2017-04-20

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ある対象限定に対しての考えを内部思考として発語しないでおくと、後に他者が自己をその対象と設定するケースが多く、はてなんのこと?とは瞬間迷うけれど、かっての内部思考は忘れていて相手はまともな意見と思い対処するとその後気がついて不快な思いを今でもしている.この迷惑なでたらめ認識は何?

 
     
 


 f&b粒子もひいては否定にせよ弁証法もで、モデルは多々ありそうな構造をそのシステム構想時に、モデルなど考えず直感でギリシャ文字第番目に当てはめた人を知っている.

 
     
 


 レビナスボットを見ていると雪隠詰めを想起して苦痛とともに不自由を覚える.ハイデッガーの原点の参考にならない.ハイデッガーのいう超越に至らずから現存在地平に戻ってしまうことについての弁明ばかりしているとしか読めず.

 
     
 


 依存場ではなく個体的というtf

 
     
 


 線形といえば高度成長期の建物で休業に至る対地震対策ゆえを読んで、現行システムも線形が多いのではないかと閃いた.どうにも実用上線形対処が多すぎて.まあ線形典型を正規分布に見ているわけだが、xxの反発はδ正規と盛って解釈可能かいや∞が登場するのでそれなりに.

 
     
 


 まあほぼそうだな「自由の受難」ゆえに不快なる言葉を用いたツイートが多い事になる.知らなかったサルトルの存在と無の内容・実存のランダムには取り留めない無責任と節度への無関心を直感するので読まないとしていたが、いい言葉を知る.

 
     
 


 他者は曖昧を明晰に・明晰を曖昧にしたがる.カウンターやゼロサムは疲れる、まさかの超対称F&Bがそこにとは考え難いが、そうであれば大昔から有機体はそのようにしていることになる.

 
     
 


 絶対なるタブロイド的なはったり大仰な言葉を使わずとも、普通にエントロピー変化が情況決定して変化させるようになっているでいいではないか.エントロピー的に人の精神は複雑になっていくことは証左できるが、無機物は複雑になってゆくか?

 
     
 


 そんなことを考えながら唯物史観から唯物未来史観を想定して、情況は未来史観が決定するという表現でもいいかなと顰的には試みる.絶対はスピノザの決定性でも代替は聞くはずだが、個人的にはエントロピー変化にしている.

 
     
 


 ガロアも分岐を作ってくれるものた.この所の深淵イメージは確か難解な未保存対象だが、非保存的でお手上げで誰か好きな専門家がいるはずでその人物に任すとしてもう何年だ.モチーフができかねたのは想像つくな、いずれにせよ人はモチーフなる思考・思惟形式同様を取ってしまうものだ.

 
     
 


 マートンノルムの中でも特に普遍性を考慮して、地球上どこへ行っても科学は同じとしている.なにやらなんとかが科学に対して政治介入や企業利益などを考慮して批判介入したらしいが、それは局所状況をあげつらっただけ、とはいうものの現実社会ではそんなケースは無数に存在している.

 
     
 


 素領域を一瞬で見ると非可換状態と普遍グラスマン付近の関係とか、要素としてのモナドとエンティティとザリスキあたりの関係とか.ペンローズの粒子や超弦の三つの次元タイプとかエンタングルの箙性とか、色々あるがどうも決めてが無くどの地平でokできるか迷う.超弦は特別扱いとしていたが.,

 
     
 


 京大生だろうあの有名な喫茶店昔に聞いたセリフ・人間やってx年・なる笑うに笑えないおかしみは面白いねぇ、いまだに忘れない.誰も非人間などとは思わない・思っていないだろうに.なんとなく個人的な項目のX番に対しての無音無意識雰囲気直感反応だったかもとは今ふと浮かべてみたが関係ないか-

 
     
 


 余剰因子か、人々は頭いいなその方向は間違っていないと思う.というより流れ流れの接続・継続で自然に出てきたものだが、このことをペレルマンはなんだかよくわかりすぎていて謙虚なんだなと思う.少しは自力性に特徴が十分にあるのではと思うが、ペレルマンにはわかっていることがわからないのかも

 
     
 


 特異点解消B-アップは不快だがそれならとは思うことはある.小平なる人物は素直に頭が切れるという感触を受ける存在だった.しかし森重文なる人物はどうも気にしなかったな.鋳造の湯の流れの分岐は有限明らかなコンパクトだがフラクタルを内蔵しているかもと思うそこにlog理論なるものがあると-

 
     
 


 そうなんだ個人的には無意味な損失で赤字だから不快でしょうがないのである.

 
     
 


 麻痺する存在及び対象は荷物的なはずだが、知的知見において無知なる対象は多数ありそれも理解できないとなるが、この過去的無理解は他者の自己主体の他者化で美的にトートロジーを見ると麻痺してくる事はよくありすぎることである.そもそもそんな他人のする他者化の無責任さは?、個人的には損失だが

 
     
 


 やはりなんだかわからんツイートがあるな、前提が空想でその空想は現実としてしまっている.理想が現在を動かすとか?、ある作家の理想はもはや成立しないとの述べが気になっている.そうなのかな?と.とにかく理解しているはず?の過去なんだけれど現在的にマヒしてさっぱりわからないとなり.

 
     
 


 脈絡のわからない人物のケースを考えるに、理解力の問題があるといえばあるのかも、幾何的アブダクションや抽象幾何絵画は全くわからずで、四角配置に色付けをした線分などは判断困難・面倒で、作者に懇切丁寧な説明をして貰いたいものだと思う.

 
     
 


 「・・無知を維持させるために盲目を維持する態度」とファインマンが非科学に対して申している事を知る.ワンバターン者たちにはある不快な出来事からそれが何かわからないにせよ迷信を持っているとして検証したりしている.

 
     
 


 ただし意地でプラトンは不快と、しかしイデアは好む.

 
     
 


 戦争論で有名な人物を読もうとして読んでいないな.別の人物で弱点を突くなるのがいたが戦争論なのか、日常でしょっちゅうあることだが.まあそんな存在は往々にして弱点の多さに無自覚で攻撃は最大のに邁進傾向があるかな.隙が無いは完璧だがその完璧が隙になるというドメイン思考や心理視点がある.

 
     
 


 最近はともかく帰納は確かに未決定的と思ったことがあり、相対性理論にとっては帰納は好都合か、光速度一定に匹敵するものはネイピア数と思ってしまう.演繹的には帰納は苛立ちの因と、光速度一定や絶対零度は演繹的かな、この演繹帰納関係が若き日にベーコンに対して苛立ちと情けなさを味わった事に

 
     
 


 ナンガのメルクルリンネでも中央ピラーでもプレモンスーン期でいいから単独でならばパスと、当然モデル化者には不可能でそれ故に夢想した昔

 
     
 


 承認要求なのか矜持なのかひとを狂わすような発言に矜持など設定できる・認めれるものではない.よくわからんのは深い思想は正義や道徳を嫌うと述べる人物が、しつこく親鸞に絡んだようなそれがわからん.深ければ親鸞を問題とする事もなかろうにで、この人物の深さは浅い深さである帰結になる.

 
     
 


 まさかそんな発言をする愚かな存在とは前提していず、いや想定した面もあったが、話時間が長くなりそんなことはすっかり忘れて、なんとしらけた発言をしかもxyに向かってと思ったのだが、あまりの親切心でまともに対処したため、頭脳錯乱化をしてしまった事も問題だが、それ以外にもやる気の邪魔を

 
     
 


 自己正当化のために他者を反措定するでっち上げ・捏造を行使するというそれは、まさかとは思うが冗談とは思わず、如何にも情熱を込めて述べたからなのだが、虚偽を恰も真実であるかのように、ナンセンス・無意味を意味あるものとするテクニックがあるが

 
     
 


 絶対王政・絶対君主制の流れを見ていて、ふとまさかひょっとしてアフリカ的段階はひょっとする可能性を見出した、わずかながらその視点の可能性があるかなと、そうなると不快は緩和になるが、それはそれとしてもありで.ならもっと自由に行けるが、馬鹿げた事象はなんになるもある.全く無茶苦茶なで

 
     
 


 システム・試験システムは僭主感を緩和する

 
     
 


 それにしても逆数学的事象の未分明にこれほど時間をかけるとはまさかの予測・いや難関とも思ったことも避け気味を避けずという大体現実は意図と逆になる.異なることをしようとすると邪魔が多数存在してくるとか.出る杭の風土?、島国の嫉妬をなくすための知恵とか、最終的にはハプロDだろうが.

 
     
 


 しかしこのようなマイナス面ばかりだと当然他者達にもまずい情況にはなるだろうとは思っている.すなわちブラス面意向を邪魔した存在達に責任があると.個人的にはごく普通になんでもなくブラス面の連続を想定していたのだが.

 
     
 


 だが個人的本来は・・そうであるべき・そうでなければならないのだが、常に忘れているのは僭主感覚からの自己制御とやたらと邪魔存在の出現が多過ぎてうんざりと塞翁が馬性と理解できない馬鹿げ過ぎる自然性がかくあるべき形となっているとしている.しかし・・

 
     
 


 その辺から三月下旬に会った卒業したての女性からエリートはエリートらしくしなくちゃねと困った刺激を受けて忘れない.エリート?そんな考えを持ったことはなく、またそんな生活もしていず結局今ではなれ果てのように.しかし地方新聞社がエリートかねと、一般にエリートとは省に勤める人とその頃

 
     
 


 シヤルダンのオムニバス・アンソロジー・コンピレーションはオメガ点に集約で、ヘーゲルの絶対知とあまり変わらない視点を持つ.オメガで仏ならランボーを想起するがその志向性は、有限の圧力かタナトスによるか不快によるのかわからん.例によってクレジオの後に残るのは無機物のアッサリが登場する.

 
     
 


 ジャルダン→シャルダンはシステム構想後、ヘーゲルもそうだが、その思想内容を知る.特にシヤルダンは丁度の時期でもあり、夏の日に不都合・都合の絡まりを見せていたがその内に忘れての記憶あり.シヤルダンのおむ

 
     
 


 意見が同じでも美的判断力が異なることは普通にある.美的判断力を無視して意見を同じとするのはカントの判断力批判が理解できない存在である.

 
     
 


 クォリアは近所のニワトリ小屋の側を通った時に、ニワトリの鶏冠の赤色と血の赤さとかその他の赤色を想定して区別が出来そうになく、考えるの止めたのアリス物語は頭おかしくなるの頃.分析哲学に結びつけていたが、今現象的にグラデーションでいいかともなる話近辺のようだか?、機能主義側面をも見る

 
     
 


 エートス『余儀なくされた形』なのに自発的に行っている・自主的主体でそうしているんだと思えることのできるもの-確かそんなことも思った記憶あり

 
     
 


 エートスその言葉自体は悪くはない、殉教要素もあるかなとは今思う.その昔月の雨を見ながら構造していた場所の先の細い山道の途中で、エートスの決定性・閉塞的性が嫌だったことを思い出す.エートスに踏み込めばそれはそれで充実感ある生を送れるはずとは想定したが

 
     
 


 そうか詭弁は妖気にとって現実であるかもが浮かぶ、そうしてもいいと思え、ユーレカならぬコネクテッド!かな.

 
     
 


 多くツイートはtone数値項目にかかっていることは間違いないKやスピリチュアルな詭弁相のタイト空間・怜悧的虚無だが、その辺や他と接触させてなだらかに終わっている・終わっていないかのそんな感じ・そうかやることがない・これがtoneだな.

 
     
 


 眠る前にビッグバンの類似の設定を考えついてこれで妥協できるが、他の項目の難関が待ち受けている.

 
     
 


 昔にとりあえず俗物的存在・権力的に高い位置にいない存在は、権威に依存するからひも解くのは容易ではないと思ったことがあり、これはアイヒマン現象・ミルグラム的な考え方と気が付いた.しかもそんな明らかに俗物的存在が皮肉にも登場してさっぱりわからないただ負荷であるという事に.

 
     
 


 真理的人間でさえ不当な思考をするのに、普通に真理的とはいいがたい存在は当然不条理発言などお手の物だったことに今頃気が付く.それにしても主体を疎外化したがる人間が男女ともに多かった、間が抜けているのか精神年齢低いのか逆でそれは意味がないという事もわからない傲慢者が多かったな、今は?

 
     
 


 左と右がありそれをつなぐ通路がある形を度回転させると射影・投影図的に実際は立体を想定しているが、ある形に似ていることに気が付いた.

 
     
 


 ある不透明で陰険な虚栄逸楽者がいて、意識のパーコでないと反応せず、フラクタルなエレガンス・サトルティを破壊するズボラさには感性の狂わし、要らざるものの押し売りを受けて、つまらん感性時間を過ごす羽目に.そのズボラさが野蛮であるとはどうも自覚していないと見える構造主義的傲慢者かな

 
     
 


 そうかハプロDでなければならないからに尽きる・に気がつきこれが歴史にある-と

 
     
 


 今のところ最も良さそうなのはDNAとミトコンドリアの関係起因あたり

 
     
 


 ある項目の展開で行き詰まりどうしても結びつける事ができない事が不快でずっと立ち往生している事があり、しかもそれは垂直方向的と思えば確かにそうである事としても差し支えなく、単に脊髄反射と海馬の差と見るのでは全く味のない事でありので.交換と反交換の差も候補だが既に超対称性がありで.

 
     
 


 今時の時代だから意識と無意識が分離していて統合感覚を持てないといった存在者の存在は想定できるが、そんな考え方があるのかと、分離情態の想定は結構衝撃的に響いた.この事に対して何らかの見解を持とうとする志向性が発生した感触だが、同時に厄介さ・困難さも感じ静観しようかなとも思う.

 
     
 


 文章理解には調和を持って為す・と閃いたが概ね当てはまらないか?.昔からコンテクスト・前後関係が重要と直感しているが、脊髄反射・条件反射的なものはその根拠が往々にしてわかりかねる.

 
     
 


 所用がまだ発生しなくてもいいかなと思っていても不快な事に発生してしまう.これは社会構造が消極的ではなく、積極的自由専ら傾向か、正規分布時間を基準にしていてワイブルを味わう羽目になるなるとか、数多き中間存在的な中途半端・サスペンスに現実が赴いてしまうとか考えるが、全て要素だろう.

 
     
 


 あるがままはどうもエントロピー変化に一致させること・一致していることのように思える.諸行無常よりあるがままの方がいいかな、禅宗の極意か.まあどちらもアフィン位相にどちらかというと位置している形に見える.

 
     
 


 個人的にはハンディキャップ存在論のようなもので単に普通に二重ダブルマインド状態形成のような気もする.ザハヴィ年か、ポテンシャル理論であってしかも中庸領域有効理論であると読んだ、ハンディ存在論は取りつく島がないかも.

 
     
 


 ハンディキャップ理論--すでにハンディを抱えているのに、それを考慮せずハンディキャップを持つなる内面の声が浮かんだあるティーンの日、それはその後に影響しているとみるとそのようかな.それ以前から徒労に呪われていると思ったことがありそれも寄与?.ところがシグナリングが出現してさて.

 
     
 


 なんだか論理帰結があるがままになってきてしまいつまらないな・やることがないになりて.あるがままといえば禅宗で見かけて特に何宗だったかなとチェック判明する前に、禅宗自体全体にあるがままが透過している考え方と知る.老子もそう述べていたのか.

 
     
 


 しかしなれど意味ある事は価値ある事だとしてその意向姿勢で研究なり日々を過ごすべきだとは考える.まあ昔はその線で生きていたが今は弱くなっているかな.そのような意図なく、漫然とした日々を送る人々に対してオルテガは一言述べたわけだが、それなりの自然でそのような人々も自己満足しているかも

 
     
 


 「かつてなくまたけしてありえないもの」を掲げた作家がいたが、意識体は将来にある可能性あり、ふつうに人の夢見ることは実現するだろうから、これらはあり得ないものではないと、埴谷雄高は包摂して考えた、でよくある理解されたら年後にでも現れるなる自尊心発揮をしたという事だ.

 
     
 


 例えばヒトが年後かそれ以降に意識体になる予測がある、ヒトが何も二本足である必要はないが、これらは人体・身体的面で、意識体の哲学は?となる.

 
     
 


 ”次元心筋モデルの不安定状態マップ:(a)頻脈,(b)心室細動”図はなる-、多少気にしている自己心臓ゆえに.地域紛争と複雑系ゆえにとか考えるけれど、簡易的にシマウマを象徴意識にしている、最近見事な縞模様と思ったこともある.ベイズの定理?何となくいいのか、超統計?ちょっと言葉が.

 
     
 


 その辺の良心的性格を見越すたかり的存在にも悩むところもあるが、あまりにも馬鹿馬鹿しくてふざけてしまうという要素がある.中間存在一般は馬鹿馬鹿しく思い、叙事的一般もその固いロボットのような反射板的生理体もどうにもつまらん面があり、避けたい存在である.

 
     
 


 なんだか結局の形になって、正規分布に里帰り的な心情は如何に、しかも正規分布に足りないという過程はなんと滅茶苦茶に低くなっている.あるxxがいて正規分布的存在でそいつに遠慮すると正規分布以下になるという、どうもスケープゴート的性格がある--そうして無駄の不快・徒労に呪縛されると

 
     
 


 アリストテレスは虚無的でフェルミ的にも見える・フレキシブルもあるが・からある不快なxxの理解が可能的になったと感じる.つまりこれらの存在は風車を人間と思うような無駄な判断をし過ぎて無駄な意味無き引っ掻き回しをしているに過ぎない事にまた気がつけない認識能力の持ち主である・事になる.

 
     
 


 アリストテレスはその雰囲気が叙事的論理展開の故にかな、長いのもある.二コマコス倫理学は気になる書物であり、中庸は叙事的展開とはイメージに差異があるのだが、アリストテレスはなんなんだとなる.多分そうあるべきとの予測設定かいわゆる形而上・記号意識・論理展開帰結的判断者という事になるか

 
     
 


 ポーの詩の原理は表現の自由に接触しているか?、不可知論者は早々に諦めて

 
     
 


 双対や反変がしつこい障害になるが、弁証法の圧力かあるいはフェルミ-ボーズ統計存在とか、いずれにしても徒労による疲労が大である.ほとんどの領域において双対事象が必ずと言っていいほど出現する根拠は、非調和性と現象論的には言えるかな、非可換・ハウスドルフ空間・集合公理とかの要素もあるが

 
     
 


 先日考えた帰結によると最後まで残るのは哲学であるということになった、その思考過程を思い出すのが今は困難になっているが.

 
     
 


 そんな意味では帰納が登場してくるが、帰納がそれ自体の本質として獲得している形態とすればそれも設定上の位相を持つ.

 
     
 


 思い出してもゆえにいつまでも邪魔な思いをして無駄にエネルギーを使うことになっているが、なぜ意図と異なる態度をとる取ったのだろう他人は、そんなに逆を好むなら自分に対して対自でも即自でもいいから逆の態度を取ればいいではないか.

 
     
 


 帰納的存在はそのままでなんら修正・変更の必要無い事まで変えようとする意思がある事に思い至る.むしろ陰謀的あるいは猜疑的存在ゆえの可能性もあるな.それもエントロピーは変化するに依存しているからともいえる.

 
     
 


 個人的には昔から年という数値には不快感を持っている.あの怪我をした導水管のまあ近くの階段で見た未来に対して年は束縛・閉鎖で自由の邪魔になると.多分推定して叙事的事象の限界値であろうと.後に遭遇する事になったある不快な叙事的存在が関与しているかもはある中学生のある日の事

 

     



 昨日こごみながら・かがみながら靴下を右足に履こうとした時に、突如代後半での記憶にあり普段ずっと思い出しもしなかったあるxxのフルネームが内部噴出⁈.それにしても代後半がよみがえるとはプルーストが軽薄にみえるかなとも想定.忘れ去りし記憶がよみがえりて.

 
     
 


 時間を待っていたというどうにも意味なき時を過ごし現実過程の推移流れを知らずとは言えて、いざ直面するとやはりギャップがある.空白の日々は直ぐに埋まる予定だったがそうもいかず.所々に空白が成立するランダム構造は、モネの睡蓮の池水部位より睡蓮の花部が無い方が例えで合っているか.

 
     
 


 小学校年生の時に、深淵はまだ気にしないでよそう、通時の腐った世界を相手にしなけれはと判断したゆえだが、すでに見ている形だけで.ただし個人的な深淵イメージによる、このイメージは今でも変わっていない.

 
     
 


 深淵を長く覗く時深淵もまた覗いている-べつに覗いてくれなくてもとは思うがそうもいくまい.ハイデッカーの未完や現象学の即物的な源泉やパスカルの実存など、覗かれているかな.老子の道もそうであるはずだが、非保存を導くように奇妙な保管場所はそもそもそうであり

 
     
 


 シャローム・イスラエルは中学の時に教師から覚えたはずで、キブツと一緒に記憶している.シャーロームには平和の意味があるとな.シュロイメ・アンスキーの「イディッシュ民俗学」とはそこまでイデッシュの歴史はあるのか.ナロードなある作家初対面時にナロードのようだと言われた記憶がよみがえる.

 
     
 


 今日になって妙にシビアなパーコ心理になりなのかも、デルタ関数分離映像的が苦痛的に浮かぶ.そもそもデルタ分離は非常識な想定だったはずでまずったと思った以前・への対処が浮かんで来たとは信じがたい

 
     
 


 がん細胞の先祖帰りなる表現がよくわからないが、そこから飛躍して宗教一般において原典に戻る・戒律を履行するは先祖帰り的?、そこからセルバンテスの有名な作品は宗教の揶揄あるいは擬似宗教的な交錯があるかなのアイデアが浮かぶ.

 
     
 


 帰納の未決定は論理を、アブダクションは直観を考慮する.

 
     
 


 コルニューの螺旋は焦点に近づき、焦点から焦点まで、収束から収束までで有限ではないかと気がつく.なぜこの螺旋を思いついたのか?、道路設計の知見はなかったのに、なんとなく感じたか?.それはそれとして-敷衍は出来る理屈だが-忘れている左右の定義やスイングバイなどに結び付けられるかも.

 
     
 


 とにかくなんでもいいがウルタルのHはルパール直登に複数回挑戦したのだから、直感設定上からメスナーと共に折りに触れて登場してくる.尚取り入れているのは、チョゴリザの雪庇に消えたナンガのブールのみである.「チョゴリに消えた二本のシュプール」として鎮魂も携えて

 
     
 


 物象化となったシステム的なものが人を生かすようになると、パン人間疎外では?、その時に理念的に生きると主体的の様に見える.

 
     
 


 川端康成は凛としてエレガンス、それ以外はない.

 
     
 


 負の宇宙論は非保存系に属しないか?と普通に直感が・・湧く.ポテンシャル+に対してエントロピー-の形なんだが、ただ独立しているということがあって...そうか曲率も+-の三種あるわけだ.

 
     
 


 古事記の現代語訳を青空でスクロール、この数多く登場するかタカナは全て漢字だからとても読めたものではないと.天の岩戸の話しは古事記なんだ、この話だけは小学校低学年の時から知っている.坂道を歩きながら不思議な話があるものだと、どうにもうまく情景・辻褄をつけて浮かべずそのまま今に

 
     
 


 そんな中で今知った乙巳の変を夢に見た事を思い出す.史実から昼間に想像を巡らした結果なのだが、経緯が曖昧な事も寄与したな.蘇我側の防護柵からの弓矢の応酬で弓矢が無くなってしまうと中臣側の蘇我は怪物的なので慎重に念には念を入れて対処の夢の記憶がある.

 
     
 


 古事記・日本書紀・万葉集は奈良時代の産物と知る.防人の話しもその頃になるな、中学生のときに確か日本書紀はいい加減な所が多く、古事記は日本書紀よりまともの権威力あるが、文面が読みづらくて接触放棄から今に至る.二楽章の頃は奈良時代古墳時代はとても遠く、ただ豊葦原瑞穂の言葉を置いただけ

 
     
 


 ふと大友家持検索で「春の園・・」の叙景の魅惑の作を知る.記憶で作成したような・いまその風景を見ているではなく、或いは今か?・今の時期にぴつたりで、時空を消去できる心情ロマンものがあったとは、縦構造・専制配慮余儀なくされの「海行かば」とは異なる作風と.

 
     
 


 アダルトチルドレン-自分自身のスケープゴートになってしまう.対他XXの心情のような、卒業したてのあるXXがあいうえお順に学業時に常に最初に指名で懲りたと、でNo.はいやだと、社会的にそんな意味ではないのだが、それでは情けなくなるという女子大学生の記憶が韜晦的にあることも?

 
     
 


 苦手のフーリエは不連続体を連続体として扱っているので、ナノの急加熱には通用しないのではとの年度のリンク論文を読み始めに見る.そうかそれならいいんだ、麻痺する苦痛の緩和になるから.

 
     
 


 渋みの束縛か、トラークルは渋み以上の存在と思っている.ヨーヨーマのチャイコフスキー・アンダンテは渋いまたKronosQのT-Beatitudeもまあ渋いか.

 
     
 


 巣穴と掟の門は似ているよな作品のようだ.まあカフカ自体徒労展開構築家だからな.個人的になぜか徒労に呪われているという感覚とはまた違うと思うが、徒労に呪われている-すなわち他者から無意味要請の無駄ばかりを受ける.本来本質的にそんな徒労を要請する人間は既に存在価値を否定しているんだが

 
     
 


 昔にEUに行ったとしてもそこには本足で歩いている人間がいるだけだという認識に至っていて、あるXX曰く、フランスに行くからといっても迷ってしまう情態になる.フランス思想など大丈夫なはずで、かろうじてタヒチなら行ってもいいかなとは思った柳腰は間違いないと思える女子大生のそばで

 
     
 


 超越数は代数方程式の解にならない-となると固有既約方程式解個を持つ方程式は超越数を持ってないことになる.そんな対象を折に触れて思い出したりしていた・・・.e+πor e-π eπ・・・・は超越数か?の証明無し.eはともかく収束する有限値であるは間違いないな...

 
     
 


 限界に追い詰めるも何も、中間存在はもはや限界存在事実で、そのような女性は何かにつけて、脊髄反射衝動的言明をしてくるという馬鹿らしさ・無意味・無駄エネルギー消費要請が多すぎてしょうがない.日常そのようなことは多い行動・行為必然性があるので殊更がある身体であるが、ここでは精神的面の事

 
     
 


 ハイエクの個々人がその力を発揮して全体がうまくいくはまあ普通に調和・一丸であることだが、美的判断でそれら領域全体を見ると、必ずと言っていいほど多く不調和が成立する.そうしてその領域全体が嫌になるもそうもいかないダブバが発生して疲れることになる.N-次元作用か反変が人にもあるか?

 
     
 


 ブレンデルとは何者?、知っているようで知らない.第音で宝石の言葉が浮かび、・音で夜のが浮かぶ.夜の宝石ブレンデルのエロイカ変奏曲、珠玉の演奏を見つけた.(?彼女達は宝石のような女性達か、そうとも言えるな.べつに気にしてはいなかったが、無意識では気にしていたか-ある昔)

 
     
 


 濁ったフェルミ型xxの低次元的スラング惹起させるような生理体には背伸びしても無理、定義なら聴けるなと考えながらブレンデルのエロイカ変奏を聴いていると、これはかのミルプラトーレディズになる.そうか彼女たちらしいが、個人的こだわりだったので、それも時間の蒸し返しになり無意味なものと…

 
     
 


 模倣のトートロジーはシミュラークルの不快さであることに気がつく.打ち消しもできればいいが、往々にしてシミュラークル者はタフで頑固で疲れる上に、オリジナル責任がない心理気楽さがまたあり疲れる障害になる.あるいは確信的乗っ取りで罪意識の無い場合で、心理的なライセンス・特許もなくで

 
     
 


 義務時間性がありふれている

 
     
 
 ちほたん(・・)☆不正選挙は無効だ!!‏ @chihointokyo

 大塚耕平氏、森友疑獄にからめて今後の文書管理や情報公開関して終わったあと、稲田朋美に自衛隊の南スーダン派遣問題で追求中。(というか閣僚の無知を晒しまくり。)誰かつだってる? #国会中継

 
     



 小学生の時に近所の家である雑誌の火星人の描像を見たころ、不思議の国のアリスも浮かべたが、どうもとてもついていけない物語だった.最近でも夢を見たいたらしい話のようだと知ったが、それでも良く夢物語をかけるものだと思う.今読めばまた違った感想があるかもだが、小学生の時の記憶をそのままに

 
     
 


 他人と同じになろうとするのは和して同ぜずか?、推定なら一般的にはそうなる.忖度はちょっとあまりいい感じはしないイメージがある、斟酌ならいい感じ要素があるが、いずれにせよ同様意識は個別の「純粋性」の阻害である少なくとも対以外には同じて和せずで...

 
     
 


 光文社と警察署も覚えている、墓地は大塚になっている.大塚は山手線の駅名で多少記憶にあるところなんだが、とにかく茗荷谷の名がいい.植物園にもう一度行ってもとは思うけれど、地下鉄駅から遠くそれが妨げる.
広尾とまた異なった明るい空間の記憶があるのは今なら理解できる存在がいたのだった.

 
     
 


 ルサンチマンといえば悩んだ結果導入した項目がある.悩んだのはニーチェはもう古いのではと思う情況にあったため.

 
     
 


 賛美歌を歌うのは大変なはずと思っている.単に歌うだけならいわゆる歌のうまいテクニックで歌えるが、ソウルがないとまがいになるので.スピリットで歌える人物に会った事はないので、想像がつかない.もう聴くチャンスもなく聴かなかったが、一人だけ可能性のある存在を浮かべる.

 
     
 


 秩序は依存信頼度もあるが、言論の不自由もある.

 
     
 


 いや〜参る、初期接点時には別にどうでもいいと軽く考えていたある人物が、あるxxに対して倫理面から発語しようとして我慢した内容をそっくり発語されて、そのxx的を強制される羽目になるとは考えもしなかった.個人的にそのxxは障害・邪魔でしかないのに.

 
     
 


 濁ったフェルミ型人間に野蛮人と言われたことがある.自己表現だったか曖昧な言い方だつたが、感性はそんなはずは無い情態なのにとは思ったのだが.この人物は人の自己認識・意図に対して呆れるほど真逆を述べた人物だからな.最も野生を捨てようとは思わないが、最近は出せなくなって来た.

 
     
 


 カフカの精神年齢はライ麦と同じ頃かがよぎるが、ライ麦より進んでいるな、まあ別にこの辺はなんとなくの香りまでとして.幾つになっても青春なるたとえば老境はこころにライ麦を持っている形にもなるなと、べつにサリンジャーに託ける必要なきことなのだか、サリンジャーの沈黙の意味合いにちょっと

 
     
 


 しかし犬が探求するとは失礼な設定であるとも思い不快な気分になる.良く解釈して比喩、または他の表現を思いつかなかったか?.何れにしてもなるほどなイデツシユの倨傲さの滲みを感じた.それから見て変身も残酷物語となり、実存分析的位相は確かにあるのかも知れない.

 
     
 


 まさかのエンタングル論登場である.実験結果に理論がとりあえず追いつく予感がする.

 
     
 


 起承転結に悩んだ防火池側の道の小学年生を思い出してしまった.必要予定なのにすっかり忘れていた.それに分派と雨上がりの校庭の水たまりも予定への必要記憶と..

 
     
 


 ピョンコ節⁈、トレトレ・トコ・ピコ・トンに似ているな.個人的なリズム感を表現した・ある時当てはめた他人、他人表現ではなく当てはめで、自己的ではないか・つもりだったが、序破急・起承転結・正規分布形にも似て.ちなみに当てはめたつもりだったのは、絵のない漫画と捉えた対象.

 
     
 


 無自覚者はあるとすれば精神年齢がハイランダー的、ただ未完は踏襲ではなくて、新たな視点へ向かう事の出来る位置にある.普通には誰でもエントロピー変化に巻き込まれているが.世の移り変わり・ここではポテンシャルが非保存となり無常を醸す事になる.そこでは考古学者が活躍したりする.

 
     
     



 ha-あまりにも短すぎるので、勇気だせず意図的に書かなかっただけ・電子写真への移行が望まれる.

 
     
 
       




 芸術家に取っては金も政治も関係ないのが本質であるが、現状これらを完璧に無視することはできないだけである.マルクスの理想・意図・目的の世界は芸術家のみの世界にも似ている.そういえばマルクスの伝記に目を通した限り、マルクスは芸術家的生き方をしたと感じた.芸術家的要素がかなりあったな

 
     
 


 散る桜は単に恬淡ものか、そうであるとすると無名の人々に無数恬淡なら存在しているはずだが.何やかやでのんびりちょっと休息を取ろうとしていたのに、非保存を考え出したりしてきついのである.もっとも狙いは非保存的保存なんだが.

 
     
 


 あるいは類人猿からの伝統が獲得していた多様性?.今回はMイブの肌色が白くなかったとして想定するに、光の原色から白色は発生するので、人間は色的ではなく光的存在であるとするアイデアを考えた.光的存在とは?

 
     
 


 eregnet aber Ich kann nicht ehen.合っているかな?、好みを文書化.モーツァルトの疾走する悲しみの心情の表現としてもよいかなと閃いたが.eにまとわつて思い出す穏やかな梅雨の明るい昼間の佇み

 
     
 


 どうでもいいと思うものを対象にすると必然的に無駄になる.

 
     
 


 老年的超越はそうだったのか”スウェーデン大学のラルス・トルンスタム教授らが提起した「老年的超越」(gerotrancendence)”エリクソンの考えがそうで、ユングにも個性化過程の理論があると、昔のユングの浮かべの必然的理由・偶然時間だったが(通底で必然あるかも?)が判明?

 
     
 


 エントロピーが増大しているのだからエントロピー的位相で判断すればいいのだが、なかなか切り替えが難しいのかも-無自覚者やわかっていてもカルマを捨ててはいない存在という事で.老的甘えもあるか、甘えは全時間にあるが.

 
     
 


 なればアイヒマンやミルグラム的なケースや依存者も、その対象地位や依存度合いに応じて、責任力が比例増大するとも考える事ができる.模倣だから無責任である事にはならないかな.集団及び共同体の一員的思考者は、責任を拡散している考え方もあるが、微力ながら集団の責任力アップの考えが浮かぶ.

 
     
 


 最近の量子もつれ関係論も、いにしえのあの場所で知行合一の陽明と創発時に、エンタングルを描いてそんな馬鹿なと思った事の記憶がある.その後個人趣味的に省いている厄介な朱子学とある高名作家の陽明学とこれまた厄介の引き連れを思い出すが、多分省略だ

 
     
 


 グラファイトの弱ワールス力により劈開完全を知る、これもあの池のそばの沢流れで描いた始祖鳥と劈開・取り敢えずの方解石?で、弱ワールス力とグラファイトなら納得する.

 
     
 


 カーボンナノホーン・年発見を知らず、この辺は待ち時間の弊害か、フラーレン迄で.しかしフラーのドームがトンボからヒントならば、いにしえの日に大審問官・なぜかスペイン舞台のと複眼を描いた事がある.そうして後年複眼者と直感する女性に遭遇することに、果たして彼女はそうだったか?

 
     
 


 要するにこんな迷惑な発言を他人たちはするはずがないが念頭にあって、それはもろくもの崩れを齎す結果なのだがそれでもというほどに他者たちの認識力は高くないというしかない.そんな中になると・朱に交わればというやつで、頭混乱な今付近の時間という事になってしまう.

 
     
 


 そんな低い連中に忍耐なんぞをするとやはりろくなことはない以前の蒸し返し・以前の未熟性に逆戻りとかになる.まあ倫理や正義は浅いと申してた存在も主体を歪める発言をしたので、個人的には浅いより低いとしか思いようがない.深い人がドン・キホーテのようなでたらめ認識をするはずはないのだが.

 
     
 


 自身は非保存予定の生きている人全て、保存はその子供たちになる.ここにも理屈上、戦いや交錯はある.子育ては非保存予定者の保存化仕事になると.先に非保存予定者が保存中優勢ならばその保存者と協調はあることにもなる.

 
     
 


 非保存経済学は?、ランニングコストもそうだけれど埋没費用意識(機会損失とつながるが)は例として原発とか.遠い時間では文化人類学の発掘調査もそうなる.

 
     
 


 Linearityなら定義の彼女でいいではないか、あの頃は非線形と複雑さで満杯だったので覆水生理時間は元に戻らずのただしエンタングル関係は保存中のはず-彼女たちは多粒子エンタングル関係といえるではないか、なんと.

 
     
 


 つまり物理者の無機的対象思考展開をしている脳内変化脳内情況論の存在を『奇妙な保管場所』の対象とすることになる.この辺は宗教に目覚めた宇宙飛行士や宗教性を意図する・してしまう自然科学者達あたりの事になるな

 
     
 


 ほんと非保存世界が目の前に広がっている.小学生の時に設定した形の『奇妙な保管場所』がどこか遠い世界の客観的対象ではなく眼前の現実に浮上でまあ厄介ではある.とても即物的は無理なので少しずつ思考していかねばならないところの対象と思っている以上の場でもあるのかあの頃のシステム構想時では

 
     
 


 complex ytemからまたLinearityの日々になった感触を得たER=EPRによって.それでも中間存在の想像力有限性畢竟理性のそれ以下有限性は不快である・中間存在はカルマを持っているが概ねLinearity的でありと思っていて.

 
     
 


 なんでできているかではなく関係が問題とは超弦の方向ずれ的な. Ad/CFTにガウスの驚異は適用できるか?.ガウスの驚異の定理の別の面での使い道を思いついた.境界と相転移とその辺での応用を-浮かべただけ.ポアンカレも登場してくるな.ペレルマンもよく理解しているわけでもなく...

 
     
 


 一人複雑といったXXがいたが、それは自己記憶の自己内部認識の剽窃でそれが不快なパターンなのである.自己把握は他XXとせずの思いでありジレンマ・トートロジーの反発感と無駄なエネルギー使用を設けるのみ.端的にしらけでありやる気の減少でありなんと図々しいXXだあるいはXYだと思うのみ

 
     
 


 つまり「複雑」の一言の想像情景だったその対象意識、想像力と理性のスタミナ比べだったが、限定合理性的な判断の若気の勢い冗談であったことに対する事柄.

 
     
 


 なにBH同士のエンタングルでワームホールがあると日経サイエンス.多粒子のエンタングルもありの量子もつれで宇宙はできているとな、これを何十年も前に示していたなら考えることがあったのに.最もその時には冗談の冗談で冗談存在論的なことを考えたのだが、他者がまともに判断するようで困った事も

 
     
 


 背後をつく人間は虎型で皮を残すか、そんな人材がいまだに絡まっている心理を持っている.固くオブジェ的思考はつまらない色気のなさで面白くもない論理性と.それで心理の裏側別に意識などしていなくても無意識記憶に侵入して、無茶なでたらめ認識を狂暴的に発揮するというわけだったのかも.

 
     
 


 叙事的存在はどうも身体的でその諦念・諦観は虚無になるという判断になる.唯物的・物理主義・行動主義は当然身体的位相にある.もっとも適宜これらの形態・事態は人にとって必要になるものであるが、主義というまでもなくにおいてで.

 
     
 


 モチーフと相転移でFBだと超対称性を考えねばとして物理の方がとらえやすい.

 
     
 


 珍奇なその関連から太ったお岩のようなイメージを齎す存在が悩ますことに、つまり一生かかっても・死ぬまで美人になれない不可能性をどうすることもできないという絶望不快感によって.グロテスクは普通には本質ではない嫌いな実存だからか、そういえばバロック趣味の時間もあったな

 
     
 


 マルドロールの歌はある女子大生が持っていて覚えた.その時にこの漢字はなんと読むといくつかテストされたが全く読めす、例えば蟇を何とだけを覚えている粟田勇もの.創造主の言葉は悪乗りだが、ロートレアモンも何なのか全く意図がわからんウジ虫登場であったな.バオバブの樹はここで知った..

 
     
 


 あの頃あの時、ジャワのスコール・バイカル湖の針葉樹・バルト海の・・(思い出せなかったが多分)荒波の種とこの地点をピックアップする無意識作用が働いたのか理由はわからぬがそのままでというケース.ダンツィヒの月とグダニスクのワレサとかバルト海、フィンランドからドイツ北部へ流れて、

 
     
 


 やはり知っている限りではヴィトゲンシュタインだけかな.そこでヴェイユの無名の人が出てくるが、システム上は設定してある位相にあるはずで、無名の人はわかりづらい・想定しづらいが、仏教の阿羅漢・ニルヴァーナに達した人・成仏者がその候補かなとも.

 
     
 


 孤独なる自由は知っていた.全く代後半に知っていることを求めようと・自分を追いかけるという愚かしい情態に全く落ち込むのである.社会的関係他者たちが災いか、すっかり忘れていた普通には悪くないらしい?XXと共にの潜在時間がそうさせた寄与が大きいかなと判断できるな.

 
     
 


 東北太平洋地震は人の関係意識にかかわらず発生した情況である・状況であると判断する.人の意思・意志とは関係なく..無機的事態に思想の自由は効力を持たなかったといえる.去る人物は心理体対象のみと設定していたことになる.

 
     
 


 帰納の毒牙にやられている?、人のことは言えず自分がそうか.帰納の傲慢にはまたフェルミ的帰納にはその自覚がどうだかの強烈な不快な記憶がある.しつこいがどうでもいいと思っているとやられることになって.やはり帰納の未決定に無自覚か帰納ミルグラム存在もいるようだ.

 
     
 


 ラウンドと作用素、導来感覚を援用して.まあそれ以前にはっきりしている事になっているのだが、可能性が閉塞しないまでも視点に変化持たせるという形で.

 
     
 

       



 threeのXX達が出てくるのだが、ベクトルを想定できるでそれならとは思うことがあった昨日.無意識記述にせよ大いに自己自身を悩ませる記述が出てしまって思いつかなかった全体観.(・・場合もあるのするとかの工夫を考え出したがどうするか・・結構いい処理形だが)

 
     
 


 おおよその感覚で教育勅語は代半ばに思ったことがあるな、その時には強いられる印象を受け窮屈であると思った.それと同時に今更教育勅語の時代でもないので考えることもないだろうとしたが-、

 
     
 


 差分とkld、デリダの差異はどうも人々はその差を持って考えているようだの簡易な認識でも示唆になっているかな.脱構築はクリエイティブで、レーニンの自由=必然やキャズムのイノベ・アリアダと同じようなものと思うが、安易すぎる?

 
     
 


 tenあらゆる思想を動員してその正当性の証左とする設定なんだが、実用上はそこまでしなくても説得力はありそうだが、しかし帰納は未決定もある-ここに懐疑・偽善・無責任・安心・陰謀などを想定できる..

 
     
 
 Tulipin Holland‏ @tulip_holland

 Mucari with daffodiland red tulip. Have you tayed near the flower field?

#travel to the #tulipinholland http://bit.ly/mxJT

 
     ed  



 超実数によれば循環小数も有限値で収まってしまうという簡易さがあるが、中学生の時に循環や無理数超越数展開Πの形などから悪循環という言葉を想定・考えてしまったことが色々災いに寄与しているかも.思うに超実数の無限数には単なる設定的な無責任は?.無限下降を超実数化したとしても・無限数下降

 
     
 


 確率とはと間で彷徨うものなる昔の単純さを思い出す.ディリクレ・これまた嫌いな二項分布かよ・多項分布もだが、避けていることを結局避けらずになってしまうという現実圧力

 
     
 


 シモーヌヴェイユやヴィトゲンシュタインは不幸とは思わない、むしろその生は充実十分だったと思える.ただし個人的な面において.普通に人々は類続与件である家庭生活で子供達と共に平和な時間を過ごすことが幸福であり、幸福という事が種の同調意識にあり、疎外のなさを幸福とすると見るだろう.

 
     
 


 競合あるいはライバル・別にいなければライバルはしょうがない無理にせっていしないは初期条件であった.今ではいない方が気楽と単純素朴におもうが、他者の同調意識がどうにも無自覚的な形で圧力・侵入・無駄な所為(他者達には無駄ではないのかもだが)として憚っている形の記憶の除去がなかなか大変

 
     
 


 密かなまた過剰かなその時の対象の将来楽しみを他者がしてしまう面白みのなさあるいは競合あるいは・とにかく自由関心の障害となることは、今不快に思っている記憶の言明全てがそうである.とにかく未来予定の対象関心を他者が介入してきてしらけさせやる気の邪魔をしてきたこと多くあり..

 
     
 


 ヴェイユは身体的異様障害経験体験者でそれは確かに寄与しているだろうな.例えばカフカとかもその側面はあると思っている.カフカの身体病変は最初の直感では思いも至らなかった記憶はあるが、それ以外にカフカ的特徴は先天的獲得性がまずあるだろうとは思う.確かにその時代に思想が発生はしている

 
     
 
 ForbeJAPAN‏Verified account @forbejapan

 絶対に受けてはいけないつのはり治療
http://forbejapan.com/article/detail/ …
#はり治療 #無効化

 
       



 そうなるとたとえばT大生の傲慢などは老子一般的にはよろしくないことになる.そんな漸く忘れた煩わしき事をまた思い出してしまったではないか、それゆえに不都合な与件要素の部位であった事を、ただ理由には納得できかねるが.

 
     
 


 東日本大震災は年度発生だったのか、個人的な周期性を設定して当てはめると構想力の膨らむ可能性を思いついた.

 
     
 


 その後今の会社が年後に消えている可能性もある.職業も消えてまた新職業が発生しているというエントロピー現象判断のみでもいいけれど、赴くところ市民にしか希望がないと思った代最後のころに、その考えに付随して暗黒域が浮かんでしまうことは、非保存量なる言葉が最も相応しいと思える.

 
     
 


 昔は死ぬために生きているだったが、最近では死ぬまで生きていると思うようになっている.

 
     
 


 低音・静かに始まるクレッシェンドのボレロ.中学生の時に鍾乳石露見のトンネルの近くで.レベルかラベルか同じようなと自転車に乗った帰り道、ラヴェルなら区別がついたのだが、この時サロメとヨハネでニーチェがちょっと嫌だなと思ったことがあり、全く関係はないのだが嫌な伝説を想起させるニーチェ

 
     
 


 あっていいがまだないや妄想の顰的なカムフラージュ遠慮意識とか補足がキーになりすぎている・そんな意図はないこれらは排除して差し支えないものが、関係からの創発が不都合に出ている無意識の結果や意識的なフェアプレーもありて

 
     
 


 精神的ユートピアが浮かんできた.宗教の信者・システム依存者・絶対空間者・中間存在・諦念者とか..

 
     
 


 おもむろに若き日に今頃なんの抵抗もなくしたためた詩文の記憶がその後今に至って不思議なことに結論を出せない感情をずっと持ち得ていたことは、単に個人的な不条理設定を理性的に解決しようとしていたことに気が付いて、なんとも盾と矛の比喩話は時間を長持ちさせるものだと.

 
     
 


 「オイディプス王」がソフォクレスの作で、フロイトのエディプスの語源となったとは、知らずびっくりしてしまった.作者がソフォクレスだったとは.昔に想定していたのは、ソフォクレスくらいの知力があればある大学は合格できるだろうということ.

 
     
 


 ある有名な文言に「いわんや悪人をや」があるが、ここでこの人物はこの悪人をなくそうとはしなかったのか疑問が沸いた.善人と悪人が存在しているのはポリコレからは差別?・区別になるが、法華的に対象化していたのなら、悪人ではないことになる

 
     
 


 感覚的に分かっても理論・論理的に説明はできず、またそうすることのできないものというのは、いまのところ人間とは何かの答えしか思い至らない.感覚的にせよこの人物は人間とは何かがわかっていることになるが、それは信じがたい.そのような設定にして詭弁的に用いたのでは?

 
     
 


 しかし弁証法的対立の現実力もリアルには大変なエネルギーを要する.昔深く考えないで遭遇した人物に悩む羽目・不快すぎる不必要な言明を聞いたために.過小評価されるべきでないことを評価されてあるいは何とかは傲慢であるの構造判断成立者か、まあ後者と捉えたいが.この存在も内部逆で邪魔な存在に

 
     
 


 ilencioは今はきついな、その何年かのちやはり廊下でディラックに慄いてためらって、愛を込めてのころはやる気だったのに.災い人物があるXXに位相設置させたのが問題かな.その弟の出現かも.どうも自らを一段下げて自らを追いかけるようになってしまう.その必要はないのに・・・

 
     
 


 ロシアより愛を込めてwith love,モチベーション・動機?何か違う---くー、モチーフを知らなかった.(ある年の廊下での思跡)

 
     
 


 クリプキの考え方は多世界的に似ていないか?.多世界が現実になった世界をまだ知らない、ただ解釈によっては哲学思想家の歴史上の個性面々をやや同一領域に同時的に集約させると成立としていいものに類似させることが出来ると現実的かな

 
     
 


 なんやかやで・頭の痛さでいらだつばからしい思いの結果から、俗物は「しらける明晰」を好むという表現を思いつく.そもそも小学生の時から俗という文字は気持ち悪くまずく脳麻痺を起こさせる文字で使いたくない一つ、あと庶という文字も荒廃を齎し使いたくない文字である.

 
     
 


 なにこれ昔の種の特性方程式を解説している?、”有限指数の部分群の位相に対する無限巡回群の完備化”とか見るとそのようで、モノイダルかそういえばそうだな”「有限 G-集合は G が商有限巡回群を通して作用している有限集合 X であり、X の置換を与えると特定することができる」”

 
     
 


 クレバーの定性にせよそれは拘束性なので、共時存在論的にも拘束質はあることに気がつく。まあ繊維質もあるのだが。

 
     
 


 抑圧を他者に与えて生きた権力型タイプは死に臨んで何を考えるだろう?。抑圧を与えて他者を排斥してきたが、とどのつまり自らが生から排斥されるという憂き目に遭うと。その昔さる国に不老不死の薬を求めたとされる権力者がいたが、この辺の事情をよくわかっていたと見える。

 
     
 


 更級日記を読んでいると微笑ましさが伝わってくる

 
     
 


 古代エジプトの隕石で作られた剣からプラトンのオリハルコン・オレイカルコスはここに関連していないかと推定.それにしてもプラトンはアトランティス大陸などなぜ構想したのかわからない.まあ太平洋にもムー伝説があるが、これらの話はプレートテクトニクス時代への郷愁がそうさせたと見るのが答かな

 
     
 


 必然の認識を女性たちに理解してもらわないとという思いを今頃している・・.この意図する女性たちは偶然によるものと思っていそうな(ただし遭遇時に全く気が付かなかったのだが).その必然を偶然とするから齟齬が発生したかな、そうでない人々の圧力が災いしたとも言いうるか.

 
     
 


 存在論的定性的共時的アブダクションと相転移の重合における空想的夢想的な道具的位相・オブジェ的な発育時間の未発達心理文章というある存在者に対する表現だが、もっと簡潔な表現が出来ず.共時的クレバーの質がある技巧的な工芸・工芸的な技巧・技巧性のある文章であるはずなんだが.

 
     
 


 ゆえに否定弁証法状態を行うことになるが、そうなると孤独の存在を持続することになる.孤独を認知するのを避けている?、ならば反交換&反交換で偶数化すればいいだけ

 
     
 


 意図の持続に弁証法が邪魔をする.一応の弁証法の根拠は交換と反交換の位相にしてあるが、反交換型の生理の特質がどうにも不快でしょうがない.反交換者はとにかく逆を齎す・快には不快を、意図には反意図をなど、超対称を要請するならば反交換者が超対称存在になればいいというなんでもないことだが

 
     
 


 昔、権威に従う俗的存在は厄介だと思ったことがあり、それを事大主義と呼ぶとは知らなかった.アイヒマン-アーレントやミルグラムも関連して、畢竟他力本願も出てくるな.思想を与えるとそれに靡くと思われる視野にはいったりした想定する予備軍とかも関連しているかな.

 
     
 


 しかしわからん模倣だけで君の固有スペクトルを見るということなのに、思考の個性がないとどうにもならないのだが、その存在の無音的な(無責任のイメージか?)領域が下部に背後に大きく控えていると見えるいらだつ存在の記憶

 
     
 


 中国の逸話で西施の真似をして眉を顰めたXXがいるらしいではないか、一歩下がって謙遜している対象は存在唯一なのに、何かにつけて関係ない他者がその唯一としている対象の模倣をする認知がある.そんな模倣者は全くの余計な存在・余計な荷物・無意味な荷重にしか過ぎないのだが.

 
     
 




 
     



 剽窃するな逆になるな乗っ取るな模倣をするなと思っている人を無視して実行してしまう人物が多い。その人にとってはそんな実行者の節度なき人格存在理由などいらんもので、不快だけの無駄に過ぎないのだが。実行者にとっては無自覚自然でもその人には不自然なでたらめである事を思えもしない実行者達

 
     
 


 あの頃・あの時は、極容体しか新しいことは考えていないと謙虚に思った対外心理性.そう新しいことでもなかったかな

 
     
 


 超固体年理論予測--極容体なら考えてある.

 
     
 


 言語が思考を規定する、なるほどそんな見方もできるが、どうにもそれは指示的な叙事的傾向の対象に比重がかかっているように思える。

 
     
 


 どうやらブラマンクは多少の複眼視野を一枚に表現してそれを統一化した描き方をしている・ようなと見えてきたが・・・

 
     
 


 直感ではフーコーは叙事的存在にみえるので、フーコーが人間は終焉すると述べるのは、叙事的存在は終焉に向かうと申していると解釈する

 
     
 


 グーデルマンの緯度はなるほど空想的におもしろい、これでは足場を与えよか、地球がおもちゃのオブジェになってしまう-キリコ的シュールにしたい.U-Xwoまだ見たことがないな.(足場はアルキメデスでユリイカもそうだった-足場は別の思考からなんだが、・日前のことをもう忘れている)

 
     
 


 ファインマンの黒板-モーメント交換相互作用で近藤的に分離形を想定してどうのこうの・どうもよく見えない不分明だが、冗談ではないようですねMr.ファインマンということらしい.

 
     
 


 ヤン・バクスターでうまく行きそうで行かないという代物か

 
     
 


 スピンの演算子から、スピンは回転すると符号が変わる・向きが変わるというアイデアを思いついた、この自然界にそんな形態をとる要素がないとは言えないとか

 
     
 


 マーゴラス=レヴィンチンは今となっては破られる方向を考えざるを得ないという個人的仮想で限子想定からだが、電子は集約物とすでに述べている人物がいる事を知っている.あの頃ははったり的であるとして流していたが、今頃浮上してくる羽目になる人物が

 
     
 


 テグマーグはウィトゲンシュタインのTLPを理解できない・だろう予測が成立する.どこかフィラデルフィア的な感触の香りという表現にしておこう..比翼連理的存在とは・やはり離婚していた.

 
     
 


 Zue Zを知らなかった、シミュレーテッドリアリティは敗退だと思うけれど、デジタル者にとっては野心の過程でもあるだろうな.

 
     
 


 ニアリーな半径迄行って戻ってくるという経験は、地獄からの生還にも似て、この辺の事情から、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」の息吹を感じている、実に聖書恐るべしか?、動物類支配はさほどのことはない.

 
     
 


 BHがエントロピーを持つことはなんでない認識である--ブラックホールに時間があると仮想した小学生がいて、それならばエントロピーは何でもなくなる.今そうなると、非保存量と市場原理や希望市民の存立が導けそうだ.ただBHの嫌なところは域内では明らかに生存できないことである.

 
     
 


 ベイカー・シュナイダーと来てオイラーの定数となる.ガロアが出てくるが、どうにも種の既約方程式を含んだ方程式が存在するのかどうか?、待ちすぎた時間多すぎてとても思考無理な気分.この待ちすぎた時間の対象XXが意味のない存在的位相でしばしば登場してきて妨害になり・・愚かしき待ちだった

 
     
 


 そうするとあの夏の河原でのゼロ・卵形の高高速度回転・限界を超えたスピードは何を意味しているのだろう-少なくとも地球の自転速度よりかは速かった感触の砂地に咲いた鮮やかな一本の名も知らぬ花は「砂の上の植物群」という書物に後にぶつかることになり、だが驟雨のセンスに傾きである

 
     
 


 シルコのジェネリックとフラクタルの自然性とか、ツイートすることがないのでリンクを整理しはじめたが、なんともでもう笑ってしまう楽しいのかやけ気味なのか?、役に立つ・役に立つ必要があるとしてリンクを保存しているが.

 
     
 


 ”二つの異なる実数 a < b を取ったとき、これらの値がどんなに近い場合でも、開区間 (a,b)は R と同じ濃度の実数が含まれている”--この意味でaとbがほとんど同じでもその小さな差異の間には濃度が金太郎あめ的的に存在していて、机の上の似た書物の区別が出来ずという悩みがあり

 
     
 


 連続体仮説はどうも騙されている気がしてならない、なぜかを表現するのは困難だが直感上からそう思う.誰か何かそのうち新案を出すのではないか

 
     
 


 パーコとレブナーのkとかこれも役に立つというか多様なブラウン運動なんだがその未決は中学生の時の花粉の動きの逸話から.ブルバキの点化は昨夜の話.Θの原点はあの豆腐屋の横の坂道での映像なんだ、その周り込んだところで花粉を見たのだけれど.

 
     
 


 フロイデンタールやH空間のラドン=ニコディム性とリース--ルベーグを思い出させながら役に立つこの辺.