2012-12-29

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 メンデルスゾーンのVCに好感を持っていた頃に人々は黙っていても秩序を形成していくと考えていた.ブルックナーはゼータだけれど.自己組織化できるのに押し付けはどうかなと思っている.

ゴルディアスの結び目についてサーストンは何か述べてないか...

ゴルディアスの結び目は断ち切ったのではなく普通にに解いた?.アレクサンダーなら断ち切ったのが正解と思う.これは問題を解いたのではなく問題をなくしただけでる.


ミクロとマクロの関係は自我と超自我の認識


エキゾチック球面や南部の次元とかはなんだろう.次元理論がでてきてバルクはどこかに消えた?.今はエキピロティックか.ちょっと想像力が違う方向に行っている質を持っていると思うけれど接触はいい線をいっている.接触ではないが.

斥力は現実にある自然現象・特にフェルミ型には粒子と..

知っているのか知らないのか無意識かそれとも関係がつながるのかここまでは考えるけれどその先に頭の硬さが立ちふさがっている.
    
現実は次以前でなるように動いていることは確かなんだ.傍観でそう思っていても何も変化しないことも確かというよりエントロピーは動いている.次以上に直面するとガロアは何かいっていたか.

 市場原理はシマウマの縞ができるように組織化できればうまくいくと思うけれど、なかなか.秩序形成に乱れが生じているという現実.

収束時間・均衡点を通時的時間にとって叙事的に展開した場合を唯物論的と考えてみる.正規分布形成に似ていて、塵が積もって山となったときを均衡とし、積っている過程を々の揺らぎとするというような.で正規分布の時空的スケーリングを考えるとそれはそれで現象学的説明なっている.

正規分布時間とか.「マルクスは、本質はそれと矛盾する諸形態を通じて長期平均的に貫くとする見方をとっているが、資本主義経済に関して言えば、階級関係を再生産させる長期均衡軌道がこの「本質」に当たり、々の動揺する不均衡な軌道が本質と矛盾する「形態」に当たる。松尾匡」
  
意外にe^xのアイデアは使える.基数にちょっとは関連させた感もある.

トリックe^xの微分はe^x.これを無限数回行うものとしてその試行結果のe^xに・・・・・・∞の数値を当てはめるものとする.すると現象的にe^xは同一に見えるので=がいえる.もっとも==∞もいえることにはなる...

なまじ知識があるとそのあることが専門になってしまうパターンに捉えられて精神豊かさに向かう意識を阻害してしまうように人は構造を持っている.また精神的豊かさの素質なき知識豊富人間も多し.
   
中国人が本に留学して帰ると国際センスがあることになるのか.中国に留学して帰ってくると国際センスがあることになるとはあまり考えない.国際といえば国際だな.

つまり、メタというか官僚が立法に関して建てる思考内容にもゲーデルの不完全性定理が成立するということなのである.このパターンは縦型すべてに当てはまるとまず考える.


五感の迷宮鹿児島へ行ったとき海に滑り落ちそうな気になって身体を海から傾けて内陸へ向けようとした記憶がある.次元の地図上にいてそこから先に地図がないと思い込みが出現したと思う.屋久島へ船でいったけれど.例の左腕がないのに左腕に痛みを感じる心身症というかある...

そうなると諸行無常はいいけれど今度は無責任が頭を擡げてくる.でも論理は肯定している.完璧があったときにそれはすでに内部であるや過去であるとか.

結論を出すことはタナトス的で死へ向かっている嫌いがある.結果を求める人に対して君の生の結果はという質問を持っている.

ヒント・黒体を量子領域としたときそこのエネルギーは量子エネルギーになると仮想して..

クラウゼヴィッツにおいては摩擦を知ることだったな.常でも摩擦が登場する.またかといううんざりするほどに.

いつか人口増加は出生もあるだろうけれど長生き人数の増加がかなりの比重を占めているとツイートした例証があった.死者が少なくなっているこの形を生存幅の増加が移行していると図形化してロジスティックを見る.シグモイドの変曲点に/がでてくる.そもそも環境収容力はどのように決まるのか

ゲーデルの無矛盾は公然の秘密に似ていないか
 やっぱりいらいらしてきた.リーマンのゼータは非可換ゆえに出てくるととりあえず直感しておく.でもそうではないな...

零点エネルギー・固体中の原子は絶対零度においても位置の不確定性をhν/cの単位で有する。

仮想・どうも王者は覇者に弱い.仁が出てしまうので覇者の冷たさに効率度ではなく能率度で弱くなる.. 
反変が直感では効いているように見える.で倍音の揺らぎがアナログ的にシンセサイザーを越えてくる.
  
黒体輻射を内部から見るとブラックホールの蒸発はわかりやすい.というよりそこに時間がある以上変化はするということは単純に想定したことだった.やはり老子の道がどうもここの絡んでくる気がしている.ほとんど同時に考えていたことなので.やはり沢にかかる小さな造の橋のところで寒い頃

調和級数と倍音に今頃絡んでいる.今の時間に絡むことになったのか.量子の振動つまり波動もあったのだから...


デルタの分離はアナログ的フェルミ・階段化で、なぜこんなことを考えたのか.多分中間存在先天的必然的自由女性に対して冗談を行ってしまうほどに陋劣感を費やした情熱度に対して感じたからだろう.不利益というか徒労が進む.徒労に取り付かれていると感じるのはこんな点もあるかな.

符号関数sgnXは可能性がある.濃度を具体にできるか.優秀なコンピューターなら.もっとも可能性としての論理は十分考えられている.

何やかやで世銀は経済戦争を仕掛けているように思える.米国とユダヤ人でシオンの議定書などを読むと選良民族でやはり民族意識がある.アシュケナージは隠れ蓑かそれともユダヤ矛盾なのか.

暴走は縮退圧力が許容粒子数になるまで続くツイート数

改めて思うフェルミ分布関数ののヘヴィサイドタッチ

あの時の離散イメージが量子力学の誕生だったのか.それ以前に量子を考えるのはまだ早いという自己制約感が湧いたことがある.環境もあるか.下って液晶もまだ早いと思ったことがある.アモルファスはすでに考えて??と思っていたのに.すっかり忘れる..??は相転移のことだった..

黒体の内部から一点の光点を見るという図式になってしまう.あの時に離散的に考えたことは確か小さい沢にかかる造の橋の近くに蜂矢の柿の芽生え豊かな暖かい頃の道で

イデオロギーの終焉はアメリカ発の概念だったのか.意外.それにしてもネオコンがトロツキズムに源流を持つとは...

エーテルのように暗黒物質を捉えていない物理学だからいいとしても、プランクの講演には少し考えざるを得ない.カシミール効果の名は・年前に知ったばかり.ロスアラモスで実験的に計測半導体に影響あるな・・例の紛争地域が直に移行してくるがカシミールはオランダ人の名前
が程度の差こそあれシュンペーター化すれば内需間違いなし・・と思っている

ただ統一視点以前で考えることは、補正のタイムラグがスムーズには進まないということについて

なんか世界経済現象がその動向システム的な面においてシュンペーター化にあるような気がひょいとした.二本一国でしかも各々個人がそうである事を想定しているのだけれど.

ゼータの圧力を感じていた頃、渋谷のハチ公近くだったとうろ記憶の音楽喫茶で、リクエストしたくなかったけれど、圧力類推から苦手のブルックナーをしてオーというような反応を感じたことがある.今でもその店はあるのだろうか.

Hagedorn温度ですか.プラズマがエントロピーというのはヒントになりました.高い山の向こうにまた山脈が現れるゼータということで保留でしたが、排他律・凝縮関与で具体化があるのならば・・Planckの講演で登場はショックです. 
最近、母性がないという記述を見かけるようになった.考えざるを得ない現象があって思うに、叙事的XXにはなさそうで叙情的XXにはあると断定ではないけれど確率的に考えている.記述に関してはフェミニズムの影響かなぁ.それと機能主義的に考えているようでもある.

バナッハ空間が舞台であるのはノーマル.

複雑挙動に対置する形として、マネーサプライストックに対する最大値原理を想定してそこを思考の形にするのが難しい.

無限域近くでの複雑性は自然解消・変化に任せることに対する異論が自己湧出になった理由が判明した気がする.単純には結論が明快にでなければということなのだけれどそれでは正規分布思考・有限性でもあることになる....

論理を経済時間に当てはめてみるのも一手と思いつく.これはNo.*に設定できるかな・・・昭和に無担保コール市場が創設

国家は徐々に変遷するというのが運営の要諦であるというのは何処から来ているのだろう.革命時以外は確かにそうであるように思える.

古くから理論と実践は異なると.実際的理論があればだけれど.部分的には多いかな.それと科挙の影響があること.

ノイマン環は埒が明かないので別路線で.もうヒッグスを仮定してしまう.

単純に野守の姿は見えない位置ではないか.池田弥三郎の名前が久しぶりに出てきた...余興が通説としてあるんだ.wiki余興より追憶ならありそうだ.茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る巻・・額田王

内視鏡のオリンパスが冒頭から・・光る壁面を見たが.数十回のの内視鏡使用者・なれたものだった.もう何年も使うことから離れている....内視鏡のメーカー名は特に気にしなかったな.

中ゴー尾根の上部でどうしても残雪部を歩かないといけないところがあってmくらいだったか、ここで滑ったら関越の空気孔まで最悪転落すると思いながら慎重にパス.懐かしの万太郎稜線を平標と逆に向かい肩の小屋でぶるぶる震えながら寒さに対処...奥秩父の紅葉縦走者の刺激から思い出

雪の降ってきた国師から甲武信の夜は疲労から方向困難に谷からの風の向きから漸くにしてルート判明した秋.オンルートだったのでそんなこともある.

記憶思い出と今を錯綜させて笠取小屋直前の平坦な道を歩いていると飽きてくるので意識に差異をつけて.一人で歩いているととにかく哲学にせよ論理思考が進む.単独行は思考するのにはふさわしい行為である

メータやブレーズだな.印象的な名前は.クセナキスやシュトックハウゼンはまた別に.音はシェーンベルクだったかな.ケージ..

連続複利でeということがまず通常認識か.

石蕗の花には記憶なし.石蕗の里から津和野の名がついたのは本当かな.
   
場のカフェ募集が流れてきた.苗場は打ちコース側の林わきのコースではなく新雪部分を降りて以来行かず.さすがに粉雪が軽かった.天神平もシュカブラに足を取られて以来いかないな.レストハウスには今でも外国人女性が働いているのだろうか.でもスノースコップでハーフパイプ上部はすべり有り

あるタグを見ていて、つい鋭意の意見に秘密を述べそうになってきて危うくなる.ただ述べても納得されるかどうかのもの.現象に現れている事柄の展開がまさかのまさか当てはまるのかどうか不明なのだけれど、なんとなくこれを述べてしまうと説明可能ではというような想いのあること.戦略的にまだ沈黙.


どうも行列が嫌いで、ハイゼンベルグの行列式やヤコビアン果てまた待ち行列まで全く頭を奮い立たせねばならないが、たたせたくない傾向が..


結局、縦型人間はトップダウン好みで一方通行好きなので、双方向性のものは好みがたいことになる.


あるいは釈迦の内部京の街での暗い夜空に青い空間の想像できたことから.静謐的

「星間宇宙に瞬く・・・」たとえばイカロスにのって惑星旅行中に静寂空間にて思うこと.あるいは釈迦の・・・

単細胞XXの寄与によるかもしれない.ハッピーなXXの.それとも自らの別の心理空間であるか.

複雑空間に最大値の原理を当てはめる閃きの結果、その先の暗黒空間へ進もうとしていろいろなことを思考していたものが、メタ意識で単純化になってしまった.問題がなくなった位相に位置していることになるが、この位相はなんだ.n次元の暗黒深淵へ進もうとするのに愚かな怠惰になるこの心情.

スターウォーズのテーマの第一印象はすがすがしく自由を感じた.が「「星間宇宙に瞬く星々たちよ」」とは違う.

脳内麻薬成分への刺激か.ドーパミン以下への刺激あるいはシータ波辺りへ

ワーグナーは伝奇要素が強いかな.ほんとなぜかやる気になる.なぜなのだろう.

tubeでローエングリンが鮮明に..見始めて・・見なければならないな.エルザの行列からタンホイザー 入場行進曲によろめいて大体ワルキューレだな.タンホイザーといえば**は助かるといっていたときになぜか流れていた記憶あり.

秋の夜半のみ空澄みては中学生のときに覚えたのかな.いい曲で魔弾の射手序曲は忘れない.佐々信綱の作詞と知る.賛美歌になってしまっていた.多いケースのうちのひとつ.賛美歌さすがに落ち着く.


脳内がシュウシュウ・パァパァと燃えるのは個性.今は定積分拘束華麗射影的な気分に設定してしまう.

明らかにヒルベルトはある.いやヒルベルトでなくてもよいか.反変でもいいかも.知覚公開していくと脳内が愚かになる感性人間になるので、そこは操作が必要.

覇者や叙事型人間はどうしてもフロイトの影から幼稚に思考出来る.核ミサイル核爆発の寄与は幼稚園児でもわかる.最も人はパタナルに直ぐに移行できるものではあるが.
    
相反する飴と鞭が同時進行する政治的なもの.ダブルバインドは常性.

生きている人間もその責任を負わなくてもよいという権利を持っているこんな解釈が浮かんだ.

やや懐かしい三峰神社の名前がでてきた.太陽寺へも道路でつながったらしい.それ以前にしか行った事はない.


面白い展開になっている.憂慮しすぎではないのか.成都か東京から時間だから遊びに来いといっていた男がいたな.添付の古生代のイメージを想起させる湖の写真は何処なのだろう.
自伝であるとは言ってあるブログ.いざ赤裸々に書き始めるとどうにも書きづらくなるものだ.告白に関して変容してしまう人々の心理はこんなものだなと想定できる.しまった言い過ぎたかと思って悔恨するのは埴谷雄高の面白みに似て..

メタを使うと頭が簡単に感覚化してしまう.問題がなくなるというより思考の充実がなくなる愚かさのようなもの.

フロムやマルクーゼはフランクフルトだった.柔らかさと硬さの差異で、ライヒよりマルクーゼを聞いてみたかったs.

デリダは結構面白いなと思いつつ読み進めるとちょっと気になる文章が出現”デリダの芸術論は、自らは場所をも たないパレルゴンをめぐり、部分が全体を追い越すような「合わせ鏡」mise en abyme 構造として深淵abîmeを開くのである。

パス=パルトゥーか.やはりデリダを読めなかったのは必然的自由の存在に拠る.もしくは**存在論の影か.紐が雑草で出来ているような.

プラトンのイデアとハイデッガーのそれとは比較ができそうだ.いわゆる西洋哲学の歴史か.


ある高さの円錐の中央に内接する四角形を描いて、それを変形しながら底面に一致させるように動かすと円になる.丸い四角形は幾何的にこう考える一例.またそのような操作思考をしてもよいはずである.

デリダはNo.10の補足になるような・・No.10は諸行無常以前だからそうとも言えないか.ここに定義が絡んでくると位相的に多世界解釈を伴ってくるがそれはまた.ただ広がりを広げれば諸行無常には到達する.最も似た概念として虚無が簡単にあるが.

現前と非現前からグラマトロジーでは”「根源は一つの非根源、つまり痕跡によってはじめて構成されたのであって、かくして 痕跡は根源の根源となる」”ということか.読みたくても読めなかったあの頃・なぜか目がちくちくして.多分に必然的自由を気にしすぎ.

公理・規則の展開・陰陽の元・虚宇宙・天の声などそれでよければそれでいいが、論理の挑戦では面白くない.今考えるとその時点で考えていたことは、ホワイトノイズに似ているような気もする.それがどうにも不愉快で...


丸い四角形というのは誰が言い出したのか.


間主観性は個人を独立したものとしてみる西洋的見方に対する説明であると認識.たとえば女性である前に人間である.ゆえにその人間性は云々..その割りに間主観性に階級を齎す傾向は何か.

平等という言葉には重みを加える必要がある.ただほぼ寿命が同じ結果を齎しているので、生理的には重みはそう必要ないかもしれない.残るのは身体物理的な面と心理的な面である.

パラダイムシフトよりガイア感覚だな.でスティーヴン・グールドが登場ということになった.断続並行平行説でも一応の説明は簡単にできるので.


過渡期でぶれてはいない.ただ予測時間が現実と一致することは考えてはあるけれど、まさかの想定外に近いものがあって.
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カシミールについては・年前に知ったばかり.理論物理学教程を眺めてみたいけれど見たこと無いな.ランダウ飴のように伸びる恋愛意識は超流動と変形してに関してもレニングラードの指揮者と同じように冷戦の向こうだったから.テルアビブの実験はリフシッツの方.
レベルの施設があったなら、原発維持管理意識も変わっていたと考えてみる.

中学生の頃、こま分割はどう見ても時間がかかるので、それを集中するつもりになることはできないとは思った.一応関心は流れているので最近の隆盛とともに

リオネル・ファイニンガーがカンディンスキーと並び評されるのがわかった.  

マイクロRNAには興味あるな.いずれにしても自然的に長寿ならその生き方に関しても余裕があるはず女性が男性より長生きなのは「遺伝子」に理由があるらしい 



why dose the sun go on shining...? ネヴィル・シュートの「渚にて」は知らなかった.情報は必要だったなと百科全書を放って置いていまさらとはいえないが...

マゼラン海峡が出た.去りし々にマゼラン海峡のクルージングなどで遊ぶなどとは考えた事があったな..最近オーストラリアの少女がヨットで越えた海峡.

一度は行くだろうと思っていたパタゴニア・今ではそう風雪の領域も関心強くなく

森鴎外の知恵袋・意外なものをしたためていたんだ.読みづらい.
  
明らかに個人的に考察力不足なるクルーグマンの調整と バラッサ=サミュエルソン効果関係.ただへルダー連続などを示唆される.とソボレフにまとめるというようなことになる.

なんとなく気になって読んでみた.思想位相が・・省略.諸所で小津安二郎なる人物は評価が高いがわからない.ただ杉村春子という女優は存在価値がある・あったことは確かである. 
山本義隆の名前をタグで見る.名前は知っているがその存在感覚はさほど.それよりちょっと興味ある人が学生達と折衝したと述べていたのを読んで、名前を思い出したくとも思い出せない.誰だったか.意外に思った...

資本主義の段階を経ないでいきなり社会主義になったというところで無知なる考え方を持っていたことをいかにブログに記入しようかとしているところにそんなツイートの文面を見てしまった.中国がそうであったと思っていてそれは誤りでソビエトの方がそれに近かった・・省略するかも... 
ハイドシェックの悲愴がtubeにあった.・・熱情が心持良くまろやかな音色で聴こえる今の心的内部.

そうか情動衝動意識の渦巻きだな.原宿か.在りしのラフォーレの喫茶店では演技の冗談だから.表参道ではブラマンクの恥ずかしき思い出が.

BsNo.7で止まって.原宿・明治通りとの交差点付近でこれをなぜ浮かべたかな.
褒めるのならモーツァルトの曲には質量はあるのかかな

ネグレクト・優生学・メンゲレアイヒマンとダブルブッキング調整のためにモサド及ばずだったとは.サンパウロの心臓麻痺海浴も全うという感じの生.それにしてもカトリックが多少関与しているようだけれど、南米で本当に戦後の生活を可能としていたとは・・・

第一回はだった?.中学生脊椎を絞られるようにきつかった白い巨塔・中学生時代のあらすじ想像白い巨塔 

そうだ.ベートーベンの三部作.光・熱情・悲愴をたまに聴かないと.ビリージョエルが悲愴をポップ化したのを初めて聴いたときはショックだった.悲愴を歌えるかと思っていたので.

ん?.子育てによって母性が発達する?後天的思考だなこれは.あった要素・先天的の段階的発露ともいえるが

   
歴史の法廷の被告人だったか良く覚えていない.ただこの言明は政治家として合格であることはわかる.
  
巻機からジャンクションまでのの思い出・ところどころに池塘があったのを不思議に思い出す.

今、数ある覇者型達の衝動与件の阻害を一蹴する対処ができた.喜ばしい.思うに行動型の人間は叙事的な面が強そうだ.

労働者に国境は無いケースも多いけれど、現状いまだに民族自立紛争が当然のようにある世界では、インターナショナルは難しい理想かな.むしろ合衆国などがモデルのようにも思える.意図は現状異なっているけれど.
ネット産業>自動車産業となったようだ

正規分布の棄却域を無視しないように考えることについて以前に確信をしているのだけれど、周囲の良くわからん環界で意識が朦朧としている感じになっている.

DeNAが横浜買収で交渉中だって.フーン.

みかんの花咲く丘は遠足の思い出がある.みかんの風などを見たことが無く、良くわからない気候のところ.十国峠から伊豆半島の付近

合理期待は政策が無効になるのではなくて、政策も分解するものように見える.考えの途中で選択公理などが出てくるのでそのように思わざるを得ない.ちなみに政府の情報操作は明らかに非対称性を作っている.

 労働者に国境は無いという考え方を最近知った.ふるさとは無くあるとすれば地球ということか.惑星的思考ともいえる.

搾取に対する意識のようであるが、見たところ責任力に関して<キリスト>には及ばないことが最大の難点であるようだ.

駆け込み訴えの作者はユダヤ人にでもなりたかったのだろうか.

普通常では必然的自由を行使しながら人々は生きている.その終局目的は私は満足しているである.

関係の絶対性はやはりよくわからない.どうも宿命的なものか.それとも合理のアンサンブル・システムのようなものか.自立が対処するならどうやら強いられた束縛であるようだ.その後に自立なら個体論はそれを含んでいることは当然.

あの顕微鏡の花粉の動きが初見より進展しない.複雑さの重乗に持っていくというアイデアはあり、これは直ぐに例の海を想起させる.その海はファインマンの積分になっている.

 世の中には深淵を知らずに空中浮揚のように+空間に浮かんでいるような人物がいるように見える.この場合奥行きがあるのかあるいはブラックホールよりホワイトホールなのか.いずれにしても深さが無いのは妙な気がする.

想定外というのは正規分布思考でしかも棄却域のこと.正規分布の限界とまたはちりも積もれば山となるように持続にせよ離散にせよある程度の時間の連続が必要で、しかも経験現象からは大いに事例があったことは確かである.

他力をしている当人は自力でそれをしている.

だから情報の非対称性は政府が隠匿する情報を小出しにするようなときは例としてあることを思考せざるを得ないのである.

フォースの暗黒面・まあ普通に設定だが.とにかく帝国軍と反乱軍の戦いの設定はなんとつまらないことだろう.あまりにも歴史に存在する多くの現象.フォースが発露する時代設定はいつのことなのか.遠い昔、遥か彼方の銀河系でわからん.恒星旅行が容易な時代であるから未来の話だな.

あれ、縦構造は正規分布のアナロジーか射影的.現実のピラミッド構造の幻惑で惑わしを受けていたかな.

全く好きにやっているウォーズの登場人物たち.シュールより空想かな.

摂動が広々としたグレイノイズ空間に意図された頃は、オーダー処理は考えず定義的な曖昧さを忸怩とはしていた.超多時間の不思議な切れ味は今も妙.

No.*に関して不確定性から時間で妥協できるに至った.次にNo.*だけれどこれはこれ・それ自体がNo.*としてもよいことのアイデアは持っている.......の続きが待っているが、No.*的記述はあるのでとりあえず.が表明になるのかな...

こんな話があるとネットでの初出論文の付改ざんの憂慮などないな.ぺレルマンは例外か学術出版という封建制 
  

ファッションだけが浮いていない.現実との係りを持っている.ゆえに回帰還元で流行という現象が成立するのか.思想かなと一瞬思ったが、何年もだと普遍に足をかける・・か

まあ確信は推定で検証中ということもある.エントロピーに巻き込まれているかも.また巻き込みたい連中が出現してくるのである.


人の思考意識と地球自然の動向が複雑性ということで一致している今の時間

アイデアを思いついてもたもたしている間に世界の趨勢が動いてしまっていた.いや論理は構築してあるので他者にやらせようなどという魂胆もあったことは確かと時間保証も確信していることなので..

ケインズに対して+αもしくは部分化というのは、ニューケイジアンに位相的に似ていることに気がついた. 

姫路城・一度行って古びた床の板がきしむ音記憶残

知りえている情報を期待を残した形として浄化的時間に発する政府のやり方はニューケイジアン的な期待と非対称性のところではモデル的.パニックは管理制御に対する弁明か.

サブプライムは未必の故意なのか認識ある過失なのか.それともそれら以上のものか.どうにも可能性・蓋然性は高いことはわかっていたはず.不合理へのバブル化意思意識だったか.


線形すなわち合理が増長すると膨らみすぎる.そうなったときには非合理も合理も関係なくなるとか.・・・ニューケイジアンの理論背景は矛盾を含んでいる.これはなにを意味するか複雑系経済といえる感


空間より時間なんだな.つまるところ保証期間なのだけれど.初期発展は空間刺激である考え方を持っている.これも時間あってのことだけれど.

長期計画のヴィジョンを可能とする場合にはアバウトしか考えられなくて、もし援用するとすれば景気循環論くらいしか思いつかずに..

とにかく叙事的女性には叙情性がかけているのは否めない事実だろう.どうにも悩ます記憶上の存在にいてよみがえってくる.確か退行的になると考えていたはずなのに、結び付け時間がかかっている.海馬の発達段階とこの退行感をあわせると正解の判断が出てくる.退行ではなくて先に進まないとなのに.

やはり今の脳科学が示すように、感性領域の後に理性領域が発達するというのは正解ではないか.経験から弱複雑忍耐性の女性は感性を有効にして、思考判断を阻害する傾向が強い・常にそうすると言ってもいいくらいのもの.その存在自体が性悪型で他者を強制しないとと思っているようだ.

情報の非対称性の顕著な例は明らかに政府と国民の間になりがちである.管理という概念がそうさせる.


そういえばポロニウム事件がロンドンであった.

バンガロールは世界一になるというメッセージを10年前にもらったことがある.バンガロール?だった.

うぬぼれにはへつらいという妹がいると言う時、へつらいは偽善であり当然巧言令色に入り鮮なし仁となる.昔ある女子大生にエラスムスでしょうといわれて、全く何のことかわからず、何年たっても今言われているようによみがえってくるので考察.他者への当てはめは論理誤謬は当然なんだけれど.


年には勝てないというのは寿命には勝てないではないか.それともポテンシャル優位の志向か.一般にはポテンシャルに比重を置いて認識していると思う.ポテンシャル華やかりし々の時間でもエントロピーを豊かにはできる.

 少なくともモデルといわれるものは、多少なりとも普遍をかじっていることが条件の一つ

「猶太と世界戰爭 愛宕北山著」でした.こんな人がいたとは本には未来があると思いました.


尻焼にも行ってみたけれどやはり切明の川原の手掘り温泉がいい.

痴愚神が女性の場合エラスムスはどう表現している.もともと痴愚神は女性なのか.女性が理性を働かせて記述したわけではない.また痴愚神的傾向の人間は多くいる.ちなみにぶりっ子というのはうぬぼれとへつらいを持っているように見える.

意思でキーボードを動かせないのは面倒くさい.


そもそも出来上がっている論理位相なのに一般社会論的に判断するからおかしくなったのではと思ったので、意識を変更した.よくあること.また元に戻る可能性もある.記憶上はちょっと必要なもの.その後の必然性がないので区別するようにはもっと時間線の何かを必要とする.

ともかく世界内存在としてみて樽の中の哲学者いわく、太陽の邪魔だは面目躍如・痛快である.

ある権力者の位相において、被権力者たちには当てはまる規則・規範などは自分には当てはまらないというときの言葉として、とりあえず面倒なので理不尽を当てはめる.より解析が必要な不条理性となるが保留.

カノニカルアンサンブル・どこか心の隅にあらねばならないことになっていて...

「異常こそ正常だ」は昔から取り込み済み 
よくよく考えるとまとまった形としての合理ということもありうる.普通には直感経験アンサンブルとして支配的に.ともかく言葉を変えてエルゴードを応用したのではないかと考えるが、それに対してその要素の大きさを問題としているところで進まず.ドメイン結合要 #defle

合理期待に関して、それぞれの合理=それぞれの効用功利だと思っていた.

そうか測度に対するレジーム変換か

合理期待には政府の政策も含まれることになりそうな予感がする

合理的期待を使ってしまっているのか.すばやいというか現象でいいのかなとも思う.サンプル数から仮説になっている?.フレーム・枠を変えると変わるというのは単に経験でよく知っていること. 

責任回避は依存もどうやらその一つらしいのである.

時々個体論の修正・根拠・解説・進展?を述べることがある.
昔、夏の切明から林道を歩いて奥志賀まで歩いた.奥志賀まで遠かったな.そんな時もあった.

不合理から合理・合理期待へ。但し不合理は残る.

日本の動向は内部から見て、ワイルドの幸福な王子の話を思い出さずにはいられない.心臓はなんでできているのだろう.

余剰と賞味期限がちょっと短くなるとわけあり商品になる.取引コスト・・

パレートなら自乗距離はある.

相転移的なものがあってその後それ以前に戻ることなくそれが持続している世界

中間存在はその本質が有限だから自由量が少ない.ただ制約条件を課する著名な学問領域があることも事実である.


剰余価値のそれぞれのずれと移動の不利益が量による頃に貨幣が生まれたと解釈.ある量以上のの供給量の移動に物々交換では不都合である.この頃から経済の本質は変わってはいない.人の工夫が変転を齎しているだけ.

貨幣利子率と実質利子率における心理問題として名目利子率とゼロの間のインフレをケインズは主張している当たり前のように思える.ただ成長路線上の考え方でしょう.実際はバブルとかになった..

もともと有限である人々・有限を受容する人々・反発する人々・有限を物質に転化する人.有限を精神化する人・無限を物質化する人・無限を精神化する人.

よくわからなかったポテンシャル強の存在にエントロピーが付随しすぎている場合、レオロジカル身体なんだけれど、有限エントロピーの実体と見た.エントロピーは今のところ未定で有限より無限まで伸びているとずっと思っていて.この閃いた有限エントロピーの考えは敷衍・応用できそうだ.

世界何処の国でも、偽善や虚偽はある人は演技者であることになる.ただそれが強意的に常に成立する場合はそれを真実と思うだろう.
不変ハール測度と不変ハール汎関数とを同一視してうまくいけばいい.モジュールか..それぞれの専門領域でそれぞれの区別に表現していると

叙事的覇者的権力的XXは思考停止を強制するなぁ.弱忍耐複雑性というのを確認してしまう.ところが策謀能力も発達しているようなのでどうなのかな.現実は感性的存在にしかしかもその感性は射影シンプル・ハードを余儀なくさせるようなもの.もともとハード存在だからな.
メダルト・ボスはハイデッガーの実存を使っていた.それなら現存在分析は時間を止めたわけだ.ビンスワンガーが実存の世界内存在のようだ.本来性の非本来性がもたらした症状はこれも現象的に見える.本来性設定しているのならこれは意味がある.

現存在分析は無意識を設定しないことが漸くわかった.現象学的還元過程の現象分析や現実リアリズムとかハードボイルド対処とか考えるこの身体的位相.不条理や矛盾を措定していることになる.その結果夢に矛盾があることをどうするのだろう.

覚醒時の領域で超自我・自我・無意識などの区別はどうするのか.射影のシンプルか.この志向形態は思考停止になる.

行方不明は閉包の感覚・をどうするか

まだないは余計な付加であることはわかりきっている

のどむなどむ・こんなところなのだけれどなづむであった.

自ら考えた或る時の欠如意識に桎梏的束縛を受けている・こんなちょっと変な詩的熱情が現実に有効となる形を取るのはなぜだろう.意図は冗句的なものが他者にとってまた環界の現実現象になるとは.

中国のソフトランディングは本一国の話ではないか.ゆでガエル論は最近知った.一発逆転を志向する意識がゆでガエルに向かわせるともいえる.

ファインマンの経路積分法における「積分」は静的な意味を持つ”のか.それなら都合いい事がある.

「じねん」に対するオクシデンタルは知りうる限り「構造自体」であると思える.

 
森羅万象認識に言葉を与えて冒頭だったかNo.29だったか、新しく考えたことはこの言葉と思った夏.新しいというよりただの語感の感覚に過ぎないとも思う.今思うにX認体の方が良さそうだ.ともかく「じねん」は自然との一体化であるのは間違いないだろう.

自然じねんとはあるがままの世界で、「自然じねんというは、自はおのずからという、行者のはからいにあらず。 然というは、しからしむという言葉なり。 しからしむというは、行者のはからいにあらず。 親鸞」だそうで.森羅万象の認識のことを示しているようだ.


確信的?というよりやはり啓蒙の勢い?の方だった.とっさの表現をしばし考えて変更した..どうにもまずい脳内動き...

不作為について。こんなところに懐かしきフォイエルバッハの名が 

「家内の死の迫ってくる音の無い音を」宇宙のしじまと脳内の沈黙部のアナロジー.

よど号に乗っていたとは.サリン事件の話は知っていた.もうちょっとずれていたらサリンに遭遇したと若い女性と話をした記憶あるな.

よく考えてみるとこじれは昔の思い出の年以上後のよみがえりである.この心理は如何に・・

菅沼のバス停で決定的なことを考えてしまった.その半年後にまた昔と気がつかずにこじれを味わいこれが延長になる羽目になってしまうことがあった.菅沼のバス停は考え方が違うのではと思うがそのまま.これもその二年後には、また心理位相度が若干ずれて常から見る位相になってしまいそのままの感

なんといっても自由の女神を見たヘストンが印象的-猿の惑星

確かあの時のバス停は菅沼のところだよな.華厳の滝のエレベーターは群馬県の会社が経営しているんだ.一度だけ行った.それと鳩待峠は群馬県だったのか.大清は群馬であることはわかる.尾瀬ヶ原も大部分は群馬になっていた.

どうも富裕者達には選挙ひいては政治なども余裕でかわす能力・担保があるので新自由主義が成立したと後知恵でとりあえず思ってみた.

他人の会話を強制的に聞きたくない心理がある

選挙が選挙である限り富裕層も各々1票しか持ってはいない.なぜに新自由主義になったのか.専制的なる志向が作用したその原因は?

若かったある時、危険だけれど知性などたくさんだと思ったことがある.今になって教養文献を見るにつけどうにもまずい情態である.ただ自己思念を強調するのなら他者の意見は寄与を排除しても良いのである.

末弘厳太郎の名はうすらうすら記憶に出ていた.この人物が解釈実証の文献探索的な転回を行使したのか..思想家からではなく法律立場から我妻栄が合理発展「懸念」を持っていた.ややの結果を見たかったが種の思想で補えないこともなさそうだ.

このwikiの法の精神を読む限りいい書物である.モンテスキューも埒外の人物にしていた.

これらの結果、社会一般の人の付き合いは教養という言葉で括れると直感できる.社会=教養ベース

そんなわけで同じくモンテスキューの法の精神にも・・一応名前が残っていると中身があるものだ.

ダランベールの原理があった.百科全書にはショックを受ける.均衡はダランベールだったのか.中学生の時からずっと通底している均衡.質点系はゼロは初期だけれど、定義と司法のある職種も若干の対象の覚えあって..百科全書はどうでもいいよといった次第だった.

これだ.漸く見つけた.こんな人物が戦前にいたとは、世界第二位の経済国になったのもわかる・と思う.ハザールはタルムードのみとか猶太と世界戰爭 愛宕北山著

アダルトチルドレンのような叙事的存在がいるとする.40歳なんか20歳になったとする.となるとスピノル・スピナーの関係を考えてしまった.720度で元に戻るもののように+20で40歳になるとか

ソリトンのワンパターンはリズム的と思った.ゆえに津波はリズムの一定ハイスピードものになる.リズム・・・

しかしポテンシャルの移動には参ったな.とてもいいアイデアで可能性を見ているけれど、他者で考えているあるいは明らかになっている理論がある可能性ある・ノイマンかも.
悩みの種をついに消化したかな.むしろ視点の違いを構築することに時間がかかったということになる.この比較で言えば自然に発生した脈絡無き種々諸々の言説はかなり価値のあることと思い込んだ..

諸行無常に万事塞翁が馬が重なるような場合は思考内だったが. 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ」by良寛

ミニマリズムか.ミニマルが新たな?特化領域を席捲ということになる

改めて思うX染色体雌の連結・連続・連関性.されど表象の明らかなさまざまな差異はXの圧力を分散させるX染色体に伴う全ての遺伝子は母から受け継いだものである。雄ではあらゆるX染色体の形質は、雌の親の遺伝子によって規定されてしまう。 
武力や謀略で支配を行おうとする覇者型の人間は明らかに倫理面においてはその能力は低い

私のすきな**にくる・あわせてみた名前はあいつ.全く何年経ても心理はすったもんだの状態のまま.時は過ぎず又時は実際過ぎ去っていて戻らず.あいつの時は順調に過ぎていることだろう.余計な世話の人のおかげでまずい都市に住み子供のいることを知りて..全く不都合なαの理論上の女

再訪の鬼押し出しで、ボルダリングの真似事を..どうにも材質がうまくない感じを受けて、重力の摩擦を感じただけだった.

緑樹の相異にともしとなりてともる頃小学校の校庭の脇群れ飛ぶベージュ、ふと見上げれば積分している空およその相似中学校の校庭にて秋

M殿に聞こうと思ったけれど、調べてみればわかるad hocは今もあるのだろうか. ・・・まだ存在している.フィッツジェラルドを想定したり画材の色をたしなんだり、キュートに思い出のあるところ..
華麗なるギャツビー・グレート・ギャツビーがそんなにいいのか失われた世代に対しての文句無くスターであるフィッツジェラルドであるが、作品としてはと思う.これが英語圏のC第二位作品なのか.では怒りの葡萄はどうなんだ.かろうじてトップ10に

岡鹿之助のある絵を見たら一瞬ルソー作かと思った.アンフォルメルの声を聞くと熱情が湧く気がして..

ポテンシャルが移動することを昨夜発見した.個人的には反変かなぁくらいしか封鎖意識を突破して出てこない.今のところこれも出そうで出ない思考の連関現象の一つとなっている.無知見であるだけで他に何かいいものがあってい筈という思いはある.

スターウォーズが出てきたときにはえっ何これとは思った.ホモ・ルーデンスタッチ経済ですかね.  #defle

きよしの小樽の人よかどらどら.選曲しただけでセンスはやはりあることを感じさせた.浸っているな...

チャーミングな女性が焼きいも選択で時間をかけていたのでつられてつい何十年ぶりに買ってしまった.しかし女性はなぜ念入りに選択時間を持つのだろう.

思い出した.準結晶からポーリングその人の名を.ワトソンもいいけれど直感では文句無く優秀とその名を知ったときに思ったものだ.軌道の混成はポーリングかよ.DNA複製は相補性による.ボーアの相補性は有機感覚をもたらして..ポーリングの人生にもいろいろあった.重で又出てきそうだ.

  
  

パレオエクスプレスか乗った事は無いな.いつかの大臣が終着駅でデモしていた映像を見た記憶ある..

脊髄反射人間はまるでソリトンのような行動をする叙事的に有能な変化なきその事象化処理能力.ドーパミン過剰のような気もする.

線形増大としての世界経済が散逸構造的な局面を迎えて自己組織化に直面している事態という現象判断人間の知恵がどう処理するか楽観視はしている

村上xxは真摯性の説得力に欠けているきらいがあるように思う

周期を射影して準周期にするのなら、やはり射影に関して実数が出てくることになって、単純射影に関して一様性はいかがなものかというのはあるだろう.

発見はまだまだ価値があるので、発見型明らかな彼女を無視するわけにはいかない.多少おろそかにしていたためどうやらつまらない時間を持ったようだ.

準結晶だって.アラベスクへの関心はギリーの非周期で、ペンローズ・タイルらしいことだったのかな.回対称性は知らなかった.あるものだ未発見が.

 勉強はいくつになってする意味はあるのではないかがまず念頭にあって、悟りを開いた人が昔にいるのに凡庸な人々が多いのは、人の精神は一方的に発展するものとは言いがたいように思える.複雑さ増加はエントロピーの増大あたりかな

ある思想家が言った.肉体は衰えても精神は複雑さを増すばかりである.まあそうだろうとは思う.ところが古に道を開発した人がいるかと思えば、汝自身を知らずのまま一生を終える人がいまだに多いのことを考えるに、人の歴史はいかなるものか.

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺も名句である.


結果しか見れない人が阻害する...

障碍者には障碍者の論理があると昔になぜ考えたのだろう.今考えるに生きている人間だからであると思う.

先天的な身体障害者として生まれた存在をどのように考えるかと考えていた野田線岩槻駅の改札へ歩きながらのホーム通路.追って思考して人類史上の「犠牲者」という位置づけまでは考えたが、もっと詳しい理由根拠が必要な気がしている

暗黒エネルギーが宇宙項ならば重力は何になるのだろう 

ふと思いついて、カオス的な動きから通時への誘いとなるが、共時の維持が躊躇させた...こんな感じならダイナミズムの解釈が可能か.ただ仮想の反面を考えていたこともある.

ダークエネルギーか.重力はダークマターに対しての空気のようなものと一つのアイデアを考えてみた.

超新星ジェットとかの人物達かな

類続がある限り建設道徳・倫理意識は実在する.実際には類続がその圧力なのである.

革命で無い限り国家の変貌は徐々に行われものであるとは誰が言い出したのかそうではあるだろうと昔から思っている.それにしても退行を強制する縦型人間は不快なものだ.道徳力が欠如しているからである.道徳がないなら司法は無くてもよいことになる.

個人的には論理が自動的に皮相・表層に出現することになっているのだが、秘匿意識の分、今現在、現れているのかどうか良くわからなくなっている.ちなみにタレブのブラックスワンは証左のうちの一つ.書物出現は遅いかも.カオス理論は昔からあるのでよろしい.

古典とする時間と空間で歴史保存にひよった結果はあるけれど、何十年経ても変化なき組織構造にうんざりしている.変わらないものだ.旧来の縦構造が阻害の第一原因.階級人間がまだまだ生まれてくる.


樹状細胞Dendritic CellDCだった.「ノーベル賞は対象によってほとぼりの冷める時間を過大に取るようだ.すなわち保証時間の納得過ぎる時間が必要だと.樹脂細胞の人物は死去?とかいった...」

iPS細胞は実績時間が少ない.あるいは実証結果が.来年も無理の可能性ある-2012年度獲得せり

ケンとメリー ~愛と風のようにを数年前に知ってなんという歌手だったのかと思った.高音のメロディは今も健在.ケンとメリーの言葉自体は知っていた.

なぜケインズに関して直感推定部分化もしくは+αを考えたのかその理由のために・まずは「安定的尺度と考えている貨幣」がその要素の一つ.こんなドキュメントタッチも面白いケインズの貨幣経済論の形成と『貨幣改革論』

ポストモダンの自由ということで終わりなき常かな

もうもうとした煙りの中での夜・あるとき池袋東口Fの深夜喫茶店を思い出した.いつのことだった行動・行為自体の記憶のみ.

浸透紙にインクをこぼしたときのようなと乗数効果に類似性があると思った.

アイヒマン裁判ではないが、責任意識・罪意識の薄い人は先天的なものではないか.とすると後天的教育はちょっと困難な気がするということを考えざるを得ないことに今なった.

もしくは粒子が寄り集まって大きな粒子現象となった..

バブルは波が粒子になるような現象と思いついた.


あとがきによれば~年度にかけての世界の科学者百数十名へのインタビューだった.データは年代前半ということになる.余談に本の著述家には言語上の困難を別にしても当分は書けまいとなっている.旅費だけでも印税を上回ったのではないかとも.インタビュー力かと思った.

対称性の破れ・カイラリティ・アノマリーなどを考えて、直感で人間の身体とは?と思う.

川越の喜多院に春局が使ったという箱が屋根裏のようなところにおいてあった.小堀遠州の庭は荒れているような自然の作風?だったが、その名は気になった. 

漸くセカンドクリエイションを読み終えた.超弦理論の勃興から少し触れたところまでである.奥付からはおよそ年弱前のもの.失われた何とやらに匹敵する時間・・

グプタはチャンドラグプタからのようで人名から来ているようだ.タキシラもいい響きの都市名.グプタが気になるのはガンダーラ時代付近の仏教からきているのか.結構、日本人でグプタを用いる人がいる.

自己増殖本能キャンサー・キャピタリズムとはなるほど 

帰納的より演繹的なはずなのに、煩わしいxxでおかしくなっているかな.もっとも演繹の位相差もあるか

権威のインセンティブを保つ現象は多く

ワインバーグによる強い相互作用が高エネルギーでは弱くなるだろうということから、スケーリングの発生を推定できる.スケーリング理論は実際どのように生じたのかな.弱くなるのでその衝撃は弱く感じるスケールということです.

クレジオは有機物の後に物質が残るといった.グラショウは今からの乗秒後に物質は消滅するでしょうといった.クレジオにはショックを受けたが、グラショウにはあれっという感じ.反物質空間の成立か..いらいらする無機物の抵抗実在に対して、グラショウが楽になることを言っていた.


無限はいいとしてそこに潜在している身体の有限性が必然としてすぐに出てくる現実が面白くもあり又不快でもある.

まさかのこうなると陽転の影響を考慮しなくてはならなくなりそうな気がしている.循環に関して.

無限に小分割が可能な財や無限に分割可能な確率分布という考え方は根拠はともかくとして有意味である考えを持っている.しかしまだそこから進んではいない.バナッハ空間でとりあえずは休憩できるのだけれど.

限界効用を減価償却費で考えることはマーシャルの消費者余剰であった.個人的に考えるよりすでにあるものをチェックすべきかな.疲れないですみそうである.ゴッセンやジェヴォンズというわけだ.

アイザイア・バーリンによる積極的自由positive libertyと消極的自由negative libertyであった.

ファマの理論で対数化が出てくる・にすることを知る.考えていなかった対数・指数.対数が嫌いな感性もある.とするとやはりeの存在になる.ブラウン運動は対数正規分布か.さて・・・

団塊ジュニア世代はがんばっているのだけれど、余地の無さを感じているのか焦っている感じも無くも無い.きっと閉塞感もあるのだろう.それに対してだめとは思いたくは無い個人的な考えはあるが..


ヒルベルト順序かグラスマンか三角関数サインカーブなんぞは当たり前なんだが.外積や交流とか.よってくるところはなんだ.現象は当たり前で進むか...

中国は前漢がその本当の領域とはしばらく前に考えていた..

岩槻駅に向かう朝、吉村昭の光る眼を知ったのは何処からだったか.駅近くのDP屋が関係していたかな.思い違いでタイトルは「光る壁画」だった.

マノン・レスコーはファム・ファタールだったのか.言うまでも無くヨハネに対してサロメは母親にそそのかされたとか.ニーチェ付近にそんな名前が登場した記憶がある

アランフェスはもの悲しい.ラテンの陽気の陰に悲しさを南アメの曲にも感じるのはなぜだろう.

始祖鳥を考えていた小学生の頃、なんか怖い空を飛ぶもの.この付近で支配・征服ということを考えた.どうしょうも無い積極性を確か感じたはず.

ヤコビ行列は接線の傾きを多変数ベクトル値関数に拡張.多変数は想定していなかった.当然多値にはなっているのであるが.無数の曲線だから.

重層的な非決定へは非平衡開放化学系の素養から来たかな?.プリゴジンはなどがあって散逸と良く区別つかなかった青い空

実験家・ティンは言った.「科学は人間社会の中で多数派が支配することのない数少ない分野のひとつなんですよ」

無意識過剰は知らなかった.・・は知らなかった誤変換はしらなかったをしてしまったときがある.気がつかず流した.

最近、わら人形という言葉を見かける.どうも良くわからない.一方的きめ付けなら遭遇中かな「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々  

うろ覚えだけれど、ずっと前に確かドル=円のツアーに参加したことがある.値段を聞いて信じられない思いをしたが、行きたかったので妥協した.すぐにマルコフ的に心理では忘れたが、衝撃的記憶は残っている.

weedxxと同一視した人物達の認識の無茶苦茶さを修正しないといけない. それにしても一体なぜそんなナンセンスを行使するのだろう.人々の盲点に入っているweedxxなのはなぜなのだろう.

棚上げしておいた厄介な問題達に挑戦している・してしまう・せざるを得ない人たちがいるのです.それらを発見することはとても楽しいこと.

厄介なチューリングの第問題を思い出してしまった.... 無矛盾な体系で = を導出する方法



最初に思ったのはネットのあるタグにオストロム可能性を見たいと言うことだった.

オストロム女史の考え方は、弥生時代に田が広まったというところに着眼点が行く.利権の発生はその辺のところらしいので.

流れる場合・母体の生がなくなってしまう場合・中絶の場合などがある.ここまで考えるかとなるけれど、痴愚神礼賛の著者は結局カトリック教徒なのである.功利の度合いが出てくる事柄.

生起現象があって発生成立全体を見たとき、発生は必要成立は十分な事柄とこじつけ気味かな?.それから接続意識かなとも思った.



なんとガルガンチュワとパンタグリュエルから泡箱の名を取った.するとゲルマンの無意識にこのことがあってクォークの名が成立したことはありそうな話である"《二三の午後のこと、牛腸料理[ゴドビヨー]をあまり喰いすぎたために、ガルガメルは肛門が抜け出てしまったのである。》p"


今、中性カレント騒動を読んでいる所なので.KEKインタビュー素粒子から宇宙を見る .. 



像変遷では千年王国をつかめることができない時間となっていることから.過去へは伸びる.


ちなみに像変遷は=歴史としてもよい事柄.視点の自由において見方を変えてよいのだけれど、気になった・直面した女性の位置づけが阻害要因となっていた.逆意図存在からの巻き込みの様に.

やはり、甘え・逃げの考えはうまくいかない.現実に妥協した結果はうまくいかなかった.それにしてもスケーリングを自在に動かしていることになる.この場合は特別なのに軽い気持ちの冗談的比重が重くなっているので、これを延長変化させたことにする.視野領域が狭くなりすぎのため.

とすると乱世に覇王が現れる可能性が高いと.複雑系が覇者的とは別に思わないけれど.覇者は物事を単純化する気がする.覇者というのは物事を単純物象化する傾向があるのでそれを処理というのなら得意ではあるだろう.

ここで像変遷を現状維持有限変革と見て無限が出てこないことになる実証で止まっているのでどうにかしないといけないと思った.その出現時にこう思えばよかったけれどそううまくはいかない.ゆとりがあるはずだったのに.

全く精神・理性より肉体優位の衝動人間がまだいるのかと思いしらけるのである.それなりにそれであればいいのではないか.例外が発生することはあるな.はみ出しが.未来の人間は知力優位になるとは普通に昔から思っていたこと.愛あれば別だけれど、うぬぼれ人間に愛はないだろう.

情念の世界は性的人間で、性的人間は悟性的で理性的ではないと思っている.機能主義的海馬発達論でさえ理性は後から発達するといっている.別にカザノヴァ的人間の性的放縦はそれでいいのではと思っているけれど、そう思われるのが不快なのかな.

相変わらず罪の意識全くなしのXXに悩んでいて、どうもこのエラスムスではないかと思われる.”情念のうちでも最も強いものは、己自身を愛する情念、つまり自惚れである。自惚れには追従という妹がいると、エラスムスはいう”.情念の世界は疲れる.ともかくうぬぼれなのかな.わからない.

無限遠超平面hyperplane at infinityだって.いやなんでもなかった.冷静に...

昨の件の女性はある合併した銀行のうちの一つに就職が決まっていた.ぼそっと

コンビニの立ち読みで八島の前の神話があることを知った.

そんなばかな・ありえない・ナンセンス・ばかばかしくて話にもならないなどなどが必然的な場合には、その国の動向か個人のシ資質か・・伝統の圧力か.どうにもわからないのであまり考えないようにしてみる.しかし忘れはしない.そんな存在理由も何も無い人の実在によって?..

この概念は逃げと甘えがある「像変遷」のはずに設定している.ところが考えに考えても意味があって無視できる考えではなかった.ここに初対面でこの概念を想起した女性がいるのである.このことを彼女は意識せずに主体をはずした発言をした.そのときは不明だったが今はトートロジーで不愉快なのだ

ひとつの思い出から・マネタリズムと流通時間に答えが出ずに考えているので、君の情熱に答えることができない.今なら取引コスト論とフリードマンルールでなんとか.まさか明示空間の全体構造までフリードマンが考えていたとは思いもせず.経済学者が哲学的位相を持つのを見ると唸る.  #defle

最近考えた帰結からは、フリードマンルールはBIの必要条件.で直感ではBIは現実的に難しい. 

ありそうにも無いけれど、物価が下がる→発展途上国がライバルになる途上国との収穫逓増関係と夢想 

マンキューがニュー・ケインジアンだったのか.メニューコストは+αと考える.


ケインズにしろベーコンにしろ、どうもイギリス人はなせか思考限界をもたらす存在がいる.これの解消は例の英国流の慣例法に流すようにするといいのかも.これも例の女性がその意図を押しとどめた可能性があり.ところが実際には有効な存在度もあったのだが、他者が行使していることに向かった心理

時間のロスという不自然をする羽目になった、誤解の押し売り連中ということになる.今、この誤解をやはり消去すべく思考錯綜対処はしている.

思い出すにアイデアが生まれそうで生まれないジレンマは、必然的自由の後に判明した諦念の寄与が強かった.どうにも尻切れトンボになってしまう.実際にあって不都合を味わい、その理由が判明したときには終わり.遠慮すると不都合に落ち込んでいく.ところが必然的自由は十分社会的にOKらしかった.

思い出せないというより、考え始めて考えたいのだけれどアイデアが進まないジレンマだった.相好する内に、いわゆるサーカスが出てきて委員会を想定してしまいなしの礫情態に.しかしこのときのどこかに漏れがある・順調ではないはずの意識が、後にマネーストックの限界を見させて今に思考させている.

ミクロ経済の緑の興味ある書を読んでいた頃、ケインズに関しては部分化だったか+αだったかを考えていたけれど、良く思い出せない.



 
神速で動く人間の意識は小学生の頃から自覚している

結界も意識の対象であった.

有限の立場の時には外部に不都合さの原因を見つけることができるという示唆を朝得た.中間存在は明らかに有限でこの存在数が少なくなればよいと思ってずっと.不都合な言明をもたらした女性達は有限意識情態であったか.自らがそうしていた反映であったか.


喜劇というかコメディーは軽い不条理かな.爆笑の傷つくのは普通だったかな・というような意見をTVで聞いて考えた.

くさびは凸錐を用いている.やはり自由円錐と同じようなものだ.飛躍して超弦の膜と形式を同一的に見たハイパー.思考パターンについて類比があるのか考えてみてしまう.

やはりXX達が嫌ってくれというように不都合なことを言った記憶が多すぎて処理に困る.それらは必然的ともいえるのでなおさら困る.自動的に必然時間が決まっていた頃の話

縦型構造において部分も責任意識は外部に求めることができる.内部は外部に.

原点が又無数あってもよいこと

揺れるように見える原点よりの自由円錐の無数の重なり
 
目を瞑ってもできるという言葉はあるけれど、盲目のピアニストに関しては何もいえない.

皮を切らせて肉を切り肉を切らせて骨を切る・忍耐時間の自信とまあ性格もあるだろう.家康はそうだろうけれど息子の秀忠を聡明に描いている脚本家・実際に聡明だったかも.

必要条件という過程はフラクタル的実数ツイート.フラクタルの種類がいろいろあればツイート分析に整合するようなものを想定できる.ちなみに思惟の法則は無機的で、例の如く、それが成立したときに人の心理はそれ以上のものになっている.

次元空間に仮想円周を描いてみればその方向は、ある点基準原点からの広がりとしてまず円周区分に自由度は無限にある.また円周の数も無限に近い数になる.円周でなくてもよい場合には変形操作をして考える.

これから見ると帰納的になっている経済学.やはりノイマンとボルツマンは出てくる

シノーポリはに指揮台で崩れていた.今指揮ぶりを始めてみて気に入りのスタイリングだった.惜しい.


アレクサンドロス大王アレキサンダー大王の遠征がなぜ発生したのか良くわからないが、後に寄与しているドラクマはその波及効果に思いを馳せさせる.バクトリアやガンダーラ・ソグディアナなどは兵共の夢の重なりとでも言ってみる感覚.アフガンとギリシャの今に鑑みて

自由は錯覚だという行動主義あたりから機能主義は来ているのか.自由が錯覚とは人間はロボットかサイボーグか.またマルクスの翻訳物からは一様に無機物性を感じることが、その網羅しているように思える緻密論理に距離を置く要因となっていることが、いとことの論戦ができなくなった理由.


陳腐な変容もある理屈になる.変容が普通事象を行うのに行動的であるならば、そこに切断する事柄は同一のものとなる

現在の状況が続くとしてでしょう.続かないシナリオを考えるのは線形的には困難でもあるからな.まだ特徴を持ちつつ変化はしていない.ただの相対に依存しているような時点.

アブダクションに振り回される場合はありそうだ.それを空想と見るか意味があると見るか.実際には難関があるようだ.


ニュートリノを初めて知った幼き・若き時、地球を通り抜けたニュートリノは暗い空間の何処へ消えるのかと思ったのが最初である.

そもそも権力的権威にはモラルが無いのでは.あったとしてもそれは形式的でロボットが行使しているようなもの.

ボードリヤールがこう言っていたんだ.不確実かある意味でこのように考えてもそう違和感はない.「不確実性自体がゲームの規則になりさえすれば、すこしも否定的な宿命ではない」

双曲線y=は畳み込むと一事象のエントロピーとポテンシャルの関係に酷似する.とすると

廃墟の美があるのなら福嶋第一もそうなるか.今の風景で

ハザールはタルムードしか読まないと見たことある.シオンの議定書は出所真偽はともかく、中身はうなづけるところ多である.別にタルムードだけでいいけれど、アシュケナージが異才を多出していることは間違いが無い.思想が作ったのか基がレベル高いのかそれとも両方か.


吸着のなぜ興味を昔に思ったのだろう.飽和吸着量の苛立ちは有限である不愉快さか.果て又これから何か出てくるのか.出てこないか.なんだろうこの記憶.

劉邦についてその性格というか心理情態分析をして考えたことを忘れてしまった.


学生時代はなぜO大がモデルと思ったのだろう.A大であった.歌詞を良く見ればそうなるのに.ムードで判断した.梅の木があったそばで風に吹かれながら.指名されて答えたくなかった一様関数に関係して.


トホーフト・妙な名前のオランダ人.ふと世界に広がる科学の世界を思いつく.科学は世界何処でも同じ点がいいという事に関して多少の煩わしき思い出がある.核兵器などの寄与があるけれど、核兵器の製造方法は世界何処でも同じ.その思考をある存在の弟に直接答えなかった・その存在に聞けと

中間存在の死ぬまでサスペンス好みや行動的権力主義者の抑圧感は疲れるものである.最近ではその体力の粘着力のタフさにおいて暴力的と取れないことも無く感じる場合あり.

芸術作品を見ると今この瞬間に永遠をみることはありそうだ.時間が集中しているとやはり永遠的時間位相として捉えているが、物質の半減時間には永遠より短いものも多くある.そういえば永遠の物質はまだ聞いた事が無い.


ともかくある朝起きてみると「むザムザ」と毒虫に変身していたというような内容の疎外感や一連の不首尾に終わる結論は不快である.この小説家の何処がいいのか不明です.ひょっとしてタナトスに支配された人間かも.ある戦いの手記は面白かった.

カフカは夢を見る人だったらしい.不条理の悪夢に終わるような夢が多い.最初にこの名を聞いたときには直感でその存在を把握できなかった.肺結核もその意識からもれた事柄であるが、プラハのアシュケナージ性も強いようだ.

論理哲学論考自体はいいのだけれど、原子命題で追っていく考え方は論外であると最初から思っている.

今のここに時間が集中する考え方は、有限世界を無限世界と置き換えているか・現実実際を仮象と見ているかである.

良く見かけるヌースはアナクサゴラスの哲学実体であった.知らなかった.妙味ある.モナドはまずく仏教の縁起がここに来る.ちなみにエンティティやモナドを考えていたアブサンなどを注文してみたあるスナックの時.

未公式の宗教ならずっと意図してある.しかし物理の秘匿現象を女性に投影してしまうのはなぜか.想像上であるし個人的関係なき存在なのに.束縛意識強き煩わしき実在はまたまた不自然を強要してくるものだ.

清津峡は今どうなっているのだろう.歩けるのかな.雪のブリッジあるときに歩いたことあったがトンネルができているとはどんな風景か.湯沢からはいけないんだ.では再訪のコースにはならない.

あの時の岩槻の路上での認識の見えについて、漸く理解した.何十かかったのかなんという無駄をしたことだろうか.




偽善なども基づくことになる.

おそそ・大体、詭弁の成立根拠を想定した.

時限時間は任意である.相対的しがらみ予見のあくまでも万が一の可能性を予期してのこと.無いかもしれない..



自分のことだけ考えている・自分が良ければいいこんな場合は現代の状況の圧迫感が余裕を無くさせていると見るのが普通でしょう.

気がついてみると外界はとても静か


クォークの呼び名の由来は聞いていた.

""フィネガンズ・ウェイクはH・C・Eの本ののはじめから終わりまで眠っている夢物語・の終わりごろにゲルマンがめくりながらを知る.電荷が恒久的に閉じ込めれれているとすると半端な/や+/が成立することになるを考えていながら


アニメ類は本質として世界的なものを持っているのではないか

知り合いが昔二人でモーリシャスに出張していた.聞いた話ではメイドがいて楽だったと.セーシェルは個人的に興味あるのとこの話しからすぐに連想する.

意図と逆ばかりになった々の拘束が解けず

ユングではこれか風刺とは違う 道化師ともコメディアンは神経的側面

特性関数・特性値はガロアより双曲線のn特性曲線でしばらく落ち着けることになった.

セイシェルとモーリシャスは結構遠かった.近い印象があって、そもそもセーシェルはマダガスカルの北東とはせいぜい東の気がしていた.それではソマリア・タンザニアがでてくるのもわかる.Agalegaは近い.


昔、大糸線に乗ってみようとして今頃の季節乗ってみた.田んぼの稲が印象的なのを思い出す.何年か前にに穂高町には中房からタクシーに乗ったことを飛ばした記憶のよみがえり 


島国根性という言葉は縄文時代の伝統から来ていると思う.海洋性は縄文時代は発達しなかったのかな.それとも十分に山野自然の恵みが有ったということか.

アンサンブルがでてくると元に戻る.自然にそう思ったガムとグァムの違いが良くわからなかった頃.

最後の方は流した.決定的記述がかなわない対象は統計を用いるか..

地上を歩いている自分には、ジェット機の衝撃波は届かないか空気圧で防御できるか逸れるかするだろうとは思った.マッハではこの反射が一番の関心になるかu


DNA塩基の運動がソリトン・モードを持つとは 


パーコレーションからフラクタル中としてのツィート達.前にある人物が微分と騒いでいたが、よくわからなかった.フラクタルのそれぞれならわかる.

孤立波とパルスならば、双曲心臓アナロジーを考えて、生存体とソリトンの関係が成立してくる.これは斉一性から無意識・自然としているから、ソリトンは外化として不快なのかも.

粗視化に対して逆粗視化もあるな.射影

粗視化とエントロピー増大.時間依存性を持たない分布関数は超粗視化の場合にも整合することを基礎としてH定理を考えたことになっている.

シュレーディンガーの猫は有機物がSFのように無機物と変換することを単なる一現象から決めていると考えてみた.

性格がきついと言う時、余地が無いのか練が足りないのか教条度が強いのか。まあこれらを含んでいるだろう.

逆散乱問題とKdVとシュレーディンガー方程式の関係付近は知識としてのレベル・ではないか.

覇者を翻ってみるとトロツキストかどうしても.トロツキーの考え方がありふれていると考えてしまう.ただ国家間にしていること.ある面で本とアメリカの関係の本の例.


保存の一定は安定している評価がありそうだけれど、一定ということは苦痛をもたらす人間性があって、有の一定より無の無が煩わしくない.有無をいわせる常・現象世界.しかし無から始まったという思想は考えやすいが、そう決めてしまうのにも困難.

チャクラで閃いた.ニーチェは結構女性原理かなと

結局、KdVのことになって、孤立波成形に分散寄与の保存性がプラズマなどでも起こるとは、苦手のソリトンがプラズマでとは思いさらされる..分岐があれば孤立波の速度がそろうものがあるのは双曲線になる.eのようなものでそれに対しては、反構造を考えるしかないか.


エンゲルバートとベンジャミン・ウォーフの言語的相対論の関係とサピア=ウォーフの仮説を知る.ちょっと興味ある.今は考察不足で意見は直感が個々人の存立を認めることに対しての証左のように気にしているところ.サピア=ウォーフの仮説

甘えと依存は共通項があるように見える.土居健郎の甘えは研究論文者たちから持ってきたようだ.歴史はなさそう.親子関係は考慮していたようだ.縄文人が弥生人に甘え・依存しているのか・縄文人の島国閉鎖感も考慮する・海をなぜ活用しなかったかとかの視点を除去できない.

定積分がアマルガム化する境界身体は、アマルガム位相を離散化させて欲望を積分する.ポテンシャル化している欲望の滲みは、固有身体が欲望を積分している状態にあると瞬間に思っても、持続する実在の存在重さは抑圧束縛する.

理想気体は大体普通先にあると人々は考えるな.帰納から追っていく理想は恥ずかしながらどうも愚かに思える.演繹から先に考えること.中間存在の諦念がどうも中途半端をもたらしていた気がする今.



小学生の時にジェット機の衝撃波に遭遇したら防ぎようがないという過大な想いから""惑星を構成する原材料は、初期恒星をとりまく超音速の衝撃波によって生成される可能性があることが示唆された。

動物園の岩を歩き回る猿の動きがうますぎてついていけない思いをしたことがある本能とよばれる生体の行動をパブロフは連鎖の性質をもつ複雑な無条件反射と考えた。大脳皮質のない脊椎動物の多くの活動は、無条件反射の連鎖本能で説明される。

行動経済学に矛盾・不合理・不条理がやってくるその人間の存在理由的なるもの


担保である家計の融資産を国債量が超えねばカンフルにならないのかも知れない.家計といっても何処で応用になっているか.たんす以外は飾られてはいないだろう.


現状維持無限変革という今は斉一原理になっているが、何十前に現状維持有限変革の夢を見て、それが過渡期の発言となっており、その位相から動きがたい情況にある.ゆえに移行期とかの言葉には反応する.

バックボーンは諸行無常などから来ていると思われる責任意識の曖昧さになりがちなところ.名誉というプライドはハレ意識から?.プライドはある意味責任意識がある.そうするとハレとケもXとYの位相になっていることに気がついた.

前から日本は位置より運動量的だなと感じている.ささやかなネット刺激を受けて、今、失われたそうであるならばというのは運動量一定の不確定性かなと気がついた.変えるには位置か時間に優位をもって行くことになる.


元がアイゼンハワーのダブルバインド-ダブルスタンダード的かも

フラッシュフォワードならストリング映画も成立か.バルクの余次元にブラックホールを携えて


ともかく無限遠での複雑挙動を線形化にするという心の湧き上がりは何かの何かであったか.複雑挙動は事実としてOKなんだから成立.

ソリトンも連続無限自由度を扱う場合にはカオスになることがある無限の保存量が崩れる.無限遠で複雑挙動を取ることはカオスになっている.無限が無限のままだとソリトンは一定で苦痛をもたらす要因となっているかと・そんなXX存在が・・・信じがたい有限身体なので.

漸近的自由の逆は、実際には単なる常のこと.ただ中間存在には難点かそれとも諦念・諦観で処理しているか.

本橋丸善で環論からとりあえず始めようかなと思って以来何十年ニッチも行かず.双曲線は無限遠で漸近線と交わるのか?.無限遠での複雑挙動は自然の成り行きに任すというケースは、漸近的自由の逆に気がつく.ケルビン変換としてみると.


ワトソンとスキナーを誤解していたようだ.オペラント条件付けは賛同する側だった.


どうも例の精神分裂病者統合失調者の絵は非周期的全体構造まではわかった.がその同一模様自体から意味が全く取れないということに苛立ちを覚える.

空間充填形は見ていると面白い.周期的な場合はすでに証明は為されていて、非周期にペンローズの充填形が特筆例としてある.ワンパターンは無間地獄的で苦痛なはずだけれど瞬視的なら許容可能.で思い出すのは昔見た精神分裂病者の描いた同一模様の絵.

アラベスクは昔から気になっている.ギリシャ幾何学の影響もあったのか.植物文様の意義はちょっと良くわからない.

恥の文化名誉心と縦構造から来ている要素もあると思うので、名誉心の緩和と縦を横にしてみるとか.度合設定は?.夫々の死にいたる直前極限心理情況は斉一原理で生きていると想像は出来かねるかな 


ラフマニノフは唯一取り入れた音楽家.その精神異常によって.

Gazebo  アイ・ライク・ショパンはHKの女性から知った.広州の女性からのメッセージはロマンの薫り高く、中国人・・・・魚釣島を知ったのもHKからの存在でsay sorryには参った.

ならば核廃棄物をある核融合体に廃棄するということも考慮に値するか? - クルーグマン恒星系間貿易の理論 -どうやらスターウォーズに影響されているようで
非論理的なことを自制心の歯止めが利かずに独り言になってしまう要請はどこから来てしまうか.


名曲・モアkeepng・waking・sleeping・laughing・sweeping 


埴谷 雄高”晩は吉本隆明と、コム・デ・ギャルソン論争で激しく対決した”.何の話か知らん.

銀総裁の発言をネットで眺めていると、どうにもカオス理論的対処に見えてしょうがない.官僚は普通暗記力あたりで試験パスした人達ではないのか.もしそのように対処しているのなら、希望しているとおりでそんな人材がいることはやや信じがたいところなのである.

キッチンが走るを見ていて小学生の時に雲取山荘に泊まったことを思い出す。埼玉・三峰神社側から。なにがなんだかわからないまま、キャンプファイヤーで秩父音頭のリクエストがあって、虫歯が痛くなったことを思い出した.良く覚えている.山頂から東京都側のなだらかな稜線の道は広々としてい

 
雪解けのコーネルにはファインマンがいた.グラショウもコーネルとは.いや何のことは無く、コーネルのイメージが春の雪解けにあっている個人的直感を持ったため.A thaw has set in thawは気分良い言葉.融和のイメージがしないことも無い

無限小超実数も決定的とはいえない.モナドもなんとも.銀河はロマン.宇宙が出てくるならブラックホールもありではないか.

菌根性と腐生性のタイプがあって、菌根性のほうが値が高い.その事実は事実として、里山・山岳地帯も汚染下にあるということが気になる.

何年か前にみた涸沢カールの夏スキーは中行事なのだろうか。剣のほうが雪は多いのに見かけなかった

ディオニューソスとアポローンの対比はニーチェ・ニーチェが何か言っていることは知っていたが、区別自体・類型もニーチェ以外はいなかったのかな.混沌と秩序なんだけれど量子の見方は別にあるとして、くだらない認識からの逃避を混沌強調で考えたことがある.
 
スタンピードは古典的パニックということになる

ゲリラ豪雨が予測出来ないのは多分に正規分布思考優位であるから

線形操作で順調に行くと思っている気がしてならない.線形操作の極限は乱れていくばかりという判断がある.現状の世界情況は正規分布思考の結果ではないかとも思える.つまり線形からの変化過程と捉えることが出来る..


とまあ解説ばかりしか出来ない今の現状.でも例証を挙げると説得しやすい面もある.時間が取れないというより意識集中ができかねるといったところか.

発散から後に遭遇で、思うはずも無かった.だが今は良くわかる.必然的に遭遇するようになっていたことが.およそ他人に言っても信用されない.当の彼女に聞いてもらえるとわかるはず.まさか記憶はしているだろう..彼女のみではないが.この必然性が宗教的な超自然性.

これはなんだ.そう思ったときに頭の壁が発散してしまった.思考が出来なくなる.後、ある女性に遭遇したとき、この思いを鏡像対象の位相になってしまっている.このときにこれを思い出さず、まさかのこれは何だの女性とも思うはずも無く後に・今は明らかに一致してはいる.

明らかに異なるのに同じじゃないんかといった憑依的男がいた.今も記憶に災いしている嫌悪感.ところがまたまた嫌悪感女が現れて再び憑依的現象ほどにしつこい感覚をもたらしている.どうやら電磁気力作用の電荷の+(電子の-だなこれは)を使っていると思いついた.感覚は不快なのに煩わしい作用意識がある.

ついでにアンダーソン局在を見て、うなってしまった.ポテンシャル場の介在与件としてカオス理論との類似性を見る.まあ収束が早くなる箇所としても良いと思うので外観はよろしいでしょう.個の存在意義にも多少は寄せて.

明示的な場合は懐かしい.チゴイネルワイゼンの上昇メロディを東側平にした先のところのイメージで、摂動を描いていた空間を埃たつ未舗装の道を歩きながら考えていた.

ランダムな大きさの揺らぎが総和的に分岐を決定すると考えたい流体現象があってさっぱりアイデアが浮かばなかったがこの分岐方向決定を読んでいくらか動く.喜び”対称性の破れは、臨界点を交差して系に作用する無限小に小さな揺らぎが、系の分岐の方向を決定する現象である”
なんとなく民法第*条的心性を持った人間がいるような気がしている.たとえば政治的であった場合責任感を回避できるような.普通常において今の複雑さを認識しなくてもすむような人・つまり悩ま無くてすむような人の場合、考えても不思議に思えてしょうがないので、当てはまりそうな気がする
しかし非論理的なことを自制心の歯止めが利かずに独り言になってしまう要請はどこから来てしまうか.


ただいま・最近、偏微分でなぜかしょぼくれている.

ラグランジュ法とコヴ・ダグラス 天文学を援用してみると、ある時の個人的観点はなんとか希望かなと思ったものを保留としたい.線形希望は全く考えられないけれど、ではどうするか.初期値に依存して急激変化を織り込むことは考える.

ヒッグスが片付かない今、フェルミ型人間は孤独で無縁的という傾向があるのは自然である

徳川家康の直筆文字を見た.性格がある程度推定できる.狸よりワンパターンの時間がかかったということなのだろう.

二国間の貿易解消の問題は単純に人件費の差と見た.発生要因は文化度維持費の差かなと概観してみる.専門家の制度論がどう出るか.地政学・宗教・資源要因などもある.その他もろもろ

黒戸尾根下山中に寄り道した尾白渓谷の散策コースは途中危険なところがあった記憶あり 




妙な主メロディのラフマニノフ交響曲番を弾けるピアノはもうパス段階で数学をやるといった人物の演奏を見つけられなくなった...


だめだ読めない自らのノート記録文字を転載しようと思ってみても、今多少の目に入る言葉から変容創作になってしまう.気力なし時間無し情熱無しが一番か.

剽窃で思い出した他者達の評判による駆け込み訴えを読みづらく読む気もしなかったがなんとか目を通してみると、キリストを殺して自殺しようと思っているというような箇所があった.それなら小説としてまあ問題ない.作者は頭悪くは無かった.

他者による・剽窃のトートロジー意見や他者を他者である自己主体と見ない意見はそっくり述べる他者に言うべき事柄と自己が判断している.あるいはその他者が自己自身に言うべき事柄と.


無かったことにしたい、あるいは無かったことにされている過去の事象というわけには行かないのが問題なのである.又そうしてももらっては困るがそうすると困らないことにもなる.それより事実を事実として認められないだろうと想定したことは事実ではないことは明らかである.

ブログタイトルはいい言葉でもある.さすがにワルラスの法則・がようやく現実意識に接触してきた.I教授のクラウアーの二重決定仮説は昔からある理論と実践の差異を想起させる.カンタンな答  難しい問題には常に簡単な、しかし間違った答が存在する

問題が解けない・納得はいかないけれど事実なのでそう表現するより仕方ない.時間がかかりすぎて信じられない.ある方面においてX+Y=のグラスマン数的な思考を見ている.仕事の和がゼロになる力学思考ではなさそうだ.

葛藤はある.その葛藤を客観的に見る設定・立場を取っている.ダブルバインドなるものを考えてきた存在がいるが似てはいる.自己弁証法を人は出来るはず.他者を介在させるとヘーゲル・マルクス・対幻想男女関係になっていく.

これは面白い.結局アドラーに当てはまる他者がそれなりに多くいるのである.あんまりアドラーは考えたくない存在.クラインの躁的防衛はなるほどと思うことあり.ホーナイの強迫行為も然り.ライヒの鎧は普通であり、ラカンはこう見るとあまりにも仏的.


しつこく去らないのは性格の正反対に近い嫌悪感か意識の差

連合事象の呪いがある.のろいというと陰陽師の時代になるから憑依としてもよいが、これとて非科学的な以前の時代になる.つまり憑依なる人間の実在が現代では考えられないという揶揄になっている.しかししつこく去らない..

法律が束縛する・強制する・義務が成立する・権利も成立する.社会的優等生が成立するがスケールの度合いがある.

あきらめるということは有限の規定ということだから、無限には関係ないというかそう問題の対象とならないのだけれど、有限のみ存在は苛立ちを隠せないだろう.反面、無限からは有限のみ存在は不快でもあることになる.自由度の束縛が自然に行使されることによって.

論理哲学論考の書き方にも多少は同調している.

昔読んだ審判の文庫本の付録的な注釈過程が忘れられずティントレット屋根裏部屋へ行くだけ印象に残っている.あらためてみてツイッターではそのような記述が多い.というよりそのようにしか述べていないともいえそうだ.それは好みでもあるし、個人論理的な事柄からきてもいる.

アルペジョーネソナタシューベルト.初めて聞いた.でチェックでシューベルトも梅毒だったのかを知る.ニーチェが念頭にある.

竹山洋の名はどこかの脚本で覚えたことがある.最近のことなのに失念している.記憶力を全く阻害される情況にあるというのは思いすぎで、自らの資質によるものか.そんなことは無くやはり煩わしいのが常にいる.ゲーテの君はあきらめるんだあきらめるんだという悪魔のささやきを強制しているような

事実的人間はひょいとすると抜本的ことを単純に述べる桎梏を普通に述べる.

これはなにを意味する断言なのか.帰納の限界か創発は断片の側にあることを示しているのか ”数多くの断片をまとめて一個の全体にまとめあげることによっては英知は生まれない。”

オカルトという言葉があった.ありえない映画の話などはオカルトの平板化.過激になると文字になってしまう.今のところは体内の電子雲あたりでの作用関与と考えておく.


京極というのは室町の高名な将軍補佐職であったのか.室町はなんとなく公家の香りのする時代のイメージ.多少読んだオカルト推理作家の苗字と同じ.

いらいらする外と内の心理.クリフォードでLならぬLに行きそう.でも解けず.


肉体優越的XXに束縛の形を持つようなことになると思考力・記憶力が落ちる.そのXX自体が異常な気もする.痛み無視的な場合も加わって.肉感がしつこく消えない生存体とはなんだ.東洋的なら自然と透過する気がするのだが.


前は映画だと思ったを見た.確かに冗談だろうと最初は思った.HKの若き女性がアメリカで飛行機事故といっているので最初に知った.普通の事故だろうとは思ったものだ.テロならもっと早くキャッチすべきだったなとは後悔も若干した.

政治的業績ではなく倫理の問題でしょう.その昔業績豊かな人がバカヤロウとかいってどうにかなったことがあるらしい.

スピノルが基準になると、人々は孤独になりやすくなる.共同体は他者との関係結節によるものなので、フェルミよりボーズ型が普通である.にもかかわらずフェルミ型人間も又多い.フェルミ型は愛情の阻害か又フェルミ型的愛情発露しか出来ない.フェルミ型愛情とは仮面的?

その昔、楕円曲線について述べた時に、勘違いをしたのではないかということがあった.暗号研究をしているわけではなく、ただ楕円自体には関心を向けねばならないことを考えていたためであるのだが.逆は困難は非可換性ではないのか.それで思い出したある定理のチェックをしないとだ...


ユートピア精神の持ち主なのか、ミクロとマクロの合成の誤謬なのか.どうやら合成の誤謬だろうということは前にも述べたな.公共を個人的なことと勘違いしてしまうような場合.

あんまりかかわるとまずい感じがするというより意図が異なる.個人的にはそれではだめとは思っている考え方も、そのだめさ加減においてパワーだけはあるから、粘着力スタミナはあるということになって、不毛をもたらす疲労を形成するのみとなる対象存在を、最近は見るようになってしまった.

いえることは諸行無常に責任を転嫁する無責任意識をどうにかすること.でも虚無という考え方はある.無限に対しても肉体の有限性という内部が災いしてくる.

苦悩をしないで頭を使わないで前に進もうとするのはやはり無理がある.意識・無意識自然のままならあまり考えないはずだけれど.


αの理論を無視しているわけではない.が知力の時がない.古典で躊躇した記憶はある.変化なしとはいえないのであり、説得力は多くの人にあるα型思考.


狭小領域で規範を強くする人物達ということか.普遍性の領域をなくすような方向はどうにも窮屈になる.リトル・ピープルの時代

自忘他利・実際問題として病人には難しい.すなわち自らのポテンシャルに余裕があることを示している.深層身体意識はそうなのですが、表意はせずというのが社会となっているが、これは心身に対して圧力にもなるケースあり..

死の街という表現は、隔離意識が潜在的に読み取れて、希望の挫屈感をもたらすからではないか.



貨幣は今のところ、唯一の統一宗教みたいなものと考えてみる

昔、麦なんとかというグループの存在を知って、なんか関心を呼ぶなと思っていた.その後知った著名人が関係者だった.その関係者の最近のブログを目にして関心を避けることになった...毎日1・2分の努力(苦痛な考え方・努力は報われるとは限らないを体感している人は多いはずだ・・)を続けても成果が上がらないのはやり方が悪からのようである.


beingを知っていて何十年.還俗とまでは行かないがそのようなものをする気は無く.ゆえに無知という言葉は使いたくないが、過程の存在・中間存在者たちに無理解を被る事大なり.

特に性的人間は疲れる.いわゆる悟性より理性を望む

個人的には思考改革というか意識改革が必要と思っている.構造改革は強制的なもので市場の自由を作ることは市場は自由ではないことになる.新公共はあるが.

構造改革?.そんな言葉をよく目にしたことがある.そんなことが出来るかと思ったものだ.法人税を下げても経営者がその結果の資を市場に出すとは限らない.消費税も同じく使用限定になるとは限らない.

QCDに権力のアナロジーを考えた結果、自由に対して絶望的になってしまった.自らの思考によって.エンゲルの夢は成立しないことになり、権力構造は相変わらず続いていくことになる.ただ思考の何らかのアイデアが生まれる可能性はある.

なんとか会議やベニスとか.誰か何か考えているのか.世界経済同時介入なる

.のブラックスワン化に時間がかかっているという認識?

あまりにもナンセンスな不条理は前例の無いことといえばそれでもいい小説風.現実の遭遇が必然的に誘ったのは見事な超自然性.で予測はミストレスの店で行った.しばらくしていったら無かった.彼女の実家は知っているので消息を聞く気になればわかる.それとも無許可でモデル化して何かできるか..

ニーチェの永劫回帰の欠陥を見つけたというよりある実感に近い想定をあてはめただけ.人々はわかりうるといえばわかる事柄.多分にニーチェは+方向のみだから、+点も必要になる考えていた事柄がそれなのである.

線形管理は公式的に管理しやすい.失敗を避けて.それだと豪雨の予測がつかない.すなわち少なくとも非線形管理をしなければならない.自然がそうなのでようやくそんな時代になった感慨がある.

大台ケ原付近は雨の多いところと聞いている.それでも一挙に多量の雨だそうだ.

 
他者のチャレンジへの刺激になればそれが喜びこれでもいいな.ヒマラヤで想定するのはナンガの南面・ローツェの南面・Kはどこでも・エベレストはサウスコルからでよい..あともろもろ.実際にはある女性からの情報でヒルがいるのでトレッキングもどうかなという昔の当人でした.

カンブリア・単独登山は自分とのバランス問題だけだから競争は無いので自由.

日銀総裁の最近の話記事を読むと弱解的弁論に見えて現在ベストに近いものがあるように見えるのだけれど.

近現代史の掘り起こしはどこかのシンクタンクに任す.そんなことをやっていないようではシンクタンクではないだろうし情報の非対称性で無駄な徒労をする前に回避しておく.ちょっと視点を加えればケレンスキーからペレストロイカまでは楽だろうと推定して.レーガンの苛立ち・・・

カインとアベルよりマタイよりモーゼとアローンに記憶が個人的にはあり.

そもそも駆け込み訴えの作者にキリストに対してもろもろの世話やパンなどを用意できたとは思えない.何らかの怨念の強烈な願望をモデル化したものとしか考えられず.対象は父親?.

「あ」 と 幽  かす  かな叫び声をお挙げになった・と・旦那さま。あの人は、酷ひどい。酷い。はい。厭いやな奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない・の文章の結びつきは全く不明.世の人はなぜ後者の作品がいいのか.作者は実際には誰を念頭においていたのか.わからん.-自己正義化の仮想をした空想・幻想・妄想かな

世紀以上前以前の皇帝とかで、立場がその個人としては無政府的位相と似ているなと考えてみた.

やわらかいコスモポリタンならなんとなくいいかな

ウィキより”地域主義・地域共同体を支える立場としてのパトリオティズム愛郷主義とアナキストの考える中間集団主義はともに同じローカルな自律的相互扶助に基づく分権的再配分を行う共同体という意味で同じであるが、アナキストは国家や国境の廃絶を願う者として基本的に反パトリオットである
リビドーの塊のように常を生きているXX存在は、楽しそうであるがやけくそに見えないことも無い.多分に不満の解消だけであって満足感はないと記述を見るが、どんなものだろう.

プラザ合意にソビエトは含まれていない当然.東ドイツなども..

マズローの第4欲求は承認であった.


又厄介なことを考えついてしまった.ケレンスキーあたりからの近現代史の掘り起こしまたはざっとでは戦後のソビエト軍事費強調額でもいいか..ちょっと思考量なしだ.ただ個人的には流れはあっている.ちなみにチェルノブイリ事故で、.は?見えず...
あることを考えていて何十そんなことは数多く、今、ゲーデルの体感的な思考かなと思い、いささかがっかりしている.認識的対象のはずなんだけれど.

天神平か.しばらく行っていないな.

中間存在はその生存意識強という反映により結構タフであると思うことがしばしば.これは超関数と実解析の判断基準と混同しているかもしれない.本質台的XXが実在していそう.XYも当然いることになる.

ちょっと言いたくなるけれど煩わしさが出現しそうなので待ったをかけてフェイントずらしをして.大丈夫だったかな.どうにも...

優秀な財務省がなぜ有益な予算配分が出来ないのだろう.出来ていて今の情況なのだろうか.それとも他省の役割を尊重しているのだろうか. 

ネーターの保存則とワイルのゲージ不変性.局所対称性のランダムは他の変化で埋め合わせの考え方は、カオスを透過しているようにも思える.

いや結果的に無駄で利益を上げることはかって大いにあった.徒労にも意味があるか.利益の上がらないのを徒労と思っているが、かってあがった利益は意味がある

超人達の世界ではなく超人になれそうだということなのか.陽光のヌーンに異空間への想いなら正午にしたことがある街であった.

ファインマンは自然に経路積分を書くように若い頃からなっていた.ルート系発生のと同時代の知性でエントロピー同時性ありと思った.宇宙線で中間子・繰り込み湯川・朝永は同窓生とはが終わってさて..風呂へ入ってから読み出そう.それとも昼寝か.

ゾンビで二国間に残る不解消をどう考えるか.その国の風・段差や現在位置動向などを細かく考えるとどうにもならなくなる.素領域で瞬間に無限が成立する理論ならば解決していることになるけれど.

横3m位を見てそこにアイソトープがあると浮かんだ若き.これは何を示唆しているのか.宇宙線・重・三重素の核融合などが.たしか陽子もあったので核物理学的なことだな.重中では魚は住めず、植物もまずく、人間は多量摂取で体調異変を起こすと知る.


なんか思考がSFのようになってきて、空想・妄想・幻想も構わなくなりそうな雰囲気になってきた.

QCDが権力に関与しているとすると・例証例とすると人間は宇宙的になって、ある程度の大きさの無機的存在になってしまう.概略とこの時間では無機と無機の間に有機がある.最も人は普通に時間的に無機の中に位置していると思っている.

で終りなきで何かあったのを思い出して調べた.安部公房の終わりなき道の標べにであった.内容は読まず不明.これは箱男について. 終わりなき常の理由のような気がする.安部公房はポストモダン的だった?

最近、終りなき常という言葉を知って何か気になるワンパターンを感じていた.

消えてもいい連続が意識でそれの現実は実用上からの認識は困難だろう.

QCDの漸近線は権力構造のアナロジーに使えることを思いついた.これでは権力が無くなるということはとりあえず無いことになる.新たな視点が生まれれば別.

砂山のパラドックスを知ったというより、これで悩んでいた.直積を分離することが出来ないということに.双方に実数の足をつけて分離させるアイデアが閃いたが.橋は消えてもよいファジィ連続なものとしてみる.

日本の戦略って戦略という言葉は好みではない.又軽いイメージがある.方針は依存心をなくすことかな.思想的面からは.中央集権の意識が明治以来強いのなら、中央集権者たちが依存心をまずなくすことになる.推定無いと言う事は無いはずである.
一般に言論の自由というのは指示表出の自由のことを言っているはず.ここでは言論の自由とは当然自己表出の自由のことである.思考深度において外圧の圧力があるとニッチもサッチもいかなくなると境界時間に考えて、それから進んではいない.ところが自然には・・・

平板になっているな.つまらないなちょっと.引用が多すぎる.叙事的傾向と思考不足になっている点は否めない.例の評論家?の言葉を借りれば、自己表出ではなくて指示表出気味になっているから

最終経路積分ではなくて運命の経路積分だった.最終経路積分ならばある程度問題が片付いていることになってしまう.最終経路積分とは無意識が導いた大胆な言葉になっている・・・

関係の絶対性は思想と思想の相対関係のことか

自らの正当性のために個人的自然に強制的とも思える発言を受けたと思えると思った女性たちが数多くいる.これが関係に壁を作る羽目になった.時間遅延も又然り.男もいるか.自然・固有性を他者であるとする認識を一般に、無理解・誤解というが.


百科全書項目がかなりある.暗記力が落ちているのと記憶力を毎阻害されるこのごろで大変である. 百科全書項目は別に覚える必要も無いというスタンスだったが、新発見ということで流していく.


ロスチャイルドはその国の通貨発行権さえ手に入れば後はといったらしい.日本の通貨発行権に関しては財務省が最も力が強いのかな.

無駄も進化するといった人がいるけれど名言.徒労は無駄でその徒労ににもがかかり、貨幣要請あるところでは利益要請もあることにはたと気がつく.

大蔵省と財務省では感覚が異なり漠然としたものに今はなっている.データ類参考は別にこの心理とは異なる.


関係の絶対性は思想としては甘い感じがするな.キリスト教はユダヤ教に対して革命見たいなものとしても思えるので、それでマタイ伝か..まあ人それぞれではある.

陽光の光子エネルギーが外の雰囲気を変えてまたおさまりとなる.台風が過ぎ去ったかと思ったがまだ粘着している.

ひょっとしてあの自己内部の声かな.これをもたらしたのは他者であるだろう.対象関係の中での推定.

男の女に対する必然的関係というのは限定的・束縛的で自由が無いことを想起する.どうも必然が良くわからない.個人的な必然性という現象には何人も遭遇しているが必然性に気がつかなかった乱れていた?心理が残念であるとは思っている.この無自覚をもたらした要因は他者の阻害だろうと考え中

「関係の絶対的情況という心理的精神的位相」ならば関係の絶対性は理解できる.

マルクスボットの人間の人間に対する直接的、自然的、必然的関係は男の女に対する関係であるから、必然的関係がわからないので関係の絶対性を思い出したのである.

風は突然生理のように落ちた.このときの生理がまた良くわからない.漠然としてしていて.落ちるときになぜ生理になるのか.表現言語が無かったのか.関係の絶対性もわからんがこの生理もわからん.

また思い出して関係の絶対性について調べてみた.よくわからない.当人が例を挙げて説明すればよいものを都は思う.当人も説明しようが無いのか省略したのか.絶対がどれだけ続くのか・死ぬまでなのか。ならば宗教の戒律や教条的な思想と似ている概念である.

共産主義とユダヤ教は似ているとユダヤ人が述べていたことを読んだ記憶にある.エンゲルスの夢とフリーメーソンの考え方は似ているように想える.千年王国の夢なのだろう.

最終経路積分整理していて再度見かけたとか特異点の相互力学とかいい表現をたまには見つける.


ソリトンの差分やヒッグスのこじれあたりが現実としてのまず対象になっている.

スピノルが基準となる、と個人主義とか無縁とかゲゼルシャフトとかその他理由をつけられないことは無いが、1周すると720度になる説明は難しい.どうもゲマインとゲゼルを間違う.

依存性豊かな民族は漁夫の利を常に狙っているかそれともトーマス・モアのユートピアのように囲まれた天国を意図するか


ひょいと*歳の苦痛感を除去できた.何のことは無かった.無駄をさせる他者たちを思う.時間が解決してもその間の過程に様々な後悔・思考があって取り返しはつかない.時間は戻らない領域であるから.-また甦り繰り返しをしてしまう.


あの時一般的・ジェネラル感覚で意図ではない発言を彼女にしたことがミスの元であった気もする.その企業がそこに・著名に本にすでにあったから...

過渡期が終わりそうな世界状況.無理に過渡期を考えないで自然霧散のように消すのもいい考え方かな.実際の状況は引っ張ったようになっているのは正解と言えば正解だが、個人の問題がある.

過渡期などと思って結果的に引っ張りすぎた.またそうする理由がリアルすぎてあったからでもある.ただし論理的に納得はできない点があって悩んだ.結果は間違っていたが結果を変えるように個人的に作動した寄与は果たしてあるか.これは自らに対しての不自然を要求したことにもなっている.

logosphereか面白い.なんか考え方がある点で似ている.京都の街をある女性と歩いているときに、考えていた乱舞がそれである.当然のごとくnoosphereの概念は取り入れている.科学的証明などはそこでは問題ではなくそのように考えるのが現在当然の推定論理であったからである.


簡単なレースのリフレインで世界が落胆したといっているがそんなことは無い.修養が足りないということが歴然だから.そんな意味では柔道などでころっと実績のある強い人が負けるのもそういえる.なかなか心技体の心が難しいのは年齢的にも了解できる.勢いでいくのも手なのだろう.

 このようにやを用いると納得できる.やをやたら使えばというのはどうにも面白くない.あの正岡子規でさえそんなのがあったのでどうかなとは多少思った.因みに柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺にははいっていない.-きつつきや落ち葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子

要するに、管理社会において人民・国民を管理しなければならない中央集権者たちが、ネットによって監視されることになるのでやりずらいというのが縦構造の弁.

無機物豊かな宇宙の中での地球の生命体はその有機無機の間に関係として経済つまり貨幣を持つに至ったとまず考えてみる.それから先は歴史の直観をさっと見ている所なり..

地球上で生命の発生は一度きりというのはとても重要なことに思えてきた.展開の方程式ができそうな気もしている.

縦構造をスケーリングで置き換えていろいろな変形を施すとうまく説明できる気がする.これは縦型社会とかを現在的なしゃれた考え方とならないかと思った.スケーリング理論とは何か?

地球上に新たに生命体が発生しないというのが確か定説のはず.異端の発生説もあるが.新たな新種の発見はすでにあったものとなる.改めて思う地球上の生命数はすでに限定されている

ターミネーターのスカイネットが自我を持つというのは、明らかにこの地球上で新たな生命体が発生することを意味する.空想にかまけて滅茶苦茶なストーリーを構築していないか.ハリーポッターやカリビアンパイレーツなど全くドンキホーテなみのやたらめたくたとよく考えるとそうなる.比喩が違うか


映画「ターミネーター」の“スカイネット”が自我に目覚めた そんな設定だったか.自我に目覚めるとは空想未来で根拠は無く、そうなるだろうという淡い期待の元でしか考えられない.

ソリトンは無間地獄のようなもので人間にはきついワンパターン.波は津波ばかりではなく、荒波・サーフィン波・凪などもある.

かような誤解と主体疎外を強制する言明一般はデメリットの言葉でまとまる.全体ではまさにデメリットの必然性が生じたその原因が不明で.愚かな強制力に気がつかなかったか.個人的資質の問題なのかなんともわからない.現実常識の圧力かな.

遭遇した存在から不快な言明を受けて、その発言によって何が起こっても責任は持たないよ.知らない.その発言者に責任があるという思いは動機がよろしくない気もするが、ただ発言すればよいという無責任さは不快なので.


シューベルトのマスもしゃれたスマートな曲である.懐疑派のうるさいのがいて楽しそうにマスが泳いでいてもいいではないかと思ったことがある.中国哲学の恵施がここに登場したのだが懐疑に言っても煩わしいと思い込んだことがある.懐疑が詭弁をもたらすと今思ったが.

あの名曲・白バラのにおう夕べはの作曲者はペスタロッチの弟子で、明治の音楽教育の参考になった人物だったとは.ペスタロッチは小学校のころから文句無く・・

ディラックの負の確率とはびっくりのアイデア.起こりうる事象がより小さい可能性.


共同幻想上の結論ではなく、個人的思考の過程を・今のアイデアを述べると、一般に混沌と取られる可能性を見る.がしかしフラクタルの自由過程と思っているので面白いのだが.結論は過ぎ去った結果であるに過ぎないとも言える.


もちろん君は好みの存在です.実体がよく似合う.けれど不快な言明の記憶がその対称領域においてあると、好むことができなくなってしまう愚劣さ.とてもつまらなくなる嫌悪感という存在の実在性.

さる極点の権力志向存在に幻滅の馬鹿らしさを感じると、どうにも準拠をまともに認識し得なくなって困ってしまった記憶を引きずって.
それにしても態度行為がものの見事に嫌い・いやだということばかり取った女性もいたな.不思議に良くわからない.多少は好むことも言うだろうと思うが全く無し.この時男でも全く意図と正反対のことばかり述べるのがいた.もちろん好むわけが無い.記憶にある不快さ.この辺きっと災いしているな.

経験的印象では沈黙は肯定ととられた節がある.否定だったけれど クロモグラニンAを知らなかった.肉体疲労より精神緊張時において分泌というストレスマーカー.

叙事的女性の主張・権力志向明らかな粘着性も疲れすぎてうんざりしすぎるものだ

さる女性の諦念時間認識を待っていたことは非常に愚かなことであったことに気がついた.おぅなんという無駄だ.こんな女性が社会でツッパテいると馬鹿らしいので何もする気がしなくなるという不毛を構築してしまって...
XXにもフロイトの肛門期存在がいて、その存在は一生子供であることになる.なんとばかばかしいことだ.母性の欠如は明らか過ぎる.アダルトチルドレンというのは人間の歴史を突破できない個人の問題のはずだけれど、一生性が出てくると一般事象になる.男はだから子供なのよの逆も成立してしまう.
人はいずれにしてもこのように思考しているという個人のみの論文を何枚も書いたことあるけれど、すっかり忘れてしまっている.というよりまったくこの思考を関与せず価値不分明の共同主義女性たちの反意語の圧力にうんざりしてしまっていることにもある.だが潜在感覚で了解してしまう女性たちも多い
jurga turbut kaifa pagavo
vidimosekasnije! Beograd..kyoumo tokyo e ikuno? これも懐かしく
昔の年位前のノートを引っ張り出してみた.XMLでXMLT/DOM/SAx/ DTDなどの文字が..そう言えばnamespace in XMLでnamespaceは便利だと思ったな.XLinkデニソワ人とメラネシア人?.途中の距離的過程における時間の間で南・東南アジア人との関係はこれからの研究か..あるいは日本人とも 
宗教・そういえばここに妥協をせずにリスクもものともせずのものがあった.宗教戦争や対立事項紛争・戒律などなど.互いに妥協しないから多様性は消えない.ゆえに統一は「多様教」であればできることになる.と今日考えていた.
年代から変化したというの複数以上見かけたがどうにもよくわからん.そんな気になったことは無い.そうなのか?.もしそうであるならばある考えが素直に時間設定できることになる.
人間不平等起源論はルソー。どうにも生理・心理・物理などは異なるので平等を行うためには重みの差を用いなければならないことになる
”オッペンハイマーのバークレーの町の彼方には「怒りの葡萄」の地が広がり・・時は大恐慌の絶頂期だった”(セカンド・クリエイションの作者が良いのか訳者が良いのか)デミアンは読む気しなかったが怒りの葡萄は読んだ・怒りの葡萄のこの中身の濃さは何だと思った濃縮度の記憶あり

体力の必要性はもし他者に当てはめるのなら相当でないと無理の設定を初期からしている.ルパールに関しての設定.ちょっと創作者に回ってきているような方法を若干とっているために多くの現実が見果てて行く.
穴の中に落ちてアウトの場合、滑稽なことなのだけれどアウトとなると沈黙の要請が発生する.つまり滑稽というのは笑っていられるようなものではないと思っている.笑うなら快挙の達成の喜びではないのか.
詩学と詩論は修辞学を気にしない遊びと思っているゆえに読まない.ウェルギリウスについては校舎の階段の踊り場で転校する事を知らなかった存在のあった中学生の時には知っていた.
ウェルギリウスにホラーティウスという友がいた. 
I-型潜水艦を完成させていた日本.西海岸を生物兵器で攻撃する案は人道的に中止・パナマ運河の閘門を爆破も中止..そんな大戦後の潜水艦の原型ともいえるものを年までに造っていたとは初めて知った.
優越感が無いと他者に親切にできないという思いを受ける天上天下唯我独尊.一般にそんな現象は多くある.中央集権で権力・権威を持っている存在が配下としての存在に親切にすべくお上意識を植え付けるのもその例.まあ受け入れる存在も諸行無常感で答えてしまう国もある.
天上天下唯我独尊という逸話はやはりこの世で尊重されるべき人材は釈迦だけであると解釈してしまう.これは際限なき欲望の極限的なものを意味していると.神にも等しい人間とも取れる.傲慢すぎる人間とも取れる.うがった見方をすればそうでないと利他能力は発揮できないとか.
QCDにおいて自由な場合はp-進数で束縛距離はその逆数か実数というように、抵抗度を基準にしてみると言えない事もない.
仏教は無量数で無限(数)を比喩している.で法華経ですべての人間は仏性を持っているというとき、人々はこの無量数はわかるのでこれを無限認識とすると、中間存在はいないことになる.この解釈でいいのか.これは実用上の意識が強すぎる一生の場合を除いたものと考えざるを得ない.
第一に中間存在には普遍や無限がわからない.志向をする情熱体力は強いが.そのような人は一杯いる.特にサスペンスが普通と思っている人は中間存在的人間の特徴である.
欲望に際限がないのが人間と聞くけれど、普遍や無限をわかっていればそんなに欲望を気にすることはない.無限の欲望などというものがあるか.普遍・無限をわからない無知蒙昧の大げさな認識ではないか.

まあ超弦などもそういえなくもない.還元要素組み立て式.ただ証明が困難なところが今のところよい.

世紀はスピノル基準の時代というのを見かけたが、スピノル基準は単に要素主義の思考ではないかとそう今思った.

宗教というものもどうも各々のそれらによって、戒律が異なる教条を成立させているのが現実である.ということは少なくともそれらの宗教は普遍性を持っていないことになるが、多様性を持った宗教があればそれらをまとめることができる.

どうもむちゃくちゃな空想小説が多い気がする.メルヘンやファンタジーは全くそうである.およそありえない物語はリビドー・S領域の夢を顕現させた冷静思考状態のものかな.事実は小説より平凡であるということになる.

蜘蛛の糸を伝って登れる事自体が不可能で、何も一度ならず複数回の善行をしているのも多数いるだろうし、一度だけをピックアップするのもおかしく、また釈迦というのは何だろうむしろこれは集団意識の日本人の意識構造の無意識現れではないのか.こんな小説を書いていると漠とした不安が生じるだろう

小学生の時にカンダダの物語を知って以来不快な気分を持っている.暗黒空間に白い光沢の光る蜘蛛の糸があって、にこやかな空間に釈迦らしき観音菩薩像がいる.蜘蛛の糸の上部に一人の主人公下方に無数の人材たちが群がっている.群っているのが変だ.射影的で直線状のはずと想像しなければならない.
あのころはRNAをとりあえず考察してみるかだった.ただし感覚的にRNAは気持ち悪いイメージがある.
そうなるとスピナーとリーマン予想が結びついてくるか、それとL関数との関連もあることになりそうだ.
 積極的自由と荀子の性悪説の関係は強そうだ.性善説は消極的自由の感が強いことになる.性即理は宗教的香りあり.
中国はインドネシアはまたその他の国々もそれぞれの主たる国民のものだけではないと言わなければ矛盾になる.往々にして叙事的人間は処理のために矛盾を考慮しないからな.処理なのか管理なのかが優越しているために.
ディラックは量子電磁力学の新理論に達した時恐怖に襲われた.原子の周囲及び内部の空間は幽霊粒子の沸き立つスープで満たされていることになった.-セカンドクリエイションより.---肝心なこのことをずっと後になって知る知見の遅さはいかんともしがたい.クリエイションの不安はそうだろうとは了
 カスパルハウザーの歌 冒頭 平井俊夫訳 真実彼は太陽を愛していた。紫となって丘を落ちた太陽を森の小径や歌を歌う黒い鳥を そうして緑の歓喜を彼は愛していた -吉村博次訳 彼は本当に愛していた,深紅に丘を下ってゆく太陽を、森の道を、歌う黒鶫と緑の喜びを
人間とは有限外オートマトンであるとある人物に言って以来何年経たのだろうか。思惟の法則があればなどと戯れに想った形式有限性の意味なきことをわかってはいたが不完全性定理の希望?は知らなかったあの時。
グローバル人材とバベルの塔の話はどこで結びつくか?.はてまたそれぞれの一神教は何を考えているのか.日本のような多神教感覚の国はどうなるか.多様性ならば多神教のほうが優位であるとも思う.しかし日本には縄文の一神教的伝統が当然残っている.

でまず考えたことを思い出すのは、新約のユダの死は新約サイトからはキリストを裏切ってはだめだよという戒めの意味があるとすると理解できること.
頭脳が最大値位相になってしまったのを今日ようやく直せた感じ.後はある歌手を思考中に頭の破裂感覚を直さないと.
睥睨型人間のアドバイスは自由の阻害にしかならない.ゆえにアドバイスにはならない.不愉快な経験から.
 戯れに急いで見るたそがれは、深夜の気配を秋近くに想いを馳せて来たころ静かに回る扇風機のそよ風. aquariusのビタミンに粉茶を携えて、天気予報などを見ている時、おもむろに何を為すということもなく....
 脊髄反射を平然と日常に使える存在の理由がわからないな.見た目には カザノヴァ型で欲望人間で行動的な人材のような.オリンピック柔道で金メダルを取るような人材ならその脊髄反射能力には見るべきものがあるかとは思う.で太宰治はどうもカザノヴァ型の人間であるようだ.実存の香りも高いな.

一将功なりて万骨枯るのときに選挙を考えると、一将はただの一票しかないけれど万骨は万票を持っている.もっとも当選者を一将とすれば万骨は投票者であるけれど.フラットに見ると万骨のほうが選挙に関しては優位である.数が多い.

女王コンプレックスの女性がいるとする.女王は一将功なりて万骨枯ると同様な位相心理なのでこれも万骨を犠牲にしているようだと少子化になる.つまり蟻でも蜂でもない人間はそう子供を多く作れるわけではない.

睥睨・叙事・共和国となると愛の欠如を感じる.考えを進めると愛は家族的で叙事的存在の家庭には愛より権力が強く出ているはず.これらの飛躍として愛なきゆえに少子化になっているとも考えた..

どうも人は、一生にできることは限られているという社会構造によって、物事をあきらめてなるようになると考えてしまうのではないか.

ローマ帝国様どうにかしてくださいませ というある人格棄損者(見かけた言葉)の駆け込み訴えが不快でしょうがない.結局その存在はキリストにはなれない才能でしかないはずで、新約がなぜこんな設定をしているのかさっぱりわからない.

ソリトンの切断などということを考えた.とすると津波に対して爆弾投下で弱めるか分散させるかのことはできないかと思考を援用する.今回の災害のエネルギーはそうやわなものではないのでそれなりの規模の爆発を起こさないとで無理だな.kdvのポイント解析点に連鎖的に落とせばいくらかはと思うが.
 コセクターが経済思考に有効かとタグを見ながら閃いた.対称のずれは飛躍しすぎとは思う貿易出支調整..この辺の塊を結びつけるような理論を誰か考えないのか...
セカンドクリエイション上P-ロバート・サーバー”一方、もし波束を空間の狭い場所に限ろうとするなら、運動量の広がりを非常に大きくして、波が他の場所では干渉で消えるようにしなければなりません.”ロスアラモス入門書の著者だった

粒子化にすることだ.密かにまず作用を与えることとして.最初にロゴスありきなので.先に意図論理・計画が無いと...
 自閉症は有限がもたらすと判断している・すなわち無限がこれを解消するが中間存在には困難を覚えるだろう.渋みは自閉症とほかの意味で関係しているかもしれない.

あくまでも個人的資質によるものだと思うけれど、いわゆる人々が渋いという感覚を好まない.渋いのは束縛感の強さを非常に感じて、拷問に値するという気分を感じる.で今日のあれこれで思った渋いという感じは自閉性があると.普通に渋いという現象は抵抗の摩擦力が強すぎる.



常同行動に言語・運動・姿勢・行為がある・ちょっと不思議なかつ不快な苛立ちを覚える存在現象にイメージが合う気がする.とすると躁病的自閉症はあるのか.いやあるだろう.

ソリトン型人間がいるとして、そのような人物はマラソンとかが向いているのではと思いついた.そういえば昔タイプが似ている?人物がいたな.今はTV解説なんぞをしているときがあるが.

軌道の間に海があることになる.ディラックの箇所にさしかかってきた.軽い自叙伝的なので面白い.過ぎたところでハイゼンベルグとシュレディンガーにパウリ・ボーア・ボルンなどを巻き込んでそんな相克あったことを知る.楽しく愉快な気分を持つ.
とすると切断のモジュライになってくるというのがある人物の限界だったようなのである?.こうなると人間が生きていることにしみじみとした感慨を覚えずにはいられない.難解の塊が十分に生きても過ぎ去ってしまうとむなしさが発生してしまう感情移入を想起する..

いやその多価の感覚が垂直方向の上下をする狂暴さというのは複数軌道に隙間のある不連続が成立するから.

パルスに多価関数があれば説明できる叙事的変容・アスペルガーかうつ病的(頑固)健康存在
 インスタントンはがっかりでソリトンは忙しくきつくまた不快.無間地獄のようなソリトンあるいは津波.一定すぎる拷問のようなもの.ソリトンにゆったりは無理だろうから.

同心円が同心円であるのは核の周りを電子が軌道を描いていることからとも言える.無意識の見えないところを現実に射影・アフィンしている.事象ではあたりまえだけれど---家父長なども同心円の陽子の投影になっていると先天性に切り込んでみて.

自己組織化だけではなんともシンプルで衝撃面の不連続もありそうな自律市場

どうやらポストモダンのころから時間が流れ・動いた個人的固有感.いやむしろもっとその前から..

プラトンの哲学に必要な幾何学は最小要素が微小な直角三角形だったか.不快だったプラトンの幾何学は見たこともないティマイオスに集約されているらしい.イデアと最小要素思考はいいとして-プラトンが最小要素を考えていたのならライプニッツはどうなるんだ.

山の木の根を踏むがどうのこうのというのを見た.バリエーションというか藪こぎはだめになる.岩は無機物でいいのか.それより日本列島改造で山頂近くに高速のあるところなどあるのだが.

ある人物の関係の絶対性はホーリートライアングルの勝者ゆえかな.時間のいきさつは知らない.絶対という言葉に押し込めた宗教・教条認識意識とも言えそうだ.絶対というのは死を超越した時間範囲を今直感した.

焚書がGHQにおいて行われたというのを読んだ.ちょっとショック.焚書坑儒は昔から書物焚き火の映像が浮かんでよく覚えている.復活・復権が必要-弱複雑性耐性の為したことにはなるが.

パスカルの実存かよ.ちょっとどきどきするな.でもパスカルの実存が現実に想起したときはもう何年も前で、遅延対処で興奮気味なるのはどうか..時間の遅延は正解なのかそれともパスでよろしいか.
シューベルトの閉包が未完成ではなくて、中国の余りは向こう側に回り込まないのか.数学もポエジーのような言葉が頻発してきている
 「シュレーディンガーの猫」って何?.この装置がなぜ量子になる.肉眼で明らかに見えるのに.では人間の身体の中の電子などはどうなる.ここには気が考慮対象となりそうだが.

ミストレスのところでソシュールも考えていたのに.勿論彼女は太宰治なんかではないのではあるが-太宰治じゃないんかというのは冗句ですよ.このことをけろっと忘れていて他の女性に太宰治じゃないと言われ、その時に気がつかず今はこの展開の愚劣さに取り返しのつかない時間を覚えることとなった.

ミストレスの店で彼女を前にしながら、沸騰した頭を忘れきって--理性で制御した面もある--ショウペンハウアーかゲーテの色彩論を読もうかなと考えたあの頃.彼女の反応がわからなくて、太宰治じゃないんかとその通時的長さ・しつこさ?に対して揶揄した無発言の内的思考がのちに悩みを齎した..

相補論のボーアは作文が苦手にもかかわらずコンマ一個の削除にも抵抗した.思考はそばに連れを指名して独り言をいうのが常であった.連れは単なる刺激反応存在で、連れの思考は関係なく、独言を言いながら思考を重ねていた.-そんな人物だったんだ.
リンクチェックに時間がかかるので記憶を用いたほうが良いとは思うが、性的人間かつ弱複雑性耐性が振動数の高さを持って阻害する.他者の主権を尊重できない権力志向者は疲れすぎる.特にXXがそうであるならば不味の粘着陶酔に向かい過ぎる...

暗記力などはもはや使わ無いと思ってから久しく、いざ記憶力を用いようとしてもうまく行かず.暗記で試験というものは記憶媒体がセマンティックなものであるならば器械と同じと思う事による.人間は器械ではなくまた機械でもない.

功利主義は正規分布に比例しているか.機能的側面が高いかも.

量子もつれは時間も超越することであるので、それに対しての現象に悩んでいる.もつれの現状価値観の無意味さにおいて.ただしもつれは必然性なのでこの無意味は意味が無いと困る.無意味ということに意味があることが説明できない...もつれの現実還元に何かある---多元世界を一様にしない?


Jarzynski等式なるものが年に発見される--これも時間稼ぎに入れておいて.分布にロジスティック分布があって正規分布との差異は見た目に尖度の差.--尤度のイメージ彼女も魅惑の存在だった.
こんな多くの文の中からはっとする文章に遭遇することは全くの楽しみである.”文化や思想といったものは通時的に伝わっていきますが”、-ベルナール・スティグレールについてのある文面から 
共同的分かち合いは明らかに縄文に由来すると考えるので、時間はパス.護送船団式も縄文由来かな?.この社会的人間関係の四つの尺度水準にはストレスを感じる.東洋的専制と分類の論理-太平洋戦争はこの対比を概観させる.

 パーコレーション理論は火事の際の延焼域に関連しているようだ.森林火災はこの理論によるのかあえて消化しない場合があるという不思議なケースを聞いたことがある.

無限に対して有限が邪魔をする.有限が依存する教条が阻害となる-とか 

共通了解が見出しにくい生物多様性”生物多様性では、「種の多様性」「遺伝的な多様性」「生態系の多様性」がつの柱とされています。しかし問題は、このつが互いに相矛盾する側面を持っているということです。”

レゾルベントの境界値の差をスペクトル分解定理に使っている.魅惑のレゾルベント彼女とは相合傘まで.然し魅力ある女性がいる...

チベットのモーツァルトは縁起に対しての中沢新一の取り組みだったのか.意図はいいのでしょう.無分節化と未分化は似ているような差異がある.”基本的な考え方は、無分節化とそれを通り越した分節的把握をらせん状に往復する禅と一緒のように思われる”
Poeta Doctus(詩人哲学者)から--(詩人哲学者とは初めて知る・幻の哲学詩) カノコユリは百年の想いを秘めて原発の前に咲く
意外に宮沢賢治センスあるな.春と修羅冒頭 青空文庫から--心象のはひいろはがねから あけびのつるはくもにからまり のばらのやぶや腐植の湿地 いちめんのいちめんの諂曲 てんごく 模様 (正午の管楽 くわんがく よりもしげく  琥珀のかけらがそそぐとき) いかりのにがさまた青さ

コードが苦手・センスの問題であろうが、コードに関しては知り合いは簡単だ.ある時国立音大性に#などがいくつあろうとただの記号で何でもないと.絶対音感に近いものを持っていたとは思っていたのに.作曲は非常にそのほんのちょっとのトライでも非常に疲れる.こんな頭も世にはもあるだろう.

あの頃、ギターと戯れていてトレモロが連続しないのに不快であったアルハンブラ.ネットで聴くと結構つながらい人多い.イエペスはまあつながっている.

リゲティの微分音程?をキューブリックが年で使った・・年ではなんといっても青きドナウに酔ったことがあり.

戦艦ポチョムキンの名前はよく知っているけれど見たことない.アンタッチャブルの乳母車の落下シーンはハイライトだったか.スローシーンで取り入れかなるほどと思う.


神聖型はどうも頭脳が明晰で悩むことはない.悩まない人生は楽であるように見える.でも明晰で悩まないということは老子的に俗物になる.神聖が俗的ということと一致するのはどんな意味がある.星屑と汚物というEU概念を見た記憶ある.意味の対照の矛盾同時空間に最近遭遇する.不条理の顕現?
チェレンコフ放射は粒子による円錐衝撃波だそうで.となると射影の無限遠点は今の位置は無限遠点からの距離にも見る.ただしその距離は一点の集まりと思って、平行円錐などというものを考えることになる.

波として読むか粒子としてするか.日常でもモードロッキングを用いて見る.

摂食抑制ホルモン・レプチンの濃度--心理の寄与があると思う.

神経細胞の未分化ものなら分裂をする.ES細胞は別にして未分化は概念として持っている.何も知らない人が新しいことを始めることを未分化の価値としてみること.

テロメアとHayflick Limitは関係あるな.生き急いだ日々を反省して生き緩慢にというのもうまくいかない個体の一意性. Hayflick Limitの発見から老化研究の最前線へ


内部自由度なき相転移ならば当てはまりそう.個体の一意性からそのパターンは決定してしまう.軌道のアナロジーにもなってくる.

”粘弾性相分離現象は動的に非対称な系において普遍的に発生する”変容型の深層現象で非対称の実在の証明がよくわからないが、適合する心理がありそうだ.

δ波まで脳波にあるとは.波であるならばド・ブロイ波も考慮できる

楕円曲線は無限遠で平行線が交わることになっているのを知る.射影は好まないので.そうも言っていられないことになってきた.射影には変容した神聖のペーソスが豊かなのでその悲愴が感性に響きすぎる.ともかく平行線が交わる暗号ではという思いがある.双曲線は漸近線と交わらないのかな.

個人的には叙事的というより射影型が問題に見える.射影空間は一様性顕著だからもあるが、アフィンとの関係がある.アフィンはなんとなく直感がその言葉を選んだだけで射影は気にしなかった.メタ或いは昇華空間といった方があっている.

疾走する機能の自転車操業のような時間は味がない単線のようなものだ.太い単線もあるが多くは細い曲状線である.多層・重層線の自由が普通


年に関しては時間的に意識できることがあるがまさか.まさかがあるとしても無謀な女性たちが邪魔をするので知りませんという形の方が強くなる.

気になっているジャック・アタリの監視国家は政府による監視のことかな.ネット情報からの.どうもそのようである.アタリの提言の波は現実に起こっているものもある.果たして博愛は出来るようになるのか.これはエンゲルスの夢にも似ている資本の主義からの急撃意識か或いは歴史の当然の時間なのか


漸近的自由性に関しては、嫌な女性が離れる時に束縛意識を発するケースもあって、これが俗にいう嫌いな女性に愛されることは地獄である・不幸なことということになる.全くの徒労であり何故か個人的にはそんなケースが災いする.権力が不快な場合もにているな.まあ好みの女性は邪魔をしない.

遠距離の恋人達が会って離れるときの心情・一般に恋人たちのデートが終わるときの心情と会っている時の自由な感情は漸近的自由性をよくアナロジー.一応-南部陽一郎はその後獲得

中学生の頃?に抱いていた疑問.過去の知識がそう判断させるのか.この宇宙の距離感に対して心のなかではそこにあるというように.考えることができる.数千億光年の数千億倍も大きいが最近は何百京時間後の未来などという文を見てとても考えられんと思った.無限宇宙のうちには含まれるが...

LET IT BE は頭が狂う.余計なお世話.個人的記憶.
コンビニで空海の実筆文字を見た.基本はきちんとしているが行書草書が大部分でもあったので、筆を選ばずの根拠がよくわからなかった.これがうまいと思える人物は達人なのだろう.明朝体ならなんとか区別できる気はした.

偽善は公共の圧力があるんだ.特に名誉の伝統のある国では.武士は食わねど高楊枝などという言葉もある.士農工商の流れの中で、商士農工等の場合も.Geld ist mammon(Reichtums)か.確かマルクスからmammonの記憶がある.軽蔑的言語でアラム語と関係がある?.

散在群はエルゴードへ向かっている中間過程が浮かんだ.多分そうだろう.時間を稼げたということ.

超人ハルクはiPS細胞の時代でも意味があるか.iPSはクーロンで想定できる放射能多量浴びた結果とは異なる.今回の映画・年度もガンマ線を用いてはいる.

影とするとリーマン面の解釈ができる---意識の流れならぬ思考の流れの表現をしてみて.ジェイムズやベルグソンの純粋持続などからの離散的な場合.

虚数だと局所が出てくるし(人々は考えやがる)、DNAの二重螺旋の方が説明しやすいか

ヒルベルトを捻るかクリプキの様相可能性を持ってくるか.潜在というか見えないものの存在考慮

この地上でどのような現象が起きていようと・どのような生活をしていようと、人々にとって物理地球時間では同一であることは意味がある.むしろこれを無意識にせよ当然の前提としている.

タレブやルービニ・その実力故か簡明表現者や経済主体がテールリスク喚起期待者とか.ふむふむ.

最近は教条肉体保有者の無変化による圧力のためか思考が萎えて考えられなくなっている.正規分布はチリも積もれば(山となる)ベル・カーブを描くが如実に示していること.

正規分布は当然過ぎて当たり前、その辺に転がっている石ころのようなものとは思っていた時がある.それ故にタレブだけれど.現実の流れではガウス分布のように考えざるを得ない現状は、まだ過程と言わざるを得ない.こんなに時間がかかるのか.これでは無為やんぬるかな.

言語ゲームの不愉快な言葉を用いた理由がようやくわかる.””『哲学的文法』第一部節--言語と現実のあいだの結合は言葉の説明によってもたらされる。 これは文法に属することであり、 したがって言語はそれだけで完結したものとして、 自律性を保ちうるのである.

なんでこれがあるのか.選択公理の参考だったのだろう.アイダホはあのポテトと共に映画のナルコレプシー場面が印象的(レビュー?だったかな.見てはいない). 
ここでの展開はある難点から来ているはずだけれど行動心理的なものとしてう追求しない.つまり仮定を設定しなければならないということウィトゲンシュタインのパラドックス 

チャイナネットは結構面白い.平壌に世界最高高のホテルができているなど全然知らなかった.中国に関しては大陸が膨らんでいる印象しかうけないこの頃.膨張は半群で線形なので歪が出る時代なのだけれど.米国は世界の警察をやってうまく調整してきた.

どうでもいいと思っていることが現状社会流れで考えると結構重要になっている.これらは個人的な面と接点になっているか.ゲーデルの定理が浮かんできている今日この頃
実軸を跳ぶとは--逆に考えていたのでわからなかった.実軸で収束すると.どうにも説明がつかず.なんのことはなかった?.

第一受動刺激は.とそう変わらない.後はそれが続くかどうかを無意識に判断してしまう.

ちなみに斯様な存在は明晰を第一義とするので老子の呻吟は後方に退避する.明晰を第一義とすると極端や複雑性弱忍耐性が生まれる


権力志向・権力的存在はフロイトの肛門的時間存在である考えを払拭できない.束縛したがる対象を自らと同様な存在か乳飲み子に見たがる.で生殖器的存在の悩みが発生する.これらの差異は経験時間ではなくて先天的に発生している事が多い.生ついての権力志向者や大人が實在するということになる.

方向の異なることをアイデアしていると、浮かんだことをすぐに忘れてしまいどうしても直後に近いのに思い出せない.メモを心がけるというのがあるけれど、 これは先鞭意識が介在しているなと思う.

実在の対は空在かな.叙事的存在は実在しか考えないか・実在度が高いようである.処理は得意だけれど単純処理化しがちかな.一様性をバックボーンにして・・.非在とか虚在とかも考えられる.

コセクタにスピナーを持ってくるとか懐かしの保留のディンキンの出現。これはムーンシャインの所などのやはり時間の埋め込みからの脱出.保留時間はブラックホールのイメージが浮かんできてはいる.

コセクタとムーディはなんとなく、でもf(+)-(-)とリアルからのDの関連は離散を呈している.結局微方を埋めないとでパンルヴェ.

フェニルケトン尿症を何故リンクしてあったのか.ヨウ素被害の可能性からかな.ウィキには他にも聞いたことのない症状が載っている.それで乳糖不耐症が消化酵素・ラクターゼ減少によるものと知る.

簡単なことは複雑の集積の上に成立しているかな.人間の腸の襞はフラクタル構造.心臓の脈は微細な調節の結果一分間に平均値を出すので不整脈が出てくることになるとか.そんな身体が簡単な理解をしているからといって、そう簡単には考え難いが実用現実がある.がその現実も複雑構造が作っている.

Rのn次元のCで接続を考えるならなんとなくΓを想定しうる.概観を朧に見てヒルベルト-リーマンならばなんとか.その前に旗が扇子にひっかかるものとしている.

嫌な事を数多く避けてきた.その割に徒労の呪われているかのように今無駄で悩んでいる.この時好むことを実際は避けてきたのではないか.機会費用を混乱化させているかも.
 モートン・ソルトはエルゴード的でカミオカンデとはちょっと違うようだ.

アルファタッチのいわゆる洗練言語は用いないようにしているので使えなくなっているかな.洗錬が成立する根拠は性的優雅意識観点であるはず以外は考えられない.ある空間はそんなことはない位相で、内容は混沌といえばそう言える.

とすると・・理想境界の調和をビッグ・バンと見るアイデアを思い浮かべて.

BPSソリトン---”その力学は低エネルギーでゲージ理論とみなせて・・・”面白く楽しい文を見つけた.そのまま流れを見る.余剰はひょっとしてひょっとする人類の知恵とすると・・ランドールには見えないだろうが..

 確かセカンド・クリエイション(素粒子物理学を創った人々・早川書房)に収束は複雑な方が速いとあったはず.引っ張り出してもその文が見つからない代わりに、面白いので再度上下に目を通そう.一方的に増えるばかりとかハイパーインフレ(デノミはひとつの一様性)とかに対処方法の考察過程として

現に数数多起きている戦争の歴史をどう考えるか.ちょっと興味あって.一応類続が斉一原理であるならば、類続の圧力が人にはあると思っている.ただし経験者でも連続者などがいるから叙事的叙情的心の差異も考慮芦

ツイッターが変わった.夏から変わったとかブームが終わったとかはやはり震災があったからか.俗的アナーキーで議論発生一応ランダムというのは面白いと思うが.そもそも震災で変わったということは線形としてプログラムがあるからになる.震災以前から非線形・ブラック・スワンであるとそのまま・・・
永劫回帰は反復を意志すること”と言っているある人がいる.全く回帰的周期論とどう違うのか.要するに周期であると言っているのに.その周期が何回続くのかニーチェは述べていないはず.空想・夢想になっていく可能性から、ニーチェは自らを道化師とも言ったのかな.

昔、読み始めた緑色のセンチくらいの暑さのミクロ経済学からの直感では、経済に専門家がいても不思議ではないと思ったことがある.まあ剰余価値が浮かびその後精米所のところで地代などを浮かべたのでこれらは意味があると思っている.なんかマルクス的な気もする.
 ともかく個でいいので、他はパスなんだけれど依存心を教条化している他が煩わしい障害物になる.勿論社会は相対関係ではある.

政治経済論もそれぞれ一理あって偏向するとまずいと思うので、とりあえず中庸調和政治経済を志向していると無意識を見る自己分析.他者の動向を考慮する場合はそう見る.勿論ある思考形式の実践を望んでいるのは当然.表出の検証がよくわからん.個を優先しなくもないから

どうでもいいと思ったものに悩む傾向があるな.なぜか.不快の除去の困難と直感のパス感覚に差異があるのか.

祈りを込めては中尾ミエか.なんか安心感あるエンターティナー.長谷川きよしってあの盲目の?.独りしかいないよな司会がストレートに名前をいうのは.なんだ岡村孝子はネットのイメージと違うね.

静止質量が光速で動いている--ついにE=mc^についてイメージができた.ここ数日間集中して考えていた.さて次の難点だ.

マネタリズムはeで決着とよんだのでひとつ緩和.個人的にはマネタリズムは終わる終わらないの問題ではないな.取り込まれ現象はあるかも知れない.  #defle

積分している秋の空気に無数のベージュが群れ飛ぶセピアの土の上で、覆水は盆が壊れたのではなく水がスピルしたのだった...こんな書き出しはちょっとムードが合わないアルファタッチなのだけれどどこかに書いてある.

gradはそんなに便利・rotは外積・divは内積--全くの怠慢を覚えずにはいられない.ショックというのは時間の取り返しができないこと.時間を無駄にしたこと.覆水は一方的場では盆に戻らない.なんか記述しながらある女性がちらちら薄く浮かぶけれど何だったか.


流動性の罠のようなものがあるとして、それをミクロ展開応用のような話になっている.流動性を破る提言か.明らかに担保なしの場合.グラミン的仕事があればいいかな.できない経済アイデアとも言えなくもない.パートとあまりかわらないか.


懐かしのイデア領域に浮かんだ摂動・物理空間ではなかった位相として思い出す.どうかするとよく見かけるグリーン関数が介在してくるとは知らなかった.何やかやでハーディが出てくることが予測できるので、今考えている可能ならばの対象に経済工学などいう範疇があるかも知れない.

インパルス応答-叙事的存在の有限衝動を考えるに使うまでもない.生理エネルギーのポテンシャル過多というのは、バイタリティ強き身体的存在であって、脊髄反射を多用するように動物的存在に近くなる-ところまではわかっている.この脊髄反射-直覚的反応を減らそうとしても、先天的特質が許さない.

有限しか可能でない人間の保存本能が釘を打つと考える.無限次元でそんなことをする必要はないというのは経験則であるが.

整理月まだ/の段階.これが終わったら勉強すべきことがいっぱいある.今こんなに猛烈に頭を使う情況を持ってもいいのかといくらかは思う.サボりすぎたか.

月にはマンデルブローの死去ニュースを去年の月のものなのに、間違ってツイートしたことがあったことをすっかり忘れていた.元となったニュースアカウントを最近見ないなぁ.どちらかというと見たくないのが正解だけれど.

あの時は確か直江津にぶらっといた.誰もいない町並みを抜けて遊泳禁止の日本海の水と一時戯れて、食堂でうどんを食べている時にニュースで大阪行がどうのこうのの音が聞こえた.衝撃はあったけれど別にと思った.今にニュースになる御巣鷹山の日航機墜落事故の個人的一報

プラザ合意と御巣鷹山事故は同一年だった.当たり前のことながら日本自体が比較優位の渦の中であることに気がついた. #defle

このまま人口が増えると地球開発が進みバブルになってその後はデフレになることを考えてしまう.どこかの国が先鞭をつけているような気もする.
パックス・アメリカーナにしても中国朝貢的にしても、それはトーマス・モアのユートピアに似ていることを知る.ユートピアとアナーキーの平和自由を勘違いしていた.ユートピアは守られて成立でアナーキーの平和は自立の自由.

弘法筆を選ばずのわかる人はそう多くはないのと思うし、わかっても対象域が異なれば世界が違うはずであるし、中途の人が多いはずなので自由に発言をして、あとはツイッターの自己組織化に任せるという考え方.中途でも諦念がわかる人は多い点がツイッターに限らず特色を示す民族.


整理が月までデータ羅列として終わった.背骨が疲れる.加工の意図あるが、なんか今の頭脳状況において定性的すぎて、発展しそうにもない・・・

ゲマインがゲゼルを志向しようとゲマインの環境・風土はその個人にとってのひとつの個性である.逆もあり.--東京集中の論理はなんだったか.

仏の高校生が哲学必修ならば日本で倫理社会を高校生がやっても良い理由だた...

ある思考を利用・応用・活用・模倣すれば国家戦略という言葉を使ってもいいかなと不意に思いついた.然し戦略という言葉は単純さを内含しすぎている軽い感触がある.まあ当人もその思考をよく覚えていないから..

東洋的・日本的であるならばわかる器官なき身体.個人的には考え方はわかるけれど位相が異なる.エントロピーに委ねるしかなかったのかドゥルーズドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス」#- 器官なき身体(反生産)
曲学阿世の徒はエラスムスによれば自惚れが強いということになる.

ある関係において離れるのが嫌なときには漸近的自由に従っている.同様なケースの場合は間違い無いだろう.権力の束縛などもそれに入る.権力者にとって権力範囲からの逸脱は不快なものとなる.同じく管理者にとって管理範囲からの逸脱も同様である.-QCD理論の当てはめ.

追従という妹がいるの前に来るものは何だったか.なぜか忘れてしまう.それは自惚れだった.自惚れとは何か.偽善もそれに入りそう.あまり考えたくはない概念である.

E=mc^について考えているために発生している一連の思考とそれに加えて別の構想と共にが原因で.考えあぐねて半径光速cの円を仮想して、静止質量の運動量はmcでそのエネルギーはmc*cと想えば直感ではなんとなく了解まで.原発事故がもともとの刺激剤だけれど.

楕円モジュラーについてはΘの円周は楕円であるから良いとして、直積・・・ある女性とK市を歩いている時に、無限生成設定は浮かべていたからある.そもそもこのような心理情態には落ち込みか。初期設定域で考えてあるのに思い出させる思考の視点の不快な同心円的位相.多元的ズレならばまま良い.

ヴィット環がすでにあったのである.共形変換が無限個の生成子を持つなどある事柄に明らかに連携している予感がするので.ちなみに中心拡大を無限次元にする時と考えると、ブラウン運動を用いなくても良いことになる.むしろこれが普通単純な考え方でしょう.有限次元な場合がいささか不快なのだが.

いろいろ考えてこんな可能性があればという時にはそれは既にあることがほとんどである.自力開拓より複合発展的(知っている誰かに教えてもらう)の方が時間的には速いが、それはそれで楽しみがある.

強束瀑・弱束縛などを考えて、有限の場合を強・無限の場合を弱、すなわち自由度の大小とする.これは拡大体のアナロジーとして考えている.

管理費用は静的な面とすると、制御費用が動的な面になるか.相対をいずれ考慮しなとでしょうが.

生きうる領域はまた人の頭脳は剰余価値としてあるか.普通の知見では人間の頭脳存在自体剰余価値になっている.新知見を何故しることができるのか.人はまだその細胞をフルに使ってはいないでしょう.肉体は寿命までの価値しか無い.

競争しようかと言って君と競争する気はなくまた競争する必要は無いのではと.つばぜり合いとか想定したからまずかったか.

経済に道徳がないのなら、警察・検事・裁判官の司法系の存在理由が薄くなると直感するのは不自然か.

日はまた昇るの脚本家は誰だろうと思いある団体の監事?.最近妙にというかやはりなのか脚本系を気にする.セリフの言い回しと心理の流れ構造などとの位相距離感からかな.

社会主義・マルクスボットによると労働者に国境はないとのこと.それで現政権のもたつきぶりが理解できる気がする.でも労働者にはイスラム教徒とかもいる.

小堀遠州が作成か.川越の喜多院の里山で劇的に遠州の名を見た.洞窟内に反響する雫の音かカリヨンにも似ている.

相対論的には静止質量は、光速で動く物体は時間が止まっていることから、光速で移動していることになる.ショック.その発想は全くなかった.

叙情から叙事を見る時、またこの逆.XXのリビドー機能愉悦者と理知者との関係.帰納から見る演繹と、演繹から見る帰納など.いずれにしても一方に極端化すると発生しがちな思考停止現象排他の心持ち.

昔は頭のいい人はバカやアホという言葉は用いないということだった.今は?.それとも個人認識の資質の問題か.まあある地平迄行かないとこの認識はできない予測はわかる.自然に出来る人もいそうだ.ところが現実にそのような実在はどうも存在しているようなのだ.


この自動判断の方法・スピードがよくわからない.経験値データを無数持っているということか”近年の高性能なコンパイラは、プログラムの構造を深く解析して、どの変数をレジスタ変数にすれば処理効率があがるかを自動的に判断してくれる-ウィキ”

ヒンズー教に表現上女神シータがいた事を知る.ホープダイヤモンドから.ギリシャ文字からアイデアしているのだけれど.

統語論はしょうがないな.無ければ今こうして表現できないことになる思惟の法則.

錯転などという概念を作ってみた.(既にある?).剽窃既知事象であるのにそれを主体に基づくものとして無自覚に用いること.模倣は自覚した現象.ややあまたの剽窃無自覚に主体を疎外される羽目になった経験から.非常に時間の無駄を感じると共に、無自覚に気がつかないまま死にゆく存在はとても不快

認知文法も心の哲学もなんかリビドー分析論に位置しているように見える.機能が志向する還元域への突入.そうなると夢分析は比重を増してくるな.個人的にはフロイトの夢判断は困難な抵抗感を感じる代物である.リビドー解析は存在理由ヘかなり食い込むことであるので注意が必要な対象と考えている

思惟の法則があれば簡単だと一瞬思ったあの時・あの頃.それではこれからの生が規定されてしまいつまらないものとなる・ということで生成文法ではないとしたら認知文法側かな.-フレーム理論から

眠ってしまって早朝の連れの画家のスケッチを見ながら二言三言.エーデルワイスの創始者とは存じ上げず、遅ればせながらご冥福を.秩父の四阿屋山(あずまや山)の福寿草園に行った記事を見たのも何年も前になってしまった....

そういえばむかし紅葉の荒沢から中ノ岳・駒ケ岳と歩いた時に、中ノ岳の避難小屋で坂倉登喜子他数名と遭遇したことがあった.荒沢から来た人だからといったのが坂倉ドのではなかったか.存じ上げず.いやそんなと思った無発言.シュラフ袋であちらは暖かい焚き火を始めるが、牽制故にあたれず.

五十沢発電所が発電再開で思い出すのは、ある年の正月、三国川ダムの右岸を板を履いて中ノ岳登山口迄往復しあた.途中数箇所デブリの雪の小高い丘をアップダウンしながら、ちょっと滑りを間違うとダム面ヘ突入の所だった危うさを思い出してしまう.考えてみればはらはらものだった.

女性は結局リアルだとかの論評.主体意見を述べる女性がまだまだまだ少ないのでは.

複合発展の法則は中国が如実に・比較優位と共に日本のジレンマ.ここからの日本の将来の可能性はただひとつ非線形技術の発展である.(理論的な面も)その時日本の自然豊かな風土は休息場となる.

世界同時株安は線形現象の極値近似的状況と見る.  #defle

それで剰余価値に伝統・国家(税の付随としての)・会社・その他諸々を含ませてしまうと考えてみると無茶になるが.

確かに渋江抽斎は説得力はある.またある人物に森鴎外を読むといいですよと念じたことがある.今日はお茶目という言葉でその彼女を思い出した.別の女性がふさわしいと思ったのだが.イデアのセクスアリスとでも言っておこう.

あの橋を渡りながら浮かんだ乗・・ではなくて剰の方.こんな漢字を知らなかった中学生.そんなわけで剰余価値は当然の関心.この時安寿と厨子王も思いついてその倫理観の悲劇性の強さになんともの想い.森鴎外は好みではない.

他者に法律を遵守させて自らは自由を満喫する権力者はアナーキスト的
国境なき経済医療団?

妄想という言葉の束縛感・気持ち悪さで妄想という言葉は中学生の時に封印した.便利な言葉ではあるが使いたい場合には錯綜の言葉を用いる.
ノイマン環はとりあえず埒があかない.開かないほうがいいとも言えるが.

論理が全体で部分が理論であると結構面白い.

補空間だけでは.ヒルベルト.C*環

ひとつ言わせてもらうならば、資本論自体は剰余価値となっている代物である.

面白いパラオ.ペリリュー島はなんか激戦地だったかな。知らなかった太平洋戦争の歴史.南洋群島には進出していた一次大戦後.海流のなかの島々といえばミクロネシアを想起する.マジャールに行こうとしたけれど時間的に無理だった思い出.

マルクスその他の伝記をある時読んだ印象の記憶では、マルクスは明らかに資本論その他の研究過程は芸術家的生き方をしていた.そう芸術的情熱を傾けていたことが読み取れた.

あるマルクスボットを見てTLを眺めてみると、マルクスは良く考えていることがわかる.叙事的存在に疎外はなさそうなんだけれど.マルクスの対象者は感情を持った存在ではないのか.意識だけでは叙事・叙情の差がある.
 β関数と繰り込みの特性方程式の一般解で、忘れないあのガロアの頃(考えていた)を思い出す.どうも志向がこの辺なら合いそうである.

経験則は核分裂で証明しているけれど、どうにもE= mc^の二乗に不快がある.宇宙空間でのctは光速一定はいいとは思う.質量のないエネルギー体の問題かなと空間励起の移動は真空が変容している..質量に作用する光か.

北回帰線・南回帰線はヘンリー・ミラーけだるい夏の太平洋の饒舌を想起した.舞台はパリだったか.散文詩人的でもある.

とにかく今のところシュヴァルツシルト半径 内に入ればこの世に存在していないものと同様になる.なんか怖いのでカーに救いを求めて何年か.

ブラックホールに特異点があるとは考えにくい.ただビッグ・バン以前迄伸びているとは考える.ダークマターもそうなるか..

嫌いなものは嫌である.嫌なものは好まない.これはごく自然なことである.かって好むべき対象たちのもろもろの発言に嫌なことが含まれていて、今それに伴う主体コンディションの調整に悩む日々となっている.もっとも今現在も嫌な実在が偏執的に束縛を意図しているような態度に苛立っている.

災い転じて福となす問ことわざがあった.絶望から歓喜をはベートーベン.禍福は糾える縄の如しもある.これは弁証法の項目固定パターン.

ミヒャエル・エンデは芸術の虚構が真実を齎すと本当に言っているのか.エンデにとって芸術とは空想ではないのか.このエンデの発言が本当ならエンデは不快となる.しかも真実をどのように考えているのか.

比較優位の難点をクルーグマンは中国と米国間において述べている.このことが気になっていた事だった.

英語や中国は収穫逓増的か.米国は今までそうだったとか.日本も幻影を見た時があった.これは結果として逓減に見える.

移民モデル論(二重経済)があったんだ.最も誰でも規範制度的には考えつくことだ.宗教に関しては北欧で事件があった.何やかやで論旨明快な人が華麗にまとめそうだが個人的にはツイッター出しで.思ってみればクルーグマンのNYコラムはランダムの勢いが強い..


あのギターのラグリマは葡萄の一番搾りの事だった

電子の軌道の間からクォーク空間を充足している--個性が自由な方向と距離を持って焦点の数をちらほら

離散している光の粒子にブームの経済現象を当てはめてみるある帰結からのパターン.一定現象では無いので光現象以上のものがあるか.そうなると光エナルギーは定常日常になることになる試考

ライトコーンの時間からは空間は不明となり、光速度不変によって光時間の経過によって空間距離を経た後に時間として認識する.ミンコフスキー世界線は人間にとって直線上のものではない感覚と個人的秘匿の興味点の理由がここにある気がする.簡単に説明することになると面白くもないけれど.

記憶感覚がおかしくなっている.マイペースを不愉快なXXに崩されている.ちょっと偏執狂的実在.XXのオタク的奇人・変人の抑圧の憂き目にあっている感.複雑性忍耐力のない単純さのスピードは全くつまらない.ゆったり感がない事による.

所用が終わって大宮のルミネの店で安全上の警告があるけれど開いてみた.横の女性達は韓国旅行のチェック中.今回はラッシュでビター風味の液体ソープにした.一応大宮駅は人は多い.個人的にここは女性の店員たちがしゃれているので気分はよいところです.目がチカチカしそうな・・・

固有時間は原点を除いての距離で円錐の光速度は直線だったか.曲線を描いていたあの頃.図示上はわかりやすい.

ゲーデルの不完全性定理を導入せざるを得ないかな.これに次方程式を入れてみるとセーフにはなるが.ガロアより特性方程式の難点から来ている..

問題は子宮が造れるかである.原理的・将来的には可能なはず.卵子は勿論
未来の夢をみたことがある.人類は核融合を完成させていた.すなわち太陽が個ある.ひとつは人工太陽.ただしとなりの子供が夏休みにしばらく見えないのは惑星旅行に行っているからの時代 )

人間の未出現といわれているDNAに放射能耐性あるかないか.
Verlindeのentoropic重力理論に関して--ダークマターについては新しい粒子◯・宇宙自体の物質は、ある平衡状態から励起した・重力波は、重要ではないのでは◯か?・ドジッター空間のようにはヒントである.

人的ミス・それはそうだ.管理能力に多少の懸念がある国の歴史風潮は責任が流れるきらいがある.

変容体は粘性抵抗がきつすぎる.例外変容体だからかな.例外というのは共時と通時の境界に位置している場合.レオロジカル・・・

皆考えている当然のことながら、天災事故はとりあえず過ぎれば結果を残してその復旧に向かう.被害者はデータが出る.原発の場合には精神的苦痛に対処しなければならない.死者云々は目に見える過去形のないことの実証性なし判断を別個の形とするものではないか

回転現象があっても不自然ではない.そうなるとより可能性はあるけれど、現状、素数論に敬意を表して.リーマン予想があることと、相対と量子が連結しているけれど認識に欠があるので.

ディラック作用素のラプラス型が出てくるのなら、モーツァルトのアイネを奏でているようなラプラス彼女の存在はそれで良しである.多様な異性たちの区分が出来ずの知識が、流しを発生させてしまったが記憶はこの通り.

”よって weight はすべて(+-/・・+-/) の形であり”-ウィトゲンシュタインの脳捻転(と表現している)ほどではないが、似ているケースの弱強度を味わう.変転予感は既にあった.-夢まぼろしのリビドー満開の中の物理認識からのラプス

いわゆる社会通念・優等生的マナー類はとりあえず無関与というように考えてきた.それは既にあるものであってそう目新しいことではないため.

あの時ディラックを読むべきだったな.ブラケットは浮かんできたしまったけれど.空孔は想定していたし量子は早いと思ったのは◯学生の時だった.よく考えてみるとなんだか恐るべきことだな.まあ今・社会的になんでもない存在だから.なぜ読まなかったか.堅いイメージと浮いた難解の感じの記憶あり.

hはプランク定数cは光速 hcなんか懐かしい記号.エネルギ準位からではなかったが.本当はまだ明らかにしていない宗教的観点から来ている.

心理の裡にストレレスが溜まっていることを想定せざるをえないのだけれど.線形のストレスは増大していくだけ?.相殺を設けるには多様性があったほうがよい.多様が相殺を齎すと考える.

脳疲労より性意識だな.人間は性意識を理性に昇華できるゆえに人間であるというのはよくわかっているつもりにもかかわらず、すべてを昇華しようとは思わないまたでき得ないこともある.まあまま多くいる情動の塊のようなXXが煩わしすぎることもあり..サルトルの無反省の情動は言い得ている.


夢幻の中のスピン/と-/.の思い出を今現在蘇らせねばならぬ事態となった.

ガンマ線バーストはハイパーノヴァからの可能性.なんか気になっていたガンマ線バースト.
非反省的意識である情動--これには全く疲れる”サルトルの考える〈現象学的還元〉とは、非反省的意識である情動を反省的意識に引き戻す操作であり、-これはギリシャ以来の〈対象化〉理論であり、西欧の形而上学の根底にある発想である。”

して言えば覚醒時の領域をどのように設定するのか.人・個人の個体の領域としてみると世界内存在として覚醒時領域外が実在する現象的判断.

いささか単純すぎて不快.現象学より事象的なのか.領域は意識が透過するようになっていなければならない.また意識の遮断の場合もある.夢を見ずに熟睡している時、強度は入眠時が強いが、一般領域想定では順序が成立する.覚醒時の領域が持っている人間の生命の歴史・元型などは考察領域が違うことか

ある人物の夢の図・覚醒時の領域>入眠時の領域>夢形像の領域のように同心円的だった.これに引っかかって考えても、この単純な現象学的判断は動きそうにもない.夢を見ていながら意識する時・夢を記憶している時・白昼夢を見る時・覚醒時で誤解する時の無意識の構造などについて詳論があるのかな

SF-人間ならぬ人間類似の存在の寿命が一億歳とすると、アンドロメダヘは十分行ける.130億歳とするとクエーサーの壮大な水蒸気シャワーを浴びることができる.

SF-ビッグバン理論から推定すると、現宇宙の形は円錐でなくても錐の形をしているように思える.よってこの錐の外側から内部の状況を見ることができる.

 超自我は倫理観を内在化する?.そんな人もいそうだけれど、超自我は共同幻想的人間と一致して、倫理はあまり感じられない..

塞翁が馬と諸行無常の雰囲気で責任が流れる場合もある


コンプライアンスも優等生気味になりそう.ただダイバーシティにコンプライアンスがうまく作用すると、まず何もいうことはない時間がしばらく続くことになる.

つまり優等生というのは、スケーリング・領域差異を考慮しても、結局、パレートに則って80%しか存在しないのではと思い、他の%何がしかに名誉の文化を取り入れると、偽善傾向が強くなるという想い.
官僚は間違いをしないという仕組みというのは、昔から直感的に知っている.まさか・・とふと思ったが...ここでモードブロッキングを使えると良い・使った結果ではないでしょう.ちなみに国交省の入所式の決意者の文言は明らかな◯善でしょう.公共的公式的発言ですと言うでしょうが.いわゆる優等生

無限遠点の近傍の混沌をどうするか.加算の次が実数の濃度とはまた異なった・或いは同じ空間.

遥か彼方の無限域における混沌をどうすることなくそのままにしている時に、外部の声が内部でそこを明確に処理の声がする.いやそれは無理.今日の集合論展開はともかくとして、無限遠で平行線は交わると思いたい願望だろう.双曲線幾何学.無限遠と集合アレフ類との関係などはどうなっている.


地に足をつけて・・・日本の経済現象について若干浮薄な感じがしている.機能主義の行き過ぎでもあるか.悲しみならぬ現実が疾走しても、心が疲弊するのみでそれは不幸な情態である.

認識のだらだらさは時のさざ波を繰り返しただけ.現象の有効衝撃は必要善となる

ビッグバンから始まったこの宇宙の起源論.仮にそうであるとして、射影を持ってくると無限遠点ならぬ有限点からの投射のように現宇宙を見ることもできる.でトーリックは?