2018-03-21

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集合が閉で開で開が閉で開的で、前者の閉がスキーム点にならずにしつこくて閉口と後者の開を余完備として時間経過などを設定した為のやはり無意味さがあるけれど、チホノフの定理は不快である点にコンパクトが妨害をする無駄に辟易する気分の悪さが絡まり解けずの位置にある疲れ具合-の表現はまずまず










 

ハムレットとロミオとジュリエットを間違って修正したくらいなので、シェイクスピアの他の作品に目を通さないとだけれど、まあ脚本劇作も展開自動の繋がりが面白いと思った事はある.それより自己生存過程が自己脚本的で…馬鹿げた道化面が多すぎるのも他者への同情心と他者達へ余地を与え過ぎなどで









 

叙事的無機的タイプは睥睨覇者的と思えて、その有機力のやや弱さから陰謀策謀を行使する定義理由として見ると、結果から捏造や理不尽や妄想虚言虚偽や欺瞞等発生者は睥睨タイプのミルグラム無責任状態にある自己無知無自覚存在となるように考える事が出来、そこには甘えや依存が隠れていると思える









 

少なくとも無機に還元される有機中は、叙事的な物体性の無機性は有機
欠如で駄目と思っていて、ゆえに無機的タイプはモラハラ的存在傾向にあると思っているけれど、タナトス無機的タイプは宇宙の無機性を信奉しているのかも知れない.往々にしてクレイジーな狂信タイプが多いと思える


 
         






 

レウキッポスも知らなかった.なんと世界を簡明に説明している事だろう









 

xyの主体を駄目にしたがるブライドを駄目にしたがるxxはもともとのxx存在自体が駄目だから?









 

億年かかるBHの種を〜万年に探すというビッグバンセオリー…?









 

神聖タイプの殉教は無悩に至りて









 

ワンパターンがゆえに傲慢拷問的になる.ワンパターン者には安定安全不動の意識を持てて安心感が殉教性をもたらしているのだろうが、粒子的に粒子回数の数多き繋がりがワンパターンを齎しているにせよ人の生理時間の有限性は明らかだからである-文章が繋がらないか、要するに猿の無限定理はうんざりで










 

知らなかった猿の無限定理がこれほど華やかなものと、ボルヘスの不死の猿は傑作でありコロンブスの卵なのか単にボルヘスの一流センスというべきなのか.ミクロ事象を行為行動でいくら繰り返しても人が非加算数行うのは不可能の視点を持っていて、ならばさっさと繰り返しの意識を変更した方がいいである


 
         






 

Eddington?.黒体輻射からエディントン比を想像したことはなく、時間があればまでだけれど、エディントンによるチャンドラ年のBHの否定が年研究を遅らせたらしいのはなんとなくの気がする.BHにこれほどの挑戦者があるのが普通の時代になるとは以前なら想像しがたい事で、エントロピーは増大すると


 
         






 

いわゆるモチーフだったのか.中学生の時に日本に元型を適用しようとして頭が惑乱気味になりわからなかったが、今では縄文のハプロDが元型とはわかる.そのイメージは古代ギリシャペロポネソスのアルカディアで幸福な社会生活状態である.









 

世の中一見下品や奇形要素の持ち主にどうも惹かれるのか取り憑かれるのかどうにも登場して来て悩む羽目になりやすいな.嫌なのだけれど抵抗力が強すぎてしつこい.何しろ死ぬまで嫌がらないとの存在で否定弁証法も疲れるものだ.皮肉に嫌な存在から見れば好ましい存在に見えるような悍ましい感じである.









 

不条理をしてくるのは無責任ゆえでその無責任は無知からくるはずでそれは経験主義的な将来は葛飾北斎的に充実して行くか、年齢上未来に精神が悟りに近づく前の過程の無責任状態といえそうで、そこでは矛盾していようと整合だろうとアマルガム精神状態というわけだ.









 

演繹と帰納は対立するケースあると思いつく.昔ある人物が良く言っていた理論と実践は違うは、演繹と帰納の違いで、無知な帰納は無責任性があるということになるかな.帰納の未決定性からは責任が成立しないか…演繹がその位相を忘れている時には帰納的になっているで、演繹的には無駄をしている事に









 

対自の記憶や楽しみ予定を対他存在が即自的なものと思い込み全く当の主体を無視する無理解侮辱をして屈辱や未来の楽しみの幻滅を受けるのも嫌で、これらもしつこい汝自身を知らぬ存在なので結局はそれらは意味無き存在となるのに、傲慢保持の為に他人を歪める不条理を当たり前に行う存在は何なんだ


 
         






 

どうもあの頃の設定若き日から世の意図的対象の読みは変わっていないので、失ったものはともかくとして未完の項目を完成しないと、それもかなり集中しないとできかねるのでなかなか.結局それしかできず他の思案可能性は無しで-最もそのように設定したつもりで、ツイート一切はその設定に則っている筈









 

おもむろごく自然に考えてどうにも不明で軽い気持ちで設定した種のうちのひとつが考えていなかった宗教的にも思想的にもこれほど有効とはあの頃には思いもせず.しかしながらそのうちのひとつに思考的にまさかと思いプレッシャーに負けた形で変容を意図してしまったのは明らかな失敗で、まさかは自然…


 
         






 

シラクサの自然数が非有界で面食らう.いずれにしてもアレフωに対してたとえばアレフ<アレフで∞<∞の形でしかないのは正則と、グロタン宇宙はinacなので、ガロアの隙間をモチーフ的に考えるまでも至らないか、ならば次元の物理的志向か…そうかグロタンの隠遁は哲学問題に行き着く.


 
         






 

結論的状態はわかるモチーフの野望の不可能性の段階?か、可能となる知性が出現するか、埴谷雄高の虚体的な意向は俗にパラレル宇宙とは違うゲーデル的で、それで仮想とするとホーキングの虚時間とかアイデアがあるが、ガロアの隙間は離散的なエバレット系かな.ヒルベルト敗れモチーフも敗北の形である


 
         






 

ラムダの項書き換え?は何かから進まずの丸善のある日の散歩.入れ子束縛でU自由はユートピア的と着眼したりやモデル者達が展開しているひとつの項目関係とな、楽しみがあるが応用できるかはもう難解地点に達していて…そもそも自明の常識?をシラクサが悩ますことになりと









 

猜疑懐疑者はその猜疑性懐疑性に対してデカルト的である事に猜疑懐疑を持たないのは無知か間が抜けているのか、反猜疑反懐疑的な事に猜疑懐疑を押し付けても取り敢えずは唖然とするがその後辟易するものである.わざわざ無駄を蔓延ばせるものである徒労を齎す.









 

生理が現実条件であるある存在の文章には閉鎖を覚え不自由なな束縛苦痛感があり不快なセンスを感じる.またあるモラハラたっぷりの現実者の文章にはまた現実条件的にもかかわらずその現実は演技によるものと思える陰謀的な虚栄を感じる.信じがたいがそれに気がついていない正直な記述も見かけたりする.









 

誰かが箴言でxxに嘘は通じないと述べていた.部分を強調していないか?.カントの判断力批判を無視するxxが多すぎて閉口している.判断力批判を無視する真実とは何なのだろう.









 

3/14はπ・Pi-dayだったと、確かに数値個が並ぶな.必然から可能性の中のひとつは小学生、川のコンクリート性構造の道を歩きながら様相でお手上げの中学生から必然的自由や必然=自由などや超準や思惟の法則など、これある項目範疇に入るな.その後の原始命題のナンセンスさやクリプキの可能世界も












 

朝に道を聞かばは孔子個人的な事柄が友遠方よりかは強く思えるが、道とは真理との解釈をネットで見た.道は一生をかけて悔いなきものと認識していたけれど、悟り的な要素もあるか…いずれにしても孔子の論語は春秋の修正がモチーフの筈で、その内容は混乱を避ける為だが、叙事要素睥睨文が含まれている









 

性的人間である俗的カサノヴァタイプxxは当然自己性的能力に言及はあまりにも普通のはずなのに、他人の性を利用しようとする自己棚上げ性は他人の事ばかり考えるという表向きは利他心の表明のような態度だけれど、ただ単に図々しく厚かましいだけの自己無知無自覚の無責任なだけであろう


 
         






 

パックスロマーナもそうだけれど、モアのユートピアや歴史事象を鑑みて外部依存性を持つと考えていて、マルクスの国家死滅経済無しは世界全体のユートピア論だからユートピアと見れば一体どこに何に依存すればがある.無機物に依存など考えられずこの地上で共産思想実現は不可ではないか


 
         






 

の平方根はキリがないとした非加算数に至らないところで思考をやめたあの頃.Hの平方根は無数存在するを今頃知り、Fの定理から非可換の壁に非加算数が関与しているのではと浮かべたがどうなのか?.そうなるとしつこいF型人間に超対称性を考慮しなくても了解になる可能性の閃きが浮かんで喜ばしい









 

Li+ Cの物性解明はさほどで、+価のリチウムイオンを持っている.液晶はまだ早いと中学生の時に思った事は失敗だったかな.小学生の時からアモルファスは知っていたのにとは思う.生体膜はリオトロピックのスメクティック相は層状組織に絡めてまあいいかと


 
         






 

なぜ層状組織を考えたかというと小学生の時の帰り道に段差の崩れたか所があり、その地層の変層を見て直感したため.層状は縦的かなといま、時間の蓄積が差を持つと縦になる可能性をゆえに思いついた.縦社会縦構造は時間の差を必要とする可能性がある…思いついただけで考察は無し.階層といえばネット層










 

川沿いの道で下らない事や不快的な事もあったけれどある新宿区の駅周りの複雑建物群の位置構造に刺激を受けた頃で、結構大きな喫茶店に行くと人が満席とは意外な駅感覚で、再訪してもいいところと懐かし気味に思い出す.









 

人には限界に突進するを求める傾向がある、物理学者が宇宙論を提起するようにとは異なるけれど、昔は気楽にクェーサーに乗って遊ぶとか夢想したものだ.F話にもなるかだけれど、ジェット噴射が光速的とか知る何十年後の今日となるとそうも行かないな…









 

粒子は波の塊でできているとすると二重スリットは波の干渉?作用になり、そうなると超弦の紐-あたかも波のような-に思い至り超弦は意味を持つ可能性がある事にだけれど、振動する液体の表面の微小液滴の大きさで二重スリット挙動はにわかに信じがたいけれど、年前の頃の話は知らず、波化の可能性か









 

スピンフォームの時間も粒子は波動の塊をグラフ化した考え方である.別に無限小はプランク定数より小さい短い概念であるは誰でも納得できる事ではある.









 

フェルミ型単体者や叙事的な一様短絡端的思考者は粒子的なので、パーコレーションになった場合は感知認識できるが、フラクタル情態は理解できないズボラさを類推できる経験がある.まあ繊細さがない分バイタリティが粗暴性があり、それは権力意識に結び付く事になる.結果xx&xyに限らず傲岸になる










 

光子の粒子性はいくつかの波動が集まった結果の意識が初期からあり、ペンローズの電子ネットの集まりが感知できる時間になるは、ノードというフェルミ粒子性はネットグラフ変化を齎す基点的なので、粒子は波動やネット変化より繊細ではない事になる


 
         






 

中途半端に相槌を求めて来たxyが昔いて難しい.単細胞的に一様は困るが中途半端の意味合いがわからない、人間とは何かに対してまた不明対象に対しては中途半端だが、現存在では意図的に中途半端にする事はあるし徹底する事もあるので自在だろうに.不便な巻き込み意図の縦的フェルミ型がいたものだ.









 

個人的な感覚経験からはセロトニンはエントロピーと関係している推察で、積極的自由が妨害的に作用してストレスを構築するとの形なので、やはり衆目の言わんとしているストレス軽減には、積極的自由<消極的自由の比率傾向を持つ事だろう.べき乗時間時代でも理屈上は比例させる事ができるのでは









 

虚時間はどうかなとは思う.現宇宙だけではまず虚はないな、道教か仏教造詣か、物理学者の考える無神論からの神性対処が文化的に最もかな.ここでは関係は出さないとして、ツイスターを必要かと、なんだ離散ノードの節点論だか.スピンフォームの単位はプランク定数ではウィッテンが食指を出すわけだ









 

この傾向が数多くあり、諦めた時に見つかるケースは多いのだけれど何故かと考えて、確か禅宗に何かあったような記憶がありで、公安のアブダクション的かシュール的かなと思っていたけれど、N-の探し領域の諦めは不快だけれど、諦めによる探し心理域次元から境界獲得の最大値の原理作用としてみる










 

他人を錯誤するそんな間の抜けた愚かしいあるいは意図的にでもやはり愚かしいな-そうしなければ自我が所詮は成立しない存在なので-の存在などと思わないために気がつかなかったのだけれど、どうも実際現実に存在している事になる









 

あるxxがドン・キホーテと発語してあるxyと誤解明らかなのを擁護してもしようがないのだが、その弟xyと他者xx&xyに同一視されてしまいのには参る、そのxx&xy達は主体の模倣をしている事に気がつかないまたそんな人物は他にもいて、それらを擁護してしまうその時気付かずの自己主体の疎外ばかりで









 

濃度のカントールは便利な考え方である.部分無限集合が連続体とは言っても苦痛の壁を感じる.濃度が便利とはいうものの問題はそれでは片付かない意識かあり、これがガロアの隙間に繋がる気がするけれど、考えたことはまだないな.考え方は同じすぎるか、∞+∞=∞のように∞に差をつけるべきは?


 
         






 

そうかあの橋のそばの道路での切りのない数は実数の無理数でどこまであるのかで考えられなくなった中学生.そもそも余りなど意味がないだろうくらいに思っていたので、実数や無理数など知らず、可算は自明無意識としても非可算の言葉もしらずで、濃度も考えずだったな.これら言葉も中学でやらないか…


 
         






 

中学生の時に余計なDNA存在の話を知り、体育館の所で一人そんな事はないと憤った記憶があり、長きジャンクDNAも実際わかっていない段階とあり、まあそうだろうと.あの時から何十年経過しているのか、なかなかである.人工塩基に関しての基のやや安定の話はツイ済み










 

過去の情景記憶は秘匿とかすることなく自然+人為αによって変わってしまう事にいかようにも思わざるを得ない記憶と現状現在から判断する羽目になった.別に秘匿する事も無いなの方向でだけれど、秘匿してしまったものはしょうがなく、記憶でも復元できずとなり他者にはそれが存在したと思えない事となり









 

どうも何処へ行っても不都合に嫌いな存在がいるのは弁証法が蔓延している自然性があるのでは無いか、だとしたら弁証法に呪われている取り憑かれている位の世界観性を現象的主観では受けるかも.何しろM&Eで国家もそのような場合もあったわけで.まあM&eは状況流れを纏めた感もある.


 
         






 

弁証法もだけれど、フロイトにかぎらないけれどタナトスとエロスの対立も満遍性もあるかな.これも個人的には不快で苛立ち嫌うものではある.徴候例としてはミソジニー・ミサンドリーは入る要素があるかな.特に世の中にはタナトス優位のxx&xyも多く、特徴は侵入インベーダー性を感じてしつこく排除困難に


 
         






 

そうするとあの頃の結語は考えあぐねて現在から時間を短絡してしまった事になる.基の合成タンパクかまだ発露していない未出現のDNAを人は持っているか-後者に期待したいけれど現在基の遺伝子工学は認めそうにないな.短絡時間にそうこだわらなくてもいい考え方なのに、小学年生の想念が強烈過ぎて










 

関係の本質はスピノザの決定論的である.誰かの文にあった太極で止めるは肉迫しているかな.確かに大タームのうちのひとつからは、関係の絶対性に理性論を打ち出した人物はかっていないと判断できる.カントはその事に関して純粋理性で背反展開をしているのは明瞭.そのカントの批判の先を関係としている









 

人は限界へ赴く衝動があるは肉体的にも精神的にも言えるだろう.その限界の先は困難であるにもかかわらず









 

関係の本質はあの頃の大タームの内のひとつであるもののようだなと漸く気がついた.大の内のひとつがまさかと思いプレッシャーですったもんだの経験過程になっている現状だけれど、根底にはその意識は把持している…全く社会圧力にどこかで遠慮する羽目になっているなそれは不当な他者の逆での強要か









 

ヴィトゲンシュタインが幸福であったと述べたのは自己の生存過程を充実満足の継続で過ごしたからに他ならない.戦時中央部は愚かな?人々に巻き込まれないような戦いをも当然の如くせざるを得なかっただろうが.人々一般は幸福な家庭を幸福とするけれど、個人の望みは十全にはなりえず子供に託すとかに









 

もうこれでと何回も思った結果数学が理解できずやや惰性的時間が経過している.科学哲学はといってもそれなりの科学者主に物理学者が小説を描いているからな.映画でもBHに絡んで年後に現れた宇宙船の話は印象的.数学者では知らない.数学もタームは小説的が所々に、モチーフなんぞは心理学的に普通は


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ただ超弦だけはずっとオープン意識を持っている.あの頃は次元やペンローズは飛ばしで、今は飛ばす訳にもいかないかなと.原始命題に対してループは明らかに批判的だけれど、無限降鎖をペンローズが知らないわけはないし、ペンローズ図を良くは見ていない…超準も集合基数であるわけで.


 
         






 

対他を対自と誤解無理解のxxや対自を即自的と勘違いするxxや即自を対他としたがるxyや即他を即自と思いたがるxyなどはいずれも不当で認識不足者と言わねばならない.









 

色即是空空即是色はあるけれど、その空すらないから、太極すら無いを連想浮かべてしてしまい、どうなのかと思う.埴谷雄高の設定モチーフは?ともなる空すら無い……









 

昔割り込みか中途半端の認識能力ゆえか楽しみの邪魔をしたり誹謗を行使してくるxyがいた.考えるに睥睨タイプの陰謀策謀力の持ち主で自明性を疑う猜疑懐疑心の持ち主と今にして判明かな.かなり執念で主体阻害の存在だけれど、自己性格に無自覚なのか無知なのか睥睨猜疑を他人に当てはまるので困る


 
         






 

この例から陰謀猜疑者は策謀ゆえに他人に猜疑心を持つという本来自業自得的なものを他人に当てはめるのは無自覚か背伸びかといった趣を持つに至りて、そのスケールの大小は問わずと言えるに至る










 

マンジマークとコルニュの螺旋クロソイドを個直交させた図案を思いつく








 

全くイライラする優越快楽のためにそうすると理解できる頑固強情なしつこい共同体的思考者のタナトス感覚はフロムの権威主義的パーソナリティで始末に悪いとは思うけれど、『自己の死を体験・経験していない事が理論論理の欠陥・欠点である』として載せてありタナトス的も皮相では処理済みかな…


 
         






 

で叙事的とA期的xxから受ける虚無空間的な硬さは全体主義のイメージによく合う.個人的見解だけれど










 

先程T大のレベルが昔と比べて低下しているを見て、昔にもなぜこの人物がT大なんだとわからぬ人物に遭遇して未だに謎で悩んでいる---と描きながら明晰性の寄与があったのではと記憶的にはそう思えないながら、理屈論理上は言えることに漸く気がついた.まず正解だろう、盲点で応用展開がなかなか効かず









 

冗談演技が不条理非常識になるほどその対象に対して下らない愚劣な存在だと比例多様性を持っているが、第三者達が冗談演技の比例多様をまともに受け取るのには困る.またその受け取り方が冗談演技を第三者のものとして対象を自己に設定してくるという不条理-対象はほぼxxなので、この第三者達は?


 
         






 

何を考えているのか、デタラメか無責任な甘えか呆れた自己欺瞞か背伸びしても無茶苦茶を形成するだけの結果にしかなっていない.ただただ不快な犠牲的な意味無き無駄をする無理解誤解無知に遭遇しすぎている.僭主的存在多数だけれど、これらは無知なのでまさか僭主的などとは夢にも一生思わなかったとか






 

最近の数学のタームは詩的に思えた時もあるけれど数学は数学なので文学的というより小説的でそれも記号小説類的かな.むしろ小説がふさわしいのは物理学で、あの頃は恰も小説的と考えた物理.数式を用いないで説明できる物理学として、ただし長々しくはなりすぎると.そうするとやはり数学は詩的になるか









 

指導員課程者共に帰納と格闘しているなとわかる.演繹がサポートになる形の記述だけれど、演繹もケースによりサポートにならず諦念諦観を齎すので、そんな場合は帰納と演繹の葛藤となりそこでリタイアの成立や苦悩の増加が消えないとなる.帰納の暫定結論と演繹サポートの長時間有効度が適合的ならいいが









 

有名なランボーの母音の色は%の共感覚となり、軸索の変異は当たっていそう.そうだとするとランボーの見者と他人と思向感向したのは%ゆえとなる.









 

他人は他者に対しての考え判断や言いたい事を思考記憶として保存保留していると自己要求だと思われる不快態度を取って来るという浅はかさを呈して来てこまる.ちょっと知恵を回せば常識でそんな要求をするわけないだろうは直ぐにわかるはずなのに、それがわからない不快すぎる経験の修正にずっと









 

おっ世紀の一つの特徴と考えている所に超微小CPR細菌とな.年代からその存在は知られていたようで、偏性と共生では仕組みが異なるのか.長野白馬域でのOD解明中らしい.









 

サリンジャーのライ麦畑て捕まえての崖から落ちるの表現だけれど、崖があるライ麦畑の表現はどうかな、たとえば向こうにみえる林に行くのに思い切りを必要とするこの関係的な情況決定性をサリンジャーはA期的または純粋的からか思い切らせないとしている物語である.まあ崖から落ちる位の衝撃はあるか









 

関係の絶対性をどうも理解したと思っても納得が行かないさまよいになる.情況を決定する関係は人それぞれ異なるもので、その固有性を人は保有しているという形式視点では一様だが、多様なものだろう.存在理由個々は異なるが存在理由である倫理を持っている点は同様なものと.単に存在理由の事かとも思う


 
         






 

存在理由ゆえに情況を決定するとか.考えて人が決定する事態はそう長い時間でも無く衝動性を持つ時もあるので、瞬間的になら関係が絶対となる時はわかる.関係は持続的にはカントの定言でいいはずだが、その逆に山がそこにあるからは関係の自然な情況決定性で、仏教に別にと思っていた論はその思考だった










 

なる思考を発生させてしまった.後に思い出して退行存在となんだかわからぬが嫌悪感があるのにしつこく絡み離れない不自由な存在のモデルと適合するが…このタイプの同類はこのxxと位相的に同様な態度をとり辟易である.馬鹿げた思考をさせる対象は当然馬鹿げた存在であるのは普通だろう










 

ある所であるxx存在を見ながらヘーゲルの精神現象学を読めばと内的思考中に、ハイネの名が浮かんできて状況雰囲気的に発語は難しいだろうと躊躇って沈黙したままがずっと記憶にある.このxxは苦手のA期的叙事的存在で柔軟柔和なエロスがないので自覚しろとは思った事も.結局はあまりにも馬鹿げた事に


 
         






 

他者にダブルバインドを形成して自己自身は自家撞着を行いしかもそれらに全く気がつかないという家族的や関係社会性を損なう存在がいる.また自己自身の撞着から他者にダブルバインドを構築するその事に気がつかない他人というのも実在する.これら人格の悪い無知と修行陶冶の足りない存在は確かだな









 

冗談明らかな言明をまともに受け取られる馬鹿馬鹿しさは無責任実在の特にやりそうな事だ.多く人に人々に自己責任の妨害や障害作用をしてくる無責任さを見るが、実際の内裡作用は自己責任感を邪魔してくる存在に責任があり、実際に人であるならば心理にその作用が働いていると判断する


 
         






 

無機的や叙事的権力志向的存在は有機的な責任作用能力が心理に作用しない事も考えられる.そうなると無機的な責任作用となり、物質物体作用強く有機性阻害的な心理作用を働かせている事になる.










 

まさかの止揚だったか?










 

ワンパターンは時間に依存しないシュレディンガー方程式で、固有値なんだけれど質的に差異が重なる場合の現象的差異が無い筈はないが…


 
         






 

再帰から回帰の北回帰線は自家無撞着へのセルフコンシステントを予期したけれど知らなかったの、摂動や減衰振動の頃の話









 

知りうる限りではマラルメの夢を想起している.実際哲学者一般はそうだけれども









 

**番は低劣愚劣過程の記憶十分だけれどそれ自体は**番項目の趣旨に適合している.そう気がつくのは**-番の項目内容と自然になる価値位相事態を持っている.









 

身体存在性と見ると乖離の難点を論理理性的に処理できるな









 

まあ何回繰り返してもダメなものはダメとつまりは非可算ものは可算では無理で、無限コンピュータにしかNP困難は無理なのだろう.









 

ある田舎の医者で媒体媒介触媒とか浮かべて鉄分は重要だな必要善と考えた才の夏を思い出す"触媒酵素ODが活性酸素を過酸化水素に分解し、カタラーゼにより水と酸素に分解される.鉄は単体状態より億倍もの過酸化水素処理能力をもつようになり、このような酵素が多ければ寿命が長くなる"納得である









 

小学生の時にあの柿の木の葉かぐわかしい---は誤用でかぐわしいだったのか、気分的にワンクッション置くと上品な表現に思える故と判断する---平坦な道の防火水槽のある所で、胚まで浮かべて後は難解複雑のままが、オルガネラ脂肪滴の中性脂肪が有用と知る.あと所も浮かべてまさか所沢市は関係ないな…









 

量子ビットで兆の計算ができるを見ると、程度の問題のようなスムーズな変更や対立の変位点、相転移線とか考えて、項目の話だけではうまく行かず、境界域を考慮する事になったシステムの象徴表徴のギリシャ文字の当てはめのマイシステム構想の頃で非可換と縦的に境界を+すると量子ビット的かな…









 

にもかかわらずガロアの隙間かなり大きなのだけれど、それを意識する今年のようなのだけれど漠然としている.グロタンのモチーフ的だと思うのだけれど違うかな、しかし忘れかかっている.無知の横暴xx達の圧力が強すぎてかな、またxyもかかずらって









 

その上微分を知らなかったので初めて接した時には何のことかと面食らった.異様な世界があるものだと感じた記憶がある.今日では量子力学を中学生がやっている人物もいてだけれど、量子に関しては小学生の時にまだ早いと自己セーブした記憶はある.要するに方程式化をあまり考えないのには理由がある.










 

コルモゴルフの公理主義的確率論など当たり前とは思うけれど、選択公理?どちらかというと連続体仮説ではないのか.中学生の時にσ-有限ではないとか教えてくれると悪循環でそのまま以上になったのにやついでにp進も簡易でもいいのでやるべきとか考える.まあ剰余など意味が無いと思っていた事はあるが…


 
         






 

雨が降る季節の月とはいえ、初っ端から強い雨の日とは鬱陶しい、で強靭なある老境xxを思い出し、昔から強靭なワンパターンの繰り返しはきつく苦手な拷問を受けているようなものと思っているとそんな存在が現れるものである.しぶとく無駄に体力を消耗させて面白がるから不快となる.束縛は自由の障害


 
         






 

中学生の時の入院中の読書の中に車輪の下があり内容を読んで覚えてはいないので見ると、期待に押しつぶされ行く青年の物語か、そんな面の記憶はあるな.まあ自己判断による面も強いがどうでもいいと思う対象に対しては必ず不味い不都合な不幸な無駄な無意味な結果に終わって来ている.










 

ヘッセも明るい青春家ではなく一筋縄ではいかない存在と作品概観流れから見る.多少精神にデミアンの頃は異変を持ったのか、この一筋縄ではいかない流れから特にデミアンの不快さからは当然の罰だろう.それにしても創世記の話の意図はなんなんだ.カインはヨブの反対的人物で悪徳権力位相者か悪魔か











内政干渉があれば外政干渉もありそうな内政不都合を外政に転化してカムフラージュする仕草やパンドラ物語があるのなら逆パンドラで希望を打ち消して絶望ばかり残す存在の実在とかを考えている.











雨は降っているが知らないと自己を見つめる構造を見ていた月の穏和な気温のその先の小道で自立と自律のちがい付近の考察で面食らった義務教育時間、自律システムはいいのだが神経シナプス飛びの部分的は考えても、中枢自律の分離は出来そうに無い関係なのに現象として区別域になる事付近が問題だった











中枢の脳と脊髄の関係なんだけれど、どうにもならず、人の思考力は身体を必要とするのは明らか生きていないと思考しないの明らかな事の証明になっているけれど、その事が必要とはまさかと思い至らずの休止の不快さで時を費やしたが…自律神経の副交換神経が交換神経を抑制するとワイブルに遅れるもある












どうも何か変だと感じた想定モデルはアグリッパ世でユダヤ人だったからであった.そうすると他に探す必要あるにしてもこれといって浮かばないので.ローマといえば中学生の時からオマージュのウェルギリウスがいる.アエネーイスは未完か.nemo par eloquantiaだったかなとP-Iの美しい島国の昔の記憶












ヘーゲルの絶対知は遡求ではなくヴェイユの無明的なまたジャルダン的な面もある未来志向性のものと考える.なんかアフリカ的段階の作者に最近不快を覚えるのは、強制強要押し売り的な或いは独断独善的か牽強付会的か束縛拘束性で自由思考判断の邪魔をする文面に思えからかな.畢竟当人がそんな人間となる












気持ち悪い上目横目で見られたxxがいて、その策謀陰謀猜疑心に乗ってしまった形が悩みを無駄に齎らしている退行的覇者型の欺瞞暴力未発達A型の所為が下品な性的位相にも思えた記憶.どうもあの視線動向は自らの陰謀策謀意識から来る猜疑懐疑人の迷惑な他者当てはめ化で、無知な汝自身に向けろとなりて


 
         








しかし真理に到達する為に幾数多の悩みを行使する過程はまた幸福な時でもあった.混沌はディオニュソス的でディオニュソスはアポロンから見ると野蛮人に見えるかも知れない.しかし陳腐なやや汚い生理体のソフィストが野蛮人などと発語するのには不快を覚える.洗練コンプレックスがやや強く思えて


 
         








しかし模倣の向こうに見える全く知の無い不快に気持ち悪い肉の塊は一体なんなんだ.どうも無責任の根拠であり無知の証左にも思える.考えて見れば肉の塊に責任感や知性などがあるわけは無いな.この辺xxのまずは特徴では無いか、これはxxに限らないか…











集団的思考者は非芸術的存在と言えることに気がついた.昔からそうなんでもなくごく自然な無意識的に思っていたはずだけれど、特に強調した存在がいて分からず何年も悩ましている、今宗教的意識があると閃きその殉教性ゆえの発言者達まで拡げられたが、依然その共同体思考者の知力に不快疑念がある








宗教では、こういう具合になっているだろう。つまり、信仰の深さの段階に応じてそれぞれにふさわしい表現があるので、ある表現は、ワン・ステップ低い段階では無意味である。高い段階でも意味を持つ教義は、今低い段階にいる者にとって、ゼロに等しく意味がない。その教義は間違ってしか理解出来ない。



         







関係の絶対性について他者を考慮せずに、自己に引き寄せて考えてみたら、自己情況決定作用に他者達を介在させて、それが自然な形で逆らいもせず-諸々抵抗所為は必然的にあったが-どうにもならないといえばそうで、そんな関係の絶対的な時間を何年も過ごした経験を持っている事に気がついた












ルラシアンを検索しても出てこない…ルラシオンだった.今まで間違って覚えていたというかそうの方が流れ発音上気分いいので.アイフォーンのバッテリー交換待機中に急に何十年ぶりかで浮かんで来た大宮そごう.予約入力に不正アクセスが出てしまい、埒があかないので直接に行きキャンセルで事なきを得る


 
         








それがトートロジーで不快な記憶で、そんな他者など要らないのに内部に巣食う記憶で主体妨害となっている.別に必要ない他者の迷惑行為で、そんな他者は価値が無いと見るしかなくまたそうしている.第一に他者は自己価値が無いから他者主体を行使しようとするのではないか、あと自己無知な他者もいるか












どうも自己考えを持っているのに惰性的に現行基準を採用してしまい思えば失敗が複数あるな.そんな時には自己を忘れてしまっているケースが多いが、無理解他者が介在妨害障害になっている時も多い.内実を他者が面白がって得意になってのように表明してくるが、その内実は他者のものではなく自己のもので


 
         








まあ昔からクレイジー狂人か猿か**くらいに思っているが、陶冶力が弱いので関わらないようにだが、向こうから関わって来てしまう.何か勘違いしているな、野生を捨てようとはおもわないが、野蛮さはクレイジーのほうがあるはずで、この野蛮な現実に対処する体力はないのだが.












マズローの存在をの低次元存在は非倫理な暴力優越感で面白がる.存在はかといってその恥知らずな凶暴物理を行うわけにもいかずの忸怩がある.どこかの既にの無意識過程の部分狂暴性発揮は可能な理屈になるが、蒸し返しをしてもしょうがないと思うはずで、辟易しているのを低次元は全く理解しない…


 
         








まさかのコアセルベートから反射神経錐体海馬迄届かずは成立しているとは考えたくなかつた要素を持っていて.パブロフの条件反射まで時間は飛んだオパーリンゆえの表現になったあの頃の考えの記憶











心神耗弱と脊髄反射やミトコンドリア意識とか、非完備が一度くらいなら我慢できようが、非完備パターンが延々続くと思われるワンパターン化は全く意味がわからない.そもそも非完備だから意味が無いのだけれど、人がそのようなパターンを持つ原因はなんなのか.虚偽的存在の場なのか無責任的にはなるか











結局眠れそうに無い、全くこの周期性があるはずの睡眠構造がどうにも意識処理出来ず、自然な神経に任せるしか無いか…乖離は片付かずこれではFBや叙事叙情男女差とか引き連れても、それでは思い描いているものではなくアイデア浮かばず











冗談は自由な空想的なものでリアルではなく現実的ではないのであるが、何故か冗談が現実になってしまうのは、ただの気晴らしに重さ束縛を何故他者たちは齎すのかは、無責任ゆえにではと推測してきている.個人的には冗談は責任を課すようなもの現実的なものとは思っていないのだが











人はポテンシャルも持っているが、変化変容するポテンシャルに付随してエントロピーも持っている.ポテンシャル頂点を越えるとエントロピーが増加する生理構造なんだけれど、両者イーブンくらいのまま老境の存在もいるかな.逆に若年からエントロピー優位の存在もいる事になる











雨が降っている-雨が降っていないは偽である-雨が降っていないのではない-
-雨は降っているが知らない---











男子mのテンポはいいな.宇宙飛行士が川上村と聞いて暫くして男子スケートオリンピックにも登場とな、遺跡のミスった思い出や冬の野菜畑の中の道や大雪で諦めた後に寝転んで恋は水色を聞いた昼間の村で記憶にはある所











ファンデルワールスの排斥はパウリと何か存在自体より存在事実の寄与か、存在論的にqがありそうqの創発とか?、この辺であの陽光の影の印象強き崖のある沢からの帰り道に想起した霊子的なものと自転車での帰り道の気が登場する位相を考えてしまうけれど











普通にポテンシャルは有限でありエントロピーは必ずしもそうではなく、ポテンシャルから見てエントロピーは絶対的関係にあるかも知れぬ.言い訳をエントロピーゆえにこの立場位相に位置しているとしても文章が成立するな











あの懐かしの枝折峠、荒沢岳から中ノ岳までの紅葉の稜線を歩いて中ノ岳の避難小屋で中ノ岳往復連中の中の板倉登喜子にさも嫌味風に荒沢岳からだからと言われて、それほどの人材ではないがとは思ったが沈黙を保った若き日が浮かびて











そんなxxや中間存在のxx生理体など荷物的なのはリアル感覚だけれど、当の生理体持ち主達はそんな事を認めはせず、自己に蓋をした逆欺瞞をする卑劣さか生理対象措定としてしか見ない抑圧をかけるものである.まあ中間存在xyも準ずるが












結果観点からだけれど、二次電子かDNAを傷つけて修復できないようにするは、呆気に取られる程に簡単な仕組みと、未解明の遺伝子も存在意味があると些か憤り的に考えた中学校の体育館のコンクリートテラスかあり、唖然としている.寧ろ電力を喪失した電子の残骸が宇宙デブリ的に問題なのかもとは考える











その精神病理学者に手紙を出した頃、埴谷雄高の死霊を買って古本屋行きになったかな.玄関払いの当人曰く"愛読者ですよ"とその連れ合いに.別に通時センス明らかな文章は愛読できないが、思考内容は好みの点が多い.その点吉本隆明は一見好みの文章なんだが、どこか感覚的にイライラ感不快感を味わう











他者に対する自己意見の内部保持を第三他者はなぜ自我主体と間違い認識誤解をするのか、また自己言及内部保持を他者第三者は自分だと思うのか.全く困った不快で汝自身を知らないゆえは明瞭と複合から汝自身を偽っているとも思え、そんな認識能力者の言明はまず要らず必要無いのだが











暗い実存は地獄で嫌いであるとは後に.思えば本質に先立つ実存は閉鎖の抑圧感があり無駄に行き詰まりを作る個人的観点である.世界に対して不安は可能性無数からの選択がそれを齎すことはわかっている明るい実存空間












昔カフカの名を始めて知った時にわからず完備できなかった時のイメージは実存的なそれであった.サルトルの弁証法理性批判は知っていたけれど、実存それ自体の言葉は知らなかったかな、なにしろカミュにしろキルケゴールにしろ不条理という言葉を知りたく無いと思いつつ陥った頃の話で


 
         








虚無空間の宏大な広がりは無機的様相的と見る.空想空間は広大な広がりとみるが、想像空間はまた異なる











こうなると好みの定義で妥協すべきだったかもとも思い浮かべたりするが、先達の哲学者や詩人が狂気に陥ったりした事実は、矛盾よりは新概念新思想確立に非常な困難に直面しても諦めなかったからといえそうだと推定とやや経験じみたものがある.












ランダムはわかっているが今更の感があって現行社会的にランダム立場を持っているとイライラ辟易してうんざりする.これが昔であったら楽しくもあったろうが、人々に周知の時代になってそれに同調する時間を持っていてもしょうがなさを感じてしまいである.さりとて新たな概念も困難はわかっていて…


 
         








人間の矛盾は無機的かつ有機的存在であるからと捉えるのが正解かも知れない.有機的かつ無機的存在と現在生きているケースからはミンコフスキー円錐のように祖先に向かうのでは無く未来方向へ向かう事か、ここには非可換の微妙さがあるな.円錐自体は明白図式だけれど











聖書を読もうとして読んだ事は無く折に触れるぐらいだけれど、昔のいつだったか岩山の影に人々が集まっていて、その人々の主人公であるキリストが癩病者を治した夢なのか想像したのか見た記憶だけはある.まさかとは考えたけれどハンセン病は感染しない判断からは可能かもとみるが、年前にとは…











ip者と棋士の対談を見て不明過程でもAlcpuには計算可能性理屈に限界があるはずではなかったかと思いつつあるところにpものがTLに登場.有限オートマトンで過程アブダクションのAIであるはずとして、実数ハウスドルフ次元何やらを思いついた…


 
         








完備なきランダムの一定領域の繰り返しが解けそうな情報論であるようなところまで…ノイマンだったかのセルオートマトンは複雑さを増していく、それがカオスを持つ事も想定でき過程判断をするのに、カオス思考をしないと判然としないのは実際だろう.












これは興味あるな過程がわからない結果とは、単純に明晰ばかり求めたがる人々への警鐘と現在のところ考えられる.候補はアブダクションだけれど、カオス場から導き出しているのが現状で、人がカオス過程結果を思考出来かねる状態にあるとするのは直ぐに判断できる.


 
         








まあ縦構造、ピラミッド組織においては睥睨型は生きやすいのも確かだろう.今は象徴的存在を頂点にした風土の国ではやはり縦伝統時間が長きに渡っている事もありで.そんな構造の中の横型はやりづらいのもまた明瞭な事である.











埴谷雄高に種類の人間がいて、ひとつのタイプは睥睨型でもうひとつを思い出せず曖昧な記憶したな.睥睨型は縦型なのでもうひとつは横型は間違いない筈だけれど、埴谷の表現を良く記憶していなかった.明らかに睥睨型で一生横を理解出来ない存在にぶつかり不快でしょうがない.こいつらも矛盾を押し付ける











まあ矛盾に対して何らかを表明して何十年経っても他者に矛盾を押し付け不条理で歪める間の抜けた無知の図々しいのもいるからな.こんな図々しいのがいると無責任をやってもと退行的に思う事にもなる.












未来が過去に来る?、過去が未来に来るならわかるけれど.視点の問題か、リアルな未来は既に過去であったという事になる…











ある作品の宗教を題材にした主人公は結局縦構造依存性からその作家は睥睨型に分類できる.まあ人の事ばかり考えるとやけくそ気味に表明している存在が故郷への紀行文を書けたり、自伝的なものを表せるのは明らかな偽善表明で、人の事ではなくそれらは自分の事なのに、世間体を慮ったいい子の振りになる











推定で縦構造ある限りパータナリズムは無くならない事になるな.












睥睨型xxには母性は無いか理解し難いはずであり、xxなのに家父長制に賛同するタイプである.また睥睨型xyは明らかに家父長タイプで家事や育児を好まない好めない筈の論理となる.家父長的なものは少なくとも明治の頃の話と思っていたけれど、どうして現在もでしかもxxにも実在しているとは…


 
         








常世の国やハーデスや八大と輪廻などを想起させる文面にここ・日ぶつかるな.なるほど有限性の後では前がないのではと思え有限性の前後でではないのか、マラルメが久しぶりに登場か、なんとなくわかるが果たして連関言語で世が充足するか、そうしてそれは規定になり過ぎて静止しないか、変容も持つ?











まあ関係に関係結節がありネットワーク的かと思った節点思考ではなく、宇宙内存在的で自然数記号はそこに独立しているような考えらしいが、忘却の保管場所をどうするのかがあるな











縦横は直交的で強弱パターや多対一静止パターもあるけれど、縦横を否定弁証法的から普通弁証法的に難しいけれど、縦横無尽に取り敢えずなれば問題は動くと思える.無矛盾律が成立して充足理由律が成立しない懐疑には困るけれど











てんやわんや者が押し付けて来る辟易する矛盾は現象的カルマゆえのカオスとも取れるが、瞬間距離より無矛盾律はやはり直交か対立と判断できると想定する.ただ複雑過ぎるカオスは知っている…











モーツァルトや蘇我馬子の墓や本居宣長などの着眼点の良さはいいが、個人的には中原中也はイメージが気持ち悪くてしょうがない.ランボーもどうでもいいが-ランボーは境界域を利用した存在に過ぎぬがどうにも払拭出来ず.ガロアやロートレアモンもままそう言えるのだが、この人はそう不快ではない…












無常という事のあらましをネットでチェックした.別にの内容であるな.まあ小林秀雄の癇癪的な憤りの理由は判明したも同然ではあるがだ.青葉が契機となるとかは人それぞれで、プルーストにもあったかな.批評家の感情移入である死生観というより姿勢感である.姿勢感より姿勢観よりであるか.


 
         








憑依霊とアニミズムと種の起源があったので何か、システムは十分なの時間をとってある事もあり、また未解決にせよ前提は十分含んでいる時間なのに…このあたりは少し変な歴史時間意識かな、最も遡求意識が昔からより未来的だった事もあるか











小林秀雄のなま女房から沙石集の女童利口事から古事記に書記にもだが、衣通姫の伝説があったとは知らずまた三島由紀夫にそれを題材にした短編があるとな.古事記は中学生の時に手に負えん文体と思いただその存在事実の時代時間しか考慮せず、豊葦原瑞穂の国としか記述していないな…今では縄文必要と











昨日の未明にマルクスの理想と法の支配は同じものではと考えが浮かび…











額田王の莫囂円隣之の解釈をその卓抜感性でやってもらいたかったなと万葉の悲しのようにから思いついた.個人的には幻想湯温暖かき風・空気の中のラブシーンのたしなめと夢に見ていて、その熱風感を感じる春から夏の季節だけれど、秋から冬に詠まれたのか…兵隊達が近くにいるのによろめかず毅然とと












アローの不可能性定理がある.民主的に選挙選択結果でも全体に移行したり、前衛という名の民主集中関連も大審問官的にはなりで、およそ歴史事実からは縦構造がある限り法の支配は成立しないようである.


 
         








この世の望月の望月?と知らない言葉を浮かべたのは小学年生のとき、その時に九州の南だったか島流しも浮かんだ事も確かで、対象は誰だったか鎮西?かも.そもそもその頃の歴史自体をよく知らず.高殿周囲の廊下で満月像までは見た-充実している満足であったが先がそうとは限らず、願わくば満月でかな?











存在自己が存在論的自己を見る、逆に存在論的自己が存在的自己を見る、存在自己が存在自己を存在論的自己が存在論的自己を見るのは全て自己人の行為である.存在他者達存在論的他者達の固有性か知らぬ知見などには関心あるが、他者達の存在自己存在論的自己に関わる言明はほぼ意味無きものでしかない.











そうなるように運命づけられているとする考え方では例え命を助けられてもお礼を言わない述べる必要がないと考えるだろうな.また家族の誰よりも恵まれた位相にあっても、例え家族に犠牲を強いている形であっても、それは犠牲ではなく運命当然の事態故に良心の呵責など持つ必要はないなる考え方になる…











他力依存自力依存で一見自力に見える他力依存がどこの世界かの乾いた弾力場のイメージにというか、新鮮と置き替わらなねばの感触もある予期はしたけらと.現実直面時に全く思い出せず、なんとなく関係あるありそうなまでは覚えたが、しかしそれ以前に予定外が入ったりするゆえの直面時乖離事実が?











関係は宿命運命論のことのようで.すっかり思いつかずの遭遇時のフェルミ型は嫌いな宿命タイプだった.宿命タイプ-生まれてから死ぬまでその生き方が決まっているタイプの事、全く自由が無く囚われ人のようで、機械的ロボット的でもありそうで、自動制御的だから不自由に関して悩まないかも知れない











汝自身を知らぬxx&xy達が逆になって自己自身を投射して来て、人を自分と見ないで知らぬxx&xyやそれ以上の他人に見るのには辟易である.そんなもの要らぬ程に悩みは自分で充分発明発見しているので、過剰で余計なものを排除するのに無駄な悩みは要らんのだが.


 
         








この人物も逆になって代弁しているかのような…だとすると真似するなはこちらのセリフになるが、それを言いたいxx&xyは数多くいる.最もこれらのxx&xy達は真似しているなどと全く思わず自己自然と思っていて、寧ろこちらが真似なり考えが違うはずだと思うようで、それ故に自己を他人化の羽目に陥りて


 
         








まあ主体を出せばこれら逆のxx&xy達は洗脳化している事になり、一つの帰結なんだけれども.直接的媒介無いのには空気のせいかな…












よく見るとあらわれたとひらがな表現になっていて、わかっているなという感を持つので、制約や検閲は必要なかったようである.この人物の著作は全く読んだこと無く、ただその名前を初めて聞いたのは、知り合いが卒業論文がすごいと喧伝したどこで仕入れてきたのかわからぬその記憶だけで名前を覚えて…












音楽はリズム・ハーモニー・メロディ
と変化するものだと認識視点を持っていて、明らかにリズムは打楽器、ハーモニーはグスタフ・マーラー、メロディは様々と例を挙げれるが、いいものはいいのであって発展段階は考えられそれぞれ区別はできるものの区別する必要も無いとは言える.


 
         








中学生の時の直感ではバイオリンの曲線の畝る複雑感覚としてのメロディ感覚だった.その想いは文章にも託してあらわれているかな.フィドルと来てカルナティックのハリカーンとかその他多数全く区別がつかないけれど(音楽できる才能者にはなんでもないのかも)












どうも関係な絶対性だけれど、指示的な感覚が過ぎる逆性と自己疎外を強制された形を持ってしまった形の巻き込み専制性を受けていて、追随しているような形では概念当てはめがいずれも曖昧になり、いまでは当人の海馬がとか考えて直感による表現だけで、当人にもよくわかっていないものだったようである











ふと直感が示した.境界に直面意図記述時に境界は古いと、どうやらついに過渡期が終わったようである.











『小さいものは大きいものより大きい』はp進示唆としても良い記憶がかろうじてある











xxは芸術品であると述べた作家がいて、どうもずっと疑念を持っている.芸術家は陶冶努力はするが要領などを使わないはずで、どうもxxで努力より要領を使う存在も多いと思えてしょうがない.多分この作家は憧れか理想か若しくは位相が多少未然形とかが考えられる.


 
         








シューベルトの悲哀的孤独感には閉口するけれど感性の切れ味は匹敵する人物はいないと思っている.久しぶりに聴く未完成のイントロはあいかわらずの孤独感かと思いつつ聴いているとそのうちに心がほんわかしてくる.ある所で聴いた時など子守歌かと思い居眠りをした事があるな.











その喫茶店にあるxxと行った時に、女主人彼女が良かったねと言う-良くあるかこんなxx最低だよ-と考えたが口に出せず今でも表現できなかった心性に苛立ちを覚える.この喫茶店では色々考えてその刺激は彼女によるものとすれば意味上の存在なんだが、現実展開の契機は他者達が介在して来た若き日











二十一はアポロン以外に浮かばない…











曼荼羅はどうかとは思うけどけれど、個人的には空海がいいかなと思っていて、大乗はご覧にの通りの状況としてその辺はヒューマニズム項目二十九に記したが…











まあ傲慢といえば親鸞も親鸞が人のためとかはどういう意味じゃとは思うエゴ的を単純には感じる.そもそも釈迦の逸話天上天下唯我独尊自体傲慢表現である.そんな宗教に帰依殉教すると傲慢の影はある事になるのかもはあるな.大乗の理念誰でも仏性を持っているは誰でも傲慢な存在と考える事は出来る事に












南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏を昔自然に比較したある喫茶店での認識は間違っていないと思うけれど…日蓮は直感では怪物のイメージを持っていたが、内容を幾分か知るにつけ、鎌倉世相をうまく利用した傲慢な存在に見えないこともないなと思えるかな.いずれにしても大乗の話で後鳥羽院をそのようにか…


 
         








生存過程はポテンシャルばかりではなくエントロピーも有する、或いは共存を持つ.











カフカは境界的でしかもディレクレ境界出来と作品内容からは言える.実存性もあるだろうけれど境界性作家が適切だな.サリンジャーとは異なる境界性だが











ディラックコーン関係を見ていて、対称形を基本とするならば、対称性の破れにおいては評価さたとして、さの領域は/でて来ているので、リーマンの零点は/を形成する主張点は自然な事と直感が示唆した…











意外というか僭主性に味を占めているためかしそうにないかな.日常であれあれそれは既に昔の自己思考だよを聞くことがxx&xy共々多く、目の前対象にもっと言い方がありそうなものだと思う過小評価される事多し.そんな人達を僭主人間とはいい表現を思いついたと考えている.












それでも地上に無放射能のエアポケットが生ずる気がしないでも無い…最も放射能蔓延事態ならずとして、核融合を成功させている未来夢も見ているのだけれど-これ宗教的かな?












芥川龍之介の影の病⁈、ドッペルゲンガー?知らなかったな、その辺で漠とした不安か、なるほどと想定できる.ひとの未来意図目的を他者表明によってそれと知らずに妨害ばかりされてしまう事多し…自己内部思考でトートロジー過剰で白ける不都合でしか無いと、認識程度低き存在は気がつきもしないのが











位置的位相的にはいえるけれどサイズ的には人体宇宙からはクォークがブラックホールになるのか?.と思うと人それぞれはBHを持っている事になり、かなり厄介な哲学的な予感がすると共に紐解きもその位相的には容易かもとなる.無限降鎖はどうにも昔から解けずで、空虚は判然としない無責任さと思い…












外部域がないとは持論である.神を用いた宗教も不合理ゆえに信ずなどからは神は外部域的と言える.阿弥陀の救いは神の救いと位相上は似ている事になる.












他力本願は外部依存と似ているとすると親鸞は阿弥陀によってユートピア論を展開した事になる.ただしここではユートピア成立のためには外部域が無いとを用いている


 
         








ある時ある人物に'制約と検閲(知的レベルの意味で)は重要と思われます'と述べた事があり、この辺で齟齬と模倣(ある対象に発語しても白けるだけと思い倫理制御による未発語とした)蒸し返しを受けた事にきがつかず、まさか未発語をここで聞くなど思いもせずで、その不快なある対象位相を受ける理不尽に


 
         








そのある人物は無茶苦茶な判断をする人物と記憶にある.どうもこの人物と似て理不尽を行使してくる存在が多すぎるのは何故なんだ.そんな存在達は無知ミルグラムの甘えデタラメ傲慢者たちに見える.












ある時あるxxにインチキしたなと言われた事がある.インチキ?心外な言葉だ、陰謀家を自認しているわけではないし、記憶にあるある陰謀野郎と誤解されたかも知れぬ.その後には何度もあったが…このxxは生理的自然以外はインチキになるかも知れない.生理的自然は心理的思考的自然を邪魔するケースが多い











太古の昔の表現の念頭にあったのは縄文時代の人権に性差はあったのかどうかです、なかったと考えたい思惑がありで…件の人物のアフリカ的段階にはその導出理由はやはり現代意識からの視点と思えなくもなくまた導出時間に個人的な苛立ちがない事もないけれど、まあ視野対抗意識があったのだろうな


 
         








洗足出身の打楽器奏者を気にしすぎたか、桐朋系の先輩後輩に洗足?と・回聞いて失礼な質問をしてしまったなと思い記して…小澤征爾は桐朋短大出身とあり











個人的な沈黙への沈潜は快楽だけれど、社会的関係における他者見解への沈黙はほぼ否定で後に沈黙忍耐した不快に悩み苛立ちをする事多くて.世間的には沈黙は肯定していると思われているような?.あまりの不快は反発を余儀なくするけれど、肯定するなら沈黙はしない.しようがない喋らないともあるけれど











一般に作家と称される人々は何十年もある対象について悩むものである.普通に悩みますを極力排除しがちな人を想定してだけれど.何十年もブレないや何十年も沈黙をするや何十年も一つの主題を追求するや何十年も一つの謎に悩むとかするものである.











或いはユダヤ系とかは関係なくか、ヒトラーの予言意図はドストエフスキーの大審問官的な位相や位相意図としては均質的で極はないかなだけれど、ウェルベックの素粒子のエピローグ述懐も似ていない事はない.なんとなくヒトラーの予言の様に世界は進んでいる気もする.また…












秋の校庭、多数の群れ飛ぶトンボを見ながらどうにも『過程が統御を内包している』と言わざるを得ないと考えた中学生











不都合否定弁証法的ゆえ我慢忍耐しているとxx&xy特にxxから誤解される.xx都合良く肯定的でもそのお互いのあるいはこちら側のか表現方法により齟齬が生じて否定的になってしまう…


 
         








冗談でもいいことはありえず、冗談での場合は無効である.因みに不条理は高等な滑稽の表現を見た.人間はハイレベルの滑稽存在なのか、笑いは人類最大の発明とか述べる存在もいるわけになるな.笑いではなく喜びではないのか、笑いはガス抜きかその瞬間のもので、喜びは感動に繋がると思うのだが…












これは第一次大戦の頃から暫くの間の世界歴史は歪んでいたと見る.自由=必然はいいのだけれど-今現在ではこれをしていると見えるC国があるかな-なぜロシアにスターリンが登場してソビエトの歴史があったのか直感した.お陰で遠かった言葉の大日本帝国など帝国主義の言葉を思い出してしまった.












帝国性か何が不快といってで気がついた.帝国性的人間はまだまだxx&xyにも多いな.最近良く見る反知性とは良くわからなかったが、帝国性としてならわかる.帝国性-横暴理不尽無謀他を含んだものと解釈.あるxyがその帝国主義性の野蛮さの香りを代理ミュンヒ的に気取りで押し付けの不快な記憶がある.











小学生の時に錬金術を否定し切れないと思ったけれど、ドルネウスなる存在がいてしかもユングが注目したとな.中学生の時にユングの元型を浮かべてよくわからず、またそれを日本に適用し用としてうまくいかなかった事を思い出す.


 
         








共同的思考者の自己無責任感にどうにも苛立ちを覚えてしょうがない.指示型人間に誠意を求めても無理な相談なんだが…


 
         







共和幻想系の不可能さに対する苛立ち可能性の無さに対する不快感はあるとは思うけど












忠実はどちらかというと無機的誠意で有機的誠意ほどには感情が無い.











やはりよくわからんが、'人間が生きるために必要な現実的な条件が奪う事のできないもの'と考える人間は大学教授などになるわけにはいかなかったろう.ここでの特徴は欲望的条件で有限性を述べているようだ.生きるためにの条件はいずれ無効になるのが人間だが、有限を絶対としたか?.状況は無限ではない











不条理を自由な意志とする考え方は?.不条理に対して関係の本質とは?どうにもわからん.まあ不条理を克服していない事は確かで、その場合の関係とは受容ではないのだから盲信がその候補となり、とすると現実的な条件からはデタラメなる表現が成立する.対称性の自発的な破れを関係の本質としているか











99%努力した結果1%の閃きを得るではないのか…










矛盾に対して二者択一をするケースは対称性の破れに似ているが、弁証法の止揚を関係の本質としたかも.なんやかやでどうも関係を考えていた頃は正規分布思考に決定権を与えたようである.その頃は凡そ地球上の物事は正規分布に従うのは自明の理であったはずで、今日はいくらか情況は違ってきているが…











現実的な条件といえばまさに動物はそうであって、弱肉強食化示唆になるが、思考できる人間を動物化の過去的にするのはきつくまた思考者がそう考えるのはその対象自体が動物力強いと思えるが-社会的だから本能に従うとは考えなかった関係と思えるけれど、ありそうではあるイメージがある.











%の閃きは%の努力を要請するもあるな.











未発達の思考位相は発達位相を未発達化過去化する.無機位相を有機他人に強いるのは代理ミュンヒハウゼンの徴候かそれとも有機無効必然を意図しているか-それは無機的強き位相者も同じ事-または有機体には違いないけれど無機位相強き生き方の自然で有機位相がかなわないからとも言えるかな.











正規分布と対称性の破れの共在する世界の表現が浮かばない.複雑系性またはカオス論世界は含む事はできるけれど











ビットコインはわからぬが、価値尺度がなんとなく不確定性原理的と思えていてプランクの定数様があれば分かりやすいのかなと.今知った支払い手段が問題となるのは直感できる.












石川達三に金環蝕なる小説かあったのか、青春の蹉跌の渋みエートスには閉塞感がどうにもならない横浜伊勢崎町なんぞを歩いた夜の思い出がある.イメージで読んで読み終わらなかったか内容の具体さは違っていた.裁判ものだったような記憶あり、しかしまずい時にまずい小説を手にしたもんだの記憶がある






















国家の権力原理も全か無かの間にある?とは考えたことはなかった.個人の考えは全か無かの間にあるとは思っていたけれど.共同体といえど宗教の間にある事になる…ところが宗教法人を許可するのは国家だからやや矛盾があるな.境界域ハイティーンの頃は全か無かに直面しがちなのは人は経験的に周知済み











月のアンクルではなく月のヒールだった.散歩といえば奥秩父の雲取から笠取雁峠への道で笠取小屋近くはかなり長い平坦コースでとにかく何か考えたりしないと人で歩くには退屈になる所.雁峠の夏は野原に種々の花々が一杯咲き乱れ…まあ単独行は思考せざるを得ないのは普通











冗談や虚偽的事象演技性は反交換に取ってリアルに見えるようだ.そうして反交換の圧力が強く無駄ばかり要請された今の意図的に不快な事態.無自覚なようなので「反交換とはなんだ」とか無駄要請者達に言ってやらないとだな…











トルストイはジャイナ教を知らなかったのか?.それとも自力でたどり着いた考えの主張でまあ述べるということか.植物も有機物はともかくとして、ジャイナ教に取って体内の微生物の位置付けはどうなんだろうが、埴谷雄高死霊(シレイと読ませるとドスト悪霊からだろう確か聞いた…)以来疑問である.











昨日のAに惹起された噴出はなんだったかな、途中でやめた噴出の続きをさてと思うがもう忘れた.疾走する悲しみはまだいい才能の噴出だから、疾走する忘却の時間は反対に困ったものである.'何もしていないよ'と言ったxxが浮かぶズレの齟齬を思い出す.結局何もしていない無知の幸福も一手の忘却だけれど











参ったK理論、省略できる利便さはあるが、こうくる皮相にすぐ飛びつき恰もこの皮相は自分が考えた事だと思い込むxxがまたまた出現しそうな気配予感を覚える.全く他人の努力を容易に利用したがる図々しい位相もあるものである.その価値の第一義は出産にあるという、つまり出産以外は価値を低く見る所の











そんなこんな不細工は嫌だよそんな事は当然だろう.全く一生美人が不可能な白けなのによくツッバれる厚顔無恥だ事だ.-ちょっと面白そうなので記して置いて.カントの判断力批判など読んでいない事は確かな言明のxxも始末に悪く…











Kを発見したグロタンで、発見とは如何にとは思うけれど経緯が理解できない.適当な徒花Kと思っていたのは低次のとをなんとなく想定したため、しかしどうも拡大というかお釣りがあるなと感じていた…徒花とはとんでもないガロアの深淵に結びつきそうな高次があった、それでなくてももあり











歎異抄は何やら読み方もわからず難しそうな抽象的なタイトルで取っ付き難い書物だなとずっと思っていて忘れていた.年頃から絡まり出したような記憶で、悪人とは普通に悪事を働く人との解釈には唖然とする.薬があるから他人を病気にすると同様で、親鸞は薬があっても故意に病気になる奴はいないと


 
         








歴史は前歴史を搾取するとエントロピーに持たせると、若者は老境を搾取するになり老害なる言葉はその辺から発生するのだろう.老境にしてみれば若者も自己と同様な経験をせねばするはずだの見解を持っていそうな事もあるか.いずれにしても物理時間の現在においての直面事項は老境若者同一である.


 
         








天神平のハーフパイプの右側を何分かかったか分もかからないところを時間以上かけたかな登って上部に出て尾根ルートまで出ずに体が冷えて引き返したある年の冬.帰りはゲレンデをスノースコップでソリ降り…この時以来体調異変を決めつけて-思い込み過ぎのような気もするけれど.











ミルグラミストになる視点は別に忘れ去られないと思うけれど、阿弥陀が必要な情況だったようで、その阿弥陀代理に接触したが、その阿弥陀は阿弥陀性者では結果的になかったやはり宗教者-ファウンダー支配欲者だったのではないか











数学も機能効率主義の波に直面しているのか.純粋さが流石に現実への応用がままならないか現実にそんな対象が今あるいは過去また未来に存在しないからとか.機能効率はよろしくはないと思っているけれど.まさか考えてはいる余韻を味わう暇のない連続-疾走する悲しみ的現実意識を他者が行使しているのか?


 
         








あいかわらず無理解のyの模倣とおなじ模倣位相のxx&xyが阻害蹂躙理不尽をしてくる.yは無責任な何を妄想幻想をしたか剽窃を自己思考と思い込んでその思考はナンセンスなトートロジーを避けるために理不尽を行ったような悪徳位相なんだが…











カルマの無自覚者はそれと意識せずに悪徳を行使する?.思想の視点が異なれば正義に対しての視点も異なる正義はカント的には仮言的正義と言えるかな…











なるほどのrbfからfに苦手のFTが出てきて減衰が出てくると気になるが、やはりこれも無限遠収束意識となったうんざりしている実用面強調ものである.無限遠の実態は収束発散なのかはある程度わかるとしても、境界複雑度は不明で、それでも現にイメージできる複雑度を無限遠まで移動すればいいのか…











C[a,b]を見るとなんじゃこれは普遍グラスマンや素領域や行列,繰り込みやガンマなど誰かまとめないのかと思う思惟の法則的気分の苛立ちがある.超弦者がそれを意識的にせよ無意識的にせよやっている?


 
         








噴出からひとつ、ハーン・バナッハよりツォルンの補題は使える事を認知するがただしがある-この辺はある喫茶店での事象に結びつけた仮想と暫く遊んでいた形だけれど、自己問題からまた思い出して煮詰まってきたなと感じる楽しみがあるが、ひとりフェルミ型の始末に悪い縦型A期があいかわらず悩ます


 
         








ランプやヘビサイドとデルタ関係か…QLの一意性の発展変容は:多を漸く思考に使い出したところで.ヘビサイドにはリアルでは不成立なのに成立の仮想でリアルに失敗した逆転現象がある.全く無駄な犠牲ばかりやってるので、逆や模倣はいやなものである.トートロジーに耐えられず自己虚偽をしてしまう…












色々な不合理非道徳な事象指摘が数多くTLに登場してくるが、その理由を象徴天皇期間が短すぎる事にあると一言で言えると考える.











ハイデッガーも透徹とはよく言うよかな、双対的には傲慢に見える.三木清か一冊の書にしたのは.そんなに依存に飢えていたのだろうか.阿弥陀は君ら個々人の心の中にあるとは親鸞は述べていないかな?.宗教家は宗教による他者支配欲を発揮するものだが…人が可能としている事はそれはその人ゆえに出来る事












でクレジオの類の後に無機物が残る言明は積極的自由観点と思う事になる











射線とuperpoitionか、直線状の点面積粒子-数珠の間隔がある程度開いたラインを光子と想定した小学生がいた...











思惟の法則があればなと戯れに思いついたことがある昔、それでは誠に生存がつまらなくなることは歴然.もっともチューリングにせよはチャイティンかコルモゴロフなどがいるのだが.要するに指示言語でOKなものはコンピュータでほとんど可能だろうとは思っている.











芭蕉でいいと思うのは夢の跡かな、岩に染み入るは不快、岩から滲み出る方が静かさを表すと思うので.個人的経験からは、古池や蛙飛び込む水の音が最高であったのを奥にしまい込んでしまっている心情を発見したが…夏草は古の歴史に郷愁を感じる経験があり、それも良しで











円山応挙と与謝蕪村は友達だったのか.蕪村の句では何と言っても柳ちり清水涸れ石ところどころが最高だな、西行のものはどうでもいい、西行の望月の頃は庵生活の割には北面の武士過ぎる.「西行を浮かべた篠の細き道上がりながら俯いて」と思い出す安心感を覚える思い出の義務の日












貨幣はマモンから対象が規定するがどうやら帰結の巻目として良さそうな.
貨幣は交換価値から始まり貯蔵手段は自ずからで、最も難しいのは価値尺度で金が代わりになるとかの有用性が無いとそれ自体ではプランクの定数のようなものにはなり得ず…











今までのその種のツイートをある項目に持って行ってもかなりの近似値を持っていると閃いた.個人的にいいアイデアで、その種のツイートの先を狙っているのになかなか終わらずのそれ以前を無駄にする必要がなくなりで.











無数の宇宙があるはいいとしてもその中のひとつの宇宙が無数の宇宙を持っていると確か雑誌のインタビューでは曖昧で煮え切らぬ印象を持ったが、無数の宇宙がある宇宙をひとつの宇宙とすればフラクタルとしてはあるな-Dbによる無数のゲージ群よりDbが埋まっているばかりではなく発生すればと考えたが…











ワンパターンなる定常波存在の実在を経験から想定する.つまらなくしらけるがその位相力は強いところの中間定常を











反交換者が明晰で突っ張るのはあまりよろしいことでは無いと思うけれど-その明晰は理不尽が多いのだが-個人的には不快である.どうやら経験上の反交換者達は汝自身を知らぬ無知無自覚なエゴイストであったようなのだが、そのうぬぼれが迷惑仕切りなく記憶にしつこく邪魔となっている.











オイミャコンは南極を除いてが付くはずは別にしてエントロピーだったかな気温の計算を理解はしていない…しかしブラックホールの温度は何度とか、絶対零度の向こう側の世界があるような気がする











反対というか模倣者はその模倣の自力力の無さをカバーする為か模倣のみっともなさを誤魔化すためか被模倣者に理不尽を押し付けるなさけなさを持っている.または模倣である事に気がつかない間抜けさを持っているかだな.全く情け無さや無知を擁護すると自己疎外ばかりで全くつまらんものだ.











年前のニューラルシーンは簡単なパターン認識だったのか、それで低迷意識を感じたわけだったか、今なお有限内チップで騒いでいると見た.有限外ができるようになるとAIと人間の共存になるだろう.?ホワイトではなくブラックボックスはまあ有限外ではないだろう.行列なるものを思い出す…











オルテガ大衆の反逆-あるがままの君の自然は他人の自然を妨害しているケースを考慮できない事になる.そうなると一方的事態になるが…ホッブスの万人の闘争とさほどの差異がなくなる…











intropectionで内観として良いのか.ハイティーンの春内観は難しいな方法が見つからないと考えた記憶がある.瞑想なら抵抗はないが、心理の見方が視点か変点してしまい-下降に比例して変化してしまう.この位相は後にあるxxの就職先位相と同じだったが全く思い出さず愚かな自己不利益をする事になり…


 
         








最近は反省のできないまるでロボット的な存在は不快でその単なるモノリスのような壁存在の影なき浅さ-どう見ても深くは無く深さに対して単純暴力で対抗してしまうは存在は不快で、避けようとするがしつこくストーカー的なイメージのするある作家の政治執念となる位相存在と思えるxx達に…及びxy達に


 
         








深さを与えたく思うだけ.そうこうしているうちの定常頭の混乱ではしょうがないが、日常はカルマのてんやわんやにとにかく引き摺り降ろそうとする存在が意図せずに自然的に多数で、未熟ゆえの未熟者が優越感を持つ現実に日々直面中となる.未熟だから反省している暇は一生?無いというものなのだが…












昔作家といえば太宰治かカフカでその演技をする羽目に-もちろん演技だから不当なんだが、増しては双方共に嫌いな存在なのに、xxは平然とその不当をリアルな真実と思ったのが多いかな.特に太宰治には辟易する記憶だけれど浅はかなxx性と俗にはユダの裏切り性を如実に示しているxx性というわけだ.


 
         








待てよ厄介と思ったのはルサンチマンではないかと閃く.憎悪は不毛に終わるが、ルサンチマンの取り入れには迷ったな、確かニーチェが念頭にあった気がするが、ニーチェとルサンチマンで何かあったかすっかり忘れている…別に取り入れなくて良いのだが、使い方により面倒を省略できない事も無い.











関係契約理論はこれかもと思う幼き日の複雑事象停滞に結びつけ可能なようなで使えるかもとは思う.類するものはやはりスケーリングを携えて自然に描けてはいるけれど.











なんと無機物が有限であるとは、人間の寿命があり現行宇宙の大きさに比しての先入観から考えた事なかった…高さのない上昇列下降列があれば無機物も無限関係が出てくるが、それも不明な人の想像による、実際にそのような構造を持っている可能性もあるが、神とかは省略まとめ意識による面倒排除ともとか












細胞接着分子か…シナプスの分化の不明をニューラルAIにわかるか?、そんなところが問題でデータから結びつけた回答は出すかもだけれど正解かどうかを実証しないとで、AIが人体モデルを用いて実験するようになる事も考えられる.なにしろ無神経なような叙事指示的人間世界でよくある話だから…











審美感を蹂躙する存在は好まないのは当然だが、権力志向と欲望者またはその双方が蹂躙してくる.他者に対してそのような位相要素はないとはいえないか.多少の汚れは全身汚物はカバーしないし得ない事は理解したかな.汚れが増加する…











xxはどうやら定常波志向を持っているのが普通一般的となるかな.xyの自我を破壊するのが快楽なのがxxであると昔誰かが述べた箴言的弁明を見た記憶はこの理由によると思える.











ソロ社会になる?、何となくそのようで、昔に思っていた事とは逆になるな.単体的傾向人間は別にして一応可換ではなく非可換社会になるとは判断できる











端的に大雑把に見るとソロ社会は非線形的で量子力学的社会に見えるとエルミートが申すのは冗談的としても、家庭を量子家庭にするのはひとつの対処法だろう.不確定性原理が日常となる社会だが、少し前までは不確定判断をしていたのに諸々によりたれて定常頭脳にしてしまったという愚かな日々になりて…











可能性の選択性の自由域・状態をワイルドと称するのか.人々は有限性もしくは閉鎖性あるいは実用性意識にとらわれているのがよくわかる.嫌な宿命的人間は特にそうだろうな.











模倣を当人にするなという人に模倣発言をするのは意味がなく当人を認めていない事になるから模倣者を認めないのである.模倣を当人以外にするのなら考えるが.ましてや模倣者が当人を他者とでっち上げることなど到底許容できるものではない無駄すぎるナンセンスでそうする模倣者は意味なきを証明している











人は要求されている事を要求していると思い込む存在が多すぎるな.どうでもいいとほとんど思っていると逆にほとんどからどうでもいいくらいに思われるや嫌なxx&xyと思って我慢したりすると好まれていると思うとか反交換的事象が多すぎて困ったものである.











U()^とかE*U()^とか専門家でなければとても出てこない表現で、次元を考察するのには当然の如く若き日には抵抗があった事になる.カラビヤウ図は芸術的に思えない事も無いと思ったことはあるが、やはりどこか違う.直感では閉塞感を覚えるからだと思う.世代が続くのは一瞬フラクタルかなぁとも











なんだか頭に入っているデンドロカカリヤという言葉は漫画のギャグでもなく安部公房の作品名だった.安部公房は他人の顔を買ったような記憶あるが全く読まずに捨てたのも夢かも.怒りの葡萄と同じ頃の筈で、葡萄の濃密さに辟易して他人の顔を読めずだったようなだが、記憶は確かではない.


 
         








終わりし道の標べにをロープウェイの駅から土合へ歩きながら何となくロマンの香りがするなと、今あらすじを見ると面白い趣味に合いそうな内容だった.他人の顔や砂の女や箱男は即物題材で完全にイメージと違ったな.赤い繭で公房安部はストップで.減衰振動に終わるか自我の無私化へか存在位置探求作家か












優秀なレーニンはなぜ前衛に?、個人的性格か情況の収束まとめ意識のためか、ボリシェビキの活動過程の為かよく判断がつかない程に分析をしていないからだが、年から年は直感では長い期間だが意図は様相を見た.個人的には年のα部隊に躊躇って失敗的な想いがあり、そのまま惰性で時は流れて


 
   








最もヘッジを掛けていたので、躊躇い側に今はで、いつか躊躇い理由を述べる時が来るかまたは現状は躊躇いの向こう側情況に依然あるとも言えないことはないが…












未来だろうと過去であったろうと時間的な歴史は像が変遷する事にある.











魅惑のアデール積公式があったのか、いつから?.ファインマンの経路で確かに確実に実在はするが、混沌を化のフラクタルイメージに見ることができず.そのうちに見えるかもしれないが、とりあえずはそれは楽しみである.











他力本願ができるとしてなぜできるのか、他力本願をしている当人の才能がそうしているのに気がつかなかった人物がいるような、そこまでの認識者は総体的に災いである経体験がある…












いわゆる流布の他力が危険なのは阿弥陀ならともかくそうでない人物は薬があるから病気になれと述べるケースを往々に考えられるからである.そうでなくてもそんなケースはそんな志向ケースはまた自力でもまた多いものである.











『余儀なくされる***』はモニュメントに取り入れてあるが、この余儀なくには先にあるとすれば関係を個々人が持って組み込まれている代物意識とも取れる.その時には人は責任から自由であるそれに依存した形だから、そう考えると人物には他力的な気分と思うかもだが、それは自身の組み込みになる         








カルマの健康なランダムダイナミズムとマクロ的に記して置いて.不安神経の軍隊示唆は叙事的との葛藤を想定するけれど、作品の脈絡関係は読んでいないので、良心意識の圧迫感-建設的類続圧力意図もあるかも












ライ麦畑で捕まえてという小説がある、明らかに結語を見ると境界を越えさせない意図がある.作者は何を考えてそうしたのかわからないが、沈黙を何十年も余儀なくされた形を持ったのは恐らくこの所にある.他にもある作者の書に目を通していないけれど、影響を鑑みるとそうなるかな…











供給サイドの難点か限界、もし間に合わなかったら値引きするしかない対処とか考えていた頃からさっぱりのサプライサイドに対してケインズ的な位相の分析視点を読んだが、それも政府の公共ではどこかおかしな点がと考えた事と同じかな限界点示唆.確かに法案には資金裏付けがあるわけではないはヒント






太陽と番った海は日中は考えられないから朝日なのか夕日なのか,恐らく夕日と思うけれど見者もはっきりしないな.多少ランボーを読めば明らかになるのだろうけれど、境界特有を上手く用いたのは評価して良いが、内容は趣味ではなく読まないな.境界域を上手く用いる例はガロアにせよ世に多くあるパターン











'局所的にアフィノイドadic空間と同型の圏の対象をadic空間という'なんだかこの領域バカにネチネチとまとわりつくような感覚を覚える領域で妙である.ブールや層・圏は新鮮だった昔から渋とく展開するとは思わず、新たな視点ものが登場するだろうと軽く想定したのだが…











捏造といえば普通陰謀は虚偽的なはずで、捏造は勿論虚偽だが.その心理には真実や事実に対して無責任であり、無責任が成立するのはミルグラム的立場にあると考えた.ある立場に対する依存潜在依存や甘え、対立抵抗などに現れる形があると考えつつあり…











バイオリンはこんなに悲しき音色の楽器だったか.フルートもその悲観的音色は嫌だな.チェロはその点はいいが、マのアンダンテは渋すぎて何度も繰り返しては聞けない.結局トラークルの渋みの確かな詩も鬱屈感を齎すので閉鎖的になる.なんだいわゆる渋いというのはエートスだった事に気がついた.











風馬牛-そうしたい対象が忘られるのを嫌がって執念で心理に食い込むのか、全く記憶に邪魔なxx&xyの無駄な言明が残り過ぎて、失念努力が厄介過ぎて悩みの種の日常である.承認の要求を無理に強いはしないが、自然に理解しているものと前提にあり、とんでもない無関係発言が不快すぎて除去困難な日々












文選左伝楚辞陸游知らず、屈原はBC世紀の人物だったか.やはり中学生だったかな屈原が浮かびそのなにやらで、凄惨凄愴の言葉を知りそのきつい心情は凄まじいなと感じた事がある.凄愴の愴の文字は何?、槍では無いしかといって辞典を引く事も浮かばず印象に残っている.


 
         








しかしリジッドはねっとりとまとわりつくようにその領域だな、複雑さの重なりにお手上げだとした義務教育の日々の思考地点を写真に撮って記憶の補佐と最近したが、記憶の方が鮮明でリアル場所の現在はそこがそこに単にあるだけで、他の場所もほぼ同様かな…解析接続が細分過ぎて剛体化するとは皮肉な











リジッドの全不連結からもい混沌は嫌だと遠い時間になった若い日があったのに今また直面的である.最も若い日にも生成消滅場、ディラックの海などあったのだが知らず結び付かず…Nにしろ哲学的また芸術的とは思えないので想像場解析を直接的に思考したとは?、多分想像場に対して想像力で論理的にでは?











'ここでは円の直径は半径以下'---『大きいものは大きいが、
小さいものは大きいものより大きい』と考えた青春のモニュメントだけれども、何かが足りないのは今でも気になる…非アルキ距離のリジッド、密を疎化するならばフラクタルはワンパターンであり素数分布の方が複雑表現に似合う











深淵ならp進量子が近いな、そのうちにadicと結び付くことが予想される.プランク定数に敬意を表して限界子として定数より小さいものとして限子を想定した事があった…












多様な宗教があるのでその戒律が同じとは思えず倫理意識には偏向モラルが成立していることになる論理だけれども、さて偏向していないモラルとは?











クーパー対をすべきのフェルミxyがBに干渉したがってこれも何かの勘違いをしている、すべきはフェルミxxを求める事なのだが.フェルミ人間のxx&xyを
構想できないかボーズ学者、そんな事は考えられないが…





遼河文明の影響と考えたのは竜の造形物の発掘からだけれど、仰韶文化から龍山文化の地政的な黄河文明域は昔から大文明で有名すぎたのでのぼらず.のぼらせないわけに行かないので、三皇五帝は龍山文化を示すというわけになるな…











私は無自覚無知なので他人を模倣する余地が十分にあり他人を模倣して他人を私自身と見て発言するものであるなる存在が多過ぎる.中には私以外の他人やそれも性を取り違えた他人と見る場合もある.模倣の仕方は私の本態性に従うので同一他人には色取り取りに思える事だろう--そんな声が聞こえる鑑み











無限数宇宙のひとつひとつに無限数宇宙があるなどとの考え方を知ると、仏教のかなりな時間をかける世界サイクルや諸々の誇大的な考えは生理の寿命時間を基準にしたハッタリ的なものかもと考え出して、そういえば億年後に登場する弥勒はもう登場したと記して取り入れてあるのは無限宇宙性だったのかも











思惟法則があればな悩まなくても済むんだがと戯れ冗談の才の見地から、思考パターンを見るのが癖になっている.カルツァクラインからのバウンスは、人を追い詰めると窮鼠猫を噛むから余地を残すもヘチマもなく反発するので、この考えからは反発必至の中間存在などどうでもいいとせねば体力は持たずと











アインシュタインのサイクリックにせよブレーン衝突にせよ神はいくつ宇宙を作るつもりなんだ、また現宇宙の次元は一つではないのかとなる.普通に神は現宇宙のみであり地球も個しか作っていないと思うのに、物理者達は超神的な位相を一つのみ宇宙思考からは持つことを考えていると思えてくる…











無限数の宇宙のひとつひとつがまた無限数の宇宙を持つも、例えば〜区分が無数にありその区分の中に実数が無数ある仮想ができるから、これのアナロジーとして思惟の法則パターンを見ることができる











散文ではなくよりポエジーに近くするのなら完成もしようがだが、色々難しい面は出て来そうだな.











カルナップといえばそのうんともすんともいかない完璧イメージの完備で思考ストップの思い出がありで…多元主義なのか?.漸くある数値に妥協したところで、ウィーン学団に行く前が頑として何項目がありまだ集中行けずと











非可換となると素数の区別ではなく濃度で省略しないで実数の個々の区別をすべきではないのかそのうちにそうなるのではと中学生の時に反復悪循環や繰り返し互いに射影線路で焦点想定の様に妥協したうやむや悩み者はそう考えたい.リーマン予想自体が何処かに消えるような?.となると濃度概念が問題かも











ウェルベックの服従などに刺激を受けて考えるに、宗教戦争の非妥協性は死後救済がある故を想定しその救済はまた生前事象の戒律一様性の様に一様なものだと浮かぶのは死の平等位相からになるかな











神に依存した戒律者や殉教者は神にまた責任を委託した無責任者でミルグラム実験の責任無ければや例証事実のよく言われるアイヒマンなどを想起する宗教性関連感が浮かぶ











ウェルベックの服従は読み始めて小説ではないか斜め読み必死だなこれはと思う.あとがきやエピソードから主題の解体は難しいが意見は持っていても述べるのは難しい宗教性を慮ってしまって.安易な現象比喩暗示例に用いた箇所がある取り入れで、それの解析…が慮りとして解答と今気がつくその方法論











陳腐な人間が自己欺瞞で固まった虚栄心的優越感のバカバカしさはかなり不快だが当人はカムフラージュが出来てご満悦と見れるのに拒否的態度を取ると理不尽なあの手この手の言明が登場して災いにしかならない経験がある.自覚しろと言っても自覚ができる優秀な精神レベルには無いから満悦すると思われ…











苦渋の持続するを要請体はその当人自体渋み存在だが、渋いのは渋柿を食した時の味覚のようにしつこく束縛をして来るものだ.深いのならどのような深さなのか説明してもらえるといいのだが、エートスの閉鎖的人生を評価できると思った事は小学生だったかある.ただし個人的にはその閉鎖束縛性は不快である











しかし一歩下がるとその強度度合いには差異があるが、対象に対して必ず上手く行かない事になる経験ばかりあるな.何が何でも自分に非があると思っても突っ張るエゴ的な自己主張は意味ある事になるかなと浮かんで来て、あるそういわれるソフトであるにせよ民族性を浮かべた.解決不能は第者の裁判官へか











ジャストアリトルレインで月の小学生が小さな杉木立の道に座りて雨を通して構造を見た時に結びつけて雨は慈雨的に解釈していた.別に耳に入って来た部分だけしか記憶せず他人の歌詞全部を暗記するなど難しくてそんな模倣はまずする意図無い.











在外女性たちはいわゆる自我主体墨守と見えなくもない最近のTLや組織システム接触などから、兼愛の言葉自体は意味する所にはふさわしくないと考えた事や兼愛の行使は諸々の抵抗が強すぎるなと想定していた若き代を思い出す.偏愛か偏愛は使えるな…











独身ニュートンりんごが落ちるのを見て閃くの逸話あり











まあ科学もニュートンやアインシュタイン的な事は暫く予測できないので、基礎も実用的なものになるかな.これは物理視点から偏向しているかも.とはいうものの物理学は数式を用いなくても書物を描けると恰も文系のような認識をやはり若き日にした事があり…






墨家が消えたのは秦の成立では守るべきものがなくなったか?.非攻は条のモチーフに似ているな.家父長的なものを偏愛とななるほど.苦手な宿命を非命としていたんだ.明鬼は天志の具現化では?











歳の冬に徐に考えた事はそれでいいはずと思っていたけれどある言葉を用いてみると、それだけ論理的に考えてしまっていた形で修正の必要を感じている.修正となれば今までの長き時間それでいいとしていた事に愕然の想いをしている.











小学生の時に中高一貫校はどう見ても有利でかなわないなと考えたことはあるが、小中高大一貫校は考えた事なく、中高大でさえあまり意識に登らない小学生時代の縛り











そういえば『現生人類は…』を取り入れてある.ウェルベックのようにオマージュはあるにせよ旧人や猿などとドラスト表現は考えはしなかったが…












自由には制限が必要でゆえに宗教が登場とは?.類的な共同体全体意識視点の発想かな.精神の自由には肉体の身体のの制限が常にあるが⁈.カフカの逡巡はそこにあり身体の束縛が精神に不毛を齎す表現をした作家と見る.神の言葉にも行けずさりとてパンを否定しきれずに:位で身体優位の境界者カフカかな











余剰次元の大きさは^-cmだったのか今頃知るとは、頭を動かせずのシビアさで考えるのを止めたと思った時から何十年経ったのか.最も他者が出してくるアイデアに乗る設定に超弦だけはしてあるのでいいのだが、そのサイズなら考えを止める事も無かったな











O大はほんと大塚にある.大塚と言えば山手線の大塚駅を思い浮かべ?となり、文京区大塚があり護国寺はその大塚にあると.O大は茗荷谷と接点記憶していて…











徒労に呪われているなどと謙虚に自己責任道徳倫理意識を持っていると他者が調子付いてつけあがり不自然なナンセンス歪めを面白がって強要というかそうする事が自然当然の如くな態度を取って来た事は、そうする他人が道化的存在なんだとどうも設定できる.つまり主体を歪める羽目になる他者達は道化師と


 
         








あまり気にしたくなかったTcとフェルマーがなんとなく結びつく











実部の/が無限遠だったとか…はないだろうか.極が無限遠点ならとも考えたりするが、いずれにしても予想は見た目はランダムを保証しているようで今の所そのようには使える.












実部の/は普通には確率の領域に入っているが直線上とは?、この/の理解をモチーフは必要に思えるので、故人となった隠遁者は何かを考えていたのではないか…


 
         








摂理の圧力とマクロを使えばなにも悩む必要はなくなりまたフラクタル-パーコレーション関係でも考え出すには大変だが面白いことではないけれど、普通現象として形態幾何的に用いていたかがある.知覚と理性のギャップが素直に良識的でいいかもと思いつき取り敢えずの正解として見る











これこれこうしたら結果はその通りになる事があり、わかりきった事を図太く行う神経は持ち合わせないとしたのは代の頃、つまりは答えの出る線形だったのだが、今は線形問題でも解くのは難しいが、答えがあるのならそれを求める過程時間は無駄ともばからしいとも考える.挑戦意欲自慢意識は別か…









 

しかし叙情者は過去の叙事的部位それも小さな部分となっている叙事を行使するのは困難なのとわざわざ過去に向かうのも苦痛なものであるのが平時である.










 

⁈無自覚者は自覚者も無自覚者と見ているのかなの考えが浮かぶ.逆-無自覚者がそのままに自覚者として態度をとり、自覚者に無自覚を要求するという不自然なことがまかり通り、逆はこのケースでは卑劣な所為となる.また陰謀型思考者は卑劣も自然なので卑劣とは思わないだろうな


 
         






 

任意のa〜b間でのフラクタル体のような存在は渋みを示す、また束縛力も示唆する.aは身体の表面である.無限に濃い生理体はなくいかようでも有限だが.bhに似て重力が強い形になると保存力が強くなり変化なしのワンパターン束縛力を持つ.ブラックホールは無限濃度無限密度の立体領域と仮想できる.









 

なんでも明晰にしたがる存在には例えばe+-πがどうなるかを説明してもらいたいものである.そうなると悩みのない人は悩める対象を知らないか逃避している事になってしまうとなると神聖も問題となるが浮上してきた.まあ代理規制を用いて悩まない事にするだろうが









 

昔理想流体なら面倒でないだろうと考えた事がありオイラーが理想流体方程式を持っていたと今知るとは.その上高マッハ数の圧縮流れに用いると、そうだったのか.柿の木の側でジェット機の衝撃波にぶつかると怖いなの小学生はマッハがなんだか知らぬ言葉相対性理論の感覚広がり様のもの辺りを思わせた.









 

あるxxがいて嫌な目つきをするなと思ったのは邪悪で封鎖的で封建的で退行的だったのだが、御多分に洩れずそのあとに凶暴に暴言を吐いたというか縦の権力を受けてまたそのパワーに抗じられず付き合った今でも不快な個人的には無理解な傲慢さに馬鹿馬鹿しくて処置なしだが、ビッチ的とも思った事がある









 

いつまでたっても不快なxx&xyがいるのは承認の要求を満たさなかったから.そんな事は要求するわけがないという倫理的に反対の態度や発言をしたからと、どうでもいいと避けているのに逆に絡んできたりするから.そんな対象にとっては承認要求が満たされないのだろうけれどこちらを無視している事も確かで









 

不当な行使者が同権による立場に立つと責任転嫁ができなくなるので今より大変になると思う.昔に人間とは有限外オートマトンであるとある人物に言った事がある.有限ではなく有限外でありたいあるべきだとの思いだったが、有限外の時は実際にはオートマトンは最低線でオートマトンでない方がとは思ったが










瞑想用図柄種類以上見たが頭おかしくなるかと思ったけれど全体としてはセンスある.瞬間に昔見て完備結論の出なかった精神分裂病者統合失調者の未形成ワンパターン図のイライラを思い出した.未だに説明と理解ができない.未決定の繰り返しは領域が秩序を持とうとする境界位相かが漸く浮かんだが…









 

エプロン姿が似合うのフレーズの時に浮かんだのはK子であるxxはなぜだめなのかを考えつつ忘れているような自己との戦いの日々を思い出す.今でもそうだけれど、K子かまあ好きな女性には違いないアイネクライネのK子.あるxxは今も無駄に悩ます記憶にある.普通に対処すればの後悔は否違うはずだのダブバ









 

思考の原点位置のそれぞれの撮って来た写真に短文記憶ヒントを漸く書いて保存.時たちて見る影も無き荒廃の自然の成り行きをまざまざと見る.脳内記憶の方が忘れずに鮮やかな専ら小学生時代.結論や原初要素として展開可能や難解で停滞なものは少し後だったかやとにかく豊富な思考要素の小学生だった日々









 

なんやかやで実名を用いた小説なりを描く事はあるかな…その昔要請された事でもあるし、しかし相変わらず困難な事態情態にありて描きそうにも無いが、彼女たちへの弁明をしたい気分はありだが、今度は表現が難しく手が回らない…









 

結節点はnodal pointだった.ノルダムが語感に気分よくイメージも適合していてそのように変容していたな.ノーダルポイントでは自由はあるが締まりが無い.なぜノルダムにしたかな独語ではnordは北domをつけても北の国にしかならず…いずれにしてもあるxxに調子づいた頃の事


 
         






 

まあ単純にnoをnorにしてdalのlをmに聞き間違えた形だろうな、それにしてもありふれた単語と思い込んでいたノルダムが実際には無いとは意外過ぎる.ラテン語関連はどうかな、やはり無いな…まあいいか個人的な造語センスとまみえて、もはや暗記をせず人の話は相変わらず聞かなかった頃で










 

調べてナードだった.ノマドは例の意味で、セルダムポイントではなく、ノルダムポイントに関連しているかな.ルーターはノルダム・サーバーはセルダムとも言えそうなネットワーク.あの頃結節点が気分良く思えた後数十年後ネットが自然な世界となる-仏教の無縁の縁は個人情報保護の時代に成りて










 

猿の惑星でヘストンが地球に気がつくシーンは個人的には映画上の名場面として印象記憶にある一つである.コバルト爆弾で地球が崩壊溶けるか?、分からんがそうであるにしても見ている地球最後のシーンは違うな.これを防ぐ事がどうもできないので回避を考えて見ているが、それが可能とは難しい.









 

過去xxが示唆させた形だが、この過去xxは遠慮謙虚謙ると登場して来た事に今では気がついているけれど、この悪魔的な雑草xx粗大ゴミのような悟性対象と他人が見てきてその他人が自分と同様な思考をしたというxx&xyたちの誤解能力とまさかそんな事はあり得ないと思い込んでいる馬鹿馬鹿しさ










 

個人的に考えて全く思考の進まない市場に付随する暗黒を最近はランベルトのW関数が使えそうと直感している.なんだかあるA期的な叙事的なフェルミ型xx女子大生が思考を進ませない障害である生理スペクトルを持っているのは子供力強きの表現通りは正解の筈の底浅の頭脳の単純さがそうさせていたかな










 

朝のサーフ中にどこかで見てアノマリーが今や気楽に俎上に上がっているのかと、哲学探究もミクロ解や弱解示唆表現形態を取っていると思えばそうで、中途半端ではの浪人や結論出たの女子大生は何を申しているのか『・・これらはなぜか』で結論なのである.『あれか、これか、それか』もそうだが.









 

聖人や阿羅漢でなく一般普通にただ一つの例外は愛情である.










 

スカラーベクトルでベクトル空間で見なくてよかったか、そうなると過去としてまた不愉快な自縛として嫌ったのはミスになる?のも変だな.ベクトルを用いるのは原点使用だから射影的になるのに射影は嫌いと.ユークリッドのベクトルの話で、普通荷物はそこにあるだけのスカラーでありベクトルはないと…









 

その昔ある人物に『人間とは有限外オートマトンである』と言った事がある.せめて有限外であるべきだありたい場合には有限外へのベクトル指向が必要で、有限外でオートマトンである必要もないが・の意味で.なんなれば次元を一つ足したアフィンの考え方だったと知らずにいて最近見かけたルートに際して


 
         






 

そう言えば自動的に皮相へ表出する設定にしていたことを思い出した.無理というかトライしてもどうもうまくいかない結果の形で暫く忘れていた.なんやかやのやたらめったらで表出しているのかどうか判断出来かねる情況で、ただ公務員試験に合格すればいいでは間に合わないはひとつの証左要素ではある









 

メルクリウスとユングの話は知らぬがメルクリウスが止揚存在で無意識象徴とな.賢者の石とは…小学生の時に錬金術は不当なものとは思ったが捨てきれずヘルメス主義が登場して来た今.ヘルメスといえば酒があり太陽神を連想していたあの頃は若かった.


 
         






 

日本は年からデフレが始まり確かに今尚続いているかな、そこで年という年に個人的関心があるともなんとも









 

ウィロイド?、中学生の時に思いつき考えた稲の病気への対処はさっぱりの限界だった.知らなかったウィロイドの気持ち悪いRNAらしきとなるとおもむろにRNAから始めるかとなんら環境手段を持たないのに考えた頃から数十年にして、あのその時のおもむろは正解の気分を持った…









 

原始重力波か、あらゆるものを透過する?、よくわからないが、膜が崩れるアイデアに寄与した.









 

要するに主体を無視した意見は相手に出来得ない、一体誰にものを述べているのか分からずわけの分からんデタラメでしかなく、話続けようにもできなくなるからである.私は私であり逆や模倣を提示する他人は私は私である人間に取って意味無く無駄でしかなく、それらは意味なく無駄な存在理由者達になる…









 

楕円型ルートとテータやwzwとか共形場がか.リー括弧は遠慮しておくの青春日.しかしディンキンモンスターは紀伊国屋での新宿駅東口の頃も記憶にあるしかない変貌となり…なんだか今日華やかりし日々のアフィンリーでは無いか









 

どうもある種の明の境界で暗が登場で良さそうになる.そうすると高々明暗と言う事になり、心理の痛み感イメージをずっと記憶していたのはなんだったのかになってしまう.しかし日本一のプレミアのついている大学なのでそう単純な話では無いと思う気分がある.










 

ミルグラム者も無責任があれば潜在能力を発揮するのでこれを責任を持って能力発揮にしなければなのだろう.道徳感が制御している覇者性がモデルのように見えるけれど、もともと生まれついての覇者型はどうなる.ミルグラムなど関係なく無責任をやるやっているだろう.なかなか自然だからとは行かない.









小学年生の年生だったか、行けるものならハーバードいや行こうとした時に日本の大学はと思った時にやはり東大が登場して、境界が複雑に絡んで解けないイメージを浮かべ、その後数十年ずっとそのまま.今解いて見ようと浮かんでいるがなんとなく興奮発生でそのままにして置こうかの禁止心理も浮かぶ



         






長じてハーバードはおろか英語もままならない事態である.最もハーバードなど青春成長期には全く意図することはなかったが、春の日の花と輝くは好みの曲だった事は覚えている.自発力要請の講義法白熱教室が少し前にあったな.教授は確か…サンデルと少し集中して思い出す.












 

プルーストの失われし時を求めてはロマンの香り芳しき作品の想いはするが中間で何か変な感じも受ける例えばサイン曲線のようである.あるxx南十字星として置く存在にこの作品を当てはめ失踪したアルベルチーヌはつまりリアルな『彼女が行方不明になった』になってしまい実際にそうで結論を見ると…









 

ヘンリー・ジェイムズとジェイムズ・ジョイスでジェイムズから混同していたようだ.いずれにしてもフロイト華やかりし日々の頃の一群の話となる・・・










 

ジョイスにダブリン市民なる作品があるのは中学生の時に浮かべていた.ユリシーズもなんとなくだが今明瞭に知り、意識の流れはジョイスなのかネジの回転の作者が印象にある.ユリシーズは見た読んだことないな、失われし時を求めてのタイトルはいいが長すぎてあらましだけはあるが、ユリシーズは無い…


 
         






 

紅茶に一片のマドレーヌだったのか、水道の栓を捻った時に記憶が蘇ったとして何かで読んで記憶していた…ふとある人物のお母さまの冒頭シーンはプルーストのマドレーヌの模倣ではなる考えが浮かんだ.色々な作品に登場する人物の名前のセンスが悪いなダサいなと感じるのはスノビズムであるからが判明









 

人間とは何かの答えは出ていない.この哲学の命題から人間は謎であり、全ての人間は不明を持っている.即ち不明が倫理であり謎が関係で、この何かが決定権を持っていてしかも自由であるという、全く理解できなかった関係は既にわかっていた事にきがついた.またしてもわからないものは既に知っているに


 
         






 

カントの物自体は人間の不明さを示している事になる.論理的にこの不明は既にあるものを否定する位相を持っているゆえに自由であるといえば自由である.行動主義が不快なのはこの不明から逃避しすぎているから愚劣を感じたと説明がつく.即ち人はこの不明を持ちながら対峙せずに生きられるものである


 
         






 

nimbuと苦し紛れの雰囲気発散に対して「私とは雰囲気である」とした自縄xxからの寄与束縛は過去のものであった筈をすっかり忘れていた**才の閉鎖への落ち込み記憶.所が意識対象上明らかに未来対象与件があり、過去であるはずなのに未来とは、折に触れて浮かんでくる.現状は過去状態で










 

サイパ的存在の他人への感情がない傾向から叙事的無機的傾向者の要素あると思う.無機的存在はまず感情無さそうで冷淡さがあると推定.いわゆるニヒリストも冷淡かな.しかし心の逸脱としたらちょっと不気味で怖い感覚を想定する.無機的だとタナトス的タイプにもなるが抒情性の未発達と見る側面も…










 

レヴィナスの他者は親鸞にとって阿弥陀のようなだが、ユダヤ性からはレヴィナスにとって他者は希望する希求する私であり、その希望希求の現在の私との差異が時間であるとしている.すなわち目的の私に私が作用しているので、私と私の関係を時間と称している.


 
         






 

この黙示録はノストラダムス共に個人的記憶に結びつけれるものがある.昔にあるxxが向こう側から歩いて来た時に描いた同情心を黙示録の内容を知っていたならば持たなかっただろうの後悔的な思いがある.のは黙示録に結びつけた数値として設定している象徴値となっている.










 

黙示録を読んで見る.:にマナが出て来て思い出記憶はあるが、その発生現象を見た事はない.なんとなく性的幻想の比喩かもの可能性を考えない事も無い-ようなマナシーンの記憶









 

しかし世の中無駄な忍耐をさせる人間が多く絶え間ないものだ.有効な忍耐を勘違いするのも無駄な忍耐になる.有効な忍耐は当然肯定だけれど、無駄な忍耐要請者達がまたしつこ過ぎて.どのようなカムフラージュをしようと無駄な忍耐をさせる存在は意味無き無用な存在の荷物にしか見ない.





 

速報:公明党の長沢広明復興副大臣が参院議員を辞職すると山口那津男代表。議員宿舎に女性を宿泊させていたという。

           





 

レヴィナスの時間が他者との関係であるから、マタイ伝のユダヤ人的見方を知った.









 

『氷河は流れる分派は派生する氷河は流れる分派は派生する時は現在に近づく…』-かって悠久の時の流れをかように表現したのは第十三番目であったはず…










 

円の面積はπr^で平行四辺形若しくは長方形で積分的に考えるとした小学校の記憶は全くない.小学生で普通に積分概念をやっていたか?算数.そもそも円の面積の公式自体記憶になかった.ちょっとこれは第三の自由度に関係して来るな.次元を一つ+も応用にはなる…もっとも氷河は流れるは三年生


 
         






 

社会は不自然に歪んでいることになる主体疎外不自然被要請者から見ると、責任は疎外要請者にあり自然が自然であるならば今頃是正意図をしなくても自然から報復を受けていてもいいはずの時間と思えない事も無い.










 

フッサールの現象学の直観的な原点やデリダの差異基盤は人の持っている消失空間範囲内と考えて今の時間で対処可能なもので、遡行は必要ないとするが、直観的原点域が原始性を含んでいる可能性はある.胎児時代に過ぎ去る意識から原始を持ち出したになるな.エルゴード的に現在からなぜ対象反射可能より










 

新たな言語発生には原始的形態を要するで、デリダ的な差異以前イメージを持ったのだが、その原始的位相の対象は指示言語域のものではないかと思いつき、自己表出の変容では原始的位相を持たなくて可能であるのように思う.脱構築が原始に戻るか?.


 
         






 

yによるヴェイユの領域は無明ではなく無名の領域とある安藤昌益とともにを読んでどうもきになるやはりヴェイユの無名の領域は過日のツイートでよかった.そんな考えを持っていた女性だったのかヴェイユ、ヴェイユをどうするかとしたまま若き日から時は過ぎ去りて.なお安藤昌益は縄文的思考法に見える









 

-知らなかったがまさかの聖徳太子は胎内ヶ月で言葉を喋った伝説があるのか-あの頃体内でしゃべる胎児かいると未来になら出現する可能性があるとして、空想的設定でいくらなんでもこれはないだろうと思いつつ取り入れてある或る年の夏の日.まさにまさかの聖徳太子の伝説とは未来の不明にならずに…









 

そうするな・そうするはずがないと他者に沈黙態度を取ると反対に取られた事多し.反対は主体意図主体を無視している事なので反対を認めるはずがない.認めてもその認めを無視するはずなのでやはり認める事にはならない.









 

高麗神社はほぼその位置で溶け込んでいる感あり、年の歴史があったのか.近年に建造されたものらはどうかな…夢にみた物部氏へ蘇我氏の立て篭もり場に槍や弓での攻撃シーンを浮かべる.夢に見たといえば額田王の温泉シーンもまさに幻想として-


 
         






 

額田王曰く、誘惑なさるな兵士はそばにいる、あなたは毅然としていなければならない--が簡略発語としての意味合いだった記憶はある.










 

現象の無化を構造自体としている









 

ネヤ河に飛び込もうとした存在の記述ものは遺書のような遺作というか一般に、それを確かあの時浮かべて別に関係ない位相で心理位相意図は似ているが、そんな心理が今に蘇っている.別にでもなく意外にしつこい存在だった.なにかと文章が長い存在で面倒だが、一杯のお茶は記憶にあるネットか書物から


 
         






 

ある人物に(個人的な私的な)バイブルのようなものだと言った事がある.その人物は夢と詩は同じか同じようなものだと返答してきた.個人的には差異を持っていたはずだが、そんな意見を聞くと惑乱してくる曖昧さを持つようになってしまう.意義に差異があるはずの想像域と理性域、宗教と芸術










 

これこれの事を他者に行う事は倫理道徳感に反すると思い内部に止めた考えや行為をなぜか反対に他者たちxx&xyから後に受ける羽目になる.まずそれはトートロジーの不快であり、他者による自己主体の無視か無理解認識無知か模倣かなんだが、意味はない無駄であり理不尽である.主体発揮の邪魔多い…


 
         






 

生活騒音の縮めをしろとは言っていない、ただ意識は仕方ない面があるとはしている-楽章より、ある項目のある部分の説明として



         





 

哲学的でも詩的でも無く夢もあるので、夢的に『天国への片道切符』は見てあった・・.










 

天国への片道切符とはさすがに考えてはいない.地獄からの生還ならあるが.だいたい天国地獄は生きている人間のための概念である意向がある.あと遺伝子が親の思想を付随させる事は考慮する、その前のその前のが続いて先祖一般に繋がる事も考慮する.


 
         






 

『地獄への片道切符』だったかな、もうちよっと異なる表現の記憶があるが一方性を取り入れてある.時間の長短やケースを考慮して---第二楽章あるいは番目の論理または記念碑・・など


 
         






 

幼き思考の場所、今や見る影もなし、記憶に残るのみ






 

不条理矛盾から決断する時に盲信にせよ判断は唯一だから盲信をするではないか


 
         






 

考えるに関係は唯一の事であって、唯一性や唯一化と.事例では一期一会や一生に一回や殉教性やその他類するものと思いつく.まあ誰でも持っているかな唯一感、唯一を別にとやかく表現しても.固有時だけではなく空間を考慮して固有時空を持っているはず


 
         






 

必然的自由はそれがそのようであるそのようになる時空経過だけれど、かなり強い束縛力による集中力を用いるので、あるとすればの他の可能性を無視する事を考えてしまって、集中感を弱めたままかなりの時間を過ごしている.他者がそうである場合はゆえに窮屈すぎる拷問力を感じる事になり避ける事になる










 

先にあるとすれば自発的な対称性の破れで、無機に対して有機・生命(全体)は唯一性を持っていると言えて、原生的疎外なるタナトス的唯物性感覚表現ではなく、生命は関係的であるとしてみたいものだ.


 
         






 

まるで暗黒域で遠くにある明るい点が音に黒体内部で光侵入点を音の様に見る暗い釣鐘内部を深淵化した指数距離とか、信じ難い体験だった.










 

ポパーの寛容のパラドックスかなるほど.思えば不快な記憶にあるのは不寛容なものに寛容を使った事にあるな・・・.不寛容なものに寛容を使えばなぜ滅ぼされてしまうのか?その理由の証明解説は?.歴史事象などからの経験論ではよくわからず.悪貨の駆逐やわざわざ病気になる必要はないとかは想起する


 
         






 

ノーベル文学賞といえば夫人がほめたという異邦人の字幕ものを見ようとしているがなかなか…ちらっと見た最初はママンがいいでは無いかと思ったが、そのご通読してなんだかストーリー破綻ものでなんだかわからずいい小説とは思えず


 
         






 

ベケットもやはり通読して見るとなんだかわからずつまらんものになる.ならジョイスのフィネガンだが、せいぜい翻訳ものに意気込んだだけで理解できる代物ではないが、小説としてはそんなに悪くはないな.ダブリン市民を中学生の時に浮かべて…










 

直感では知っている限りソクラテスに結びつける存在としてヴィトゲンシュタインのみを浮かべた.まあ恐らく他には存在しないだろう.その結合線関連性を後に考えるかも知れないが、考えなくてもいい主体位相も考える.



         





 

最もギリシャ文字第番目を象徴させた時の意図心理情態は・・・での現実でありなんだが.










 

熱力学の第一法則で解答は出ていたのかとしていいのかな…でているとするとそれは何を意味するかの哲学が生じる.宗教的には似せて人をつくったになり、なんというかこれだけをピック状態だと創世記の作者は頭良くとても優秀になる.ヨハネ福音書.--神は霊である・・と明瞭な記述もあるのか…









 

アリストテレスは通時の香りのする定積分哲学となり、有限要素色彩の強いものとみるが、通時的からは境界要素色彩があるか.何れにしても感覚的に趣味でないのと長々長々と著作品があるだけで閉口するが、二コマコス倫理の中庸だけは考慮する.中庸も一定持続連続を現実に適用すると厳しい事になるが…










 

垢抜けては普通に考えて優雅であり、洗練は神聖気分の感性であるが、思想的に合一でないとがある.仮に見た目印象が%良しとしても、残り%の抵抗が酷すぎる現象事象に最近遭遇し過ぎて、第一印象も考えものだと思う.もっとも不快は昔からあり記憶が悩まし過ぎてもいるな.









 

思うにどうも現実は美<不美の比重であるようだ.美人薄命はそれを端的に物語っていると思える.心理内面的には数多き不美のバイタリティ圧力が強過ぎてと推察.美<不美が正当なら現実は汚いが優勢になる









 

どう見てもパレート的には中間存在が多く、それらの人々は動物的な本能衝動力は極自然に用いるはずと思うのだけれどそれがどうにもうまく認識できない.煩わしい他者が要領を用いて頭を狂わせているかあるいはそんな人々はどうでもいいとしているからか









 

わからない事を知っているが論理的におかしくわけのわからない事と述べる人間は不可知系か?.ソクラテスのわからない事を知っているを当たり前と思っていると、わけのわからない事というのはわかりずらいな..










 

アリストテレスは自然に真空はないものとして、無と無限を認めなかったとは量子の海ならいいが、実際には不便かな.現実にはアリストテレスは有効だが感性的には嫌いであるのでゼロ無しはひとつの契機になる.いずれにせエジプトギリシャローマにゼロがなかったのは重要な事に思え欠陥にはなるかな…









 

引錐刺股は戦国時代の蘇秦で、ならばその頃に浮かべた屈原はというと蘇秦より少し後か.屈原で凄愴の言葉をしったが愴の文字の違いがよくわからず蒼の文字とか瘡など思い浮かべた記憶がある.なんだか知らんが蛍雪は新しく頭に入りづらい面があるな…因みに心理に影響があるのは理由失念の呉越時代





 
           





 

中学生の時に関心したのは徒然草で、冒頭の書き出しがいいと思ったが今は忘れて”ひぐらしすずりにむかいて”しか思い出せない.ちなみに行く川の流れは絶えずしては趣味では無い.月日は百代の過客にしては難しく判断困難である.西行はその名を浮かべたので一応だけれど、如月はいいが望月は俗かな…









 

重層的非決定やランドサット視点や自立などくだらない白けと思うけれど、名残あるとする無意識の大衆の原像にとってはくだらなくないかも知れぬ.アフリカ的段階はくそ意地とでもいうべきかな地政的位置に置いての意欲意識ではあろう.









 

妙にここカップル日にゴッホが流れてくる.仕方なく点描派ならぬ線描派とゴッホに与えてしまう.ブラマンクの臨場感はベクトルがないと成立しないと気がついたので、ある文章のブラマンクが好きの女性表現は野獣派における情熱示唆以外にない事になる.その人物がブラマンクの本質を捉えていたとは?









 

”あなたはだめよ”-でもなく不備の消去はいいのでは、もっとも人間は自然にそうする.自然的存在以上に自然を自然に作るは本当はまずいのだけれど、増大するエントロピーがそうする.アジア的にとは有機自然との融和感であるその雰囲気は東や東南、南まで及んでいる…問題の年に際して少し-









 

システム・システム体系に責任があると想定できる存在が、ゆえに自分には責任が無いと述べたらしい.考えるにシステムに使われていたとも言える…









 

V→V'→Vがある.フェルミてハードコアボソンはクーパー対をできるはずでそちら側だな.反交換が反交換の反交換を考えないから今までの記憶に不快が残っていると思った.









 

アインシュタインのエピソードは面白い.宇宙定数Λは<だろうが、生涯の失敗ではなく生涯の快挙でアインシュタインの優秀さを物語っている.









 

まさかとは思うけれど、昔おもむろに考えた特性方程式で、既約だけれど個の既約解方程式を含んだ方程式はあるか?だったけれど、ストロミンガー方程式(ツイ度目)は条件をマスターしているように思える.









 

”宇宙背景放射は.Kの黒体放射と一致している”-興味深い文章である.そもそも暗黒域から遠くの小さな明るい点を目指すは空洞黒体内部に位置していて小さな孔を目指しそこから外に出ると明るい日常世界が広がっている事でそうなると希望があると.然し老子の道やブラックホールは黒体に近い









 

gixの店内を歩きながら、ここはどこ私は私の気分になった.諸々を消失してしまう気分はどうかするとあったような.明瞭に記憶しているのはある小さな島のホテルのプールサイドとある山へ向かうあるアプローチの山道を独り歩いている時…世界は誰も私の存在を知らない当然私も世界を知らない










 

電子相関の相関とリゾームと最近のエンタングルの考え方と仏教の無縁の縁の相関関係カプラーを直観が志向する.電子相関の相関の所にはもっとモデルが入るはずが思いつかない…









 

理想流体があればで気体の理想気体に相転移が無いと…年BE凝縮転移温度にゼータが来るのか.最大値は見事で感心しているがリーマンのζが来ると関係は厄介そうだけれど、何らかの思考結果はありそうだ.超個体と中間と超流動のスタイルはいいのだか、話はそのようになっていると抵触しそう…









 

反交換的でなくてもわざわざ無意識か何かで反交換を形成するのにもまいるが、弁証法を持ち出さなくてもである.取り敢えずの時間というか無限遠など持ち得ない有限生理意識者の平行意識もまいる.何しろ平行線は交わらない距離だからでありで.あとトートロジーは反発距離を齎すとか考慮しないxx類


 
         






 

経験上遠慮して様子見などをする対象には結局挫折の結果失敗に終わる事になるが、とくにカオスの初期値的な遠慮はまずい事に気がついた.










 

システムは還元できないのなら要素や単子は可能にならない.今のところクォークを分解できない…









 

不連続や普遍グラスマンなどから、安易にあの頃普通の人は差分を普通に用いているとしたのは正解になってしまうが、どうもハウスドルフ空間がそれと知らずに念頭にあったような、それならば差分のイメージは不快なので人は明晰を好むの方がいい.灰色の俗物xxが関与したかな.


 
         






 

この灰色xxを知らず蒸し返してあたかも風車に突進する男のようにxx&xy他人は認識して来た事にその時々は気がつかず自己に引き寄せて他者による自己分析保存を対他として対自とした即自にやられるという理不尽を行使した事に.


 
         






 

他者達の即自としてもそれは蒸し返しに過ぎず既に意味無きものになっているのだが、他者達は意味無き存在とは認めたくないので、灰色xxと同一視してきた理不尽か悪あがき多過ぎ、灰色xx自体白けた保存自己分析を即自と思い込んだという理不尽さという無知具合がしつこく悩ます…











 

その昔義務教育のある日に冒険的探検的にある道の沢に架かる橋からほんの短い滝状の落下位置の滝壺を見て深淵をその沢の雰囲気もあったろう見た記憶あり件の文章に繋げてしまう.確かこの沢の上流に行った帰りがけに霊とはなんぞやを考えてしまいその辺も関係あるか.


 
         






 

幸福目的でない場合は牢獄より精神病院化か、卓見かも知れないが実証を相見えて考えておこう.なんとなく楽しく浮き浮きして来た.あの悪循環を考えたあの場所でユングのパターンを日本人に適用しようとして考えきれなかった中学生の時のユングは役に立つのかライバルなのか悩んでいたが役立ちそうで









 

元型は集合的無意識のパターン要素であるのか.心理学は人の魂を操作するとして避けていたが、その何年か前にユングの元型を浮かべていたので、この設定には難点があったな.中学生の時に考えた日本人の集合的無意識は考えられずそこには漆黒の闇があっただけだった.これは思考の未然かまたは?


 
         






 

それで思い出したある昔に見てどうしても説明できない精神分裂病統合失調者の絵について食中毒のようなジレンマを思い出した.ある一つのパターンの連続図一枚なんだが、そのパターンが妙な事にそこに厳然と絵の印刷があるにもかかわらず判断説明解釈了解ができないとは苛立ちで、できないのが正解か…


 
         






 

神も世界も私も実在しないという空は無ではないのか、悟った存在もいずれ消えゆく運命にあるゆえに空を考え出したと考えて見たのだが…









 

無数の宇宙がありその一つ一つが無限を持っている









 

ガイアはどこから発生した?.古代からのリッチフローや-∞からの時間は処理しやすい考え方だが、マイナス∞の境界はと考えると、昔から結論の出ない実用理論的な哲学問題なんだな.根拠がないという









 

ザリスキにTは無くTはありそうとなんとなくの直感でいにしえの複雑さ抵抗感はこの辺から解答か進むものと思える事に、となると類対論とかクレイ問題に進みそうで…


 
         





 
時ならぬ春雪に渡り廊下に見る竹達もたわわな今日の日に…後は覚えていないこれは自分で書いた送る冒頭には手を回さねば-うっトリプル水素を急に思い出すアイソが浮かんでいた頃.そういえば校庭に群れ飛ぶトンボの季節の記録ものがどこかにあった筈









 

蛍のともしび積む白雪はいいね中学校時代を思い出す.しかし演説の原稿は担任が描いたものを暗記しただけなのに庸子先輩の質問に自分で書いたと嘘をついてしまった事を表明しておくか.よく暗記したものだとそれが手伝って.全く担任も明らかに中学生が使う語彙ではないものを一杯用いて、疑念は当然に


 
         





 

アルトーの器官無き身体はなんぞやを理解してドルーズもなんというかソーカルあるわけだとも思ったが具体は差し控える.セザンヌはわからずロートレックのどこがで.ルノワールの豊満は幸福でいいとは思うが.









 

自己幻想対幻想共同幻想かあるのなら、自己妄想対妄想共同妄想(パニックとか?)や自己夢想対夢想共同夢想(宗教とか?)があってもいいわけだと思いつく.そもそも幻想とはどんな意味なんだ、幻でリアルではないと普通考える幻想自体の意味合い.個人的には幻想のハードイメージは好めないが









 

模倣者による、雑草鏡や俗物鏡・自惚れ鏡などxx&xy総じて自己欺瞞ゆえに、主体疎外の自己欺瞞を要求要請強制強要の理屈付けを漸く思いついた.









 

ソクラテスは普通に考える優秀ではなかった→ソクラテスは普通に考える優秀以上に優秀であった-の意味である.









 

プラトンはソクラテスの注釈ではとソクラテスに毒された面があるのではとも考えてみた.









 

ケリーバッグでもあるバゴンギの色でダリが褒めたデザイナーとは知らず、ベルベット性頭を中学生の時以来使ってみようと思わせたロベルタ、封印的意識が忘れていたが気にさせた事がわかった.









 


量子力学にとっては不確定性・Pコンスタントは日常だけれど、現実サイズは触手を触れてはいるだろうがまだなので、技術特異点は当分来そうに無い.









 

模糊/=逡巡とは面白い.フェムトアトの次のゼプトヨクトにもう直ぐ入るな.サイトカインはピコモルで反応するより-.ヨクトは涅槃寂静で刹那とはアトなので刹那の時間様相反応を現実は示しているはずだが、日常的にはまず気にしないかも.何れにしてもプランクの定数は当分無理な現実世相


 
         





 

ベルカーブを壮大な詐欺と言った決めつけ的は誰-そうそうタレブだった.重力ある地上で現象的に正規分布は有効である.ただし人の収斂意識にとってで、現象に見る無機トレミーはそうではない筈.?太陽から見ると太陽系は正規分布か…いややはりハウスドルフ次元の異なる多様フラクタル性があるのでは


 
         





 


多様フラクタル性!、なんと対処しきれなかったあまりの複雑さの簡易表現が想定的に.









 


全くフレキシブルフェルミはA感覚的指示者で権力突っ張りとさも道徳感覚の罪演技をトートロジー的にしてもらうよりその退行性を自覚してやけくそにならずに対処すべきなんだが、擁護するためにはこちらが惨めになり過ぎで、そのぶんだけみっともない存在だが、権力意識が機能して快感だの存在部類









 

市場経済を考えた時に漱石道草的な明るい空間はいいけれど付随する色褪せた感覚の深淵は叙事的フェルミ的退行xxをモデルにしているようで進みようがないのか.埋没費用だけではで消失空間を導入すればなんとかなりそうだ.このやや腐った感じの暗黒はまさに旧態感覚そのものの封建の暗黒とは違う.


 
         





 

プラトンのイデアは永遠位相のものとしか考えた事しかないな









 

色々知見が及ぶに連れて昔からの自力思考に個性がなくなってくる.古代ギリシャも半端ではなかったな.しかしだ個性はなくなるがそれと同等の実力があった事になるが…









 

よく考えて気がついた中間存在は生きている以上排他性を持つ事になると.中間存在と中庸がどこかでダブりそう.中間存在は無限不可で依存するが無限は中間存在を行う事は当然可能である.









 

宮本武蔵は歳以前で立会いをやめたのか、やや年齢基準は異なるがフィールズ賞を連想した.『時流に任せた気楽な遊旅行』- 空の巻・違うか…









 


しばらく音信無かった事がありアクシデントかと、EUネットワークの不調だった.なんだか武蔵の五輪書が出てきたが、読んだ事なく内容さっぱりで、そのような状況に意味があるようでもあったが.日本人に似ているような見かける日本女性よりチャーミングな女性に見えたな









 

なんだか優秀なできている人間ほど現実に役に立たない傾向を感じる事が時たまありさてソクラテスの無知位相はとなる.明らかにわからない事を知っているソクラテスより他の人々は理解力が無い事を無知の知は意味しているが、ギリシャのその時代の神に対して卑小はよくわかるそんな背景があったんだ.









 

読書感想文のネット売買に即して、中学生のある時に読書感想文に対して考えた事がある.それ以前に読書感想文を書いたかどうかの記憶は全く無いのだけれど.その時には読書感想文は息苦しく何を書けばいいのか悩んだ.別に感想など無いしあれば自己意見しか書けずの結果、随筆ならいいかなと以来ずっと


 
         





 


前にも述べたけれど、マルクスの簡易伝記を読んでマルクスは芸術家タイプである認識を持ったので、資本論なるリアル経済分析考え方法を取ったにせよ、無意識的な芸術性が国家無き経済無き社会結論を出したと考えて整合する.共産の社会は聖人のみもあるが芸術家のみの世界・社会が浮上する









 

アナーキストは正しいと述べた女子大生がいて、相手にすべき存在だったのに、左翼政治的な側面しか考えず女性性を考慮できなかった…相手にせずは武士道的に不利益を選択した事になり葉隠は無駄ではないなというものの明らかに無駄でしかない方向に進んでしまった現実の圧力自然必然には納得できない.‏