不老不死の薬をなぜある権力者は求めたのか.肉体をもつ生にその場所で強力な権力者といえど自由はなかったからである.
肉体に自由はない.
ブラケットとエルゴードは視野と前提である.
(経験不足・初心者だから長い目で見てみようという対象存在において自然科学・工学的見地を政治者が判断できるか..専門家に任せて自分達は飾りを行うという壇上者達)
「接線の影に隠された無数の曲線を見よ!.」-Θより.スキーム.ちょっとこれを匂わせたところがある.匂わせただけではだめか.その発展があればなんとかうまく・・どうなのか.コンヌをどうするか--覚えていない.考えていなかったかな..
紀伊国屋だったと思うけれど、無限彼方での意識動向において、複雑さは如何ともしがたく自然の成り行きに任せると思った時に、それではだめという内部の声は周囲の圧力ではなく、自らの無知識に対する判断制御力の声だったかもしれない.平滑作用という言葉を知ってその可能性を考えついた.
科学といえばまず自然科学を指す.自然科学といえば地球上どこへ行っても共通であり、なおかつその法則の成立するものといえる.その他科学と名前がつけばこれに準ずると認識している
クリシュナ-執着あるところに愛なく、依存は恐怖ゆえ・・親鸞は依存性故にではないか.親鸞に恐怖があるか.クリシュナの恐怖とは主体のそうでなければ埋没の不安か.
余韻-客去りし後の主人の会心を想定連想した.
減衰が滑らかさを持つとき平滑化作用という.イメージでは複雑になってしまうので滑らかさは使えそうだけれど、ちょっと曖昧の時間をまだ有する.さまざまなケースを一度に見ると・・・
寿命ボディを射影で見ると時空の塊の同一物・固有時からはソリトン的なものとして辟易する場合がある.しかし脊髄反射がワンパターンで常優位性を持つという実在は成立するのか.これも辟易する.
野生のニホンザルにはリーダーはいない.ではボス猿はどうやら動物園などで囲まれると出現するらしい.となるとピラミッド型というのは閉鎖空間が必要なのか.-単純にピラミッドには閉鎖段階が成立するもの.
摩擦と粘性の境界・同境は現実的に有効でそれが通時と共時の同境となる時と波面集合の比較.そうか変容も有限である.簡単には無限粘性などというものがあるか.最も無限に有効な摩擦もあるのか.
諦念の取り方で虚無生活を送るようになるメランコリー・そこに情熱があるとニーチェ的となる.
斜陽に出てくるお母様のような女性に会ってみたいもの.作者のセンスの観点から私的に見た場合でそのように見えただけということはないか.衝動や脊髄反射はどうなのか.-謎の形にして曖昧なままその作品の記憶時間を長くさせようというテクニックの一つ.
(今の財務省は大蔵省と比べて小物なのか.小物でも中身はスケールが大きいということあるのが人間だと思う.しかし日常必需品考慮もしない増税はどうなのか.欧米の物品別軽減税率は本の物品税をまねしたものとは.そんな税対象曖昧の経緯があると一律はそのままで変化しそうにない.-マクロの皮相で他人任せという考えを変化させて.)
中学年生の頃入院中にヘッセの春の嵐を読んだ気もする.そんな作品あったかな.デミアンはカインとアベルの話か.聖書もリアルすぎる話である.ユングのカインコンプレックスか・・.ならば引っかかっているモーゼとアロンの話はパターンが延々と蔓延して続いていることだろう.
(ゼータ関数のイメージに当てはまりそうなことが出現してきた.なんということか..)
まあ関係の絶対性に関しては、関係の絶対性・準関係の絶対性・擬関係の絶対性などを設定したいが、引用なので例証に留まる...中学校のトイレで若きウェルテルの悩みはまだ読まないでよそうと思ったことに多少は関与している.結局あらすじチェックで読むことは多分ないだろう.-柵
パリサイ人というのはサドカイ・エッセネの中で残った律法者ということを漸く知る.
洞穴の前でらい病を治したイメージの記憶あるが、映画を見たのか文章を読んで想像したのかさだかではない.
マタイ伝福音書-第二十七章-ユダは首をくくったとある.
同一性・護送船団は風土・地理的な要素を考えるけれど、ミラーニューロンがあるのならコーポラにせよ表現しやすい.それに関してDとOの差異・動向に当然関心が向く.中国人と日本人.
ミラーニューロンの発見は1996年というのを昨日知った.全然アンテナに引っかからず.逆ミラーは実際の話なのかどうも不明になっている.逆転写酵素があるのだからありそうな話だけれど.あるにしてもスケーリングは予定されるものにしている.
(とにかく知らなかった.オラクルも今はどうなっているのか.八重洲ブックのコーナーにはオラクル関係書物はほとんどなかったのは何時だったか--サン・マイクロシステムズ-2010年にオラクルにより吸収合併され、企業・法人としては解散した.)
無人島に一人いればそれは独裁的、最も他者複数がいないと独裁とはいわないのだろう他者には法律・規則を守らせて自らはその法律・規則から自由である場合、絶対的なので責任も絶対的に有することになぜならないのか.無人島に一人いるようなものになるからだろう.
レヴィナスにとって全ての他者という考えは到来しなかったのかな.ふと倫理の他者という言葉から演繹してみるとそうなるけれど.著作を読んだ事はないので知らない.-よく言って芸術視点からの考察は明らか過ぎる.
形而上学はニヒリズムとハイデッガーが言う.形而上学のスパンが虚無の地平をカバーするとは考えられない.集合の無限を持ってくれば可能かも知れないが、それでも論理と虚無の感情は位相が異なると思う.
いや、母音の色とか紫の夜風なども念頭にあったかもしれないと思い出す.
そう考えるとツイッターの文章はメビウスが語っているというように画像としてひねりを加えて見ているとか.
多分、ヴィトゲンシュタインの寄与があるとすれば「言語とは口に描写された画像である」という私的論理のある部分の言明かな.パロールとは意識していないつもりで、擬似画像を見ているといった場合.
あれれラムゼイの論理帰着は命題云々から離れていた.”「限界づけられた全体としての世界、という感情は、神秘的である」(.)とも言う.-神秘的感情とは、世界は全てではないという感情、世界の外に何かが、世界の「意義」や「意味」が存在するという感情なのである。 ”
また処理困難なところに出現していることもある.個人的な関係の絶対性の内の一人なのでどこで何をしていようと差し支えない存在なのであるが .
現実世界と何かひとつの形式を共有しなければならない--妥協と軽い冗談的な意味合いで考えたことがある女性に対しての錯視?と重なって、ナンセンスに近い悩みの時間を齎している.すなわち徒労・・予期できた徒労や退行のイメージとも重なる可能性があるとまさに無駄になるが、気がつかずに時を過ごし.”「世界は物の総体ではなく、事実の総体」(.)であり、「明らかなことだが、現実世界からどれほど異なる世界として思考された世界にしても、何かを―― 一つの形式を――現実世界と共有しなければならない。この確固たる形式は諸対象から成っている」(., .)”論考-タイヒュミラー
発明者はイギリス人とは知らなかった.中学生のときに点滴を毎してさすがに腕の注射跡がかわいそうと思った記憶も薄れてきたこの頃.生理学者シドニー・リンガー伝
論理形式とシステムの存在性は関係ありそうだ.
多様性の根拠は多元論でその反対はコーポラティズム.「疲れたら交替する」という考え方なので多様性は認める.
双曲では位置が良くわからない.射影で楕円を設定しているので双対最大値を対称的には可能である.でもどうやらミンコフスキーの世界線の移動なんだよな.
どうにも駆け込み訴えのルサンチマンは狂気的に見える.なぜこんな恨み多きものを平然と書いた心理は?.ともかく太宰治はユダであるわけはない.ユダ型の人間とは言えるだろう.世俗的なのか権力へ依存する功利主義者なのかそれともてんやわんやなのか.目茶苦茶的.どこかに筋があるはずが不明.これがなぜばかなことなのか?「-パリサイ人よ、汝らは酒杯さかずきと皿との外を潔くす、然れども内は貪慾と放縦とにて満つるなり。-、然されど、汝らは好まざりき」馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。
これは命題云々とは位相が異なることであると理解している.ラムゼイの興味はいいが.”さて今度は、ウィトゲンシュタイン氏の理論の中でも最も興味深いものの一つへ向かわねばならない。それは、語りえずただ示されるだけの何かが存在し、それが神秘的なものを構成するという理論である.・・”
ひょっとして地上に生きているけれど、核融合存在である宇宙の星々の圧力が人間存在にしているか
セガール辺りが核の冬を考えたのは1983年辺りではなかったか、その後、原発とはいえ(核兵器もそうだけれど)進展・増大している数.核兵器削減条約や非拡散はあるが、原発条約は確かない.その数が増していることは人々の存続に関してどのような作用ゆえか.
そうか論理形式はトートロジーであるので語ることは出来ない--ではないか.意識価値物象の一致と生理体存続の必然必要物もあるがその基底的なものを考察する時間が取れないということで離散的思考対象の出現のみに留まりそうである.今のところ.
FB関係において縮退と最大値の関係はどうも似ているように見える.もともとヒッグスはどのような根拠から粒子を出してきたのかは知らない.
静的分析だけではなくて過程にその性向が示されること自体を考慮する必要がある.変分は場がおよそ一定なのでホモトピーに場変を位置づけるようなこと・・
写像は事物の状況を含むというのはいい.色排除問題で要素命題の独立性を排除したのは有名と・・・そんなモナドのようなことは全く最初から対象にならないはずだろうに.もっとも論理形式優位で思考しているのでそこに陥穽気味となったか.ともかく赤にもいろいろな種類があることから赤を特定する分析思考は昔止めたと思ったことがある.偶然見つけた.昔から興味あったもの.経済理論は捨象批判があるが、さてTLPに関してはと読み始めたが、簡単なものではなかった.論理形式は選択公理像に関してヒントを得ようとしている.フランク・ラムゼイ『論理哲学論考』の書評
あるときのなぜか種々の教育的存在と話をする展開になって、そのうちの一人が地下室の手記を読んで衝撃を受けたといまだに記憶している.なんと幸福な人生を過ごしている人物かくだらないと.地下室の手記
その反面で超音波検査とか何がしかの行為が必須気味になる可能性もある
そうなるとO型の民族は増大していてD型の民族数は減少していることに関して、逆転ミラーニューロンはどのくらいの寄与力があるのかといったことが、多少対象になる.
丘の上の愚者は何を見たか-ビートルズを思い出す.その曲の意図・意味が全くわからず.-ガリレオモデルだった.
胎児が生命の歴史なら、反抗期・青春期は今の社会現前性に追いつく境界時間という人間歴史過程辿りの最終段階であるので、ここをどのように経過するかということはその後の人生に重要であると考える.若いという対象だけではない.
大体剽窃を得意とする存在であるのはわかっていた.駆け込み訴えはその証拠作品.斜陽も所詮はそういうものであることは今では知っている.強靭な共時的実存者で強靭のタフさが苦手.その精神レベルと共に.しつこく束縛を要請してくる読書感.まあ読みたくはないが駆け込み訴えは諸々が騒いでいるので読んでみた.走れメロスは中学校の教科書にあった.ただ簡単に王が翻意する記述は納得できない思いをしたことがある.潤色物だったとは・・どうにも素質は明らかに優れているのにその当人は気がついていない思考言論がかけ離れてでてくることには閉口を余儀なくされる.太宰治は直感でしつこく蛇のようでまた根雪のような不快な存在と思っている存在なのに.まったく嫌いなタイプである.「ある女性とさる時電車内で夜話をして、太宰治じゃないといわれた.君がそういうのならその通りと内的発言をしてしまったことが、いまだに悩ませている.ミストレスにここの中でその忍耐力に太宰治じゃないんかと冗談で思ったことを他の女性に言われる主体の歪み要請」・・後に気がついたことなのだけれど
ああハニカム構造で蜂の巣があった.空間充填は2元のみではなく3次元双曲・球面空間でも考えるというのは盲点だった.そんな窮屈を考えることは自由の抑圧でもあるから.最もロアール渓谷を的確に進むトマホークは地形をモデルインプットしてある.-トマホークには日本の技術が入っているらしい.
(私的論理と人々との思考現実の差分を見ている.それに時間を取られていること.人々の順を追った思考現実もかなり奇ではある.但しそれは常識なのである.)
事実は小説よりも奇なりとはいうが、確かにそれはあるなと最近は感じている.最も卑近な例では気象予報にある.後、予想外である東本震災もそうなるかな.
マンダ教などというものが2000年の時を持続している..
(エントロピー増大に期待する国債、しかし散逸構造の圧力強い国)
1/∞とコルニュの螺旋.へ近づく関係.
混血・今でもO要素は持っているけれど、顕示的に多様な遺伝子になることは自然なのか?.中国は実際に使える農地は少なく、また1億人移住してくれれば万々歳と政府は思っているという文を見た.Oハプロの増加理由が説明できないのでなんとも言えず.あまり日本に中国人が増えてもとは思う.何しろDハプロの国だから.
Θは関数・温度表現・店の名前・発音上アニメ・叙事詩の姫の名前・脳波などいろいろ使われているな.これらは一切関係なくただ単にあるイメージがギリシャ文字に最も似ているところから用いている.」
武田泰淳に精肉という概念のでてくる小説があるはずなのにタイトルがわからない.一度眺めてこの精肉という感じのイメージが難解でわかない.妖精の肉体のようなもの?.神聖な肉体ではなさそうで知的な肉体でもなく心的対象としての肉体?.密度の濃い肉体のことかな.-精神的肉体のことのようである
アイヒマン裁判における責任は・・命令に従った依存というファシストはアーレントのたまねぎで責任を持つということは不可能ではと極端に・・目には目をの相互性からは責任なき人に積極的自由をしても責任を問われないというこれまた極端をいらだって考えてしまう.
ゴート族は自由と野蛮さのイメージは確かにある.この辺は見え張り虚栄秩序狂から見るとやはり野蛮人か.あるいは依存秩序狂から見るとどうかな.依存引き換えに得ている自由という無責任は野蛮といえなくないし..
情熱を用いた分というのは、特に失恋上において使われるものではないのか.母性にも用いるとは自己エネルギーに対する未練を母性というのはエゴイズム的に思える.コンビニで母性は子育てに情熱を使って発生するものという小冊子の一文を見た.生まれた子供を乳母にやってしまうという時代の研究者の記録だそうだ.母性は先天的なものであると思っている.ただ母性にもスケール・度合いというものは現行ある.
スターウォーズという映画は、なんとなく暗黒面のシスが白く塗りたる墓の位相にいるようで、潜在的モデルとして無意識にあったのではと想いつつ、では白く塗りたる墓に異議を自動記述的に述べたらしい人物は?.
石もて打つ人々よが好きな評論家は前衛の自負心か偽善への抵抗だったのか.らくだが針の穴を通るより難しいとそこにはあるのだけれど.どうにもいまだにそうであるように見える.
そう経済に道徳はないという人いるとき、その人は非道徳的存在ということを表明している.
ある作家の偽善者パリサイ人・・はとんでもないことを言い出したとは、とんでもなく見えるのだが.この作家は道徳に関してその地平を低くすることが目標なのかとも思う.確かにキリスト教の理想像はちょっときついものがあるが、かといって非道徳というのもどんなものか.-リアリストのわりに--なんだかどうでもいい
神の代理人とはルネサンス期のローマ法王名の物語らしい.何十年目にして知った.ちょっとタイトルだけでは想像できなかった.
中学生のときに魔の大陸アムンゼンとスコットの悲劇を読んだ.将来まだ冒険域が残っているだろうかとは思った・・だけ
ピンクフロイドに関しては劇団スカウトを断った店で聞いた曲名を知りたいものがひとつある.それにしても原子心母の着想センスにはうなる.
(ディープパープル? ユーライアヒープ?新宿西口駅近のユーyouという喫茶店がなぜかたまり連絡場所となっていた頃.サンタナ 哀愁のヨーロッパを聞きながら.ブラックマジックウーマンは黒魔術の女だったのか.黒い制服の淑女ではなくて..)
夜と霧はいとこから借りてその存在を知り歳のときに目を通した記憶あるだけ-実存分析に対処仕様がない想いは持っている.第三章 極限状態を生き抜く方法
叙事的・叙情的人間共に通時・共時とその同境部位を持っている設定になる.そうしてそれらが調和している・偏倚している人間も実在することになる.となると叙事的と叙情的の間にも境界があることになる.いわゆる自然的存在と人間的存在の間のようなもの.中間存在に関しても完備圧力が有限化を齎している場合も自然に強い人間も多くいるので、ここにも無限理解可能な存在との間に境界を持ってくることが出来そうである.通時と共時の端的な相転移的変換ではなくてどうも間に境界位相がある.同境とも言ってもいいか.
まあ難しいか.三国志の登場人物も三様であることで.とにかく曹操は処理能力が優れているというか叙事的人間で叙情の躊躇い感がない分対象を速く片付けることは出来るだろう.その時の対象は人間であるならばむしろ動物か物体にしか曹操には見えないはずである.e・・これで悩みと無駄な時間を過ごしているけれど. ”「自分の好みのタイプとは正反対のタイプの人に惹かれてしまう」というのは、エコノミー論的にも裏付けられていて、これをkat'oikonomiaと言います。つまり、一見すると逆のことが結果的にうまくいくということです。”
どうも何時までたっても物語りは、宇宙空間自由自在航行可能になっても、覇者と王者の戦いで大体試練を受けるのは王者型の方の設定.当然悪役は覇者型になっている.帝国という言葉には確かに性悪型のイメージがあるな.まあ設定時間自体が今かちょっとそれ以前なのであるが.
サーストンの幾何化予想は1982年でペレルマンは-に公表.次元でさえもの思いはこの強烈な説得力を離散的に膾炙させるものとなっている.
(宇宙戦艦ヤマトはしょうがなく歌をTVで何回か聴いた.イスカンダルは例の曰くを考えさせるアレキサンダーのペルシャ語読み(?)らしい.ストーリを漸く知った.(ウォーズとも似ている.).ブラックホールに閉じ込められて何百年というのは何の物語だったか.地球脱出速度を昼に考えていた・・)
ハイゼンベルクではなくシュレーディンガー的に見ていた.演算子は理性.人々は空間をどのように見ているのか.類推で心像で波動空間を見ることが出来るとは実感している.この心像を方程式化するとウィックの定理とか用いたり、朝永云々などというその他多数があることになっている.
「我が心像のディラックの海にはさすがに理性追跡が困難で、情けなく女になった方がましという自虐心を冗談的に思った20歳の時.リアルなイメージは混沌が生起している暗黒流の複雑すぎる蠢きに対処するのに困難を感じたということ.混沌の暗黒流の自在な動きを逐一チェックするのは難しかった.」-混沌といえばまさに混沌のイメージでしばらく後に、混沌は避けるようになった.しかし、混沌ならば混沌をそのときに想起すればよかったのに、そうならない脳の動きのズレ.思えばズレばかり.ランダム制御といえなくもないが、無意味に傾きすぎているズレ現象.
アフィンリー環というならばディラックの海はわかりやすいが、流行のアフィンLie環の表現論を眺めてみてその踏襲すらなかなか.Campbell-Hausdorfの公式などは初めて見た.ディンキン意識は強かったがルート系に全くタッチしなかった時間の圧力をまさに感じている.
ワンパターン的存在は、わが心石にあらずの心性を持っていると判断.ゆえにその動かない肉体が重く荷物に見えると思った.石にない心の度合いは人それぞれだろうけれど、とにかくうんざりする存在がいるのである.肉体優位の有限性は明らかなので、無限の自由をわからないものという閉鎖感を持っている
「思い出した義務教育時代の励起意識・ここでは妥協しなかった.(大体小学生で量子意識を持ったことがあるので、ここから小学生でも量子力学を教育しても良いとは思っている.このときはさすがにまだ早いという意識を持った.)」ゆえにクレイのマスギャップが気になるのである.
芸術はどちらかといえば権力は避ける・無関係の方向にある.ゆえに権力に依存する功利的存在の小説は芸術ではなくなる.但しその人物が芸術ではなく宗教的存在という場合もある.
チャマーズの意識する心がターニングポイントとは全くのナンセンス時間を人々はしていたものよ.
義務と功利の対立が倫理という膾炙なのか.
人生悩まないに越したことはないのだろうがあまりにもつまらないのでないか.良寛曰く、薪がなくて寒い(?)思いをしたとしても、薪が手に入ったときの喜びは幸福なものがある.ものが多くあればそこに何らかのちょっとの+をしてもさほどの効用はない.
極論・罪の意識のない人に対して罪という積極的自由を与えても罪にはならない--では警察の存在理由がなくなる.罪の意識のない人に罪の意識を持たせるのにはどうしたらよいのだろう.反省意識の浅い人を深くするのもどうしたら..
現実の最大値の深淵はどうも権力のバックボーンのようでもある.もしバックではないとするともう量子力学しかない.因みにGPSは相対性理論を用いている.
(岩田規久男という人しらない.もっとも一応アンテナに引っかかった人は小宮隆太郎・宇沢弘文だけ.最近では池尾・高橋・竹中・池田とか諸々の人々.)(市中銀行が信用創造できかねる状態か.補完国債はBISとの兼ね合いで止められそうにもなく、マネー傾向強い.マネーは地上の財産を置き換えるまで増え続けそう.そうなるとマネー自体が需要になる?)
現象学と行動主義を同じものとしていた感が今まである.でた結果から解釈しやすいものとするのは実用上の時間有効性からは人々が判断用に用いるだろう.行動がどんどん変化していく理由は先天的なもの悖るとする?.いろんな意味で行動主義は結果論と見る.必然=自由を説明しているフッサールの現象学は行動主義とはちょっと違うことを知った.行動主義はどうもハードボイルド的にただ直面する対象を処理していくだけの感じを受ける.ハードボイルド的なものなら外部観察によって心の過程を推し量れるとする可能性はあるが、これは人間を物体的存在と見る叙事的側面で、叙情性を観察することはむずかしい.
(ある国の首相をヘリで海に落とすと脅す-のないところに煙はたたないのでそんなことが実際にあったのかも.これではやりづらいだろう...ポチという言葉も良く見たが.)
ソリトン型の人間は疲れを知らないワンパターンのスピーディな処理能力を持っている.このときのワンパターンをがむしゃらと考えるか早い処理速度ととらえるか.ソリトン速度を多彩に変化させるのは普通体力的に困難か.「地震」現象から津波の多彩さ結果は対象条件次第だが.
事実として女性の寿命が本では男性より長いことは、男性の方が犠牲になっていないか.これから女性も働くようになるとイーブンに近づいていくだろうけれど.
(日本がローマ帝国に対するカルタゴのようになってはたまらない.ところが太平洋戦争でその例は一応一旦成立したのではないか.ハンニバルは誰かといえば連合艦隊司令長官の例の人物かな.)
で現在はq展開で回る?-アウトラインのみから.ディラックの海(南部の海らしい)-ボルツマンウェイトとなると´Θの登場につながる.ここの所をルーカス批判に持っていくのは大変.むしろルーカスが安易過ぎる嫌いがある.”アフィン・リー環と 量子群とをつなぐDrinfeld の圏同値がこれに対応”や”共形場はモンスター群のムーンシャイン現象とも深 く関わり・・”まず時間的にこの辺は必要なので.で現在はどうなっている?.
(愛と悲しみのボレロのDVDを買ってジェラルディン・チャップリンの名を知った.ひょっとしてチャップリンの子供か.そうだった.顔つきからはちょっとなぜという思いを持ったが..)(岩槻図書館で見た"Doctor Zhivago”ララのテーマが一番いいかな.ダムサイトのシーンがなぜか強く印象に残っている.ひまわりは知らないな.エデンの東も知らず.ジェームズ・ディーンのファンと言っていたのはだれだったか・・・.亜麻色の髪の乙女を聞き始めて延々と映画音楽まで..)
(スマホはフルブラウザ可能なのか.どのくらいのものか.もっともフルで見たかったのはもう何年前のことか忘れてしまったくらいなので、いまさらそんなに興味はない.)
心理学は偏見かこころを制御するものなので避けていたが、宗教という存在は無神的位相と個人的位相から考えなかった.宗教があれば心理学は思考範疇に入る.
(洋画見ながらリストのひとつを整理した.リストからはずすのも疲れる.よくアップする情熱が以前はあったと思う.)
(体感治安という言葉を始めて知った.割れ窓は知っていた.普通に体感は昔からしている.)
クラスター代数から進化経済学まで渡る.
すでにある現実の重さは圧力になる.むしろ現実は苦手.過ぎ行く現実.
イデアならわかるけれど、個人的にイデアに幾何学は登場しない.もしそれが出て来るのならそれは論理現象学というようなものであろう.プラトンは正多面体が5種類しかないことを宇宙の基本原理とした--それで幾何学を知らないものは哲学を行う権利はないとしたのか.種類しかないというのはまずわからない.ディンキンとは全く結合しなかった.モンスターに意識がこれは今は一応の解決済み.空間充填は美的には見るべきものがある
安寿と厨子王のような悲劇は耐え難い思いを中学生のときにしたことがある.森鴎外は所詮森林太郎であることにうすうす気がつきながらその死まで延ばした存在と認識.諦念できない何かが重要であるというようなことはない完結的存在でむしろ幽霊か荷物のような人材ではなかったか.反動の結果も生き方.
機能で処理が可能なら原発事故などは起こらない.ここには機能処理の限界がある.個々の機能成立は必要だけれど個々の機能には全体機能が見えない・または処理には個々の機能が見えない.思考の仕方を変える・・
人々は普通その優越感によって生きているから、傍観者として優越意識を持っても構わない.また風刺をして何も産まないのも差し支えない.それらはエントロピーが変化すればまた変わるものとしてある.
そんなわけで東大話法はヘーゲルの悟性に似ていると思ったので、その位相は直面している困難を避けている機能主義的にも思える.ただその困難さを知っているがゆえにという面もある可能性もある.ともかく知的劣化か進まない知性ともいえるもの.思考困難直面を避けられては困る位相にある存在者達.ヘーゲルの悟性は矛盾をいとわないならそれは混沌の心性である.夢のようなリビドー力的な性的人間の特徴でもある.この場合の混沌は非可換時間的に蛮性としてみる.カオス理論も混沌だけれど理性が対処するものとている.でヘーゲルの悟性なんだけれど、矛盾を考えずにデータを放り込んで引き出しを多くして対処するその知的能力は、理性的とはいえない.しかしなれど明らかに悟性的身体のみとして生きている人々がいて、理性判断を歪めるものがいる.理性者も悟性は持っているがその場合・悟性者に直面すると退行になる.
ポストモダンでポリシーがなくなって機能主義が蔓延していることは推測可能である.それはしかし知力の退行ともいえる.機能主義は入力と出力の間に過程がないようにとらえるらしい.となると行為・行動における脊髄反射は機能的なものとなる.何しろ頭脳を使わずに端的に結果をもってくる.脊髄反射を繰り返せる人間は自動器械・ロボット・アンドロイド・サイボーグのようなものである.あるいは動物に近い.機能主義という主義も主義の名がつくとどうか.機能を単純還元してフォルムを単体的に見ると機能美・デザイン美は確かに感じることが出来る.定性・質的なものとして.その反面、機能は道具や機械・システムに付随しているもので物体的もの.ハイデッガーが固執している道具論はあるけれど.心理主義を最近知った(機能主義もそうだが).心理学ならいい加減なものあるいは卑怯なものとして使わないという思いはずっと持っている.主義までいくとそれはないという思いである.フッサールの批判に端緒があるらしいが、感情主観論でしょう.
最近見るようになった東大話法とは、なんとなくパリサイ人やヘーゲルの悟性に似ているなというのが感想-陰謀的という事は覇者的で幼稚であることになるのはつまらない.
黒潮がとからの間を流れているなら、九州基準に例の諸島を通過可能だった.最も目的地がどうかというのはある.黒潮の北側を通ればと地理面を思いついた.遣唐使の頃はなんら問題なく-航海通常上はあったろうが-それでも多少の理屈難点があるか.与那国島は問題になっていない..
括弧積を手動で展開のために筆記してみた.すると確かにその通りだった.昔の勉強時代を思い出した.新鮮だ.頭の中だけで思考していても判明しないので.もちろんノイマンのような計算能力はないからでもある.
ロープの縛り方と結び目理論では、実際問題として明らかに交錯する心理を持つので、ここに論理と現実・理論と実践の違いを感じることが出来る.-4次元では成立せず.
大体において、権力が退化を要請する傾向にある.
「そう論理・記号では生殖的な面から判断している.つまり純粋な笑いは胎児の記憶から来ると.」ベルグソンの笑いの哲学が先だったか後だったか記念碑にはその現象自体の発生確実は述べてある・レッシングはしらなかった.ハンブルク・ドラマトゥルギーを当然しらない.ベルグソンの笑いの哲学を読んだことがあるけれど全く中身の記憶がない.笑いは矛盾を克服するというのは現実的でもありそうだ.すなわち笑いの以前には矛盾がそれ相応に発生しているという現実的なことからの最近の帰結可能感.
(個人的にメイの定理に遭遇しているような..中村ナンバー的だから個人的選好は心理的に妥協かコンドルセの敗者が勝利の形である気もするのでその点は面白くないことになる.ただまだしこりと自己主体の捩れ回復が必要なことはわかっている..ちょっとした現実の説明に困難さを覚えるこの頃)
事実は小説よりも奇なりとは、現実の実際に難しい局面に遭遇しているということである.未解決現象は多数存在している.そのような現象が不意に出現すれば・・
世間知らずという言葉を見かけて気にしている.IQが低いのも高いのも社会にはその存在理由を主張しながら生きているということでしょう.もちろんEQがそこには介在している.
本質とはその対象に対する不変・固有なものを意味している.思い出の本質論思考前準備中の冗談がなんとなく現実になっている.不思議なことに冗談が現実になるのは、喜劇的な雰囲気が現実に漂っているのかもしれん.意味に欠けるので軽薄がつまらなく感じる.
ガロア-相変わらず生き生きした粘性説得力ある名前.絶対ガロア群Autに注目が集まっているそうだ.ゼータが絡んでいる-スピンは関係ないかな.コンヌがヒッグス辺りかららしいのだが、不変があると不変上では可換自由を考える.
セレンデピティにもホワイトとブラックがあるはずの想いがある.
太陽との描像のような建築構造物があると確かな見学価値がありそうだ.オイラーとゼータ関数
クレイではマスギャップに関心がある.ポアンカレ予想でさえあのペレルマン騒動.BSDにしろマスギャップにしろまだ世界の専門従事者の解明記事を見たことがないほどのものだろうに、なんとなくの要請も早合点であったろうと処理しておく.実際であったならばであるが.いまだに覚えている楕円曲線暗号にただの流行関心があったころ、ツイッターでなんとなく要請を受けた感覚を持ったことを.BSD予想には全く関心がなかった.いまは絡んで来そうである.-いらだつけれどまだ良く覚えている.
ノージックの国家論は面白い.最小国家は結局、功利から始まる・但し自然に.またユートピアには多種多様な共同体が存在しなければならないと.このユートピア論はユニーク--一様なものをユートピアと思っていたので.
有限限定身体-有限に固執するあまり心の自由が想定できない頑固さを持つもの.普遍性もわからないのだろうか.物事の強制は有限固執に始まる.もっとも諸行無常として普遍感覚はわかっている民族の存在がある.
ユーゴの自主管理社会主義は逆ピラミッド型だった.アナルコサンドの変容的な形式が実際にあったんだ.リバタリアニズムには拘束感が付きまとい、リベラルには急進的で当事者には良いもので自由=必然をイメージする.リベラルが積極的自由でリバタリが消極的自由とは.感覚的に逆のように思っていた.経済観点から可能性として判断していたか.
1918年のシベリア出兵によってシオンの議定書が翌年から本で流布されていくことになる.この流れからスターリンではなくガガノビッチであるという考え方は直ぐに出てくる捉え方となる...
駆け込み訴えはルサンチマンの小説と見て良さそうだ.ユダヤ陰謀論とは思えない.転化形式か引用形式・なぞらえ応用と見る.ところが*年間を読んでみると今度はクリスチャンのようでもある.参ったね.こんな手記的文面はしらなかった.
ボキャブラリーは明らかに異なるけれど.名詞・人名など許容ではそうなのか.フラクタルは随分前からある.
何年か前に鬼押し出しの帰りに小諸の懐古園に始めて行った.古い匂いのするようなの門らしきところ通って園内に.萎れていたが花のついている樹は一杯あった上旬.
(実数額値のないところでは濃度心理でカバーしなければ-これは日本特有センスで得意とするところではある.共和的な感覚では完備の速やかな連鎖だけではないのか.実数額値の展開要請はあるべきか.トライで行ってみる価値はありそうだ.)
日本全体をもう複雑系経済にしないかな.仮にミスしても直ぐに他の複雑現象によってカバーできる.失敗の連鎖もないとは言えないが.完備有限で自由束縛していると梗塞・窒息気味になりやすい--とは言っても公務員システム強い状態では.
ジーパンは膝の動きを制限するズボンに思える.昔ははいた事もあったな..しかし将来、膝に負担がかかるようにはならないのか.データを取ろうとする人もいないようだけれど.
ウェストサイド物語ははらはらでいらいらする印象がある.ロミオとジュリエットが原型でも、シェークスピアの映画版は劇的でスリルはない.そうそうメンデルスゾーンのイタリア的な感覚のフィラデルフィア.--フィンランディアはイタリアに似ていると思ったのであった.のだめのヒロインのピアノは全てラン・ランの演奏だそうで.フィラデルフィア管弦楽団は何というか手馴れた都会のポピュラー楽団という印象だったが、カーティス音楽学校にバーンスタインがいたとは..でもウェストサイドストーリーはやはりポピュラー音楽.
ノモンハン事件を眺めていると、露戦争・シベリア出兵・満州国とロシアと本は関係が深い.もちろん古来から中国とも.そんな歴史を概観していると日本という国も大変な歴史を持っているもんだと思う.ヤルタからなんと日本に不都合にが過ぎたことだろう.それとも意図の時間があったか.
ワイブルピークはノーマルより早い.かような分布だけではおさまりのつかない現象の時間意識の々となっているとは思うけれど.
(暴言を吐いたとかいわれたなぁ.類することは言ったけれど、そんな言葉は使わないはず.とは言っても当人の解釈力・把握力・志向性の問題あるから煩わしいものだ.変容されてしまう.)
有限域でのエントロピー最大値はそんなに価値があるものか・・・.ニュートン幾何学域では意味があるな.
(アゼルバイジャンからの出稼ぎ人と話をしたことがある.今も日本にいるのだろうか.チャイは日本の紅茶パックであった.)
最悪気味の不快さから脱出できそうだが、その結果はそう容易な位置・位相というわけにもいかない現実自体の許容力.現実に対する人為建造物の許容力自体がそう安易な時間を齎す余裕はないであろう.
オイコノミアとエコノミーに関してギリシャ正教の観点を見つける.ベイトソンのエリー湖もカルヴァン派もすでに・・.-”こうした神が私たちを救おうとされる一連の活動をキリスト教ではOIKONOMIAと呼んでいる.”
妥協に対する相補性は何か可能性を感じる.あそこの建物の裏の道からV字形に戻る-への道途中のところで思い出す..共存-根本的にはDNAとミトコンドリア.
kat'oikonomiaは経験上からは不毛だと思える.今もそれで韜晦中の記憶と現実があり....難しい.妥協という相補を考慮すればなんとかなるが妥協をしないとやはり不和はそのままではないか.ある国での体制と反体制対立はリアル.第三者調停か上部依存としても実態は継続する.-フェルミとボーズ
(ロートレックにあのような描像タッチでゴッホの肖像画があったとは露知らず.イメージ・認知観点が変わる)
アントナン・アルトーいつでもその威勢の良い響き.髄膜炎の持病持ちだったのならそのざっとのアウトライン印象での不可解さは氷解した.いわゆる器官なき身体はドゥルーズからは宇宙まで広がるものではなかったか.浄土や涅槃との相対比較を考慮することは直感のままにしておく.相補的分裂生成とか.kat'oikonomiaに刺激を受けて、ベイトソン-ダブルバインドの-から相補的分裂生成を知った.相補は思いついたがボーアからであった.ベイトソンのダブルバインドは結構素直に使える.
(グプタは王の名前であったか.ちょっと気になる名前であった・ラーマーヤナとマハーバーラタが完成を見た頃.カーマスートラもこの頃とは.首都の名はパータリプトラ.)
いろいろあるらしいけれど、取り合えず極楽浄土とは阿弥陀仏のいるところ.涅槃と極楽の違いは西方でなくても涅槃はあることか.涅槃の前は甘露ではなくて甘露は食品そのものだったか..-極楽は環境世界的、涅槃は自己自身的だな.
スピノールは単体イメージ強いのだけれど、パウリや実在フェルミ型人間への反発・排斥・傲岸感覚受容に辟易している..
マネーはやはり担保が地球財産であるだろう.イーブンになるときはどうもまだ先.ざっと海底財産や極地に何が発生するかもある.それ以前に何らかの形でピークが来ないとも限らない.そのときには経済がなくなって・・
(オリンピックをペルーやベトナムのどこか田舎ではわからないというハードラーのツイートを見た.冬季のオリンピック・ソチの近くにアディガを昔知ったので、多少の心理的近さを感じる.)
はぁーと気がついた.徒労に呪われているということは他者から見ると、道化的に見えそうだ...-くだらない人々と思っている実際.
?? 理解困難 深淵的存在の強調?底がないほどに深淵ということになる.中間存在の場合は底がある @Nietzsche_Words ひとは女を深いと思う。なぜか? 女の場合、底まで行けないからだ。女は浅くさえもないのだ。
普通に考えると叙事的人間は恋に優位で愛に劣位と思う..
どうも考えると権力者にはそもそもその存在に自由のない人がなりやすいのではないか.となると他者には規則を強要して、自らは自由を満喫する権力者は、自己満足をしているに過ぎないことになる.
リバティとリベラル・何のことはないまだこの動向が続いている.リバティの自由には形式的拘束感あり、リベラルには急進的なイメージがある.このパターンに当てはまるように政権交替のあった国がある.
コペンハーゲン症候群とは何だろう.これは先天的障害の一種だけれど. Andersen症候群(LQT) -依存体系の結果、内部存在OKというようなことらしい.
誰にでも出来る仕事というのはおうおうにして体力を用いる.体力がないと出来ないことになる.
(ノマド-唯一者とその所有・自力・責任・運命的・後天的・・・今はこんな言葉しか浮かばない.実力・・)
先天的なものはおよそ演繹的、公理も演繹的となる.
自由とその双対心理が今の脳内を悩ます.頑固な妄想有限体の存在が災いとなる.それとも虚無の身体か.ニーチェの超人的に生存を志向しているか.いや欲望の変形であるだろう.
「なぜ26個なのか?」例外単純群.まさかの直感自然偶然はないだろうという関係数値があるが.
13歳の春の心情はモーツァルトのNo.26コロネーション--他の中学にある女性が転向してしまったから?.グンドゥラ・ヤノヴィッツは渋いというのか.ローテンベルガーはもっと躍動感があった.年齢も関与していそうだ.晩年の作品とは春への憧れ(モーツァルト)
埼玉新都心から北与野駅に歩いて行く道の装飾線が変形して連続に見えた不思議な記憶.射影幾何学には無限遠点がユークリッド空間と比して多い.ユークリッド空間で∞を考えるのは当たり前なので+無限遠点はあまり意識に上らなかった.しかし無限が登場するとなると嫌いとも言っていられない.
停止性問題の決定不能性はカントールの対角線論法で言語処理だった..何をチューリング機械に関して保存していたか失念しているが、仮想的なアルゴリズムを与えることをオラクルの相対化と用いてることも知ったところ.社名との兼ね合い経緯はしらない.
アビリーンのパラドックスをちょっと感じるときがあっても沈黙する時の心理はやはり抵抗の煩わしさが要因であるかな.いや塞翁が馬もあるな.
反知性主義・愚民政策・蒙昧-違うのではないか.エントロピーが増大している限りそれに付き合わなければならない.-衆愚政治は・・-.
ユニコーン神話はキリスト教的なのかな.当の女性にとっては自由な想いだろうけれど.白紙価値と教条の交錯-ロゴスと結果のずれ.
非ケインズ効果?.概観ではある国はケインズとピグーを同時にやろうとしているように見える.連続的ではないのか.ここにはルーカスの割り込みも登場するか.スカラー倍・逆でも平行という手も登場とか
(どこそこのO市長は論理明快だな.リアルな現実(定性具体的)としてそうかも.量的抜本は飾りになるかも.)
「異常こそ正常だ」若き情熱の言明-但し誤解される懸念があった.普通なのに別に個性があるわけではない.今では普通とはいえないか...
そうか例の星屑と汚物はカーニバル的で風刺の範疇.笑いの伝統もそこに入る-身体的には位置エネルギーの重力変化のような落差の成立によっても笑いは起こる.原点の弁証法のような場合とも考えられる.さてブレヒト・異化効果は変革的.シクロフスキーの異化はロシアフォルマリズムでそれは自律を形式とするを構成と見てフレームよりシステム的でスキームともいえると解釈.パースの記号常化とトルストイの常マンネリ気味異化(真理は単純であるを彷彿させるが)に対してバフチンのカーニバル・・
(名誉毀損・侮辱・虚偽告訴などを見ていると、法律解釈は哲学的に面白そうと思った.)
ラパッロ条約は記憶しておこう.誣告(虚偽告訴)による裁判でエーベルト打撃.めまぐるしい展開を経てヒトラーの表舞台へ登場.ワイマール憲法は本の憲法に影響を与えたといわれている-それ以前にビスマルク憲法が大本帝国憲法に影響をあたえていたとされる.しょうがないのでブレヒトに関心を持つかといったところで、ローザ登場のためにドイツ義勇軍による展開を知った.そこからゴータ綱領批判の経緯も知る.ラッサ-ルの国家社会主義は空想的社会主義から科学的社会主義への過渡期の思想らしい.ローザは修正主義ではなく教条的だったようだ.
南洋諸島にマーシャルも含まれていた.なんか第一次大戦後のミクロネシア一帯は楽しそうな感じを受ける.タブラ・ラーサは考えがたい.アプリオリは認めるがそれだけでは面白くない.アポステオリはなければならない.アプリオリだけでは人間存在公理のようなもので当たり前なものである.
不変数や超越数はやはり障害意識がある.どこが異なるのか.カラビ・ヤウなどは近いとは思うけれど.存在するという制約が事実にもかかわらず不快なものとなっている.
芸術と工学の融合はいまだに納得できない.
αのヴィリニュスのテレビ局の奪取に関して良く考えなかった事からいまだにさまよっている感じだ.ウィンドウズ発売から変化してもよかったのだがと今いくらか変化を見た.
その昔EUでは誕生子供を乳母に預けてなんとも思わないというデータから母性はないと言う分を読んだことがある.この多くの例は多分、叙情的女性ではなく叙事的女性の子供達ではないか.母性のイメージからは叙事的女性には母性が欠けるきらいがあると思えてならない.
沈黙の螺旋(勝ち馬に乗る・長いものに巻かれる)と悪魔の代弁者・同調現象・同調圧力・自己検閲-アビリーン・自薦の用心棒--「全会一致の幻想は視野を一面化する.-----社会心裡も面白い単語が並ぶ.
懐疑しているその心裡自体はどうも懐疑していない懐疑論者たち.どうなんだろう.ヒュームの懐疑論は.帰納が中途半端な規定であるとするならば、ヒュームの経験印象は出てくる.印象の再生が観念とはたやすい考え方である.
ふと思い立って情念についてデカルトが考察してあった.デカルト『情念論』
アフィン接続に関してワイル・フィヒテも覚えがでてくるのか.そのヴォリューム感覚哲学者は置いていてシェリングであったが.Dのsachiko様そんなことを考えていました.粟津のロートレアモンの存在自体全く知らずで蟇すら読めずだったな.
ミンコフスキーの内積は負の値を持つだったか..
「マイ論理上において、胎児が言葉を持たないなどということは言ってはいないが.」ラカンの象徴界-胎児は言葉を持つ必要がない.--ばかに単純に言い切っているな.そういえば鏡像段階まで自己記憶探索イメージをしたことがあったが、手ごたえがない対象がいた.これは先天・先験的位相しか考えることのできない時間対象と思った.そんな場合がある..-修正心理の必要がある
スクリブル小説のような独言ツイート.いや小説でもあるか.幽明.幽霊を錯覚した神聖は先天演繹により対象ずれ.真理が誤解をしたミストレス.
ヒッグスはボソンの仮定.フェルミ型になぜ憑かれ妨害・不快な思いをしなければならないのか.ヒッグス型をしたくはないしまたそうとは考えない.排他律がスマートさを感じさせて頭がギスギスする.そんなことを味わうこの現実はなんだ.それにしても干渉するフェルミ人間はなんだしつこい.
そうかしつこく呪われているという感じを受ける存在は帰納的人間である.演繹のみではいけないけれど演繹は好むところである.ここに至って帰納的ミス・ヘゲモニーはやはり誤解認識であるはずと思う.その幼稚さを除去しないかまたルサンチマン的コンプレックスをどうにかしてはいないか今は.自己の才能の及ばないことに対して他人を利用することが成功への手段とはカーネギーだったかな.まる投げというのは何だろう.もうちょっと成功にはバックボーンが必要であるとか言えばわかりやすい.帰納の真理は論理的に中途半端である
急進的というのは個人的な面が強い.団体になるとカルト的になる?.あの時に考えていたけれどリバティとリベラル・何がいいか考え付かず.フリーダムで秩序できればそれが一番.後即物的にはリバティとリベラルの交互性を考えあぐねて確か思ったはず.アローの不可能性定理なるものを今はしっている
そうだな.とにかくヘゲモニー型が自由の邪魔をする.自由がわかっているのにわざわざ不自由にならないとは全く道化である.ヘゲモニー型が自由を勘違いしているか理念が異なるのだ.アレキサンダー大王に光の邪魔だといった哲学者が自由なのである.
ハイデッガー曰く-世界の超越はならずまた世界に戻る-その世界の中で生きている人々をなぜか連想した.
貴族というとどうにも神聖型で悩みなき人生を送るタイプのイメージがある.共和制から僭主国家に変わって封建制というシニョリーア.封建的無秩序というのもあったということか.貴族制度は封建的なのか.気取りを好む存在は貴族意識か貴族にあこがれている縦型
コンスタンツ公会議がプロテスタントの因になったとは初めて知った歴史である.
見えや気取り虚栄がどうしょうもなく好きだという一連の人々の存在はしっている.とりあえず関係ないというにもかかわらず、なぜか結構呪われる様にとり憑かれる..疲れてしょうがない.どうやらこれらの男女群はパリサイ型といっても良さそうだ.
ある権力者が人々に規範を守ることを強制する.自らは自由を満喫し、無責任であるような位相はそこに原因が生じている.そのような存在自体が原因となる.
リバティ・リベラルでないと後はフリーダムだけれど、これでは秩序が成立しないと人々は思う.ここが問題である.天網恢々疏にして制御する「見えない目よ粗い目よ」
タイスの瞑想曲はアナトール・フランスからと知った.
地球存在を考えてみる.まず太陽系に含まれ太陽系は銀河系に含まれる.これらは地球のバックボーンである.このパターンは経済・企業・起業にも当てはまらないか.バックボーン・それは何かが問われると考える.
急進もダイナミックな多様性を保持したままなら結構面白くうまくいくかもしれない.
規格志向の人間の個性のリビドーは普通には混乱している.真理は単純である以前の過程には混乱が成立していたからである.もし規格外の現象に遭遇したときそのような人間は奇妙奇天烈な行動を取ることになる.
リベラルの特徴は急進的、もしリベラルがまとまればそこには急進的な面がなくなるのは明らか.そんな政権がどこかにないですか.
否、依存志向者が規格・規則に従わないと自らの基盤が存在しなくなる恐れからなのだと思う.そういう存在が自らの規格テリトリーから外れている世界はたとえ規格的であっても責任を取るはずがない.すなわち内部に実在していることになる.頑強に規格至上主義者がまだいるものだ.フラクタルやカオス理論はまだ常に膾炙されていない、というよりそれ相応の年齢の人材が生の営みをそれ相応の実績時間による矜持をもって存在しているということなのだろう.
フリードマンは流動性の罠を本当にわかっていなかったのか.フリードマン・ルールの帰結は流動性の罠と似た状態を考えさせ、そこから戻ってくることで流動性の罠を説明できると先ほど直感したが.
ボルヘスの複雑さはどんなのかな・伝記集を想像していたある高原の夏.傍に肝心の女性がいたことに気がつかずに.今はボルヘスはネットの様でもある.クラウドタッチにも思える.
また双曲割引は漸近的自由の自由度を背景として自由度が高い方が優越するモデルのようにも見える.双曲割引はユダ型のモデルに見えないこともない.この場合欲望意識が強くなる.-?
(アルゼンチンよ泣かないでの作曲者はイギリス人であったか.オクラホマの作曲者と同じではないかと漠然と思っていた.)
恐るべし緩歩動物・そのクリプトビオシス
ハナミズキの白い花が咲いているではないか.近所の家の傍らのピンク色の花の小さなの名称がわからない.花蘇芳だそうだ.
ポアソン分布は馬に蹴られて死ぬ兵士の分布が最初の実用例だった.
不快に意図と反意を確実にした女がいたことを.最も男にも反意図のみを行使したのもいたが、これらは不幸を好むということなら理解できそうだ.-フェルミタイプ
そういう境界-存在は共時より空間的に大きいので(通時よりか時間的に小さいが)共時は内部的と思っている単純さがある.共時的存在で無限がわからないということは全くないのだが.権力者は閉じ込めたがるものあるいは情報の非対称をしたがるもの.因みに生かさず殺さずの場合はその当人がそういう存在でしかありえない.最近、厄介なことに共時と通時の間に現実的な境界とも言える実在があるのを発見というか設定せざるを得なくなったのが難点.
November's Novelで知った意味深なアイルランド人のアカウント名・今は鍵をかけているので良かった.....@i○○○○○ ある人物のツイート流れから思い出してしまった.一言言った記憶あるけれどつたない英語で伝わらなかったとあるいは無視だったか.
江藤淳の夏目漱石論を読んで見たいが、しかしサルトルのような文体イメージがあって読みづらいと想い読まず.江藤淳は政治的発言もしていたんだ.
良い複雑性と悪い複雑性かなるほど.普通に複雑性と聞いただけでついていこうとしない人が多い.最も対処しても誤解・曲解になりがちなことは十分すぎる悩みのまとわりつきとして延々了解している
一応、試行を購入していた時期があったからな.その中でもコンパクトな夢想シーンを描くこの人物は記憶に残っている.余話 浮海啓詩集『夜風の運ぶメモリー』
ヤ○○○の名をみだりに唱えてはいけない.ここに昔から畏怖感を持っている.別にユダヤ教徒ではないのに..モーセとアロンに関心があるからかな.えっバチカンも禁制示唆している・・・
ギルガメッシュの時代にはレバノン杉は満ち溢れていたと推定.
俗人昭昭、我獨昏昏をある書物より知る.大宮ルミネの書店で始めて見たサンタフェの複雑はショックだった.うっかり(のんびり・予定もある)していた時間の中で人々の視野は動いていた.
問題は滑らかさの発展が境界であるか否かを判断できずというところ.境界の特異性はいいんだ.滑らかでかつ特異性は普通破綻を意味する.これは単純に境ということか.視点が通常に巻き込まれそうであるこの心裡の凡庸度.”方程式の解の特異性の「伝播速度」が無限大である, という物理的性質”これは記憶に置く.滑らかさはとにかくC∞級という解釈は成立するな.
(ブログ更新のために自己のツイートを探しながら改めて自分のツイートを眺めてみると結構いい.-自画自賛.いや自分の文章が最も読みやすいということ.)
正義と微笑は駆け込み訴えの後に書かれたもの.良くわからんな.この作家の心理状態は.ペンネームは明らかにハードボイルドタッチではある.
単純に車はどうもハードボイルド乗り物ではないかと最近考えている.
使用済み核燃料を宇宙へ廃棄するというのは、費用がかかりすぎて論外という感触を受けたTV画面を最近見た.小惑星からレアメタルを採取するというのもSF的な話とは思わないけれど.
ネットを始めた頃に直感で関心をしたのは、かにで有名なクリスマス島.もっともジンベエザメを見るとことが出来るからだったけれど.
ハミルトン島近くではなくて、グレートオーストラリア湾にヘブンビーチがあったはず・記憶違いかな.あの頃はアデレードのある人物からマグロを手に入れろなどいわれたりして騒いでいた.いまどうなんだろう.アデレードのマグロ.そうそうポートリンカーンだった.アデレードは看護師の女性だった.
機能的な肯定の直積の場合、他人にとってはほとんど肯定できるものではないのが普通である.-?
(西と東では意識が異なるようです.ウェストウェスト言って意地になられた米領サモア出身者と京都で遭遇)
ある喫茶店でそうウィの女性が叫んだ何の花?雲間草!.まだその店あるかな.連休に散歩コースをとってもいいかな.西洋雲間草で実際の高山植物としての雲間草はみたこと無い.因みにコマクサは燕岳の通り道にしだれかかったのを見たことある.早池峰薄雪草も結局まだ見ていない.
でも最近は中間存在はタフなものであるという認識だ.知ってか知らずか未達の意識を.未熟の意識というものは普通に情熱的なことに気がついた.
パンタレイは諸行無常や無為自然と比するものか.パンタレイは客体的、諸行無常は虚無的、無為自然は明るい生き方.パスカルは道化と自惚れを好まないと読んでなぜなのだろうと思った.個人的にはパスカルの実存とパンタレイ-panta rheiは同一レベルであると昔から認識
ruminate-反芻する.沈思黙考する.やはり反芻には意味があった.思い巡らしていた反芻に関してelaborateに持っていったかな.何か考えていたことあったけれど思い出せない.
もっとも東口夏祭りでアルディージャの連中と遭遇したことはあった.傍にいたサポーターの女性人連れの方が魅力的で今の誰としつこく聞いたら怪訝そうにT君とか言って、サインボールを貰ってまだどこかにおいてあるはずなんだけれど、紛失してしまったかな(そこにおいてある).野田線の始発駅は大宮駅東口側.(ナックスタジアムは例の松林のところで、帰りに良く見た頃はアルディージャはJではなかったな.その後の夏祭りの西口ではカーニバルにアルディージャ参加していたと記憶.当地から見ると大宮・浦和の位置関係.)-これをレッズマガジンに投稿して印刷物になったのを後生大事というかそこに積んである.
中一で対角線論法を習ったという記述を見た.よく勉学内容は想像できないけれど、そんな学校ならやはり前後左右の同級生は、つまりT大学に進むことになる確率が高くなるのは想定できる.
種子島か屋久島か迷って船で屋久島に行ったことがある.海岸線を進んで歩いていったか.ヒッチか良く覚えていない.栗生というところで泊まった.縄文杉とかは念頭に無かったな.帰りもどのように帰ってきたのか記憶無く、とにかく「西鹿児島で夜行に乗った席にある女性がいた..」
中庸というより中間存在はそのものずばり中間しかできないのでいかさず殺さずの位相になっている.
「バイカル湖の針葉樹とジャワのスコールともうひとつが思い出せない.」-バルト海の嵐だったかな?
ペルセウスとアンドロメダとはそんな関係とはしらなかった...メドゥーサは石-崑崙に咲く花の名前もメドゥーサ.
”ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ”-マルクス
mynishであるとき、台湾の教師にHPを見せたら全くの英語ではない・目茶苦茶的なことを言われた.今もマレーシア女性にはとにかくネイティブでないというかやんわりといわゆる片言の人といわれている.米国人は結構寛容で...まあ英語が上手なのはロシア人という印象だ.
ジャスミンの漢名は茉莉から、東大医学部本科を19歳・最年少(今後破られそうにない記録)で森林太郎は8番目で卒業していることを知った.いいのか実績があるので森鴎外の存在ということで...なお首席は三浦守治.
フランスの人口学者のE・トッドの発言。「フランスが自らの覇権を失う心配など、ありゃしないよ。なにせ、覇権を握ったことなど一度もないのだから。」
ブレーンの余剰次元というのは、むしろ今ある宇宙が余剰次元的なもので、部分であると考える.親宇宙から発生した子供宇宙のようなもの.ripがあれば親の内部にいて親を越えられないことになることを思う.-エキピロティック宇宙論から示唆を受けて.
フィルトレーション・芽はいいのだけれど楔との関係が.交差因子でスケーリング対象はあるか.最も一方のスケールという事象はある.交差因子か
従順な調和バンドルだから無限の彼方の複雑挙動はとりあえず自然に任すと言う認識はいいとして、平滑化もちょっとその先ということで、紀伊国屋での印象から何年たっているだろう.
ニワトコはトラークルからだったかもしれない.いややはりヘルダーリンだろうトラークル「夢のなかのセバスティアン」.どうやらウグイスカグラか.それにしては花の数が多い.となるとピンクのウツギの類かな.いずれにしてもしらなかった近所に咲いていた庭.ニワトコの名が途中で出てきた.懐かしい名前だ.確かヘルダーリンに関係して記憶している.
(独立記念日には今でも嘉手納基地の中に自由にはいれるのか?.)
銀河群のネットワークとはたおやかな.実際は核融合爆裂中の多量の星々.
「あの時の設定は、ナンガパルバット・ルパール壁の直登可能な体力を必要とすると考えていた.」今でも有効かな.当人は無理.無酸素エベレストではなくて.
あれれ吸い込まれそうな女子高生・バイトで些少悩む若い娘・何かあったらいつでもおいでと看護師に遭遇-そぼろ雨の夕刻のひと時.
つまり絆とかが困難な現代複雑状況の中に置かれている人々なので、むしろ積極的に複雑思考を取り入れていくことが当面の課題であると考える.そこに絆があるとすれば複雑絆とはなる.単に希望あるのどかな平和(但し冷戦下)の頃とは異なって、エントロピーは増大して複雑になっているから.
しかしなれど、高濃度の酸素十分な平地においても、今、極限状況の話を聞く.サウスコル以上の高さ置ける行動に匹敵するものと人それぞれの生存能力に応じて思いたい.ここには瀬戸際と共に緊急避難の領域でもあると考える..頭でっかちという言葉があるが、単に実践理性優位の存在という区分け認識と捉えたい.純粋理性優位の存在がいても良いので、また実際にいるだろう.純粋理性と実践理性の対比をすれば、純粋理性の極北は実践理性者が無酸素単独チョモランマをすればそれなりに認めるといったところではないか.
(銀行の資産のところは一応義務的な面があるとはおもえるが、現日銀総裁は孤軍奮闘している雰囲気なのか.自立意識を出している面白い人材ではないか)
(米国の奴隷化-TPPはそう思えるけれどまさかという思いもある.米国議会に本政府がしかし変更意識パワーを持てないかも知れないな.米国にとって日本は利益のための防波堤として扱う視点を考えることが出来る.その防波堤は防げれば良し、防げ無くても本国に関係ないと示唆しているかな.)
特に笑いが矛盾を消去するのなら余計に理不尽の成立と結びつく.そうすると笑いと権力は結びつく場合がある.ベルグソンは喜びの笑いしか考察していなかったのではという覚えていない笑いの哲学を読んだ気がしているのだけれど.他者に無駄を要請する場合のものが他にもある.それは権力という名称がついている.笑いはカタルシスもあるが、他者の滑稽に対する優越感も齎すことがある.つまり笑いは他者に無駄を構成することを要請することがある.笑うかどには福来るは建設的喜びであるだろうけれど、
(内灘というのは闘争があったのかそれでナイキを思い出した.砂川?きいたことがあるような.)
線形が境界では無いと思われて異常になるとき、それは特異点を示すことに気がつくまで2週間もかかるこの脳動の動かなさ..
世の中でつまらないもの-幻滅
一杯の茶のためなら、世界など滅んでもいい-ドストエフスキー.地下室とは自意識のことだったか. The End Of The World はいい歌.しかし地球は確かに回っている.そよ風のように.(ジュリー・ロンドン?.けだるいジャズ的でもあるな..)
太宰治に葉という作品のあるのを知った.ちょっとしゃれているが抑圧がかかりすぎている.シュール的には普通.-太宰治は青春のはしかなのか、悩みのたね、しつこい煩わしき存在であるようにしか.
減衰が滑らかさで置き換えられる-波動方程式ならば、減衰振動は量子的位相へいかねばならなかったか.それは全く自力でしかないか若しくは書物チェック漏れのカリキュラムであったかな.自己思考に集中し過ぎていてスルーだった思い出.
桓武天皇の子孫の広がりからなのか、本人のほとんどには天皇の血が入っているという記述を昔見たことがある.その血があるとしてそれを焦点アップすると国歌に関してはスルー意識が成立しないか.国歌はもう何十年も歌ったことなく君が代に政治的意識など持ったことは無かったな.
(原発は配管チェックの頻度多や冷却技術安全可能は出来るでしょう.問題は使用済み核燃料の実在.確実に冷却可能これもまた技術的には十分だけれど、どこで漏れがあるか不明でなおかつ最終処分が不確かなところに懸念がある.)
(民法627条-退職の自由があるならば解雇の自由があってもということにならず判例ゆえの圧力が使用者にもありそうではある.捩れの構図.)
京の街を「二人で歩きながら乱舞を想起したりした.」懐かしいというより今そこにその時があるように想起している.この乱舞の舞台の文章化なのであるマイ論理は.夢の構造が他の理由のひとつの候補にはなりそうだ.先を見ることは夢を見ることに類推させることが可能でもある.白昼夢や則天去私ではなく即身成仏を呈示した女性の直感はどうなのか.即身成仏は密教的なのか.東寺で出会った学生なのでなるほど.そのときには知見が無かった..
この馬鹿げた必然性の余儀なき時間の時をヘーゲルの悟性と見ると説明は出来ることに気がついた.まさか悟性など考えもしない.性的人間や俗物範疇に入るこの言葉で判断することなど考えもし無かった.自己予見能力も悟性とはがっかりする.舞台のレヴェルはどうだったのだ...もっと他に理由は無いか
減容とカロートを今は知った.普通の言葉をあまりしらない.石塔墓や墳丘墓なる言葉もそうかな.
錐体路=随意運動・錐体外路=不随意運動において10m歩くのに普通の状態で感覚で5分以上かかる存在のどこが不調なのかさっぱりわからず..好奇心が興味を齎す・まあ手帳を見せてもらえば直ぐにわかったことは思う.
”実際、円は無限群である*次直交群に関して不変であり、無限に多くの対称性を持つといえる。”この記述はちょっと深遠である.双錐-楕円錐.楕円は円錐の双錐により近い.-「当然No.3に関係している.」
いろんな面で窮屈な存在をタッチするのにドメイン体としてみる方法は昔から持っているが、使うのも疲れる.権力的上位にある存在は下位をドメイン的に見るだろう.その子供をドメインとしてみる親もいるだろう.ここにドメインの壁がある.-量子ウォールを強引に持ってきたかのような.
中間存在は最近暴力的にも思えるようになった.そもそも中間というだけあって有限存在は明らかで、悩みがあったとしてもその中間度に比してしか悩めない.その反面で喜びも中間的にしか味わえない.これを後天的に変えることが出来るか.通時が共時時間内に出現しているというようにかんがえなければならなくなるが...
外山 滋比古の名を前に思い出した.-「関係あるのに思い出せなかった女性が関係あるので、彼女の在学中になんとなくそこに存在している気分になってしまうO.」
今でも理論と実践の違いをうまく連結する思考が出来る人はいないのではないか.昔は理論と実践は違うと良く聞いたものだった.世間知らずというのは実践を良くしらないことかな?.ならば世間は理論をしらないということもありうる..
通時時間に悟性現象を挟んでいる時、いや通時的悟性体がゲーテの行動する陋劣になると煩わしいことは十分予測できる.挟んでいる時の両線分点は確かでも中身が矛盾を含んでいると詭計的に見える印象を持つ.ヘーゲルの悟性とか言っているのに、時たま自我が超自我視点-共同幻想的視点になって自我ミクロにえっと思う次第.むしろこれは古典とする時間と空間と考えて捨象位相を蘇らせた事に起因している気がする.理性のみばかりでなく現実には悟性も存在している-ことは当然過ぎていまさらに思い出し、唖然としている.
超弦に関してはその進み具合は予測・ただアフィン空間という擬似性に悩んでいるうちに、展開が量子群などというもので発生していた.アフィンは擬似より有る事の基礎と見たほうが良いか.-実際にはアフィン空間ではない.
扇・センスの部分は錐形・角形.箙の広がりも錐.楔の側面も錐--楕円集中でわかりづらい.錐のある変形を楕円と出来ないことは無い.
(現代のエスプリ-懐かしい言葉を聞いた.休刊だそうで.パイディアはまだあるのかな.-あるわけないな.)
(”関数環の非可換化と単位元近傍での微分作用素環"を指している.どうやら非可換化が問題の対象であるようだ.)
(ビアフラは民族紛争だったのか.でブードゥーの故郷がベニン湾であることをしる.)
(えっ引き戻しでwildも解決した?.先がありそうだけれど.)自己による自己の思考の他者の思考を用いた解説をしている.平滑で無限で滑らかになる-減衰が収束する.一般解析wildは難しい複雑さをもち、tameという確定特異点の対応関係に制限のもとで出来ているということらしい.世界はひとつであるように対応していることをみる.アレフωなし・・(恐るべき数学者達・・何のことは無い普通に思考している.先蹤者たちからの積み重ねの論理展開をしているだけだろうけれど、(多少ここでペレルマンの謙虚を思い出す)ところがwildの解析は難しそうだそうで、多少そうだろうと当然思っていいかな.)
無限の域で複雑になりそれの解答は自然に任すというところで、数学がこう述べている.”接続の定める線形微分方程式系は無限遠(境界 D) で特異となり,その解は境界に近づいた時複雑な挙動を示します.これは古典的には複素線形常微分方程式系(ホロノミック系)の特異性に関する事ですが・・”
量と質の違いの不明の時には計量を考えて厚生経済を視野に浮かべて厄介なとはおもった..そこに遊びに来ていた親戚の岐阜の男子高校生・K大狙いに因数分解の質問をされて、意外にわからず..のは別にして「彼女に対して関係を明瞭に言えず何かが妨げた・・(第二楽章予定部分)」
統合はリバティ的で固く叙事的概念で叙情性に欠ける.そういえばマルクスの著作からも論理整合性はそのようにおもえるけれど、叙事的にしか思えない感じのために、いとこに論理整合性を強調された形を受けたことがあったな.
フェルミ型人間にしつこく絡まれるボーズ型のナンセンスな疲労感を除去して主体を取り戻さないと.縮退や排他律ではなく、あえてならばボーズ凝縮に視点を持っていることを誤解しているか、ボーズ凝縮がわからないか、あるいはフェルミ型本能が積分という統合意識を発揮するのだろう.
質と量の問題は区別がつけられなかったあの高原の外れの民家の台所で.やはりFとB粒子は互いを設けなければ・・ヒッグスが明確になると量子次元が深まるのではないか.
「アトランダム(名詞的に用いる)には当然そんなにでたらめを想定しているわけではない(複雑性を示唆している)」-my論理で用いている好みの言葉-懐かしい坂道の途中で視野の開けた部分で考えていた昔
通時的現象を共時時間で判断するときの歪みみは何かが考察対象となっている.ここに偽善・詭弁の成立する根拠と直感が曖昧に示している....
”ボルツマン分布は、この二種類の粒子の違いが現れないような条件におけるフェルミ分布とボーズ分布の近似形(古典近似)である”ちょっとこの領域で思考しずらくなっていることが、強烈な夢を見させることになっているか.煩わしい女性がしつこく干渉する形になっているからかも.
対称の密度が漸近的自由に従うという仮説アイデア
直感ではウィグナー分布が論理に応用できると思ったが..不確定性原理由来とは.ならば不確定性も応用可能であることになる.そしてそのようにも考えることが出来るのは盲点で、意外な発見(?)・視点の相違でもあった.
にもかかわらず多価性に関しては直接であり避けてはいない..ゆえにあの時微分方程式は避けたのは予感があったということか.”微分方程式の解の中に新しい特殊関数を見つけようという考えが生じる・・”
ζに関していくらか趣が変わってきたような・・”リーマン・ゼータ関数の零点分布に関する量がランダム行列を通じてパルンヴェ超越関数で記述されるという予想もある.これにより,ゼータ関数はパンルヴェ微分方程式と深い関係があるといってよいのだが,・・”
嫌い・苦手な待ち行列にリトルの公式があったのはしらなかった.
遺制というか未練があるのはポアソン関数かな.石川淳の発言の記憶がある.
ロンスキアンは想定済みだけれど何か視点があいかわらず違う.
慣性の法則とソリトンの間に(無限場があるとして)ニュートリノが入る関係結節はあるかな.
リトアニアのあの十字架の丘は何を意味しているのだろう.クライペダ出身の女性に聞いた事あるような記憶があるが.
(米国もマンハッタン計画はぎりぎりだったようだ.それにしてもヤルタのは、ノモンハンやその他の歴史過程があったにしても、絶妙のソ連参戦時間になってしまった.この思考過程のノンフィクションタッチの書物がありそうだがしらない.チャーチル回顧録?)
一様動的多様空間の最大値--スケールの大きさを切断したときの位相などを考えてみて.
最近激しく抜き差しなら無い夢を良く見るようになった.夢の中に入り込んで自らもその夢の不可解・無茶苦茶・抜き差しなら無い展開のなかで事態に直面している.夢を見ている時に実際のことと思いながらである.-ナイトメア
権力型の圧力は苦手でどうにもならない教条感を覚える.心石にあらずという独断・教条型はある動物が自然ではなく、動物園にいる場合とおおよそ思っていた.
(ある作家は結局、実存的といっていいのかな.ヘーゲルの悟性も実存と捉えることは可能.となると馬鹿げた不条理も実存の寄与があったと解釈してよいか..)
(パラコンパクト・私的な空間かこの街は)
幻想旅行記をプレゼントした存在がある喫茶店に昔いた.個人的ではなく使用者としての位相のために..
ミショーは小気味良い詩人である.但しメスカリンなどというハードなものはいらない.進められてドローイングを描いたりしていたんだ.そのドローイングも結構秩序がある.大体、これは興奮に満ちた釜か励起する海の領域を連想させる..
半単純は理想的ではないか.まあいいか理想気体もある.スピノールのみの世界とか
サルトル君というかサルトルよ.実存は普通に勇気と義務であった..実存があるなら本存概念を用いても良いだろう.-虚存だったか.
ひとつの世界で無限の彼方の複雑さについては自然に任すことと弱到達不可能基数の存在はパターンが同じというようなもの.∞+∞=∞.この場合∞はひとつの制約を取っている.アレフ・アレフ・アレフωにいく考察はパターンは同じはずである.但し∞+∞=∞などの条件がつく.無限力で組み込まれている場合には有限になる.その反対に無限力で自由な場合は・・それでも有限だとクォーク.摂動が成立する場・領域を考えていた・自然に成立する空間は減衰でもOKであるだろう.
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