2017-08-25

my ft 08252017

 ペンローズのように極小を考えることは容易である.対称性の破れが分岐則の特別な場合というのが今の常識なんだ.乱流の複雑さから分岐の手応えを覚えた昔、小さな群でも分岐則の既約表現重複度が無限になるはなんとか想定可.既約表現の重複度は有限となる定理があるから、ある国のユニタリ性が浮かぶ

   
           
 


超弦だけは超弦理論変化に合わせる形にしてある.他も自動追尾設定してあるが上手くいくとは.超弦者達にはマルチバースの暗示力はほぼ最初から持っていたと思うけれども.^だったかの種類の宇宙があるとは---数学数式的ではなくそう考える事のできる人の思考作用が問題でもある

   
           
 

 確率的であるマルチバースのバブル宇宙論も面白いな.ある小学生の下校中の杉林に見える笹竹の根具合からドゥルーズのリゾームになり、いまリゾーム宇宙が登場する

   
           
 


極端には自発的人間生徒にとっては教師は単にサポートをすれば良いだけで、監督性や権威発揮などは邪魔でしょうがないもので、小学生の時の校長のある陳腐な常識優等道徳共同的からの注意を流石に忘れかかってきた不快な記憶がある

   
           
 

 スペインの瞳はまだいいな.ナポリの透明な月夜と南伊の幻想シーンが.ナポリといえばシレジアのある大学図書司書が夏休みの日間でイタリアを周り(距離的には近く日もかけなかったろう…)、その際の青の洞窟の存在を教えてもらった.フィレンツェまでの写真しかみなかった女子大生もいたな

   
           
 

 空すらない仏教において無空あるいは超空はあると論理的に言える.そこでは当然ネイピア数など存在しないが、実際の所不快だがeを設定せざるを得ない.

   
           
 

 シラーには理想主義に加えて英雄主義があったのか…ケルナーの存在とゲーテと同時の日々があった存在とな.シラーのスケールの大きさには敵わんと思った坂道がある昔、ゲルマン民族の位相はやはりかなり基底存在なのかも

   
           
 

 無限小から無限大まで意識を渡る人がいるとする、有限な中間存在にとって無限小<中間存在だから、その人が無限小側にいる時に味を占めて大小観点のパワーから優越感を持つ誘惑には中間存在の精神存在理由から勝てないだろう.ところが無限大側に位置した時に有限な中間存在は優越感の破綻反応を示す

   
           
 

 局所と大域、揺らぎ分岐と系全体や一点凝縮とか述べる様だと、やはり来年は初っ端からシビアなワンパターンの日々が続くのか、やや戦々恐々中、ワンパターンがわからないが…

   
           
 

 才ではないが南十字星に怪物曲であるアバのダンシングクィーンをなぞらえた様な気がする、その情熱の衝動衝迫に呼応できなかった以上に疲れを想定してしまったことが非常な不利益になってしまい…

   
           
 


下流へ向かってで閃いた沢登り形は不問になる事を

   
           
 

 結局樹々に隠れて沢の形がわからなかった.沢登りをしないとだが、道からの取り付きを見ると人工的な丸みの石数個で小さい滝の落ち口となっていて進むのに非常な抵抗感の幻滅を味わい行けずね回り道では上手くいかずの何故か拘らせる沢なのである.下流側へ向かっては・・

   
             
 

 要するに性的な快感が生理有限を忘れさせる摂理の支配力の妙さ

   
           
 

 無限遠でなんにせよ発散や消散や収束なら単純だが、無限遠境界の場合は中途半端や過程中になるが…あれだけ閉塞的に悩んでいたものが、鮮やかな現象表現になるとは

   
           
 

 ちょっとシステム設定ミスがあるかな、人々が無名域まで考えている事は考慮していなかった…

   
           
 

 ヴェイユの無明或いは無名の領域が気になって.そもそもシモーヌ・ヴェイユは昔からどうしようかの対象のまま読まず、Yの講演から判断をする.無名域に対してヴェイユに自己こだわりの気がするのは、マイシステム構想の頃とそれを思い出すと、無名域に実在はどうかだが有名な名称を構想していた.

   
             
 

 その領域にゲーデルの定理をあてはめると不快な邪魔が発生する可能性があると考えて見る.不確定性原理をどうするか.証明反証できないものは不確定になる…

   
           
 

 人間優越からの自然利用無機物利用の無機物<有機物は別にして、無機物の遷移に過現未は不明だが超無機物を想定すると神概念に近くなりそう

   
           
 

 変化した有機物の中で人間が最終形態とは言い切れない.言い切るケースの場合はなんらかの意図を持った自己弁護であるように思う.絶対性として現れるなにかをどうにもすることはできないもやはり宗教的側面もありそうなだが自己弁護の気がする.別からはミルグラム的極限的な無責任とも見えるかな

   
           
 

 カフカは小説家なので芸術家ではないがそのぶん哲学的要素を含んでいるようである.ロートレアモンは散文家だから芸術家的だが、その反面詩学断章の哲学は頂けない.

   
           
 


そうか自発的対称性が躊躇わせるとも言える

   
           
 


フラクタルが集まってパーコレーションが成立する時にはフラクタル臨界があるかな.相転移も遷移方向に対して垂直方向の相転移事態に必要なフラクタルか揺らぎなる微粒子の短い幅で深さ任意の塊を想定してしまう.必然的自由は臨界を経て対称性の破れという選択必然集中遷移時間が成立するな.

   
           
 

 対称性の破れは臨界揺らぎが分岐方向を決定するとな、それを見る外部者には恣意的選択に見えると.確かに矛盾する対象の一つを選択するのは恣意的と思った.心理上の揺らぎが作用しているか?.明示的自発的量子的の種があり、まずは心理的揺らぎが情況を決定するとすると臨界が必要になる.

   
             
 


盲目者達の話の場合はともかく象である事を知っているわかる存在はいる.生じた事象の説明ができかねるとして、その説明できない部分は消失空間に行くとの設定になる.「奇妙な保管場所」と表現してある領域関連である.

   
           
 

 旅に出ても”自分からは逃れられない”と若いxxが述べているCMを見て、その自覚はいい境界である.「時流に任せた気楽な遊旅行」-No.**より-というわけには行きそうに無いが

   
           
 


芸術の特徴は無限であるので、実体生理有限快感は非芸術的明らかな才能でしか無い事を示しているが、当人は支配快感が快適なのでその位相を一生変えないだろう.そんな人々は息苦しい存在とカフカが述べている事を今回は知り、オンサイト時にまさかわからない筈は無い筈なのに不明だつた事を理解した.

   
           
 

 宗教のファウンダーは傲慢か傲慢化が得意なように思える.そもそも宗教はそのような特質を持っているのかも知れない.唯我独尊も俗的な表現で無茶苦茶自惚れとも見える.

   
           
 

 駆け込み訴えの作者はユダは金を返して崖から飛び降りたか木でクビ吊りをした事になっている事を知らなかったような.所詮はユダもどきだから心中に逃避できたとも言える.それにしてもマタイ伝は人気あるものだ.

   
           
 

 一冊の書を選ぶとすれば歎異抄だなる人物もいる事を知り、親鸞の歎異抄はそんなにいい書物なのか?.阿弥陀が親鸞の内部ならいいのだけれど、外部とすると阿弥陀は親鸞一人がためというセリフから受ける傲慢さが気にくわない.親鸞以外は阿弥陀力の部分的しか受け取れずと解釈して不快な気分になる.

   
           
 


ヴェイユの無明の人とは何か、森羅万象と同体化か摂理的たましいか.それとも沈黙か、語り得ぬものは沈黙せねばあたりかな.世親などはどうするか、そうだ無明は老子の道がもっとも似合うと思える.

   
           
 

 ヴェイユ-人が真理を望み真理の王国に到達する努力を怠らなければ、どんな人間も真理に到達できる-このどんな人間にもが理解しがたい.顕教の誰でも仏になれる・仏性を持っていると同様な意味と思うが…悪は当然邪魔だが善も邪魔になるは親鸞にとっては至らぬ善人で了解済みのようである.

   
             
 

 そうか他人の話を聞く事ができるといっても、まともに聞いてトートロジーを尊重する形になるので、無駄すぎるのと主体を未然化気味にしてしまうという、いかにもの自惚れた他人達の無駄な親切心という余計なお世話というやつだった.

   
           
 

 カフカを読むといいですよ-と初めてカフカなる存在を不快過ぎる束縛強要女から聞いた時に、オンサイト的に理解できなかったが、ある大学の紀要から理解できなかったのは、不条理を知りたくないと戦っていて、結局不条理は登場してしまった心理情態だったからあたりで、余計なお世話のカフカ推薦と了解

   
           
 

 ある犬の探求の中の”既存の社会的コードの網の目でできた世界-自由を束縛する息苦しいと感じる世界-を大多数の犬達は、既存の世界が快適なのである”---快適では確かに厄介で邪魔ばかりにはなるな探求犬にとっては、この世界に我慢しようかまで考えたのかカフカ、破綻は自己誠意の不壊ではないか

   
           
 

 中学生の時にニュートリノは地球をすり抜けて何処へ行くのか、宇宙の中で不明だった.今プロモを眺めていて、ブラックホールか超天体域に行く可能性を思いつく.ブラックホールは焦点収束点になり得るな.超天体は有限距離の発散無限遠に、ブラックホールも有限距離の無限遠か.両者は双対かまたは?  
 

 計算可能関数がない-チューリングマシン自体や神託機械自体の非決定性があるけれど、これらは思惟の法則から哲学になっている.ecでどれほど目に感じるのみの高速度で計算しても直感では無限回計算はできないコンピュータと思っている.

   
           
 

 そういえばある項目は人間合格のように設定してあるがだ、なぜか色々な思念の絡み合いで設定通りになつていないな、どうしてもイメージ記憶が不快で払拭出来ずがまた不快となりて、ディオニソスでもいいのだがそれも邪魔が入り…そうか彼女はアポロンだった.こんな認識すらできないように障害が入り…

   
           
 

 事象の地平線を人が持っているとすると人間とは何かの命題はほぼ意味をなさなくなり、現実に誰も死後の世界なるものを見ていないので、あたかも事象の半径の向こう側のようなものだが、人は死後の世界的なものを生きているのに持っている事になる

   
           
 


宇宙を造ったのは神という認識前提だったが、旧約に宇宙を創生した記述はなさそうで、地球生成で比喩拡大解釈している形として見たとして、問題は神に似せて人をつくったにある.これからは人は最終形態が成立するが、拡大解釈域にブラックホールがあるとして、似姿者はBを持っている事になり…

   
           
 

 ハイデッガーの超越に足をかけたが、現存在地平に戻ってしまうは確かな分析と思う.レヴィナスはこの戻った現存在について述べているに過ぎず..

   
           
 

 どうもゲーデルの不完全性定理決定不能は有限がある.中間存在を系とすると、中間存在には証明も否定の証明もできない中間存在事象があると認識せざるを得ない.

   
           
 

 ヌル無限遠で発散する.超光速で遠ざかる天体が漏れて来る.ゲーデル解では理論上時間旅行が可能になる-消失空間でもタイムトラベルができることになると考えたが…消失空間にブラックホールを登場させねばともかんがえるが、億光年の域外の宇宙が魅惑になる.神速で走る人の想像意識は昔から

   
             
 

 タイヒミュラーはナチ信奉者で従軍して歳で年にドニエプルの戦いで消えた独人であったのか.なんやかやでタイヒミュラー空間があった.ABC予想は文章的には読めるが宇宙際とはハッタリでは….宇宙際ならMは多元宇宙的思想者にはなるな.多元宇宙者なら宇宙際はハッタリではないが

   
           
 

 超対称性・フェルミ型の権力意識志向満載の自己保存をしつつ他者対象に要求巻き込みではなく、自己自身を超対称に向かわせるべきと漸く…何回も考えたか.F型はそれだけのスタミナバイタリティを持っているのだから、不可能に託けた無責任自由による蹂躙拷問残酷心理の手っ取り早い単細胞所爲はどうか

   
             
 

 カディンスキーのある一つの絵からY軸の複素振動的を…楕円曲線はX^がありアイゼンシュタイン整数は基礎であるのか.見える近時間のワンパターンシビアさを避けようとして.やはりの数学基礎論でパスなのだが、ヒューム的なものが維持時間を齎すと思える無駄性

   
           
 

 弁証法の止揚に相転移は無いものに見えるとして.A国家とB国家のパーコレーション弁証法がまたは一方の国家がパーコで他方がフラクタルである場合に戦争が発生する可能性を考えたか.互いにフラクタルでは紛争になるかと.この図式は内部に民族差異があれば内戦になるとか、関係上巻き込みも成立する

   
             
       
 

 禅のあるがままは摂理ゆえとなる

   
           
 

 存在している人間は誰でも摂理の渦中にあり、その事は存在論的に組み込まれている事は確かである.

   
           
 

 まあ未完はその内にと思っている間に時がいたずらにすぎてしまった結果を齎しているが、その内に誰がいいアイデアをの期待もあったのだが、クォリアは赤い色の区別論のようにしか捉えられず、分析哲学は表現論的に見え、チャーマーズに至ってはご苦労な事で、そんな啓蒙せずにほって置けばの思いがある

   
           
 


クォリアやチャーマーズだが、直感ではハイデッガーの原点がその現実界対象としたまま昔からずっとだが、未完成の項目の一つである.エントロピーが誘うは熱力学的にそうだが、漱石の道草・一旦生じた事は変化して続いて行くもポテンシャルの減衰変化表現と見ている.エントロピーの変化畢竟摂理である

   
           
 

 ヒュームにとって超越は経験論的立場から懐疑・断念の対象とな、カントの物自体は超越の事なのか、誰が物自体としたのか知らないが、表現が悪すぎて唯物的にも思ってしまう.人々はなんだがわからぬ解釈をしているな.取り敢えず行為の背後の自由意志は摂理としている.現象的にはそうで哲学的超越は別

   
             
 

 大文字の他者は場の事のような.現実界は個人的には生理の齎す本能気分のような.あるところの象徴界は境界時期を越えれば象徴界形成に自動的必然的に参加するので特段問題は無い.例外現象が存在する時がラカンの出番らしい.想像界はラカンにとって先達であるパスカルでいいだろう.この項考察が続く

   
           
 


人は不可能意識を内部に持っている事は確かで、さて不可能に関して何にもいえないか⁇.不可能な思想?、不可能ゆえの思想?、やはり何となく前者の空想性登場もあり不可能では論理整合性が揺らぐ.不可能の自覚自認であればと思うと不可避が出てきて、不可避可避関係が浮かび考えがまとまらず…

   
           
 

 現実界は象徴界で説明できないとはカントの物自体のようなものか?.むかし物自体はよくわからず空白とオブラートのようなものを設定した記憶がある.この辺から関係はラカンの考えと似ているところがあると見えて不可能を思いついて見た.不可能なら絶対は成立するな.

   
             
 

 消失空間とすると現在生きていることはゾンビ的となるという夢想F的とすると現在現実のタナトス性がその意味を薄める.

   
           
 


責任能力が低くて優越位相者が問題なケースが現実には多いと直感できる.マズローのは%より低いような、・を合わせてパレート的に%か?

   
           
 

 そんな事を考えていたら太宰治はカサノバタイプと浮かび、なんと全く今まで思いつかなかったものだと思う.蛇のようにしつこいイメージや日常生活のタナトスニュアンスのグチャグチャイメージも捨象である.全く無駄にエネルギーを使わせる存在だ.

   
           
 


おまけにそんな時はそんな男達は自己主体の剽窃模倣をしていて、私は君ではない、邪魔で迷惑な存在でしかないのだか、一体このような男達の認識能力は自然であるならば動物並みに低劣な精神年齢でしかないと規定でき恥の感覚も無自覚と見る.本来既に君達の価値は無いのにどうも同情してしまう面がある

   
           
 


彼女達に直接述べればいいものをとはその後に思う.彼女達に直接話しをすることを拒んではいないのに、どういう男達なのか、甘えか容易を求め楽を味わいたいのか卑劣か、いずれにしても関係への割り込みで邪魔の迷惑でしかない.彼女達の演技をするときは敬遠しているのであって避けている男達なんだが

   
             
 

 我が内部の対象意識のまたは無意識のxx達が他のxyを気にしてしまい、色々な不都合が発生する.あるいは他の男?.ともかく内部対象意識のxxは私ではなく意識しているのが私であるが、他の男たちがこの対象意識をめがけて発語してくるので、なんのことやらでまともに対処すると変な事に

   
             
 

 縦構造者は責任を縦構造システムに則るとするのと、責任は縦構造システムにあるとする無責任を有している.有名?な命令に従っただけは構造システムに責任がありを意図している無責任さであり、ミルグラマーの仮想化増進の残酷さは則る事が義務であり権利である深化かな.権力は勿論だが、権威も準ずる

   
           
 

 反抗期の始まりは既知の人間的歴史の取り込みの終局時期の始まりで、気質的な面の存在も考えられるが、ほとんどの存在は取り込みに抵抗の壁を持ち、ここを如何にスムーズに乗り切るか否かによるゆえに、境界症候群に陥る場合は失敗例だろう.一般に境界は複雑であり、対処個人差はあるが物理時間は同一
             
 

 ラカンとな、昔からその名は見かけるがフランス一流のややもするとソーカル的存在位にしか考えていなかつたなあ.クラインの投影同一視を投影非同一視としたり、唖然とする無自覚存在・厚顔無恥を想像界の住人とすると説明できそうにラカンは仏教徒ではないが役立つか.なんじゃこの文学的な概念は迄

   
             
 

 カフカは実存的特徴明らかだが、昨日からうつらにマゾヒストだったのではないかと浮かべている.そんな事を考えていたら心理関係のacに遭遇した.最初にその名を聞いた時になぜ把握しきれなかったのか、カフカの位相に合わせた、あるxxの体質的だったのではとも浮かぶ、不条理の言葉が登場した頃

   
             
 

 久しぶりに創造主の出てくる書物・マルドロールの歌を思い出したが、確か創造主にシラミが付随していて脈絡がまずわからなかった事を覚えている.ある女子大生からロートレアモンの存在を知っても、翻訳ものを読みきれず、手術台の上は後に知った.創造主とシラミでも超現実的だなと今思ったところ

   
             
 

 人が集まれば消極的時間では自然に秩序が生まれると考えていた.ホッブスは積極的時間のみを設定して万人の闘争エゴ丸出しを考えたのではと思いつく.実際に消極的自由意図対象に積極的自由者が干渉割り込み多々である.積極的自由者には消極的自由がわからない?、多分苛立つのだろう.

   
             
 

 一将功成りて万骨枯る-真理獲得のために万回の悩みを行う-パーコレーションには万のフラクタルを要する.そんなもんだ…

   
           
 

 歴史から縄文時代には鉄器はなかったようだ.たたらはあるが、メタル風鈴は弥生的で縄文の香りなく、時間スパンも短く、風土の伝統意識を遺伝子は持っているのにその特徴をやや無視気味なものとなっている.

   
           
 

 どうも個人的にメタル系は相性が悪い.アイコンの釣鐘を鳴らしてひょいと内部を覗いた時、どこか遠いところで反響音か小さな音で繰り返していた.それ自体不思議だが、メタルの湾曲はビブラートを生じているかな.ガラスはそうでもないので、鉄器時代がどうのこうのではないが、鉄器伝来は弥生からか…

   
           
 


人はある側面で優越感を原理として生きる・生きているは日常の容易な観察によって了解できるものである.優越感ねと発語してきたやはり女子大生がいたが、気がつくべき関係に気がつかなかったのはなぜなのかわからない.当面現実に巻き込まれていた?、劣位対象が邪魔な無意識記憶になっていたからかも

   
           
 

 存在理由など当たり前すぎる当然前提意識で考えもしなかったものだが、あるxxが唐突な発語したのを良く覚えている.後にも先にもそう述べた存在はひとりだけで-母集団数が少ない事も会話語彙数の少ない事もあるか.その前提意識は未解決問題として設定してある.

   
             
 

 抵抗体力者の優越から道化強要ばかり受けた・受けるのと、自らの狂言意識から・問答無用者多過ぎの優性意識からかな・ふざけてしまう面もあるな.抵抗といえば複雑構成物が直感把握困難と昔から思う事は、幾重にも重なった曲線の重なりひとつひとつが壁となり、突破するのに体力を必要とすると気づく

   
           
 

 単純に豊穣の海としての超短時間生成消滅とする宇宙の物理的要素の時間を引き伸ばして、人のエロスに生成を消滅にタナトスを類似として与えて見た.人の生に哲学が死と常に直面した形と述べるのは常にタナトスの消滅性の影があるからと.そもそも影や夜や陰とかは消滅概念的である.

   
           
 

 ベクトル空間の実像、アフィン空間の実像とベクトル空間の虚像、アフィン空間の虚像でIAを仮に設定した桑畑の小道、若き日よ

   
           
 

 ベルトラミの擬球の回転を先ほど考えたら微かに超弦の体積要素が浮かび、先日の[アフィン・リー]の浮かびからいよいよかの時間となる.意図的にはもう年経過してしまい、急激を考慮したとしても・年は過ぎ去ってしまった感がある.何れにしても頭脳調子悪いままにシビアな世界に直面するな

   
           
 

 ビートルズのノルウェイジャンウッドを聞き始めて減衰振動かいやフーリエ展開かな違うようなで、ホモロジーに間違いないなと思った、違うかな…a me&norwegian woo?迄、いつの間にか刷り込み情態で、ホモロジーかよとは思う.ある現象が竜頭蛇尾的に消える傾向は重要だが

   
           
 


自己主体を保存しようとする人間的意図者は大変なのである.無自覚な自然的存在が意図せずに動物的な態度を示してまるで悪魔であるかのような障害になるからだと考えるが、悪魔のような存在と思っている対象になぜか同一設定をして来たxx&xy達の不快さを除去しようとしている過程となっている.

   
             
 


それ以前のやる気はともかくやる気を失くしたと思った事は確かで、今でもよく覚えている.そうするとおおよそ惰性となりすったもんだの退行的乱れ登場で宜しくない結果に終わるのは経験的無意識にある.あるがその後、しらけやつまらなさを増長強要してくる対象に数多く遭遇する事になり、今もである.

   
           
 

 eのp-T図的であるだろうと不確定だが想定した事があり、そうではなかったのでやる気を失くした事がある.伝導率が無限大にや自己組織化に位相欠陥?が生じるとか、そんな話なら面白かったのにと今更で盆に返らずの時だけれど、自己慰安上は納得である.それ以前にやる気がややなかったかな?…

   
             
 

 脳構造異変とはカバーできる言葉だな、たとえば風車に突進した男は夢を見ていたのではなく、脳構造に実際は異変を持っていたと考えると煩わしさが無くなる.

   
           
 

 帰納は現実に対してアキレスと亀のアキレスで常に現実である亀に追いつけないと、帰納の未決定から考えてみると、詭弁が比喩になる.ある帰納的と推定できる存在が中途半端じゃないんかと言って来て、惑わしを形成しているのだが無自覚にせよ帰納の未決定を体感していたのかも、巻き込みはいらんのだが

   
           
 


認識不足なのかある擁護性をxxとみる父親存在がいて、それほど父親としてコンプレックスを持っているのかとしか信じがたいが思わざるを得ない.子供がいれば自動的に父親ではないのか、なんだか違うようなまたは動物的本能存在の脳構造異変者だったのかも

   
           
 


怜悧には普通まろやかさが付随しない

   
           
 

 今ではどうでもいい感触の他者達の潜在力可能性・潜在意識を意識していた時があるが、その結果はおよそ全て悲惨退行混沌超現実感しかなく、つまらぬがっかりしか記憶しかなかったな.

   
             
 

 虚無空間-その薄っぺらで怜悧性を持つ広大な領域

   
           
 

 必然的自由は当然的自然なのだが、立ち止まって考えるとその必然的自由時には他の選択を捨象していることを考慮して、その必然は正解だったのかと思うとその義務的事態の行使の理由がなくなり、必然がやわらいでしまう.

   
           
 

 twoの時には汎神論とローレンツ収縮浦島太郎を考えていた.当然素直にスピノザが登場した.アニミズムも携えての関連である.

   
           
 

 行動主義の名称を最初に知った昔に馬鹿げ過ぎる愚劣を感じたのは、人は無限を行動しない故だからと思いついた.の文字を度回転させて紙なりに筆記する行為で無限行為を身体で地面上に∞形を描けば無限行動をした事にするのかな行動主義は

   
           
 

 今更についてはヘリウム超流動境界平衡域で自己組織化を持つとかを、非平衡相転移の自由度なるタームから興味の先を見ようとして眠りこみなんらかのエポケーふざけの頃に関連記憶の夢を見て起きようとした時に、ゾンビはキリストの復活か最終審判時の死者の蘇り判断から来ているなと

   
           
 

 ある時エポケーなんぞをやる必要ないと思っているにもかかわらず、自分にエポケーをかけてしまって、直接的に現象学の行き詰まり地点を繰り返すように今もなっていてつまらなすぎる単純糞詰まり閉鎖の無駄意識強い心理情態を持ち不快な自業自得の憂き目を持つ事に.どうもふざけてしまうがそれが現実に

   

  また低次元存在は存在などの邪魔をして存在以下に見たがる意識も持っているな.存在などに取ってそれは非常に不愉快なものになるだろう

   
           
 

 アインシュタイン風にはひとは精物となり親鸞的には善悪体になる.カルマは善悪体だが

   
           
 

 ライトスタッフ的は納得できるが、先には複雑系的合理なる表現を想定して見た.多分既に複雑系的合理ライトスタッフ化思考に好むと好まざると直面している人物達は存在した・しているとは思うが.アポロ号の帰還例は当てはまるような凡そ年前の例が、映画になるような事ではなく日常的な事にと

   
           
 

 tiに関しての勇気のなさで妥協気味な未来に持続する可能性に対しての変化アイデアがついに浮かぶ.全くなんでもない考え方なのに多大な時を要した.

   
           
 

 自然的存在と人間的存在において、自然的存在自然と人間的存在自然と人間的存在意図を考えないと、他者からの理不尽誤解を受けすぎと、自然的存在が意図能力の低さで煩わしさを構築してくるかな.マルクスにとって自然的存在的自然と人間的存在自然を区別していたかどうか未チェックでわからない.

   
           
 

 ”他人の事ばかり考えているんだ”ある時ある作家のヒステリックな偽善的建前的な言明文章を見かけて問題現象与件と見ている.偽善は実際は利己主義者なんだと述べていて、建前は世間への阿りという矛盾心情が叫び的となると.勝手に考えられてもタナトス混沌者では迷惑にしかならないが.

   
             
 

 その頃には審判と変身に目を通していたのでなんとも間の抜けた話だが、実存の糞詰まりなど馬鹿げてつまらんのに、田舎への婚礼準備も上手くは行かず…そもそもカフカではなくベケットを意図していたのに思い通りに行かないもの、まあそんなxxは当然好まないが.

   
           
 

 しかしまあxx&xyは意味なき精神年齢低下を強いて来た記憶が多量にある.そんなxx&xyには道化要求やでっち上げ感覚を持つが、ひょっとして意味なき弁証法に呪われていてそれに気がつかない認識能力しか持っていなかったとか

   
           
 

 地球は回っているに過ぎないも良質と思えるのでttwに置こう.

   
           
 

 先にあるすでにある関係性的なるものは対称性性の破れであるが、人はあまり破れを気にしながら生きてはいないかな.当然その世界に存在している人間には存在論的に不可避的に組み込まれている.別に指摘はできるがどうしようかとなると困難にはなるな…

   
           
 

 自由な意志が選択するのかな、不自由な不本意な意志が選択しているように思ってしまうが…漸く思いついた孤独が一つを選択するのは対称性の破れである事を.”革命とは何かこの矛盾を断ち切れないならば”は個人への問いかけでもあり他人への問いかけでもあるが、単に専門に出来るか否かである
           
 

 だがマズローのの低次元存在が危険といっても現実に有効優位を持ってしまうケースの多いことがも確かである.つまり現実がそのレベルにしかないになる.マズロー的にはレベルアップに対してのんびりした悠長な存在で、文化的には遅れている動物傾向にある存在となるが、虚栄でカバーして欺瞞をすると

   
           
 

 権力陰謀型存在はまずマズローのの低次元位相以上になれないと直感が判断して話をしても説得をしても無駄をするだけで話を止めると、勝利した自分は正しいと自認するように思える.馬鹿馬鹿しくて止めるのだが勘違いをされるような.マズローにはやの段階のある事を全く理解出来ないようだ.

   
           
 

 自同律の不快といえば埴谷雄高だが、論理の自同律にこだわったのか?.のっぺらぼう宇宙や数千億年の数千億倍や夢魔やその他埴谷雄高特徴の自力個性力は埴谷雄高自身の自同律であるはずなのに、対外的ないいわけ気味は必要なかったのではと

   
           
 

 性的人間の線形剽窃蒸し返しかな.とにかく内部の対自呻吟記憶やもろもろを自分だと思うxx&xyが多すぎて、そんな時に限って自己記憶を忘れていて、それらの言明を尊重した形で遠慮してしまい、後にそれは既に考えていた事ではないかと気がつき、自己自身に遠慮しているというおかしな気分となると

   
           
 

 ドメインウォールと多世界解釈を結びつける存在がそのうちに出現すると予想するが、泡は柔らかいイメージなので多世界の余りにも明晰な截然さより気楽だな.エヴェレットと記憶と盲点と新知識獲得中の中高生の勉学の壁にドメインウォールがリアルに壁になっているなどと考えるのも普通な人の脳構造と

   
           
 

 あの時の深甚な黒い帯状次元はそれが有限域で不快だったが、どうやら位相欠陥なら当てはまりそうな想像意識だったと.よく分からないアクシオンを当てはめようとしてうまく行かず、スキルミオンの発生構造と-当てはめもそのうちにだ.あの埃舞う砂利道を歩きながら摂動はそこにある頃が懐かしい

   
           
 

 チャージから今度はトポロジカルチャージである.バッグ模型を知らず同境的なものが基底になるという参照基底で動かさぬばならないのか、最も中間存在との境界を実際に想定実在とするケースは考える.有限外オートマトンならばこの基底存在を想定しても普通だが

   
           
 

 聖人者のみの世界ばかりでなく芸術家のみの世界でも無階級無経済社会の成立する可能性も考えつく…

   
           
 

 無階級無経済社会はヘーゲルの絶対知に匹敵すると考えるとその先の示唆がないのも頷けるというか、マルクス的にはヘーゲルの身体的適用転化に過ぎないと、精神発展意図志向から見ると身体化は原始へ逆戻りとも考え得る

   
           
 

 ある確定領域に置いて必ずと行っていいほどに邪魔な存在が出現してくるのはゲーデルの不完全性定理から言える事になる.その確定領域系には確定できないものが成立するからである.そうなる時にハイゼンベルクの不確定性原理を持ち出せば確定領域系を脱出できるという古典-量子関係

   
           
 

 懐かしき青春の日々よ、ありとあらゆる関連要素・与件を持って説得するとした池のほとり、他者の判断能力を越えてもそれでも時の流れに委託するとしたten

   
           
 

 哲学論理的な自同律は数学の射影空間と一致すると閃く.射影はきらいだが自同律は保存したい傾向から、射影イメージを固有に持って来ればいいかなも.昔にライプニッツの充足では説得力が弱いあるいは説得力が埋まらないと悩んだ事があり、これは畢竟帰納の本質である未決定に繋がっていたと気がつく.

   
           
 

 教養対処も楽ではなく、もういいだろうととすると、帰納の未決定によるかな聞いたことも見たこともない定理や方程式名などが出現していて、世界は忙しい.モンスターやディンキンや弦は個人的には昔から保存量にしているのが、サボり中の救いとは言える.動向のさわりはなんとかと意図通りでもあるが…

   
           
 

 お気に入りを曲聴きなんだか感性が-朝会った女子中学生のイメージがする.あの小学校の音楽室に飾ってあった額縁とほぼ同じ映像を見て思い出し.この画像類はなぜここにあるのかこの画像が何か関係して来るのかと思った事を.はっきり覚えているのは楽聖ベートーベンだけ、音楽の父がバッハとか

   
           
 

 まさか関係とは命懸けや真剣の事か?、命懸けや真剣であってもダメなものはダメだが…カントの普遍立法原理に妥当する事で十分と思うが、関係設定者に聞く事を考えもしなかったな.最も人がどうのこうの言えることではないとするならば物自体か.超批判で批判は不当であるようなものになるな

   
           
 

 本来は逆なんだがある男の家にのこのこと話しに出向いて以来、その男が理解しがたい馬鹿げすぎる対象認識設定を認め、ここ数年来苛立つようになっている.またどうもその男に似たタイプがまた多い感じがして、理不尽を味わう羽目が多すぎかな.無理解者の勝手な突っ張りは道化を強要するものでもある.

   
           
 

 中間存在のゲーデルは証明可能である.最もその時は中間存在ではないのでゲーデルは生きている.

   
           
 

 ただ縄文時代は世界に置いて地理上から世界内部という世界依存的・現実的には自然依存的だったと推定想定・なユートピア性も考えることができ、サスティナブルの成立のためには条件が必要かなと考えた時に、親鸞の考えは心理的にはユートピア的かもと思いつき…

   
             
 

 非科学的な帰納的存在xx&xyはその未決定性から、理不尽発言を大いに行使するものであると経験が申している.

   
           
 

 現実は責任をキーワードとして回っていないかと考え、絶対可積分と二乗可積分の有限化から諸行無常をどうするかと思い、知った雪山偈の是生滅法で複利のe・ネイピア数はずっとある点の解釈をどうするかとシンボリクス

   
           
 

 ヴィトゲンシュタイン・最近はウィトゲンシュタインで英語パワー強しだが・の幸福だったは自己目的自立十分過ぎの生きよう視点におけるもので、普通に子供のいる家庭生活が幸福であるとする人々には理解しづらいかも知れぬ.

   
           
 

 xx&xyに限らず憑依のイメージに合うタイプが今でもかなり存在しているとは思いもしなかった.そのぶり男は憑依のイメージに合う、無茶苦茶な非常識反応の女もわからなかったが、陰険でタナトスタイプのしかも無自覚タイプのようであったな.タナトスタイプはその無自覚が多いような

   
           
 

 悟性妄想幻想俗物体がナンバーワンなのが不快なのであって名前順によるかこつけナンバーワンの嫌がりはキャンバス生活迄なのに、なんという愚かなことを述べたxxやカトレア?のようなxxなどなどに対して、やはり妄想幻想俗物xxが障害邪魔になっていることも確かで、この俗物はしつこいものである

   
           
 

 現実は嫌だ嫌だと思っている方に傾いているいままでの経験上、葉隠の武士道である裏目皮肉が現実であるといいたくなるが、他人の配慮能力のない無知甘え存在の可能性余地による無責任倫理観作用によるとも.配慮能力のある人はこの限りではないが.

   
           
 

 要するに社会関係上他人は、利益も与えるが損失も与える存在であることだ.で他人の関係が成立する象徴的数または基本数として、両親とこども人の人と人なら他人関係が成立しそうで、この人という数字はどこかで見たな…なんとなくエタニティから基本数は人となるのかもが、浮かんでいる

   
           
 

 関係や倫理は身体性とも言えるな.人間は身体的存在であるばかりでなく、精神的存在であると考えていて、身体的存在を精神的存在とみていたためわからないという視点だったような.

   
           
 

 モネの日傘の女の子供のいる絵をみて、抜群だなと刺激を受け、ふと周りをみると嵐風な雲行きに対して収めようと.残り枚の過去の追憶を亡霊・幽霊のように描くのはいただけない.ただし現在実在しているものとした動機なら理解できるが、定かではない.

   
           
 

 なんやかやである作家について、空想オブジェアブダクション性的と判断が成立した.

   
           
 

 カッシラーとして記憶している.オーストラリア北部のフィールドワークをしたのは誰だったか、カッシーラーではなかったか…ムルンギン族の分析をしたのはヴェイユだった.どうもこの分析が象徴に結び付いてしまう.あと金枝篇もカッシラーと結びつきダブルが、金枝篇迄はチェックが回らずの昔だった.

   
           
 

 通時的人間は少しはましなスパンを持っているかなと思ってもやはり中途半端でしかない記憶が蘇りやはり苛立ち不快になる.結局積極的自由しか出来ず消極的自由は不可能なのだろう.積極的自由者は消極的自由者に閉塞感の不快を齎すだけである.

   
           
 

 対他認識を発語しないで対自的に記憶していると、当面の他者がその他者対自認識記憶を自分がそう思われていると思わず、それどころか他者が自分ではなく他人・そのような認識記憶をしている当人と思い込んで発言してくるいわゆる自己投射を他人と思う他人の無自覚の間抜けさには閉口と同時に損失を覚え

   
           
 

 何モーデル予想とその証明が年度で、ファルティングスの定理とな.おもむろに考えた個の特定・特性方程式解を持つひとつの方程式は存在可能性高い事になると今頃知る.

   
           
 

 無階級社会というのは個々人間で無階級なのであって、ある国に底力風に流れていると思われる一様・集団的なものとは異なると考える.

   
           
 

 天国は宗教関係でなくても一般普通に用いるが、天国は普通上にある人間の感覚営みからヒッグス場を天国暫定と考えたりすると、ヒッグス場など思いもしない遥か昔から人は性的面のサポートも借りて、日常に用いていた事との比較仮想に他の諸々も加味して、現実生起現象に説明がつかないケースもある事に

   
           
 

 ちなみに権力ソフィスト型の明晰とカムフラージュ傾向にも困る.曖昧な無責任発揮かと思えば、不確定性原理など何処吹く風の単純明晰で他の可能性を考慮しない或いはできない頭脳者にも閉口する暴力性を見る.

   
           
 

 深い思想は正義や道徳を無視すると考えている人は当然の如く普通にモラハラと称されている事を行うだろう.挙句の果てには人に存在論的に組み込まれていてそれをどうのこうの述べることはできないという倫理を自ら蹂躙してしまう自己弁護言いわけと他者誹謗を行なう存在はエゴイスト典型と無知持ちかな

   
           
 

 ある人物の小説のタイトルは物騒だがセンスありそうなイメージの作品がある.タイトルは聖書関係から取ったと最近知り、それで無関係な感触タイトルだけ独立のイメージを持つわけだ.内容はどうも愛情の破綻心理の回復?までとかのマッチポンプ話のようでタイトルの妨げとそんな他人話はいらずで読まず

   
           
 

 人を惨めにみっともなくさせて恥の文化か優越感に浸るという存在に男女共々遭遇し過ぎて、何十年経っても今しつこく蘇り現前対処の意識の流れとしてツイートしている.自己基準からはみっともなさの度合いに無駄なエネルギーの使用度合いに比例して、それら存在はみっともなく無駄な本質を持っていると

   
           
 


わからなかったが、石垣のところの平坦な道脇に輪のスミレが咲いていた季節の記憶話.ブレイクだったか野の花に永遠を見る系の話では常にこの一輪の菫の情景を想起する.

   
           
 

 ベアトリーチェで一瞬浮かべたxxがいて、なんとそうだったかと気がつかずの昔.しかしこのxxがまた非関係の無駄原因ともあるな.暫くの時過ぎてKと…ウェギリウスの名で、

   
           
 

 歳の冬、極普通自然に現実はまあこんなもので対処しておけばいいだろうと気楽に考えた内容はどうも価値かあるに傾いてきた.時間順序が決まらない未定形なのでそれでほったらかしにしていたが、半順序なる考え方もあるという事でまたまたこれで対処すればいいやである.サポート要素対処不足である

   
           
 

 ソニックシティの谷間に突如強まる風は汗の吹き出た梅雨最中に心地よく、去りし日に見た西口からのゴッホの麦畑かと思えた三橋の見えない先の並木は、車線工事中の中央分離帯掻き出し土情景に、私立高校バスやJKバスの向かう道であった.

   
           
 

 でパーコレーションに対する線形意識なんだけれど、見方が違っていてセルオートマトンがプロジェクト的に現実は複雑系を形成するが正解であった.現在時間がそうなっているのに追随・直面中とは忸怩な思いを持つ、惨めで情けないともっと先に行っていないといけないのにと.

   
           
 

 ある経済事象を知るべき人が知ったとして見てみると、反発があるにせよ経済的事情は良くなると仮想する事があった.

   
           
 

 確かにハードボイルド・バイオレンス家庭育ちと南西の島の女性の全と無の全性への刺激がきつかったケースとはセンス位相は異なるとせねばかな

   
           
 


先ほどスラッファのあらましを読んでいる時に、直感が等速度運動慣性の法則を湧かせて、なぜなのかはもう忘れている.どこかでまた考えが進展するかも.

   
           
 

 スラッファ経済はミクロ的だったのか.昔からコブダグラスで取り敢えずはいいやでずっと、指数なので嫌いな対数を想定していたためだが、今ちょっと見て労働分配率が-αの一定になるのに偏微分を用いると知り、なんだか動いたなと述懐気分.ここにも一定か.

   
             
 

 スラッファのジェスチャーは脊髄反射的な帰納帰結伝統かな、ショックのヴィトゲンシュタインの規則の当てはめでどのようにも解釈出来るの可能性の所はどうも理解しがたい.

   
           
 

 なんだかこの記憶にあるしつこい他者の発言は心理ストーカーか.昔はこの科学発達の状況で憑依などはあり得ないと思っていたが、いまだに陰陽師の文字は見かけるのでそんなことはないなと

   
           
 


最も自己責任などに値しない存在だからというのもあるか、しかしそんな無責任存在も共同の社会集団関係から傲慢になり、理不尽を発揮してくるものである.ここにアイヒマン現象・ミルグラム実験が登場してくる事になる.つまり社会集団関係日常において、大なり小なりミルグラム事象は無数存在している

   
           
 

 まあそうでなければまたかとうんざりして、それよりこの対象はxxであるが何を考えているのかさっぱりわからない対象がほとんどで理解しがたく話も実際のところできず成し得ない.xyも昔に太陽がいっぱいという映画があって成り替わりを志向するのもいて、それが主体阻害をしてくるそれも多すぎる

   
           
 

 諸悪とは聞くけれど、そういえば諸善とは聞いた事がない.人には善は一様な地平を持つとして自然に認識しているような、そうするとトルストイのアンナ・カレーニナの有名な言葉が陳腐になってくる.少なくとも表層としても、諸悪の言葉を使える人には、不幸を悪として見てその多様性がわかる事だから

   
           
 

 どうもNAとミトコンドリアが合体したというのが気になってしょうがない.これ自体は多分間違っていないと思うけれど、暫定として諸悪の根源・諸善の根源も合体にあると言える.

   
           
 

 どうも陰謀型人間は自分は悪く無いと優等生演技をしがちで、自己の邪悪性を隠そうとするが、自然に出してしまう笑いが、他者が悪いという感触の嘲笑感を含んだものに聞こえる.問答無用に陰謀性が悪いだろうに、なぜそう思わないのか不思議でしょうがない.自覚できない愚かなのかな、その割に傲慢な

   
           
 

 光の粒子性は波が集まって粒子的に見える如くになった時と解釈している.初期に描いたのは一様な大きさの数珠を直線上にした時の数珠数・個だけだったが.その・年前にはいくらなんでも量子思考をするのは早いだろうと自己制御した年だったが、この制御意識は個人的には問題な固有性?かな.

   

             

 アゲツイだけれど表現を変えて--深淵ギャップに消えて行くガロアまたは吸い込まれて行くガロア.これを浮かべて冗談じゃない難解さ予感、整数論も時間があればで避けているわけではないのに、グロタンのモチーフに恐らく避けられないギャップと推定できるものを浮かべた短い坂道--作品化の前にツイ

   
           
 

 p進系にNo.テンのある一文章が使えそうに気がつく.どうやらこの文章項目内容は価値があり、もっと真面目に対処活用すべきだと思う青春の記念碑・第楽章の思い出やθ象徴形式

   
           
 


ちなみにヘラクレイトスは用いて変形引用している.ディオゲネスは無階級社会者とした人物はアレキサンダーとの逸話からか、普通には隠者タイプと思う.

   
           
 

 道路が歪んで見えて不思議だなと思った頃の中学生の時に、ゼノンの飛ぶ矢とアキレスと亀を浮かべてしまって苛立つ事に.今ゼノンの場所を知りショックを受ける.冷静に考えると神話的にならずに古代ギリシャ人も当然思考力はあった.ΣやΠを忘れの詭弁皮肉のゼノン強調になりすぎの多世界性がまた登場

   
           
 

 埴谷雄高の階級者の傲岸卑屈執念をなぜずっと傲岸卑屈無知とあたかも視読障害(構音障害に類して)のように見たのだろう.まず明らかにソクラテスの無知はわからない無知者と思えるから執念をΣ無知に向かう無知過程とすれば、執念を無知としても強ち間違いでもないが.

   
           
 

 叙事的な虚無ではなく深淵は抉るので束縛力が強すぎるが、退行的な事とは昔からそう思っている.

   
           
 

 なんとなく帰結のような.自由を邪魔して今尚記憶上にて悩ます存在や出現してくる存在は男女を問わず不自由な存在であると端的に表現していいような.不自由症候群なるものを考えて見た.

   
           
 

 で事実から困った小説が浮かぶ、サリンジャーのライ麦である.サリンジャーはその作品の効果性かサリンジャー個人の心理過程か双方かわからないけれど、沈黙を余儀なくされた?のは当然だろう.穿って見過ぎではないと思うけれど理由は差し控えたい心情で-現行の発達障害を増長させるかのように感じて

   
           
 

 現実自体は暴力的過ぎるが通底にはある

   
           
 

 史実上ローマ軍に依存したとされるある存在もミルグラム的位相ではないかと最近浮かべている.間接的ミルグラムで縦構造の存在によると

   
           
 


核爆発はともかく今では伝達ジャンプ過程もだが神経スパークに当てはめる構造を考え、てんかんをてんかんと見ない考え方のアイデアとか考えたりしたが、スパークが一様に持続する-生理的危険時間予感を体感したりするので、抑制も必要な記憶があるae,

セドリック・ヴィラニを知らない.プラズマ迄考える余裕はない、一応トカマク形式は記憶しておいた昔のあの頃だった.知る人は良く知っていたようだが、ムラビンスキー同様さっぱりのランダウだった.ムラビンスキーは年代に何回か来日していた…

   
           
 

 自分は悪くない他人が悪いの責任回避者には真理存在か聖人か諦観ではない釈迦的位相の悟り者でもない限り、自分が悪くないと言える存在はいない筈なんだがと言って見たいものである.

   
           
 

 ラプラスの悪魔は有限因果式知性となる.空っぽの入れ物-絶対慣性系信仰者のような重き荷重的な自己主張体の存在理由が全くわからない.どうみてもなんでもないわかりきった存在のはずだが、言語表現が出来かねるはずはないと思うのに出来ないという不快感.不透明な単なる荷物としても有限が広がり…

   
           
 

 永遠の相の下ににおいてスピノザは神の決定法則必然を齎しているか、人間もそれに従うならば一切弁明など必要なくなるのだが.まあ汎神論というか汎心論は一応考慮している.コナトゥス?、気にしたことなかったな関係のような…

   
           
 

 壮大なバイタリティにとっては感情の細やかな動きなど馬鹿らしくまた煩わしいと思うはずである.であるが実際の所は感情の細やかな動きなど考える事のできない単純頭脳の持ち主で、そこを陰謀虚偽や策謀でカムフラージュ・カバーするという、人間うまく出来ているものである.

   
           
 

 さる温泉施設で会ったような女性は価値あると思うが、到達意識の邪魔をして来る遂行型の自己主張には価値を感じず、辟易して蒸し返しあるいは虚無への誘いとしても-それ以前の壮大バイタリティ者が多いが、虚無化ではやる気を無くすだけにしかならずつまらなすぎる.

   
           
 

 華麗?で新鮮なしなやかさを持つ切れ味の岩澤理論のわかりやすい説明中途迄を読んだ.類体論の言葉が登場して、ある温泉の日帰り入浴施設であったしなやかな女性を思い出す.時間があれば考えて見ようとした整数論まるっきりの岩澤理論感.ζが収束するならば岩澤主予想はまず成立させそうに思える.

   
           
 

 ti・独立した空間単独空間時間無き空間は無変を見させる.

   
           
 

 摂理はポテンシャル-エントロピー関係にある.これは帰結であり真理であり自明である.

   
           
 

 無変を気にして見る.

   
           
 

 しかしieaのじんわりとした影響力の考え方はいいね、ケインズも明瞭化し過ぎの嫌いもないではないが-断言的まで持って行った事が.有効需要論はどこか対処できないところがあると思った昔、さてそれは何かと考えて困難だった事を思い出した.一様縦構造からは横だが、ダールの下位文化伝統か

   
           
 

 ウォーホルとディラン双方の知り合いで、イーディなる歳没の女性がいたことを、その記憶に残る俳優の顔立ちから知る.ジョプリンやモリソンと同時代、ミショーのメスカリンアンフォルメルはより前で、ミショーを発掘したのは自意識の法王庁の抜け穴で、自意識の周りに奥津城海岸線金魚となるほどな

   
           
 

 代の引きこもりは今や珍しくなく、代もいるとは大変なというか凄まじい時代になっているなと思うが、心理を別にすれば働かなくても生きて来れたのは余裕過ぎると、まあ現象的に判断できないことはない.複雑系時代現象明らかで、エントロピー増加が現実現象に転化している.後戻りはしない筈

   
             
 

 偽善や詭弁を不条理の成果物とすると、現実措定をややこじつけ的にできるかな…これはカミュだ、偽善や詭弁を発狂認定とするとキルケゴール的で個人的にはこちら側が都合いい.他者の理不尽言明をカミュ的に解釈して無駄すぎる悩みを持つ事に.しかし他者もいかにも正当のように不条理を強要するものだ

   
           
 

 ゾロアスター教は善の優位が悪に対して確定されているとな、建設は優位であると同じ考え方だったか.唯一神教と単一神教の考え方はスターリンとトロツキーの考え方の差異に似て

   
           
 

 ある視点を与えよ静止している私は光速で動いている-ある昔のギリシャの人物に潜んで・もいないか…

   
           
 

 でその感情無知な境界が詭弁や偽善として現実にみとめたくはないが認めねばならないかで、ディリクレは一般的だがノイマンやロビンなのかも.イデアルからはよくわからんコーシーなのか視点として導入.とにかく精神分裂は避けたい意向であり…この辺から史上の人物達は精神破綻へとも閃く

   
           
 

 雨がなぜか降っているその理由がよくわからず奇異な感触をもったのだが、単に梅雨の季節ゆえだった.なんだかもう梅雨の季節も忘れかかり、ただ気温が低く夏近くに肌寒いとはと無意識様況で思うのみ、そういえば冷夏のあった事は覚えている.

   
           
 

 頭・記憶にある不快を除去しようとしているからだが、主体の邪魔をした存在に忍耐力を勉強させないとの教育的視点もあるからかな.

   
           
 

 一般に境界は心理的に難解で生理的には困難な対象である事はわかっているが、だからといって道化要請や不自然要請やでたらめ発言は困る.統合失調者の発言と認定したくなる.そういえばかような存在は普通にクレイジーと思っていたのに無駄な解析で悩まねばならない心理的情態になっているのか…

   
           
 

 どうやら叙事的存在は感情に関して境界を持っていると思いついたが、その境界は自明なイデアル位相だが、内容は統合失調症的なでたらめに見える.

   
           
 

 単独で山に行く人に自己責任とか自力とかの他者の意見は過剰な無駄である.なにしろそのような人は自己判断で自己体力を用いる事は明らかだからである.

   
           
 

 支配型で模倣を無駄にしてくる嫌なもの、無機物的存在が模倣をしても馬鹿げ過ぎて頭麻痺するだけの無駄にしかならない.無機物的体質を変えろといえばそれでおしまいになる明瞭な存在なんだが、人間的感情が未熟な分、バイタリティをいつまでも一生持って長々とうんざり引っ張る存在の馬鹿らしきしらけ

   
           
 

 なんだがわからぬが対自を自分だと思う他人が多くて閉口する.即自対自ともに一人の個人のもので、他人のものではないのだが、人の落ち着きを乱すのが趣味な存在が多い.別に不自然をやるつもりもなく、道化もやるつもりはない.ただし自己主体による冗談や遊戯や狂言は否定しない.

   
           
 

 逃げない野良猫?も珍しい、直ぐに道路に猫ろんで




   
             
 

 日薬大がきばって来ていて苔テラリウム.円は高いと思ったが、育成費用も入っているとの縄文式に賛同してと秩父大滝の苔でプラントハンター費用も含まれているだろうなと.作成半分はもう彼女に頼んで、一週間持てば後は半年は密閉で大丈夫との期待アクセサリー

   
           
 

 ハイデッガーの原存在をポスト・ヒューマンとするには無理がまだあるかな.空中浮揚可能で空間をやや自在速度で飛び回れる意識体なら、原存在の革命的変転になるが、有機的存在としての生体感覚や果たして人間と言えるかどうかになってしまう.ハイデッガーの未完部分は明らかに超越との戦いだったろう

   
           
 

 非生物的な有機物?.濛々たる瘴気の中で有機化を想像したあの頃、オバーリンのコアセルベートや種の起源の知りにより.なんだかんだの今日ダーウィンをもじって保存の起源を浮かべる.

   
           
 

 人間とは何かの答えが出ると類続の必要はない予感はただししている.

   
           
 

 人に存在論的に組み込まれている-考えない人多そうゆえに絶望せよだろうな-人間とは何かをそこに存在しているだけで有る倫理としてよいし、諸々がそこから発生するとしてもよいはずで、何にせよ人間では何かを考える時には他よりトリアージ強く他を捨象している比較すれば自由な位相になっているが

   
           
 

 関係とは良く言われる人間は矛盾した存在の不条理性を生身に見たという事で、人・人間は解決不可能的なものを持っていてそれが関係で、それを盲信的に感じた自問自答から他力の親鸞にこだわりすぎたという必然的に発生した事だったかと.それは諦観の要素を見ることもできる浮かびを持つ.

   
           
 

 個人的にはマルクスの予定は人々人間が聖人君子・聖人のみの世界でしか成立しないものとしか考える事が出来ない.

   
           
 

 嫌いな宿命は必然的自由の指示的タイプかな.自由=必然と必然的自由は異なる.必然的自由のモデルとして詩人のワーズワースを契機的な直感で昔から設定しているけれど検証考察はしていない、また軽いタッチのままをそうしたい意図もあり、敢えて明晰分別することもない対象的なものとして

   
           
 

 人は誰でも必然的自由を社会的に行うケースに直面するしている.例えば対に関しては可能対象が数多い中で一人を選択するのは自由でありカップルとして成立するすると当人達にとって必然な関係になる.普通に義務的に行わなければならない免れ難き事態は主体にとって必然的自由である.

   
           
 

 セルバンテスのドンキホーテはレビー小体長きで夢をみていた時はあたまはっきりの時だったとか.あるxxがある男と誤解してドンキホーテとの発言を受けて、この発言は不当なんだがそれを擁護する形としてドンキホーテには色々悩む.とにかくこのxxには信じがたい無駄ばかりの記憶多い.その反面は?

   
           
 

 それもやはり叙事的な物理主義ゆえに成立する事だろう.それで発言を取り消せない不快な記憶が悩ますので、この複雑すぎる生理構造を持っていながら、パワハラ的が人生だなる存在は複雑構造を持ってしてもそこまでしか発達できない存在と思い至る.人間学的視点には役に立たない存在だと諦めた境地かな

   
           
 

 ビートルズのletitbeには不快な心的悩み状態にその放擲を示唆させるという思い出記憶があり今でも苛立つ.特にカントの道徳論がドメインを持って現れ--今カントの道徳論をチェックすると、その義務論が出てきて何でもなかった.自己解釈想定判断思考だけでなく、その書に接するべきだった.

   
           
 

 自分の考えといつまでも一緒と危惧したわけで、無理解剽窃的な逆作用デジャブ的な過去失念的無意識蒸し返しなど無意味と表しているだけで、既に蒸し返しである表現存在は存在自体価値が無いのに気がつかなかった昔の日々.ゆえにだめなのよとその妻に言われて夫はそれに甘える形の白々しき男の記憶あり

   
           
 

 エンタングルの明晰さかな、この動かしようのないと思える截然的位相は.多世界的がふさわしいのだが、エンタングルにヴィラソロや包絡線などを想定させる思惟形式は、単に現行の思惟の法則に則った考えにしか見えず、新案とは言えそうにないと考える.

   
           
 

 そうそう”自力ですよ”とも言われたな.それに対して沈黙していたけれど、内面では、そんな事は当然だ、そうやっていると思ったものだった.-在りし日の埴谷雄高の記憶から・

   
           
 

 吉祥寺に訪ねて行った時には玄関払いで、奥さんが何々と言って出てきたのに、おまえは下がっていなさいでつまらないものだった.折角の好奇心を発揮させればいいのに、理解力がない趣向であるだろうが、他と比較すればまあまともな埴谷雄高ではある.文章は好まないが思考内容は役立つものが多い.

   
           
 

 まあ埴谷雄高もハイティーンの頃に卒業しているのだが、埴谷雄高には電話で”女の子ですか?”と言われた事かある.??だったがなぜか男達がそのように見てくるケースが多いような.内部に…省略して置くが、不当な事は確かで、これら男達はその異性への理解力が欠如している可能性が高い.

   
           
 

 指示的言明に従うのは実際には自己無責任らしい、そうかも.敷衍すればシステムに責任があり畢竟秩序に責任があるのであって個人にはないとしている形に思考して見た.

   
           
 

 レーニンはフランス革命を踏襲か模倣をしたのではと今日は考えたりしていた.ちなみにレーニンの自由=必然は最近に近く知ったキャズムのイノベーターと位相的には同様なものと代最後の頃に考えていたな.

   
           
 

 色んな歴史条件があるにせよ遺伝子レベルで侵入しているのに、侵入系は一方的にしか遺伝子を持っていないというのは不公平である.無意識的にせよ歴史の流れに乗ってその反動が出た世紀初頭あたりから半ば付近近くまでと最近思いついた.

   
           
 

 ふと思いついて社会的な忍耐を愛情と勘違いする違いのわからない存在は、ベイトソンのダブルバインド状態を自然な事と思い込んで形成する事に気がついた.ジレンマはおよそダブルバインドで日常常に発生する.記憶のダブバを処理しきれないうちに.またダブバを勘違いして強要する存在も滅茶苦茶である

   
           
 

 個人的ではなくての意図で、幻想旅行記をプレゼントした女性がいた頃の話だ.そこのkが…mもいた.近くなのでw大の女性のnも、しかしg大の女性にある試みをしていた日々で、常識と無知知識の同情心が愚かにも決定的にやる気を無くさせた頃でもある.いまだに回復せずかな.gのは韜晦を齎し

   
           
 

 でたらめで不自然な存在-いくらなんでもそんな前提にない人物がそんな態度を取るから困りしつこくなるのである.つまり前提が間違っていたことになる.そういえば以前は他人は狂人だとしていたが、最近はその視点が弱くなっている.

   
           
 

 このしつこい存在と似たような態度の存在が多くいて、どうでもいい・邪魔だから目の前から消えろ・そんな態度を取るなと禁制的態度を心理的内面的には思っているのだが、なぜか逆の態度を取ってくるしつこい存在達、しかも男女を問わずなのはなぜか.もともと不自然なでたらめ存在なのだろう

   
           
 

 ハテナの動植物性から一次二次共生という事で花の種類の多数性記憶化のヒントを得た気がする.昆虫の多様性はとなると?だがメカニズムは同様な気がする.葉緑体は独立した別個のものだった→ミトコンドリアと似ている葉緑体の存在形態

   
           
 

 こうなるとヤスパースは頭いいだけと思っていたが、その文明論が浮上する.紀元前後年のミレニアム期間に・現行の現実を鑑みると期間はもっとのびる・宗教発生複数も歴史上の必然がありそうだ.

   
           
 

 アージーヴィカ教がジャイナ教の頃にあったのを知った.スピノザの神の決定が直ぐに登場するが、阿弥陀も結びついて来るな

   
           
 

 sixteenにおいてどうにも考えが進展しないのは乖離から、人はdnaとミトコンドリア双方を持つがその流れは一方性もあるあたりに推定を持っていく.ここに至ってニーチェの深淵は生理的面が強かったような感触を持った.

   
           
 

 ヴィトゲンシュタインが幸せだったがわからない人は建設的である子持ちという類と同じ感覚を持てる満たされた存在感による生理的快感視点から見ている.その視点では頭脳をあまり使わなくて済む経験的な明瞭さがあるケースが多い.シモーヌもそうかな.カントやニュートンはどうだろう.

   
           
 

 創作的かな:ヴィトゲンシュタイン曰く、日本には地獄の沙汰も金次第という言葉があるが、第三帝国の場合はやや多めの金塊を必要とした.

   
           
 

 小学年性の時に皮肉は考えたが、懐疑の言葉を理解できそうで漠然とした雰囲気のままの記憶がある.今考えるに皮肉はマーフィー的であり、矛盾と不条理に繋がっているなと.

   
           
 

 科学の確かさは帰納が終了するまで続く帰結になるが、公理は演繹的に見えてしょうがない.

   
           
 

 結論より中身の過程が重要なんだが、安易な処理で悩みたくないあるいは悩めない存在に配慮をしてしまう…もっとも結論は過程表現なのであるけれど.

   
           
 

 ゲーデルはNo.tfに不確定性原理もここに持ってきて、存在理由や帰納性もttと関連するがその自由性を考慮して.カルナップで議論が出来なくなった昔を今に見ると単なる完全ではなかったカルナップだった.

   
           
 

 存在主張もエゴを絡ませてあるか.存在原因を考えたはいいがきつい.曖昧で抑えられる存在理由の方が遥かに楽で、存在原因は別枠の命題の一つに関わって来る.

   
           
 

 すると存在理由以外に存在原因が登場し、存在保存がなんとなく共同的な感覚で浮かんで来たが、とにかく他人に対して優越感を持ちたがる心性は普通に見るひとは優越感のためにいきている観察結果と一致するが、それ故にかななので、存在優位とかなども入って来そうで、いい言葉が浮かんで来ない.

   
                     
 

 タナトスを超えて蘇った人物なら---絶対を使えるかも.となると生きている生理体は死後の世界を知らない位相地点はかなり説得力を持ちそうだ.「何がダメと言って論理理論のだめなところは死を体験経験していない事である」と昔からのシステム構想の頃からの明白過ぎる考えでもある.

   
           
 

 中間存在には関係の絶対はないだろう.中間の関係は権威権力や絶対空間に依存する曖昧模糊な有限限界体がそこに実在しているだけだから.アイヒマン的無責任位相かニュートン線形の明晰信仰存在に中間存在はなりやすいかもしくはそれしかできない.限界感得を絶望とし、それを絶対だとするかもはあるな

   
           
 

 エレクトロニカのカットアップやノイズグリッチは年中途からでffやln辺りが起こりなんだ.カットアップやグリッチノイズ音を用いれば明らかに複雑性は明瞭…チルアウトそうだろうな、マハラジャの名はきいたことあるがジュリアナは知らない視点から.コンピュータ環境自然なアンビエントな

   
           
 

 とにかく六法全書には常識しか載っていないはずで、非常識があれば大変なことになるゆえ.司法試験は常識力の問われる試験であり、暗記力と識別力もあるにせよ、難しいのではなく常識能力がいかほどあるかの試験である-と昔から設定している.そんな考え方なので実際に常識力ない人多数を想定できる.

   
           
 

 その頃は心理学は魂を蹂躙するので使わないとしていた、今でもそうだが、逆な発言者を思うと蹂躙どころかいつのまにか洗脳してしまっているようなものではないか.ただ埴谷の自分の考えの如くが不快でツイートもそれに関してが多いのだが、所詮間の抜けた理解力の乏しい存在達と放っておいていいか

   
           
 

 それにしても年付近は機能主義旺盛で、行動主義的な生理体優位の日々だったのか.ダダ的に頭を混乱させたポストモダンもその頃では、まだラプス中でそれほど.今は追跡中だが想定していたほどそう簡単でもないな.「先蹤者追随者」はセット的に取り入れてあるが追随はあまり意図せずでもあり

   
           
 

 腕の筋肉は思考しない、ここからその生理体を見て気持ち悪いと感じさせるその存在理由が頭脳より生理体にあるxxが登場して思考の邪魔をする事になる.この思考を妙齢の美女から言われた事があるが、その時は?で後に光栄かなと、べつに光栄でもなく、主体思考発現を邪魔する数多くの存在系だった.

   
           
 

 意識のハードプロブレム問題があって種類あるそうだ、なるほど解けたとするのはイージープロブレムとな.ある項目でイージー的に判断する事も確かであるとは書字中枢を用いている今はそうであると認識はしているが、明らかに生理との連携思考で、瞑想している時の思考形式ではない.

   
           
 

 設定システムの展開論と別枠的に三つの命題を持っていて、そのうちの一つに恐れ多くものプレッシャーを持った謙虚さが今となっては問題となる.一つは小学生以来のもので個人的なものかな、プレッシャーが家族的、クォバデス的に・ただし十字架ではなく未来の行く末的に関与すると思う共同的ものの三個

   
           
 

 とにかくxyにしろxxにせよ論理不当が多すぎる.xyの場合はあるxxに述べるべき事を言ってくるから何のことかわからなくなり、あるxx・既に他の男と一緒にいる・の模倣を強制してくるので、直接その女に言えと直接言えなければ情けない男であるか、その発言は無意味なので述べるなということ

   
           
 

 不快なのは論理的な他へや他からの当てはめは不当であるからにようやく気がついた.昔ある女性が論理不当を申したが妥協的態度を取った事を思い出す.でうまくいかないことなるが記憶にはいつまでも

   
           
 

 ベルカーブは壮大な詐欺は言い過ぎかな、宇宙から見ると地球限定の人類の歴史は卑小ではと思えて、ただし無機物関与として摂理を考慮すると人間原理的な考えというか、宇宙的自然に存在理由を持ってこれる.

   
             
 

 今は変わって来たはずだが、昔は物事は正規分布形式を形作るものであった.細かい砂粒を万個いや万個を地面に適切な速度以下で落として見るとまずベルカーブを形成するのは確かだろうと、ある時直感推定をした.それは事実で当たり前過ぎて別段強調に値するものでもなく、日常茶飯事としていた.

   
           
 

 ミルグラム・ミルグラマーをストレス増加加担症候群者・達と表現方法を思いついた.

   
           
 

 曖昧と言えば道教の太極図の双方の点も上手い表現である.多少の直感でもわかるが図式化するまでには幾らか吟味した筈と想定する.

   
           
 

 最近読んだダールのポリアーキーにはマルクス成就の国は年頃時点で歴史的に無いともあったな.アローの不可能性定理やコンドルセなどを考慮したのか法の支配の国とダールは明瞭にいわず曖昧な接近値ポリアーキー表現はプラグマと観念的の合金・アマルガム化は考慮判断結果自然設定だったのかも

   
           
 

 一段階二段階論なるややこじつけ解釈のあったことも後には知った.最もその人物は永続革命論はいいといった.永続革命論?知らぬが革命が永続することなど考えられず、詭弁にしか聞こえない、後に頭いいと思っているトロツキーの考えと知り、この潜みに刺激したつもりだったのか曖昧となる.

   
           
 

 マルクスの趣で資本主義から社会主義に移行した歴史国はないと思ってマルクスはぺてん師とある左翼系?の存在に言った事があり、その人物かなきあとも悩ます羽目になっている.客観的評価を未だに出来ていないからかな.その時は別にどうでもいい存在と思いつつ家までなぜか尋ねていった.

   
           
 

 リフレインの逆部位はある誤解をされてしまういやなxyがずっと気分の悪さを醸している.とにかくxx&xyにしろ、逆になってオリジナル思考者にイミテーションである事に気がつかずにオリジナル者にぶつけてくるというデタラメ無自覚無知典型の道化さはなんなんだ.ボードリャールも嫌味な設定を

   
           
 

 しらけたね、納得とは、複雑など他者に言おうとした事をなぜか他者からそれも当事者ではない存在から言われたりするのでおかしなことになる.主体発揮の妨害ばかり受ける.卑怯者?一体何のことだ唐突に、それは武力タイプの陰謀心理のことで、自分がそうだろうに.よこしまとか線形馬鹿ではないのか

   
           
 

 超越数とは代数方程式の解にならない複素数-最近こんな完結明瞭な文を見たことはない.昔からプラトンの時代から世紀のインドでもそうであったろうと推定するが-鮮やか過ぎる.

   
           
 

 ディオファントス近似-無理数・超越数上出現だが数学にこんなに関わるつもりはなかったのに、常識対象となり、つまりは別に個性があるのではなく、普通常識的なのである.フェルマーの余白は算術のラテン語版とは、大学ノートでもパピルスであるはずはなかった.その余白存在は小学生の時に浮かべたが

   
           
 

 平和ではなく戦争を齎す為に来たは、言葉上は宗教の大要素のひとつ流血を示しているが、ある殉教は他の殉教と相容れない分離公理ゆえとも.瞑想はどうするんだからは、戦争を齎すとは相容れないので、これは一面的になる.

   
           
 

 今日ふともしかして悩みはどんな悩みも意味が価値があるのではと浮かべて、もしそうなら非常にいいのだけれど

   
           
 

 私はショパンが好きだわよ-だったかな確かその趣旨の唐突に主張をした女性がいたな.

   
           
 

 ショパンの幻想即興のアンダンテ部分、野田線か高崎線を待つある日ある時間の大宮駅で、それと知らぬメロディが湧き、ひとりしみじみと哀愁を覚えた曲である.この転調部位のみ好みで、ここで感興を齎さないピアニストはいけない.教師として教える立場ならテクニックだけ・はしようがないと思うが

   
           
 

 最近は体たらくしている日常で言いたくないことや言い過ぎてまずい思いをすること多し、xyもだがとくに自覚なき?xxと逆になり、その無自覚を投射してそれは自己自身なのに気がつかず当たり前の特権かのようなxxが無意味を強制してくるのが原因では?、まあ消えているや他xyも同じ人格レベルか

   
           
 

 ある時ある場所で対象と非対象を初期になかった考えをしてしまい他人がそうであるべきなのに自己を他人化してしまっている…それ以前に模倣のトートロジーに気がつかず非常な屈辱感であるのにも気がつかずの人間がいまだに主体を悩ます、いつまでも傲慢・倨傲さ非倫理非常識の記憶が不愉快となっている

   
           
 

 耳が落ちたかいや叙事的不潔なxxが災いしているはず、叙事的つまり指示的xxはxxに足りない存在と思っていて誠に困る存在で、恥の文化ゆえにより支配欲によりとにかく自由の妨害をするのは必定だからでもある.身体存在自体拘束・束縛なのに二重三重ほどに妨げてくる…

   
           
 

 ユートピア思考発生を少し読んで、ユートピアが成立するためには何か外的条件に依存する必要があると思い、今でもそう思っている.そこから平和や幸福な家庭も同様ではと推定の過程中

   
           
 

 中学生自転車通学の帰り道、カレーニナの幸福な家庭は似通っているも良くわからなかったが、そのところで二等辺三角形や合同とか考え始め何故にと、今では相似からフラクタルだったとわかるが、流石に思いつかず閃かなかった.

   
           
 

 人の生的生理は胸腺発達限界時間以降一率ではないかと考えてしまう.哲学的に死と向き合っている時間を胸腺限界以降全ての生にあてはめたくなる.すなわち発達限界以降生理や環境からも短時間で消えるケースもある事になると胸腺変化をどうも止められず仕方無いと思った時の印象記憶強く

   
           
 

 しかしまともに相手して自虐弁護ばかりしてしまう無駄ばかりで笑うに笑えなくなる.とにかくマズローの低劣には困ったものである.しつこいというより一生精神年齢上がらず詭弁で補う誤魔化しを感じ、未熟に甘えて暴力発言で優越意識を保とうとする馬鹿馬鹿しさを見るのみで

   
           
 

 ミックスの手もあるが形而上的な皇帝側にして見るのもトライでありと少し未定はリアルになりすぎるが

   
           
 

 蒼空に舞い上がる真昼の透視意識は芸術的な皇帝楽章'”から秒のバックハウス.俗にいう安全パイなユートピア的で自然に好みのベートーベンの皇帝なので田園ともうしょうがないので置き換えようと思っている.ふと緑の田園だがその緑の質に少しを感じてしまったのはまずい事だったか…

   
           
 

 ベイカー年フィールズ賞受賞.そうなると腫の特性方程式も既約なので超越数そのものとは直接関係はなくなるが、独立性がほとんど成立する内含方程式にはやはり個人的発想なのでおもむろさは保存して置く.即自対自即他対他が独立人格をもった一つの人格という解釈は元数より高度かな

   
           
 

 91年生まれは今26歳で94年は23歳96年は21歳に

   
           
 

 マズローのといえば以下特に低劣なはその精神能力の低さにより、など理解できずその優越原理によって以下の存在にみたがるものである.理不尽でまあ責任はそうみたがる存在にあるが、その数値ゆえのエゴ意識を超克する事は消えるまでできず・消えてからもしつこいものである.

   
           
 

 無機物の歴史とか出てきて皮肉な事に、叙事のロボット的な指示的な縦的なやや煩わしきかな叙事詩も対象になることは必然当然自然な困惑の登場と相成って.自然科学はもともとエピック要素はあり特に最近はその要素目につくので叙情ニュアンスで見ることは緩和傾向にある

   
           
 

 無理数さっぱりがあるにせよ先の帰納余地の予測はつかないが超越数展開のもう現前時間の時と思いが浮かぶ.

   
           
 

 心理境界・最大値の原理が厳然と存在する状況を認めざるを得ない.例によって条件飛ばしゆえにより、意図的な設定予定によりが強いが、やはり多大な無駄をした形になるまで気がつかなかったという愚かさが情けないとは思うが、救いは気がつかないよりましにあるがだ…

   
           
 

 歳ではなかったかp進の小数に有界を収束を考えて見たら理解可能となった…側面を持った.あの院生にp進とはなんぞやと質問した時に短文説明は困難と、質問しかたがわるかったな有界とはと聞くべきだった.しかしこの収束意識も長きブランク的な麻痺化を.p進も乗法であったも単純過ぎる長き麻痺

   
           
 

 無駄に経過した時間を普通空白ブランクと表現することもありそうに気がつく.意図的にそうした面もあり、空白を埋めるのは大変だがなんとかはなりそう.しかし先に進むのは困難と行き詰まりを常に感じるのはあるxxの術中匂いの障害を感じなくもない、これこそはまさに無駄の要因なんだな.

   
           
 

 あるxxは最悪でそのしつこさは悪魔のようなと思っている存在となぜか同一視して、しかもその同一視内容は、その悪魔かと思えるxxに言わんとしたがしらけるので詮無いと止めたことを言われるというバカバカしさ、この存在と似た位相のxy多し、げに図々しき存在という名のある父親とその同相xy群

   
           
 

 それにしても手抜き無しの歌い方、ムンクが叫んでいるような連想をさせる基本はできている歌い方の存在は如何に.言わずと知れたムンクの叫びの美術的解釈を知らんのだが、今回の連想においてはタナトス意図であろう黒い影はないものとしている.

   
           
 

 非可換や普遍グラスマンなどで展開できるかな?.フラクタル側からジュリア集合とかはだがこれも見当違いかも.何れにしても知見が及んでいないゆえに対象設定あるいは現在状態が不明な事は確かな、あの坂道で浮かべてしまったガロアに対する直感的に避けたが今少し対象化の難解事象記憶

   
           
 

 他者予想を間接呈示によるとも間主観的のようには分類しない、他人予想を間主観性と述べた人物もいるが、基本定理は自己自身のもの、最もフッサールはそう述べると都合がいいとしただけで、間主観性も自己能力と他力本願と同じく考えたい・自己の能力であると.間主観性をいうなら場を想定してしまうな

   
           
 

 アルティンLでもモジュラーでもなんでもフロベニウスで乗法なのに、またしても定義避けの条件飛ばしで漸く気がつく有様.カスブもその鋭さで避けた対象だった.分岐は難しい-カタストロフィ理論は分岐論だったのか.トムと同境は結びつかず、グロタンと仲悪かったのは結びつくが両者とも消えている

   
           
 

 昔ある喫茶店で考えていたインタナショナル・第インターとはなにと混乱、ちなみに神の代理人も何の事か想定苦しき日、ミストレスが一言非常に気にくわないことを言ったのが残念である.言いたかったよくあるわけないだろうこの女は最低最悪だよとここで発語しておこう

   
           
 

 命の樹の実を食べると…命の木がどんなものか知らないが、現行x軸を時間としたz-x射影像においてのe-p図のx時間は有限である.ただし「現状維持無限(有限?)変革」においてx軸の有限時間は伸びる方向にある.

   
           
 

 ポテンシャル曲線はx軸の時間が経つに連れてz→に近づくが、エントロピー曲線は逆でp→で上昇する一方であるが、x軸時間のある所でヘビサイド的な老齢的超越状態を描くようである.みどりごのポテンシャルが低い時のエントロピーの高さの解釈は依存度合いしか浮かばず、ここに他力が登場か?

   
           
 

 一個体を仮定して、x-z面において、ポテンシャル曲線はベルカーブ的を描く-z軸に凸である.逆にエントロピー曲線はz軸に凹であり、対称曲線を描いているものとする.特にポテンシャル曲線は生理曲線とほぼ同様と見えるのは自明的.ここから人々は積極的自由や若さ概念に飛びつく.

   
           
 

 昔は深淵を散歩できたのに今では深淵に遭遇して思考出来ずにっちもさっちも行かないが、生成消滅があれば思考出来てもいいはずだな.小学生の時に励起という言葉を浮かべ何か魅力あるイメージを持ったことがある.これを使って思考できるはずなんだか、現実対象問題として質量ギャップが絡んで来たり…

   
           
 

 深淵の場にeは見えず惰性はない.ただし生成生滅子があるとは確かに考えられない事は無い.実際には思考ができず非保存場でもあると想定中.

   
           
 

 愚劣な愚昧な存在を尊重するというピエロ・道化を強要されがちな性格に見えるようだな他人には、そんな事を考えるはずがない以上に人をピエロ化しないと立つ瀬がない人間もまたいる・はず無いと思っていたのだが、明瞭に経験上実在していたが、もう会うこともなくすでに消えている・かも

   
           
 

 私と私は私である.どうもこれがわからず、私を他人にして自分を私だと思うすでに悪あがきなそんな他人がいるはず無いと思っていたので、変に無理解な対象だなとは思ったがそのまま、後の今頃になって自分を取り返す主体阻害&疎外の修復をしないとになっている.

   
           
 

 思い出して見ればソシュールの通時と共時の間は自明であったか、共通時とでもいうべき.そんなニュアンスは持っていたはずなのに、所変われば品かわるではないが、対象変わればケース変われば対処変わるという結びつきに対しての多世界解釈的なフィルターが妨げ的に…

   
           
 

 ガロアの基本定理的な対象が現実に存在している.以前は単に区別だけの仮想的なものだったが、どうしてもノルムと汎関数の境界を考えねばならず、そんな人間や企業 が現実に実在している観察設定を持たざるを得ない、

   
           
 

 数学ね変化流れを見ているとまさにエントロピーは増大するの典型例に見える.エントロピーは乱雑さ?、語弊があるが閉鎖の束縛から自由にするもので、言ってみれば複雑さの度合いで、エントロピーが増す事は複雑さが増す事になる.

   
           
 

 今ふと思いついて不利益を齎す存在はタナトス的傾向者ではないかと、フェルミ型もその傾向ありそうな気分に、そうなるとしつこく悩ますのも理解できそうな事になり

   
           
 

 既に過去にしていた事をすっかり忘れていてあるxxに無理に集中した形が未だに尾を引いていて修正への圧力思考で不利益ばかりを要請して来る.この事は未来に対して退行明らか-既に過去ゆえにだから-なのだが、このxxに同類賛同者たちの多い事は経験上分かっている

   
           
 

 明晰志向と言えばずっと不確定性原理で日常を判断していた時期長く、当然曖昧さが伴うので明晰はないとしていた日々だった.ハイゼンベルグ的に考えねば明晰は有効な世界が広がっているが.なおペンローズなるループ思考者もいる、個人的にも限界要素を限界子を考えた事あるが、弦に飛ばすべきなのかも

   
           
 

 この昔の記憶からモチーフへの可能性がありそうな予感がしているがやはり思考する事を躊躇う心理がある.それはつまり明らかに厳しい深淵の境界を見ているからである.

   
           
 

 *そこから上がる道の途中で、複雑さが苦手だなと思った位置の傾斜上に合流する道の途中で浮かべた、ガロア対象であるはずの境界傾向位置の思考は、直感が難解過ぎを示して冗談じゃないこの対象は専門家がすべきだと避けた対象になんだか直面的になってきた昔の記憶

   
           
 

 ラングランズはその時は鋭かったのかか時が要請したのか特異点位相だったのか、多分にギフテッドのイメージが来ている.予想は実にしぶといが、そんなものがあると壮大な無駄な時間が微笑みを運んで来るというものだ.

   
           
 

 昔からの立体的・重合的複雑さのキャッチ苦手を類数フォーミュラに帰結して置く時間稼ぎ

   
           
 

 アフィンリーのディンキンがextenだって!、超弦はともかくとして、話が違って来た、それなら何も遠慮する事はなかった事になる.壮大な無駄な時間が浮かぶ.

   
           
 

 一様性の不可能は専制の拒否では?が浮かぶ.一様性の不可能があると独裁が成立するためには不条理・矛盾・理不尽的な現象がある事になる.翻って民主社会だと民主専制なる言葉も使える事になる.

   
           
 

 層序学は小学生の時から意味のある対象に直観が認定している.無機の時代もそのうちに思想に取り入れるようになるだろう.

   
           
 

 ロジャー・ベーコンを知らなかった.アクィナスの永久法・自然法・人定法・神定法とはなるほどと思う.エラスムスよりアクィナスという事で衝動的発言をある女子大生の前でしたことを思い出す.普通に冷静に話をしてよかったのだが、いろいろ思惑があって終局気が付いたが、余波がいまだにしつこい形

   
           
 

 ある山間の沢・太陽光線が届かない昼間の冷える谷へ行った帰りに、霊について脳内をよぎったことがある.どう見ても歴史時間を考慮せねばならなかったが、なんとも思考できずだった思い出がある.

   
           
 

 小学生低学年の時にとかの数値が浮かんだコンクリートの壁のある帰り道、なんだかわからないこの繰り返しなど頭おかしくなりそうでやってられないと、それから数十年漸く桁区切りの進数を見てなるほどなと.f迄用いるのはAB種類なので項目上丁度いい.六次の散発も加味して

   
           
 

 確かあの頃、の乗根は切りが無いと思ったはずでそれもあり時間があれば類体?数論ではないよななぜか忘れ気味・をだった.n乗根で実用の割には乘積やゼータとpの加算無限桁とかでは、月の連休中に終わるわけもなかった.

   
           
 

 まあ実存云々ではなく端的に( パスカル的には実存になるのか中間存在?)中間存在は未完に終わる事は明らか、トートロジー的にゆえに中間存在であるとなるが、単に日常観察や人の結果判断実証的思考から帰結要素ともするものだ.

   
           
 

 カフカは予感していたな、作品の焼却要請で.つまり本質から見るとカフカの未達作風は意味がなくナンセンスでくだらないと思われることを.人々が評価するのがわからないな、ハイデッカーを持ってくれば、現存在はほとんど未完に終わるの象徴的作風とも取れないことはないが.

   
           
 

 ほんとトルストイの明るさと比べるとドストエフスキーは陰鬱な影がつきまとう.実存でいえばサルトルには明るさがあるが、カフカには陰な閉鎖領域型で、サルトル的に実存は本質に先立つならカフカはまさに実存的で、ただひとつ本質に対して単純に届かない無知な作風である事は確かでもある.

   
           
 

 広大な虚無が閉鎖すれば深淵は素直に登場する、深淵といえば市場経済の難物として非保存系的にすぐそこにあるが、射影的には深淵な無限遠直線は遠い.ただし距離無き無限遠ドメインのこちら側からはやはり直ぐそこにある射影無限

   
           
 

 歳、ドストエフスキーの小説の中である存在タイプと自己想定をしたことがあったが今は曖昧に.作品読まず想定からアマルガムだった.スタブロの黄金時代の話は当然ミクロネシアに.虚無は信仰の一歩手前だが、最後の一線を越えるのが難しいとは示唆的な、虚無は厄介な空域でその極は閉鎖では?

   
           
 

 wのぺーの格子図の表現図像から、昔に見てどうにも苛立つそこに図があるのに説明できないジレンマを齎した精神分裂病者・統合失調者の描いたワンパターン繰り返し図を思い出した.その説明ヒントとして複素数考慮を浮かべた・複素数かありそうなまでで先の進みは折に触れてと

   
           
 

 カルダノ、チルンハウス、j、モンスター、ムーンシャイン、コンプトン、ファインマンの凡そ.のようなネットサーフィンの経路だが、偶々この経路としただけで、分岐経路は別にもあったそれはべつに冗長というわけでもない.

   
           
 

 好みの女子大生に接しても結びつける事ができずに…他にも理由はあったがその女子大生も日常遭遇しているはずに思いもよらなかったフィルターの硬さや如何に

   
           
 

 定義・そのコンパクト性により意識を避けた秋の唐松?の中堅の成長木の色とススキの暖色の校庭の外れの場所の小学年性.これにより設問の肝心基本の条件設定など軽く飛ばしたりしてしまい後に愚かにも何だと意味なき悩みの述懐をすることになる.

   
           
 

 素粒子はウェルベック年の作とな、複雑性を知った頃ならまあそのなかの気になる一文に関する時間意識は大丈夫だが、ウェルベックさすがにフランス自意識分析は充分としていいかな.複雑性のころと同じなのでやはり時代に即している存在になる.ある項目のおもむろと同様な考えを知り…

   
           
 

 全身全霊だろうが全力だろうが有限生理体としての人間には命を懸けようと限界があり不可能が成立するものであるが、精神的には仮に年生きようがそれ以上に飛び越えることが出来る.億年後に出現する存在とか、膨大時間スパンで永劫回帰する世界とか考えた宗教があるように.

   
           
 

 一意分解整域のデデキントでないとダメといった単細胞特徴やや顕著な高校生が昔いてしつこく不快な思いをしている.そんな単純明晰なら何も考える必要なく誰も悩みはしない.

   
           
 

 双極線・双極構造ばかりでまさかの楕円を考慮できなかったとは、脳内フィルターはどうなっているのかと思う.個的固有性もさることながらワンバターンxxの介在を考えねばならない記憶がある.

   
           
 

 ちょっと待てよ責任意識の主体をないがしろにしてくる存在は単にというか無責任意識存在かその志向者であるの視点を思いつく.記憶から排除しようとして悩んだ結果漸くの視点にたどり着いた.そう思っても差し支えないところに達するのに他の人なら簡単そうなのに、なぜ麻痺時間が多すぎるのかは残

   
           
 

 後にも先にもまさにやることなく空を切るような苛立ちの日々を過ごした年生終了後の春休み?の期間.苦痛なジレンマ状態を思い出した.そのような情態になったことはまずい不快な事だが、予行の挨拶と共に、後に、卒業しようがしまいがかってだろうの伏線になったかも

   
           
 

 小学校の卒業式でも今では袴を着たりするのか.小学校の卒業式の予行演習で、用紙貰った時にお辞儀をするのはいいが左右の来賓だろう、お辞儀を強制されて馬鹿馬鹿しくてやってられないと思ったことを旅立ちの日にの小学生の歌をみていて思い出した.そのせいか卒業式の記憶が全くない、参加したかな?

   
           
 

 twelve発動してしまった、が間に合わず・・
結局ワンクッション置くという人間的心理で自然一体感が相変わらずずれている感覚

   
           
 

 カッシーニは土星探索機だったか、太陽圏の話はボイジャーだった.号は年度以降ついに[星間宇宙に瞬く星々たち]を見ているか、いや人工物のみなので人のように楽しんではいないはずだ.テレシコワの[片道切符]も悪く無く、また空想でっち上げだが大人気有名映画もあるが、まだ実際に人は

   
           
 

 ア-マンは本当に凡庸だったのか?.ハ-リヒもしくはそれ以上の階級存在に自己擬えをその状況時にしていた可能性はある.その状況去りし日々には実際にそうしたかどうか(従事内容からは可能性は高い)は関与しない個人として、命令に従っただけだなる弁明表現は可能と想定できる.擬えが問題に

   
           
 

 しかも現実実際に厄介なxxが複数単体出現してしつこく記憶を悩ます羽目になって無駄をする事に-翻って考えればそれら存在は個人的位相からは、全くの役立たずで荷物でしかないxx達となるが.まあxyの場合は単細胞的と判断できるので、しかし公務員の場合は厄介なケースを想定できる.

   
           
 

 凡庸な小役人とアーレント以外にも衆目は一致していたんだ.権威への依存者は実際は違うのに自らをその権威になぞらえてしまうから、権威と依存者では無く、権威と準権威のようなものに対処せねばならなくなり厄介だと若き日に考えた事がありそのまま時は数十年過ぎ、いつ知ったかミルグラムと同様だと

   
           
 

 思えばあの豆腐屋の横の坂道で後にあてはめる定理的思考を基本的にしている.この付近では夏目漱石の心を避けたことやブラウン運動-顕微鏡の花粉の動きを浮かべたところである.(まとめ中に必ず登場予定のY転校後の歳が進んでいない.空白にしておいて後に埋める手段を思いついている崖記号)

   
           
 

 ミンコフスキーの定理、ネーター、タンジェント曲線、双極&などある事に気がつく.頭が固すぎるのは殉教性あるいわゆるぶれない石頭一方xxがここにきてやはり思った通りに障害物の形によりなって麻痺を生じている形かな.とにかく幾らか進展-結合要素が浮かんで来た.

   
           
 

 K市の無意味予想はそうでは無く当然の権利保有者なんだが、総じて他者たちはなぜか当然の権利をないがしろにしてくること無数なほどに、まあそんな現象に関しては一切責任をもたないからいいのだが、つまり歪めてくる他者達に責任があるということで.

   
           
 

 春の日の花と輝くはトマス・ムアのビリーブ・ミーでFairarvarであり、賛美歌番である.堀内敬三訳の詩文ではない記憶があり、影も見えないひばりを自然に思い出したあるxxと人乗りをしたカブの高原時を今思い出し重ね重ねなぜ気がつかなかったのだろうと.

   
           
 

 史記は実際には見た事ない、紀伝体とかの表現を見るが史実ものは叙事的なものとしか考えられない.史記に取り憑かれて一生ものの研究対象とした存在もいるようだが--ふと気がついて事実で記述される未来の歴史も叙事的な言語紡ぎではないか、全く発想視点のこの固着具合はなんなのだろう.

   
           
 

 個人的にツイートは公開日記のような思いが浮かぶ、最近は確かにそんな感じだな、ねじを回転させているつもりもなにやら変化しているようで.まあ日記ならいつかの日に読み返す楽しみはあるが、還元化への過程と還元への過程はまた電圧の上昇下降にも似て、逆か同等並行距離位相か

   
           
 

 ケーリー・ハミルトンやNの補題はあの個性者ではなく、不都合な過去的なxx存在側だった.ちなみにこの不都合なxxにはその子供・孫は意味がないと直感していてそんな存在がいるために、プラスマイナス双方に不都合が生じている面がある.

   
           
 

 歴史に残るのは事実としての記録のみで、感情は残らないが、音楽はやや情感を残せるジャンルかな、ここもあまりにも当たり前過ぎてしらけてもいかんともしがたい行き詰まりである.

   
           
 

 なぜか先程からある個性的な女性を思い出している.遭遇している頃はレゾルベントなる言葉が浮かんでいたが、ケイリー・ハミルトンの女と表現では足りないか?の今までに遭遇した個性No.の女性を.

   
           
 

 そういえばやや遅き境界時間時にそこにその辺にある対象から物語を紡ぐ事が出来ると感じたことがある.多すぎてどうにもならないが.今ではそんな気分にはならないが痕跡は持っていると思う.

   
           
 

 高木関数はフラクタルと最近見たがまずは概観のみ.昔、風の便りに何処からか漂って来た高木貞治の解析概論・めくってみたが後半読み通す素養がないのと、忙しすぎて集中している暇がないと設定したが、今頃になりまたは漸くか、結局対処せねばになる.その頃確か時間があればやって見るとした筈のもの

   
           
 

 エントロピーにもサスペンスをまた通時態にもサスペンスを想定できると浮かべた.サスペンスは中間存在の専売特許であることは間違いないが、時間的に未定の将来発生事案は決定ではない事は明白だった.帰納との関係は?単に帰納は未然な内的時間に位置していることになる.

   
           
 

 かつて他者に述べようとした発言内容をそれは非道徳的非常識的と判断して発語は詮無いものとして控えて忘れてしまっていたことを、のちに別の他者から受けその時にはかっての思考内容とは気がつかなかった事態.それで別の他者が自己主体的となり、自己主体がかっての他者的になってしまう事の修復要と

   
             
         
 

 領域内部定数をニュートン的と解釈していて中間存在はその対象としている.中間存在にしてみれば他の生き方は不可能であると(自覚していない可能性があるか?-親鸞的悪人かな)するのはわかり、一方的な遠さ一般に依存するのは自覚の要素になっているとしてよいかな(これを親鸞的善人と見れるとは)

   
           
 

 絶対零度でも止まっていず揺らいでいるので固定は無く、静止・固定していると光速度で動いているという連係関係がまだ(?一様が).北極星は太陽や地球より速い速度で移動している理屈になる考えが浮かび、ニュートン的図式で北極星不動動かずだろうが、反面はかなり必要と思った事あり相対的要素かな

   
           
 

 とにかく短絡結論の為に他者は常識思考なし合理性なし条理なしの非常識不条理発言をしてきてその記憶処理に抵抗を齎す.さすがに不条理は処理困難である.どうやらそんな記憶のある発言他者達はそれが不条理と思わず、常識・条理と思っているようで、不条理を自覚させればよかったのかと思いついた.

   
           
 

 そんな事から小学生の時に接してその物語のわけのわからない展開について行けなかった不思議の国のアリスは夢の話ではなく、複雑系物語なら理解出来そうと思いついた.その頃に複雑系物語はあったのであり、そのうちにアリスはなんでもなく特筆な対象ではなくなるのでは?.ボルヘスにも言えそうだ…

   
           
 

 とにかく専門に思考しないと間に合わないと思っているのにそれが出来ない・至っていない人間としては忸怩たる思いがある.最も基礎地平はできているのであとは肉付けなんだが、この肉付けが難物ときている.

   
           
 

 自立は昔考えて何か曖昧な結果に終わった記憶がある.自律・自律神経とか副交感神経とか明瞭にならずの杉木立ちの所の小道の中学生

   
           
 

 ボットから田辺元の種を媒介するの種とはなんだろうと、分有や分立が出てくるが、パブロで良さそうな、そうするとユングの元型を日本にあてはめるとやはりパブロを設定できる事に気がつく.中学生の時には考えても思い至らず、遺伝子の特異性?は知りえずだった.

   
           
 

 根拠はあるが、何も気にしないで定理を採用していた.普通の発展・発達の現実にコホモロジー的なものを援用して解釈応用が出来たような、原理的とも思えるそのそれ.

   
           
 

 あの時出発点を過渡期といい直した心理は問題だが、既に時は過ぎ今過渡期・境界時間現象が世界で発生している.

   
           
 

 数学が得意は性的人間の短絡な筈で、アドレッセンスの単細胞無知であることは明らかな、非線形意識の無視と言う明晰かぶれ人間の傲慢な暴力性というやつなんだが、非線形無視の無理解が不快で、他の愚かな存在にその時に非線形を意識していなかったと思われてしまう懸念があるので不快であるのだった.

   
           
 

 ガロアの五次があり四次元の特性から、種の既約解方程式はそれらを持っている混合方程式があり、それは混合モチーフに繋がる何らかの要素を持っていないかと考えた.具体的な方程式は覚えて・連想していないが、青春のおもむろな夢想を忘れず.

   
           
 

 真夏の夜の夢がまさに夏のある日に浮かんだ中学生.蒸し暑くうんざりする気温のなかで、長い物語と思いまたうんざり以上に何か不気味な印象を持った.長じて知ったメンデルスゾーンに有名な曲があるとも知らず、マクベス的なイメージはそれ以前に持っていたので多分にシェイクスピアの方からだったろう

   
           
 

 叙事的存在はビクトリーにたいして有能な面がある反面EQ能力は低い.逆に抒情的存在はEQ能力は高いがビクトリー能力関心度は低い.このことは定理以上かも.よくある映画のセリフ、その情け力が弱点は叙事的状況意図の発言またはそのような存在であることの証左である.共和国は普通叙事的である.

   
           
 

 抽象画の四角の描像は固すぎるが、カンディンスキーやミロなら我慢できる.具象もややわからんが、カンディンスキーやミロには楽しい形而上的な作風を見る.

   
           
 

 驟雨といえば隣家の柚子の木の前の雨に濡れる季節を思い出す.この作家を知った時には優雅が特徴的で別に読む気はしないだったが、タイトルは気に入りの記憶を連想させる.ちなみにあらすじをみれば驟雨はプラトニック・ラブ的である.原色の街は小雨に煙る燻った工場のある地帯を連想する.

   
           
 

 砂の上の植物群はクレーの作品からだそうだが、そのクレーの作品がさっぱりわからず、個人的にその情景が設定できず、砂漠に咲いている花達なのか、砂漠心理の反映ではないな.夏の川原の端に小さな乾いた砂地がありそこに一輪の植物がcmくらいに伸びていた昔の記憶風景を思い出す.

   
           
 

 自律的でも他者存在介在の他者の固有度によっては道化的になってしまう・なんだかそれが多すぎる・強すぎる記憶ありで、その処理が大変・中でもまず一人を対処できた形で波及した存在たちは当然その波及元にならうことになると-気分の良さ・快感が未来へ向かわせているのでそれを戻すということだが.

   
           
 

 そうかカントの道徳哲学によればXXから受けるXYもまあそうだが、動物的反応的な反発心は他律的様を感じるので、自律が麻痺を設けるという事になるかな.自由を意図するときに他律などは当然障害となる-その時に身体・生理条件に満たされてるこの身体構造も当然障害・束縛要件になる.


 女性の多くの反発言明は脊髄反射なのか動物的本能なのか身体的反動なのかともかく頭脳を麻痺させて思考が出来なくなる.思考できないという事は判断できないという事で存在認識できなくなる、動物的・原始的・自律神経的を要請されても困るというものである.自然的存在より人間的自然存在というものが

 上下非対称なら電圧高低も&として中央線を設けて設定できる.

   
           
 

 なお直立ゼロと中央直線において上下点を+-無限遠点にすることもできる.無限遠点に+-を考えない主義もあるが、膨らませるとリーマン・変形でタイヒミュラーとかも可能かな.そんなわけでギリシャ文字番目である.

   
           
 

 ゼロを中点から度傾け上下差を持つとするとプロスペクト曲線になり、上下対象とするとクロソイド螺旋を設定できる.度回転させると人の脳の上からの射影的模式図にもなる.

   
           
 

 寝ようとして考えた.数字のゼロ中央に直線を引いてその中点をとする原点の場合を設定する.上部と下部が出来的に中央直線を実軸として上下を虚部としてもよいし、対称ではなく上下に差を設ける(システム構想時にはそう考えた)と弁証法のある主義の上部構造&下部構造と設定できる.

   
           
 

 精神分析位相からは、昔によく聞いた形のXX側からの”男はいつまでたっても子供なのよ”というセリフは叙事的XYにこそ当てはまる言葉だろう、ところがXXにも叙事的存在でしかないのもいて、どうにもならない甘えと傲慢・残酷を行うことに無知であるという存在を考慮せざるを得ない.

2017-04-20

my ft 04192017

ある対象限定に対しての考えを内部思考として発語しないでおくと、後に他者が自己をその対象と設定するケースが多く、はてなんのこと?とは瞬間迷うけれど、かっての内部思考は忘れていて相手はまともな意見と思い対処するとその後気がついて不快な思いを今でもしている.この迷惑なでたらめ認識は何?

 
     
 


 f&b粒子もひいては否定にせよ弁証法もで、モデルは多々ありそうな構造をそのシステム構想時に、モデルなど考えず直感でギリシャ文字第番目に当てはめた人を知っている.

 
     
 


 レビナスボットを見ていると雪隠詰めを想起して苦痛とともに不自由を覚える.ハイデッガーの原点の参考にならない.ハイデッガーのいう超越に至らずから現存在地平に戻ってしまうことについての弁明ばかりしているとしか読めず.

 
     
 


 依存場ではなく個体的というtf

 
     
 


 線形といえば高度成長期の建物で休業に至る対地震対策ゆえを読んで、現行システムも線形が多いのではないかと閃いた.どうにも実用上線形対処が多すぎて.まあ線形典型を正規分布に見ているわけだが、xxの反発はδ正規と盛って解釈可能かいや∞が登場するのでそれなりに.

 
     
 


 まあほぼそうだな「自由の受難」ゆえに不快なる言葉を用いたツイートが多い事になる.知らなかったサルトルの存在と無の内容・実存のランダムには取り留めない無責任と節度への無関心を直感するので読まないとしていたが、いい言葉を知る.

 
     
 


 他者は曖昧を明晰に・明晰を曖昧にしたがる.カウンターやゼロサムは疲れる、まさかの超対称F&Bがそこにとは考え難いが、そうであれば大昔から有機体はそのようにしていることになる.

 
     
 


 絶対なるタブロイド的なはったり大仰な言葉を使わずとも、普通にエントロピー変化が情況決定して変化させるようになっているでいいではないか.エントロピー的に人の精神は複雑になっていくことは証左できるが、無機物は複雑になってゆくか?

 
     
 


 そんなことを考えながら唯物史観から唯物未来史観を想定して、情況は未来史観が決定するという表現でもいいかなと顰的には試みる.絶対はスピノザの決定性でも代替は聞くはずだが、個人的にはエントロピー変化にしている.

 
     
 


 ガロアも分岐を作ってくれるものた.この所の深淵イメージは確か難解な未保存対象だが、非保存的でお手上げで誰か好きな専門家がいるはずでその人物に任すとしてもう何年だ.モチーフができかねたのは想像つくな、いずれにせよ人はモチーフなる思考・思惟形式同様を取ってしまうものだ.

 
     
 


 マートンノルムの中でも特に普遍性を考慮して、地球上どこへ行っても科学は同じとしている.なにやらなんとかが科学に対して政治介入や企業利益などを考慮して批判介入したらしいが、それは局所状況をあげつらっただけ、とはいうものの現実社会ではそんなケースは無数に存在している.

 
     
 


 素領域を一瞬で見ると非可換状態と普遍グラスマン付近の関係とか、要素としてのモナドとエンティティとザリスキあたりの関係とか.ペンローズの粒子や超弦の三つの次元タイプとかエンタングルの箙性とか、色々あるがどうも決めてが無くどの地平でokできるか迷う.超弦は特別扱いとしていたが.,

 
     
 


 京大生だろうあの有名な喫茶店昔に聞いたセリフ・人間やってx年・なる笑うに笑えないおかしみは面白いねぇ、いまだに忘れない.誰も非人間などとは思わない・思っていないだろうに.なんとなく個人的な項目のX番に対しての無音無意識雰囲気直感反応だったかもとは今ふと浮かべてみたが関係ないか-

 
     
 


 余剰因子か、人々は頭いいなその方向は間違っていないと思う.というより流れ流れの接続・継続で自然に出てきたものだが、このことをペレルマンはなんだかよくわかりすぎていて謙虚なんだなと思う.少しは自力性に特徴が十分にあるのではと思うが、ペレルマンにはわかっていることがわからないのかも

 
     
 


 特異点解消B-アップは不快だがそれならとは思うことはある.小平なる人物は素直に頭が切れるという感触を受ける存在だった.しかし森重文なる人物はどうも気にしなかったな.鋳造の湯の流れの分岐は有限明らかなコンパクトだがフラクタルを内蔵しているかもと思うそこにlog理論なるものがあると-

 
     
 


 そうなんだ個人的には無意味な損失で赤字だから不快でしょうがないのである.

 
     
 


 麻痺する存在及び対象は荷物的なはずだが、知的知見において無知なる対象は多数ありそれも理解できないとなるが、この過去的無理解は他者の自己主体の他者化で美的にトートロジーを見ると麻痺してくる事はよくありすぎることである.そもそもそんな他人のする他者化の無責任さは?、個人的には損失だが

 
     
 


 やはりなんだかわからんツイートがあるな、前提が空想でその空想は現実としてしまっている.理想が現在を動かすとか?、ある作家の理想はもはや成立しないとの述べが気になっている.そうなのかな?と.とにかく理解しているはず?の過去なんだけれど現在的にマヒしてさっぱりわからないとなり.

 
     
 


 脈絡のわからない人物のケースを考えるに、理解力の問題があるといえばあるのかも、幾何的アブダクションや抽象幾何絵画は全くわからずで、四角配置に色付けをした線分などは判断困難・面倒で、作者に懇切丁寧な説明をして貰いたいものだと思う.

 
     
 


 「・・無知を維持させるために盲目を維持する態度」とファインマンが非科学に対して申している事を知る.ワンバターン者たちにはある不快な出来事からそれが何かわからないにせよ迷信を持っているとして検証したりしている.

 
     
 


 ただし意地でプラトンは不快と、しかしイデアは好む.

 
     
 


 戦争論で有名な人物を読もうとして読んでいないな.別の人物で弱点を突くなるのがいたが戦争論なのか、日常でしょっちゅうあることだが.まあそんな存在は往々にして弱点の多さに無自覚で攻撃は最大のに邁進傾向があるかな.隙が無いは完璧だがその完璧が隙になるというドメイン思考や心理視点がある.

 
     
 


 最近はともかく帰納は確かに未決定的と思ったことがあり、相対性理論にとっては帰納は好都合か、光速度一定に匹敵するものはネイピア数と思ってしまう.演繹的には帰納は苛立ちの因と、光速度一定や絶対零度は演繹的かな、この演繹帰納関係が若き日にベーコンに対して苛立ちと情けなさを味わった事に

 
     
 


 ナンガのメルクルリンネでも中央ピラーでもプレモンスーン期でいいから単独でならばパスと、当然モデル化者には不可能でそれ故に夢想した昔

 
     
 


 承認要求なのか矜持なのかひとを狂わすような発言に矜持など設定できる・認めれるものではない.よくわからんのは深い思想は正義や道徳を嫌うと述べる人物が、しつこく親鸞に絡んだようなそれがわからん.深ければ親鸞を問題とする事もなかろうにで、この人物の深さは浅い深さである帰結になる.

 
     
 


 まさかそんな発言をする愚かな存在とは前提していず、いや想定した面もあったが、話時間が長くなりそんなことはすっかり忘れて、なんとしらけた発言をしかもxyに向かってと思ったのだが、あまりの親切心でまともに対処したため、頭脳錯乱化をしてしまった事も問題だが、それ以外にもやる気の邪魔を

 
     
 


 自己正当化のために他者を反措定するでっち上げ・捏造を行使するというそれは、まさかとは思うが冗談とは思わず、如何にも情熱を込めて述べたからなのだが、虚偽を恰も真実であるかのように、ナンセンス・無意味を意味あるものとするテクニックがあるが

 
     
 


 絶対王政・絶対君主制の流れを見ていて、ふとまさかひょっとしてアフリカ的段階はひょっとする可能性を見出した、わずかながらその視点の可能性があるかなと、そうなると不快は緩和になるが、それはそれとしてもありで.ならもっと自由に行けるが、馬鹿げた事象はなんになるもある.全く無茶苦茶なで

 
     
 


 システム・試験システムは僭主感を緩和する

 
     
 


 それにしても逆数学的事象の未分明にこれほど時間をかけるとはまさかの予測・いや難関とも思ったことも避け気味を避けずという大体現実は意図と逆になる.異なることをしようとすると邪魔が多数存在してくるとか.出る杭の風土?、島国の嫉妬をなくすための知恵とか、最終的にはハプロDだろうが.

 
     
 


 しかしこのようなマイナス面ばかりだと当然他者達にもまずい情況にはなるだろうとは思っている.すなわちブラス面意向を邪魔した存在達に責任があると.個人的にはごく普通になんでもなくブラス面の連続を想定していたのだが.

 
     
 


 だが個人的本来は・・そうであるべき・そうでなければならないのだが、常に忘れているのは僭主感覚からの自己制御とやたらと邪魔存在の出現が多過ぎてうんざりと塞翁が馬性と理解できない馬鹿げ過ぎる自然性がかくあるべき形となっているとしている.しかし・・

 
     
 


 その辺から三月下旬に会った卒業したての女性からエリートはエリートらしくしなくちゃねと困った刺激を受けて忘れない.エリート?そんな考えを持ったことはなく、またそんな生活もしていず結局今ではなれ果てのように.しかし地方新聞社がエリートかねと、一般にエリートとは省に勤める人とその頃

 
     
 


 シヤルダンのオムニバス・アンソロジー・コンピレーションはオメガ点に集約で、ヘーゲルの絶対知とあまり変わらない視点を持つ.オメガで仏ならランボーを想起するがその志向性は、有限の圧力かタナトスによるか不快によるのかわからん.例によってクレジオの後に残るのは無機物のアッサリが登場する.

 
     
 


 ジャルダン→シャルダンはシステム構想後、ヘーゲルもそうだが、その思想内容を知る.特にシヤルダンは丁度の時期でもあり、夏の日に不都合・都合の絡まりを見せていたがその内に忘れての記憶あり.シヤルダンのおむ

 
     
 


 意見が同じでも美的判断力が異なることは普通にある.美的判断力を無視して意見を同じとするのはカントの判断力批判が理解できない存在である.

 
     
 


 クォリアは近所のニワトリ小屋の側を通った時に、ニワトリの鶏冠の赤色と血の赤さとかその他の赤色を想定して区別が出来そうになく、考えるの止めたのアリス物語は頭おかしくなるの頃.分析哲学に結びつけていたが、今現象的にグラデーションでいいかともなる話近辺のようだか?、機能主義側面をも見る

 
     
 


 エートス『余儀なくされた形』なのに自発的に行っている・自主的主体でそうしているんだと思えることのできるもの-確かそんなことも思った記憶あり

 
     
 


 エートスその言葉自体は悪くはない、殉教要素もあるかなとは今思う.その昔月の雨を見ながら構造していた場所の先の細い山道の途中で、エートスの決定性・閉塞的性が嫌だったことを思い出す.エートスに踏み込めばそれはそれで充実感ある生を送れるはずとは想定したが

 
     
 


 そうか詭弁は妖気にとって現実であるかもが浮かぶ、そうしてもいいと思え、ユーレカならぬコネクテッド!かな.

 
     
 


 多くツイートはtone数値項目にかかっていることは間違いないKやスピリチュアルな詭弁相のタイト空間・怜悧的虚無だが、その辺や他と接触させてなだらかに終わっている・終わっていないかのそんな感じ・そうかやることがない・これがtoneだな.

 
     
 


 眠る前にビッグバンの類似の設定を考えついてこれで妥協できるが、他の項目の難関が待ち受けている.

 
     
 


 昔にとりあえず俗物的存在・権力的に高い位置にいない存在は、権威に依存するからひも解くのは容易ではないと思ったことがあり、これはアイヒマン現象・ミルグラム的な考え方と気が付いた.しかもそんな明らかに俗物的存在が皮肉にも登場してさっぱりわからないただ負荷であるという事に.

 
     
 


 真理的人間でさえ不当な思考をするのに、普通に真理的とはいいがたい存在は当然不条理発言などお手の物だったことに今頃気が付く.それにしても主体を疎外化したがる人間が男女ともに多かった、間が抜けているのか精神年齢低いのか逆でそれは意味がないという事もわからない傲慢者が多かったな、今は?

 
     
 


 左と右がありそれをつなぐ通路がある形を度回転させると射影・投影図的に実際は立体を想定しているが、ある形に似ていることに気が付いた.

 
     
 


 ある不透明で陰険な虚栄逸楽者がいて、意識のパーコでないと反応せず、フラクタルなエレガンス・サトルティを破壊するズボラさには感性の狂わし、要らざるものの押し売りを受けて、つまらん感性時間を過ごす羽目に.そのズボラさが野蛮であるとはどうも自覚していないと見える構造主義的傲慢者かな

 
     
 


 そうかハプロDでなければならないからに尽きる・に気がつきこれが歴史にある-と

 
     
 


 今のところ最も良さそうなのはDNAとミトコンドリアの関係起因あたり

 
     
 


 ある項目の展開で行き詰まりどうしても結びつける事ができない事が不快でずっと立ち往生している事があり、しかもそれは垂直方向的と思えば確かにそうである事としても差し支えなく、単に脊髄反射と海馬の差と見るのでは全く味のない事でありので.交換と反交換の差も候補だが既に超対称性がありで.

 
     
 


 今時の時代だから意識と無意識が分離していて統合感覚を持てないといった存在者の存在は想定できるが、そんな考え方があるのかと、分離情態の想定は結構衝撃的に響いた.この事に対して何らかの見解を持とうとする志向性が発生した感触だが、同時に厄介さ・困難さも感じ静観しようかなとも思う.

 
     
 


 文章理解には調和を持って為す・と閃いたが概ね当てはまらないか?.昔からコンテクスト・前後関係が重要と直感しているが、脊髄反射・条件反射的なものはその根拠が往々にしてわかりかねる.

 
     
 


 所用がまだ発生しなくてもいいかなと思っていても不快な事に発生してしまう.これは社会構造が消極的ではなく、積極的自由専ら傾向か、正規分布時間を基準にしていてワイブルを味わう羽目になるなるとか、数多き中間存在的な中途半端・サスペンスに現実が赴いてしまうとか考えるが、全て要素だろう.

 
     
 


 あるがままはどうもエントロピー変化に一致させること・一致していることのように思える.諸行無常よりあるがままの方がいいかな、禅宗の極意か.まあどちらもアフィン位相にどちらかというと位置している形に見える.

 
     
 


 個人的にはハンディキャップ存在論のようなもので単に普通に二重ダブルマインド状態形成のような気もする.ザハヴィ年か、ポテンシャル理論であってしかも中庸領域有効理論であると読んだ、ハンディ存在論は取りつく島がないかも.

 
     
 


 ハンディキャップ理論--すでにハンディを抱えているのに、それを考慮せずハンディキャップを持つなる内面の声が浮かんだあるティーンの日、それはその後に影響しているとみるとそのようかな.それ以前から徒労に呪われていると思ったことがありそれも寄与?.ところがシグナリングが出現してさて.

 
     
 


 なんだか論理帰結があるがままになってきてしまいつまらないな・やることがないになりて.あるがままといえば禅宗で見かけて特に何宗だったかなとチェック判明する前に、禅宗自体全体にあるがままが透過している考え方と知る.老子もそう述べていたのか.

 
     
 


 しかしなれど意味ある事は価値ある事だとしてその意向姿勢で研究なり日々を過ごすべきだとは考える.まあ昔はその線で生きていたが今は弱くなっているかな.そのような意図なく、漫然とした日々を送る人々に対してオルテガは一言述べたわけだが、それなりの自然でそのような人々も自己満足しているかも

 
     
 


 「かつてなくまたけしてありえないもの」を掲げた作家がいたが、意識体は将来にある可能性あり、ふつうに人の夢見ることは実現するだろうから、これらはあり得ないものではないと、埴谷雄高は包摂して考えた、でよくある理解されたら年後にでも現れるなる自尊心発揮をしたという事だ.

 
     
 


 例えばヒトが年後かそれ以降に意識体になる予測がある、ヒトが何も二本足である必要はないが、これらは人体・身体的面で、意識体の哲学は?となる.

 
     
 


 ”次元心筋モデルの不安定状態マップ:(a)頻脈,(b)心室細動”図はなる-、多少気にしている自己心臓ゆえに.地域紛争と複雑系ゆえにとか考えるけれど、簡易的にシマウマを象徴意識にしている、最近見事な縞模様と思ったこともある.ベイズの定理?何となくいいのか、超統計?ちょっと言葉が.

 
     
 


 その辺の良心的性格を見越すたかり的存在にも悩むところもあるが、あまりにも馬鹿馬鹿しくてふざけてしまうという要素がある.中間存在一般は馬鹿馬鹿しく思い、叙事的一般もその固いロボットのような反射板的生理体もどうにもつまらん面があり、避けたい存在である.

 
     
 


 なんだか結局の形になって、正規分布に里帰り的な心情は如何に、しかも正規分布に足りないという過程はなんと滅茶苦茶に低くなっている.あるxxがいて正規分布的存在でそいつに遠慮すると正規分布以下になるという、どうもスケープゴート的性格がある--そうして無駄の不快・徒労に呪縛されると

 
     
 


 アリストテレスは虚無的でフェルミ的にも見える・フレキシブルもあるが・からある不快なxxの理解が可能的になったと感じる.つまりこれらの存在は風車を人間と思うような無駄な判断をし過ぎて無駄な意味無き引っ掻き回しをしているに過ぎない事にまた気がつけない認識能力の持ち主である・事になる.

 
     
 


 アリストテレスはその雰囲気が叙事的論理展開の故にかな、長いのもある.二コマコス倫理学は気になる書物であり、中庸は叙事的展開とはイメージに差異があるのだが、アリストテレスはなんなんだとなる.多分そうあるべきとの予測設定かいわゆる形而上・記号意識・論理展開帰結的判断者という事になるか

 
     
 


 ポーの詩の原理は表現の自由に接触しているか?、不可知論者は早々に諦めて

 
     
 


 双対や反変がしつこい障害になるが、弁証法の圧力かあるいはフェルミ-ボーズ統計存在とか、いずれにしても徒労による疲労が大である.ほとんどの領域において双対事象が必ずと言っていいほど出現する根拠は、非調和性と現象論的には言えるかな、非可換・ハウスドルフ空間・集合公理とかの要素もあるが

 
     
 


 先日考えた帰結によると最後まで残るのは哲学であるということになった、その思考過程を思い出すのが今は困難になっているが.

 
     
 


 そんな意味では帰納が登場してくるが、帰納がそれ自体の本質として獲得している形態とすればそれも設定上の位相を持つ.

 
     
 


 思い出してもゆえにいつまでも邪魔な思いをして無駄にエネルギーを使うことになっているが、なぜ意図と異なる態度をとる取ったのだろう他人は、そんなに逆を好むなら自分に対して対自でも即自でもいいから逆の態度を取ればいいではないか.

 
     
 


 帰納的存在はそのままでなんら修正・変更の必要無い事まで変えようとする意思がある事に思い至る.むしろ陰謀的あるいは猜疑的存在ゆえの可能性もあるな.それもエントロピーは変化するに依存しているからともいえる.

 
     
 


 個人的には昔から年という数値には不快感を持っている.あの怪我をした導水管のまあ近くの階段で見た未来に対して年は束縛・閉鎖で自由の邪魔になると.多分推定して叙事的事象の限界値であろうと.後に遭遇する事になったある不快な叙事的存在が関与しているかもはある中学生のある日の事

 

     



 昨日こごみながら・かがみながら靴下を右足に履こうとした時に、突如代後半での記憶にあり普段ずっと思い出しもしなかったあるxxのフルネームが内部噴出⁈.それにしても代後半がよみがえるとはプルーストが軽薄にみえるかなとも想定.忘れ去りし記憶がよみがえりて.

 
     
 


 時間を待っていたというどうにも意味なき時を過ごし現実過程の推移流れを知らずとは言えて、いざ直面するとやはりギャップがある.空白の日々は直ぐに埋まる予定だったがそうもいかず.所々に空白が成立するランダム構造は、モネの睡蓮の池水部位より睡蓮の花部が無い方が例えで合っているか.

 
     
 


 小学校年生の時に、深淵はまだ気にしないでよそう、通時の腐った世界を相手にしなけれはと判断したゆえだが、すでに見ている形だけで.ただし個人的な深淵イメージによる、このイメージは今でも変わっていない.

 
     
 


 深淵を長く覗く時深淵もまた覗いている-べつに覗いてくれなくてもとは思うがそうもいくまい.ハイデッカーの未完や現象学の即物的な源泉やパスカルの実存など、覗かれているかな.老子の道もそうであるはずだが、非保存を導くように奇妙な保管場所はそもそもそうであり

 
     
 


 シャローム・イスラエルは中学の時に教師から覚えたはずで、キブツと一緒に記憶している.シャーロームには平和の意味があるとな.シュロイメ・アンスキーの「イディッシュ民俗学」とはそこまでイデッシュの歴史はあるのか.ナロードなある作家初対面時にナロードのようだと言われた記憶がよみがえる.

 
     
 


 今日になって妙にシビアなパーコ心理になりなのかも、デルタ関数分離映像的が苦痛的に浮かぶ.そもそもデルタ分離は非常識な想定だったはずでまずったと思った以前・への対処が浮かんで来たとは信じがたい

 
     
 


 がん細胞の先祖帰りなる表現がよくわからないが、そこから飛躍して宗教一般において原典に戻る・戒律を履行するは先祖帰り的?、そこからセルバンテスの有名な作品は宗教の揶揄あるいは擬似宗教的な交錯があるかなのアイデアが浮かぶ.

 
     
 


 帰納の未決定は論理を、アブダクションは直観を考慮する.

 
     
 


 コルニューの螺旋は焦点に近づき、焦点から焦点まで、収束から収束までで有限ではないかと気がつく.なぜこの螺旋を思いついたのか?、道路設計の知見はなかったのに、なんとなく感じたか?.それはそれとして-敷衍は出来る理屈だが-忘れている左右の定義やスイングバイなどに結び付けられるかも.

 
     
 


 とにかくなんでもいいがウルタルのHはルパール直登に複数回挑戦したのだから、直感設定上からメスナーと共に折りに触れて登場してくる.尚取り入れているのは、チョゴリザの雪庇に消えたナンガのブールのみである.「チョゴリに消えた二本のシュプール」として鎮魂も携えて

 
     
 


 物象化となったシステム的なものが人を生かすようになると、パン人間疎外では?、その時に理念的に生きると主体的の様に見える.

 
     
 


 川端康成は凛としてエレガンス、それ以外はない.

 
     
 


 負の宇宙論は非保存系に属しないか?と普通に直感が・・湧く.ポテンシャル+に対してエントロピー-の形なんだが、ただ独立しているということがあって...そうか曲率も+-の三種あるわけだ.

 
     
 


 古事記の現代語訳を青空でスクロール、この数多く登場するかタカナは全て漢字だからとても読めたものではないと.天の岩戸の話しは古事記なんだ、この話だけは小学校低学年の時から知っている.坂道を歩きながら不思議な話があるものだと、どうにもうまく情景・辻褄をつけて浮かべずそのまま今に

 
     
 


 そんな中で今知った乙巳の変を夢に見た事を思い出す.史実から昼間に想像を巡らした結果なのだが、経緯が曖昧な事も寄与したな.蘇我側の防護柵からの弓矢の応酬で弓矢が無くなってしまうと中臣側の蘇我は怪物的なので慎重に念には念を入れて対処の夢の記憶がある.

 
     
 


 古事記・日本書紀・万葉集は奈良時代の産物と知る.防人の話しもその頃になるな、中学生のときに確か日本書紀はいい加減な所が多く、古事記は日本書紀よりまともの権威力あるが、文面が読みづらくて接触放棄から今に至る.二楽章の頃は奈良時代古墳時代はとても遠く、ただ豊葦原瑞穂の言葉を置いただけ

 
     
 


 ふと大友家持検索で「春の園・・」の叙景の魅惑の作を知る.記憶で作成したような・いまその風景を見ているではなく、或いは今か?・今の時期にぴつたりで、時空を消去できる心情ロマンものがあったとは、縦構造・専制配慮余儀なくされの「海行かば」とは異なる作風と.

 
     
 


 アダルトチルドレン-自分自身のスケープゴートになってしまう.対他XXの心情のような、卒業したてのあるXXがあいうえお順に学業時に常に最初に指名で懲りたと、でNo.はいやだと、社会的にそんな意味ではないのだが、それでは情けなくなるという女子大学生の記憶が韜晦的にあることも?

 
     
 


 苦手のフーリエは不連続体を連続体として扱っているので、ナノの急加熱には通用しないのではとの年度のリンク論文を読み始めに見る.そうかそれならいいんだ、麻痺する苦痛の緩和になるから.

 
     
 


 渋みの束縛か、トラークルは渋み以上の存在と思っている.ヨーヨーマのチャイコフスキー・アンダンテは渋いまたKronosQのT-Beatitudeもまあ渋いか.

 
     
 


 巣穴と掟の門は似ているよな作品のようだ.まあカフカ自体徒労展開構築家だからな.個人的になぜか徒労に呪われているという感覚とはまた違うと思うが、徒労に呪われている-すなわち他者から無意味要請の無駄ばかりを受ける.本来本質的にそんな徒労を要請する人間は既に存在価値を否定しているんだが

 
     
 


 昔にEUに行ったとしてもそこには本足で歩いている人間がいるだけだという認識に至っていて、あるXX曰く、フランスに行くからといっても迷ってしまう情態になる.フランス思想など大丈夫なはずで、かろうじてタヒチなら行ってもいいかなとは思った柳腰は間違いないと思える女子大生のそばで

 
     
 


 超越数は代数方程式の解にならない-となると固有既約方程式解個を持つ方程式は超越数を持ってないことになる.そんな対象を折に触れて思い出したりしていた・・・.e+πor e-π eπ・・・・は超越数か?の証明無し.eはともかく収束する有限値であるは間違いないな...

 
     
 


 限界に追い詰めるも何も、中間存在はもはや限界存在事実で、そのような女性は何かにつけて、脊髄反射衝動的言明をしてくるという馬鹿らしさ・無意味・無駄エネルギー消費要請が多すぎてしょうがない.日常そのようなことは多い行動・行為必然性があるので殊更がある身体であるが、ここでは精神的面の事

 
     
 


 ハイエクの個々人がその力を発揮して全体がうまくいくはまあ普通に調和・一丸であることだが、美的判断でそれら領域全体を見ると、必ずと言っていいほど多く不調和が成立する.そうしてその領域全体が嫌になるもそうもいかないダブバが発生して疲れることになる.N-次元作用か反変が人にもあるか?

 
     
 


 ブレンデルとは何者?、知っているようで知らない.第音で宝石の言葉が浮かび、・音で夜のが浮かぶ.夜の宝石ブレンデルのエロイカ変奏曲、珠玉の演奏を見つけた.(?彼女達は宝石のような女性達か、そうとも言えるな.べつに気にしてはいなかったが、無意識では気にしていたか-ある昔)

 
     
 


 濁ったフェルミ型xxの低次元的スラング惹起させるような生理体には背伸びしても無理、定義なら聴けるなと考えながらブレンデルのエロイカ変奏を聴いていると、これはかのミルプラトーレディズになる.そうか彼女たちらしいが、個人的こだわりだったので、それも時間の蒸し返しになり無意味なものと…

 
     
 


 模倣のトートロジーはシミュラークルの不快さであることに気がつく.打ち消しもできればいいが、往々にしてシミュラークル者はタフで頑固で疲れる上に、オリジナル責任がない心理気楽さがまたあり疲れる障害になる.あるいは確信的乗っ取りで罪意識の無い場合で、心理的なライセンス・特許もなくで

 
     
 


 義務時間性がありふれている

 
     
 
 ちほたん(・・)☆不正選挙は無効だ!!‏ @chihointokyo

 大塚耕平氏、森友疑獄にからめて今後の文書管理や情報公開関して終わったあと、稲田朋美に自衛隊の南スーダン派遣問題で追求中。(というか閣僚の無知を晒しまくり。)誰かつだってる? #国会中継

 
     



 小学生の時に近所の家である雑誌の火星人の描像を見たころ、不思議の国のアリスも浮かべたが、どうもとてもついていけない物語だった.最近でも夢を見たいたらしい話のようだと知ったが、それでも良く夢物語をかけるものだと思う.今読めばまた違った感想があるかもだが、小学生の時の記憶をそのままに

 
     
 


 他人と同じになろうとするのは和して同ぜずか?、推定なら一般的にはそうなる.忖度はちょっとあまりいい感じはしないイメージがある、斟酌ならいい感じ要素があるが、いずれにせよ同様意識は個別の「純粋性」の阻害である少なくとも対以外には同じて和せずで...

 
     
 


 光文社と警察署も覚えている、墓地は大塚になっている.大塚は山手線の駅名で多少記憶にあるところなんだが、とにかく茗荷谷の名がいい.植物園にもう一度行ってもとは思うけれど、地下鉄駅から遠くそれが妨げる.
広尾とまた異なった明るい空間の記憶があるのは今なら理解できる存在がいたのだった.

 
     
 


 ルサンチマンといえば悩んだ結果導入した項目がある.悩んだのはニーチェはもう古いのではと思う情況にあったため.

 
     
 


 賛美歌を歌うのは大変なはずと思っている.単に歌うだけならいわゆる歌のうまいテクニックで歌えるが、ソウルがないとまがいになるので.スピリットで歌える人物に会った事はないので、想像がつかない.もう聴くチャンスもなく聴かなかったが、一人だけ可能性のある存在を浮かべる.

 
     
 


 秩序は依存信頼度もあるが、言論の不自由もある.

 
     
 


 いや〜参る、初期接点時には別にどうでもいいと軽く考えていたある人物が、あるxxに対して倫理面から発語しようとして我慢した内容をそっくり発語されて、そのxx的を強制される羽目になるとは考えもしなかった.個人的にそのxxは障害・邪魔でしかないのに.

 
     
 


 濁ったフェルミ型人間に野蛮人と言われたことがある.自己表現だったか曖昧な言い方だつたが、感性はそんなはずは無い情態なのにとは思ったのだが.この人物は人の自己認識・意図に対して呆れるほど真逆を述べた人物だからな.最も野生を捨てようとは思わないが、最近は出せなくなって来た.

 
     
 


 カフカの精神年齢はライ麦と同じ頃かがよぎるが、ライ麦より進んでいるな、まあ別にこの辺はなんとなくの香りまでとして.幾つになっても青春なるたとえば老境はこころにライ麦を持っている形にもなるなと、べつにサリンジャーに託ける必要なきことなのだか、サリンジャーの沈黙の意味合いにちょっと

 
     
 


 しかし犬が探求するとは失礼な設定であるとも思い不快な気分になる.良く解釈して比喩、または他の表現を思いつかなかったか?.何れにしてもなるほどなイデツシユの倨傲さの滲みを感じた.それから見て変身も残酷物語となり、実存分析的位相は確かにあるのかも知れない.

 
     
 


 まさかのエンタングル論登場である.実験結果に理論がとりあえず追いつく予感がする.

 
     
 


 起承転結に悩んだ防火池側の道の小学年生を思い出してしまった.必要予定なのにすっかり忘れていた.それに分派と雨上がりの校庭の水たまりも予定への必要記憶と..

 
     
 


 ピョンコ節⁈、トレトレ・トコ・ピコ・トンに似ているな.個人的なリズム感を表現した・ある時当てはめた他人、他人表現ではなく当てはめで、自己的ではないか・つもりだったが、序破急・起承転結・正規分布形にも似て.ちなみに当てはめたつもりだったのは、絵のない漫画と捉えた対象.

 
     
 


 無自覚者はあるとすれば精神年齢がハイランダー的、ただ未完は踏襲ではなくて、新たな視点へ向かう事の出来る位置にある.普通には誰でもエントロピー変化に巻き込まれているが.世の移り変わり・ここではポテンシャルが非保存となり無常を醸す事になる.そこでは考古学者が活躍したりする.

 
     
     



 ha-あまりにも短すぎるので、勇気だせず意図的に書かなかっただけ・電子写真への移行が望まれる.

 
     
 
       




 芸術家に取っては金も政治も関係ないのが本質であるが、現状これらを完璧に無視することはできないだけである.マルクスの理想・意図・目的の世界は芸術家のみの世界にも似ている.そういえばマルクスの伝記に目を通した限り、マルクスは芸術家的生き方をしたと感じた.芸術家的要素がかなりあったな

 
     
 


 散る桜は単に恬淡ものか、そうであるとすると無名の人々に無数恬淡なら存在しているはずだが.何やかやでのんびりちょっと休息を取ろうとしていたのに、非保存を考え出したりしてきついのである.もっとも狙いは非保存的保存なんだが.

 
     
 


 あるいは類人猿からの伝統が獲得していた多様性?.今回はMイブの肌色が白くなかったとして想定するに、光の原色から白色は発生するので、人間は色的ではなく光的存在であるとするアイデアを考えた.光的存在とは?

 
     
 


 eregnet aber Ich kann nicht ehen.合っているかな?、好みを文書化.モーツァルトの疾走する悲しみの心情の表現としてもよいかなと閃いたが.eにまとわつて思い出す穏やかな梅雨の明るい昼間の佇み

 
     
 


 どうでもいいと思うものを対象にすると必然的に無駄になる.

 
     
 


 老年的超越はそうだったのか”スウェーデン大学のラルス・トルンスタム教授らが提起した「老年的超越」(gerotrancendence)”エリクソンの考えがそうで、ユングにも個性化過程の理論があると、昔のユングの浮かべの必然的理由・偶然時間だったが(通底で必然あるかも?)が判明?

 
     
 


 エントロピーが増大しているのだからエントロピー的位相で判断すればいいのだが、なかなか切り替えが難しいのかも-無自覚者やわかっていてもカルマを捨ててはいない存在という事で.老的甘えもあるか、甘えは全時間にあるが.

 
     
 


 なればアイヒマンやミルグラム的なケースや依存者も、その対象地位や依存度合いに応じて、責任力が比例増大するとも考える事ができる.模倣だから無責任である事にはならないかな.集団及び共同体の一員的思考者は、責任を拡散している考え方もあるが、微力ながら集団の責任力アップの考えが浮かぶ.

 
     
 


 最近の量子もつれ関係論も、いにしえのあの場所で知行合一の陽明と創発時に、エンタングルを描いてそんな馬鹿なと思った事の記憶がある.その後個人趣味的に省いている厄介な朱子学とある高名作家の陽明学とこれまた厄介の引き連れを思い出すが、多分省略だ

 
     
 


 グラファイトの弱ワールス力により劈開完全を知る、これもあの池のそばの沢流れで描いた始祖鳥と劈開・取り敢えずの方解石?で、弱ワールス力とグラファイトなら納得する.

 
     
 


 カーボンナノホーン・年発見を知らず、この辺は待ち時間の弊害か、フラーレン迄で.しかしフラーのドームがトンボからヒントならば、いにしえの日に大審問官・なぜかスペイン舞台のと複眼を描いた事がある.そうして後年複眼者と直感する女性に遭遇することに、果たして彼女はそうだったか?

 
     
 


 要するにこんな迷惑な発言を他人たちはするはずがないが念頭にあって、それはもろくもの崩れを齎す結果なのだがそれでもというほどに他者たちの認識力は高くないというしかない.そんな中になると・朱に交わればというやつで、頭混乱な今付近の時間という事になってしまう.

 
     
 


 そんな低い連中に忍耐なんぞをするとやはりろくなことはない以前の蒸し返し・以前の未熟性に逆戻りとかになる.まあ倫理や正義は浅いと申してた存在も主体を歪める発言をしたので、個人的には浅いより低いとしか思いようがない.深い人がドン・キホーテのようなでたらめ認識をするはずはないのだが.

 
     
 


 自身は非保存予定の生きている人全て、保存はその子供たちになる.ここにも理屈上、戦いや交錯はある.子育ては非保存予定者の保存化仕事になると.先に非保存予定者が保存中優勢ならばその保存者と協調はあることにもなる.

 
     
 


 非保存経済学は?、ランニングコストもそうだけれど埋没費用意識(機会損失とつながるが)は例として原発とか.遠い時間では文化人類学の発掘調査もそうなる.

 
     
 


 Linearityなら定義の彼女でいいではないか、あの頃は非線形と複雑さで満杯だったので覆水生理時間は元に戻らずのただしエンタングル関係は保存中のはず-彼女たちは多粒子エンタングル関係といえるではないか、なんと.

 
     
 


 つまり物理者の無機的対象思考展開をしている脳内変化脳内情況論の存在を『奇妙な保管場所』の対象とすることになる.この辺は宗教に目覚めた宇宙飛行士や宗教性を意図する・してしまう自然科学者達あたりの事になるな

 
     
 


 ほんと非保存世界が目の前に広がっている.小学生の時に設定した形の『奇妙な保管場所』がどこか遠い世界の客観的対象ではなく眼前の現実に浮上でまあ厄介ではある.とても即物的は無理なので少しずつ思考していかねばならないところの対象と思っている以上の場でもあるのかあの頃のシステム構想時では

 
     
 


 complex ytemからまたLinearityの日々になった感触を得たER=EPRによって.それでも中間存在の想像力有限性畢竟理性のそれ以下有限性は不快である・中間存在はカルマを持っているが概ねLinearity的でありと思っていて.

 
     
 


 なんでできているかではなく関係が問題とは超弦の方向ずれ的な. Ad/CFTにガウスの驚異は適用できるか?.ガウスの驚異の定理の別の面での使い道を思いついた.境界と相転移とその辺での応用を-浮かべただけ.ポアンカレも登場してくるな.ペレルマンもよく理解しているわけでもなく...

 
     
 


 一人複雑といったXXがいたが、それは自己記憶の自己内部認識の剽窃でそれが不快なパターンなのである.自己把握は他XXとせずの思いでありジレンマ・トートロジーの反発感と無駄なエネルギー使用を設けるのみ.端的にしらけでありやる気の減少でありなんと図々しいXXだあるいはXYだと思うのみ

 
     
 


 つまり「複雑」の一言の想像情景だったその対象意識、想像力と理性のスタミナ比べだったが、限定合理性的な判断の若気の勢い冗談であったことに対する事柄.

 
     
 


 なにBH同士のエンタングルでワームホールがあると日経サイエンス.多粒子のエンタングルもありの量子もつれで宇宙はできているとな、これを何十年も前に示していたなら考えることがあったのに.最もその時には冗談の冗談で冗談存在論的なことを考えたのだが、他者がまともに判断するようで困った事も

 
     
 


 背後をつく人間は虎型で皮を残すか、そんな人材がいまだに絡まっている心理を持っている.固くオブジェ的思考はつまらない色気のなさで面白くもない論理性と.それで心理の裏側別に意識などしていなくても無意識記憶に侵入して、無茶なでたらめ認識を狂暴的に発揮するというわけだったのかも.

 
     
 


 叙事的存在はどうも身体的でその諦念・諦観は虚無になるという判断になる.唯物的・物理主義・行動主義は当然身体的位相にある.もっとも適宜これらの形態・事態は人にとって必要になるものであるが、主義というまでもなくにおいてで.

 
     
 


 モチーフと相転移でFBだと超対称性を考えねばとして物理の方がとらえやすい.

 
     
 


 珍奇なその関連から太ったお岩のようなイメージを齎す存在が悩ますことに、つまり一生かかっても・死ぬまで美人になれない不可能性をどうすることもできないという絶望不快感によって.グロテスクは普通には本質ではない嫌いな実存だからか、そういえばバロック趣味の時間もあったな

 
     
 


 マルドロールの歌はある女子大生が持っていて覚えた.その時にこの漢字はなんと読むといくつかテストされたが全く読めす、例えば蟇を何とだけを覚えている粟田勇もの.創造主の言葉は悪乗りだが、ロートレアモンも何なのか全く意図がわからんウジ虫登場であったな.バオバブの樹はここで知った..

 
     
 


 あの頃あの時、ジャワのスコール・バイカル湖の針葉樹・バルト海の・・(思い出せなかったが多分)荒波の種とこの地点をピックアップする無意識作用が働いたのか理由はわからぬがそのままでというケース.ダンツィヒの月とグダニスクのワレサとかバルト海、フィンランドからドイツ北部へ流れて、

 
     
 


 やはり知っている限りではヴィトゲンシュタインだけかな.そこでヴェイユの無名の人が出てくるが、システム上は設定してある位相にあるはずで、無名の人はわかりづらい・想定しづらいが、仏教の阿羅漢・ニルヴァーナに達した人・成仏者がその候補かなとも.

 
     
 


 孤独なる自由は知っていた.全く代後半に知っていることを求めようと・自分を追いかけるという愚かしい情態に全く落ち込むのである.社会的関係他者たちが災いか、すっかり忘れていた普通には悪くないらしい?XXと共にの潜在時間がそうさせた寄与が大きいかなと判断できるな.

 
     
 


 東北太平洋地震は人の関係意識にかかわらず発生した情況である・状況であると判断する.人の意思・意志とは関係なく..無機的事態に思想の自由は効力を持たなかったといえる.去る人物は心理体対象のみと設定していたことになる.

 
     
 


 帰納の毒牙にやられている?、人のことは言えず自分がそうか.帰納の傲慢にはまたフェルミ的帰納にはその自覚がどうだかの強烈な不快な記憶がある.しつこいがどうでもいいと思っているとやられることになって.やはり帰納の未決定に無自覚か帰納ミルグラム存在もいるようだ.

 
     
 


 ラウンドと作用素、導来感覚を援用して.まあそれ以前にはっきりしている事になっているのだが、可能性が閉塞しないまでも視点に変化持たせるという形で.

 
     
 

       



 threeのXX達が出てくるのだが、ベクトルを想定できるでそれならとは思うことがあった昨日.無意識記述にせよ大いに自己自身を悩ませる記述が出てしまって思いつかなかった全体観.(・・場合もあるのするとかの工夫を考え出したがどうするか・・結構いい処理形だが)

 
     
 


 おおよその感覚で教育勅語は代半ばに思ったことがあるな、その時には強いられる印象を受け窮屈であると思った.それと同時に今更教育勅語の時代でもないので考えることもないだろうとしたが-、

 
     
 


 差分とkld、デリダの差異はどうも人々はその差を持って考えているようだの簡易な認識でも示唆になっているかな.脱構築はクリエイティブで、レーニンの自由=必然やキャズムのイノベ・アリアダと同じようなものと思うが、安易すぎる?

 
     
 


 tenあらゆる思想を動員してその正当性の証左とする設定なんだが、実用上はそこまでしなくても説得力はありそうだが、しかし帰納は未決定もある-ここに懐疑・偽善・無責任・安心・陰謀などを想定できる..

 
     
 
 Tulipin Holland‏ @tulip_holland

 Mucari with daffodiland red tulip. Have you tayed near the flower field?

#travel to the #tulipinholland http://bit.ly/mxJT

 
     ed  



 超実数によれば循環小数も有限値で収まってしまうという簡易さがあるが、中学生の時に循環や無理数超越数展開Πの形などから悪循環という言葉を想定・考えてしまったことが色々災いに寄与しているかも.思うに超実数の無限数には単なる設定的な無責任は?.無限下降を超実数化したとしても・無限数下降

 
     
 


 確率とはと間で彷徨うものなる昔の単純さを思い出す.ディリクレ・これまた嫌いな二項分布かよ・多項分布もだが、避けていることを結局避けらずになってしまうという現実圧力

 
     
 


 シモーヌヴェイユやヴィトゲンシュタインは不幸とは思わない、むしろその生は充実十分だったと思える.ただし個人的な面において.普通に人々は類続与件である家庭生活で子供達と共に平和な時間を過ごすことが幸福であり、幸福という事が種の同調意識にあり、疎外のなさを幸福とすると見るだろう.

 
     
 


 競合あるいはライバル・別にいなければライバルはしょうがない無理にせっていしないは初期条件であった.今ではいない方が気楽と単純素朴におもうが、他者の同調意識がどうにも無自覚的な形で圧力・侵入・無駄な所為(他者達には無駄ではないのかもだが)として憚っている形の記憶の除去がなかなか大変

 
     
 


 密かなまた過剰かなその時の対象の将来楽しみを他者がしてしまう面白みのなさあるいは競合あるいは・とにかく自由関心の障害となることは、今不快に思っている記憶の言明全てがそうである.とにかく未来予定の対象関心を他者が介入してきてしらけさせやる気の邪魔をしてきたこと多くあり..

 
     
 


 ヴェイユは身体的異様障害経験体験者でそれは確かに寄与しているだろうな.例えばカフカとかもその側面はあると思っている.カフカの身体病変は最初の直感では思いも至らなかった記憶はあるが、それ以外にカフカ的特徴は先天的獲得性がまずあるだろうとは思う.確かにその時代に思想が発生はしている

 
     
 
 ForbeJAPAN‏Verified account @forbejapan

 絶対に受けてはいけないつのはり治療
http://forbejapan.com/article/detail/ …
#はり治療 #無効化

 
       



 そうなるとたとえばT大生の傲慢などは老子一般的にはよろしくないことになる.そんな漸く忘れた煩わしき事をまた思い出してしまったではないか、それゆえに不都合な与件要素の部位であった事を、ただ理由には納得できかねるが.

 
     
 


 東日本大震災は年度発生だったのか、個人的な周期性を設定して当てはめると構想力の膨らむ可能性を思いついた.

 
     
 


 その後今の会社が年後に消えている可能性もある.職業も消えてまた新職業が発生しているというエントロピー現象判断のみでもいいけれど、赴くところ市民にしか希望がないと思った代最後のころに、その考えに付随して暗黒域が浮かんでしまうことは、非保存量なる言葉が最も相応しいと思える.

 
     
 


 昔は死ぬために生きているだったが、最近では死ぬまで生きていると思うようになっている.

 
     
 


 低音・静かに始まるクレッシェンドのボレロ.中学生の時に鍾乳石露見のトンネルの近くで.レベルかラベルか同じようなと自転車に乗った帰り道、ラヴェルなら区別がついたのだが、この時サロメとヨハネでニーチェがちょっと嫌だなと思ったことがあり、全く関係はないのだが嫌な伝説を想起させるニーチェ

 
     
 


 あっていいがまだないや妄想の顰的なカムフラージュ遠慮意識とか補足がキーになりすぎている・そんな意図はないこれらは排除して差し支えないものが、関係からの創発が不都合に出ている無意識の結果や意識的なフェアプレーもありて

 
     
 


 精神的ユートピアが浮かんできた.宗教の信者・システム依存者・絶対空間者・中間存在・諦念者とか..

 
     
 


 おもむろに若き日に今頃なんの抵抗もなくしたためた詩文の記憶がその後今に至って不思議なことに結論を出せない感情をずっと持ち得ていたことは、単に個人的な不条理設定を理性的に解決しようとしていたことに気が付いて、なんとも盾と矛の比喩話は時間を長持ちさせるものだと.

 
     
 


 「オイディプス王」がソフォクレスの作で、フロイトのエディプスの語源となったとは、知らずびっくりしてしまった.作者がソフォクレスだったとは.昔に想定していたのは、ソフォクレスくらいの知力があればある大学は合格できるだろうということ.

 
     
 


 ある有名な文言に「いわんや悪人をや」があるが、ここでこの人物はこの悪人をなくそうとはしなかったのか疑問が沸いた.善人と悪人が存在しているのはポリコレからは差別?・区別になるが、法華的に対象化していたのなら、悪人ではないことになる

 
     
 


 感覚的に分かっても理論・論理的に説明はできず、またそうすることのできないものというのは、いまのところ人間とは何かの答えしか思い至らない.感覚的にせよこの人物は人間とは何かがわかっていることになるが、それは信じがたい.そのような設定にして詭弁的に用いたのでは?

 
     
 


 しかし弁証法的対立の現実力もリアルには大変なエネルギーを要する.昔深く考えないで遭遇した人物に悩む羽目・不快すぎる不必要な言明を聞いたために.過小評価されるべきでないことを評価されてあるいは何とかは傲慢であるの構造判断成立者か、まあ後者と捉えたいが.この存在も内部逆で邪魔な存在に

 
     
 


 ilencioは今はきついな、その何年かのちやはり廊下でディラックに慄いてためらって、愛を込めてのころはやる気だったのに.災い人物があるXXに位相設置させたのが問題かな.その弟の出現かも.どうも自らを一段下げて自らを追いかけるようになってしまう.その必要はないのに・・・

 
     
 


 ロシアより愛を込めてwith love,モチベーション・動機?何か違う---くー、モチーフを知らなかった.(ある年の廊下での思跡)

 
     
 


 クリプキの考え方は多世界的に似ていないか?.多世界が現実になった世界をまだ知らない、ただ解釈によっては哲学思想家の歴史上の個性面々をやや同一領域に同時的に集約させると成立としていいものに類似させることが出来ると現実的かな

 
     
 


 なんやかやで・頭の痛さでいらだつばからしい思いの結果から、俗物は「しらける明晰」を好むという表現を思いつく.そもそも小学生の時から俗という文字は気持ち悪くまずく脳麻痺を起こさせる文字で使いたくない一つ、あと庶という文字も荒廃を齎し使いたくない文字である.

 
     
 


 なにこれ昔の種の特性方程式を解説している?、”有限指数の部分群の位相に対する無限巡回群の完備化”とか見るとそのようで、モノイダルかそういえばそうだな”「有限 G-集合は G が商有限巡回群を通して作用している有限集合 X であり、X の置換を与えると特定することができる」”

 
     
 


 クレバーの定性にせよそれは拘束性なので、共時存在論的にも拘束質はあることに気がつく。まあ繊維質もあるのだが。

 
     
 


 抑圧を他者に与えて生きた権力型タイプは死に臨んで何を考えるだろう?。抑圧を与えて他者を排斥してきたが、とどのつまり自らが生から排斥されるという憂き目に遭うと。その昔さる国に不老不死の薬を求めたとされる権力者がいたが、この辺の事情をよくわかっていたと見える。

 
     
 


 更級日記を読んでいると微笑ましさが伝わってくる

 
     
 


 古代エジプトの隕石で作られた剣からプラトンのオリハルコン・オレイカルコスはここに関連していないかと推定.それにしてもプラトンはアトランティス大陸などなぜ構想したのかわからない.まあ太平洋にもムー伝説があるが、これらの話はプレートテクトニクス時代への郷愁がそうさせたと見るのが答かな

 
     
 


 必然の認識を女性たちに理解してもらわないとという思いを今頃している・・.この意図する女性たちは偶然によるものと思っていそうな(ただし遭遇時に全く気が付かなかったのだが).その必然を偶然とするから齟齬が発生したかな、そうでない人々の圧力が災いしたとも言いうるか.

 
     
 


 存在論的定性的共時的アブダクションと相転移の重合における空想的夢想的な道具的位相・オブジェ的な発育時間の未発達心理文章というある存在者に対する表現だが、もっと簡潔な表現が出来ず.共時的クレバーの質がある技巧的な工芸・工芸的な技巧・技巧性のある文章であるはずなんだが.

 
     
 


 ゆえに否定弁証法状態を行うことになるが、そうなると孤独の存在を持続することになる.孤独を認知するのを避けている?、ならば反交換&反交換で偶数化すればいいだけ

 
     
 


 意図の持続に弁証法が邪魔をする.一応の弁証法の根拠は交換と反交換の位相にしてあるが、反交換型の生理の特質がどうにも不快でしょうがない.反交換者はとにかく逆を齎す・快には不快を、意図には反意図をなど、超対称を要請するならば反交換者が超対称存在になればいいというなんでもないことだが

 
     
 


 昔、権威に従う俗的存在は厄介だと思ったことがあり、それを事大主義と呼ぶとは知らなかった.アイヒマン-アーレントやミルグラムも関連して、畢竟他力本願も出てくるな.思想を与えるとそれに靡くと思われる視野にはいったりした想定する予備軍とかも関連しているかな.

 
     
 


 しかしわからん模倣だけで君の固有スペクトルを見るということなのに、思考の個性がないとどうにもならないのだが、その存在の無音的な(無責任のイメージか?)領域が下部に背後に大きく控えていると見えるいらだつ存在の記憶

 
     
 


 中国の逸話で西施の真似をして眉を顰めたXXがいるらしいではないか、一歩下がって謙遜している対象は存在唯一なのに、何かにつけて関係ない他者がその唯一としている対象の模倣をする認知がある.そんな模倣者は全くの余計な存在・余計な荷物・無意味な荷重にしか過ぎないのだが.

 
     
 




 
     



 剽窃するな逆になるな乗っ取るな模倣をするなと思っている人を無視して実行してしまう人物が多い。その人にとってはそんな実行者の節度なき人格存在理由などいらんもので、不快だけの無駄に過ぎないのだが。実行者にとっては無自覚自然でもその人には不自然なでたらめである事を思えもしない実行者達

 
     
 


 あの頃・あの時は、極容体しか新しいことは考えていないと謙虚に思った対外心理性.そう新しいことでもなかったかな

 
     
 


 超固体年理論予測--極容体なら考えてある.

 
     
 


 言語が思考を規定する、なるほどそんな見方もできるが、どうにもそれは指示的な叙事的傾向の対象に比重がかかっているように思える。

 
     
 


 どうやらブラマンクは多少の複眼視野を一枚に表現してそれを統一化した描き方をしている・ようなと見えてきたが・・・

 
     
 


 直感ではフーコーは叙事的存在にみえるので、フーコーが人間は終焉すると述べるのは、叙事的存在は終焉に向かうと申していると解釈する

 
     
 


 グーデルマンの緯度はなるほど空想的におもしろい、これでは足場を与えよか、地球がおもちゃのオブジェになってしまう-キリコ的シュールにしたい.U-Xwoまだ見たことがないな.(足場はアルキメデスでユリイカもそうだった-足場は別の思考からなんだが、・日前のことをもう忘れている)

 
     
 


 ファインマンの黒板-モーメント交換相互作用で近藤的に分離形を想定してどうのこうの・どうもよく見えない不分明だが、冗談ではないようですねMr.ファインマンということらしい.

 
     
 


 ヤン・バクスターでうまく行きそうで行かないという代物か

 
     
 


 スピンの演算子から、スピンは回転すると符号が変わる・向きが変わるというアイデアを思いついた、この自然界にそんな形態をとる要素がないとは言えないとか

 
     
 


 マーゴラス=レヴィンチンは今となっては破られる方向を考えざるを得ないという個人的仮想で限子想定からだが、電子は集約物とすでに述べている人物がいる事を知っている.あの頃ははったり的であるとして流していたが、今頃浮上してくる羽目になる人物が

 
     
 


 テグマーグはウィトゲンシュタインのTLPを理解できない・だろう予測が成立する.どこかフィラデルフィア的な感触の香りという表現にしておこう..比翼連理的存在とは・やはり離婚していた.

 
     
 


 Zue Zを知らなかった、シミュレーテッドリアリティは敗退だと思うけれど、デジタル者にとっては野心の過程でもあるだろうな.

 
     
 


 ニアリーな半径迄行って戻ってくるという経験は、地獄からの生還にも似て、この辺の事情から、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」の息吹を感じている、実に聖書恐るべしか?、動物類支配はさほどのことはない.

 
     
 


 BHがエントロピーを持つことはなんでない認識である--ブラックホールに時間があると仮想した小学生がいて、それならばエントロピーは何でもなくなる.今そうなると、非保存量と市場原理や希望市民の存立が導けそうだ.ただBHの嫌なところは域内では明らかに生存できないことである.

 
     
 


 ベイカー・シュナイダーと来てオイラーの定数となる.ガロアが出てくるが、どうにも種の既約方程式を含んだ方程式が存在するのかどうか?、待ちすぎた時間多すぎてとても思考無理な気分.この待ちすぎた時間の対象XXが意味のない存在的位相でしばしば登場してきて妨害になり・・愚かしき待ちだった

 
     
 


 そうするとあの夏の河原でのゼロ・卵形の高高速度回転・限界を超えたスピードは何を意味しているのだろう-少なくとも地球の自転速度よりかは速かった感触の砂地に咲いた鮮やかな一本の名も知らぬ花は「砂の上の植物群」という書物に後にぶつかることになり、だが驟雨のセンスに傾きである

 
     
 


 シルコのジェネリックとフラクタルの自然性とか、ツイートすることがないのでリンクを整理しはじめたが、なんともでもう笑ってしまう楽しいのかやけ気味なのか?、役に立つ・役に立つ必要があるとしてリンクを保存しているが.

 
     
 


 ”二つの異なる実数 a < b を取ったとき、これらの値がどんなに近い場合でも、開区間 (a,b)は R と同じ濃度の実数が含まれている”--この意味でaとbがほとんど同じでもその小さな差異の間には濃度が金太郎あめ的的に存在していて、机の上の似た書物の区別が出来ずという悩みがあり

 
     
 


 連続体仮説はどうも騙されている気がしてならない、なぜかを表現するのは困難だが直感上からそう思う.誰か何かそのうち新案を出すのではないか

 
     
 


 パーコとレブナーのkとかこれも役に立つというか多様なブラウン運動なんだがその未決は中学生の時の花粉の動きの逸話から.ブルバキの点化は昨夜の話.Θの原点はあの豆腐屋の横の坂道での映像なんだ、その周り込んだところで花粉を見たのだけれど.

 
     
 


 フロイデンタールやH空間のラドン=ニコディム性とリース--ルベーグを思い出させながら役に立つこの辺.

2017-02-17

my ft 02172017

あまりにも簡単なことに盲点の束縛時間が長すぎたという愚かしくもある個人的なことなんだが、義務教育時代に坂道を歩きながら悩んで押される結果にやけくそ妥協を強いられる記憶のある対象故に時間がかかってしまったのかも.



   


 どおりで最近のコンパクトがルーズというか示しのつかないものになっているわけだ.球面とはこれでは商空間というのもわかりづらいが任意のコンパクト化の一つとみればそうなるか.Rが空間にな.これならまだ救いがあるというものである.確かにブルバキの論理からは神云々は容易に導けるな



   


 共有原始形質を古モンゴロイドは持っていて新モンゴロイドは固有派生形質を持っていると、そこが違うのか.共有祖先形質ゆえに火焔土器は世界で通用すると思うわけだと感じる.固有派生形質に関しては?、この辺からユングの元型についての中学生の時から気にしていた日本人適用性の解決を見たと思う.



   


 ゆえにこのXXの無意識・潜在能力を探索すると次元の低いというか不都合な逆行を思念することになってしまい往生することになる.謙虚に相談を持ち掛けても脊髄反射反応や他の男と誤解をしたり戦争論の弱点ではないのに弱点と思い込んでしつこく繰り返したり、なんとも無駄ばかり...



   


 このXXはヤスパース・ワーズワース的で古いというより他の世界を了解できない予測が成立していて、できる領域での思念で気になることはあるがだが、それでも視野の領域が狭いので少しまずいと.普通に%一致なら合格の妥協OKであるがそうもいかずのまま、相変わらず出現することに.



   
 

 思い出すと泣けてくる、愛おしさを沁みさせて、でもこれはまたまたまずいあるXXの心情のようで困る.このXXでは不都合なのになぜこの心情に今なってしまうのか、違うんだが・・・



   


 思えば秋の校庭脇の落葉松系の幼き木々と萱のだいだい色の世界で思った小学生、定義はいいのだけれどそのコンパクトさが不自由な面を感じさせ・覚えさせてが無意識に作用したかも知れない.



   


 定義の明晰型は好みだがまた似ているのだが、非線形に自信はないという理由のみで留保したXXは今頃どうしているだろう、忘れないがまた忘れる必要のない存在なのであり・・・



   


 まあ反交換のフェルミ型で柔軟が鞭のようなタイプは宿命型でもあるが、今ふとビクトリー型ではないかと思いつき、そうかそれなら権力志向性も判断できるとようやく閃いた.しかし叙事的思考の全くつまらん趣味に合わない感性の持ち主である、今頃どうなっているかな?



   


 太宰治はずっと作家になりたかったので、「何をやっても駄目だから作家になったんだ」は共同社会に対するよくある弁明に過ぎない.森鴎外もそんな傾向があるな.窮鼠猫を噛んだ心理状態の発語というわけだ.



   


 小学生の時に錬金術を思い気にはなるがなんともやりきれない気分になったことがある.冶金もそうだが化学の話のような想定であったかな.化学という言葉は小学生の時に知った記憶はない.中学生の時に最も印象に残ってるのは水酸化ナトリウムと付随したナトリウムで塩化ナトリウムは勿論



   


 しかしなれど青春時代の写真はなんとなくの錯乱気味になって全て燃やしてしまった。非常に不都合を齎す事になったあるxxの作用によるのだが、いまでも作用があるのでまずい事は起こり得る可能性あるが、必然の枠内のマイナス?面対象か、プラス面者はまた不都合な言明を言いすぎてまずい事になり・・



   


 現実に目覚める形はよくわかる・何しろ時間を待っていたこともありその間パス的な現実故に.--実際は現実を目覚めさせると昔の意図だったが、最近は不明錯綜になっている.昔にその時の情況を詩的表現したことがあり、なんでもないおもむろさだったがの内容がなぜか尾を引きすぎて、なんとも混乱気味



   


 今の状態からはボルヘスはまだ?明晰と言えそう



   


 現実に目覚めるはよくわかる、わかるが今は現実と思念が錯綜していて、恰もその境界的位相で混沌気味



   


 p進は下に有界で有限でいいと直感したあの時、有限は距離感覚も作用したのだったかな?.ともかくハッセにせよフェルマーにせよ、実数とp進数の関係は、∞*/∞=と簡略して見た.実数に関しては中学生の時のあの橋のたもとでπ的や循環数とかで悩んだ記憶は忘れないな・・



   


 どうなんだろうモチーフはある程度出来上がっているのかな、知らないな.ギャップをどのように克服しているのか興味ある.個人的には限界子・限子と仮想しているプランク数以下が登場していると思うが、その域では多分に人々はペンローズにヒント得ているだろうな.



   


 何だろうつながっているだろうと推定するがまだつながっていないようなp進とモンスター数.だいたいガロアのフラクタルでモチーフ困難は推定できるからだ.冗談じゃないなぜこんなことを考えてしまうのかと思ったランダムを設定する起因の場所の近くを歩きながら、この困難は深淵ギャップを想定させて



   


 小学生の時に量子現象を考えていくらなんでもまだ早すぎるだろうと自己セーブをかけたのがまずかったか、あるいは中間的な誰かがセーブをかけて中途半端なままにするといった可能性もあったな.それでも光の直進粒子位相は自然に思いついた小学生.



   


 言葉の子音にしろp進にしろすでに義務教育時代に浮かべたまではいいのだが.子音の発音がきつくてまあ別に子音などどうでも差し支えないだろうとした、が英語で子音には価値があり.などの数えきれないつながりなど思考することは人間的ではないとしたが今のコンピュータ時代になんともと



   


 あの道のコンクリートの遮蔽物のところでやとかの数値列の長さを思い浮かべたのはいいが、こんなことはやっていられるかとした義務教育の日の記憶が災いしているような?



   


 ブームは明らかにパーコ現象と考えた記憶がある.流行に対してパーコを操作できるか、そうすると意図的にブームを作り出すことが出来る.最近は日曜から月曜にかけてギャップを感じ逆パーコ・パーコ還元のような思いをなぜかするようになってきつい.ギャップを相転移的心理とすると負荷がかかりすぎる



   


 無限遠点で素なるアデールとなると紀伊国屋での無限遠点の動向に答えを出せという内部の声もこれを示唆していたのか.素とは無限遠点でゼロではなく焦点に収束することになるが、有限無限が成立してそこには制約があるというおかしな話になる



   


 固有値を個持っている方程式があるか?、特性方程式を考えているときに浮かべた個の既約方程式・既約自体は非可換であることになっているが解であることは間違いないというものはあるのかな?.



   


 有名なエピソードでキリストは単性生殖でマリアが産んだだが、ヨセフの実態はどうなのかな?は省略すれば、キリストは予測される遠い未来のXX単性生殖による存在ということになる.まさか単性生殖を新約時代に考えていたとは思えないが、キリストは遠い未来人あるという事も成り立つ.新約恐るべし?



   


 ここで反転を考えて数百年前の人類はどうであったか、現在に至るまでどのように変化したを鑑みると、現在をルーシー・アルディ&カダバのころとすると、数百万年後の人類の容態はXX単独というよりもっと変化していてもいいような気がする.果たして数百万年後に人類が存続しているかどうかも不明かな



   


 ワンパターンのあるxxがいて、どうもその持続性の変化しそうにない様相からまるで悪魔のような存在と思う-悪女の深情けを知らなかったが.ゾンビ的なアンデッド的とも表現できそうなある映画を見ながらヒントを得る.



   


 不本意な忍耐を強いられる時は他者から意地悪を受けている、それが意図的だろうとそうでなかろうとである。とにかく不本意な忍耐によって調子付く存在は不快でしょうがない。主体的忍耐の邪魔でしかなく、この邪魔な記憶の消去が結構困難で無駄にエネルギーを費やす事に



   


 月の雨よ、池から流れる沢の小さき木橋を渡る小道よ、歩みて業を思う心に佇みて構造を想う雨の透過よ、傍らの群れ伸びる野草よ.(月のそぼ降る雨の中小さな沢にかかる橋を渡り、名も知らぬ群れ密集する野草の脇ににて-の幼き?若き?日の記憶から)



   


 仏教の二惑から見惑と思惑において、思惑はあまり考えたことがなかったが、事実上中間存在は限界を持つは思惑にあたる.倶舎論の一来向を家家(けけ)と称するを知り、なんだ仏教考えてあるなとまたまたミクロ見解を生じる.やたらと大げさな表現がありすぎるマクロタッチで静かになっていたのだが.



   


 まいったな問題は片付いていたことを何十年もかかって発見するとは.所々諸々の未熟な阻害が邪魔をした形だが、先達を尊重するという長いものや伝統や踏襲性にもよる要素もあるかな..



   


 現実は叙事的だけではないので覇者型が策謀意識を持つのは本能的なものであるだろうと.しかし叙事体人間には策謀体比重強き存在もいて、なんと虚偽体に映る存在も経験上顧みて遭遇した記憶がある.抒情的のみかと思えば無機物実在からそうもいかないというジレンマもある.



   


 陋劣な頭脳の持ち主のXXは気持ち悪いとは思うが、ある場所である女子大生か母親と一緒にいたので女子高生かの美女に気持ち悪いといわれたことがある.全くストレートに述べるものだ.まあ気持ち悪かったのだろうの頭脳性の状態だったのかそれが現実的に普通なのかも知れぬ・・・.しかしなぜ対象に?



   


 T大・ある小学生に捩れを齎した存在



   


 思い出して見るとカルナップの完璧主義ではなく歳の一様にその後ある駅で遭遇したことが思考進展のなさにつながっている可能性が最もの気がする.



   


 嫌いだったポアンカレから非保存量を用いて希望市民に付随する暗黒と市場原理を考える時に登場する深淵を非保存量と設定すると旨くいきそうだが、思考が進まない.基本・初等的に非保存量を知っている人材は何か考えていそうでそれを知らない・気が付かないだけか、またはやはり考えてはいないとか



   


 竜安寺の石庭の石の数は個?、ならば個人的には阿頼耶識・無意識が飛び込んでくる.禅宗の庭らしいのだが.



   


 天上天下唯我独尊表現はエゴイズムの極北と思えない事もない。この付近から他人に同情や親切にするタイプではなく、他者に傲慢・倨傲な存在が天国に結構行くものであるなる考えを類推したくなる。そんな馬鹿なな思いはあるが、神は超権力的存在と考えるのが一般なのでありなのかも。超権力的存在は倨傲



   


 法華宗の人は誰でも仏性を持っているとは、誰でも天上天下唯我独尊的であると解釈出来るのだが、複数存在が唯我独尊とは矛盾していないか?。唯我独尊を肯定するならば唯我独尊的位相で、ホッブスの懸念見解の競争があることになるが、概して現実の様相はそう見えなくもない。



   


 人は何者か判明すれば未来は必要ないと直感が述べている。



   


 人間の持つ不可侵なものとは?。それは人間とは何かの対象であり哲学的命題でもあり、また人は何処へ行くのかでもあると思える。機能・物理主義的では簡単すぎて部分しか表現していないと判断する。



   


 ある種の普通の人はパワーを自分では持っていないが他者の権威を用いて厄介な存在だと昔から直感で思っていた。数年前からハンナ・アーレントの存在を知り、何となくその種の人間はミルグラム傾向がありそうだと。



   


 ちょっと待った普遍グラスマン多様体、何となく



   


 ?味しめは優雅であることの快感者か・・.優雅など別に今更どうでもいいと思った歳を知っているが、とにかく味しめはセンスが悪く頭痛い意識構造者が多い.よく言えばスマートだが、そうスマートにも見えず.センスいい優雅ならいいのだが.



   


 気取りが快楽で味を占めてワンパターン化した存在を、官能を用いた性的な位相の幸福な安心な安全と思える感覚を持つ多数派という偽善形式者を気取りマシン・気取りロボットと認定と思いついた.ワンパターン化してどうにもならないのでもはやそれはマシン的な作用者・位相者ということに



   


 別に理性が間に合わなくてもXYがXXになるわけはないのだが、まったく付け入ってくる存在たちをからかっていることに・わざわざからかわれることをしてくる存在たちがいるものである.



   


 最も空想力が得意な人は多いが、ともかく理性が困難・カントの理性の帰結は論理的に正当にしか思えないが・な展開は成立している.パスカルのジレンマとも.



   


 人は現実において想像力を用いる.



   


 ポアンカレ・その名のずぼら?な拘束イメージが嫌いで避けざるを得なかったが、かろうじて論文修正は知っていた.カオス・体の関与者とはまあ知らなかったといえる.あの時の摂動・埃立つ道で摂動自体は摂動で、他にあるのが非保存の深淵ということの予感であった思い出.



   


 夏目漱石の小説には三角関係的記述ケースが多い.夏目漱石は永遠を希求していたことがうかがわれる.三角関係と三体問題は同じような位相を持つ可能性がある.三角関係はしないつもりが他者が干渉してくる・この他者たちは何を求めているのか、不動心不変なものに引っ張られているのか?.



   


 狗子仏性で仏性があるは常識なんだ、法華宗の寄与?.無すらないことは空がないことなのか、陰陽の太虚と無すらないとどのような差異がある?.空即是色色即是空の空がないはずの無



   


 霧藻ヶ峰にはレリーフがあって不思議なその意図は?、道に佇んで前面の景色の視野に枯れ枝だったか、サルオガセを初めて見ていい感じの高山的雰囲気を持った記憶もある.サルオガセは霧藻とも別名があるとは今知り、霧は煙霧の霧かと思っていた、確かに名前の通りの所であるな.この感慨も再度にはなく



   


 明るい市民の希望に暗黒が付随していたハイティーンのころからの、この暗黒付随が市場原理としても登場している.陰陽には完全な陽や陰はなく、五行に相生と相剋がありと知る.この暗黒はどうにも陰陽的になるが、人間的で表があれば裏があるとかにつながり、表裏一体や日向には影ができるなども.



   


 今の思考視点で物事を考えても視点レベルを下げた形になってしまう.所詮システム構想のころ以上にならない.帰納の実践思考を積み上げたところで、現在・現状時間に即しているだけにしかならず.もっとも生理的に人は現状に即して生きざるを得ないか



   


 イデアル化ザリスキー化してみてしまうからか?、しかし重なると分岐で解析困難が発生する.普通に多層多様解析判断可能な人は強制的に射影化して重ねてしまうと見た.



   


 単に正規分布のフラクタルではなくて、場における多様な正規分布のネットワークに重ねて多様フラクタルに時間フラクタルも取り入れて.ポアンカレの体がどこに登場するかなんだが



   


 記憶のワンパターン存在のイメージがスケーリング的にマイナス一のはずで、それで等速直線運動のイメージも持てない、単に負荷のみの荷物的荷重存在にしか見えない理屈は想定できるが、この登場という困難さを予期した中学生と障害の小学生



   


 正規分布も複雑系も何だった?というような蒙昧頭になっている.ある陋劣頭のXXが作用してそのような蒙昧を形成している可能性が高い.無知無自覚XXが単に生を生きてまたより行動的だと蒙昧な忙しさを強要するからな.まあ会社などのヒエラルキー構造は断面がベルカーブに見えそうだ.



   


 ある一定の大きさの小さな粒を何個か平面上に落としてみると横は正規分布形になり、全景はベルカーブを形成することは紛れもない経験事実・自然である.人々はこれゆえに正規分布思考をするのだが、それは当然で当たり前すぎる日常である.が複雑系は少し異なることを昔から何だが、まだ正規はありて



   


 例えば陰陽論にしてもその止揚は太虚しかないではないか、唯物弁証法の理想にせよ絶対知にせよそれ以前の過程の時間経過反復パターンでしかない.その反復を保証する形の造形物として人間類は存在しているのだが.



 昔のある時ある場所で未発言ながら内的思考で、あるxxに対して精神現象学を読めばと考えたときに、ハイネという曖昧な名が浮かび何故なんだと、ハイネはどうやらヘーゲルを尊敬していたような事を知り、それで合点が行ったが、そうだったのかと思考展開上に暫くの可能時間を見い出した・・



   
 

 フェルミとポーズに関しては物理的に弁証法を展開するのは難しい。超対称性しか知りえていないが。弁証法は基底本質以下のレベルでないと成立しないかも



   
 

 どうやらタナトスとエロス、陰と陽、フェルミとポーズ、宿命と運命とかパターンができ、黒い神聖は夜のフェルミ的かな?、フェルミにはタナトスの影をどちらかといえば感じる・見るが、フェルミ的は他者に押し付けても所詮意味ないのでは?、無意識自覚をしているか?と思考が進むこの感性知覚によれば



   
 

 トリックスターをユングが取り上げていた、知らずこれかユングに対しては?。あの橋のところで元型を浮かべたはいいが、その先がさっぱり進めなかった。そうかいまでは汎関数自体に汎無意識を設定してもいいかなとは思える。



   
 

 揺れるアジアと言って経済第一の見方だろうが、マルクスの述べた資本国になるべきだ・が実際にアジア式国々に展開中。この後マルクスの目論見通りに行きはしないだろう、新たな視点は宇宙自然への対処かな?、理想の後でも必要であるはずで、まあ今でも温暖化検討や陽転の寄与が想定できる



   
 

 義務の連続である殉教的存在は必然的に全ての可能世界を義務化するわけではないので、限界合理的な生を送るという結果に終わる・から現存在はほとんど未完に終わるという意見も採用できる.完結すると継続が成立しない有機性が世界があった・世界がある筈・はずだろうとなる.



   
 

 必然的自由は自然的義務であるのだが、可能世界の中でその一つの選択はかなりの束縛と思えばそうであるが、人々はそれを日常行っている.その義務に多様種類があるという生活空間.ゆえに勝手なことをしているという意見が登場する・また義務の連続が当然という殉教的実在も多くいる.



   
 

 Kのスキー滑降はまさに無茶苦茶すぎるだろうNRでさえから考えて、ナンガのシェル・ルートは容易・個人的には全く不可能だが・と思う.メスナールートで、単独でいいのだが、冬には想定していないがエクストリーム的にはそうなるか.メスナールートを冬季単独無酸素なる人物が現れるのかも.



   
 

 最大値の皮肉



   
 

 縦横無尽は超対称性の現実化



   
 

 今日現在の時点で昔からまだ少しも変化していない領域対象があることの認知をする.逆行する事もあるかもでそれも考慮しておかないとか.逆行はむしろ変化をしなかった秩序の圧力か本質の無変化とでもいうべきか、ただ時間は経過している、ただし空間はそう変化をしていない.



   
 

 ミレニアル世代、了解している理不尽不自然と個人的には矛盾が解けなかった事も踏まえて年代生まれなら、またそれ以降世代が世の中を変えるだろうと思っている。



   
 

 またまた余りにも単純に気がつくべきことに何十年も費やした事に気がつく。自分の才能ゆえにと言えばそれまでだが、なんと愚かしい思いと不条理と、だが超対称性も浮かびなんとも心理は受け付けず。超対称性は物理対象的には想定だろうが、心理的には理想か無知に思える。



   
 

 理解してみれば、理解した形とみてだが、すぐに気がついてもいいレベルの事柄に何十年も掛ける。既に把握しているのに事態はそこあるままの何故か頭脳が麻痺している情態の持続が続いて。かような苛立つがそのままが続く不快なケースは多くあり、悩む必要無いのに悩みの種になってしまう。



   
 

 俗物の質の悪さはその明晰志向によっても除去できない、欺瞞で質の悪さを隠すか無自覚で気にしないで他者の審美感に意地悪をするだけとかその他・・



   
 

 人間の存在論的ありように含まれていてそれについてどうのこうのいえるものではない--カントの物自体も確か言いえないものではなかったか-はともかくとして、それによって行使された・書かれたものについてもやや批評できない事になるのではないか?



   
 

 なんだか変で、逆になっていることに気が付かない存在たちになんだか遭遇しすぎているようである.とするとも直接に寄与していることになるが、それも無意識を用いている形で.



   
 

 しかしどうにも昔の主体の阻害要請・強要者たちの記憶が不快でしょうがない邪魔になっている.なぜこれら多くの人間は主体を歪めたがるのか??まったくわからん.意味がない上に、人の主体を歪めているとは全く思わないでどうも消えてしまった人物もいる気がする.全く無茶苦茶だ.



   
 

 面食らってしまったum、テトレーションのデザインの良さと二年生の夢のまさに童話感覚-どんぐりかそれに類するナッツ類を連想させて



   
 

 生活を変えるしかない-Wbot.全くわからない、恣意的は?、人間を変えるしかないでは?



   
 

 中身の詰まった空とは矛盾しているが、空が集まって密度・濃度をもって有が成立する運びとなった?.しかしまだ誰も知らない、ただ空であったろうと想定しているだけで.



   
 

 アベルとカインにセスという弟が傷んだ、知らなかった.どうもノアの箱舟のようで、ノアの直系先祖がセスということになっているそうだ.wa nothingとは太虚か空かどうしても人は最初は空を想定せざるを得ないようだ.中身の詰まった空でないとつじつまがあわない



   
 

 実存といえばフランクルが最も誠意があるだろうと思える.その点小説家カフカは指摘のオンパレードでくどいといえなくもない.サルトルはクリプキの可能世界がフラクタル的な多様性を持つ中からとか、これを思うと蜘蛛の糸の作者も実存性を垣間見て漠とした不安は虚無に繋がる実存性の体感であったとか



   
 

 審判を読んだというか眺めたというか昔、文庫の最後部にあった断片でテントレット(名前は確かそうだとで昔の記憶なので定かではないが、この名前が個人的には普通に通るゆえ)屋根裏部屋へ行くとかの下りは妙味を感じたが.実存が本質に足らないといえば典型的だが、一言本質が不明で事は足りるカフカ



   
 

 パスカルの中間存在である現存在は当然未完で終わるのは明白なんだが、ハイデッガーがほとんどの現存在は未完で終わるというときは本質に対する実存の定義からか、サルトルの世界の責任の引き受けは未完的存在とも思えない、そもそも未完的人間に世界の責任などという位相が持てるのか?



   
 

 レオン最終場面・脱出もう一歩のところで(やはり封建主義では暗く遠くにみえる明るい点のところへ行かないといけないとした小学一年生.年の時には黒体輻射の内部から差し込む小さい点の穴に変貌して)現存在の多くは未完成に終わるとはハイデッガーのシチュエーションのとあるミクロタッチケーズ



   
 

 それにつけて思う叙事的人間の底の浅さ・離散単純化する暴言的思考であるエピック.歴史は事象的に叙事的な事実が残るのが常であるが、この視点に徳辺的に絡まってしまった傲慢な難物がその抒情性の不可能さをもって存在した記憶がいまだに不快すぎる物としてある.その逆でなければ無理解の典型態度が



   
 

 レーガンやジョン・レノンを撃った人物の身近にライ麦畑で捕まえてがあったとTVのセリフ、そうなんだ理由は即座には不明.ライ麦は解釈が難しかったが今のところ、境界時間を超えず、境界内に意識をとどめておく、つまりロウ・ハイティーン時代のままと解釈しているが、正解かどうかは定かではない.



   
 

 どうもバカらしさか困難さか自己諧謔をしてまたそんなことを思っているとそれが現実になる.実際は単なる空想と思っているのだが、他人から見ると無責任を堪能できるので誘惑に負けるようであるが、共同意識尊重者であるとかその他であるだろうな.



   
 

 阿弥陀は親鸞ただ一人を--選択しただったか、親鸞も相当他者に対して救済自身があったと見える.阿弥陀の身が立たぬのツイートを見たが、マズローの第段階のセリフであるようなのだが、実効力に疑問が、そうでなければ法華的内容の心情に依存している可能性が.



   
 

 現実に遭遇する事象は年間的第ステージを去年を意識する限り成立する.今年も結びつける要素があってそれゆえにそんなことを思う.それ以前の年間の記憶はない形で・結びつけが困難な心情は?



   
 

 信頼できないのではなく他者が信頼しないというケース・そうしてそれらの人々は常にやり直し・蒸し返しをして無駄な労力を要請して、歪めをを生じるものである.



   
 

 長いものには巻かれろは無責任と関係しているなと、小学生の時に近所の家の通路で浮かべた世襲も、ローマは日にしてならずと結びつくと判断できた。この両者には関連を想定できる。



   
 

 パーコレーションは創発説になるのか、ペンローズのちりも集まれば山となるではないが、なんらかの微小があつまれば電子に・ブランク距離になるという創発説パターンがあったな。無限下降により不可知であるでは怠慢にしかなってはいないが、然りとて太虚にしてしまうのも思弁的不実在論である。



   
 

 後天的な行動主義的な視点を垣間見る移動エントロピー論、優秀な発想力と共に苦肉の策も覚える。なるほどセマンやプラグマの困難さがわかる。そもそも被養育者は先天的に視線を向ける能力を持っているのであり、ロボットは心の哲学意識を持ち得ていない点が、難問としてある。



   
 

 奥秩父のある所に賽の河原と呼ばれるところがあって、昔その時には幻想的に嫌な思いをして稜線デートをしそこなった記憶がある.まあ下って登るのが嫌な場所でそれがよぎったこともあるが.賽の河原は子供用の話とは知らずに.「蜘蛛の糸」にせよ仏教も脅迫と宥め・賺しがあるもので嫌な気分が発生する



   
 

 相国寺の中庭は一瞬の良さは覚えたがそれだけの時間でしかなく、自分で作成しないといけないことになる.要するに愛着を自家薬籠にするような庭景がいいのだが、自家薬籠に関しては小学生の時に丹精を込めた梨の木が行方不明になってしまって、それ以来薬籠に関していらだち感情を持つことに.



   
 

 しかし潜在能力がない対象も困ったものである.それと潜在能力を潰すタイプにXXが多い経験がある.女性は芸術品であると言って置きながら、結婚は失敗だったと述べた作家がいたがこれも不快な例だな.自己の性意識レベルの拙さ?を棚に上げたか、その対象が悪すぎだったとかでは?.



   
 

 それがそうであると示せば、その確かな実在を、記憶してるとして明瞭に名+名とその他名くらいしか知っていないかな・・・



   
 

 (その人物はエントロピー増大に関しての試案となっているかも知れないと幾分思ったようである.この域に関して年齢は不問であるともしている)



   
 

 (その人物は他人を無視はしない、特に同じ考え方をする他人であるならば)ということを私は知っている.



   
 

 (ある人物がいて秘かにその人物の思考形を用いてみてくれと考えている.とにかく使ってみてその結果を見てから判断してもらいたいとその人物は思っているが、人は使おうとせずむしろその人物を強制的に無視する.その人物はそれらの存在達に責任があり人口減少や高齢者問題対処権利があるとしている)



   
 

 そうすると昔わからなかった精神分裂者・統合失調者の描いた絵の、ワンパターンの不変性はあるがそれを思考的に表現できなかった絵も、ベクトル的ではなくアフィン的とみて差し支えないかな.



   
 

 昔岐阜のある男子高校生の夏休みに因数分解の質問をされて一意性に迷ったことがあり、高校生にだめだ言われた記憶がある.慶応を狙っているとか言っていたがまさかとは思ったのも以心伝心的にプライドを刺激した面もあるようだったが、単項イデアルのみを考えていたような高校生・は甘いと言えないか



   
 

 ふと浮かんできて限界合理性はベクトル空間では?と.あの複雑怪奇もアフィン的にはそうだなというくらいに見えるものなんだと気が付いた.いわゆる混沌自体的なものについて.



   
 

 シンプレティック部分空間はナイスであるとしか言いようがない.行列が嫌いなので意識に上らなかった面もあるかな?.なんとなくようやく探し当てた古典論とか.冗談で古い陳腐と思う人々を持ち上げて、{古典とする時間と空間}などと表現したことがあったが、自分に跳ね返ってきた.



   
 

 斜交形式部分空間の斜交的・等方的・余等方的・ラグランジュ的の種--シンプレクティックの言葉はあの頃全く記憶にない.こじつけてみれば特性方程式の種の既約方程式が似ているようなだが、これは類体・数論傾向と思っていた.



   
 

 なんとこの書物の最後面にはヴィトゲンシュタインの個々の把握像はあるが、人々は全体像をとらえてはいないとある.まだそうなのか、eventeen/th
が空白なのもまだ救いはあるかな.『言語は口に描写された画像である』--これを記述してあるのだが、明らかにTLPの寄与があるな・・・



   
 

 さすがに戦争対峙では実存分析的要素は出てくる、実戦上においても有能なリーダーだったのは資質的に定言的人間だからの面もあったようである.身体の限界を感じていたのは戦争初期から海馬的存在だったか、あるいはどうにもならに有限性を戦争時に感じた面もありそうだ.



   
 

 DNAトポイソメラーゼは実践的DNAトポロジー範疇か?、化学・生理学的な複雑な絡み合いなら因子多く、解析できそうではある時間を介在できるかなと.この場合時間は瞬間的とはならないが、転写構造などは結局無駄なDNAはまずないという中学校の体育館での直感の範囲であった.



   
 

 別にヴィトゲンシュタイン専らモデルなんだが、多くの人々がなんだかんだと追及・研究・調査などやエピソード論などを展開しているので、それに任せるという手段もないことはない.棚にシェリングもあって思い出す昔、ベルグソン論をちらっと、純粋持続の多様複合も『奇妙な保管場所』の参考にはなる



   
 

 どうでもいいのだが不細工なXXには幻想ごまかしまたは欲望自然で実際には審美感覚が欠如しているとしか思えず、これはカントもそう述べている・カントの判断力における欲望面しか持ってはいないということなんだが、悪人正機説的には悪人で無自覚のずぶとさを全く持っているという傲慢存在がいるのだ



   
 

 一般に渋味と言われているものはエートスであるが、どうもこのエートスは束縛力強くその方向で人生を送ってもいいのだが、鬱屈につながり体質的に好まないな.深淵・深遠とかはそれを渋味一様にはしたくはないが、渋味一様は弘法筆を選ばずの束縛的閉鎖的ではあるが一面もあるので否定もできず



   
 

 種類の戦いで心理不調になり生理的異変をもたらしたことがあるが、次方程式や次元があったのになんということかと今ふと思いつく.神聖型のイージーさがやや問題だった記憶だったが、カントの美・判断力批判からもそれもないと言う事になる.



   
 

 フェルミ人間も単体要素強く孤独的存在で、他者達の密接さを裂く可能性が高いのはその必然的固有要素による.反交換は交換の邪魔をすることは明らかである.反交換から見ればその行為は自然でも交換からは不自然なことを反交換者には想像できない・考えもつかなそうなと言ってしまいたい経験がある.



   
 

 この不思議な感覚の別離・乖離位相場は超対称位相ということになるが、現実にはフェルミ・ボーズ混淆して生きているのは当たり前なのに、超対称自体は本質的には現実とはかなり離れた位相のようである.



   
 

 フェルミ的位相者には叙事性が強い判断があるが、必ずしもフェルミ型が古いというわけではない.フェルミ型はまた縦型人間が多い.フェルミ粒子は今もそこにあり、経験上フェルミ位相・これは何と思ったことがある.そこには乖離があるのは確かだが、こんな心理位相がなぜ成立するのかと思ったものだ



   
 

 なんとか価値を見つけようとするXX達のだが、その潜在意識には意味がないケース十分すぎて



   
 

 幕を開けるとそのXXが不利になるので、潜在・無意識を探索した時に幕をあけちゃだめとそのXXが述べている形の考えが浮かび、すでに開いているのにこの愚昧さ、責任はこのXXの存在にもあると思っている.



   
 

 モノポールなき磁性体は追随性を有していると言える今のところ.ハードディスクは?、そうなるとロボットは限界を持つような、ロボットはロボットであると.



   
 

 経験上著名な作家類は抑圧しか受け取った覚えしかない.抑圧という意味なき心理の無駄をさせる束縛観点を齎したという不快記憶しか



   
 

 未完成の人間には将来性があるように見えるが、結果大したことはなく終わってしまったとかのケースは多くある.この将来性はエントロピー増大に依存の結果いえることで、ポテンシャルがあるからではない、ポテンシャルは減るのみである.-境界以降の時間の場合.



   
 

 さいたまトリエンナーレの岩槻の全く地味な目立たない建物の敷地の柿の木のそばで係りの女性と話をする・「ちょっと滅茶苦茶な生き様だからな」・「それがいい」と、一般社会とこうまで異なるものかと唖然とした去年の晩秋



   
 

 狂暴エゴの叙事的存在だが意外にも甘え能力が高すぎる存在という経験がある.ややパターン的であるはずのタイプ.



   
 

 市場原理や市民の希望に対してどうにも深淵が付随して解決できない現実心理なのだが、存在論ではなく漸近的自由性空間を導入すると説明可能になりそうなヒントを漸く得る.



   
 

 漸近的自由性類似パターン的とすると最も良いかも、超対称が絡んでくるのはそこに場の設定・存在が自然に考慮できるからの与件ありか



   
 

 アレンジや模倣なら他の結果を追うことは確かである.特に評論・批評はそうであるが、詩人も考えたが表現しなかったので即物反応であったとなる.詩人というべきだったな、最も小説にしても固有名詞は登場させないので、件の小説類も疲れる白けた気分には大いになる位相を持っている.



   
 

 全くやる気の邪魔というか無駄なエネルギーを使わす存在XX,タナトス的か優越感を覚えたい卑怯・卑劣な存在にXXが見えてしまう事になる.困った心理感覚であるのだが、そんな位相に数多く直面して不快な無駄ばかり行う羽目になっている.創作は他の結果を追わない・・



   
 

 ある女性に”太宰治じゃない”と言われて、流れの勢いで君のいう事ならそうだという論理的には間違いとは考えただったのだが、内心で”その通り”と思ったことがあり、これが寄与しているな.芸術至上主義とかも浮かべたがよくわからなかった存在、思えばしつこい蛇のような存在と思った人物ではないか



   
 

 でその自業自得だが、結局心中に終わった時点で駆け込み訴えが作品として完成したとか考えるが、何しろエピゴーネンなので個的自殺ではなく心中という甘えを設けたという結果に.心中は甘えという視点を思いついたこと.なんだかこの作者的に思われたことありで、無茶な言明をXXから聞いたものだ.



   
 

 ダンテの神曲の有名な箴言は新約聖書のマタイ福音書第章第節からとジッドの狭き門より今頃知ることとなった.狭き門への要求に答えないXXという認識だが.カフカについての説明がジッドの狭き門に述べられていると思うのは勘ぐりすぎかな?



   
 

 H曰く”愛読者ですよ”と細君に言いわけ気味に、愛読者?、確かに内容・思考内容には関心あるが、文章書体センスには興味ないが.大江健三郎だったかな、ロマン小説といったのは.確かにロマンの香りは十分ある.



   
 

 吉祥寺の南側にあるユニークな作家の家があって玄関払いを食らった記憶があるな



   
 

 南十字星でもアンドロメダでもいいが、あったのは保谷で今は西東京



   
 

 依存とか甘えは諸行無常からくるケースも考えうる.諸行無常は無責任ともいえるが、ここでは『過程』としてある.



   
 

 より何か新しい思考ができるかもと挑戦したことがあるが結局混乱を齎しただけでどうにもならず、今ふと思いついてみると新しい思考視点は無理で、今あるものの展開でしかないと何十年かかって了解したものとなるのかという述懐



   
 

 本質あれば実存があり、真あれば偽あり、共変あれば反変あるとかなど、道教化しなくても日常至る所にセットはあり、それをうまい形にした道教と言えなくもないが、ある志向性の方程式がこの付近で見当たらない・・



   
 

 頭を使えなく錯綜気味の日々だが、若き理解者たち<条例などなんのそのに思えるJKたち・たまったものではないが、そうでないと面白くはない・・>



   
 

 ラプス時間で現実を待っていた意識もあるが、実際にまだ成立していない現実を見てしまうという、無駄ばかり強要された形を十分感じているにもかかわらず、現実はまだ成立していないという何十年の時間・・.現実基準にすると無駄な時間ではないとは驚き、若き存在達には理解可能ではと思う漸くの日々



   
 

 最悪最低をθに見てしまい、記憶から除去できない不快な存在がアリゲーターXXによって、ただしΘは本命なのでいいのだが、この辺の構想をはっきり述べれば、それに応じるはずのXX達・セクスアリス形なんだが、今からでもそうする設定にしておこう.会うこともなく存在不明対象たちだが



   
 

 ユーロピアーナの構造は変容を余儀なくされた形としてのΘ構造によく似ている、境界・分別線をアリゲーターとしてだ.ピアナはグーグル対抗意識もあったのか、Θは現在であり、このピアナの参照が日本でも可能性ある未来段階なのかよ.実践形式として昔に設定した形のミクロ事象のマクロ性という・・



   
 

 『久遠は中に存在し不朽は傍に実在す
幽かに見える点滅はざわめき過ごす存在と
視野無き海の底ににてたゆとう熟れは過ぎ去りて
』--気に入り自作の半分より



   
 

 緑樹の相異に閃かせた明るさが灯火として点る頃...<小学校の校庭わきの杉木立を思い出して> 川面に当たる陽光がきらめいて<思考に疲れた・気分転換の散歩中に・運命の第二楽章を想いながら>.... ***戯れ複数最小数<日本海の内側に面した小さな半島の海べりの道を歩く・・>



   
 

 自分に期待するしかなくなってくる、自己の態勢が整わないのに他者から期待される形もあるようなニュアンスがあるのだが、どうにも態勢が整わない心理内容ではその点はうまくいかないのは目に見えている.やたらと入れ替わる存在が多すぎて整理ができず、しまいには不快を常に抱えているという情態に



   
 

 どうも他人や他者の出来事関係に期待すると期待外れに終わることが多い.またも他人に期待しないとことに-それににしてもなぜ期待するようにまたなったかというと、あるXXの影が何十年も期待外れ・魅力なさ・色気のなさ最低・最悪XXと結びついてしまう形で悩ます相変わらずの所為だからなんだが



   
 

 平田篤胤の宣長の霊---そうなると清盛とか頼朝・信長とか武士の霊はどうなるのか?、特別扱いして他は万骨にするのか、まあそれでも過去へのシステム・離散で説明できないことはないシステムを考えていた今頃の昔の日々



   
 

 その存在理由が--すでにその存在理由は意味がなくなっている..だったが.



   
 

 他人は模倣だから自分には責任がないという無責任に従っているのだが、ミルグラム的なブーメランを見てもしょうがないが.いろんな意味で戦略の不分明だろうが、遭遇した人物たちも無理解・無知すぎる存在であったな.まあ認識能力がないからそんな存在は考えてもわからない・・



   
 

 結局二週間以上の時間があっても借りてきた書物を読まずにネットに向かってしまうのはやはり中毒性を通り越して無意識では、最も車など人力機械的的よりリアルマイクロ制御が自然的当然な日々を連想する.なんだか思考だからリアルな身体はいささか別にの姿勢がある人々はかっても存在したが



   
 

 とにかく他者化や抑圧を設けてダメにしたがるXXたちがほぼでの記憶があり、さすがにXXを信用できない・信頼に値する存在がいないくらいに思う、それにしてもやる気をなくす抑圧傾向のXXが多いすぎる.そのXXたちは他の男を相手にすべき存在であるとしか、邪魔をするXXを好めない



   
 

 メッキをしすぎな外連性がないか?、どうも陰謀力が強いのでごまかす対外的虚栄面意識が強い作家に思える、人相的に嫌いな権威意識と陰謀力をその写真から感じるが-そうなると覇者的存在ではないか.覇者的な抒情性のない存在はどうにも好めず、何か勘違いをしている無自覚な悪人に会いすぎるが



   
 

 結局二本足構造を否定はできない、結構このことによって矛盾が生じた意識時間だった..必ずしもこの身体構造を別に義務化する必要ない考えで、奇形は未来的か過去形なのか例外なのか.しかしなれどやはり身体の桎梏から逃れることは今日の時間段階でできず、



   
 

 行動主義なる言葉に最初に接したその昔不快な思いをその内容を知らず直感で感じたのは、人類が二本足で歩くようになってからの時間において類人猿と称される存在は行動主義者以外に考えることができないことに起因がある、さすがに意識でそこまで戻れない、空想想定はできるが.



   
 

 その昔義務教育時代に浮かべた屈原より太公望は古かった.屈原で凄惨・凄愴関連の言葉を覚えた記憶がある.耐えがたきかな屈原の人生、その点太公望には明るいイメージを持つ・渭水のほとりの釣りで.屈原でさえ遠い昔に思った記憶あり、なぜに今その名を浮かべるのかと.太公望はいつのころ記憶に?



   
 

 嫌で邪魔で障害物であり妨害者を避けようと意図していると、逆に好んでいるかのような無言の態度をとってしまうようで誤解されっぱしの記憶修正がなかなかできず.確かにピエロを要求してくるXXたちの記憶もあるな.本来はオルテガの示唆的人間ではなくマズローの段階アップの努力をすべきなのに



   
 

 今年は去年と比べて年末の時間が過ぎるのが速すぎる。もう日である、やりたいことではなく、やるべき事(頭を使う事)が多過ぎる上に新たに発生して、温かく寝ていると頭痛が強烈に刺激してくるという.度の部屋。何事も進まん折角の自由時間の日々



 

 卵の上に醤油をかける、その軌跡はポロックの一枚の絵の初期の初期と同じようなと浮かぶ



   
 

 世には行動的人間が多いものである。行動主義は愚劣と思った人間には、行動的人間はうんざり、特に行動的xxの反発がきつい。そういえば”行動する馬鹿ほど”なる箴言があつたな、行動主義が不快な人間には、行動的人間は単純に思えて、粗暴的に思いがちだが、ゲーテは優秀な存在もいると述べている



   
 

 間違ったというか変換を当然成立する・しているものとして見ていなかった.恣意の法則と様相はほぼ一致する.帰納の未定にプログラムの場合他者の介入がどうしても意図すれば存在する理由がある.可能世界や必然性も入ってくるt-foかな.けがの功名の恣意の法則はクリプキの可能世界論が近いか?



   
 

 フロイトの領域は存在すると思うな、いわゆるリビドータッチの情熱が理性思考を惑わす経験は堪能しすぎている.リビドーの熱気が渦巻いている情態で理性的対象問題を解くのは困難を要する.



   
 

 波動関数が無限遠でになると仮定して--グリーンかよ.なんとも矛盾なかとか.波動線が集まると粒子的に存在すると見たのは小学生の時、弦・超弦の紐は波動線的なだが太さはないと.



   
 

 意識は意識領域を意識するのは必須的な前提にしてある-『奇妙な保管場所』という表現で『奇妙な』はクォリア問題にオマージュ(別に持ってはいないが、予期した形で・他者を考慮した、この世界生存者立ち・社会を考慮してそうした昔の記憶がある)を与えた点もあるが、自己対象未来を尊重した.



   
 

 現象判断のパラドックスは面白い、シュレディンガーの猫のマクロ的現象があるとは?.随伴説はなるほど・・、新神秘主義の自然の構造がそうなっている-のまあ皮相的には立場が考えが似ているな.



   
 

 ヒルベルトの境界というかM&Dの境界というべき設定を思いつく.



   
 

 妖気とか悟性とか虚無的柔軟・官能性とか--不快だが事実現実としてある



   
 

 ”「全体帰属性(自己超越性)」の情緒はより大きな存在と溶けあうことによる鎮静としてあらわれ”-これ親鸞の阿弥陀を連想させる.”人間にあっては「全体帰属性」が誤って攻撃性と結びけられ、神、大義、民族、信条、偉大な指導者の名のもとに大量殺戮が行われてきた”は叙事的人間を語っている.



   
 

 幼形成熟と幼形生殖から言語発生に共同意識獲得時間設定はどうしたもあるが、原始に戻るは意味付けできそうだ.原始状態を発露することができるであって、戻るのではない.単に戻るというと時間は可逆になってしまう.要するに保存形態なので使うことができる能力を人は持っているということだ.



   
 

 単に宗教の寄与力か?、簡易表現をとるとすればだが、その宗教の存在自体は無心論者にとっては決定的な場合もあるようで



   
 

 儀式と疑似科学・F物語映画とかの関連を考えているところ、迷信の作用から発展したものとか



   
 

 /の成功とは個の失敗ではなく個の成功の上に成り立つ成果と言えることになる.



   
 

 起きていようとしても視線が刺激して目が痛くなり、睡眠を取れという生理要請に素直に従って・・、人は眠らなければいけないは、性的力補充か回復・増強とかの要素があることは了解している。あるいはそれが主たる要因かも



   
 

 惰性-流路と分岐・鋳造の場合の流れの難しさとガロア拡大というかフロべ自己同型とか類想してもいいかな?.類体に関してペンローズ類似も浮かぶので、あの頃のペンローズの直感的ないかさま風と思ったこと・ただしタイルはそうとは思わず・と類体保留意識はなかったなと惰性群により判明したひと時



   
 

 なんだかんだ考えていると『現状維持無限変革』は宗教関係者に都合のいい考え方と思いついた.ホモ・サピエンス限定という.



   
 

 今からの推察だがそのころには地球は無機物体になっているようだったな.



   
 

 他星への完全な移住という手段もそのころにはあるはずだが、さすがに小学・年生、異星人からの人間操作漫画に寄与されていたか(地球に生きているある人間そっくりな母親が宇宙からの通信手段で何語かわからない会話をしている漫画に脅威として畏怖感を覚えていたころの話なので)



   
 

 地球崩壊は当然考慮してあってどうにもならないがそれでも何らかの無機的サポートを期待しての意図による希求文で終結している--記念碑



   
 

 地球が破壊するとすれば内部マントルが干からびて消散してしまうこと・その時間は生理体時間からは遠い遠い未来だろうが、それ以外に地球消滅は無いものと見ている.



   
 

 『人口太陽が年持つ』--この予見に似たような映画はまだ無いようだが、温暖化現象なのになぜ人口太陽・核融合人口体だが、いつの時間なのか世紀の話ではなさそうで、世紀以降になって温暖化現象はどうなっているかな?



   
 

 人にはリアルに写実世界・現実世界に存在しているのだが、それを忘れてしまう能力が備わっているというしかない.



   
 

 なんだか小説に一文章を筆記しているかのようなツイートになっている.自己主体の普通自然さを取り戻そうとしているが、虚無の海のような陰険フェルミ型がしつこく災いの記憶となって、つまり主体を歪めてきた記憶の除去を意図しているが、内部的にそのフェルミ的位相になってしまう不快さがありすぎ



   
 

 思弁的な当てはめは現象的に合うのだが心理的に合わないというケースに遭遇してやはり普通にはいかず選択の必要があるかな、リアリズムというオルテガ懸念をなんとも知らないような性的人間タッチの記憶.



   
 

 個人的にはナンセンスな無駄なんだが、他者達にとっては未熟な過程の無駄ではないのかもしれないが、そうなると進歩速度が遅く機会論上やはり無駄である存在になるが、普通はそうなのかも.さっと通過すると普通に何でもないことが、蒸し返しの苦痛になってしまうのである.



   
 

 自分ではあるときにある場所の位置関係の差がmもなかったかの場所だが、その位置移動によって徒労を味わい、徒労に呪われる将来可能性の高いことを思った小学生の時?だったかな.結果その通りになっている現在、だが昨日不当な理不尽を設ける他者達もどうやら徒労をしていると判断できた.



   
 

 よりわかりやすい特徴は縦構造は指示表出傾向強く、横構造は自己表出傾向が強いと言う事である.



   
 

 普通の日常生活において法華経が何を言おうと悟りには遠い存在が生きているので、特に叙事的な存在はEQ指数が歴然と低いのは明かであり、共同幻想には叙事的なEQの低さを感じるためである.指示表出と自己表出の考え方はいいんじゃないか、別にどうと言う事はない普通な当たり前と思う.



   
 

 ある女子大生が共同幻想論を携えて現れた事態があったことがある.何それ嫌な書物であると思ったのと同時に彼女は意外にそんなのを読むのか?と、単なる飾りだったかもしれない昔の思い出.直感で叙事的内容を示唆していると思われて、叙事的内容なら六法全書という書物がある.



   
 

 ふと落ち着いた椅子上で聞こえてきた魔弾の射手の冒頭のラルゴタッチはいいね、ベームかなと思ったらアーノンクールだった.魔弾の射手序曲はアーノンクールが最もだな(指揮者の違いなどよく分からんのだが).セロトニン一杯を堪能できる.



   
 

 どうも駆け込み訴えの作者の執念のペンネームは不快で、結局、何をやっても駄目だは、常識的な心理論理判断から、生きても駄目死んでも駄目と考えられて、当然作家という職業もその内部に位置している筈で、妙な特別意識を持っていたようだが、レベルを下げていることにつながるなと思いついた.



   
 

 孤独なる自由は唯一性でクリエイティブ的でもある.この命題はすでに成立していた日々だった思い出がある.フェルミ的単体は唯一性があるのかどうか、唯一性を発揮するのはフェルミ型は得意なのかもしれぬ.まあそれならそうすればよいので、交換を単体化しようとする不自然は頂けない.超対称はなしで



   
 

 形態の鼎は現象的に必ずしも対立するものではなく、そのうちの項は協調するケースもある。



   
 

 そのxxは減衰振動存在に見えている存在なんだが、未来の為には意味が価値が無いと判断しているそのxx存在の思うツボに移行してしまう、まずい。最近このxxが悪魔なのかと思うようになってきた。世間の人々はそうは思わず魅力ある存在とみるようなんだが



   
 

 個別にxy&xxを区別して日常接するが、またまた良く行く店に苦痛な存在が目立つようになった。自虐的に自己の歴史のある事をなかったものとしてみると、などと考えてしまったため。あるxxが不利になることは明白で、そのxx



   
 

 あれハインリッヒを倍にして失敗例ではなく成功側にたとえた近似値ではないか・/は回に一回の平均値になるからである./というといかにも多くの無駄をする気分になったものだが、指数分布の普通からの逆でまとまる時、頻度が高い時間の短さの場合もある・・



   
 

 /は個人的に今年の流行語大賞であるなと思う次第.比率的には回成功すると英雄になれる?、一将が功なるのは人の犠牲があることを思う.真理が単純になるのは回の思考悩みがあることに.漠然と真理が単純になるのは苦悩を数多くしないと思っていたが、数値が出たか



   
 

 反物質の代わりに人は意識を持っている?



   
 

 まあ呻吟・懊悩・苦悩を何をやってもだめだという位に絶望的事態を通過した作家としての専門意識の他者に対する説得力発露で認知要請であることは理解できるがだ.



   
 

 とにかく森鴎外とか太宰治の切羽詰まった形の叫びはなんなんだ、非常に迷惑を感じている.死に臨んでばかばかしとか言ったらしい自己認識力の鍛錬のなさと依存ができなくなる・今までの依存の無意味さを感じたに違いない愚かしさ表現や、何をやってもだめだからの作家も対象のうちなのにの中途半端さ



   
 

 駆け込み訴えでパンを用意したと作者は描いているが、当の作者がそんな現実能力があるとは到底思えず、もしそれが可能だったのなら集団を用いて用意したに違いない.ただここでは作者が自己生活を考慮せずに思念で実践優位を述べているという虚構性に引っかかる.



   
 

 写実に呪われている--畢竟身体優位にだ.なぜあの時に罪の意識を・虚構だからそう思ったのか、きっとそうに違いない.真実に対する虚偽・事実に対して正直であることを潜在的に持つことの起因であるかのような思い出.今ではカザノヴァ型の欲望性が絡んできてなんとも不都合な心理自由になる羽目に



   
 

 熊襲でもなく隼人でもなく投馬国に住んでいた人々に対する一様表現はなんなのだろう、邪馬台国などと同じ存在か?



   
 

 サンデルの書物にある公共理性とケルゼンの純粋法学は似ていないか、心情的に検事なる職業はどうもケルゼン的な位相を持っている・持っていないとのように思える.



   
 

 今頃自然の逆襲にあっていることを希求したい.最も意図していることは特にそのような存在にとっては非自然・不自然ににはなっているだろうな.となると意図に関して他人から逆襲を受けていた・個人的に無意味な犠牲を強いられていたということだが、他者に対する意図は無意味とは思っていない.



   
 

 自分にとっては自然だが他人にとっては非自然・不自然ということが考えられない人が多すぎる経験がある.



   
 

 ある数値内容がある周期時間でその内容に一致する記憶がある-現実を考慮するとこれは確かである.とするとその今から後のその周期時間になるとその数値内容の発生が成立することは確かにになる.ただしどのようなことかは判然としていない.



   
 

 あの頃は思惟の法則通りに生きると全くつまらないうんざり飽き飽きするものだと考えていた.思惟の法則があるとつまらないと、しかしなれど超弦の超対称性はFvBの止揚で物質・反物質も弁証要素-陰陽もそうなるなと思うと全く思惟作用的にはつまらなすぎる.



   
 

 無機的な人間が生きているとその要素・特徴はタナトス的でエロス性に欠けるといわねば、ある人物は原生的疎外と申したのでどうやらこの人物はエロス的よりタナトス側に傾いていたといわねば.「風は突然生理のように-」の生理のところの表現がひっかかってしょうがないがタナトス的ならば納得性がある



   
 

 で明晰は現行の不確定性原理からいえなくなってしまう.もし区別ができるとすればプランク定数未満の大きさであり、そこに明晰判断要素があるのかどうか、イメージでは混沌だが.ヒッグスから弦の考え方が趨勢になっている.



   
 

 直観では唯物的・叙事的・フェルミ的・覇者的人間は無機的存在に近いと認識する.



   
 

 昔に机の上に同じような書物がありどのように区別するかで悩んだことがある.どのように考えても区別ができないと、今思いついたストレートにプランク定数まで行って判断すべきと-悩むことは大体必要ないことなんだが、悩むのは無駄をなタイプの人間がいる)・不確定性原理にあると現行帰結となる.



   
 

 イライラする星の王子様という作品には解釈の仕様が多く合って読者自身にゆだねるという意見を見た、童話的作品は少なくとも記憶のある時から関心を寄せたことはないので、全くなんというかいら立つだけである.だから良寛も気持ち悪い感触を覚え、ディズニーランドなんぞに行く気はしない.



   
 

 秩序を保たねばならないが資本動向は変化している.秩序というのは変化を好まない維持を求めるが、がん細胞はそれとは反対に増殖を繰り返すのは秩序的ではないので、これは秩序と変化の間で秩序に対する変化ががん細胞として生理に出しているとか、ふと考えてしまった.



   
 

 考える市場の世界と深淵域がつながったと思いついたのにそれを全く思い出せない.なぜなのか茫洋としたリビドータッチ?の壁ができてしまって?



   
 

 またまた自分を消す方向に向かってしまった.不快なXXになって自己滅却をそのXXが意図している優越意識のために、自己諧謔を重要なことなのに意味のない方向にしてしまうというナンセンスを形成・醸してしまう.そのXXは時間の無駄で時間を停滞させている退行的存在の自覚がない原始位相と.



   
 

 だが、XXとXYによってその子供誕生も止揚的対象と見えなくもないので、そうなると類人猿も弁証法をしていたことに、いわんや動物・植物にせよ有機続にはほぼこの形式である.ただしパターン時間が進化や変化があるにせよやや長いかな.



   
 

 反交換の圧力はAはAであるの把持を妨害するはよかったのだが、思惟形式から弁証法を思いつく.F粒子とB粒子が現存しているのは否定弁証法・超弦が超対称性を標榜するのは弁証法のF&Bの止揚という形であることになる.結果として反交換の圧力は止揚の圧力になり高々弁証法形式という昔からの事に



   
 

 ある人物の愚痴の中で、いやな女で避けている・顔を見たくないという存在に限って会ってしまうという・それ以上に極端な希求も聞いたが・ことはよく覚えのあることで不快なことに記憶が残ってるというのと同じような.それで考えていたが、意図と反対の形は反交換なので、どうも反交換の圧力があるなと



   
 

 知らなければそんな風車を人間と間違えるような明らかに誰でも違いの分かる発言をするなと言いたかった人々が多くいる.なぜなのか、女性に意見を言うことができない存在達なのか?.それは子宮に甘えた男達であるのだが、XXでもその勘違い・風車突進を行ったということは?、ドン・キホーテは名作だ



   
 

 この数学は得意と述べたXXとなぜか間違われる.そもそもXXとXYでは異なるのに、人々はわけのわからんそうして誰にものを言っているのかわからんという理不尽ばかり受けてきた記憶がある.なぜなのかこの数学は得意といったXXに直接いうべきことなのに、もっともその存在を知らないだろうが・・



   
 

 それでたまに見かける異形の存在も複雑系に即しているので現在的と思ったりしていたが、とにかくその連中が線形頭思考を志向しがちな集団一致の疎外対処をするのでは始まらない.結局線形視点による疎外意識で避けるという形になる・・.『異常こそ正常だ』は線形に対して非線形思考のことである.



   
 

 昔は道路の複雑な状況に対してこれでは事故がそこでなくても別のところで起きるなと考えていたが、複雑性的側面からは道路の複雑さは適切であると考えるようになった.応用視点把握が遅すぎる・線形ではなく非線形性を設定していたのに.ただスキーの場合はリカバリー能力という境界対処は想定していた



   
 

 指示的人間と言えばXXにもそのような存在が思い起こせば多く(そのころはまさかで全くそんなことは考えていなかった)、ミソジニーXX型という分類になる存在達はとどのつまりパワハラ発言になるという経験記憶があり不快でしょうがない.ミソジニーXX型はなんか矛盾していないか、