2015-02-11

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ファノ-Y軸-中間-ゲーデルで実際に三角形Δが成立するとは、思索不足明らか.そもそもΔ自体の成立は明らかでファノ的中点が3箇所取れるかが問題、2箇所まではOKで残り一つが解けない.擬リーマンで強引に時空ゆがみとはいっても結びつかず.

幣原某はたとえば今日の中国の増強軍事力を--考えていたな...即物的現在として情況は変化しているに対して、神国という言葉の展開がうまくできない、?!・宗教観視点か・・・・

そういうことかそうなるとこういうことを考えることになり、結局、観念論的唯物論であるようになった.

無機物があるいは全時空が・「地球を造った」・とは考えた.無神論の前者、全時空の後者はその判然としていないて領域から精神的なものとして.


日本で安全度がやや劣化してきたは、非可換の時代になってきたからであると思いついた.


今日は、なぜかまだと思っていた思考が結構リアルに即していたように考えてしまう時


超越の壁に阻まれて汎現存在に舞い戻る---ハイデッガーの未完までの核心と思っている.そんなわけでNo.22の困難が判明する・している.


出発点だといったがある懸念があって過渡期と言い直した.それから検証への時間が過ぎ去って出発点としてもよかったと思う次第である.このいい直しがいろいろ問題を惹起したのかも知れぬ.


羊毛状渦巻銀河(Flocculent spiral galaxy)は事実肉眼でそのように見えるので、羊毛的螺旋は実在するといって差し支えないだろう.


端的に唯物論は人はパンのみに生きるものである主義ではないのか、共産社会成就した場合を描くと、どうも神の口から出る言葉によって生きるものであるという考えの強くなっている社会を描いてしまう.


直感では閉鎖システムは糞詰まりゆえに暴力的要素を発生する.暴力の軽減には閉鎖感の緩和がまずは有効である筈である.ところが権力は人を閉鎖化したがる、特に睥睨人間はそうであるので、平和には睥睨人間の緩和が必要である認識を持っている.


システムは要素に還元できないならばある体積・面積を持って存在することになる.無意識からこれは障害である.けだし無限システムはまず存在しない.特に生理的観点からみた人システム時間は有限である、その有限時間を基準にするから放射能半減時間は、無限時間ほどではないが多大なものになる.


経験から不細工なXXはリアル力が強い、秩序意識からは不細工は混沌に近く、美的にはきれいではない・すなわち現実はきれいなものではないということができる.そこに偽善の発する余地がある.秩序意識をもった不細工は性的依存人間かつ偽善依存人間になりやすい.


悪人正機説の悪人を叙事的ストレートあるいは俗物的単純にいわゆる悪事行為者としてなぜ捉えてしまうのか.自覚するかしないかただその問題であるはずなのに.無分別を考慮しながら分別を相対化していく--鈴木大拙はそんな考え方か、これは無限域において完備を考える数学と同じと考えるが.


日本神話に3神あれば真ん中の神は何もしないのが基本ならば、システムで考えたことに適合するではないか..無意識があったのか?


正確かつ清潔好きという分析範疇の単語について、正確に関して不確定性原理を考えてみたら、ずっと上部の単位が大きい領域での対象にしかならないのではないかと思いつく.もっとも日常次元ではそれでいいのだろうが、すでにかなり時間のたっていることなので.--まあヒッグス発見とかは事実化要請だ


叙事は相当考えた結果、ポテンシャルに帰結した.絶望をすれば虚無に向かうといったことで、全くなんのことはなくなんでもなさ過ぎることに、何十年も悩んだ


ある不快なアドバイスを今日ようやく処理できた・だろう.全く無駄な時間を実際にすぎさせるものだ、多分そんな意図もあったはずだが、それゆえになおさら不快な時間を過ごしたことになる.まだほかにも別人に処理すべきことがある.不利益を強要されることはまず不快なことは明らかで..


カフカの名を最初に聞いたときには把握できなかった・普通には把握できると思っていた若いころ-サルトル曰く、実存は本質に先立つ、カフカを見れば、実存は本質にたどり着けないことばかりを表現している.本質からみるとあまりにも馬鹿げすぎている.-実存のみ存在など考慮したことなかったな.


曖昧に誤解・誤読を与えるような表現は、親鸞ただ一人の阿弥陀の自負心と宗教的意図もあるかなであろう.阿弥陀の他力など毛頭考えるつもりはないが、ただ阿弥陀の他力を意図できることはその当人の自力能力ゆえ・またそれ自身であるとも考えている..


「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」--親鸞の悪人正機説など読むつもりも読んだこともないが、あまりにも有名すぎるので.これは単に、無自覚を悪人と称していて、善人は自覚をしている人、悪人をやは、自覚した悪人ならば往生できるというごく普通のことをのべているのである.


紀伝体でも編年体でもなんでもいいけれど、結局叙事的事実で歴史記述となることは全く普通すぎることであることに、妥協をしたことが今もって悩みの種となっている.


ハイデッガーは述べた・現存在のほとんどは未完に終わると、なれば中間存在はほとんど無自覚に終わるといいたい.親鸞は無自覚は悪人であると述べたが、畢竟これは巻き込み意図もありそうだ.


Θのモデルは地球ではないが、一応当てはまる.なんというか想定的なもので自然発生した幼き夏の川原に遊んでいたときに浮かんだモデルをギリシャ文字に当てはめた展開をしているということ.


芸術家は絶対にそんなことはいわないが、芸術レベルからみると日常物はさほど高くないと、芸術は役に立たないは日常の多数派の圧力的姿勢ともとれる.


特性の4式にゲーデルの定理を当てはめてみるとなんとなく・・というほどにうまくいくか.そもそも4個の既約方程式が解になるような元の方程式があるかどうか怪しくなってきた.なぜこんなことを思いついたのか若き日.円分でも4個につながりが想定できない..相変わらず選択出来得ず.


前頭側頭葉変性症・frontotemporal lobar dengeration (FTLD)か、これは使える.どうにもワンパターンの人間がいてさっぱり了解不可にたいして、FTLD視点を用いると結構説明がつくのである.


モジュライパラメーターの数多き存在はある街である女子学生と歩いているときに想定したシーン・乱舞にアナロジーを用いることはまず考える・ように展開していることは当然のこと.


『大きいものは大きい、小さいものは大きいものより大きい』No.10より--自働記述で思考しながら筆記したもの、額面どおりに受け取るとでたらめに思われる文章である.ところが最大値の原理において、前者は定数の場合後者は境界を意味している表現として成立していることを発見した.


そういえば知覚は一般に人間的初期の感覚であるとされるが、あの古の道すがらで考えてだした知覚と、なぜか蓼食う虫も好き好きが不随した昔の記憶がある.なんらかの展開があるはずだが考察は止めている.マクダウェルを眺めながら思い出した.


終生の友として十分可能な彼女達という一群を考えている.しかし彼女達が互いに遭遇したという事態はわかってはいない.


ソリトンが散逸系の場合を知った、そうなるとやはりワンパターンは古典的で古い存在であることの証左ではないか、1987年とはそれでも遅すぎるが、知った時間自体は遅すぎた....


有機体は無機物の進歩・進化または超越であると考える.とりあえずは超新星爆発のような馬鹿力を人間は持っているとはいえないが.


ヴィトゲンシュタイン・アンスコムにいったらしいのは変だが、アンスコムの記憶を見たのだったかな、女性哲学者とは結婚しないほうがいいと.何故だろうと考えるに、哲学者だからとしかというか、エロス面からの忠告に相違ないだろう.


数学基礎論から簡単に哲学にいったというような話ならいいが、どうもそうは考えられない.要素単位で攻めていくと簡単にいけるのである.だいたい無限小の実在があるとして、電子になるのに無限時間かかるかも知れないという想定もできる(ゆえにクォークが存在する?)ので→


個人的に全くわからないナンセンスシーンはサヴァン的傾向ゆえかも知れぬ


イデアルの最大値とかを考え出して、これは冗談じゃない話になってきたと、D・H・Q・n・h...M


無駄な時間を必然的不可避に過ごすことになったのは事実なんだが、弁別的自己対象項目によって、思考の連関ができなかったことになる・それゆえに無駄なときを過ごしたともいえなくもないが、必然的に登場してくるXX達の才能によったともいえる-いずれにしても不可避現象でその成立自体が謎


不連続な弁別的事実は何のことはなく、現状維持無限変革の範疇に全く入っていることに気がつく.そうなると穴としての不連続な弁別的事実はなくなり、妥協的所為ゆえに、或る存在に絡んでずっと悩む羽目になったことは意味がなくなってしまう.見事に無駄な時間を過ぎさせたものだ.


2014年12月中旬-終わった18・19・20日頃


冷静にきちんとした把握能力のある存在は認識を誤解しない場合があるが、多くは逆になり無理解をする・模倣は無責任で自動機械みたいなものだと思うが、逆になったり、過去の話で忘れていることを他者により蒸し返されても、何のことだと思考麻痺を被り、理解に苦しんでいる次第である.


先取りデジャブは本来は他人が述べることで、被対象であるのかなと最近は考えるようになった.しかし内容はすでに過去になっているという認知能力を無視してもらっては困る.このような事象が多くの遭遇した男女達にあり、主体の歪み・阻害・疎外的なものを被っていることが不快なのである.


とにかく理解をすべき女性達が無理解を強要・強制してきて、退行シーンを形成し無駄な時間ばかり作り上げることになっている.なんというか他人と誤解するような人材は認めるわけにはいかない.たとえ社会が認めても.


作家になる--別に太宰治ではない・君はある有名大学を卒業したばかりではないか(芸者ではない).すでに未完だけれど十分な作品があって、君はまだ目にしてはいないので、批評はできない.部分を見た人物はいるけれど全体がわかる人物はいない、秘密となりて自分でも覚えてはいない・・追憶と共に


未完成が伝統を破ることはあるか、『自然に未完位相が越えている情態』を設定してあるけれど.そのような認識で現状日常を見ても得るものはないか.あれ?・STAP細胞云々はこの条件に当てはまるような.


なんだかおおよそパスで、あとは個人的特異箇所集中意識になってしまった.リンク整理の必要云々をツイートしていたここ2・3日なのに、急にそんなことになったのは、代数関連を眺めていた事による.


アフィン空間の虚像に射影空間を設定した覚えは全くない.射影空間は邪魔でしかないものとして感じている..


予知夢があまりにも明晰すぎて(一応、明晰の弊害)、自己自然を意図的に歪めてしまい、いまだ立ち直れず.ほぼそうしなくても大丈夫であったようである情勢だったのだが.ともかく自然を歪めなければ1991年以降に誕生した存在(全てとはいわずなにがしかの)に希望が持てるはずである認識がある.


至って平明な漢字しか用いていない文面をなぜしかるべき女性達は剽窃できないのだろう.行動経験・体験などの性的心性部位によるしか剽窃できないようなのである.思考内容の剽窃ができない女性達はパスしてきている.証左はボキャブラリーが特異であるので直ぐにわかる・・・.時の流れの帰結点は未然


無限時間の次に無限時間が来るという周期や、無限空間の横に無限空間のつながり続きがあると、現代集合論を援用して考えることができるが、それでも納得できない2番目の思考限界直面概念.


『奇妙な保管場所』は歴史を含むとして、歴史領域と保管場所には距離があり、この距離に無機的存在を考慮してもいいかなとは思う.歴史自体に無機は考慮しづらい.ともかくこの保管場所は誰でも持っている筈で、ゆえに普遍的意味で<わたしたちは>奇妙な保管場所を持っているといえる.


現象でみる宇宙にには無機変化をしている星々が実在しているだけで、現在見れるどこに過去があるのかと考えた時に、『奇妙な保管場所』を設定した.奇妙はあえてそのような表現を用いている.もちろん設定から・保管場所・は、歴史を含んでいるものとした.(単純に歴史全てをとしたんだけれど)・・


世界外存在から世界内存在へ橋渡しをすると預言者とか神秘事象なるものが発生する理屈と考えてみる.


哲学以前に非芸術はある.普通にはほとんど非芸術生活空間である.


思想の思想たる所以を考え付いたのは中学生の時、あのお気に入りの柿の木の近くで、人はパンのみに生きるにあらずと共に、脳捻転を食らった.根拠理由をよく覚えていないが、ゆえにスラッファのスラング表現に対しての心情位置は理解できるという思いもあって、哲学探究を読まず・・


あの他家の山道のところでマッハを浮かべたんだ.なぜマッハなのか漸くわかった気がする.マッハは健全な常識スタイルなのである.


叙事的-統合・叙情的-総合の色強く、困難なのは総合.面倒くさいということで統合意識・統一意識をまず人々は発揮する.それしか持っていない存在も多くいるので、平和のためにはここを変えないと.手段は理不尽ではなくライトスタッフ的として.

なんだか知らんがいろいろな新興宗教が日本にも多い.その辺でなにか話したりする強固な抵抗体は、結構さまざまな宗教の信仰者の可能性を最近は感じている.宗教多様性という言葉でくくることはできるが、個別区分は疲れそうだ.