らしきところ通って園内に.萎れていたが花のついている樹は一杯あった上旬.

(実数額値のないところでは濃度心理でカバーしなければ-これは日本特有センスで得意とするところではある.共和的な感覚では完備の速やかな連鎖だけではないのか.実数額値の展開要請はあるべきか.トライで行ってみる価値はありそうだ.)

日本全体をもう複雑系経済にしないかな.仮にミスしても直ぐに他の複雑現象によってカバーできる.失敗の連鎖もないとは言えないが.完備有限で自由束縛していると梗塞・窒息気味になりやすい--とは言っても公務員システム強い状態では.

ジーパンは膝の動きを制限するズボンに思える.昔ははいた事もあったな..しかし将来、膝に負担がかかるようにはならないのか.データを取ろうとする人もいないようだけれど.

ウェストサイド物語ははらはらでいらいらする印象がある.ロミオとジュリエットが原型でも、シェークスピアの映画版は劇的でスリルはない.そうそうメンデルスゾーンのイタリア的な感覚のフィラデルフィア.--フィンランディアはイタリアに似ていると思ったのであった.のだめのヒロインのピアノは全てラン・ランの演奏だそうで.フィラデルフィア管弦楽団は何というか手馴れた都会のポピュラー楽団という印象だったが、カーティス音楽学校にバーンスタインがいたとは..でもウェストサイドストーリーはやはりポピュラー音楽.

ノモンハン事件を眺めていると、露戦争・シベリア出兵・満州国とロシアと本は関係が深い.もちろん古来から中国とも.そんな歴史を概観していると日本という国も大変な歴史を持っているもんだと思う.ヤルタからなんと日本に不都合にが過ぎたことだろう.それとも意図の時間があったか.

ワイブルピークはノーマルより早い.かような分布だけではおさまりのつかない現象の時間意識の々となっているとは思うけれど.

(暴言を吐いたとかいわれたなぁ.類することは言ったけれど、そんな言葉は使わないはず.とは言っても当人の解釈力・把握力・志向性の問題あるから煩わしいものだ.変容されてしまう.)

有限域でのエントロピー最大値はそんなに価値があるものか・・・.ニュートン幾何学域では意味があるな.

(アゼルバイジャンからの出稼ぎ人と話をしたことがある.今も日本にいるのだろうか.チャイは日本の紅茶パックであった.)

最悪気味の不快さから脱出できそうだが、その結果はそう容易な位置・位相というわけにもいかない現実自体の許容力.現実に対する人為建造物の許容力自体がそう安易な時間を齎す余裕はないであろう.

オイコノミアとエコノミーに関してギリシャ正教の観点を見つける.ベイトソンのエリー湖もカルヴァン派もすでに・・.-”こうした神が私たちを救おうとされる一連の活動をキリスト教ではOIKONOMIAと呼んでいる.”

妥協に対する相補性は何か可能性を感じる.あそこの建物の裏の道からV字形に戻る-への道途中のところで思い出す..共存-根本的にはDNAとミトコンドリア.

kat'oikonomiaは経験上からは不毛だと思える.今もそれで韜晦中の記憶と現実があり....難しい.妥協という相補を考慮すればなんとかなるが妥協をしないとやはり不和はそのままではないか.ある国での体制と反体制対立はリアル.第三者調停か上部依存としても実態は継続する.-フェルミとボーズ

(ロートレックにあのような描像タッチでゴッホの肖像画があったとは露知らず.イメージ・認知観点が変わる)

 アントナン・アルトーいつでもその威勢の良い響き.髄膜炎の持病持ちだったのならそのざっとのアウトライン印象での不可解さは氷解した.いわゆる器官なき身体はドゥルーズからは宇宙まで広がるものではなかったか.浄土や涅槃との相対比較を考慮することは直感のままにしておく.相補的分裂生成とか.kat'oikonomiaに刺激を受けて、ベイトソン-ダブルバインドの-から相補的分裂生成を知った.相補は思いついたがボーアからであった.ベイトソンのダブルバインドは結構素直に使える.
(グプタは王の名前であったか.ちょっと気になる名前であった・ラーマーヤナとマハーバーラタが完成を見た頃.カーマスートラもこの頃とは.首都の名はパータリプトラ.)

いろいろあるらしいけれど、取り合えず極楽浄土とは阿弥陀仏のいるところ.涅槃と極楽の違いは西方でなくても涅槃はあることか.涅槃の前は甘露ではなくて甘露は食品そのものだったか..-極楽は環境世界的、涅槃は自己自身的だな.

スピノールは単体イメージ強いのだけれど、パウリや実在フェルミ型人間への反発・排斥・傲岸感覚受容に辟易している..

マネーはやはり担保が地球財産であるだろう.イーブンになるときはどうもまだ先.ざっと海底財産や極地に何が発生するかもある.それ以前に何らかの形でピークが来ないとも限らない.そのときには経済がなくなって・・

(オリンピックをペルーやベトナムのどこか田舎ではわからないというハードラーのツイートを見た.冬季のオリンピック・ソチの近くにアディガを昔知ったので、多少の心理的近さを感じる.)

はぁーと気がついた.徒労に呪われているということは他者から見ると、道化的に見えそうだ...-くだらない人々と思っている実際.

?? 理解困難 深淵的存在の強調?底がないほどに深淵ということになる.中間存在の場合は底がある @Nietzsche_Words ひとは女を深いと思う。なぜか? 女の場合、底まで行けないからだ。女は浅くさえもないのだ。

普通に考えると叙事的人間は恋に優位で愛に劣位と思う..

どうも考えると権力者にはそもそもその存在に自由のない人がなりやすいのではないか.となると他者には規則を強要して、自らは自由を満喫する権力者は、自己満足をしているに過ぎないことになる.

リバティとリベラル・何のことはないまだこの動向が続いている.リバティの自由には形式的拘束感あり、リベラルには急進的なイメージがある.このパターンに当てはまるように政権交替のあった国がある.
コペンハーゲン症候群とは何だろう.これは先天的障害の一種だけれど. Andersen症候群(LQT) -依存体系の結果、内部存在OKというようなことらしい.

誰にでも出来る仕事というのはおうおうにして体力を用いる.体力がないと出来ないことになる.
(ノマド-唯一者とその所有・自力・責任・運命的・後天的・・・今はこんな言葉しか浮かばない.実力・・)

先天的なものはおよそ演繹的、公理も演繹的となる.

自由とその双対心理が今の脳内を悩ます.頑固な妄想有限体の存在が災いとなる.それとも虚無の身体か.ニーチェの超人的に生存を志向しているか.いや欲望の変形であるだろう.

「なぜ26個なのか?」例外単純群.まさかの直感自然偶然はないだろうという関係数値があるが.

13歳の春の心情はモーツァルトのNo.26コロネーション--他の中学にある女性が転向してしまったから?.グンドゥラ・ヤノヴィッツは渋いというのか.ローテンベルガーはもっと躍動感があった.年齢も関与していそうだ.晩年の作品とは春への憧れ(モーツァルト)

埼玉新都心から北与野駅に歩いて行く道の装飾線が変形して連続に見えた不思議な記憶.射影幾何学には無限遠点がユークリッド空間と比して多い.ユークリッド空間で∞を考えるのは当たり前なので+無限遠点はあまり意識に上らなかった.しかし無限が登場するとなると嫌いとも言っていられない.

停止性問題の決定不能性はカントールの対角線論法で言語処理だった..何をチューリング機械に関して保存していたか失念しているが、仮想的なアルゴリズムを与えることをオラクルの相対化と用いてることも知ったところ.社名との兼ね合い経緯はしらない.

アビリーンのパラドックスをちょっと感じるときがあっても沈黙する時の心理はやはり抵抗の煩わしさが要因であるかな.いや塞翁が馬もあるな.

反知性主義・愚民政策・蒙昧-違うのではないか.エントロピーが増大している限りそれに付き合わなければならない.-衆愚政治は・・-.

ユニコーン神話はキリスト教的なのかな.当の女性にとっては自由な想いだろうけれど.白紙価値と教条の交錯-ロゴスと結果のずれ.


非ケインズ効果?.概観ではある国はケインズとピグーを同時にやろうとしているように見える.連続的ではないのか.ここにはルーカスの割り込みも登場するか.スカラー倍・逆でも平行という手も登場とか

(どこそこのO市長は論理明快だな.リアルな現実(定性具体的)としてそうかも.量的抜本は飾りになるかも.)

「異常こそ正常だ」若き情熱の言明-但し誤解される懸念があった.普通なのに別に個性があるわけではない.今では普通とはいえないか...

そうか例の星屑と汚物はカーニバル的で風刺の範疇.笑いの伝統もそこに入る-身体的には位置エネルギーの重力変化のような落差の成立によっても笑いは起こる.原点の弁証法のような場合とも考えられる.さてブレヒト・異化効果は変革的.シクロフスキーの異化はロシアフォルマリズムでそれは自律を形式とするを構成と見てフレームよりシステム的でスキームともいえると解釈.パースの記号常化とトルストイの常マンネリ気味異化(真理は単純であるを彷彿させるが)に対してバフチンのカーニバル・・

(名誉毀損・侮辱・虚偽告訴などを見ていると、法律解釈は哲学的に面白そうと思った.)

ラパッロ条約は記憶しておこう.誣告(虚偽告訴)による裁判でエーベルト打撃.めまぐるしい展開を経てヒトラーの表舞台へ登場.ワイマール憲法は本の憲法に影響を与えたといわれている-それ以前にビスマルク憲法が大本帝国憲法に影響をあたえていたとされる.しょうがないのでブレヒトに関心を持つかといったところで、ローザ登場のためにドイツ義勇軍による展開を知った.そこからゴータ綱領批判の経緯も知る.ラッサ-ルの国家社会主義は空想的社会主義から科学的社会主義への過渡期の思想らしい.ローザは修正主義ではなく教条的だったようだ.

南洋諸島にマーシャルも含まれていた.なんか第一次大戦後のミクロネシア一帯は楽しそうな感じを受ける.タブラ・ラーサは考えがたい.アプリオリは認めるがそれだけでは面白くない.アポステオリはなければならない.アプリオリだけでは人間存在公理のようなもので当たり前なものである.

不変数や超越数はやはり障害意識がある.どこが異なるのか.カラビ・ヤウなどは近いとは思うけれど.存在するという制約が事実にもかかわらず不快なものとなっている.

芸術と工学の融合はいまだに納得できない.

αのヴィリニュスのテレビ局の奪取に関して良く考えなかった事からいまだにさまよっている感じだ.ウィンドウズ発売から変化してもよかったのだがと今いくらか変化を見た.

その昔EUでは誕生子供を乳母に預けてなんとも思わないというデータから母性はないと言う分を読んだことがある.この多くの例は多分、叙情的女性ではなく叙事的女性の子供達ではないか.母性のイメージからは叙事的女性には母性が欠けるきらいがあると思えてならない.

沈黙の螺旋(勝ち馬に乗る・長いものに巻かれる)と悪魔の代弁者・同調現象・同調圧力・自己検閲-アビリーン・自薦の用心棒--「全会一致の幻想は視野を一面化する.-----社会心裡も面白い単語が並ぶ.

懐疑しているその心裡自体はどうも懐疑していない懐疑論者たち.どうなんだろう.ヒュームの懐疑論は.帰納が中途半端な規定であるとするならば、ヒュームの経験印象は出てくる.印象の再生が観念とはたやすい考え方である.

ふと思い立って情念についてデカルトが考察してあった.デカルト『情念論』

アフィン接続に関してワイル・フィヒテも覚えがでてくるのか.そのヴォリューム感覚哲学者は置いていてシェリングであったが.Dのsachiko様そんなことを考えていました.粟津のロートレアモンの存在自体全く知らずで蟇すら読めずだったな.

ミンコフスキーの内積は負の値を持つだったか..

 「マイ論理上において、胎児が言葉を持たないなどということは言ってはいないが.」ラカンの象徴界-胎児は言葉を持つ必要がない.--ばかに単純に言い切っているな.そういえば鏡像段階まで自己記憶探索イメージをしたことがあったが、手ごたえがない対象がいた.これは先天・先験的位相しか考えることのできない時間対象と思った.そんな場合がある..-修正心理の必要がある

スクリブル小説のような独言ツイート.いや小説でもあるか.幽明.幽霊を錯覚した神聖は先天演繹により対象ずれ.真理が誤解をしたミストレス.

ヒッグスはボソンの仮定.フェルミ型になぜ憑かれ妨害・不快な思いをしなければならないのか.ヒッグス型をしたくはないしまたそうとは考えない.排他律がスマートさを感じさせて頭がギスギスする.そんなことを味わうこの現実はなんだ.それにしても干渉するフェルミ人間はなんだしつこい.

そうかしつこく呪われているという感じを受ける存在は帰納的人間である.演繹のみではいけないけれど演繹は好むところである.ここに至って帰納的ミス・ヘゲモニーはやはり誤解認識であるはずと思う.その幼稚さを除去しないかまたルサンチマン的コンプレックスをどうにかしてはいないか今は.自己の才能の及ばないことに対して他人を利用することが成功への手段とはカーネギーだったかな.まる投げというのは何だろう.もうちょっと成功にはバックボーンが必要であるとか言えばわかりやすい.帰納の真理は論理的に中途半端である

 急進的というのは個人的な面が強い.団体になるとカルト的になる?.あの時に考えていたけれどリバティとリベラル・何がいいか考え付かず.フリーダムで秩序できればそれが一番.後即物的にはリバティとリベラルの交互性を考えあぐねて確か思ったはず.アローの不可能性定理なるものを今はしっている

そうだな.とにかくヘゲモニー型が自由の邪魔をする.自由がわかっているのにわざわざ不自由にならないとは全く道化である.ヘゲモニー型が自由を勘違いしているか理念が異なるのだ.アレキサンダー大王に光の邪魔だといった哲学者が自由なのである.

ハイデッガー曰く-世界の超越はならずまた世界に戻る-その世界の中で生きている人々をなぜか連想した.

貴族というとどうにも神聖型で悩みなき人生を送るタイプのイメージがある.共和制から僭主国家に変わって封建制というシニョリーア.封建的無秩序というのもあったということか.貴族制度は封建的なのか.気取りを好む存在は貴族意識か貴族にあこがれている縦型

コンスタンツ公会議がプロテスタントの因になったとは初めて知った歴史である.

見えや気取り虚栄がどうしょうもなく好きだという一連の人々の存在はしっている.とりあえず関係ないというにもかかわらず、なぜか結構呪われる様にとり憑かれる..疲れてしょうがない.どうやらこれらの男女群はパリサイ型といっても良さそうだ.

ある権力者が人々に規範を守ることを強制する.自らは自由を満喫し、無責任であるような位相はそこに原因が生じている.そのような存在自体が原因となる.

リバティ・リベラルでないと後はフリーダムだけれど、これでは秩序が成立しないと人々は思う.ここが問題である.天網恢々疏にして制御する「見えない目よ粗い目よ」

タイスの瞑想曲はアナトール・フランスからと知った.

地球存在を考えてみる.まず太陽系に含まれ太陽系は銀河系に含まれる.これらは地球のバックボーンである.このパターンは経済・企業・起業にも当てはまらないか.バックボーン・それは何かが問われると考える.

急進もダイナミックな多様性を保持したままなら結構面白くうまくいくかもしれない.

規格志向の人間の個性のリビドーは普通には混乱している.真理は単純である以前の過程には混乱が成立していたからである.もし規格外の現象に遭遇したときそのような人間は奇妙奇天烈な行動を取ることになる.

リベラルの特徴は急進的、もしリベラルがまとまればそこには急進的な面がなくなるのは明らか.そんな政権がどこかにないですか.

否、依存志向者が規格・規則に従わないと自らの基盤が存在しなくなる恐れからなのだと思う.そういう存在が自らの規格テリトリーから外れている世界はたとえ規格的であっても責任を取るはずがない.すなわち内部に実在していることになる.頑強に規格至上主義者がまだいるものだ.フラクタルやカオス理論はまだ常に膾炙されていない、というよりそれ相応の年齢の人材が生の営みをそれ相応の実績時間による矜持をもって存在しているということなのだろう.

フリードマンは流動性の罠を本当にわかっていなかったのか.フリードマン・ルールの帰結は流動性の罠と似た状態を考えさせ、そこから戻ってくることで流動性の罠を説明できると先ほど直感したが.

ボルヘスの複雑さはどんなのかな・伝記集を想像していたある高原の夏.傍に肝心の女性がいたことに気がつかずに.今はボルヘスはネットの様でもある.クラウドタッチにも思える.

また双曲割引は漸近的自由の自由度を背景として自由度が高い方が優越するモデルのようにも見える.双曲割引はユダ型のモデルに見えないこともない.この場合欲望意識が強くなる.-?

(アルゼンチンよ泣かないでの作曲者はイギリス人であったか.オクラホマの作曲者と同じではないかと漠然と思っていた.)

恐るべし緩歩動物・そのクリプトビオシス

ハナミズキの白い花が咲いているではないか.近所の家の傍らのピンク色の花の小さなの名称がわからない.花蘇芳だそうだ.

ポアソン分布は馬に蹴られて死ぬ兵士の分布が最初の実用例だった.

不快に意図と反意を確実にした女がいたことを.最も男にも反意図のみを行使したのもいたが、これらは不幸を好むということなら理解できそうだ.-フェルミタイプ

そういう境界-存在は共時より空間的に大きいので(通時よりか時間的に小さいが)共時は内部的と思っている単純さがある.共時的存在で無限がわからないということは全くないのだが.権力者は閉じ込めたがるものあるいは情報の非対称をしたがるもの.因みに生かさず殺さずの場合はその当人がそういう存在でしかありえない.最近、厄介なことに共時と通時の間に現実的な境界とも言える実在があるのを発見というか設定せざるを得なくなったのが難点.

November's Novelで知った意味深なアイルランド人のアカウント名・今は鍵をかけているので良かった.....@i○○○○○ ある人物のツイート流れから思い出してしまった.一言言った記憶あるけれどつたない英語で伝わらなかったとあるいは無視だったか.

江藤淳の夏目漱石論を読んで見たいが、しかしサルトルのような文体イメージがあって読みづらいと想い読まず.江藤淳は政治的発言もしていたんだ.

良い複雑性と悪い複雑性かなるほど.普通に複雑性と聞いただけでついていこうとしない人が多い.最も対処しても誤解・曲解になりがちなことは十分すぎる悩みのまとわりつきとして延々了解している

一応、試行を購入していた時期があったからな.その中でもコンパクトな夢想シーンを描くこの人物は記憶に残っている.余話 浮海啓詩集『夜風の運ぶメモリー』

ヤ○○○の名をみだりに唱えてはいけない.ここに昔から畏怖感を持っている.別にユダヤ教徒ではないのに..モーセとアロンに関心があるからかな.えっバチカンも禁制示唆している・・・

ギルガメッシュの時代にはレバノン杉は満ち溢れていたと推定.

俗人昭昭、我獨昏昏をある書物より知る.大宮ルミネの書店で始めて見たサンタフェの複雑はショックだった.うっかり(のんびり・予定もある)していた時間の中で人々の視野は動いていた.

問題は滑らかさの発展が境界であるか否かを判断できずというところ.境界の特異性はいいんだ.滑らかでかつ特異性は普通破綻を意味する.これは単純に境ということか.視点が通常に巻き込まれそうであるこの心裡の凡庸度.”方程式の解の特異性の「伝播速度」が無限大である, という物理的性質”これは記憶に置く.滑らかさはとにかくC∞級という解釈は成立するな.

(ブログ更新のために自己のツイートを探しながら改めて自分のツイートを眺めてみると結構いい.-自画自賛.いや自分の文章が最も読みやすいということ.)

正義と微笑は駆け込み訴えの後に書かれたもの.良くわからんな.この作家の心理状態は.ペンネームは明らかにハードボイルドタッチではある.

単純に車はどうもハードボイルド乗り物ではないかと最近考えている.

使用済み核燃料を宇宙へ廃棄するというのは、費用がかかりすぎて論外という感触を受けたTV画面を最近見た.小惑星からレアメタルを採取するというのもSF的な話とは思わないけれど.

ネットを始めた頃に直感で関心をしたのは、かにで有名なクリスマス島.もっともジンベエザメを見るとことが出来るからだったけれど.

ハミルトン島近くではなくて、グレートオーストラリア湾にヘブンビーチがあったはず・記憶違いかな.あの頃はアデレードのある人物からマグロを手に入れろなどいわれたりして騒いでいた.いまどうなんだろう.アデレードのマグロ.そうそうポートリンカーンだった.アデレードは看護師の女性だった.
機能的な肯定の直積の場合、他人にとってはほとんど肯定できるものではないのが普通である.-?

(西と東では意識が異なるようです.ウェストウェスト言って意地になられた米領サモア出身者と京都で遭遇)

ある喫茶店でそうウィの女性が叫んだ何の花?雲間草!.まだその店あるかな.連休に散歩コースをとってもいいかな.西洋雲間草で実際の高山植物としての雲間草はみたこと無い.因みにコマクサは燕岳の通り道にしだれかかったのを見たことある.早池峰薄雪草も結局まだ見ていない.

でも最近は中間存在はタフなものであるという認識だ.知ってか知らずか未達の意識を.未熟の意識というものは普通に情熱的なことに気がついた.

パンタレイは諸行無常や無為自然と比するものか.パンタレイは客体的、諸行無常は虚無的、無為自然は明るい生き方.パスカルは道化と自惚れを好まないと読んでなぜなのだろうと思った.個人的にはパスカルの実存とパンタレイ-panta rheiは同一レベルであると昔から認識

ruminate-反芻する.沈思黙考する.やはり反芻には意味があった.思い巡らしていた反芻に関してelaborateに持っていったかな.何か考えていたことあったけれど思い出せない.

もっとも東口夏祭りでアルディージャの連中と遭遇したことはあった.傍にいたサポーターの女性人連れの方が魅力的で今の誰としつこく聞いたら怪訝そうにT君とか言って、サインボールを貰ってまだどこかにおいてあるはずなんだけれど、紛失してしまったかな(そこにおいてある).野田線の始発駅は大宮駅東口側.(ナックスタジアムは例の松林のところで、帰りに良く見た頃はアルディージャはJではなかったな.その後の夏祭りの西口ではカーニバルにアルディージャ参加していたと記憶.当地から見ると大宮・浦和の位置関係.)-これをレッズマガジンに投稿して印刷物になったのを後生大事というかそこに積んである.

中一で対角線論法を習ったという記述を見た.よく勉学内容は想像できないけれど、そんな学校ならやはり前後左右の同級生は、つまりT大学に進むことになる確率が高くなるのは想定できる.

種子島か屋久島か迷って船で屋久島に行ったことがある.海岸線を進んで歩いていったか.ヒッチか良く覚えていない.栗生というところで泊まった.縄文杉とかは念頭に無かったな.帰りもどのように帰ってきたのか記憶無く、とにかく「西鹿児島で夜行に乗った席にある女性がいた..」

 中庸というより中間存在はそのものずばり中間しかできないのでいかさず殺さずの位相になっている.

「バイカル湖の針葉樹とジャワのスコールともうひとつが思い出せない.」-バルト海の嵐だったかな?

ペルセウスとアンドロメダとはそんな関係とはしらなかった...メドゥーサは石-崑崙に咲く花の名前もメドゥーサ.


”ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ”-マルクス

mynishであるとき、台湾の教師にHPを見せたら全くの英語ではない・目茶苦茶的なことを言われた.今もマレーシア女性にはとにかくネイティブでないというかやんわりといわゆる片言の人といわれている.米国人は結構寛容で...まあ英語が上手なのはロシア人という印象だ.

ジャスミンの漢名は茉莉から、東大医学部本科を19歳・最年少(今後破られそうにない記録)で森林太郎は8番目で卒業していることを知った.いいのか実績があるので森鴎外の存在ということで...なお首席は三浦守治.

 フランスの人口学者のE・トッドの発言。「フランスが自らの覇権を失う心配など、ありゃしないよ。なにせ、覇権を握ったことなど一度もないのだから。」

ブレーンの余剰次元というのは、むしろ今ある宇宙が余剰次元的なもので、部分であると考える.親宇宙から発生した子供宇宙のようなもの.ripがあれば親の内部にいて親を越えられないことになることを思う.-エキピロティック宇宙論から示唆を受けて.

フィルトレーション・芽はいいのだけれど楔との関係が.交差因子でスケーリング対象はあるか.最も一方のスケールという事象はある.交差因子か

従順な調和バンドルだから無限の彼方の複雑挙動はとりあえず自然に任すと言う認識はいいとして、平滑化もちょっとその先ということで、紀伊国屋での印象から何年たっているだろう.

ニワトコはトラークルからだったかもしれない.いややはりヘルダーリンだろうトラークル「夢のなかのセバスティアン」.どうやらウグイスカグラか.それにしては花の数が多い.となるとピンクのウツギの類かな.いずれにしてもしらなかった近所に咲いていた庭.ニワトコの名が途中で出てきた.懐かしい名前だ.確かヘルダーリンに関係して記憶している.

(独立記念日には今でも嘉手納基地の中に自由にはいれるのか?.)

銀河群のネットワークとはたおやかな.実際は核融合爆裂中の多量の星々.

「あの時の設定は、ナンガパルバット・ルパール壁の直登可能な体力を必要とすると考えていた.」今でも有効かな.当人は無理.無酸素エベレストではなくて.

あれれ吸い込まれそうな女子高生・バイトで些少悩む若い娘・何かあったらいつでもおいでと看護師に遭遇-そぼろ雨の夕刻のひと時.

つまり絆とかが困難な現代複雑状況の中に置かれている人々なので、むしろ積極的に複雑思考を取り入れていくことが当面の課題であると考える.そこに絆があるとすれば複雑絆とはなる.単に希望あるのどかな平和(但し冷戦下)の頃とは異なって、エントロピーは増大して複雑になっているから.

しかしなれど、高濃度の酸素十分な平地においても、今、極限状況の話を聞く.サウスコル以上の高さ置ける行動に匹敵するものと人それぞれの生存能力に応じて思いたい.ここには瀬戸際と共に緊急避難の領域でもあると考える..頭でっかちという言葉があるが、単に実践理性優位の存在という区分け認識と捉えたい.純粋理性優位の存在がいても良いので、また実際にいるだろう.純粋理性と実践理性の対比をすれば、純粋理性の極北は実践理性者が無酸素単独チョモランマをすればそれなりに認めるといったところではないか.

(銀行の資産のところは一応義務的な面があるとはおもえるが、現日銀総裁は孤軍奮闘している雰囲気なのか.自立意識を出している面白い人材ではないか)

(米国の奴隷化-TPPはそう思えるけれどまさかという思いもある.米国議会に本政府がしかし変更意識パワーを持てないかも知れないな.米国にとって日本は利益のための防波堤として扱う視点を考えることが出来る.その防波堤は防げれば良し、防げ無くても本国に関係ないと示唆しているかな.)

特に笑いが矛盾を消去するのなら余計に理不尽の成立と結びつく.そうすると笑いと権力は結びつく場合がある.ベルグソンは喜びの笑いしか考察していなかったのではという覚えていない笑いの哲学を読んだ気がしているのだけれど.他者に無駄を要請する場合のものが他にもある.それは権力という名称がついている.笑いはカタルシスもあるが、他者の滑稽に対する優越感も齎すことがある.つまり笑いは他者に無駄を構成することを要請することがある.笑うかどには福来るは建設的喜びであるだろうけれど、

(内灘というのは闘争があったのかそれでナイキを思い出した.砂川?きいたことがあるような.)
線形が境界では無いと思われて異常になるとき、それは特異点を示すことに気がつくまで2週間もかかるこの脳動の動かなさ..

世の中でつまらないもの-幻滅

一杯の茶のためなら、世界など滅んでもいい-ドストエフスキー.地下室とは自意識のことだったか. The End Of The World はいい歌.しかし地球は確かに回っている.そよ風のように.(ジュリー・ロンドン?.けだるいジャズ的でもあるな..)

太宰治に葉という作品のあるのを知った.ちょっとしゃれているが抑圧がかかりすぎている.シュール的には普通.-太宰治は青春のはしかなのか、悩みのたね、しつこい煩わしき存在であるようにしか.

減衰が滑らかさで置き換えられる-波動方程式ならば、減衰振動は量子的位相へいかねばならなかったか.それは全く自力でしかないか若しくは書物チェック漏れのカリキュラムであったかな.自己思考に集中し過ぎていてスルーだった思い出.

桓武天皇の子孫の広がりからなのか、本人のほとんどには天皇の血が入っているという記述を昔見たことがある.その血があるとしてそれを焦点アップすると国歌に関してはスルー意識が成立しないか.国歌はもう何十年も歌ったことなく君が代に政治的意識など持ったことは無かったな.

(原発は配管チェックの頻度多や冷却技術安全可能は出来るでしょう.問題は使用済み核燃料の実在.確実に冷却可能これもまた技術的には十分だけれど、どこで漏れがあるか不明でなおかつ最終処分が不確かなところに懸念がある.)

(民法627条-退職の自由があるならば解雇の自由があってもということにならず判例ゆえの圧力が使用者にもありそうではある.捩れの構図.)

京の街を「二人で歩きながら乱舞を想起したりした.」懐かしいというより今そこにその時があるように想起している.この乱舞の舞台の文章化なのであるマイ論理は.夢の構造が他の理由のひとつの候補にはなりそうだ.先を見ることは夢を見ることに類推させることが可能でもある.白昼夢や則天去私ではなく即身成仏を呈示した女性の直感はどうなのか.即身成仏は密教的なのか.東寺で出会った学生なのでなるほど.そのときには知見が無かった..

この馬鹿げた必然性の余儀なき時間の時をヘーゲルの悟性と見ると説明は出来ることに気がついた.まさか悟性など考えもしない.性的人間や俗物範疇に入るこの言葉で判断することなど考えもし無かった.自己予見能力も悟性とはがっかりする.舞台のレヴェルはどうだったのだ...もっと他に理由は無いか

減容とカロートを今は知った.普通の言葉をあまりしらない.石塔墓や墳丘墓なる言葉もそうかな.
錐体路=随意運動・錐体外路=不随意運動において10m歩くのに普通の状態で感覚で5分以上かかる存在のどこが不調なのかさっぱりわからず..好奇心が興味を齎す・まあ手帳を見せてもらえば直ぐにわかったことは思う.

”実際、円は無限群である*次直交群に関して不変であり、無限に多くの対称性を持つといえる。”この記述はちょっと深遠である.双錐-楕円錐.楕円は円錐の双錐により近い.-「当然No.3に関係している.」 
いろんな面で窮屈な存在をタッチするのにドメイン体としてみる方法は昔から持っているが、使うのも疲れる.権力的上位にある存在は下位をドメイン的に見るだろう.その子供をドメインとしてみる親もいるだろう.ここにドメインの壁がある.-量子ウォールを強引に持ってきたかのような.

中間存在は最近暴力的にも思えるようになった.そもそも中間というだけあって有限存在は明らかで、悩みがあったとしてもその中間度に比してしか悩めない.その反面で喜びも中間的にしか味わえない.これを後天的に変えることが出来るか.通時が共時時間内に出現しているというようにかんがえなければならなくなるが...

外山 滋比古の名を前に思い出した.-「関係あるのに思い出せなかった女性が関係あるので、彼女の在学中になんとなくそこに存在している気分になってしまうO.」

今でも理論と実践の違いをうまく連結する思考が出来る人はいないのではないか.昔は理論と実践は違うと良く聞いたものだった.世間知らずというのは実践を良くしらないことかな?.ならば世間は理論をしらないということもありうる..

通時時間に悟性現象を挟んでいる時、いや通時的悟性体がゲーテの行動する陋劣になると煩わしいことは十分予測できる.挟んでいる時の両線分点は確かでも中身が矛盾を含んでいると詭計的に見える印象を持つ.ヘーゲルの悟性とか言っているのに、時たま自我が超自我視点-共同幻想的視点になって自我ミクロにえっと思う次第.むしろこれは古典とする時間と空間と考えて捨象位相を蘇らせた事に起因している気がする.理性のみばかりでなく現実には悟性も存在している-ことは当然過ぎていまさらに思い出し、唖然としている.

超弦に関してはその進み具合は予測・ただアフィン空間という擬似性に悩んでいるうちに、展開が量子群などというもので発生していた.アフィンは擬似より有る事の基礎と見たほうが良いか.-実際にはアフィン空間ではない.

扇・センスの部分は錐形・角形.箙の広がりも錐.楔の側面も錐--楕円集中でわかりづらい.錐のある変形を楕円と出来ないことは無い.

(現代のエスプリ-懐かしい言葉を聞いた.休刊だそうで.パイディアはまだあるのかな.-あるわけないな.)

(”関数環の非可換化と単位元近傍での微分作用素環"を指している.どうやら非可換化が問題の対象であるようだ.)

(ビアフラは民族紛争だったのか.でブードゥーの故郷がベニン湾であることをしる.)

(えっ引き戻しでwildも解決した?.先がありそうだけれど.)自己による自己の思考の他者の思考を用いた解説をしている.平滑で無限で滑らかになる-減衰が収束する.一般解析wildは難しい複雑さをもち、tameという確定特異点の対応関係に制限のもとで出来ているということらしい.世界はひとつであるように対応していることをみる.アレフωなし・・(恐るべき数学者達・・何のことは無い普通に思考している.先蹤者たちからの積み重ねの論理展開をしているだけだろうけれど、(多少ここでペレルマンの謙虚を思い出す)ところがwildの解析は難しそうだそうで、多少そうだろうと当然思っていいかな.)

無限の域で複雑になりそれの解答は自然に任すというところで、数学がこう述べている.”接続の定める線形微分方程式系は無限遠(境界 D) で特異となり,その解は境界に近づいた時複雑な挙動を示します.これは古典的には複素線形常微分方程式系(ホロノミック系)の特異性に関する事ですが・・”

量と質の違いの不明の時には計量を考えて厚生経済を視野に浮かべて厄介なとはおもった..そこに遊びに来ていた親戚の岐阜の男子高校生・K大狙いに因数分解の質問をされて、意外にわからず..のは別にして「彼女に対して関係を明瞭に言えず何かが妨げた・・(第二楽章予定部分)」

統合はリバティ的で固く叙事的概念で叙情性に欠ける.そういえばマルクスの著作からも論理整合性はそのようにおもえるけれど、叙事的にしか思えない感じのために、いとこに論理整合性を強調された形を受けたことがあったな.

フェルミ型人間にしつこく絡まれるボーズ型のナンセンスな疲労感を除去して主体を取り戻さないと.縮退や排他律ではなく、あえてならばボーズ凝縮に視点を持っていることを誤解しているか、ボーズ凝縮がわからないか、あるいはフェルミ型本能が積分という統合意識を発揮するのだろう.

質と量の問題は区別がつけられなかったあの高原の外れの民家の台所で.やはりFとB粒子は互いを設けなければ・・ヒッグスが明確になると量子次元が深まるのではないか.

「アトランダム(名詞的に用いる)には当然そんなにでたらめを想定しているわけではない(複雑性を示唆している)」-my論理で用いている好みの言葉-懐かしい坂道の途中で視野の開けた部分で考えていた昔

通時的現象を共時時間で判断するときの歪みみは何かが考察対象となっている.ここに偽善・詭弁の成立する根拠と直感が曖昧に示している....

”ボルツマン分布は、この二種類の粒子の違いが現れないような条件におけるフェルミ分布とボーズ分布の近似形(古典近似)である”ちょっとこの領域で思考しずらくなっていることが、強烈な夢を見させることになっているか.煩わしい女性がしつこく干渉する形になっているからかも.

対称の密度が漸近的自由に従うという仮説アイデア

直感ではウィグナー分布が論理に応用できると思ったが..不確定性原理由来とは.ならば不確定性も応用可能であることになる.そしてそのようにも考えることが出来るのは盲点で、意外な発見(?)・視点の相違でもあった.

にもかかわらず多価性に関しては直接であり避けてはいない..ゆえにあの時微分方程式は避けたのは予感があったということか.”微分方程式の解の中に新しい特殊関数を見つけようという考えが生じる・・”

ζに関していくらか趣が変わってきたような・・”リーマン・ゼータ関数の零点分布に関する量がランダム行列を通じてパルンヴェ超越関数で記述されるという予想もある.これにより,ゼータ関数はパンルヴェ微分方程式と深い関係があるといってよいのだが,・・”

嫌い・苦手な待ち行列にリトルの公式があったのはしらなかった.

遺制というか未練があるのはポアソン関数かな.石川淳の発言の記憶がある.

ロンスキアンは想定済みだけれど何か視点があいかわらず違う.

慣性の法則とソリトンの間に(無限場があるとして)ニュートリノが入る関係結節はあるかな.

リトアニアのあの十字架の丘は何を意味しているのだろう.クライペダ出身の女性に聞いた事あるような記憶があるが.

(米国もマンハッタン計画はぎりぎりだったようだ.それにしてもヤルタのは、ノモンハンやその他の歴史過程があったにしても、絶妙のソ連参戦時間になってしまった.この思考過程のノンフィクションタッチの書物がありそうだがしらない.チャーチル回顧録?)

一様動的多様空間の最大値--スケールの大きさを切断したときの位相などを考えてみて.

最近激しく抜き差しなら無い夢を良く見るようになった.夢の中に入り込んで自らもその夢の不可解・無茶苦茶・抜き差しなら無い展開のなかで事態に直面している.夢を見ている時に実際のことと思いながらである.-ナイトメア

権力型の圧力は苦手でどうにもならない教条感を覚える.心石にあらずという独断・教条型はある動物が自然ではなく、動物園にいる場合とおおよそ思っていた.

(ある作家は結局、実存的といっていいのかな.ヘーゲルの悟性も実存と捉えることは可能.となると馬鹿げた不条理も実存の寄与があったと解釈してよいか..)

(パラコンパクト・私的な空間かこの街は)

幻想旅行記をプレゼントした存在がある喫茶店に昔いた.個人的ではなく使用者としての位相のために..

ミショーは小気味良い詩人である.但しメスカリンなどというハードなものはいらない.進められてドローイングを描いたりしていたんだ.そのドローイングも結構秩序がある.大体、これは興奮に満ちた釜か励起する海の領域を連想させる..

半単純は理想的ではないか.まあいいか理想気体もある.スピノールのみの世界とか

サルトル君というかサルトルよ.実存は普通に勇気と義務であった..実存があるなら本存概念を用いても良いだろう.-虚存だったか.

ひとつの世界で無限の彼方の複雑さについては自然に任すことと弱到達不可能基数の存在はパターンが同じというようなもの.∞+∞=∞.この場合∞はひとつの制約を取っている.アレフ・アレフ・アレフωにいく考察はパターンは同じはずである.但し∞+∞=∞などの条件がつく.無限力で組み込まれている場合には有限になる.その反対に無限力で自由な場合は・・それでも有限だとクォーク.摂動が成立する場・領域を考えていた・自然に成立する空間は減衰でもOKであるだろう.

2014-08-02

my ft 31032012

「」はマイ論理から・()は省略可能・-は結論・他は随意
量子場のほうが建設的にも見える.心理に関しては明らかに量子場を適用することに有意を見ている.実存は流布されている.但し、ハイデッガーの未定部分はそうではないことはわかっているつもり.ならばやはり量子経済か.
現実の最大値に・相転移に現れる深淵は実存的なものかもと今日考えた.実存ならそういえばそのようだとも思え膾炙しているのであるが、実存経済学という言葉は聞いたことがない.現実の結果が本質でn-次元は実存という考え方もできるなぁと.
憎まれっ子世に憚るで、悩む人は内なる神を剋するという場合、神を剋するすることが出来るかというは別にして、倨傲・傲岸・傲慢な心性があてはまりそうだ.確かに神は強いものだから心も強くなくてはのかも知れない.近隣の人が死んでも・離婚しても不動は無神経・異常に見えることも
後残るは駆け込み訴えのユダで、これはキリストに明らかに作者がなることは出来ないのでパス.妄想的なものか.後、昔、教科書にあったモデルありの走れメロスで王の変心があまりにも簡単に表現されていて疑問に思っているが、その後読んだことはない.斜陽のお母様は先天的遺伝子が保証しているのならその品性は疑うことを必要としないものがあろう.その意味でそんな実在がいてもおかしくはない.太宰治のペンネームは権力行使者の意味で使っていると思っている.総理の真似を気取り(?)で行う人物でもあるし、権力忍耐の意地の発揮でもあろう.システム上に理念としての介入は不快でもあるがそれが狙いとでしょう.富士には月見草が良く似合うだけが昔から気になっている.そう月見草は黄金色には見えないはずだった.そうしてこの観点からの視点であったか.今は初めて経緯過程を読んだ.”--富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を--”
先天的素質を考えると親が古いので、その子供もそう新しい思考を考えることは出来ないという認識している.さてその年齢は確か91年生まれ・20歳くらいと妥協は出来るある観点がある.
まだこんな思想・思考の時代とは昔は予測していなかった.もっと新しい考え方がかなり出現しているはずだと思っていた.ある面まだある女性が有用ならまだ通用するということは予測できたが.
そうであるとエルゴード性に近づくことになる.失敗認識によって燃やしてしまったマイバイブルはまずかったかな.それがあれば何十冊か書を著すことは可能でもあったかと.
F・Bという不確定がHという均衡点を仮想させるであった.
ステークスホルダーの潜在的駆け引きがある・玉虫色であった頃からの現在変貌に対する対処は難しそう.ホルダー関係ないところではやや強く主張できるが上部構造が政治とつながっている形もあるから.
エルゴード仮説の証明はなされていない.
クレーブの奥方はラファイエット夫人であった.ラディゲからスタンダールといって赤と黒は岩戸の祭りの頃同時に思いついた.なぜなのか今も疑問である.ジュリアンの野心のCのアンシャン・レジーム物語.マチルダその愛のすべてが心地よいフレーズだけれどマチルドなのか.Mathilde・軍人と僧職の象徴ということらしいが.
ディラックの海とするならば明らかにナンセンスな遠慮をしたものだという想いが必然的に生じる.あながち失敗でもないかいや失敗だ.それでも必然が誘ったことにもなりそうな障害という、思い出さなかった抵抗.この面は封印的で想起しなかったのも無理はない点もある.後に来る誤解・無理解には閉口中・南部の海だそうだ..
とするとあの時、市民の希望にまとわりつく暗黒は量子場となるか.市民は量子に気がつかない?.
F・Bの平衡点はHととりあえず思いつくが、セルン発見証査はまだ.a little about quantum economics. 10年かかる.大宮ジャクサの前の道を歩きながらから.
飽和・過飽和はマイ論理上の概念・言葉にしてある.
テュルゴー-人間社会は野蛮と文明の周期を繰り返す・は示唆的である.ある中間存在先天的は迷信を持っている経験がある.
権力者の自由は比較上の問題で相対的なもの.昔のある国の皇帝が永遠の生命を求めたという往生際の悪さの例がある.だが階級意識を先天的なものとして生まれてくる人間も多い.普通の自由は何もなくても・比較なくても自由である.
ピス島の生活も悪くはない.規則を作って他人には守らせるが自分は除外されている思考の場合、頭の中は無人島ということを考えてしまう.傍若無人はロビンソンクルーソー.または桎梏現実からの自由.
現実の最大値はブラックホールのような深淵をイメージしている.こうなると無現実などというものを考えるが意味がなく考えあぐねる.-生殖期から肛門期への落ち込みかも
管理者も有限オートマトンを作りたがる.最も当の管理者自身有限オートマトンであることも多い.でおぼろに機能秩序と自由秩序を発想する.
機能主義は有限オートマトン・依存性も有限オートマトン的.宗教信者も結構似ている.人はオートマトンではないけれど、オートマトンであるとするならば、少なくとも有限外オートマトンでなければその心理はよろしくない.
日本で地域通貨が乱舞と例の同志社の教授が述べている雑誌を立ち読み・考えてみるにこれはアナーキズム.
トマス主義者の経済への考え方はわかりやすい.総じて経済歴史を眺めるのは有用である.古代派とスコラ学派 
ネストロイの進歩とは何々であるという箴言・風刺を思い出せない20歳のコーヒーショップでの.
天国と地獄は連係していないのか.地獄は生前はすべて見ることが出来ることになっている.
そんなわけで小学生のときから引っかかっているくもの糸は、不愉快なのである.かような小説を書くから集団圧力風土による漠とした不安を齎すことになったのではないか.
憎まれっ子世に憚るは荀子的で孟子の災難ということになる.荀子自体は実際馴致が出来ていたのかどうか.とにかく憎まれっ子は罪の意識がないものと見てつまらない人間ではないかと思う.エゴイストといえばエゴイスト.地獄の閻魔が見逃すはずはない諸々と思いたいが.
挹婁がのちの女真族問という説があるが.妙に病気にもならずバイタリティのある民族がいたものだ.著名なある人物に関しての評伝の概要から思い出す東アジア古代民族の勃興の跡
カレリアはロシア領と母親に聞いたとノボシビルスクの青年が前に言っていましたが、フィンランドだと思うのですが.
でアレキサンダーの結び目でペレルマンはアレキサンダーより英雄かもとか.アレキサンダーは問題をなくしただけで解いたわけではない.しかし、葉巻は存在しないというのが引っかかる.
先天的な行動力型タイプは脳が小さいとも思うときや叙事的だから処理能力に迷いがなく・複雑な思念を考慮せずに行うので優れているように見える.がそれはあたかも機械が行っているのとさほど変わらないようにも判断できる.ところが武力的圧力のほかに陰謀・策謀能力があるからその脳構造はどうなっている?.なんらかに能力は足りないので陰謀・策謀に自然(先天的・先験的)になってしまう.こんな人物が如実にいるので不愉快.
ただの発散でしょう.無意識抑圧下のもろもろと現実のバランス確保のための.「無意識抑圧がない人」にとっては現実対処中におけるまとわりつく雰囲気のネット言語表現化.
論理の現実が勢い良く出現している時代になっているのだこれは.離散的持続とかの初期観点に戻ってみて対処を考慮しよう.まだ未出現の位相に設定してあるのに.人々の現実の解体事実のパワーと現実への過大評価に陥っているかも.
自ら思考を解体していく傾向にある.そんなはずはないとは思うが.δにべき乗もでてきているのに.
単純にホモロとコホモロだったといってしまうとつまらないが、解析接続がユークリッド空間へというのがあるから.
なんか出てくるな.脳疾患がある疑いがある.欠陥があるらしいのだが独身をやめて楽しんでいる人材など、複雑系現実の主張じみたものに結構きりきりしている.潜在的緊張を強いるのでストレスが内部で増加しているかも.それは複雑系で当然と思っていたはずなのに、幻惑?今気がついたということか
北八ツのスノーハイクを見て、昔11月に北から南まで行ったことを思い出す.ニュウとは何のことか.まだ行くの権現岳.縞枯れは懐かしい.思い立った8月の麦草峠は緑のやや強い風が心地よかった座り込み.一緒に大阪の女子学生と松原湖にいけなかったのが残念.白駒は時間をずらして行った.
健在ですか.神の代理人とは何かで悩んだ頃有り- 塩野七生
関係の絶対性について関係の無限性を考えているから想定しづらかったようだ.絶対性はヘーゲルの概念のようなものか.-無機物の桎梏で唯物論立場からの絶対という概念であった.
境界に直面するとは建設的設定しかしなかったけれど、退行局面において直面することを発見した.自らは停留しているとそうなるのか?.-発展段階の以前の蒸し返し情態になる場合・すなわち対象存在が発展段階以前存在でしかない場合には退行局面になることも多く、
昨夜は変な夢を見た.「当人仏教の会」なる宗教の教祖の演説を聞いていて、隣の人物に*年後にあなたの罪は贖われるといっても生きてはいないよなと話しかけていた--当人仏教の会をネットで調べてもない.まあ普通こんな名称はつけないか.夢であった.
13歳のハローワークを見ていた.結構面白い.13歳にハローワークに行く権利などあるはずがないので荒唐無稽なものだと思っていた.13歳への将来職業への関心誘いなら意味はある.そう作家が最後の職業なのか.誰かを思い出す気もするが.
モジュラー形式は面白い・今頃そうかと.BSD予想とはどこかあちらの世界のはずが・・、あの時ツイッターの楕円曲線に関しての誘いは明らかに暗号に関してだっただろう.誤解されるような何かを言ったようだ.
あるギリシャ文字をその立体化から射影すると楕円を持った文字になる.これを象徴・省略・比喩としてごく自然に用いている.その辺のアニメや叙事詩や熱記号とは全く無関係の発想から来ている.
ラマヌジャンはインドの奇跡としか言いようがない.
(経産省の力が弱くなったらしいのも現経済に多少は関係していると思う.)
絆は強い.最近絆から縁を申している人がいるが、昔から仏教には無縁の縁という考え方がある.
ここまででこの後は余計かな.もっと他の国を南半球があっても.””「朝のリレー」  谷川俊太郎 カムチャツカの若者がきりんの夢を見ているときメキシコの娘朝もやの中でバスを待っている ニューヨークの少女がほほえみながら寝がえりをうつときローマの少年は柱頭を染める朝陽にウインクする.
依存することは他者への責任転嫁であり自己はその無責任さ増加ゆえに残酷さも増加することになる.普通には内部存在自由でモアのユートピアにも近くなる.さてこの特徴ある国の方向転換は成立するだろうか.
ミルグラム実験からローマ帝国様お願いいたしますの人物は例証だなと思いついたのだが、一般ある種の性にはかような人材が多すぎると思っている.
人は皆身体障害者ではないかというある教育・哲学者の言が記憶に残っている.そういう見方もあったか.むしろ未完成・未然形と考えたい.-神は自身と同様に人間を造ったというのは?.
漸く例のミス権威に動きを見つけることができた.もっと話し合えばこれほどの無意味時間を過ごさなくても良かったのは明らかなはず.結局、彼女に責任があることが消失していく.....幻滅過ぎるときを克して.それにしても主体をずらす・疎外強制言明をする人々が男女を問わず多いのはなぜか.-やはり責任はあるがまず自覚をしていない遺伝子の甘え・それ以外に生きようのない方向ともいえるが、責任力は小さいのが不愉快すぎること.なぜなのは叙事的人間でしかありえないからだ.
興味深く読んでやはり執念の自力力・自発力かな.それでも他者も同じ位相で同様なものを出してくるので、実力はまずあると認識してそこに独自性を付加することができれば.
アーレントでアイヒマンはヒトラーの命令に従っただけということから、ヒトラー教なる宗教的なことを考えてしまった.当然類推で、ある宗教がチラッとうかんだがミクロには触らない.
京都大原三千院近くの店のお嬢さんと一緒に写真を撮っていながら考えてしまったことが、今に寄与しているとはまさかとは思う.アニメ的なこと.
10万年の間に科学が進歩しないと思いますか.十中八九、宇宙のどこかに使用済核燃料を運んでいるでしょう.地球が今のままに時が過ぎるとして.10万年ならなおさら可能性は高くなる.仮に保管が成立したとして、地中の核燃料が隆起で地表にという10万年の地質変形は片面のみの見方.
質量-質と量は古くまた新しかった.というより不変なものであるか.計量経済はあるけれど計質は聞いたことがない.-行動経済は計質的な面もある.ミクロは質的になりやすいかな.
 (みゆき座やスカラ座の映画なら見たことある.みゆき座は新たに劇場内に移行なんだ.みゆき座は趣味に合う映画が多かった.)
そういえば聞いたことがある名は小宮隆太郎だけだった.後は覚えた名がちらほら 
躊躇している一歩の踏み出しの時に実験と思ってみる.実験に失敗の可能性が高くあるのは普通.
まあ間違いのないところだろう.ゆえに失敗の恥をかいても挽回のチャンスを与えるような方向がやはり望ましくなる.ちょっとどこかで変化点が出現しないか.一応、実験意識を持って対処することは考えてある.結果の検証は出来ればあらゆる思想観点のフィルターを通過させて判断させる.
日本の伝統的に恥の文化から名誉心を尊ぶより、恥をかくくらいなら無責任の方がましだと.諸行無常もあるし・・.かくして玉虫色が出現する.政府以下縦スケールにおいて通用している.
人は皆先生ですといった作家がいたが、推測するにカントの定言を認識していると思われる.
しかしだ世界へ行っても厄介は厄介である.世界大宗教に直面し、そのほかに個別の国教会や正教・共産の無神論などに絡まることは歴然としている.それらにスマートではなくスムーズに対処すればいいのだろうけれど.分派もいろいろ有り、民族伝統主義有り・・
 始祖鳥は黒かった…翼の化石から色素解析 -あの頃描いた描像は当然黒だった.この頃に征服という観念も考えていた.方解石の劈開もまた.
アンドロメダは女性名詞として通用している.これを男性用にに用いるのはいかがなものか..
不確定で無限小から無限大を意識するのと、中間から中間領域のみ(不確定ではないか)を動くのでは、明らかに後者の方がエネルギーを使わないで済む.
故郷のバス停のところで考えていたカントの道徳学については、漸く思い出してパスしていることを思いつく.視点のあるいは場所の時間のちょっとしたずれで、自己の認識を忘れる・から外れてしまう..定言だったのなら普遍は良く知っていたはずが、ちょっと落ち込みというか遠慮したので、次元が落ちていることに全く気がつかず.
”極低温の液体酸素や液体水素を何年にもわたって保存することができる”だったか.良くわからなかった.燃料電池と共に知る.-ちなみに男性因子を液体窒素で保存できる.
普通の人・中間存在にとって斉一性原理から、未来がやってくるので、真実が他にあっても受容能力がない...
(LEMON TREEはPPMのデビュー曲で、JOAN BAEZも風に吹かれてを歌っていたんだ.雨を汚したのは誰を思い出して探している.)
超対称で真空であるためにスピナーはどうもつまらない.-無空・無空気.-現実際、スピン制御には驚嘆している.何十年か前の+-1/2想像映像から制御が不可能ではないと思えるが、あの頃は制御など想像することはしなかった.
脱構築政治は別になんでもない.
○○は人の上に人を造り人の下に人を造り・・・ある大学の創立者といえる人の言葉に疑義を小学校の頃から抱いて・・(教育をうけなければ人間不平等であると後に続いている・では大学創立のプロパガンダもあるかな)ジェファーソンは尊重すべき人材・ミルトンはなぜか慶応の慶ですといった女性のいる店で思い出す.世襲因襲もそのころに近所の家・あの柿の木の花零れる道近くのそば.
気になっていたマヨナラならぬマヨラナついに再登場 Majorana
エジプト王国は何千年も続いていたことをいまさらに.
繰り込みというかクォークを取り出せない事実.クォークに宇宙があっても良いとは考えたことはある.
至高者の権威とは宗教における神や創始者・国家や世界団体・集団や地域社会などなどにスケーリング.宗教は成立し階級は実在するということになるか.
ホッブスの至高者の権威とは”人々は自然に有する自らの自由を、合意の上で至高の権威に譲渡し、それと引き換えに、この至高の権威によって自らの安全を保障してもらう。-この至高者の権威によってのみ、万人の万人に対する戦争は抑止され、秩序と安全が維持されるのだ。”
ケネス・ウィルソンによればそれゆえに人間が存在している
自殺未遂を何回も行った作家がいた.意図・心情が良くわからない.ポーズではないかとも取れる.自分のことを言っているという読者多そうなその作家、作品を持っているということになり、その理由を最近潜在的二人称という言葉を知り、それに表現されている気がした.
最近は-10年くらいで一流になれるスポーツは疑問の余地を持つようになった.最も相撲とかサッカーも小学生の頃から行っていると10年以上はかかり、なおかつ体力の衰えという問題もあるのだが.
規範的秩序は有限なことが明らか.普遍や定言がある場合もあるが、概ね.自然的秩序においては有限と無限があることに気がついた.この自然的側面において有限的存在が中間存在となることになる.この中間領域においてもいろいろな構想も発生しまた代理無限に宗教が存在する.
歪んだ生理体をそのまま持続する人間もいる.表現を変えれば偏心体か斜交座標体として生きている.常識地点からはずれていることは明らかで不愉快なものとなる.(複雑系は擁護するが、実際疲れる.歪んだ思考をしているといいが、正常思考することが歪んでいるのか).一定のパターンで生きている人間とはどうも先天的存在となる.
微細構造定数について進展を見た.全くこんなに時間がかかるとは.直ぐに可能性を思いついても良かったのに.良くある不完全性定理対象のようなものは解決しているのにその視点が見えないだけなんだが、わからないという形を取る.
功利主義を個人的に否定しがたく不快なのはどうもそれが正規分布型でしかも叙事的志向を持っているからかな.功利がその対象から無視するものは正規分布の棄却域に存在するものと見て.-ホッブスの至高存在となるとどうにもならない宗教観となる.
チキンゲームの場合、謙虚な人・回避型は負けるだろう.ゆえに憎まれっ子世に憚るはこの世をチキンゲームと見る場合となる.それで考えるのは荀子の性悪説で、性悪や精神発達過程を有する無知な人はその余地によってチキンゲームに勝てる可能性が高くなる.そもそも荀子自体が性悪だったのだろう.-馴致をするのなら啓蒙主義の建前で、そんな人間はなぜなのか多くいる.
普通には細かい波が集合したものを粒子と考える.で波が線状に集合した物・場合を想定するとシステム・秩序ができるとか.これから考えると弦の根拠を考えてしまうが.
”有史以来、男性が作ったこの社会を全く信用できません。” をみる.また”共存共栄社会を望む”という言明も.一言、それは女性が大人で男性が子供的だからと潜在的にあるはず.男性の成長を促す事.ところが子供的女性もまたいるから始末に...
あることの事実的秩序はそれを自然的秩序とする?.規範的秩序にせよすでにあることは空気のように思いたい.マルクスの自然的存在ばかりではなく人間的存在でもあるを思い出す.フーコーの動的権力は結節とするとフランクの末裔者たちの思考の位置はそうなのかなと思うとまた面白い.
小学生のときから権力の権の文字にその固さに苦手を持っている.対外的には防御能力であるな. 
自然時間の長さとルールの短絡時間という強制のギャップ"そのような秩序ある時間が長くなると、人々は「そのよう なものだ」と考えるようになる。さらにそのような秩序が続けば、「そうすることが正しい」という規 範意識を持つようになると考えられる。"そうしてうんざりするので変化を要請することにもなる.
ミルヘス「寡頭制の鉄則」・・・領域のあるところには不回避的にNo.*が成立する位置がある.さてそのそれ以外との区別の発生は.
関係と権力メカニズムは循環的とも
フーコーは権力を静的なものではなく動的なものとして考えていたとは.
南十字星をバックにフェニックスか火の鳥ではないな.いやアンドロメダのような女性なんだけれ、どマネタリズムと取引コストについて頭動かないよの記憶から、その後に知ったある小説家の何回忌をアンドロメダ忌と呼称しているそうだ.不愉快な思いをしている.まさかここに関係しているとは思わないが
小学年生の頃はハーバードに行こうなどと考えたこともあった.でも日本も無視しきれず大学とは何の疑問も持った.愛蘭民謡は春の日ので・・今は全く関係ない日々を送る.(必自由・定義・権威・優秀・真理の女性達をどのように表現しておくか・・)
このケースで悩んでいて・なるほど功利主義か・・どうにもしょうがないものだ.それにしても理性は情念の下僕とは明瞭で悩みがないね”最も効率の良い手段とは、煎じ詰めれば暴力と欺瞞のことである” ホッブズと秩序問題 
人は死を体験しない.生は常に死に直面している.しかしBHを内部に持っているとすると生自体が飲み込まれる可能性があることになる.生きていることが生きている内部に死としてある・・とても矛盾でメビウスの向こう側からまた生が来る・ことは出来ないのがBH.(小説の草稿のような・・)
まさか現実の最大値か相転移は深淵なんだけれど、ブラックホールではないよなと思考する.そうならば人は内部にブラックホールを持っていることになる.ひょっとして事実かもしれない.(mass gapはクレイの中で最も興味あるもの・・mc^が相当では意中が異なる)
ポストモダンの指針無き日々が日常の時間速度の加速に追随するとそのようになるか.道しるべのないのはモダンにもあったはず.明らかに明瞭なのは非線形を考慮せねばならないということである.そのとき正規分布は当たり前すぎて当然過ぎるものとなっているはずであるのが今日と設定
なぜに機能主義になっているのか.バブルにおける分解展開の部分システムの平面展開様況に見えるそれ.この感性の叙事性は落ち込みではないか.勢いのついたファイバー射影では、心理叙情感が悲惨になってしまう.
どうもわからない.ウイックの定理があれば散乱のスマートすぎる深遠複雑も簡明とは・・F伝播関数あるのに
団塊の世代が学生運動で騒いだといっても、結局変化起こせず体制の中で何やらかややっているだけ.最もすべてが学生運動を行ったわけではない.大学進学率20%の時代なので少数派といえばそういえる.
懐かしいというかポイント記憶しかない小学校一年生を最後として行ったきりの小鹿野
長いものに巻かれろ・寄らば大樹の陰の伝統はなかなか崩れない.そう試験制度・試験内容を変えねばならない.
そもそもリーダーとは何か.帰納の経験で現象に合わせているような意見しかかな.エリートという言葉は嫌いである.詰まらん.ネオ・エリートならいい.エリートエリートいっている時点でまずだめだな.他流試合やミッションはいいが.
mass gapか.最大値でも相転移でもなく、それならば一応連続現実を可能と設定でき・・・
ラッセルの階型理論はたしか生理体の生物構造にあったはず.これは多分潜在意識にあった所からラッセルの貴族的自由として
部分としたシステムの定性と部分的機能の一連の流れは一致するとは昔に思ったこと.今では機能主義なる主義のあることに対してはどうも.機能体がシステム賛同をするとシステムロボットというような人間が成立しているはずである.
何日か前に限定合理性当然の言葉を見て不快だけれどそれはある.カントからで.これはサイモンの提出ということになっているらしい.その上ウィリアムソンによって有機的合理性は最も弱いものとは.この有機的合理性を一般秩序生成能力としているのに、これでは現実世界の騒々しさに過ぎ去り行くのみか
ゲームの理論もその数値化でちょっとなんだけれど、マクシミン・マックスやミニマックスなどはアナロジー.ゼロサムはやはり極端で非ゼロサムが普通でしょう.
妖刀伝説のあるのは正宗ではなくて村正で勘違いしていた幼き頃からの記憶.
どこかで聞いたことのある幻魔大作戦は幻魔大戦であり、その作者の平井和正も聞いたことがあるが、そのものは見たことがない.これに触発されて妖魔大作戦などがあってもと考えた.だいたい強靭な体力者は妖気的存在でスタミナはあるが知力に欠けたところがあることは認識済み.
圧力容器がメルトして冷温停止状態にもかかわらず放射能を撒き散らす・そんな女性がいるとは.不幸を感じない心性はなにか.*年かかる事後処理時間が速やかに経ないと対処が厳しいものとなる・・・・
文豪という言葉はエリートなのかな.若き内部のみで未発現の冗談の思い出を旧世界化していた諸々に気がついた.大失敗である.
摂動には空間が付随していた.重力の波はどこからやってくるのかはわからない形.
充実の自殺者イーストマン.コダック社倒産.デジタル写真に速く移行することを希求すると*論に書けずだった頃を思い出す.
断面領域散乱にローレンツ変換.放射線崩壊は記述されているもの参照で普通にいいとして.
凝縮・縮退・+縮約とか何に対して考えていたか忘れてしまい思い出せない.物理的なことではない応用をしたためて・・直積もそう.無意識記憶に期待して自動記述をするときもあろうと楽観視している.
正則関数場全体や積分範囲が全時空とかは仮想的にしかありえない.それが計算式上必然的に必要だとしても.まずエルゴードにこだわって但し世界の広がりに対処はしている.
私のみに物を申しているという作品がいいとはどうにもよくわからない.普遍的なものであれば私一般にはまず寄与していると単純にかんがえるが.最も普遍をキャッチできるかどうかは私一般にも差があるので、その差をどうしているのだろう.
直積に関してこれは意外なということを記憶したつもりが、脳内が崩れ行くような感覚で全く思い出せない.
構造改革と脱構築ではニュアンスが異なる.よく考えてみると・普通に思念対象に漸くなって構造改革について思ってみると、戦略・戦術・理念が良くわからない.-まさか日本の伝統の構造を変えるということではないだろう.55年体制のどん詰まりだったのかも.
p 進 L 関数に岩澤では数学大学院生の女性に聞いても数分の時間では説明できるはずもなかったことが漸くわかる.p 進・しっているけれど説明が難しいと・・体育館で閃いた記憶があるような・・虚無もそのときに.虚無はあることは認識して虚無をやっている時間もないことにして.
むしろきにされているのではないかな.条件的にまずいことが明らかなので.正常・個人的自然に戻すのは不可能かも知れないが、出来るだけ近づける必要あり.
普通に人は無意識を意識しないらしい.無意識の淵源を意識していると、他者は矛盾を平然と行使していることが良くわかる.物騒な情態を良く感覚する.指摘しても無意識を気にしないのでスルーかな.睡眠不足で都内を歩いていると、人々がモンスター・別空間の存在に良く見えたものだった.
ガロアの遺書は論文だった.ネヤ河へ飛び込むよりこっちの方が似ている.別に遺書ではないが(バイブルのようなもの)親友に託した遺書は、「ぼくにはもう時間がない」から始まる数学論文だった。遺書が論文という人も他にはいまい。 
5回も自殺未遂とは?.川端康成への怒りの心情ではプライドが高い人物と思える.墓巡礼記を読むとある人物曰く、かような思いをさせる作品がいいものであると.個人的には好みではない.権威主義者なんだ実際には、そうに違いない.
インカは-15世紀ならば手術痕はどうということはないな.オーパーツでコスタリカの石球は興味あったけれどどうやら製作可能論理が成立している.更新世のスプリングは本当かな?-実際にはミスであるようだ.そういえば与那国島の海底遺跡も不思議.
(2000年の頃だったかな.秋葉原でDVDの画像はまだ見ることが出来ないと聞いた事はいまや昔の物語-DVD販売が縮小-)
夜影に目立つ白いハイソックスと信号機の踊り場
eがあることについてどうするか.限定が成立するのは有の実在根拠であることは明らかで・・・.
半順序に対して単純にあるがままとしているとはなんとも
ウィトゲンシュタインの共時「像は現実と結び付けられている。像は現実に到達する。」(『論考』.)
因みにS行列で機能主義も変わるはず.-ウィックからはそうでもないか.
悲劇より喜劇の方が疲れないだろうとずっと思っていたが、笑い上戸のエロトマニア風女性に遭遇して考えを改める.深さを感じられなくてどうにも面白くない.幻滅の不真面目さを感じ.これでお笑い番組が少なくなる?.普通劇でよいではないかと.
(バブル崩壊の頃・2000年の頃であるはず・に日本が助けてくれないからとブエノスアイレスの住民に言われた.日本も困難なのに.いま強成長にあるのでそれは良かったと.モンテなんとかの近くに住んでいた女性・ボカとも関与は普通にするかな.)
波束の収束はなんだったかな.例の位置の誤差*運動量の揺らぎ+双方誤差+運動量の誤差*位置の揺らぎなんだけれど、双方の誤差がゼロとは?.そもそもプランクの定数が除去になっていないのでそれ以上の近い数値でしかありえないとは思う.
多くの場合、他者を束縛することは罪の意識をしらないことになる.
権力の自由は積極的自由ということは、権力者の精神的自由は他者の束縛によるものとなる.むしろ精神的自由もしくは普遍性を知らずに身体の自由を以ってしているか.もともと身体に自由はない.それゆえに迎合する人もいることになる.精神の自由が多くの人にとって必要なものになる.
やはり平安貴族といえど権力は積極的自由を特徴とするからその実践にはパワーを用いるな-権威は消極的自由を満喫しているような..
オリジナルがシミュレーションに遠慮してシミュが優位しているときを変更しなくてはならない.シミュによる不自然を除去せねばならぬ.それら男女に気がつかせることが必要.シュミラークル時間が短すぎるのとまだ実在しているオリジナルの気分がよろしくないので.
無限問題点を原点付近の複雑挙動とするとき、原点に収束してになるわけではない.
機能主義を思うにこのところs行列とシステムの機能性格が定性と厳然をもって現れていることに有と無からの距離を現実化していることによってしかじか
S行列の+-∞=のトリックならぬ実用的十分時間を考慮したものになること.残していたグリーン関数が最も初期に対処すべきもの.ただ膾炙が作用して・・
マーラーの千人の交響曲の名を知った10代・その仰々しいタイトルから想像できかねるとは思った.実際に、当人の写真を見るにつけますます想像しがたくなる
ゲーテが言っているのは”行動する馬鹿ほど恐ろしいものはない”であった.これは男ばかりではなく女性にも十分当てはまることである.特に脊髄反射型人間には当てはまる.
叙事的な人々は機能主義になりやすい.機能が部分ではなく主義になると生命に対する価値観が低くなる.命は単に道具が作用力を持っているように見るからである.共和主義の国では機能的側面が強いと思っている.
B層とは明らかにスノッブといわれる人々を指している.ある意味、プロパガンダはパニック症候群でもあることになる.B層は後者”オルテガ.自分に多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々。 .自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々。生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々。(『大衆の反逆』)”
複雑性弱忍耐力者は何故陰謀力強いのか.このような人々には道徳・倫理が陰謀と同一になっている心理を持っていると推定する.覇者は王者になれないが王者は覇者にはなれるけれど.
(favstarにまだ”マンデルブローがx日死す...歳”のミス期日ものが残っている.今となってはツイート歴史のさわやかなそよ風位に思えもするが、そのときには失敗でやや焦ったものである.)
(カラコルムハイウェイは初めて聞いたときにはなんと魅惑の名前だろう.何時の間に高速道路が出来たのだろうと思ったものだ.実際は危険極まりないダート道で行きたくない.)
なんだ.あの長谷川のウルタルがフンザだったのか.うわさに聞くフンザはイスマーイール派でアガ・カーンの名前も聞いたことがある.ナイルの眺め&アガー・ハーン.”フンザに外の世界の雑菌が入らないように、入国する人は、この道にあったチェックポイントで、消毒をすることになっていたという.”
胎児が生命の歴史を辿るという時、その生命はどの時点からなのだろう.その昔確かオパーリンの説を想像したときには荒廃のイメージしかなかった.唯物弁証法は確かとは思うけれど、細胞分裂がどこまで生命の発生時点まで行くかはどうも判然としない.
「地層から「人は位相差を持つ層状組織である」という観点を持っている」
「さまよえる湖」の謎を解いたヘディン、ロプ・ノールと楼蘭.天竺は印度を指しているとは.どこか西方浄土の架空に近いところと思っていた.楼蘭の傍に天竺があった・・そうなると中国大陸の西域に痕跡があるはず.セミパラチンスクも近いといえば近い.
ハイパーインフレ・デノミは相転移現象
え~失敗したか.突然思いついた.コルニュの螺旋と-H.遭遇した時から何十年経ったことか.定義にこだわり過ぎて全く思いもつかなかった.思考自体は完成というか明瞭にしてあったのに、応用はまさかするまでも無いと考えていて、現象を信頼すべきことが結合せず.その時をありありと想起する今・・
「全細胞に死の浮き彫り」--個体論の一文より(独白-全くなんと言うことを考えてしまうのか.そんなことが生きている人体に可能なのか.考えたものはしょうがない.)細胞発生以前の何かを人体が所有していれば可能である.その可能性がないことはない.
生物構造からの哲学への寄与.「バクテリアに寿命はない。 バクテリアは無限に分裂を繰り返す能力があり、外部からの影響がない限り、死ぬことがない」「有性生殖しない細菌などには死はプログラムされていない」 -ソリトンはバクテリア構造の単線でもあるか.
(失敗した.あの時エージェントはまだ出来ないと言った.90年から少なくとも兆候はあったのだった.サンタフェを知ったのと同じ頃の話.複雑系とは) 
現実の最大値はどうもこの明瞭な白黒・光と影から相転移状態にあると可能性を思ったところまで.どうも経済問題の対象ではなくなってきた気がする.市場を考えていたときに思いついたことなのだけれど.メタ現実や希望に付随する深遠とか援用でも・・.ホワイトノイズと反ノイズとかハレとケの視点など
で、かそけき指に触れて冷たかったので水に触れたというところを水商売をしていたのかと先ほど言ってしまった.つい握り替えそうとしてうまくいかなかった.末端冷え性と言っていた.ああそうかであった.
理系の弱点のようなものを見てみた.明らかに感情感情といっているが叙情性を示唆している.ところが帰納的な女性もいるわけで、それは面白くないということになる.性が機能的叙事的になってしまうから...
ベーコンが帰納法を始めたことはしらなかった.あの時ベーコンに対して脳内が茨情態になったのだろう.確かにスコラ哲学は気持ち悪いが、そうだからといって演繹を破棄する理由にはならない.なにしろ新アトランティスを帰納が描いたのだから.
空想社会主義者の中ではサン=シモンに着目.テクノクラートかなるほど「労働者は自ら自由を獲得すべき存在ではなく、使用者によって保護されるべき存在なのである」--この考えは今でも通用するようなのである.-しかし保護では子供のようなものである.譲って、素敵な親であるならばというのもあるが.
キリスト教社会主義は読めるが、すべての物質の所有権は神にあるというのはどうも.マルクスはキリスト教社会主義は貴族階級の不満を聖化するための聖水に過ぎないと立場上称発言したわけなんだ.マルクスはどうも社会民主主義者だったらしい.どこで階級強調になったかというとどうやらレーニンらしいのである.読んであるようで読み込んでいない社会主義論.経済学哲学手稿は読んだ.プリュメールはお薦めのツイートを貰ったことがあるな.
乗数効果的信用創造会社の形は縦のピラミッド意識から来ているのは間違いなく、中央集権制からもその通りと思える.これを分散・多様化する時代感覚なのだとは思うけれど、市場の最大値からさっぱり進めない.アイデアが浮かばないのだ.無限瞬時無限数などの量子から処理は出来るけれど応用がだ.
バイアスは、境界の複雑挙動に直面している時を想定できるので、ここに経済学が着目か.面白いなその変転が.人は楽をしようとする生物であるとは考えてみた.論理的な話が通じないワケ。行動経済学から学ぶのバイアス 
となると死すら余裕といわれるイギリス貴族は当然天国行きとなる.むしろ生命の樹の実を食べる権利を得ているのかもしれない.心理的には永遠と言っても良さそうだけれど身体の有限性まだ顕著なので.憚りから天国には精神修養域を設けなくてはとも考える.天上天下唯我独尊や阿弥陀は私だけとかは普通に考えて傲岸不遜なので、天国は傲慢のところか.
非規則という言葉を使ったことがないので新鮮・非現実的な不規則ではなくて.しかし偏心や偏向は現実的なのであった.
徒労もいやだけれど、幻滅が徒労を齎すともいえるので、幻滅がまずいやなことだ.希望が少なくなる.
「極容体は極認体や極意(識)体とかを考えて展開面があると.」
ベルトラミー擬球のマイナス∞遠点はネータの保型としてよいか
知識主義などがあるのか.なるほど.機能主義は人が間に合わないときに発生するものは明らかだろう.もちろん、部分として正解があるが、すべてというのは怠慢と思っている.一応、ほっておけばよいとしている..
let it be-不快に頭を狂わされた思いがある.素直にしたがっても良かった?.そんな簡単にいくかの心理情況なのに.因みにカントの道徳学が脳内を悩ましていた.サンデルによると今でもその意味はあるようだ.
笑う女はもてるとか.笑いすぎる女はどうかな.話をうまく出来るのは声優より女優の方が鮮やかとおもう.
憚るというのは離婚とか身内の死とか不幸があっても笑いながら生きれる精神ともあった-神道-ならばおおよそわかる・・.ストレスを感じないで・・.確かにそれは類まれな精神ではないか.それなら天国というか選ばれしところに行くのだろう.内なる神とは不動心のことか.
叙事的ユダの実在を肯定せねばならない.睥睨型のユダはその才能から権力スケーリングを醸す.柔らかい存在でただ考え方のみの設定であった.
神道が憚りを尊重するというのなら、仏教の法華経とは違うか.それにしてもそうなら神道にも参る.もっとよく思考しないと...だ.
内部の神とは神聖認知力・聖性のことかな.
粘度は超流動ヘリウムで
メタ現実という領域を考えてみる.昔エリートなる言葉があった.権威・権力の伝統や科挙的試験上の存在とは異なって思考域での制約条件がある場合とか.
憎まれっ子憚るでむしろ憚られた方が地獄で憚る方は天国にいくというブログをみて、不条理を感じた.天国はエゴイストのものか.利己的な遺伝子が支配している?
自然数・・複素数を取り入れる経済論は?.おっと虚業を複素とするアイデアがすでに.
偶然、思い出した私の履歴書・まだ続いている.一応ステイタスシンボルの認識ある私の履歴書-最近はどうでもいい感触を持ち始めている.
単に時間の遅れでいいか.固有時間がついに登場.対称性の均衡で軽く設定しておく..エントロピーも考えつくが.時空連続体の量子化はまだ出来ていないとは.非可換ではうまくないというのも、ミンコフスキーの三角形を考えているから.どうにも考えられないと思っていたが、世界の物理の英知にもわかっていなかったのだった.
デルタ関数とベルトラミーの擬球・擬球についてはは高速回転物体のローレンツ収縮が関与する時がある.相対性が出てくるか..話が変化しそうだ.
スケインL○とデルタ分離・スケインより双曲線だな.直さないと.強靭なフェルミ粒子のしつこい圧力・ジェラシーがその方向を齎した気もする.
XX・XYの性染色体に限らず常染色体にもいろいろな問題がある.医療費はこれら難病経費も含めて考えることが出来たらいい社会にはなる遠位型ミオパチー.”植物のマツヨイセンノウ(待宵仙翁)は哺乳類やショウジョウバエのように雄株ではXY、雌株でXXを持っている.”-植物にあるのなら花を愛でるのは当然の意識になる.
公共的なら公共的判断をすればといっても難しいのだろう.-偽善は公共意識かな
埋没費用の多大さに決断の勇気がもてなかった.結果はそれ以上に費用がかかることになっている.決断までは責任意識というより利益優位に冷静だったのに、決断後は処理費用は税金的になる公共会社は荀子の性悪説であったか
年寄りの冷や水は経験を肯定しているのならば必ず遭遇するだろう.それは何万年前の原始人やジャングルの未開部族とおなじで、これらは経験・長老が重きを成してるからである.
極論すれば、有限体に自由はない.積極的にしろ消極的にしろ自由獲得には有限では限界がある.そうして有限者が階級的上位にいるとなおさら自由度が低くなることは当然.管理といってさほど自由のわからない人間が束縛を行使するのだからより不便になる.
通時的有限体としての人間がいる.この中途半端の不快さ.中間存在(共時的)その根拠で有限体は明らかで限界を有しているので、狂気的行為・行動・発言は日常あるのはわかる.中途半端な通時はその時間変化の遅さが遅延意識を伴っているのでまた不快ともなる.
階級意識が存立理由の人物の場合、階級依存意識がその教条なので、階級依存病とかいうものはないかと考えが発生.縦構造好みの人間・秩序型といえばそう・管理しやすくするために何事(もっぱら自由)か省略しがちな存在.最も放縦を行うアナーキー性もある.
ヴァーテックスとオペレーター付近でまだ進展余地があるそうで、ザイルの結び方を想起させる厄介な結び目が絡んでくる.集合論も演繹的限定をしたがっているし、結び目のカットは次元考慮かな.それにしてもモンスター群は現宇宙の星の数かそれとも何かの粒子数の関連か.そうかムーンシャインは解決済みなのでそれは定説になっているわけだ.不変とモンスターでなんとなく意味があったあの頃の思い出は旧知に成り行きて.さびの空間は渋みを越えてとしたい.凝縮するさびを渋みとすると収斂になるのはつまらない.
回転に対して1/2づつ遅くなるようなものはあるだろう.むしろ動かないものや自由角速度を持つものがあるのではないか.動かないもの-すでに回転が終わっているものの間で.
茶の極意は客去りし後の余韻に浸ることと想定.客では味わえない.参加の余韻がないこともないでしょうが.茶の稽古とは何をするのか.所作を心・直心のために行うことか・・・
映画のセットにせよCGにせよ想像・現実の再現は積分的で良くやるよという想いがある.無限回微分可能でとりあえず間に合っているから.-無限回微分可能ならばソリトンも想定できるな.
(以前、ソニービルを歩いているときに、妙に興奮して映像を見ている人物がいた.わけのわからん怪物の出ているムービーだった.今では何回も見たことのある小型核爆弾のプレデターだった.ちょっと興奮するのは異常心理かなと記憶にある.超人系列でエイリアンとプレデター.)
いわゆる理不尽は暴力的・脊髄反射的成果か.不条理は哲学・文学的対象でもある.要するにさる定理のように一様性ということが難題なのだろう.脊髄反射は暴力的というか有無を言わさない情況で普通には出現する.で国家が暴力装置であるならば、脊髄反射性があることになる.それは何だろう.ちょっと考えがたく・・動物園の猿の歩行のうまさについていけない.あまりにも歩きがうますぎてあれあれと思っているうちに岩山を移動してしまう.強い記憶がある.あと人間の嗅覚は犬には負けるとか.10年くらいで可能な技術は収束するのも早いと思うけれど.柔道の達人とかは鍛錬で脊髄反射能力を高めているのか.それとも原始への退行能力の開発なのか.心理の壁を越えていくことなのだろうけれど、本能的存在は脊髄反射力強い.
カシミールチェックをしたおかげで、結構、物理の方程式が眺められるようになった.ディンキンのところはまだだった.やはりゼータの山脈性はその通りだった.カシミール効果を心理に援用する.諸々でもどうにも説得感を持てないので.ブラックホールの収束存在はあるのはそのままで、うまい考えが浮かばない.
憎まれっ子、世にはばかる・でこんな考え方を知る.神道がそうとは・・単に軽薄に過ぎないと思っていたけれど.内なる神ならその心は絶対的でもあることになる.人は神人であると.””「深刻」とは内なる神を刻み痛めること 
不完全性定理が日常にあるものだ.もっとも昔はそう考えていた.自らの思考レベルに一段と下がってまた自らを見ている形は、誰か女性と逆位相を持っている状態になっているようだ.この主体のずれが不愉快にもなる女性による主体阻害の不快感.
「埴谷雄高に愛読者ですよとその細君に向かって言われた事があったけれど、知っているので死霊は易しい.ただ通時的その文章は趣味ではない.悪霊と比較して死霊-シレイと読むといっていたな.共時的なシレイと通時の文章感覚はマッチしてはいない.」とにかく埴谷雄高はその挑戦力・可能性追求の自力力は意味がある.虚体の思考存在理由(作品を読めば直ぐわかる)とその実在を知っているけれど何もいわない.夢魔が一瞬で来る--つまり神速で走る人の意識のこと
有限要素ポテンシャルの実態量不快感を制約・束縛領域からの自由としても現実にポテンシャルがありすぎる.有はあるとどうしても宇宙に広げればなおさら.意識というより直接性の希薄が自由感を齎しはするが.
どうもよくわからないが、昨今、40歳で精神年齢が20歳くらいの人材が多そうなのである.たとえば女性の場合平均寿命が90歳弱だから、2倍の180歳弱まで生きるかというと全くそんなことは考えられない.寿命に近づくにつれて成長の度合いが早まるかそのままで突然の切断しか考えられず.
エゴイストが周囲の人間にストレスを与える.ピラミッド社会で社長は一人でその他は裾のように広がる形やソビエトは周囲の助けを借りて社会主義を行わねばという考え方や家父長制などパターンが似ている.トロツキズムは家父長的に一見見える.憚る人間は階級の頂点を好む形を取っている分析.
憎まれっ子世に憚るで○○ほど長生きするも思い出す.後○○と煙は高いところがすきも.憎まれっ子世に憚るというのは、単に憚ることが出来るほどに世間の倫理感が低いということを示している.相変わらずのレベルである.この存在によってストレスを感じる周りの人は倫理感は高いことにはなる.倫理観の低い現実はタフさ・スタミナを要求されるように原始的とも言える.憎まれっ子世に憚るという言葉がある.そんな女性(女といいたいが)が日常傍にいるかんじである.個人的には気楽さに邪魔されて悩みや記憶力が軽薄になってしまうので困る.実際に女で憚りがいるとは今までこんな極端なのに会ったことがなかった.悩みを嫌うので笑ってばかりいるのも極端である.
キリストを裏切ったユダは自らがキリスト的立場になるとすると今度は自分自身を裏切らねばならないことになる.ここに新約聖書・マタイ伝のうまさがある.最もユダヤ人以外にその宗教を広めようとした機運が発生した歴史時間なのだろうけれど.
「色即是空空即是色は森羅万象を透過することと考えて.、極容体などをその昔考えたことがあった.別に新しくもないな.ただ表現が異なることは異なるだけであって...いや使い道は凝縮関係にありそうだ.」
徒労に呪われているような気がする.でシジフォスの神話・カミュを思い出す.読んだ事はないが石の持ち上げの話で、これは明らかに性感覚から来ている.最も食事も同じようなものか.直感では神話は性から来る妄想・夢想・幻想・空想などによることは当然と思える.
個人・個体を他の人に当てはめるのは誤謬であるということはわかっていたのに、情況でスケール・位相が変化してしまう.相手の才能によることになる.
「小学3年生のときにこの言葉を覚えそうになった.心と中でシンチュウ?.後年になっていつの間にか覚えた言葉.(ブログに書こうとしてどうも・・ある女性が太宰治じゃないといってその通り(よく考えないままに彼女が言うのならそうだろうと)と心で思念したことがあって、未だに厄介なことになっている)」.女性一般をユダと想定すると、駆け込み訴えの作者は女性のエゴイズムを尊重する人間であった.女性に人気あったとかであるとすると、単に女性を疲れさせないからである.でも事実心中だからどうなんだろう.
天罰とか天の声とかの天は全く何を意味するか.天は諸行無常の時間とも.もっと日本の歴史時間が関わってくるか.いずれにしても科学的なものとは思えないので、宗教感覚となる
しかし他者は強制的発言という全く無意味な言説によって非情に多大な無駄な時間を強いるものである.
去年の*日に仕事をした実感はある.そうして今日*にもう今年度の仕事をしてしまった.third pattern・periodの個体論として.
脱や構築は頭に浮かんだけれど、脱構築までは、その内容言わんとするところはわかったが、差異と反復は全く読めずの心情だったな.なぜ読みづらいのかこの心理には納得しないの頃.
ありゃ.高原の夏・かの女性のイメージが重なるエロイカ変奏曲メロディ時間.差し支えないけれど.やはり若きヘゲモニーにはエロイカではなくエロイカ変奏曲の示唆はむりだったか.そういえば思い出した.若き幼稚な精神・ヘゲモニーの抜本的暴力無理解発言がいまだに...最初の音を聴いてああこれか.だよなやはり.エロイカ変奏曲(ベートーベン)グレン・グールド
意義ある粗野は一般的にヤバンジンと言われそう・・”「意義ある粗野」よりも「無意味な滑らかさ」”ベートヴェン・ゲーテとの邂逅
強制的にも近い方策か.最もファジィはファジィと領域設定できるなら一分野でもあるから 曖昧に考える力
どう見ても人類の存続より宇宙の星の存続の方が量は多いので、一定の形態の持続という有があることになる.結局、人間の間における一定性・不変性があるのはどうにも否めない.縁起は人間精神転回優位であるかも.
超一流は失敗しない・一流は失敗から学ぶ・二流は失敗を気にしないだったかな.ちょっと考えてしまう.脳腫瘍外科医は失敗は許されないことなので超一流がいる.しかし新薬開発に超一流が参加して、開発時間が短くなるかといえばどうかなとは思う.因みにある服飾会社の社長は失敗しないのは何もせずと
確かに定義から双方に同じものを+しても差は変わらない.
コルニュ螺旋をオイラーの螺旋ともいい、クロソイドのことで道路に用いるならば、なんかセンスあるはずなのに.そうか無限の長さで個の中心に収束していく.この螺旋自体はセンスあるとは思っていた.無限の長さで中心に近づいていくには、個人的意味をつけなければならないな.
もういらいらして諸行無常は止めたらと思う.いや冷静に無限で置き換えるのがよろしいか.
忘れていた楕円関数の確信的古さ保留中は縄跳びのロープのヤコビ曲面に乗っているとか面白い.
e^xの不思議・微分解で双曲関数登場.なれば鮮やかにd^/dx^・y(x)=y(x)だったんだ.はぁ逆双曲の微分公式・・
送電線のカテナリー形からクノイダル波を知る.ソリトンの前に--テムズ河はこれのこと? 
境界の境界はない.
「元個人--だから個体論なのである.もっとももっと他のアイデアがあるかと探索したが、ないので個体論に戻ってそうなっている.まあスポークしておいてかな.」
(北朝鮮はすでに台湾・ロシア・フランス・中国・米国・韓国とリーダー交代年.選挙制度はかわらないなぁ.そういえば憲法も変化しない.心理ルールの不変性といってよいだろう.還元できないシステムは宗教憲法らしい.事実的と形式的・成文と不文.で事実と不文において悩みの種かな..)
グールドのc最高小説は漱石の草枕とマンの魔の山とは--全く詳しい人がいるものである.
能?狂言を舞台のある神社・八坂神社?で見て、内容はわからぬままに時間束縛をするものであった.
佐藤春夫は田園の憂鬱に感じただけで読んではいない.作詞演説を中身覚えていずに記憶あって
尾形光琳の『燕子花図屏風』は微妙な構図と全体感
京都・山崎の天王山から天王山の言葉が発生-日本に歴史有りだな.
虚像の実像がわかりづらくなるとは..正夢のような世界だから.別に夢ではない.ヴィジョンと言えばそれがふさわしいかも.ハイパーのシミュラークルかなるほどの空想世界.「一応虚像としてあるがそれは実像であることを意図・そんな世界であるはずの予定であった.そこかしこに表徴が現れているようにも見えるが.未来に出現する事象が未来になったときに必然として出現するもののような形.正夢のような世界.」ただ直面して気がつかなかった.発見した虚像の実像という言葉.「これを意図していてだいぶ時がたった.実際には虚像ではなく実像として」「ヴァーチャル・リアリティ」という造語は「虚像の実像」というますます矛盾した分かりにくいものとなる.
一休は天皇の実子だった.ならばもって生まれた自負心が破戒僧の根拠となっていたことは想像できる.形式大名茶に対して、もてなしの心はこの人物が始めた.千利休はその後の後””侘び茶を創始し、茶室を考案した茶道の祖、堺の豪商・村田珠光(じゅこう)は一休の禅弟子
古池や蛙飛び込む水の音をある社員の近くで言ったとき、小学生でもわかるといわれた.これになんと答えてよいのか見当つかず.有名な芭蕉の句を知らず?.この句は小学生が作るようなものなのか?.「記憶で防水池にたまった雨季の濁った水と周囲に多少生えている植物に蛙が飛び込む風情を重ねた名作」
「久に経てわが後の世を問へよ松 跡しのぶべき人もなき身ぞ」-西行のこれにちょっと気になる.西行は清盛の北面の武士として同僚だった.
ショック・ドクトリンと革命の違いは--白紙の幼児化ならばそんな見方は昔から持っている.どうなのか-現実になってきているような.最も内容は現象履歴への当てはめ.
ああやっぱり、働き蜂とパレートは似ているんだ.では女王蜂を錯覚する存在もいることになる.ただ出産数が追いつかないのは異なる.
なんかここのところ、不変・不変量がさまざまな箇所から登場してくる.持続と一定は実在当然を強調しすぎということか.
そうなると核融合多数の場における放射線管理が問題になる. 今回の事故は未来のデータに使えないことはない.しかし、放射線の影響は甚大と思うけれど、早くも蓋をしている感がある世間情況
エントロピーはいいけれど、散逸構造との関連はわかりづらい.人の集団は自然に秩序が発生するので無理に与えなくても、が秩序ができる時間余裕は普通にない現実.モデル変化で時間を経た結果は出てはいる.マネーから物質と精神を結びつける存在を紙幣と読んでみる.どちらかというと叙事的精神系に位置しているものではあるが.経済の位相は物質と精神を結合させるものの領域と漠然中.
限界志向から分散の読みと棄却域排除から中庸域内で決済の感覚か.正規分布的?
ベルヌーイとヘルムホルツの整理が出来かねる意欲になっている.
他者の権利を侵害することが不変な肉体は疲れる.特に権利侵害に責任を持たないものは.すなわち責任を持たない権力を生得的に持っている人材は対象となるような存在ではない.意味がないのは直感できる.サイボーグかロボット・アンドロイドとそう変わらない.実数ポテンシャルか不変ポテンシャルか過剰に負荷を与える肉体がある.その存在根拠がわからない.荷物でしかないし対象は優越意識の閉じ込めを行っている.有限が、実数ポテンシャルか不変ポテンシャルならなんとか説明できそうだけれど、不変肉体があるはずはない.実数であるほどには単純すぎないか
言いえている.それで日常において疲れるのである.”たいてい現存在は未完成のうちに終わるか、さもなければ崩壊したり憔悴しきったりして終わるのである”
そうかダブリン市民か「若き芸術家の肖像に関連して思い出のかすかな記憶がある」.エピファニーは好むところだな.トマス・アクィナスのことは初めて知った.フィネガンズ・ウェイク翻訳は訳者の個性が出過ぎで..思考の流れならぬ意識の流れを思考にして、分断的に多様なツイートになることは、すでにモダニズム還元ではないようにそうでもあるか.意識の流れ自体が古き所作ゆえに.
いや実際、予測していてその間思考無視の形を取っていたことなので、急速圧縮対処義務個人性成立中
キリング形式とアマゾネス何ぞを考えてしまって.日本橋丸善で思ったころからの環論はそう簡単に進み行くものではなかった.でも結びつきが物理自然宇宙に行くのは確信的なところまで来ている.-細分化がきびしい.
忍耐の強制-愛と権力は双方持っているので、権力的xxは強制愛を勘違いする場合がある
きつい.どうも言い過ぎる.調節がうまくいかない.というより全く遅すぎるのに言い過ぎの心理などを持たなければならないか.大体理解できるようには述べていない.感覚でわかってしまうかな.やはりどこかで間違っている.どこが問題だったのだろう.
「α→Θ・αの考察予定のみでそのままにしていたら、時代はα→Θこうなっているのは明らか.なぜにxxたちは思念を認めなかったか.時代時間に制約されすぎ.」
自分自身の百科全書物類似を作る羽目に.その記憶代理は本質でただ選択点の問題.
やはりディラックの海(南部の海か)が問題だった.踏み込まなかったあのときは失敗でもあるが、(ブラケットは自然に浮かび)海の混沌は良く知っているつもりであるから-その光ある昼間の世界で見ている現実感とは違いすぎる.夜の類似とも多少は違う.多分、恒星間旅行中に感じることに似ているのでないか.
カシミール効果の引力・斥力.斥力でメタマテリアル・負の屈折率.--いずれにしても自然科学は進行している.零点振動は現象論的にしかわからない.
(8000mの頂を持つ国と4000m未満の最高峰を持つ国では民族意識差異がどうしても発生するはず.多分、南峰付近からなのだろう.昔読んだ本には2000m落下して・・)
ネグリのマルチチュードは別に・そういうものは織り込み済みで考えてあるから.で織り込みなしの人々から主体阻害を強制されることとなったか.
ポストモダンに対するモダニズムの抵抗が変容している時間-とでも表現してまだ間に合う情況ではありそうだ.
アドラーの劣等感の補償は社会的に随所に見られる経験現象であるが、・・元個人はユングよりアドラーの個人的な物に比重がありそうだ.
夢判断を読もうとして文庫本を求め読み始めたが直ぐに放棄した記憶ある.
後に知った手術台のうえはハンサム?な少年のイメージではないか.なぜこれがアラゴンにシュルレアリスムによってアップになるのか.単なるオブジェ表現に過ぎぬ.
相撲・綾取り・ゴムとび-マダガスカルの風習.バオバブの樹はマルドロールの歌でその存在を知った.ロートレアモンは去る女性から.結局、強烈な幻想力は読みきる体力は無い.最も内容が趣味ではないことは確か.
ああユングを加味した現象学位相・・
・・・エイズウイルスのアキレス腱発見―ランダム行列理論を駆使 
へぇ.やってみろという時代なの.実験は肯定している.「壁があったときや躊躇が妨げるとしたら、それを実験としてやってみる.実験には失敗も含まれる.ただその効果判断は諸々の思想家がいろいろな意見を述べている事を援用..」
イノベーションには当然賛成.何しろイノベーション大国であってよいとおもっているのである.准教授(若く溌剌イメージがあり)というのは魅力あるといつも直感する.
一般的に、既存の体系に乗って勝ち得た地位によって、既存の体系を変えようとすることは矛盾か・偽善になる.etvの親たちは団塊の世代も多いのではないか.親を超えようとするのはエントロピー的に普通だけれど、実際に親達に関してどう思っているのだろう.どうもまだ対象世代が今の小学生位かなとも思ったことがある
面白い.旦那が定年になって一緒にいるようになって性格が合わないことがわかった発言.ただ寿命残がドライブをかけている領域発言が多いと思われ、経験観察現象的でポリシーアイデアは何か・無いか良くわからない.昔、姥捨てという風習があったが、今は無い..老人ホームが変わっている?.
グローバル化はカオスの人種を予定している.がしかし民族意識はまたなくならない.
今年の指揮者はエンターティナーだな.ピタゴラス音律を知ったので少しは意識が違うだろう.逆を言っている女性.最初は夢で後は現実でだったけれど.クリムトだったか.シュールはバルコニーの幻影がほんのちょっとといえばそうで無かった.その後は違うな.濁っている.女性ダンサーの階段の最初の一歩上がるところの動きはなんだ.これだけで見た価値があるとか.背景イメージの喚起力は価値があるな.とはいっても演奏で出せるはずではないか.聴く人の心的条件も心構えもあるが.出だしはキューブリックの2001年と重なる音色だ.久しぶり...その観点から見ると随所にあるではないか.期待している青きドナウ.ちょっと前のハーモニアックメロディーのところがウィーンフィルのホモゲーンの音色と見た.悪くない.クリムト?ココシュカ? やはりヌーボーか.ウィンフィルのうまいことがピチカートデジタル感覚で良くわかった.ティチナーの要素還元主義・ヴントの統覚で心理学が要素というときはその強度感覚を述べていて、スケーリング位相を持っているものと考える.ドメイン差異.ティチナーの実験心理学の方法論は多分そうでしょう.人々は無意識に実践しているのでしょう.バレエダンサーの衝突は演出か.今になって考え付く.それにしても万人に満たない国で文化度が高い.ハプスブルク家の中心地であったか.ブラチスラバ・プラハとその他EU諸国とは地理的にも相互関係が強く相乗発展をしてきたのだろう.バウハウスだったか.シュールが入ると良い.うーんなんともこの振り付け.見るには値する.イメージはヌーボー.
動的な面を静的な面で止めていたと思った.生きていることは動的.絶対音感は静的とおもえるが.そこへ戻る絶対視感と動的に対する情熱は個人的芸術意識なら・・・思考が進んだ.何十年こだわっていたことか.
楽器の構造によって音色が明らかに違うということは、外科手術対象差異によって器具が異なるようなもの?.弘法は筆を選ばないが繊細な線を描くには太筆のパレルゴン域の部分のみは別にして、細い筆先を用いなければならない.軽いタッチでも太い場合には繊細は困難だろう.
全体性心理学ははっとしてビッグバン論に類似を考える.心理学は現象ではないし、そうか要素論の感覚である.サピア―ウォーフの仮説は異なる遺伝子構造パターンを持っている民族は異なる世界観を持っているではないか
うつらうつらしながら駅伝を見ていると-行く河の流れは絶えず-が浮かんでくる.転回日に久しぶりにWittのTLP・じっくりした温かみの感じる冬の太陽かとおもったら、中途半端な輝きと冷気のそよ風の日である.
そうすると至高の存在に依存することは---官僚政策に依存することは死荷重を認めることと例のところは考えているか
関係の絶対性も解析はしないほうが良いみたいな考え方かも.それでも関係の絶対性はなぜ成立するかは哲学対象にはなる.帰納からきたようなことばである.-唯物論からきていることが判明.
エントロピー経済学があった事実はどうするか.散逸構造と夏目漱石の道草-いったん始まったことは変転を繰り返しながらつづいてゆく-がエントロピーの表現とはずっと思っている.
「荒廃と情熱の狂気の乾きすぎた感性に熱風を注ぎて熱病イメージを齎した代のネルヴァル.わが心に密かに記憶している詩人としていた情熱を誘うところの・・」ところがプルーストやブルトンがいかれたとは.ネルヴァルはそんなに現代文学史上に残る存在なのか.
シュペルヴィエルの善意爆弾とありがたち.リルケは読まず.ネルヴァルはなんかいいな.ランボーの母音と永遠はつまらず.ロートレアモンの破壊的幻想力はスタミナが持たない.ただミシンの上のはオブジェで軽いタッチである(たんなるオブジェ表現に過ぎない).
渋いのは苦手.苦痛の重さがあるのにトラークルだけは例外としていたがどうにも苦痛を味わうのでちょっと思念から外して見た.一挙に時間が現在に来た.えートラークルが効いていたか.-がやはりこの感性は他のジャンルでも悪くはない.渋みは昇華ではないことになる・・.
「いや実際小学生のとき早春の雨上がりの後の校庭の水溜りを見てすがすがしさを感じたと同時に永劫のイメージを浮かべつかんだ.永久は何時のことか記憶にないが多分にこれは概念をイメージしている.そう文章では捉えていずイメージでつかんでいる.」
”双曲コクセター群が無限に存在する”ますます結論が出そうにもなくなってくる.
「永劫と永久は異なると昔から思っている.後諸々もあるが--」
そんなわけで発案者の懇切説明なき関係の絶対性の理解について、多分に実践中の情況からとってきたものと思われ、ここに対象の言葉を入れてみると溶解した.つまり対象との関係において絶対的と判断・感知・確信出来るのならそこで決断をすると言う解釈になった.結局普通のことだ.-普通とかんがえると単なる現象にすぎない.
あらましを読んでみるとハイデッガーの思考パターンとヘーゲルの有限者の消滅が無限者のくだりなど言葉は違えど似ている.ヘーゲルを読むべきと思った暴言女性に関して思いついたことを除去したら調子がよくなったようだ.なんと言う無駄を・思考停止の時間を齎した存在であったことだろう.ヒエラルキー型はその自然が暴力的で非常に困る.退行を齎す存在なのはわかっていたがその対象自体とは気がつかず.-この無駄はしつこく甦るフェルミタッチ.
ヘーゲルの部分的あらましを見つけた.悪無限という悟性の無限に反復性があるのみとは--ある時肯定に関してやはり肯定となるこの濃さはと考えたものはとりあえずこの反復によってみるかそれとも消滅した肯定の肯定とするか
どうもドンキホーテは非常にスタミナのある存在のようだ.それで世界で人気あるのか.喜人・滑稽なる人物はタフであるようになっているかもしれない.ただセルバンテスの意図はさっぱりわからない.ナンセンス小説ではないのか.あるいは錯乱・夢想家かも.-カーニバル文学の系列という参考意見を知った.
「コルニュの螺旋・クロソイド・レムニスケート・楕円曲線・楕円積分--何か記号に適切なものがあるか.フレネル・フラウンホーファー--花粉の動きを見たのは誰だったか忘れてしまった.」
混沌を作るのではなく前に複雑化を進める.極化ではなくスケーリングに応じた多様度を与えて.多変があっても良い.
因みにこれからの生を超人として生きるかどうかはともかく今までの生で不快な苦痛の思い出のあるのにニーチェの永劫回帰をするのはある意味地獄の苦痛とも思えないこともないのではないか.
無限の時間って永劫のことではないか.どうも視点スケーリングが発生してしまう.
トンネル・・インスタントンよりスファレロン過程は使えそうだ.
無限の時空は論理には導入していない.ただスケーリング性からの観点は容易に伸ばせるようなものではあることになっている.そういう超視点(No..?)反変の影を共変意識していた.
無限大を時間とするか空間とするか.空間的イメージが強い.時間的にすると変容するだろうけれどこの辺はいろいろ絡み合う.まずエルゴードの証明要がある.時空的にボルツマンが出てくる..
ジョージェスク=レーゲンをしらなかった.サムエルソンが高く評価している.エントロピー現象を分析して経済化しようとした人物がいたとは.プリゴジンは当然関係してくる. 
なぜ行動主義者で強靭タイプはタフすぎるのか.-叙事的で動物的バイタリティ大の遺伝子を持っているからだ.
で強引に考えた.無限大で発散する場合と収束する場合.前者によってデルタ関数の不快イメージをとりあえず除去できる.実際には頭脳構造を行き過ぎさせてしまったための擁護のためにである.
私はNo.1はいやだよ.名前から何でも一番最初懲り懲りしたらしい.なんとくだらないことでとはいえ彼女にとっては切実だったかも.それはキャンパスでのこと.社会ではNo.1でないといけない.但しNo.1にもいろいろな質があって不愉快な質のNo.1もいるのであるということなんだ.この不愉快な記憶のNo.1に絡むことになってその後エネルギーを使用・無駄になったか、審美的に不快な存在だから.
まあ神や空や太虚とかは昔からある.物理は強い印象を持った.そういう超視点から見ると何でもないことになってしまうことは想定してはいたが、オブジェクト的に出てくるとショックでもある.ただ証明は成立してはいない.この場合有限を強調している・・.
アクシオンではなくインスタントンだった.真空-真空遷移で簡単といえば簡単に世界像を物理者は設定してしまう.いやこれはmustなのだろうけれど.それでも世界はあるといいわけをしておこう..(因みに世界があることは神秘的であるとは誰かの言).ショールズは実際には応用失敗しているということがシュレディンガーの保存にちょっとのアイデアを付加させないといけないことを考える.アクシオンが・・とにかくユークリッド次元なら多少量子にがっかりしたことも少しは補える.
どうも関係の絶対性は思想たる所以に似ているようである.体得していたかという思いがある.表現が悪いな.曖昧を意図しているか
バルトークの『管弦楽のための協奏曲』はクーセヴィツキーが年にクーセヴィツキー財団を設立し、多くの作曲家に新作を委嘱によった形をとっている.この頃バルトークは鬱だったんだ.明らかに緻密を想起させるこの曲はクリーブランドとセルを思い出させる.
とすると境界を持たないような位相で処理するようにしているわけで、そこに無責任が発生し徐々にが生まれてくるわけだ.でも日常領域で境界要素たちが押し付けられるように集まってくるのには閉口である.他者に分散しないとであるが、中間存在はその分散受容能力無いゆえに中間存在とも言えるわけで.
ミュトスとロゴスならロゴス.ミュトスは空想なら全く神話はどういうものか.
中学生だったかな小学生の時ではなかったろう.エートスを考えると閉鎖的になってしまいお終いという感じを受けて、それ以来エートスは苦手である.でも倫理的な心的態度でパトスの情感と対比されるものなら苦手でもない.陰湿なパトスの方が苦手だ.エートスは渋みに似ているイメージである.
二つの現象の区別がつかないときには、不完全性定理を導入するというアイデアは有効な気がする.この視点がなかなか見つからず.他者には不完全性定理があるあるとよく言っているのに...
負温度か.そういえば無限温度・無限に高い温度は考えたことなかった.絶対零度の考え強く.
弱推移性における寡頭制は考慮の対象.見えざる独裁者をなぜ?普遍やバナッハ場自体を独裁者に見ることはない.三体問題や例のトライアングル関係などをという選好意識から見る.極大要素は時間に関して変化することが予測される.多様の自由は選択肢以上において成立.以下では整除でこの要素集まりのみを考える人もいるだろう.
パーコレーションの空間化か
再帰の苛立ちは合同から来る相似としてのフラクタルかな.ちょっとチューリングの設問はずっと保留中なので.回帰ではなくて再帰である帰納的が不愉快な繰り返しを想起させたあのとき、北・南回帰線はむなしい過去を地理的に覚えさせた.これはチューリング対象意識だったのである.-不動点関係している.周期の飽和感も当然出てくるだろう.
知覚・悟性は全く関与外と意図して、理性の先のその先に挑戦した時がしばらく前にあった.どうにも支離滅裂・分離障害のようなものになってしまって止めたしまった.そんなわけで理性的な文章に還元はそうしてはいないものとなっているツイートのはず.
細分化による個別の専門家はT字型やπ字型が出てきた頃に変化したのではないか.今はもうあまりこのことに関しては考えなくなってしまっている.
かような言葉はもう死語になっている感あり-使うとすれば自虐ではなくて謙遜の背後にある優越感・プライドの所為かな.客観的科学言語意識で・・「イエロー・バスタード(黄色い嫌な奴)」、「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」
巧言令色は貴族社会の特徴なのか.そう考えるとどうもかような人物の社会的存在が
「吉本隆明の卒業論文をどうするとかどうにもずれている.同級生がそういっていただけでさほど興味はないのに.でも卒業論文が出てくるほどに一致しているこの不可思議関係.遭遇したことは超現象.超関係に気がつかなかったのはなぜなんだ.現実社会を尊重し過ぎたか.それ以上に不条理のパワーが強?.k大落ちたというのはまずいな.ちょっとねじれが.あいつの弟がK大だ.まあK大を受けなければ良かったのに.ともかくこれではなくてその後に述べた言葉が非常に問題の無理解阻害を齎した故.T大なんて(まいったな.T大は一応レベル線パスしている認識であるのに).K大落ちた.W大へ行きたい--この同一人物の発言.おいおい今行っている大学をどうするんだ..次試験から思い出の女性の記憶をちょっと.」
マスコミについては昔考えたことがあったが今思い出せない.その後に木鐸や第4の権力とかの言葉は知りはしている.明らかに公共倫理に思想意識と経済絡みが発生していることは確か.情報の非対称性とモラルハザードとエージェンシー理論と絡んで-でも時代の複雑性による筆者の認識も問題なのだろう.
(どうにも矛盾をあまり考えない存在であるような気がして--実際には不明というのも変な感じ.認識の阻害をもたらされているからかも.・・が不快.そんな人間がいるか.今まで会ったことがなかった.-単純に悟性的なだけかな).ヘーゲルの悟性がデータの集めであってそこに矛盾を考慮する必要がないというなら夢も悟性の空想と似ている..
可換から非可換ということは、経済にも非可換現象がなければならないことになる.現実の格差とかを埋められない場合とか局所独立とかそういえば種のケースがありすぎる.-エントロピー経済学なら
縦型人間には平等という概念はわからないと見た.縦型同士ならわかるのかも.それでもそこには差をつけないときっとまずくなるだろう.
スペクトルとなるとツイッター上で一言言いたいという女性が今では多いことが十分想定できる.
ラックスペアはほとんどソリトンになる.またしてもいやな・苦手のソリトンが出てきた.無間地獄にも思えることから.ところが固有は変形しない時間発展もあることは確か.
あのアイアイア傘をした今まであったことがない個性的女性をレゾルベントと感覚した.今スペクトルを見ていると本質として考えてもよかった...遭遇しないだけで魅惑の日本女性はまだいるだろう.
選択公理的な集積濃度で意識・価値・物品を購入することは可換からである.その行為自体も可換である.非可換となるのは資金・意識・価値の低<対象の時--当然といえば当然・ある試みの試行として.
ある小説家がいて直感でまずしつこい存在があり、蛇のような・根雪のしぶとさのような束縛性を感じるといった人物に今日陰湿の文字を当てはめて整合性を感じた.男に陰湿さがあることは全くの盲点だった.類の存在は程度はどうあれ似通ったものとなる.
死荷重の政府の税収を上回るということと消費税の相関論がどこかにないか.ラッファー曲線では安易過ぎる現象結果としか..やはりまだチェックしきれないラムゼイか
そういえば若きドストエフスキー歳?の伝記ものの理性が見事に一致・調和した翻訳だけれど文章をもう一度確認したい.感心した.小説の中の文章ではなかったはず.記憶では最高の理性的文章だった.
ヘーゲルの悟性ならそういえる.矛盾に気がつかない.かような人材の硬直性にはちょっと遭遇の記憶がない.ひょっとして脳に不明のぼんやり感を持っていると思った女性がそうでありそうだ.権力への意志を持っているような存在.女性なのに生理的に足りないと思う存在でもある.-肛門期までしか一生かかっても発達しない存在者達
精神分裂病=失調症でもなく、夢想家でもなく(要素強いか)、むしろリビドーが前面に出ていると矛盾をけ飛ばしていくかなぁ.不条理から逃げるのでもなく肯定するのでもなく残るは宗教的観念の持ち主か.強情教条性を持っているその出し方に愛情なく..
悟性は理性より下級概念と直感がそう示していた.これはカントよりヘーゲル的である.”ヘーゲルによれば、悟性は事物をばらばらに捉え、しかもそれらを固定化し、事物が運動や矛盾を含むものとして捉えられていない思考の能力とされる.
一般意志に関しては自然科学は一様なものであることは明らか.
藍藻類がセシウムを取り込む.明瞭過ぎる世紀の対象問題.-微生物が取り込むことになる...
GPSとの接続に緩みとか..GPS自体が相対的なはずなのでどこかに無理がありそうな気がしていたけれど.次に出る確固とした実験では、光速度不変の原理は覆りそうもない.
神保町ならぬ書店にもほとんど行かなくなった.最もネットチェックは多すぎるほどしていて、結局まだ整理しきれない.
部族・・・和辻哲郎 風土は名作 ”砂漠的人間は、服従的、戦闘的の二重の性格を得る” 
人類の幸福がオカズ・・て軽く?考えれるものだ..あれれという気分.そんなものかも.それでもいいのか.妄想空想でもなさそうで.-リアルな圧力がなさそうなのでやはり空想か、若しくは誇大妄想かな.射影化しているかも・射影は虚無的.
新聞を参照せずにまたネットチェックもせずに思考することは相当のエネルギーを使うということ.でも新聞を・ネットを見ずに過ごす事は大変な労力・体力を必要とする.カーネギーは他者を利用しようと気がつくことが成功の一歩と言っていた..ネットを利用してもなかなか.007の映画ではないけれど今まさに翌日のニュースを作っているというのは自由=必然なのだ(という解釈)
「そうか思想の思想たる所以のところはNo.21に設定できてNo.27で深淵を描いていいわけだ.未完成の個体論だけれど未完成分だけで十分説得力があるはずと思っている..」
「深淵の世界線に位置することは他の理解できない・無し得ない現実者達に対する優位である.そしてそれはいわゆる第二量子たちを加担させて孤独ではない--と経験者が言っています.」
クルーグマンの東アジア貿易論の中途と米国中国品の消化がやや時間がかかるに関しては、貿易の重力理論付近で妥協・保留しておいて、ラムゼイが結局税金は取りやすいところからとるという帰結を出していたのには心外だった..ネオリベは民主主義の独裁に至ることを踏まえてのゆえかもしれない.現実実用上はメニューコストとかあるからしないだろうけれど、社長周期的交代制なるシステムなどを考える.
「ヴィトゲンシュタインの新聞を読むやつは馬鹿だの放言?もわかる.新聞に載っているようなことはすでに思考済みでまたそれくらいの思考はしているという自負心があり、なおかつ今自らが考えている事が新聞に載るような事柄だからとは昔に考えたこと.」
「レーニンの自由=必然は時間位相に関して最も最先端に位置して(自由)考えたことは必然の結果になると解釈している.見ようによっては個々の必然を行う事は他者からの自由でもあることになる場合もあるが.これは思想の所以の方で..」
「先蹤者と追随者を考えていた.設定してある」ということは駆け込み訴えとかマチウ書試論は思考範疇に入る.というより普通に考えざるを得ないこのパターンという感じだ.
経済モデルにブラックホールしかないか.確かに現実の先に暗黒部しか見えず考えが進まない.深淵を生きていたことは数あるけれど、射影的に見ると動けず.世界線は深淵上にあるあるいは物理真空場に.-どうも深淵より退行空間で無機物的な領域である
完備が強いのはそれが正規分布的だから.ところが実用上はこれで良いという中途半端が多いはずである.そこのところをもっと追求していってみるとか.
現状で考えているのは複雑論の過程に賃金を与えることの出来るもの.完備に対しては普通にもちろんだけれど、複雑系所為に対して需要化することであると.
ある時あるところで自由主義・保守について頭をめぐらした.民主主義がどうもうまくいかない.アローの不可能性定理ゆえだったようだ.公共哲学も分析的問題提起中で思考刺激には良いと言ったところで...市民が希望は生権力の作用も相俟ってでやはり時のラプスになる..
また鼻かぜになる.最もきちんと直りきっていなかったかも.放射能のあの頃右肺・肝臓?に刺激を受けたことがあったがなんでもないストレスからのことならよいのだけれど.一応日常異変として記憶している.
不帰二峰をスキー滑降とは・・.エクストリームスキーは仏人得意かなと依然いるものだ.時代がそうなっている.
臨場感で見ているけれど追体験しているわけではない.---なんだかんだいって追随者・追体験は設定してあったことを思い出す.もちろん先蹤者は当然入っている.
ボリビアのがけの道から北鎌尾根や馬の背・戸隠の蟻の戸渡りまで想定しながら見ることが出来るのも楽しみ.
どうやら権力というものはどうしても叙事的になるもののようだ.
肉体が有限だから無限のわからない女性が有限を主張しすぎるゆえに不愉快なのであろう.無限のわかる女性ならそんなことはない.中間存在の必然的演繹を実際は好まない--なぜなら無限が出てこないから.しかしなれど演繹を無視するわけではない.エピック的存在はいやだと思っているとそれに拘束される羽目になる.行動主義は問答無用不快なものだと認識しているところに、それ自体に直面してしまう.この不都合すぎる情況.
ある女性に言わんとして忍耐した事柄を記憶している.他の女性がその記憶を私に言う.わからない.時がある程度過ぎてそれは対象が捩れていたことに気がつく.たんなる視点の相異で何十年も無意味な荒廃を齎す場合もあって、疲れるものである.
関係の絶対性がやはりわかからない.考えた当人も帰納帰結でうまく説明できないのではないか.身体の有限性から来る絶対性と思える.諸行無常に絶対はどのようにあるか.仏教的には色即是空空即是色である.無関係の絶対性はありうるか.-有限束縛を無機物が行使すると.
神の見えざる手は前提ではなくて帰結であろう.それは調和意識.あたかも
共時的空間を考えて、通時的空間は恒星旅行のようなもの.共時的時間は現時点、通時的は現時点位置が過去の時間にまず直線的に伸びるというようなことを考えておいて・・
ローニンに出ていたラフマニノフ・パガ18をバックにスケーティングをしていたのが、有名な名前だけは知っていたカタリーナビットだった.ごつそうな女性がなぜ映画にと思った.初めて見たビットの映像.東ドイツか・・・サラエボ・カルガリのGメダリスト.
その情熱がなくなるまで持続する-ストロース・宗教について.
覇者の陰謀性はその思考の欠如から来ている.よく言えば最大値でもあるので、最大値と考えると強力となる.
空間的自由・時間的自由はわかっているのに.応用個別にスケーリングか.
位相がわからない?次元がわからない?固有時はわかるのでまずありえない.純粋知覚がわからなのは心が汚い証左ではある.
関係の絶対性はまさか思想の思想たる所以ではないだろうな.吉本隆明が思想の思想たる所以をしっているという前提にないので・・・
意識する世界が広がる意識する世界が広がる.意識動作=世界拡張を心理的にダイナミズムと称した19歳
やはり関係の絶対性というのはわからない.当人が具体的親切に説明してくれると良いのだけれど、ひとつの策略かもしれない.必然的自由や自由=必然や朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりとも違うようだ.絶対というには束縛・拘束・必然を齎すイメージ言語.その上強制もあるので融和なければ不快だ.
俗人は明晰であると老子は言っている.その明晰が権力志向をして権威を持つと頑固に教条的に宗教的に権力を当然の如く用いてよいと考えるようである.そこに頭脳のエアポケットを感じたことがある.権力者は俗人化である.特に覇者型は.とフロイトを潜勢援用して考えている.
シュレディンガー方程式とショールズ方程式が変換可能の存在をしってつまらなさが増幅した.ディラックのデルタが共通していると考え、ゆえに正規分布思考をするはめになったか、もしくは時代の変遷によるか.ベキ・フラクタルは自然現象を説明するということはわかっている.
ロシア正教にせよプロテスタントにせよ、創造主が命令した結果、ラーゲリや枯葉剤使用があったと考えるかも知れない.スターリン時代のソビエトやベトナム戦争は結果として意味がない.歴史は無駄を作る.最もそうならなければならない必然性があったのかもしれない.誰かが無駄に対して利益を得ていたのだろうが、大戦なども反面教師にはならない人間の志向性-バタイユは奢侈と見る
しかし記憶能力を妨害するものだ.自らの陶酔出きずのために他者に投影したところで意味はなく、自らが陶酔すればよいのになぜか一生不可能の存在なのであろう.--そうかそれでヒエラルキー女性の位相に思いつく.不動心がある理由はあるがままの権利意識とはいっても逆になる剽窃で、違いのわからない場合の人々が多くいる.不動心は母性とみる.
権力志向の女はなぜに思考停止を強要するのだろう.意味がないのに.自らの地位保存のために他者を劣位にしないとまずいから--こうして愚かな時間を平然と齎していく女達.急に線形思考に陥って、頭の中は真っ白になっている.思考停止情態.極端に頭脳意識変化するかといっても事実そうなっている.これでは予想外と同じ.叙事的存在が思考意識を阻害するから-感覚と性的思考によるナンセンス・無駄をする羽目になっている.そんなはずはないとは思うけれど・・
新自由主義者がパレートをしらないはずがない.となると確信的になるが.正規分布が抑ていたのだろうか.
人は雪の上に寝ても大丈夫.死ぬ前には必ず目が覚める.-加藤文太郎.しかし目が覚めて行動が取れる人はそう多くないのではないか.取れても場所による.単独行者でもマッキンリーに消えたタフマンもいる.
「個体論が選んだ登山家はヘルマン・ブールその人ただ一人.」(何がしかの薬物を使用していたのを後に知った)
臆病者とはそうではないだろう.それは集団心理・社会の桎梏が当然の立場から見ている.最も通底しているのはヒロイズムではないか・優越感.むしろ自己自身へのハイデッガー風実存とは見る.臆病者の遠吠え 
口から出任せには何の疑念もなく思ったというこの心理の軟弱さが問題.あきれ返る脊髄反射の虚栄心が狂わせる.意図的な場合は神経症・精神症に対象はなっていることになる.最近脳軟化症を強制される情況にある.アンドロイド並みにタフな執念的異性もいるものだ.意味なき時間が過ぎていく.エロマニ?クラレンボー?.それともなんでもないちょっと偏倚しているだけの存在?・・非独身なのに煩わしい傲慢・倨傲以外に不可能な生理体がある---小説の一部になっている感
「雨は降っている.が私はその情景を透過している.」--この心理状態を他者は異常・奇異と見るようである.それは他者の認識の俗的であることの示唆である.
渋江抽斎はいいといった石川淳も良くわからん人物ではあるが、この作品はより鴎外・林太郎らしい.
精子バンクによる数十人の兄弟は当たり前という話は出ないのか.30人以上もいるらしい.こうなると男性が女王蜂・蟻かというようなものだ.
一般に進歩とは、実際よりもずっと偉大に見えるものである。 ネストロイ--これが妙に気になっていた20歳ミストレスのカフェーショップ.
サンデル・哲学探究的の社会個別現象分析・解析かと思える.分析哲学を社会現象に用いていると公共哲学になる自然流れになっていると思った...
扁球・球・長球--回転楕円体.地球もそうだった.最も地球楕円体はフラクタル位相を持っているような.ハウスドルフ次元を.-3次元球面が隠れている.抵抗は人もそうだけれど時間とスケーリングもあるな.物語の中に現実があるというのがセカイ系というものらしい.経験的にはその物語を作るのは難しくかつ応用も困難である.抵抗が強い.
ハンディキャップとシグナリングは明らかに地球存在の制約条件から来ている.
互恵的利他主義も日本的--ギブアンドテイクは世界的-と思いボールズはどこから考察契機を持ち始めたのだろう.単に身近な例からのようであるが.日本は縦型社会という意見をよく見る.ならば抗争交換モデルは意味があることになる.経済学における階級理論について
意味を持つ文章があるときそれに矛盾する意味が隠れているというようなものを最近見た.この考え方はいい.
線形が線形であるゆえに線形なので線形を線形と見て線形としてしまったゆえに・・・No.6の応用
何も示していないのがいい書物であるかも.ただひとつの視点を与えていることは間違いないだろう.それが原存在の位相でなければ本質であることは間違いない.ここで本質とはある人が固有時を持っていればそれを示す.また固有時一般があるということも本質である.
デリダの原エクリチュール・原痕跡はどうもあるところのもので、それは本質ではないか.それでは脱構築は単にパラダイム・パラダイムでもなくて変化にすぎない.こう考えると何もデリダは示していない.エントロピーは変化しているのは当然だから.
ヴェルナー・ヒンクはもともと本物のバイオリニストであるのである.庄司 紗矢香は特筆に値.
人はプリンシパル=エージェント理論を考えてしまっている.ここに出てくるのはまたしてもノイマン.いまちょっとコブ・ダグラス以外にについて考えることが必要なのかもと思い始めて-べき乗があるとパレートで新自由主義の加担になると閃いたが
「最もエラスムスでしょうに対する大失敗が判明したのは最近のことなので、その間余裕をこまねいたため追尾には悪戦苦闘と楽しみがあったが、その先には困難しかないのが今である.」-どうも劣位に遠慮すると自分がそれ以下になり、自己疎外を自ら構築することに、かようなXXが多すぎて疲労度は高くなる.
「心身二元論も適合するし、かといって要素はライプニッツからだけれど妥協してそうしても良いがでもあるし、要素では大きすぎる思惑もある.ゆえに超弦を当てはめていることは当然.超弦論進化に自動的に追尾するようにしてある.それでも問題は確実・確かなものとしてある.」
「記念碑=記号=個体論はみな同じ・中間間隙自己対象授与や介在伝達とかのような表現を用いている.なるべく固有名詞・指示名詞のようなものは避けられているところのもの.」-写実化は避ける
「そのエラスムスでしょうの女性には大失敗を被ることになって、今に至る必要な記憶が自動記述を覚えていないのである.ただフレームは覚えていてブログのイントロの通り.幻の記念碑となっていて、その実在をしっているのは3人にも満たない.」
笑いは精神物質元論を統一するものとしてある-と考えてみた.ただ身体優位的かな.
美と欲望は異なる-カント
不整脈-考えられるのは現状ではモード・ロッキング-周波数引き込み現象の応用対処.
今日は久しぶりに中庸速度を発揮できた心情となった.中庸を持続できれば継続とは力なりが言えることはよくわかっている.但し、中庸の持続が難しい.-ワンパターン人間がいて、中庸ワンパターンなら持続は自然にできることになる.
公共学問.敷衍を普遍よりエートスがいざなうといったところか.いやただ単に敷衍でよいのだ.
まあ日本を変えるとすれば、甘えや依存を止めて責任意識を持つようにしていくことだろう.
「日本一国家のみを考えていた嫌いがある.漠然と世界の国家も考えていたと思うけれど、世界まで広げるとどこかに漏れがあって、その変換を持ってくれば可能性があるかなと.実際世界を考えていたはずだ.でなければ宇宙は出てこないと思えるから.」
そなっているんだ.全く読む気がしない.時々何かの拍子に眺めたのは、ロシナンテという馬の存在と、風車を攻撃することくらい.”第四十八章に書かれた芸術論”には多少興味がある.いずれにしても小説である"後篇でドン・キホーテは正気に戻り、自らの狂態を騎士道物語による幻影だったと悟る"
困難を避けさせる女性達はまた別の話.好むべきなのに好ませない態度をとる場合の愚かなことよ..
ディズニーランドにたとえば35歳くらいの人物が行くというのはあまり予想できない.子供達と共に童心に帰って時間を費やすというのならわかる.ストレートに楽しむというのは発達遅れではないか.子供時間を伸ばしても比例して寿命が延びることは考えられない.困難を避けているに過ぎないのでは.
ちょちょっと考え方は異なるけれど、退屈な時間を過ごす理由にはならなかった最近の発見.おーなるほどドンファンと一途.ちょっとまったプロット設定面白くないな.第一やはり時間つぶしでしょうにドンファン時間は.なればかっての女性達と今会えば避けることはしないというのはどうか.
憎悪は不毛である観点からは、駆け込み訴えという作品は不毛であることにならないか.ユダが復活するという物語は考えられない.それにしてもなぜマタイ伝が必要なのか.歴史上のユダヤ教との転回点のためにか.
つまり本能的無責任のリビドー気狂い女性が思考停止を強制するものとなる.脳神経に空虚な変な場所があるという違和感を持つ.こんな女性が一人でもいると始末に悪くなる.なぜ生殖器位相まで発達しないのかその精神.これは共同幻想の束縛によるとおもわれてゆえに暴力装置的存在となる.女性が.私が私の対自化をする.そのときに女性が割り込みをする.この鏡的位相は不愉快なもの.単なるトートロジーでしかも衝動を伴っていると乱暴なものになる.対自化を衝動的にしているわけがない.この功利の煩わしき権力意識.-どうもその女性は成長過程において時々出現して妨害というか制約をもたらす感性嫌悪のイメージの人物である.まさかそのある場所で遭遇してただ一言の発語が、今日まで無意味な時間を育むとは、予測もしなかった.遭遇したこと自体は超現象である.ブランドが明らかに権威を持っていることは、周知の事実なのになおかつ権力意識を表明する女性は、劣位コンプレックス心理にあったのだろうか.それも主体を疎外させる形をとって(無理解).これは自業自得に陥るはずのこととはそのとき思わなかったが、ただ責任はしらないよとは思ったものだ.
まさかそれを実際に行うことは冗談?未必の故意かな?と思っていたことが、他の女性によってどうも実現しているケースがあるらしい.未必の故意は事実でもあるとか.疲れる認識でもある.
領域理論とチューリングの第3問題.ラムダに不動点で細分化に対して畳み込み冪のようなもので、細分合成をすべきときななっているようだ.
束が素直でほっとする.こんな心理情態か.たまには正規分布的線形もいいのだろう.半群で畳み込み冪は使える.
(日銀法改正するのなら名目政府出資率50%未満にしてその独立姿勢を問うことかな.現状では周囲の圧力に変更を余儀なくされる傾向有りに見える.今のままではより責任は政府にあると日銀は思っているはず.そのような情況での対処なので結構日銀つらいものがあるのでは)
目には目を--ベキ・フラクタルにはベキ・フラクタルで対処する.いずれそうなるだろう.
老衰は最高の安楽死ではないのか.徐々に--ゆでガエルの考え方と国家の方針は徐々に変更するということなどとの相関が対立しそうだ.-
ロートレアンの名を知ったのも京都でこの頃、ある大学の女子学生が持っていたマルドロールの歌・ポイント指摘質問の数種の漢字がほぼ読めなかった...ロートレアモンの幻想力を翻訳読み通すスタミナは今でもない.
京都に行った時の昔、情報を仕入れて岩手の一関までなぜか上野宵里に会いに行ったことがある.ロ短調の女は何なのかな.単細胞は興味なく.一応書物を出している人に直接会ったのは人のみ.喫茶店だったか割りと長い時間饒舌を聞いた記憶がある.上野宵里はまだ生きているのかな(らしい).どうせなら平泉にも行けばよかったと今でもおもうけれど、全然考えなかった.
ヌーメン(多様性あるところのもの).自ら判断するところのヌーメンの時代とその不条理との格闘もあってC_G_Jung_jp もし我々が胸をはって目標に到達することができるとすれば、それは我々が時宜に適った努力と忍耐によって運命の道に現れるヌーメンたち(numina)を理解するときだけだ。-ヨブへの答え-
現実微分があるなら国家微分もありか.
「今は考え方・見ようによってはすごい時代である.あの時若かったにも関わらず体力が持ちそうにないと思って萎縮したその内容の時代に見える.」
波束の収束にスケーリングが発生するアイデアは.どうも頭脳位相が飛んでる位置にあって記憶とずれが出ていることからスケーリングを設定してみて..
私が私を見ている私が他者の痕跡を想定する.痕跡かなるほど.対自対他は当たり前というのは膾炙済み.間主観性や痕跡はよく言えば不朽性を持っているとも見える.超人があるにもかかわらずサルトルは実存の不安を出してきたからな.その理由はよくわかる.どうやらフッサールはここに不安を感じてはいなかったようであるが.弁証法理性批判は読めた代物ではなかった記憶がある.アルトナの幽閉者は難しい.ヴィトゲンシュタインのの時間だったか.とにかくヴィトゲンシュタインはいい顔している.エリートという言葉を用いてよいならば彼は相応しい.原・痕跡、あるいは原・エクリチュールはどうも袋小路になるのは明らか.やはりデリダもだめで未来への時間を脱構築労働でとりあえず凌ぐといったところになってしまう.「前から思っているのはハイデッガーの原存在の方・これをどうするかといったところで時間稼ぎをして他者のアイデアを」・・出ている?.差延はわかった.差異と反復は昔、読めなかったな.グラマトロジーって何だろう.
「ある夏の川原で、記号は回転する.それも通常の近く速度では当然間に合わない速度で..顕微鏡的ビデオ器械があれば再生可能かもしれない速度と推定.」
いずれにしても照葉樹林文化はあったのだろう.情念にまとわりつくしっとりとした暗い影を日本人女性に感じるのは容易でもあるから.好めないけれど.今に至る遺伝的要素と見るのは簡単である.そのあおりで陰湿という言葉が存在している.陰湿の渋とさにはほとほと手を焼くものである.
女性ホルモンが女性それぞれの個性を特徴付けているか.それとも染色体一般総合から判断か.
ショーペンハウアーに解脱の意思があったことを前にしって、あの時、浅薄に想定したことはまずかったと思い出す.ゲーテの色彩学も同時的に考えた.
まさか福島の事故もワイブル分布に従うであったか?
直交補空間が否定になるとはそう考えると内積で量子論理-自由が規定になる場合もある.
虚時間微分 
比較制度分析による情報共有型は補完諸制度の束になっているためにシステムの変革が困難の場合、集積共通項の解きか共通項の乗り越えを変革用に考えることが出来る.
悪徳へか・・陰謀型?.なんだかんだ言ってユダはメフィストフェレスに似てないか.ゲーテの『ファウスト』に登場するメフィストフェレスは誘惑の悪魔とされ、神との賭けでファウストの魂を悪徳へ導こうとするが、ゲーテはそうさせなかった.
コジマ宛の手紙・これはこれは誇大妄想型で思考限界に達したあがきであるように見える.超人は健康すぎる真昼の太陽であるのに.いわゆるバベルの塔にやられたかそれとも体質・器質からか.絶対原理超克ゆえに?
あぁなるほど存在は現存在から発生すのでデリダの差異は現存在に先立っているというちがいが.あの時は存在論的差異で存在を気にしている私は短時間意識をしていると思ったものだ.フッサールにも発生現象志向があったのか.答えが出ない.デリダの差異は普遍に在るものとは言える.フッサールの現象学は単に知覚する生起現象論だろうと思っていた.ある時ふと思いついて思考してみた.どうも普遍性に辿り着くので思考をやめた.どうやら現前は普遍現象の対象と似ている.そうカントの定言である.
真社会性においては不妊階級を有するのが特徴であるとは、種の保存とは如何に・・働き蜂は雌とはしらなかった.
デリダの痕跡-差延を見ている.未来に出現する痕跡はないのか.過去だけではつまらない.ヘーゲル・ニーチェ・ソシュール・フッサール・ハイデッガー・この付近の集中現象は事実ドキュメントで面白い.差延は境界として見ている.ヘーゲルはビッグバン的思考をしていたんだ.未来にある絶対者を考えてしまう-これもそう考えていたか.デリダ-エクリチュールとパロールの階層的二項対立の優劣逆転-記号文字の中に二項対立を持ってくるとやはり逆転の可能性は浮かんでこざるを得ない.
苗字は共同幻想的名前は自己幻想的かなとしばらく考えてみて.個人的にはいずれもフルネームを用いる.三島(由紀夫)・太宰(治)-(夏目)漱石・(宮沢)賢治
芽胞とVNC状態--メタジェノミクス以上のものが可能となるかもしれない.数が多すぎる.
絶対座標での自尊心(の方が古い).
自己を撫でることは短所を無理やり長所にすることか.文化位相に自己をおいて.相変わらずエラスムスが出てきている.エラスムス自体も滑稽(だったかな?)から生まれている.自分を撫でて相手も他人も撫でるときを自己欺瞞・偽善といわないか.愛情も他人の長所を尊重するが.
柔道は部分を・直接状態を見ながら全体を見ると読んだことがある.強者がころっと負けるときは全体を見ていないといえるだろう.または脊髄反射がタイミングよく作用した.
帰納を共変・演繹を反変と称する圏論--ダブりが種の分野であるようなので横断的ページなどはないのか.
役所指導というのは絶対性確保のためか.ともかく現実は複雑になっているので複雑な指導をまずしなければならないのに、線形的思考では出来ないだろう.
日本の風土に値段のつく資産といえるようなものはもはや無いと漠然と想定する.エントロピー最大で飽和している感覚.志向すべきは存在論的価値観に可能性があるかなと.精密化か盆栽的なものとか. -単に複雑性化
ニューメキシコの新兵器の実験は原子爆弾であると認めることは出来ないという雰囲気があった・・・特殊任務機が日本に向かっているを傍受していた.硫黄島でもキャッチ...スリリングある.臨場感を感じるが、当事者達はのん気に構えていたような文面を見る.
「個体論は明らかに一般意志側である.」
そうか心の暗部とは死への恐怖の抑圧と見た.これなら諸々は説明できそうな気がする.
フィックの法則からどうも定常状態濃度人間もいる設定である.普通は、非定常状態のはずなんだけれど.一定というのは変化なしで雨滴一滴が石に孔を穿つように不快なものである.計算できるという考え方もあるが、有為転変もある.個々にとっては安易で安心感の作用が働くことは否めない.
CNOサイクルもそんなに短い時間ではない.とすると「人工太陽の120年という値」は反応時間を短くしていることになる.”恒星内部で陽子-陽子連鎖反応が完了するまでの平均的な時間尺度は109年のオーダーである”
気持ちがあるという先天的を後天的展開をして、結局、先天性を含めた身体反応にしている.
心理主義とは?.自然主義的誤謬は分析哲学的にまことに簡単に考えるものであるという思いをする.黄色いにはグレードがある.コーネル実在論は似ている立場で、ここにはある女性の反発感を受けたことがある.

と想って何十年・EUに行った事はない.去る女性がクリスマスのチョコレートを買うためにだけに一人でドイツにやや弾丸的に行ったことを思い出す.貰うべきだったか...極東があるなら地図上で極西があっても不思議ではない.この刷り込み意識・伝統圧力に対して日本の若者は抵抗感が少なくなっているらしい.それはそうだEUに行っても二本足で立って歩いている人がいるだけなのだから.
そうなんだ.句読点の代わりや転回発生のたびに笑いを発する異常に笑いすぎる女性はなんなのだろう.騒音に近くないか.個体存在確信のためにあるいは優越感のために笑うとか.””かのニーチェはこう言っている。「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである」
「あるところの牧場で永遠から連想しているイデア.永遠の愛という言葉がある.ただその明るい愛の形はそう想っているけれど実行はしない位相である(してもよい・いなするべきである).もっとも心で実行してしまっているか(そうだしていたが、止めたときがある).関係の優越性ともいえる様で.」.
「プラトンのイデアは愛であると思っている.」
大体、叙事的タイプの人は人を愛せないのではないか.恋は出来るとでしょうがそれも押し付け気味のもの.単純規則に従って弱複雑性忍耐力の持ち主であるならば.-聖書によれば天国の邪魔をするもの..
正直者が馬鹿を見るのなら、偽善者は悧巧を見るということになる.論理の心理位相・過程変遷を省いたとして.
境界閉鎖性が成立することになる.または公理AφBを作りたがるか.多様の与件でもあり、縦の局所ともなる.
まあ日本の将来に対してはいかなる世代といえど考えるものではある.
感覚としては結構、個体論的な考え方になっているなという感想.--「皮相へ表出する」・つまり表層という現象を設定してある.(○○・・独言)
プルーストの無意志は対物的か(客体一般に対応).ふむふむそうするとかの人物を想起するが飛躍し過ぎる嫌いがあっていずれに可能となるかも.
新しいコミニュティならは一応デリダではなくマイ論理のある箇所と似あうところがある.白紙を目の前にするというところからかもしれないが.可視化すると代表になる可能性がある.日本に対して熟議は世代的に同様のようでもある.
月見草が良く似合うをやっているTVがある.おいおいしっかり検証してみてよとは一応述べておこう.
再度かも.ケインズに大して+αと部分化を考えた時は、さすがに知的限界で頭の中はきりきりひりひりの感じだった.今ではニューケイジアンなる派があるようだ.ケインズを部分化するのであって、ミクロの合理期待をケインズに取り込もうとは考えていない.取り込みは+αの面であるならば理解可.
「征服を最初に浮かべた・考えた時に始祖鳥も同時に考えた」ので、始祖鳥をマーク化して何かを作ると成功に進めると思いついている.始祖鳥は黒く舞うイメージがあり、ステパノドンと記憶していた.ところがステパノドンはgoogleにも出てこない.昔、何かの漫画でも見たか.Archaeopteryx・アーケオプテリクスは現代の鳥とは兄弟的な位置づけで、樹上性ではなかったらしい..
先に進めないので現実の最大値の暗黒は道徳なき叙事的世界かもと考えてみた.第二量子化をモデルにしたいけれど.単純にはニュートン力学から量子力学の位相で考えること-この腐敗的な色合いのは叙事的暗黒で思考がないといえるのかも・廃棄領域の運命か
なぜ機能主義的な簡便方法が好まれるか.一目瞭然でそれは性的な快楽が容易に問題を無視させるからである.
計画を意図せずにも関わらず発生した制度を弱い合理的とするウィリアムソン.認識能力の限界によって限られた合理しか持ち得ない限定合理性.--意図しない制度・秩序が最も価値がありと考え、個人の明瞭意図との中間にある限定合理の認識能力とは他者による束縛が介在しているかと考えてみる.
これから高額の書物を買っていこうかとした時に、ある著述家が文庫本といいだしてがっくりしたことある.コンディション調整がうまくいかずになって.当人の著作を文庫にしてくれというべきだったかが、露ほどにも思わず.またタイトルのみで内容チェックをせずに勘違いをした書物があった人物.
女性のピエロ・道化師を設定しそう..
ただ一つの理由は、可能性があるのにその頭脳を用いないことによる.野蛮化するというのなら政治にしろ他の事にしろ.そう考える理由は後ほど.
「屈原と杉木立の中の手掘りの小池のそばでと小道の傍らを流れている小沢で始祖鳥と征服を思い浮かべた頃.」
ルーカス批判と個人的なことは政治的なことであるを結びつける論という設問があるとする.援用はフーコーあたりとして多様な論が出現しそう.「開かれた社会とその敵」・ポパーは良くわからない人物である.果たしてイデアを知った哲人を理解できているのかどうか.
なんやらかやで障害者には障害者の論理があるとしてずっと来ている.ただ発生原因特定には難しいものがある.
カルビン回路--地球上の全炭素量はほぼ一定.
あるいは処理圧力から覇者型になってしまうということもありうる.道徳的権力者は覇者型を内含しているからである.美人は不美人になれる.国家が暴力装置とする.となると権力を持つものは覇者型が成りやすい.覇者型の権力者は武力と策謀を用いるので、もし道徳的に良いと称される政策が行われないのならば、権力の位置にある存在は覇者的存在だからであるとなる.
失われし時を求めてにはヘテロでないものが登場する小説とは今始めて知った.ロマンの香りするものだと.長いので読む気にならず.あることのきっかけで記憶がよみがえるというのが面白いと思っていた.「しかし件の女性は南十字星・不死鳥・アドロメダなど連想させた.アルベルチ-ヌはまずかったか.」花咲く乙女達のかげに私がいたとドゥルーズが言っても良かった.スワン家へ向かうアルベルチーヌは僕の前で長い右足を後ろに一歩引いたポーズで立ち止まっている.それが何を意図しているのか僕にはさっぱりわからなかった.一歩の踏み出しを要請していたのだろうか.彼女の先には宵闇の漆黒が拡がっていた.-現実は彼女は仕事を終えて帰宅する所-水道の水が落ち
物質・反物質循環論-SF的
無限性を無限域のままならば色即是空空即是色
つまり叙事的存在は有機体を無機的に扱う傾向がある.そういえば人は無機物も好むことが出来る..
関係の絶対性は関係の有限性の必然性ではないか.関係の無限性ならばどうする.選択の自由は無限にあるというか自由であるならば.無限性を有限性に還元するから絶対性となるので、無限性を無限域に還元するとすると固定しない.固定は任意とする.
「ソシュールの通時と共時も記号に当てはまる.もともとの記号は時間に関してのエントロピー変化に際して思いついた・見えたところからきている.さすがにこの認識は多数のケースに当てはまっている.」
しかし件の女性と遭遇する前に論理構築と構想をしてあったが、彼女はこれをしらない.で論理からあることを当てはめたしまったために捩れている.ただ無駄.現実には似たような存在がいて徒労が増えるのみとは.この当てはめの直感は美的には好まないところからの有限制約になっている.
権力エゴイズム.覇者・叙事・・どうにも記憶から離れない権力志向型女性がいて思考停止を被る.大体叙事型は弱複雑忍耐者であって複雑忍耐に関しては丸投げを行使する暴力を用いる可能性が高い.思考限界を持っていて原生動物化する退行強制がある.これで思念の信頼が揺らいで乱れ過ぎる事に..
「世界があることは神秘であり、その認識の前では沈黙しなければならないのである.」宗教とヴィトゲンシュタインの根拠がここにある.哲学をやらなくても良かった若しくは哲学を行う権利を獲得している・・
歴史が続く限り需要はなければならないという仮説ではなくて斉一原理から、現在時点のエントロピーの結果を基準とするか、未来のエントロピー増大を信頼するかの違いと考えておく.しかしフリードマンルールがあるとどうにも変な事になる予測を考えてしまう.-成立しなくなる.
神はどこから来るかとなると、無限の無限乗宇宙といっても論拠なく、根本前提が不明のままである.「ただ前提の前提・根本前提があるものとしている.」因みに陰陽は記号に関して同じ形式を持っていたことに気付く.
単純に心理的生理的物理的時間は区別するものとしてあると思っていいる.時間が同じなのは端的に言って物理的な場合.区別は難しい点を構築するだろうがさりとて混同はまずい.
フェデラー・あんなテニス見たことないというのが初めて見た時.マッケンロー・ボルグ・ナダルなどは単に普通の優秀プレイヤーだ.
なぜ世界があるのか・・陰陽で良いか.これは都合が良いからでは・色即是空空即是色は単にそう思えばよいというだけに過ぎぬ.もっとも人間がいなければこんな問は成立しないのでそこに根本がある.で問が成立することは何を意味するかとか
TLPに ゲーデル数が出てくるとは.ウィーン学団は原子命題雰囲気でカルナップなどは特に.ゲーデルは数値的参加か.刺激に接していたのだろう.
マイ論理は妄想実験でもなく思考実験でもなく思考現実である.」故に死霊という作品についてはほぼ説明できる.
No.17に.ゆえに取り入れている.なぜそう考えたかその感じを知っている.. Not how the world is, is the mystical, but that it is.
価値観の歩み寄りというのがあるから砂肝のNo.12もそれでよい.変形才能を必然に与えすぎてしまったようだ.
神の名を徒らに取り上げてはならないこと--モーセの十戒にあるからか
神の見えざる手というより、人々は秩序を造る能力がある・つまり他者によって与えられた指針ではなくて.-多少、消極的自由と散逸構造の香りのしないこともない.
効率市場仮説と神の見えざる手.創発的現象で一般表現か
縄文の遺伝子は狩猟型のはず.日本に帰化した外国人がそれでも日本人になれず違和感を感じるのは縄文の遺伝子を持っていないからである.こんな個性のある国が世界にひとつあっても良いだろう.最も縄文遺伝子観点からは民族的なのであるが、世界には民族主義・民族第一主義は多数存在している.
棚田はその写真を始めて見た時、驚異のもので芸術品にも見えた.使用するのが大変に思えるけれど人海的なら大丈夫か.
総理大臣にいろんな人がなる.それぞれに個性が出るというのは全くの自然認識なのだけれど、これをアローの不可能性定理で説明できるらしい.-単に個性の相違とすると当然不平等起源がでる・教条の違いとも.
あのラムゼイが凡なる帰結をと思って眺めてみるとそうはそうだけれどとなったが・・・.死荷重がここに登場していたのならやはりラムゼイというべきなのだろう.しかし面白くない帰結である.取りやすいところか取るという心理観点ではなく方程式帰結ならしょうがないことになってしまう.複雑管理必要.ラムゼイルールと最適税率
ドイツ歴史学派から乱立する弁証法ラインがあって、ゆえに経済モデルが多種成立してくることも歴史時間ではいえるが、概観一挙には多様性から見てしまう.流れは明らかに時間を経たことで、-空間・地理的同時性もある-民族も多様なので弁証法的多様性・多様性弁証法とか考えてみる.なんとかの仮説があるな.
それにしても大陸の中央部・中原にD遺伝子が残っていないのが謎.旧石器人は北京原人よりネアンデルタール人に近いということもないだろうけれど.ネアンデルタール人はD遺伝子を持っていたかどうかすでに判明してるとおもうけれど.Oタイプは北京原人の付近の子孫なのか?.-デニソワ人との関連は不分明.
農耕民族がどうのこうの言っているけれど違うでしょう.弥生人が渡来する前にすでに日本には人がいた.つまり彼らが日本人.原はつかず純粋に.寧ろ縄文遺伝子が弥生を混ぜて反撃したのが太平洋戦争前のしばらくの時間とも言える見方もしてみる.
ヴィトゲンシュタインの『哲学探究』に関してのスラッファのイタリアスラング風ジェスチャーのことはしっている.ヴィトゲンシュタインにとってはさぞかしupsetなことだったろうは容易に想像できる体験を持っている.そもそも原子命題は成立しなかったのである.ただしTLPは素敵な書物である.
今はどこのスーパーでもやっている定刻割引・あの頃割引時刻に商品が届かなかった場合・渋滞とかでどうするか.それ以上割引するのか.うまく考えられなかったと同時にマネタリズムの考え方も想像できず.今ではフリードマン・ルールは超特別な場合に成立すると推論とその直感で仮想認識している.
大論理学があるような気がしていた.ではやかましいことを言っている暇に精神現象学を読むべきだというある女子学生には大論理学までは目を通すべきだといわねばならなかったことになった..べつに読まなくてもよいので、というかその存在は認識妨害になっている.
戦後6x年というけれどまだ安保理はそのままなのである.要するに体制は変わっていないので、日本でも残っているものが目に見えてある.
「終わりに関してはNo.05.終止符は終わりのマーク.finも同じ.全然覚えていない.ただ心理をこじらせて背骨がきしむような想いをしながら考えていたあるxx寮の部屋の一室.」
「はい20歳.考えて考えて考えてしまうことを念頭にして・・・」
ルーカス批判をチェック.ルーカスはよくアイデアをひねり出したものである.物理に関しての無意識か意識的な意向があったかどうかまではわからない.ソーカルの香りはしていないようだ.それにして経済範疇はアイデアの宝庫だな.予定しているバーゲンにその品物が間に合わないときをどう考えるかで悩んだ時があった-新制度派経済学の取引費用理論に関連している・・”ウイリアムソンによれば、取引コストを決定する要素は人間の限定合理性と機会主義的行動、取引における頻度と資産特殊性と不確実性である。””サミュエル・ボールズ-親の経済的成功という変数を統制すると、IQ指数と子供の経済的成功とは、ほぼ相関がなくなる。”
評論は何も産まないといいつつ評論的なことを述べている.実際面白いものだ.本当は選んだ自己のツイートに対して展開をする予定が全く手をつけていない.-今している.
今は袋小路になっているこの世界システムの考え方は現実の場合もある”中心=周縁構造のさらに「外部」がある”先進国の中にも、支配層と労働者階級、富裕層と貧困層といったミクロな中心と周縁の関係があり、市場化されていない「女」や「子供」や「移民」や「他者」が外部として存在する.”
マタイのユダは結局権威主義的人間ではないのか.あるいは予備軍.それともダイヤモンドに目がくらんだ例の小説の女性のような存在なのか.
ローザ・ルクセンブルグ”閉鎖系においては危機は不可避だけれど、開放系(つまり外部に消費が存在する系)では、非資本主義諸国で新しい購買者を獲得することにより、危機は避けられる。帝国主義とは、資本主義国家がまさにそうした消費者を獲得しようとする競争なのだ.”TPPの動向はそうだ.
”マルサスは人口成長は(抑えられなければ)必ずそれを養う手段の成長を上回る、という仮説を提案した.”ならば人口減少はそれを養う手段の成長を下回る仮説があっても-ビッグデータはいい手段という思いになった.
責任転化・回避をしないようにすれば良い.つまり自己主体の尊重をするようにする.恋ではなく愛の型の方.
事実として人間・人類が存在していることは倫理・道徳の存在もあることである.なぜならばこの地球上に倫理無く実在しているものは無機物だけであっても良いからである.
それから浮かぶ現象的には、人にはもっと思考の可能性を持っている.ただ現実還元は困難である.但し環界に対して実行していると考えられなくもない.
「多世界解釈に対して言いたいことがあるけれどまだ言わない.可能性を見出しているが単に自己の経験のみのまま.波束の収束は事が大きすぎるレベルに見える.-1秒世界のこと.」
酒を飲むと人は真実を述べるだろうと思っていたが、ある時どうにも真実ではないという現象に遭遇してだめ。ではイザというときならその人の固有性を出すだろうと思うが、そんな状況は簡単に遭遇できないものである.
「マイ論理から--前提の前提・根本前提はいまだに哲学上成立してはいない.宗教状での省略はあるようである.」
無限小は無いともいえるとすると、そこにあるひとつの水筒にも無限小があって、水筒は無いもので出来ているという、無限時間を想定せずに共時的に出来る考え方.-物質があることは無限小とかの無限を考慮しないように人はする.(無限遠点は・・).ブラックホールは無限小の塊ではないか・無限小より大きいもので成立していると予測.それでも無限小があるとしてなぜあるのかが難問.無限小の領域と時間は一致しないかと考えて、時空の要素があるとすると重力のそよ風が発生するという展開.超弦やエルゴードの先を見る形として.無限遠での無限大と無限小
合理的期待仮説はケインズに対して+αで部分化はニューケイジアンとは明瞭にいいきれないな.そうか論争中ならばきりきりしたあの時の心性は意味があると言うものだ.
サンディカリズムとは何とシモーヌについて考えていた頃に知った言葉.組合が国家運営を出来るとは思わないが.
厚生経済学の第一基本定理があるけれど、帰納がまとめていくピラミッドはパレート値の値で権威・権力が出現すると考えてみた.80%を越えること.これはなんとなく経験からおよその事柄に合格する値とずっと思っている.
クロアチアのセルビア人か.セルビア音楽はアナから貰った..カ・コ・シ AHAと言っても今は所在不明で届かない.
ベルサイユにトイレなくゆえに香水が発達したのは聞いているけれど、アルメニアの花摘み謂れはしらなかった.でもありそうな話.自然の中でで気の利いた人物ならそう表現することはしっていると思う.日本人でもそう表現する人を知っていた. 
幻想即興曲ショパンのアンダンテはいい.心が澄んでくる.願わくば透明な音色で聴きたい
帰納の抽象度が上がってどの辺りで権力や権威の権の字が出現するのか.解析とその証明は経験則ではなくて出来るか.
富士山について語るのが俗っぽいなら、芥川賞受賞に気狂いになった人物は俗ではないのか、斜陽も俗っぽいタイトル.そもそもペンネーム自体が叙情性欠如過ぎるイメージが強い.そのときの気分で言うことが変わり首尾一貫しないタイプと思えで、気まぐれやランダムという表現もあることはある.
結節点・転回はやってくると思っている.今の時点での人口減少データに狂いが生じるということ.経済現象にも変化が生じるとは思っている.
伴久ホテル倒産は去年の話だったのか.その後やっているみたいな.一度言ってジャングル風呂は珍しい.ただ離れの囲炉裏で食べる鳥肉?魚だったか・そう珍しくもなかった気分.タヌキのお宿 洞元荘の夕立風呂は混浴って、ごく当たり前自然に当然の如く入ったことある見知らぬ客の男女達との月初頭.奥へはいかず水上プリンススキー場から道なりの林の中を滑って最後は畑に描いた本の跡で道路まで. 
帰納のまとめのそのまとめのまたまとめのまとめで官僚に到達するだろうことがようやくわかった(抽象・閉鎖的にもなる).帰納はその結論を確率に求めるので責任感が出しづらいのかな.
与えられた仕事をやり通すという伝統意識があるらしい日本人.それゆえに退路を考えることが困難になる..
(インフラの老朽化は明らかに需要なのに財源確保の問題がなぜ発生する.日本列島新規改造ではなくて日本列島再改造の名目でインフラを対象とすべきなのは明らか.)
そういえば有限神聖はあることを想像できるけれど、無限神聖はあるのか.あればこれが宗教となって戒律が成立するだろう.もしくは神が無限神聖なものと見えるか.永遠は神聖なもので無限というには妙な感覚..
中間存在は芸術ではない.局所コンパクトであるから.
単純には漸近的自由性=Asymptotic freedomといえる.すなわち会っている時にはなんとも思わないが、別れる時には未練が強くなるような事柄のこと.一般にはこの言葉だけでOKである...
中間存在の生命保存圧力ではなくてやはり権力志向者の暴言圧力ではないか.どうにも処置なしと考えてしまう.-天国の邪魔をするのは
チェコ人はケルト系との混血要素もあったんだ.男子SPを見ていてあの身体の動かし方はどこから来ていると興味を持って.
これよく考えると表明していない個人的点の関係とほぼ同じ概念だ.まだ表明していないのでまずいなと思ったら、アローとハイゼンベルクとゲーデルから来ていた言葉だったので距離感を持てた.理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 
”無限次元の線形位相空間は局所コンパクトではない”ゆえに自由であるというのはまず直感・日常感で容易に思えること.
(米国の圧力があると推定できる.理由はよくわからない.この圧力に抵抗するのは政治生命では困難だろう..)
ロゴス最初に有りきはそのままに演繹的
「クロノス・真昼の漆黒-定性通時的なイメージ」
エートスは習慣・パターンのイメージを持ったときがあって、それは閉塞感を齎したので保留をした.古代ギリシャ語はそんな意味を持っているが、倫理となるとそんなことではない.でもこんなところからカントの道徳律につまずいたか..-定言であるならばなんでもなかった.どうも自らの次元を落としてしまうきらいがある.
生の領域において存在消失者と身体的な関係は絶対に成立しない.記憶上ではそうではない.
タナトス・クロノス・エロス・パトス・ロゴス・エートス--この中でタナトスは権力に付随しているものと考えるが、無限の中であると身体の実在存在時間は短い.鈍い黒色のイメージ.
トロツキズムは他国を巻き込んだ中央集権システムと米国TPP関連からそう思うようになった.ならば新しくもなくイズムでもなく永続というのもいかがなものか.トリクルダウン化ともいえそう.
どうも前から感じているけれど、最近の数学は小説のようでもある.詩的言語もあって.箙-梶原 景季が武士のたしなみとして梅の一枝をえびらに指し奮戦した・・・
合気道はEI的という研究者もいるそうで、流れるように処理する実際を見てみたい.Emotional Intelligence・EIに重きを置けばIQしか使えない人材はロスがあり、IQ優位であるならば感情齟齬を齎すことは明らかである.
Sinn・独語にそんな言葉があった.というのも「神・JIN]なる苗字が実際に存在する...そんな女性がいたな.
普通、個人のふるさとを否定されると人は不快を感じるので、コスモポリタンの故郷はどうなるとか.民族意識が成立する要素にもなることだなぁと思ったりしている.
(生まれたのが東京圏・首都圏なので物心の頃から巨人というのは自然な流れ.いまの○○では野球人気落ちる要素にもなるかなとか.分散型メンバーシップになっている可能性もある.)
実際に言われるのが現実的正解なのか既視の方が正解でこの才能の理解をこのヘゲモニー型女性はすべきというのを個人的には取りたい.そうでなければ男女的には嫌いな女性タイプでそう魅力はないからである.そうしてあるヘゲモニー型女性の衝動も確か未然に見た映像はにている--後に当人から直接すでに見ていた映像情態の対象とされる.この時にこの既視を思い出せずに必然関係をわからず、いまだに記憶良く不快な印象としてある
なぜ深淵が明瞭に見えてそこに実在的に必然的と思えるように登場するのか?.市民の平和に付随している暗黒場と現実の最大値と言っている深淵は現象は同じ.-質は違うかな.
(現実と堕天使の世界・権力のほぼ存在理由と想定中・暗黒面に落ちた云々の映画などなど)
現実の最大値が深淵でどうにも動かないので(後に廃棄したくなる腐敗色的、退行空間とも)、-但し相転移的連続であるのは明瞭・ゆえに最大値としている-反物質・反世界を想定してみた.現実的には裏と表なる言葉があっているのかな.ハレとケもあるが.反物質から反世界を考えたけれど、これは神と悪魔の問題も引き連れる気がしている直感.
戦後6x年もたってという文面をちらほら見かけるようになった.しかし国連安保理の国は相変わらず変わっていないのだけれど.
なぜか今夢でカール・マルクスの対称対を見ていて。これはわかりやすく便利な物だと記憶あるが、夢自体が良く思い出せない.フロイトが被っていたようでもあるが、これは今補足で考え付いたことのようでもある.
存在に先んずるとユングは簡単に言っている.ハイデッガーやデリダはかなり苦労している印象である.というのは現象学的に先存在は十分わかっている上での苦悩だったかもしれない.最もハイデッガーの未完部分には興味がある.超越と原存在.
埴谷雄高曰く、なぜ頭を使うより先に身体が動くのかわからない.--頭いい証拠である.にもかかわらず自らをてんやわんやと謙遜していた.
半直積・非可換・縦・垂直--権力構造を連想する.
(バスマティ食べたことない.蛇紋岩米もしらない.)
ちょっとしたことでその後の展開が変化するのはまさにストレインジアトラクターを実行しているようなもの.当人にとっては不利になるようになってしまうのが難点.レイト及びラガードタッチに向かいすぎ.
ある女性にエクセル不明を指摘したところ、自らが発見したような態度を取られてやる気をなくしたPC.)hadoop・もちろん関心ある.これのようなものを以前からLindaでギスギスしているから..
しかし具体的なものを眺めていると・・・とはいってもつながりをつなげるだけで大変なもの.素数などに興味はないのだけれどあまりにも人々が騒いでいるので...
ポストバブルのちょうどその頃だったかな.渋谷の交差点近くの音楽喫茶店でゼータの多少難しい小山を越してみると今度は山脈が現れまたその部分に突出があるというように、ややお手上げのイメージを持った.ゼータ関数と量子カオス 
そういえば永続革命はいいといっていたが、革命が永続するという概念が全くわからず.TPPはトロツキズム・永続革命米国式のような
そうか共時のニヒル・全然捉えられなかったサティ.他では素直に春の祭典・そのヒステリックな優雅さの初期時間サティは如何にして「ニヒリズム精神」を曲に投影し続けることができたか? 
そんなエピソードが.悲愴を好みだったのかドスト氏.wikiより”コワレフスカヤは、フョードル・ドストエフスキーと知り合って彼に淡い恋心を抱き、注意を引くためにドストエフスキーが好きなベートーベンのピアノ・ソナタ「悲愴」の練習までしたが、-
深淵は問題だけれど重力の波を考えると現実が動く.
現実の最大値をそのままにしておいて単にこれからの現実を考えると、重力波寄与の経済は思考可能性がやはりあると直感している.重力経済.まだ重力子はキャッチされていないことも要素.
p-進整数全体の成す環と射影極限でいささかいやになってくる.射影が嫌いなので.例の彼女は射影極限を言ってくれるといや無限文字列を言ってくれたら..
甘かった丸善の環論あるいは予期.
機能は定性的、量体が機能を行うときには絞りが入る
ETVは吉本隆明流の円熟表現を意図していたことは間違いない.若く勢いある概念形成へ突っ走っている情況を設定していたわけではないことは明白.悟りに近いところの意図なので溌剌さは欠如していてもよろしいのである.
沈黙とは自己表出であると言っている.沈黙は自己表出ではない.自己表出ができなから・出来ないときに沈黙が成立する.自己表出の場を沈黙といっても良いが. 吉本隆明「芸術言語論」-語りえぬものの前では沈黙しなければならない.witt.-単純にはカントの理性限界や不可知論の沈黙かなとは思ったけれど.吉本隆明の沈黙とは何だろう.詩を読んでいない.多分、実践から来る共同内部相対性から来ている実感なのだろう.くだらない対象に物を申すより沈黙の方がましだとかいう思いでは-実際はこの感覚の蓄積を持って思考したことであるような..
昨晩はyに対して調子付いて、モーツァルトに対して自己表出曲などと使ってしまったが、全く似合わない無理強いであった.思考的にはそうなのであるが、全くセンスが堅苦しい.モーツァルトの曲は自己表出的といえばいくらかは良い.
ある地位の政治生命とはどのくらいの重さがあるのか.-個人ではなく、状況の軽重で判断すべきなのかも
ホッブスの至高の存在に依拠して・・・は宗教に対する功利の意地である.
スキナーの行動学は対象がハードボイルド的なものに限られるようにしか見えないが.思考も行動って思惟の法則があると全くつまらないものに実際なるけれど.人間よりロボットに近くなる..ここでは思惟の法則という言葉でアルゴリズムやその複雑性はまず捨象している.
ループ量子重力理論は可能性はあるけれど当面の現宇宙に関してはないな.フォームの変化スパンがプランク秒というのもおかしい.量子カオスでプランク定数以下のミクロがあるというのは理解できる.
現実の最大値はどうも権力位相の影がありそうだがこれをとりあえず捨象して考えて、グラビトン・グラビテーィノなどから重力の影を想定して重力経済を考える.物象には重力作用は明らかなので、人の心理に重力作用・重力波の見えない寄与を与えるもの.ダークマター作用と同じになりそう・・
(偶然・青年会議所誕生のもとは『本庄事件』では?を見ていた.こんな事件のあったことは露しらず.秩父事件ならしっている.ついでに遵法闘争・上尾事件の記事も見た.これもしらなかった.)(しるー知るの変換が直接出来ない.)
(.シェリーに口付け・ライオンは寝ている・ハッスル・愛がすべて・天使のささやき・そよ風の誘惑・ヘイジュード・トップオブザワールド・・・それもジョエルのアップタウンやストレンジャーのyou tubeを見始めたことによる.)
this nightか.悲愴楽章をカバーするポップシンガーにはちょっとショックを受けたことがある.確かソニービルで初めて聞いて誰?と思った.ビリージョエル.ふーんそうかといった感触.あのベートーベンの悲愴はイメージできつい思いがあった.マタイ受難曲もそうですが.
一般的にの国に最低10年以上はは住んでみないと内情がわからない・と聞いている.
「哲学がいくつもあるのではなくて、思想がいくつもある・人それぞれにあるということでしょう.」で哲学と宗教という時、哲学は無神論になる.さてマルクスはどうだったか.ニーチェの意図-永劫回帰・超人は頭脳で世界を征服しようとした痕跡は見えないか.
因みに武力・陰謀などで世界を支配しようとする人を覇者という.
哲学とは何かと問われればそれははっきりしている.頭脳で世界を支配・征服することである.
エントロピーが熱死するとは?その先はブラックホールではなさそう.中性子星のようなものを想定している感あり.その視点は?
簡単に言えば、モーツァルトなんぞは自己表出曲が呼吸をするように出来た人物.シューベルトの歌曲もそう思える.とりあえず想起した人物まで.
自己表出と指示表出は実体的に分離できそうにもないところで頭がギクシャクした鋭い痛みを感じたような想いをしたままの校舎の影は忘れない.ここは頂点とも基本点といえるところ.現実的には印税と学生の無償思考とは異なる--とはいうもののずっとそのままに近いので・でもNo.5のアンダンテ・・
ヒッグス粒子はむしろ都合がいい
表現の必然性は普遍性を持っていると主体側からいえる..となると制約と検閲は成立していたか.そうではないだろうくらいに思っていた思い出
自己表出と指示表出の混合文で最も優秀なモデルと思ったのはドストエスキーの伝記にあった17歳時の翻訳文である.内容は記憶していないが絶妙な文面であった記憶は今でも覚えている.作品はほとんど読んだことはない.
これは個人の資質だな.固有時との対話で沈黙の建築を述べていたとは.ただ固有時は「まるで生理のように落ちた」の生理という量的な表現が気に入らない.
記憶に間違いなければ大体阻害人物はフェルミ的に見える.なぜか不快なのにもかかわらず絡まりまとわりつくのである.自由に対して権力志向を単純にフェルミ型は持っているようだ.
何のことはないフェルミ型が、日常では自由に動かないのが不快なのである.
ディラックは読もうとしただけなので、記憶のどこかで気になっていたマヨラナ(マナヨラといい間違えそうな)を見ることになる.で昔から地球をすり抜けたニュートリノはどこに向かう-自由な宇宙空間へ収束?..ブラックホールの中へ?.マヨラナ(majorana)成分に可能性があるらしい.
同一様物の区分がつかないとき、微分か偏微分を使って見るのも手と気がつく.
止まない雨はないがずっと続く晴れもないとも言える.乾期と雨期の風土や一年中雨のほとんど降らない地域には当てはまらない.
(システム伝統はともかくとして、横綱優勝を見ていると努力するものは報われる傾向を感じる.土俵には金が埋まっているといった相撲取りがいたが、これはそれぞれのフィールドにも言えることではないか.)
スケーリングに関してもスケールアノマリーを考慮せねばならない.このことは単に人々の現実アナロジーでもある.
ポストモダンの頃になぜ複雑系・非線形の時代を考えなかったのか.妙な位相にはまっていたもしくは時間を眺めていたことによるか.この複雑性からは今までふたをしていた事柄が表に出ることになる.それはまだ続いている.そんな人たちには生き易い自由を堪能できる日々だろう今日-時間を思い至らずの記憶意識があるXXの経過を待つようなことを意図したこともあるゆえだ、無駄なのに次元を低くするようになってしまう環境.
政治生命をかけるという言葉は疑問だな.総理大臣くらいだと命は政治ではないのか.命を懸けるくらいでないと.最も思想を知ないから模倣で表明しておくというのはあるようだ(前例的).そうなるとそれでも総理だということになる.
マイタームから一つ・「無限小瞬時深底」をεとすることは全く可能である.
無限小は当然の如くに取り入れてあるのでなんとかなるマイ論理.
机の上に同じ印刷の書物は 一つずつ離れて冊置いてある.同じなのに区別がつく.似ているものを一つずつ区別する方法がわからない.外部要件を援用しないと・・スケーリングを用いるか規準にケースを与えるか--クヌースの項書き換え完備に際して.-微分・偏微分トライがあったのか.
GGのテンソル積で共役という時δ分離の可能性がなんとか心理こじ付け的に説明出来そう.全くδ分離などを自らの頭脳に与えて思考感覚を狂わすようなことをなぜしてしまうのだ・・・修正に非常な困難を持ってしまう.意味があるのかこんな無謀なことに?とは思っていること.
量子群をプログラマは使うようになるを見た.そうなるかもしれない.その昔に確かに量子群はなかったのだから.情報系と物理は違うな.情報系の数学とは応用かな.
何年もあれやこれやこうではなくそうではなくてこれはなんの感性かと考えて、どうやら粛慎・ツングース系の血を持った日本人を想定するとうまくいきそうだ.確か前にも考えたけれど、ミシハセにはちょっと抵抗感があって、再度考えて見てどうやら正解のようである.
「わからん.わからんが深淵は登場する.昔は市民の希望域だった.Cになって現実に変わってしまった.現実に対する深淵・・・」
(今の日本は天皇家を除けばみなフラットではないか.貴族などという平安時代の産物もないし.天皇家でさえ象徴になっている.-心裡は物質的心裡は異なるか.)
マタイのユダはどうもキリストにはなれないと悟ったのではないか.それと同時に自らがキリストと同一位相を持つということはまた裏切られなくてはならないということも-先を読めば時間をかけずともわかりそうなもの.
富士山が俗的ならば駆け込み訴えの作者のペンネームも俗的であるが.駆け込み訴えのユダはローマ帝国に対する功利主義者ではないのか.ともかく心中とはうまく逃げた感あり.本妻の意地は心中相手はどうでも勝手にしろに思へ、斜陽?の印税がそううまく渡るはずがないという事になったらしいのである.
良く意図して見れば”何を言っても嘘になるゆえに沈黙する”というのはわかっていて今はわからなくなっている..."言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉にあるのであって、根幹は沈黙だよ" これはどういう意味か一日中考えていた.ならば印税物を消去しても差し支えないのでは.またなぜ文章を描いていたのか.こういうパターンに全くいらいらする.自らが問題ではないのか.
グーグル-そういえばアカシックレコードという考え方があるな.-最近削除裁判で騒いでいる.
(底流に流れている米国式ではないか.グローバルな視点を企業が先に取り入れて行うべき時なのか迷うな.これは日本の伝統・国家・風土雰囲気が直ぐに立ち上がってくるからでもある.多様性と一様性(グローバル)の並立がひとつの折衷案.-実際にそうなっているか)
おっ.あの気分良かった役場の町のホテル登場.坂道でスピードが出すぎて怖かった白樺湖畔への下り道はいまだに忘れないサイクリングシーン.
ファウストは結局メフィスト側ではなくその女性達によって天国へ-ゲーテらしい健康な結論を最近知った.代幻想・代浮気・代真のプラトニックを知る・・・
ファイバー bundleは結構有効な説明になっている.基本的にベクトル束が単純現象的に -唖然という感触がある.fiber bundle自体の言葉は結構威勢よく思えるものだった.
関係の絶対性の成立する根拠などを考えると厄介なことになるので止める事にする.あたかも当人が消えたこともある...考え出した頃は入院生活をしていたようだ.実際に原因は肺炎なのかな?(糖尿病だとみたことがある、執筆ばかりでエネルギー代謝をしなかったことはあきらかだ).どこかがきっと出す特集のどこかで判明するだろう..
マイケルソンとシュタイナーから連想する言葉-エーテル
コンピューターによってブルバキは力を失ったのか.ところでカルタンがいま登場している.まあ昔からちらほらとは.ブルバキは息子の方.マンデルブロは幾何学は信用ならぬ数学に図を視覚を用いるとだまされる危険があるというブルバキに支配されたノルマルを一ヶ月も口頭・筆記試験を受け受験準備不足にもかかわらずパスしてしまった.後に・3日でポリテクニークに逃げ出した.(エコールの双方に合格していた).なんだか厄介なブルバキが浮上しそうな雰囲気があるが--戦争のおかげで教授と学生の間の年齢の溝により伝統引継ぎの喪失から新しい数学の基礎研究を始めようと若い数学者達数人ががWWI後にクラブを作ったことに始まる・・・
関係ないので無視とすると心理エントロピー増大則に逆行していないか.でもリビドー依存する?
最小作用の原理を日常生活に使うのはまあ効率的に判断できるだろう.測地線もそうなので経路積分とかにいくのに効率判断が出来るとしたら優秀である.目的のために最小の力で最低目的値を目指すことは効率的-最小の人件費で最大の結果を意図する企業意識も同じ.-差は合格点と最大値.
ルート系が日常茶飯事の感.ちょっと呆然として夢を見ているようなこの短縮した時間意識によって.ディンキンADE--クリスタルベースだそうだ.出来ていたこと・どのように変化するか待っていた事はここが焦点で今はいいかな.
しかしなれどユーテエゴイズム(ちょっとエニグマ的に)はどうも. 結局、シナリオは竜頭蛇尾・幸福で終わり現実が勝った.
大体無理なのに出現してきた女性達の位相が問題なのである.後に表明する・・事が出来るかな.
ラプラシアンKにはアイネクライネを感じたことは確か・新宿の意味は?. レゾルベントXは月の雨--これだけかまだいないか.(そうかp進の院生がいた.)
FBにNGの大学生からのフレンドリクエスト-根拠理由がさっぱりわからん.パス.特にナイジェリアレター・ローデシアレターを昔貰ったことがあるし・ラゴスのうわさも聞いてることもある・ポリテク学生だけれど..kwaera stateの
4次元ユークリッド空間であるならばであるであろう.それにしても3次元球面は想像しがたい.-ポアンカレ
昔、ある人物に「制約とか検閲は重要と思われます.」と言った事がある.体制的な面ではなく、レベルの面において.この区別は言わずに.今支離滅裂な自らの心脳になんとすべきか.
19歳のときに読んで内容記憶せず「夜と霧 フランクル」ただその存在の記憶は強い
無限遠で平行線は交わる.無限遠で収束が分離する何かないかな.普通に考えるのは無限で複雑になるもの・有限と無限の境界は複雑なものがあってよい.
マクローリンやテイラーその上フーリエは嫌いなんだ.階乗の逆数の総和はネイピア数eになる.
文部省唱歌はいいものが多い.ただ作詞内容は難しい.椰子のみや冬景色・さらに早春賦など意味不明ながら歌ってしまう小学生・中学生?.初めて聞いた故郷を離るる歌はどこにこんな歌があったのかとやや衝撃的に受け止めた中学生
アイデアが奔出する時に、それらをじっくり味わう暇もなく時過ぎるのはつらいものがある.疾走する悲しみにも似て
美学--日本的にフィットするな.美学の規定に思想はないか.森羅万象と美学の言葉はなるほどの感ある.
「深淵と深遠は違う.初期イメージで問題は片付いていたか、いやその静的イメージでは動的な面は浮かびづらい.純粋な深淵と純粋な深淵の混合はあり、深淵に関しても種類はひとつではない.」
(資本市場の閉鎖性は今に続いている縄文時代の平和観で、ファンドにも甘い汁を吸わせない?.こうなると日本の一丸性はD縄文の遺伝子にあるといって差し支えないのでは.)
睥睨型や荀子の性悪説とかは不愉快でうんざりなんだ.ついでに親鸞の悪人正機も何のことか.阿弥陀が親鸞のみに光臨するという人物がと思う.でも日常政治などの世界では全く十分通用している事柄でもある.
「奇妙な保管場所とか全細胞に死の浮き彫り(人の身体組成にまだ可能性のあることを思ってips?)などは20歳にまとめた事柄なのでそれ以前の話.最も最近笑いは衝動の範疇に入ると思い至った未完成でもあるが.その象徴記号Θは人に認識不可能な速度で回転する..」
モチーフの圏などと聞くとロマンス詩の一節かともそのタイトル名かと思うが、そんな表現ではない.グロタンディークは全くアイデアマン.待っていた間にこの人物が活躍していた・今はピレネーで引きこもりとか.待ち時間も多様性を持っていることに思いを馳せず、弦を基準にしてしまっていた.
フーコーの翻訳物から来る叙事的文面は仏語でもそうだろう.フーコーは叙事的タイプの著作かで読みづらくてしょうがない.中身はいろいろ気になるところがあるけれどその定性叙事的文面の感触が不快・苦痛で読みたくないのである.
奇妙な保管場所=さまざまな心的現象論・心理精神分析や物理現象に還元しえない心の哲学の場所-物理・数学的アナロジーは但し想定できる.
マイタームから「奇妙な保管場所」-人一般の持つ歴史認識場
痛みを強いる政策があるとする.この暗黒部位があるとその政策は了解できる.大きな自然災害や戦争なども了解できる.心像上この暗黒部位は強力である.とすると現実から何かをこの部位に捨て去ることなのか.ブラックホールのようでもある.
現在時点のみは失敗でその可能性ダブルバインドを見ていたから、というより頭が動かずすでにあった思念を応用することに困難を見すぎた...
Laplace-Beltrami operator・.そうかある女性をラプラス調和でイメージ設定して、その後いろいろ不都合があったが、ベルトラミと結合なら今につながる気もする.これは定義にも言えてその後の動的変化設定要であった.
この暗黒部位に対して明である領域からどのように思考してよいのか進まず時が経て.明暗という小説はある会社の就職試験の小論文にイメージ化した頃あり.地球の昼と夜?.宇宙の核融合と空域・ブラックホールと可視可能星雲とかの対比はあるけれど.
あの頃のクウェーサーの向こう側は、今の市場現実最大値の先とこれはその頃からだけれど、希望市民に付随する暗黒域のパターンは似ている.想像では権力の存在理由と言えなくもない.現実にせよ権力にせよ実在はその無=暗黒部位によって支えられているようにおもえる内的心像.-退行的暗黒のようで理解困難なようである.ちょっと進展がない.
降着円盤の効率が核融合より遥かに高いという宇宙現象にはショック.人の歴史はまだまだ続くと考えうる.
クウェーサー・最高に遠い場合人の死という限界もアナロジーとしたが、今ではサイクリック宇宙や前提困難もあって単なる現象になっている.この限界は有限要素とした理想が有効であった頃の心理想像で、これこそ個人的に懐かしいといえるものだ.--思考歴史に懐かしさを覚える今--
クウェーサーと降着円盤.降着円盤は核融合より効率が良いそうだ.VLBIがあって今回の震災と今の状況解析につかえていないのかな.その昔、クウェーサーに乗って宇宙旅行など言う空想を持ったことがある.
気楽な自然をもって生まれた存在-睥睨型.覇者・睥睨型-罪の意識なく責任意識弱く罰にもさほどの悩みを持てずの存在に見える.
口承に関して遡及して考えるた時、何x年かでどうにも途切れて不明になるとしか想定できなかった.
元は中間哲学存在により、ここに失敗概念も発生している.これは無責任どうのこうのに至る.いや非芸術が哲学の彼方を妨げていると意識変位が可能になる.自らの一過性であるはずの詩的文に何十年も拘束されて..中間存在は演技しているように見えすぎる.どうも自然な態度のようなのであるが.思考位相がそう見させている?.
AとBは全く違っていてAとBは空集合を持てば、通約不可能性が成立する.--もっとうまく説明できる人がいるだろう.
体・・ガロアの逆問題にモンスターからコクセクターも当然登場しているのかな.アーベルが遠いときはグロタンディーク(妙な名前)の予想.グロタンディークはどうも楽しい生活を送っていたようだ.今では隠遁生活をしている?.
複雑系時代の群雄割拠政治--かの国の春秋戦国時代はどんなものだったのだろう.孔子の名は浮かぶ.
洦羅の淵というのは初めて知り・・「身を投げた屈原の存在は凄愴の文字が似合うかなと子供の頃に」
端的に言えば権力者・覇者というのは唯物的で自らが物体的存在なので、非物体を考えることが出来ず非物体を物体と見てしまうところに問題がある.
痴愚神かよ.卵か鶏か.機能主義かそうでないか.
黙ってみていると世のシステムは何十年立ってもそう変わらないなぁ.もっとも国家は徐々に変貌するという経験意識はわかっていたけれど.徐々にがなければ革命で革命が起きたとしてその革命に対して革命が起きると国家の存在が乱れすぎることが予測される.一度革命が起きればやや持続するだろうが
(・・消費税をすべて社会保障費に使うとは言っていない.・・もっとも英国の付加価値税に生活必需品及びそれに準ずるものは考慮してある.日本の消費税は考慮していない.)
ミトコンドリア自体は人間のDNAとは異なるものというのは何時知ったかな・・
ファイヤーアベントやクーンはたそがれに飛び立っていたと通約不可能性を除去しておく.
ポアンカレ予想やフェルマーの定理は好むところではないが、数学は大体代数が軽く本質的なものとは思っている.にもかかわらず代数は避けているわけにも・・
フュージョンはカプラとなるか.ユーモア・笑いが繋ぐと矛盾を消去するものとしてエンデが言っている.
「未分化が当然の如く新しい何かを考え出せばそれは脱構築になっている.」
単位超球は次元が高くなるに連れて隙間が出来てくる-
奇跡の男・ラマヌジャン浮上す.マイ論理的には未分化の男.
微小帰納の連続体を考える
”季節柄おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲 西行千人万首” 山家集は中身が濃い.西行の懊悩の過程はよくわかるが、同時に素直なもので意外にも感じた.シンプル・平明にしか見えない今の心情でもあるかな.西行のこの心情はよくわかる「惑ひきて悟り得べくもなかりつる心を知るは心なりけり」 「心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり」
「短歌はこれ駒とめて袖うちはらふ影もなし 佐野のわたりの雪の夕暮--- 俳句は・古池や蛙飛びこむ水の音・がやはりいい.」
山家集西行・方丈記・徒然草-膾炙しているけれど読まない.枕草子・方丈記・徒然草のセットなのか.二条のとわずがたりというのがあったな.ともかく山家集にひとつくらい気に入るものがないか眺めてみよう.-更級日記など味わいがある.
「吉野の山を散策してみれば、どこそこの学生達が茶を愛でているなり季もすがら」
失敗を許容しえないことは恥の文化による名誉心からきている.ハラキリと喉を短刀で突くという時代が長かったことからであろう.
一定という見ようによっては安定感ある存在は、ソリトンではなく斉一性原理を射影意識・その生存時間を一瞬にしてみる場合の無間地獄的苦痛であったかと見るのが普通であると変容した.人の寿命を現在で捉えるというのは普通でない?.人はよくしていること.
知識というきりのない百科全書風に進んできている.主体の意見尊重と蓄積されている知識援用との相克はなかったが、共同位相が強く出ている最近ゆえのこと.自己の意見表明に他者の意見を知らなくても良い.純粋度が落ちるゆえにという認識は持っていないと...
ルソーが音楽活動をしていたとは知らなかった.網の目--「網羅する粗い目よ・・」
ゆえに今日フロイトの説は自立を説明できないということなのか.しかし父親の模倣は残る.されど女児も母親になる.”フロイトは女児のエディプスコンプレックスはいつまでも続き、崩壊するきっかけがない”
プレアデス姉妹-では昴だけという話ではない.
「言論の自由というのは自己表出の自由と同一意義でそれが困難なときには沈黙を余儀なくされるもの.」(一般的には自己表出の自由を指示表出が妨げるとき言論の自由が持ち上がる.)
「パスカルの実存(実存は嫌いだが)だけはオマージュを持っている.すなわちNo.2noある意味においてパンタ・レイ」
茫洋(性的女性の執念的なものもしくは精神疾患-演技性格や依存性格・自己愛などのタフがいるため阻害の憂き目にあっている現況がある・・)としてきている基本論理がそういうもの.
自己幻想・対幻想・共同幻想の存在的-存在論的位相とスケーリングで思考視点が変化してツイートする場合があるので、怜悧な人が矛盾点を指摘してきた時があったけれど、一貫性は崩れてはいないはず.
いや現実の歴史必然性または人類存在理由が言葉を発生させたと考えるので、単に人間になった共時時間での問題ではないはず.そのことは十分考察済みかこの人物は.検索してこれなんか面白いかなと思った.自己表出が沈黙とはちょっと思いがある. ”指示表出と自己表出の交点を〈像〉概念とする”だって・・美とは何かなどは読む必要はないと考えていた・・二人の間では覇者と王者・一人のうちでは道徳と指示を繋ぐカプラであるとはわかるが、今現在茫洋とした塊となっている.
夏目漱石の野分などはしらぬ.読まずともその名を知っているのは、行人・それから・草枕・明暗・こころ・坊ちゃん・・猫である・三四郎・門などもあった.自然に覚えさせるところはさすがに-されどホーリートライアングル感覚の多さには閉口. 野分
文庫本といわれてやる気を無くす・・序説・他文庫にはまだなっていない.今知る大衆の原像のわたしたちという立場(実際にはよくわからない.トロツキー自分に引き寄せている可能性もある)ならそんな表現をしたことは理解できる.
親鸞の説く「悪性さらにやめがたし,こころは蛇蝎のごとくなり,修善も雑毒なるゆえに,虚仮の行とぞなづけたる」(悲歎述懐和讃)-
無為自然ではどうも知識不足の感ありて、勉強をしないとである.無為自然ゆえの時間によりて知識不足が判明したとも言える。予定では知識の集積する時間を待っていたのであるが.無為自然とは森羅万象を理解しているものとするしている.
時ならぬ春雪に渡り廊下の傍らの竹たちもたわわに挨拶をしている今日のこの日・・・・中学2年生の送辞・体育館で-何時までも忘れない時ならぬ春雪にの導入部.個人的に名言と思っている.
とにかく閉鎖空間を造らないほうがいい.閉鎖空間にはまず自由がなくなる.
なんか上司の命令に従えさすれば君に・部下に責任はない.-この上司の責任能力はどのくらいのものか.確かに自立したものを考える大人の責任は言論のいわゆる自由とあいまみえて、功利人間と軋轢する.功利が宗教になっている場合もある.
人間心理はこれとは異なる.いかなる人間も理解できることはまだ存在していない.もし人間が理解できたなら人類史は存在しないだろう.
-∞から+∞で真空想定は仮想である.理想的にそう考えねばならないのであるが、現宇宙では+-∞の物理現実現象は存在していない.ただ∞近似は想定できる.無限遠というより∞に出来る限り接近するということだろう.
とうとうというかついにというか吉本隆明が消えた.これで特集本がまず出るな.
漸近的自由性が最も普通に現れて殆どの人が理解可能なケースがある.
ひとつのエントロピーが終了しながら同時にべつの新たなポテンシャルが始まっている束論.半順序はベクトルの緻密な方角の差異があるのでは・いや確実に比較物においてはある.
「」・・・・らしくしなくちゃね・・ブログにまだかけず.こんな古典的考えは全く持っていなかった.どうでいいのだけれどただ自己の思うところを」・・たとえば純粋数学の内容は日常生活に役に立つはずである・応用意識の問題だろう.またそんな社会であっていいはずとか.その後出来ているかどうかは?
ヘーゲルの悟性的人間がどうも世には多くいるようだ.これは混沌と捉えてみた.
ニュアンスとして総現実は神に近く全現実は人の視野能力を示唆する.統現実はユダヤ教を連想させる言葉かな.非現実・超現実などなどあるが..
B層というのか中間存在のスタミナだけはある存在は少々暴力的かな.
囚人のジレンマならぬ囚人女のジレンマというのがある.ここには道徳に関しても矛盾・不条理がある.そういえば不明理由はここにつながることを思い出した.あと実存が災いしていることもある.終身刑タイプの人間はしつこい.妖気的人間もタフさがしぶとい.-エクス***至上主義という不動心はどうか.
総現実ではなくて現実世界だった.総現実なら考えようによって広がりを持ってきてしまう.
「初期設定では記号Θは***を意味していることを思い出した.あの頃はそういうことを考えるのは得意だった.ゆえにエルゴード性は付きまとう.」
ガウス積分と無理数ルートπとガンマ関数/・・正規分布は消えないがありふれた日常のものとしている.考えてみれば無限直積は想像にきつい.真空で共通項無限は全ての真空場を網羅していると時間がなくなってしまう..しかしこれから追うのもいい方向だ.
?. NHKでヒッグスを始めた.再開--発見は無理ではないか.そもそもヒッグス粒子があるのかよ.ヒッグスの予測は予測だから.超対称性は疲れるよ.フェルミがボーズ志向をしすぎる人間関係からは.
で差延の本質は過程でいいはずでとなるとマイ論理に結びついてくる.あの時脱までは浮かんだ思い出があるある部屋の一室.アレハンブラのトレモロのつなぎが滑らかにいかなかったままに時は過ぎて.埃立つ道を歩きながらおもむろに思った回帰は地理的なもの・再帰が逆数学などを持って対象だった.時が過ぎて貯まっている.数学においては脱構築などは当たり前で問題にならないのようにも見える.関連するつまみ食いでも目が痛い.-不動点の問題
あの時位相空間を桑畑の中の小道を歩きながら考えていた.で適当にアフィン空間を考えてその実像は射影と・・実像ではなく虚像であるとしてこのことがいろいろな悩みを齎した.冗談が本当になってしまう無茶苦茶な現実.
建物・アパート・隣接・小部屋--もしくは--根・兄弟・先祖・葉・高さ・親・子・子孫などが出てくると日常空間に数学がフィットしそうだ.そんな表現方法があったのか.
どうも現実の最大値という深淵は権力から来る明暗で前進は難しいことなのかもしれない.どうにも考えが進展しない. この位相では誰がこの現実をコントロールするのかということは直ぐにわかる.つまり制御できないことが明らかな視点
花粉の発見はそのものレーウェンフックなどではなくブラウンであった.-ブラウン運動の難しさ.
どうもリアルな社会現実を自己の夢想で判断してしまう傾向が強くマクロは結構いい線言っているが、ミクロに齟齬が出やすい.ミクロにナッシュ均衡ではなくベイジアン均衡を用いているからでもある.他者に対する期待値がうまくいかないということになる.
新自由主義で富裕層がより豊かになっても、そう子供を作るわけではない.むしろ富裕層というのは吝嗇を基調としているはずで、金は回らなくなるのと人口減少に歯止めはかからなくなる.
カオスを即時的に理性で捕まえようとするのは困難を体感している.対自的に混沌は複雑なものということは明瞭である.
私とは他人である-ランボーが良くわからない.個性ある人物が簡単に他人というとは.直感自然では私とは他人という人物は剽窃得意のユダ的人物であることは素直である.特に女性一般はこの型が多い.生理構造ゆえにそうするのが自然といういらだった束縛を行使する存在と認識している.
経路積分が時空における場の配置全てを選ぶとは神は出てこない無神論で、物理学は何も考えない.ファインマンと神という文字は見たことがない.もっとも超弦も挑戦中だ.時空自体の説明が不足してはいるか..
(無限大の時間で始状態と終状態が真空 になるとすれば--経路積分より.)-無限大になれば真空になるかもしれないというより無限の場を設定している.無限ゆえに成立している考えでもある.また無限と思ってしまえば何も考えることもないことは言える.
「均衡は直感では明らかに定義が関係している.定義が出てくればまさに定義的女学生がいた.もちろん好む理由があるが、非線形が妥協を造らず.頭脳整理ができていなかった・・今でも困難なようで.定義自体の存在理由は小学生高学年の秋の杉の小林で以降変わってはいない.」アロー・ドブリュー均衡は有限でそれぞれの事象において均衡が成立する.---けれど良くわかっていないことも多いと---なれば選択公理の意識・価値・物品の考え方の余地はありそうだ.そうか一般にナッシュ均衡を考えるのが普通なのに、ベイズ均衡で考えることを普通にしている.つまり期待値なのでそれが確実に起こる保証はないように考えている・・
(震災事故がなければ日常線形生活が続いていただろうと比較して大変な位相にある.しかし複雑系や非線形はその大変な位相の領域に位置している.機能主義が蔓延していた複雑系に対して対処欠如の状態だったことも問題かなとは思っている.)
依存・甘えの国の政府があるとする.政府が依存・甘えているとその権威・権力意識がどこに向かうか.それは当の政府の国民にしか向かわないではないか.つまり内弁慶の政府ということになる.いや世界市民的普遍的に物事を処理しているんだと弁明がありそうな気もするが..
イギリスのウィットがワイルドでサルトルの聖なるものが花のノートルダムのジュネ・・どこか脳作用麻痺させるところある--そんな感じを持った女性に昔あったことがある.階級観念保有者と同じような感じである.
烏の濡れ羽色・カラスのイメージはあまりだけれど色自体は艶がある-よく見ると髪の毛が黒いことに気がついた女性がいる
ジョージ・マッケイと任意のエルゴード的群作用・・次から次へと出てくる.それはそれで楽しいがサボりすぎた感-時を軽く過ごして他者の仕事を待っていた・これも論理の内-いまさらにきつくなっているが、時を過ごしたままというわけにもいかない.過ごしただけで良いという人も多いのだけれど.
ルエルやセルバーグがとりあえず登場.だからゼータはきりがないくらいとあの時思ったのだった.到仕方ないので眺める.それにしても個々にレゾルベントが出てくるとは、あの強烈な個性の女性はこのレベルだったのか.恐るべし魅惑の女性.
(アダージェットはララ・ファビアンのアダージョから聴いて見ようと思ったまで.ヴェニスに死すの有名な劇中音楽であったとは.また曲はラブレターであったらしい.ときめきに死んだのではなくコレラで死すとは.)
伝送ロスが少ないのでソリトンはそのような領域では有能である.ソリトンがなぜ不快か.欲望の判断一定者対象とするとき美的不可能かつ厳格な存在が成立するとき、一瞬でうんざりする辟易さが発生する.この持続は無間地獄的なものであるからである.嫌悪感ある女性がソリトン的になった場合、安定より拷問的なものである.
セザンヌがなぜ評価されるのかわからない.下手なあるいは幻想具象化しているのかどうにも気持ち悪い.例の山を見るとちょっと精神病患者が描いたかとも見えないこともない.
ヘゲモニー女学生に唐突に階級意識発言を一言された.階級なし位相においてなぜこの女性を擁護しなければならないのか.ブランドある大学なのでこんな過剰の意識によってブランド形無しと判断せざるをえず、彷徨い出す固定観念で胃潰瘍の遠因ともなる.最も彼女が代表とは疑問符だ. 
叙事的存在は幼稚にも関わらず武力は当然使用は別にして陰謀・策謀が可能というのは?.自然に思考してその思考レベルが陰謀になってしまうのではないか.幼稚ということは無邪気もあるが陰謀からは邪念もあるという結構複雑なもの.
”実数体 R は F(数値位置注) 上の無限次元多元環である”環論から始めるが環論が始まっているような気分.
振動の摂動は十分-コーシー列が単純に収束するとは振動の場合考えない-そういう書物であった.
(アシュケナージはN響の音楽監督をしていたときがあったとは.そのほか日本とかかわりがある模様.となるとバレンボイムはどうなっているのだろう.ニューイヤーを指揮した?.見逃していて記憶にない.ムーティ・マゼール・メータが小沢征爾以後に登場していた・・・・・)
補空間のボーズはヒルベルトを考えてもうまくいくだろう.ノイマンのリングが関与しそう.またそう考えると良いこともある.
意味なき無意味時間の強制は受難的心理に侵入する罪無理解の存在達かな.受難者は受難の反対心理も持っている.
脊髄反射は思考しないけれど.原初的と考えて古いと考える.最近の脳研究者によると-理性は最後に発達する-.それは最近のもので新しいのではないか.咄嗟の時には脊髄が反応することはあるのは身体優位意識.
ボルツマンウェイトは昔から・・そのあのソリトンが嫌いでパスしていた・・
ジョーク・なぜ思惟せずに体が動いてしまうのかわからないといった小説家がいる.で考える.--xxは体が先に動く・・yyは○○が直ぐに作用する.--この仮説はあっているような気もする.
ボルツマンウェイトが満たす・・・ちょっと基本線に抵触しそうな事柄が出現中といってよさそうだ.
(岡鹿之助は変わっている.そのメルヘン風なタッチはルソーと何か関係あるのか.)
志向していたものの形がYBEでまず網羅していそうなことが判明-ディンキン図形が出てくればちょっとやはりそう思っていたのだから.最も初出は今日の形でなく既出のものであった.
定常振り子にうんざりする頃に、インパクト振動を考えていた気もする.定常振動が複数あると場が調和に持っていく。またインパクト振動は心臓の鼓動が細密な筋肉運動の合成も十分寄与しているとかにつながらないか.-つながっている
(kdvが解けるのならなぜ発達していると考える日本でのソリトンから津波に対して有効な手を持ち得ないのかその理由が疑問である.現実に被害が発生している.行政との連係示唆する人がいなかったのか.ソリトンの専門家を復興メンバーに入れることは有効だろう.)
振動論の思い出があってgチェックしたら戸田振動論がヒット.しらない・戸田格子は良く見かける.ソリトンをどう思い出してもしらなかった点が問題.減衰・非線形は考えていたがソリトンは記憶にない.何時知ったか不明だけれど感覚的には好みではない.例の差分近似の普遍グラスマン多様体によってソリトンは無限にあるらしいのだが.普通の波も減衰波も多く発生する.木星の模様はソリトンということになっているらしい.くいちがいの調和ソリトン.ソリトンは普通の波の様には自由ではない点が不快.一定度は強力らしいが無間地獄を連想させる.
記号は楕円形だから重周期を与えることはやはり経験上成立しそうだ.
(楕円曲線暗号の今はどうなっているのだろう.最近はタッチしていないので(心理的に災いが侵入するため)さっぱりわからない.すくなくともミレニアム問題が解けたニュースは聞いていない.)
コーシー列・「半直線の数直線.桜の木の下で数直線の考えが閃いたE-schのある時」.この辺にノイマンがちらほら..
いろんな人がマタイ伝に関して考究しているけれどそもそもユダヤ教の範疇時間からキリスト教ということでキリストとユダの裏切り文面はキリスト教側からの判断で、ユダはユダヤ教的人物であるならばそれなりの力があることは当然だろう.これが正解の解釈いや個人的結論.
実平面 は実射影平面に埋め込める.このときの実平面の補空間の点を無限遠点という.どうも・・
戦中期のある人物の論文・敵はスターリンではないガガノビッチであるには感心した.こんな人がいる日本には希望がある.戦後年に近づこうとしている今日、平和ボケとかは米国の影響大であるだけで、契機あれば今の若者達も戦前スケールがよみがえると疑いなく思っている.
困ったなNHKの聖地巡礼アニメ.そもそも「冗談気味に哲学に疲れたから漫画でも読もうと思ったことは良く覚えている」.キュートな声のスナックで若かった頃--そう考え方は変わってはいないのでギクシャクするところである.
こちらのヘゲモニー女子学生はその幼稚程度において判断から、件のAはAである時間差トートロジーはアドレッセンスのなせる技と解釈した.その他の女性達による不快発言もこれに類するか...
しかし権力志向型の女でどうにも胃が無かつて来る存在がいる.とにかく気持ち悪い女というのはいただけない.権力志向でも気持ち悪くはないはずなので、何かどこかに違和感があるのがわからない.出産放棄とかではないな.脊髄損傷の車椅子女性ですがすがしい人もいる.何だろうこの不快さは.
個人的には最大値を持つ励起から展開が速い感もして非線形シュレディンガー方程式のソリトンの外力下での運動 
講談社云々が流れて・・護国寺にはよく散歩に行ったけれど講談社やO大はしらず.目白通りの高台椿山荘に近いところにそうだなクールというかしっとり落ち着いているというかそんなイメージのN家があった記憶ある.T家の近くにN女で一杯の店はまだあるのだろうか.K子を今日思い出した所に..
幼稚なヘゲモニー女学生に 『法哲学』序論(年)は結局読めないか...いやまさに黄昏に飛び立つことになるのかも.進化はするだろうそのソフィスト的思考も・互いに必然のセレンデピティを認識せず.このブログに飛び立つ前の文章が載っている.しかしまたわからん.灰色を描き出す哲学?.やはり長老・経験的なものかとは夕暮れに考えていたが・・”哲学がその灰色を灰色と描き出すとき、生の姿はすでに年老いている。”ミネルヴァの梟.このギリシャ神話のすさまじさをもっとしりたい.パルテノンのアテナにそんな神話があったとはしらなかったが、まだ黄昏に飛ぶ意味が良くわからない.ミネルバのフクロウは黄昏に飛ぶ.
そういえばヴィトゲンシュタインの人生はニーチェの超人の生き方といっても差し支えなさそうと考えた.
ある日笑いのうちに死す・・ガン闘病でも笑っていそうな人.エラスムスはすい臓ガンなどはどう考えるだろうとは思う.
意味なき冗談といえばほとんどの嫌いな女性はすべて申しているゆえに嫌いなのである.好みと同時に出現するので嫌悪のインパクト強く捩れる.喜劇をなぜ好むのだろう.そうか人生は笑いの幸福感のうちに終わればそれがいいと思っているみたいだ.まじめに笑うのか失念のために笑うのか.
マーフィのベッケットは面白くない.カフカもつまらない.なぜ人々が高い評価をするのかわからない.あいつがカフカを読むといいですよとしつこくおよそ一年近く持続していた.演技で俺はカフカだ.カフカがカフカを読もうと勝手だろうと内心思っていたがあいつには言わなかった.意味なき冗談を強いらないで.不条理などはしりたくもないと我慢で忍耐していた代最後の頃、我慢仕切れずに壁を破ってしまった・勢いで破れてしまった.もっとも非線形は十全だったので致し方ないか.ゴドーを待ちながらとはなんだ.カフカしらないの頃.
いやしかしだ矛盾がわからない脳構成しか生まれてこの方できない人間がいるとは驚きである.そんな人には不条理がわからなくて本能的笑いしかなさそうに見える.心理すらあるのか不思議に思えてくる..-ヘーゲルの悟性とはそんなもも
どうも覇者型人間の名誉意識に阻害を受けたあるいは伝統名誉意識を考えすぎたのか.いや無理解者の生の保存理由からだろう.どうにも理由が不明.社会風土?..
シオンの議定書などに出てくるゴイの考え方は睥睨・覇者型となる.
共産主義の理想・エンゲルスの夢の先に聖人のみの世界が来るのではと考えてみる
ちょっと人類の悲しみなどという表現をすると誇大妄想的人物と思われるかな.アニメの聖書関係やロートレアモンの創造主・シャルダンのオメガとかやまた千年世界やこの世の終わりに裁きが来るなどいうものは 妄想的なものではあるだろう.
政治家や官僚が覇者になり睥睨的になる.いずれにしても覇者と王者がいて覇者には道徳より愛がかけていると思う.確かフロイト的には覇者は子供的であるゆえにまだ覇者意識強い人間・人類の精神年齢は子供ということになる.
 ”ソリトンは非線形の相互作用と分散の効果が釣り合いながら安定性が保たれていることが知られている。非線形の相互作用により 秩序的な波が出来るという意味で、乱流の場合と正反対の作用を非線形性が生み出している。”モードロッキングだったか.情報も多いほうが速く収束する--量子的
「権力のもとでは、ペンは剣よりも強い」もルール制定はペンの技.つまり思想は権力より強い.権力者も思想を持っているはずだから.持っていない権力者が最も始末に悪い存在である.ペンは剣よりも強しは昔からしっていて”権力のもとでは、ペンは剣よりも強い”は別にして考えて見る。たとえばマルクスの資本論を種本にするとスターリン時代の粛清とその後の冷戦に寄与している.カンボジア内戦や中国体制とか経済的にたとえると膨大な金額になる.
「人類の悲しみではなくて人類の希望であるのにあいつに遭遇した路上でそんな像を描いてしまいさすがに効いた.」ところがこの存在の才能が実際はまずかったのである.そんな女性がほかにもいて悩ませる.思考停止の無駄を強制する・受けるばかばかしさ.
「大体No.21までは80%以上の成果はあるので、今考えても全く想像出来ない.これをベースに具体化するというわけに行かなくなっている個人的事情.失敗といえるだろう.オーバーに環界に対して考えすぎた.アイデアは噴出するはずだった・・30は沈黙の空白.根拠システム存在が出現すればそれでも良い.世界現象を見ても時間はまだ来ていない.」
「No.21も帰結してはいない.No.17もだけれどここは言うまでもないという感もあって.問題はNo.22で手がつかない.一応ハイデッガーがその候補と・・そういえば自叙伝は結構ここに意味がある それとNo.17と科学哲学はダブルことになるので両方にまたがる.」
「終止符ではなく休止符の感覚で、別に挫折ではない.」張・集中に邪魔が入った形なので.あいつの母親が息子の心配をし過ぎて、気にすることはないと思っているのに後にこじれることになる.この母親の存在も結構煩わしいものになった...
共和型は覇者的叙事的で物事に関して直情・直線的に動く.これと比較すると日本は叙情的になる.叙事的製品は消耗品に近くないか.経済が叙事的なものとすれば直線的なものが有効だろう.測地線の最短距離経済があってもよいのだが.
公共では普通に共同幻想範囲の言明・弁明をしておけば無難なのは明らか、ところが意図は思考意識の変位を志向しているからそのような文面は避ける傾向にある.
表明にせよ内的意識にせよ冗談を本気にとる人々が実際にいるのには参る.喜劇的人間には冗談が真実なのかも知れない.偽善も共同幻想圧力なのだろうけれど冗談に近くないか.あと陰謀は大体詭計で策謀は奇計でもあるとか.
(マラソンの実況もいい加減と言えば言いすぎだろうけれど、状況に合わせて解説を予想をしなければならないとして訂正せずに行くので、マルコフ的に見ないとだ.)
自己相似を畳み込むというのは確かに有りでそんな視点があるべきことを予想した覚えがない.不快だったのはその視点が必要だったからと今は思える.ただH定理は依然ある.
一定・不変・ソリトンは安定か無間地獄かはその質による区別があるだろう.離散・連続一定もある.
スピノザの実体・汎神論は現象的にはアニミズムだけれどスピノザは観念・精神現象として考えて・捉えていた..-神の決定論といまは了解済み
「思考しながらペンを動かしている合間に川べりの道路を歩く心に夏の陽光が川面に乱反射して運命第二楽章のアンダンテの安らぎを与える」-夏の第二楽章はここから
吉本隆明が太宰治に会いに行って(しらなかった)男の本質はマザーシップだよと言われたんだ.マザーシップは母親に付随するのが当然で、それは交流による対対他化の現れと考える.太宰治には唯一者とその所有のプライドがあったように見える.-別にこのマタイ伝の話は仰々しすぎて対象にするつもりもないが(なし得ないだろう)駆け込み訴え作者が絡むはめになっているだけ.自らの冗談気味のある直感出来事から捩れた形として.この類のものは多量の無駄・徒労を齎している経験である.そうかな.どうもローマ帝国に依存したことが違うのではと思う.キリストはローマ帝国を越えて行こうとしていたはずで後の結果はその通りにローマ帝国の国教になっている.
(選挙は(形式的にせよ)一将功なりて万骨枯るにも見て取れる)
エントロピー最大の中で区別することが困難で疲弊するのではないか.ヒッグスがあるとFB区別に何を齎すかわからない.それよりダークマター存在が仮想できるのなら、ダークマター要素が肝心とすべきはそう思っている.
(今思う若い頃に結構(と思う)日本のあちこちに行ったことは記憶の財産になっている-貴重に見えるのかもしれない.が思考の方の挽回と時間の奪回は不可能に近いものがあるな.)
ある時あるところで詩的文章を捉える.するとそれが自己への戒律気味のものとなって自己自身を束縛する羽目になってしまう.その場限りか他者への表現形態吐露のはずの設定なのに.なんということか冗談でもなく共同幻想的なものになっている自己幻想
「確かユングの元型を日本の歴史に展開していくのは難しいと思った記憶有り」、その後は考えを進展させていない.おそらくこれは結論的なものと思う.言霊の変容の元を辿るのは難しいし、実証考古からの類推でしか表現を作りえないだろうと.今日、准胝観音をしる.しらなかった.ユングにも思い出がある.元型と循環数と循環 の繰り返しは苦痛になるとかの頃に浮かべていた橋を渡る学校への道路上で.」
「シェイクスピアのマクベスとベートベンのテンペストを意味的に結びつける思い出の心情がある.」
(東京五美術大学連合卒業・修了制作展が国立神美術館で明日まで--一度なんかの偶然で遭遇したことがある.桑沢デザインのものもあったおぼろな記憶があるのでこれとは違うか.将来性もあるだろうけれど即戦力作品もあったように見えた..)
(ありのつかない木を探していてインド栴檀を見つける.”ハエ・蚊・アブ・なめくじ・ゴキブリ・ゲジゲジ・ムカデなどの不快害虫がいなくなるのです)
昔三伏峠小屋の水場で妙な生き物を見た.それがサンショウウオで初見.自然なのか飼育していたのか..,3000m近くに自然に生育している生物なのか?.
人間に進歩が人間の思考に進歩があるのなら正規分布思考の次のステージがあってもおかしくはない.シロアリというのはそういうことか.多分に一将功成りて万骨枯るの一将と思っている人々たちか.これは正規分布優位思考なのは明らかなので、正規分布思考をどうにかすることが変化の早道.
国家形態は宇宙の銀河団のアナロジーになっているのではという直感閃き.
(黒潮だけでいらだつのは・・昔は地続きだったので面積比較上からも東シナ海は半分以上日本のものというこじつけ気味の考え.逆もあるか..O型の増進は自然なのかその行く末をしりたい.多様性に関していくらか反対現象とも思える.)
問題は多様性民主国家のから創造発生する思考・理念と権威主義国家の覇者が判断する決定は同様になるかまたその時間速度は世界に対してどのような差異を持つかといったところかな.
(大日本帝国は極東の問題にならない島国に突如登場した国家という見方を見てそうなのかそういえばそうなのかもしれない.世界的には意味があるなと思った.日本中心では明治から太平洋戦争終了時まで激動の歴史事象に帰り来る.)
エンゲルスの夢は孟子型人間のみの世界だと思う.欲望とかをどうするのかはよくわからない.今でも聖人といわれれる人は出現するししていた.エンゲルスの夢の世界の先にあるのは聖人の世界であるだろう.
実朝には昔からなんとも言いようのない位相を持っている.悲劇なのか愚かなのか良くわからん頼朝の子孫であるのにさえないか変わっているとかの印象強く残念な面も感じて.
観音は水瓶を持つ.准胝観音は初見.仏教も詳しく延々と世界描像が出てくる.天魔で見ると仏教に他化自在天なる考え方があったのはしらなかった.
諸行無常という時間に依存する場合もある.時間に対して無責任ともいえるこの形.あるいは甘え.空間的に甘えるとうまくないことになるのは島国であるから.
(ボーズ粒子が最後の壁になったかな.そうであれば考察は終わった形をついに持つ.)
とにかく女性なんだ.出てきた女性ほとんどが意図と逆のことを述べて苦痛を齎した.苦痛でない女性はそこに苦痛の女性が記憶として災いを齎してまずいことになり、埋没費用化させるには不愉快な記憶でその処理がまた困難で・・特に権力的なのは思考停止を強制させる不快な自然を持っている.
天魔降臨か.こんなアイデア力をどこに持っていたのかさっぱりわからない.大体幻想力は苦手なはずなのに.リアル疲労が関係していた存在たちを巻き込んだ形として見させた?.睡眠不足で疲れてふらふらしながら山手線などに乗ると現実世界が異形的なものに見えそうなあの頃を思い出す.(異常な怪奇幻想の夢を見たものだ.変なツイートをしたのではないかとらしきものを削除した.関係ないかもしれないが.それにしても異常な夢を見たものだ.信じられない.いまだにこんな夢をみるのか.でも次回は姉妹の物語といった気がした.やはり幻想物語だったのか.)彼女達の戦いの始まりと.この無数の悪鬼達に戦いを挑めるのかとおもいつつ、次の展開で老婆が言い伝えの液体をその山中の一体に撒いていた.すると無数のハエや蟹が変身した悪鬼達がみんな消えてしまった.かろうじて消え行く寸前の悪鬼がこの恨み数年残るだろうの言葉を残して・・目が覚めた.強烈な夢を見ていた.天魔降臨の声と共に異形の灰色の鬼らしき存在数名が空中に出現.それ以前に無数のハエと蟹に似ている無数の存在の発生と人間に憑依したゾンビとスキー場の風景.まてこれが何かと何かを見極めてと天魔が言った.さてこれから姉妹二人と白い袋体が登場して・・
悲劇はきつい.喜劇はうんざりする.苦悩はどちらに存在するかの観点からは悲劇になるだろう.悩まないより悩んだ方良い.わからないのは悲劇を喜劇にみてしまう人間・権力の抑圧者は悲劇を喜劇のように見そうだ.
無責任といえば直ぐに依存と甘えが登場してくる.依存は功利と他力などややこしくなるけれど実際通底しているのは無責任かも知れない.ミルグラムの実験をここでは想起する.甘えは親に依存する子供であって関係は密接だけれど精神性が自立していないことになる.笑いの哲学・ベルグソンを読んだはずなのだけれどさっぱり記憶にない.ざっと流して眺めただけだったか.確かに自己保存の優越感はある.他者の無視ということは自己以外の対象笑いは無責任を示すことにもなる.
直積もチコノフも何のことはないボーズ粒子という盲点だった.なんという思念の留まりか.考えようでエントロピーも氷解する.特異点にこだわりすぎて見えなくなってしまっていた.グラスマンなどに.ん?そうすると特異点解消定理は・・・
集合論では無限の濃度を用いるが、ブラックホールが無限の濃度を持っているとは思えない..
宗教と境界症例時間.すなわち現社会・人間に位相が一致するための時というのは正解だと思う.
それは全か無かのあの頃の情熱よ再びではなく、あの頃が今である場合なのかな.
世はまだまだ正規分布者達の世界でまたニュートン座標の社会でもある.予想外や行き着くところまで体力消耗を齎すように進む仕事現象などから.ちょっとがっかりな面もある.時の浪費にしかならずそれでもブラックスワンやベキ乗法則などが随所にの時間はある.
ホッブス・至高の存在に依存する功利主義者--宗教の信者はどうなのか.功利主義者ということは出来ないか.最も功利は自由に変更できることを持ってしているものであるとして考えているか--至高の存在では変更できないか.
罪をしっている独裁者というのはいれば自己自身が制約を齎すだろう.
たとえば覇者型が武力のほかに陰謀・策謀を行使する.この時点ですでに思考の欠如・失敗ではないか.有名な曹操は良心の呵責とか道徳的ためらいとかをしない分物事を処理することが速くなっている.処理観点から見る限りは有能に見えるだろう.
ついでに言えば陰湿は罪の塊で当人は罪に関して無知な場合というのはどうか.
罪の意識をすでに持っている人に罪の意識の無知な人が接する場合、暴力的事象=理不尽が発生する場合が殆んどと考えてみる.
悪徳ヘゲモニーは必ず会社に損失を齎すというのは経験則上正解ではないか.ところで美徳ヘゲモニーとは?.